2017/03/12 - 2017/03/13
55位(同エリア158件中)
JBさん
松山から海沿いに長浜を経て大洲、そこから山間の内子を通って松山へと帰ってくる三角形のドライブルート。折々に、残る文化財を訪ねました。
*夕陽がとっても綺麗なJR下灘駅!(…で、今日は雨)。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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遠くを眺めるにはあいにくの天気でしたが、
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早春の瀬戸内。
それなりにそれなりの愉しみも…。 -
下灘では夕陽が見られないから上灘へ、という訳じゃなく、
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単線運行の予讃線では、そこそこ大きな駅で待ち合わせして上下の列車がすれ違うんです。その列車交換(れっしゃこうかん:行き違い)を見られるのが、ここ上灘駅です。
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それぞれに列車が出発した後。
この次に列車が来るのは、 -
2時間後らしいです。
…そんな線路脇にも春はきてました。 -
長浜大橋(232m)。
肱川の河口にかかる重要文化財の橋です。 -
生活橋として車も通行しています。
毎日曜日には、定期点検を兼ねて開閉パフォーマンスがあります。 -
大正15年製で、現役の開閉可動橋としては我が国最古だそうです。
*右奥にみえる灯篭の後ろは、坂本竜馬が土佐を脱藩する際に使った港。それで造られた観光灯篭かナ? -
ゆったりとした流れ。
みていてあきませんね。。 -
肱川の河口から山の上まで一気に、標高差800m。
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真言宗御室派別格本山、金山(きんざん)出石寺(しゅっせきじ)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E7%9F%B3%E5%AF%BA -
ここへは45年ぶりのお参りです。
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護摩堂を経て本坊。
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大師堂を経て本堂。
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本堂脇から望む八幡浜湾。
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本堂にかかる『観世音』額。
宇和島藩主、伊達宗紀(むねただ:7代)筆。能筆と百歳祝いで有名なお殿様(長寿のためにと、70歳からは女色を慎しまれたそうですU!)。 -
大師堂前の蝋燭たて。
「若い女子はこういうデザインが好きなのよO!」で撮らされた一枚。
…りかいふのう。。 -
山側の大洲方面ですが、いったいどこに焦点を合わせて撮ったのやら。。。
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晴れていれば、遠くに石槌山までもがみえるようです。
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住職の御好意で、本坊の二階にある百畳敷きの大広間を拝見することができました。
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本坊の二階から望む境内。
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本堂の裏手(手前の渡り廊下から本堂までトンネルが通じているそうです)。
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灯篭。出石寺は昭和16年の火事で伽藍を消失しましたが、これが唯一残った古建築だそうです。
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護摩堂にかかる藤堂高虎(とうどうたかとら:戦国武将)寄進の銅鐘(重要文化財)。
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大洲城三の丸、南隅櫓(みなみすみやぐら:重要文化財)。
石垣の上、袴(はかま)みたいな石落としが特徴的です。いまでは城外になった外堀沿いのお殿様公園(無料)にあります。 -
観光櫓では決して見られない、急な階段(=^・^=)がありますよー。
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伊予市、荏原(えばら)城跡
河野家臣団の筆頭、平岡氏の居城跡です。 -
方形の堀、中世の城館跡がまんま残されています。
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東西130m、南北120mの方形の郭(くるわ:城の区画)という単純な造りですが、
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その堀幅は10ー20m。土塁の最高部は約5mで一部には石積みが残ります。
上には櫓が建っていたのでしょうか。 -
内側には武者走りが…。
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1600年、毛利家に支援された河野旧臣が領主(加藤家)と戦った際、ここが彼らにとって最後の集結拠点となりました。
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