2016/10/21 - 2016/10/23
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naokiさん
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所要で長崎市に行った折、帰りに時間を取って、対馬を観光してきました。
博多港と厳原港を結ぶ高速船に乗って約2時間余りの船旅を経て、2泊3日の対馬観光となりました。
天気は全日雨模様でしたが、観光パンフレットを手掛かりにレンタカーで思いつくままに巡ってきました。
観光スポットの写真ばかりになってしまい、街並みなど旅の途中の写真がないため物足りない旅行記となってしまいましたがご覧いただければ幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 船 レンタカー 新幹線 JR特急 徒歩
-
海上は荒天で波が高く船の中を立ってあるくのは困難でした。
軽い船酔いになり、横になってひたすら耐えました((+_+)) -
厳原港に到着後バジェットレンタカーレンタカーでクルマを借りて、観光スタート。まずは港の近くにある金石城跡に行きました。
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櫓門になっていて、中世にこの地を治めていた宗氏の居館があった場所です。
門を入ると庭園になっていました。 -
櫓門の外側の道路を数百メートル山の方に進むと、対馬藩主宗家の菩提寺の万松院があります。こちらは1615年に造られた山門です。
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山門の仁王像で創建時から残されている貴重な文化財です。
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寺内です。
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本堂です。過去何度も火災で焼失しており、この建物は明治12年(1879年)に再建されたものだそうです。
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堂内です。
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堂内には朝鮮国王から贈られた三具足という宝物が無造作に置かれていました。
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寺内に設置されている諫鼓と呼ばれる鼓です。
領主に諫言しようとする人民に打ち鳴らさせたということです。 -
本堂を抜けて山麓の墓所に向かいます。
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墓所に続く橋です。
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百雁木と呼ばれている墓所に続く石段です。
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墓所は御霊屋と呼ばれ、石段の途中にも一族の墓がずらりと並んでいます。
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どれも立派な造りの墓です。
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石段を登りきると樹齢1200年と言われる大スギがあります。
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最上段にもたくさんの墓があります。
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万松院から車で数分程度の場所にお船江跡と呼ばれる対馬藩の御用船を係留していた遺構があります。
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1663年の造成されたとされています。
それにしても見事に原型を留めています。 -
江戸時代の雰囲気が出ています。
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お船江跡の次は島を北上して、浅茅湾が見える金田城跡を目指しました。
国道382号線を北に向かい、途中から左折して県道24号線を走り、
更に山道に入ります。山道の入り口にある案内で、これが目印となります。 -
道は悪路でほとんど林道です。道に迷って途中で引き返したり、諦めかけた時に
山仕事をされている方がいて、道順を教えてもらってこの場所まで来ました。
ここからは徒歩となります。 -
城跡から浅茅湾を望みます。ちなみに看板を設置してある所からは通常で徒歩約20分ぐらいとのことです。走り上がったので約10分弱で到着しました。
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西暦660年に唐と新羅の連合軍に白村江で敗れた倭国はその更なる侵攻に備えて、ここに山城を築きました。
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石垣の横には柱跡の遺構がありました。何か建物があったようです。
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城跡の石垣を下から見上げたらこんな感じです。
この後足早に車に戻り、島の最北端の上対馬町の宿まで車を飛ばしました。途中の風景写真は全くありません。ご紹介できなくて済みません。 -
対馬の2日目は島の最北端に位置する韓国展望所を訪れました。ここから韓国釜山までの距離は49.5kmで、晴れていれば釜山市を観ることができます。この日は生憎の雨天で水平線は真っ白で何も見えませんでした。
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徐々に島を南下しながら途中、対馬野生生物保護センター立ち寄りました。
ここでは対馬にしか生息しないツシマヤマネコを見ることができます。
絶滅の危機にある国の天然記念物です。 -
一見普通の猫と変わらないのですが、説明を読むと家猫との違いがはっきりしていて、大きな特徴は家猫に比べて耳が小さく丸いことと尻尾が長くて太いのが見てとれます。その他細かい違いがあります。
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更に南下して目保呂ダム馬事公園を訪れました。
対馬にしか生息していない対州馬が飼育されています。
体高が120cmぐらいの小柄でおとなしい馬でした。 -
次は姫神山砲台跡を訪れました。
弾薬庫です。 -
姫神山砲台跡は明治33年に造られた砲台です。
島の東海岸に面しています。
対馬には多数の砲台跡が残っていて当時の国防と最前線基地の役割を担っていたそうです。 -
砲台跡というより要塞です。
事実、天空の要塞と呼ばれています。 -
これは砲台跡か?
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別の角度から
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射程距離はどれくらいだったのだろうか?
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元来た場所に戻ってきました。
また途中の写真はなしで、厳原まで戻り一旦、宿にチェックインしてから島の西海岸を目指しました。 -
厳原町小茂田の元寇古戦場を訪れました。
ここに元の大軍が押し寄せてきたということですが、当時の海岸線はもっと内陸であったそうです。一応雰囲気はあります。 -
海岸には小茂田浜神社があり、戦死者を祀っています。
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約700年前、900隻と言われる軍船で襲ってきた元軍を対馬の守護代、宗助国は僅か80騎で応戦し、全滅したそうです。
付近に今も宗助国の首塚と同塚が残されています。
それだけ壮絶だったということか。 -
以前は学校の教科書では元寇だったけれど、最近はモンゴル軍の来襲に変更されているとか・・・
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ちなみにこの辺りが当時の海岸線らしいです。
あまりピンと来ません。 -
古戦場を後に帰る途中、道路脇に古墳の説明板があったので行ってみることにしました。道路から数十メートルほどの山の中腹に史跡矢立山古墳群と書かれた標柱と鮮明板があり、この奥に古墳があります。
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石積みの方墳でした。
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横穴式の石室があります。
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頑丈に造られています。資料によると、これは1号墳で東西5.2m、南北4.5m、高さ2.4mとのことです。
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遠景はこんな感じで、周囲は草が茂っていました。
急ぎ足の観光となってしまいました。この後厳原の市街地に戻り、レンタカーを返してホテルに入りました。 -
翌日は朝の高速船ジェットフォイルに乗船して博多港へ向かいました。
港の待合室のガラスケースに朝鮮国信使絵巻なるものが展示されていました。
当時、朝鮮半島との強い結びつきが見てとれる資料です。ご紹介出来ませんでしたが、島内には他にも大陸との関わりが分かる史跡が幾つもあり、また大陸との結びつきを雰囲気として感じることもありました。ほんとうに稚拙な旅行記となってしまいました。
もし、また訪れることがあるなら、今度はテーマを絞ってのんびりと観光してみたいです。最後までご覧いただきありがとうございました。
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