2016/12/25 - 2017/01/05
18位(同エリア134件中)
maayさん
ケルンに滞在しながら、ケルンのロマネスク教会巡り、ボン、アーヘンを訪れました♪まずは、大好きなベートーヴェンの生まれたボンから!
ベートーヴェンが大好きです。ちょっと語ってもいいですか?
- 旅行の満足度
- 5.0
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1770年、このボンに生まれたルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。宮廷のテノール歌手だった父はルードヴィヒの才能を感じ、日夜ピアノを教え込む。年齢を2歳ほどごまかし第2の神童モーツァルトとして、その神童性を際立たせようとまでして。自分には神から与えられることのなかった音楽的才能。音楽家としても、人としても人々に尊敬され、かなうことのない父(ルードヴィヒの祖父)の七光りで辛うじて音楽家としての仕事にありついていたが、酒におぼれる日々の中で、ルードヴィヒを鍛えることに心血を注ぐ。
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つらい幼少期の中でも、優しい母親に支えられながら、その才能を開花させていくルードヴィヒ。特にピアノの即興演奏の名手として、そして何よりも、作曲において、子供の頃から、人とは違う独自性、人を惹きつける音楽的展開を見せている。
ベートーヴェンハウスに展示してあった幼少期の作曲作品は、当時としては新しい音楽を感じる、才能あふれるものでした。音楽的パトロン達が、若いルードヴィヒをもてはやし、援助し、その才能を大切に育てようとしたことが、展示の中から感じることが出来ました。 -
これは、ボン大学です。
16歳の時に、当時としては有り余るほどの援助を受け、彼は音楽の都ウィーンに旅立ちます。そして、尊敬するヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに会った、とされています。
しかし、母の危篤の知らせに、すぐにボンに引き戻されます。ほどなく、優しく、また経済的にも家族を支えていた母は亡くなり、飲んだくれの父親と幼い弟たちが残されます。酒のせいか、そこそこ美声ではあったテノール歌手としての声を失ってしまった父は、仕事を失い、ルードヴィヒは飲んだくれの父と幼い弟たちを養う事となり、音楽以外の仕事にも従事したと言われています。 -
ベートーヴェンハウス。ピンク色の外壁は、当時と同じそうです。
数年後、父が亡くなり、弟たちを親戚に預け、ルードヴィヒは再び熱い心を抱きウィーンへと旅立ちます。
ボンに立ち寄ったハイドンに才能を認められ、ウィーンで、ハイドンのもとで学ぶことになります。ところが、手紙の一節にあったのですが、ベートーヴェンはハイドンの教えに不満があり、どうにかハイドンの元を去り、ほかの教師のもとで学びたいと考えるようになります。
なるほど、素晴らしい演奏家・作曲家が、素晴らしい教師とは限らないのは、時代が違っても同じ。ベートーヴェンは幼いボン時代に自己流でも素晴らしい音楽的才能を開花させていましたが、ネーフェという教師から学ぶことで作曲の技法が深まっていっています。
ネーフェは幼くしてすでに己のスタイルを持っているベートーヴェンの、未知なる才能と、プライドを尊重しながらうまく彼を導いていたようです。(マスターヨーダ!)
ベートーヴェンはサリエリなどに教えを受けることとなります。ハイドンのように才能あふれ成功している人は、自分のスタイルが一番と考えるものでしょう。ハイドンのスタイルは、若いベートーヴェンにとっては、古くさいもの。すでに存在するもの。押しつけられるのはまっぴらごめん。ベートーヴェンは、時代の先端を自由に駆け巡るたかったのでしょう。(ROCKだぜ!) -
ミュンスター教会です!
21歳で再びウィーンに旅発ったベートーヴェンがボンに戻ることはほとんどなく、彼の活動の本拠地は、ウィーンとその周辺となります。
しかし、19世紀より、彼の生家は人々の手で守られ続け、様々な彼に関するものがここに集められています。
彼は、20代後半から耳の病に冒され、32歳の時に音楽家として絶望し、ハイリゲンシュタットの地で自殺しようと遺書をしたためます。
その「ハリゲンシュタットの遺書」が展示の中にあり、本当に驚きました。あれはオリジナルなのか、レプリカなのか…。温度湿度調整がされた展示ケースにありましたから、オリジナル?黄ばんで何度も折りたたみ広げ、また折りたたみ、そんなせいで、折り目がくっきりとつき、端は破れています。57歳で亡くなるまで、生涯小さな木箱に入れ持ち歩いていた。(不滅の恋人への手紙とともに)亡くなって初めて周囲が知ることとなります。 -
「誰かにフルートの音が聞こえるのに僕には聞こえない。かつては誰よりも優れた器官であった聴覚。すみません、聞き取れません。もう一度言ってください、などどうして言えようか。本来、社交的で人と楽しく会話をしたいが、人との会話でのこれらの障害から、人嫌いを装わざるなくなった。」「ああ、芸術が僕を引き留めたのだ。」
彼は、自殺することなく、不屈の根性で音楽に身を捧げる人生を選んでいく。
「運命」など、これぞベートーヴェン!という曲は、まさにこの後作られていく。不屈の作曲家ベートーヴェン。 -
ミュンスター教会は静かで厳かで、今も信仰する人々がこの教会を守り続けている、と感じました。
ベートーヴェンの難聴の原因は、様々言われてきましたが、遺髪からたくさんの鉛の成分が検出されたそうです。
(ベートーヴェンの遺髪が見つかり、そのことを書いた「ベートーヴェンの遺髪」はとても面白いです。第2次世界大戦中、人から人に渡り守られてきた歴史が書かれています。)
当時、ワインを甘くするために鉛のワイングラスを使ったから、とか、耳の治療に良いと、やぶ医者たちに適当な治療をさせられたのも原因ではないか、とも言われています。一般のイメージと違い、心優しく純粋で、人を信じやすいベートーヴェンは、高額の治療費が目的のとんでもない医者どもの治療を受けてしまいます。
高額の補聴器ならまだしも(ラッパみたいな形をした)、耳の中に怪しげな薬品を注ぎ入れる、という最悪な治療を受け(治療じゃないよねこれは…)さらに耳を絶望的な状態にしてしまいます。 -
修道院があるようです。静かな回廊。
ラッセル・マーティン著の「ベートーヴェンの遺髪」は、「ベートーヴェンの真実」という再編集して、絵や写真を増やした、若い人向けのものもあります。
こちらは、大人も読みやすいですよ。興味のある方、でもそれほどマニアックには…という方は、こちらを読むと、そのドラマ性にとても興味を引かれると思います。ぜひ、読んでみてください! -
これが一番オリジナルのベートーヴェンのお顔だそうです。…あれれ?
音楽室でしかベートーヴェンにお会いしたことがない方々は、「だれ?!」とお思いでしょう(笑)イケメンに描かれた肖像画は彼自身も随分とお気に入りだったようですが。「ジャガイモみたいにごつごつした顔。小さな目。首は太く短くずんぐりむっくりしており、猫背」で、ぶつぶつと何かを言ったり、大きな声で歌いながら、彼が生涯愛してやまなかった、美しい田舎ハイリゲンシュタットの小径を散歩していたようです。 -
ミュンスター教会の静かな回廊。ベートーヴェンに思いをはせます。
作曲家として後の時代に大きな影響を与えたベートーヴェン。19世紀の音楽家たちは、どこかで彼を意識し、その革命的な作品から様々な影響を受けています。
ベートーヴェンの耳が聞こえなくなってしまったこと、彼の人生にとっては最悪な不幸な状況でしたが、それは、音楽の歴史にとっては…なんとも言いがたいですか、素晴らしいことだったんですね…。
耳が聞こえなかった人生に立ち向かうことが、平凡な作品を万人受けする作品を作ることに走らず、自分の思いと情熱で人とは違う、だれも聞いたことがない作品を作り続けることになったわけです。
本当に、ROCKだぜ!ベートーヴェンの生き様…。 -
さて、別の日にアーヘンに向かいましたー!
駅でTH(タリス)のチケットを購入し!ドイツの電車はいつも空いています。
ただ、空港に向かうときは席を予約した方がいいですよ。
この路線は、ブリュッセル、パリへとつながっています。次回はそちらに行きましょう! -
この日は朝から雪が降り、交通機関がちょっちだけ、乱れました。でも何分遅れる、など表示されますから、わかりやすいですね。ドイツ鉄道、ちゃんとしてます。イタリアに行ったとき、30分遅れてもなーんにもなかったなぁ(笑)
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アーヘンの駅。
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旧市街にやってきました。
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レーブクーヘンなどで有名な「Nobis」もう1月ですが、クリスマス飾りが本当に素敵です。
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Nobis!
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ここで朝から娘とお茶をしました。Mirch Kaffe と大きなクリーム満点のケーキ!(名前は忘れました。)甘いって幸せ!
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ドイツではどこのお店でも、商品を購入しても袋に入れてくれず、ポン!とそのまま渡されます。お店は日曜は休みだし、なんかそれで全然問題ない気がします。
日本じゃ無理かな。私には合ってる…。 -
歴史ある建物!
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アーヘン大聖堂!思ったよりこじんまりしていて、昔の様式を知ります。当時としては、これでも大聖堂だったそうで、カール大帝の戴冠式などが行われました。
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なんて細かいモザイク…。こだわりの職人たちが作り上げたのでしょう…。
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見学は無料ですが、写真を撮るなら、少しお金を払うシステムです。
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旅をして、直接そのものを見ることは、とても貴重なこと。
いくら写真で見ていても、その場で受ける衝撃は違うもの。。 -
美しく守られ続けて来たんですね…。
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チューリップを発見。中国やトルコ原産のチューリップは珍しく、上流階級にもてはやされていたとか。
チューリップ好きの友達に、こんなところに!と見せたら、教えてくれました。 -
祭壇。ステンドグラスと金が本当に美しいです。
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金色とステンドグラスの紫が印象的
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…溜息…
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いくら眺めても飽きません…
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黒いマリア像。なぜ、肌の色が黒いのでしょうか。これから調べようと思います。
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聖母子像、マリア像には惹きつけられます。
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素朴な聖母子像
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雪はやみ、雪だるまが。
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街を散策します。
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建物が本当に個性的ですね。
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素敵なパン屋さん!
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パン屋のショーウィンドウ、本当に素敵!思わず、牛さんを買っちゃいました。
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旧市庁舎。
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素敵な部屋が沢山!
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すぐ、十字架に惹き付けられる(笑)
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美しい部屋が沢山!
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アーヘンの街の歴史がわかる映像がありました。
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アーヘンもやはり、爆撃を受けた街…大聖堂が残ったのは本当に奇跡…
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ローマ時代のものでしょうか?
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ちょっとした広場
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次は、ケルンのロマネスク教会巡りをお届けします♪
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ガイトウモ素敵です。
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アーヘン!来て良かった!帰りにまた、Nobisでカフェを頂いて帰りました!
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