2017/01/20 - 2017/01/21
98位(同エリア606件中)
belleduneさん
- belleduneさんTOP
- 旅行記839冊
- クチコミ134件
- Q&A回答177件
- 1,498,037アクセス
- フォロワー63人
今年もスノーシューの季節がやってきました。初めて、阿寒湖辺りと釧路湿原を歩きました。阿寒湖には初めての団体ツアー体験をして、泊まったところでした。流氷や旭山動物園のペンギンの散歩を2泊3日で廻るというものでしたので、阿寒湖も湖畔を早朝に散歩しただけでした。今回はゆっくりと阿寒湖を楽しみたいと思っています。スノーシューはまだまだ知られていないのですが、スキーやスノボーと異なり、林や山を歩きながら、自然を楽しむものです。是非、一度やってみられては、如何でしょう。
この日は、フロスト・フラワーが見られて、幸運でした。午後少し萎れた華を再び見に行きましたが、朝見た時よりは結晶が萎れていました。いつも見れるとは限らないものだけに、嬉しくなりました。薄い氷の上に下からの蒸気で結晶が育って行くというここ、阿寒湖だけに見られるものです。
-
昨日は、曇りの釧路湿原を歩いたのですが、今日は朝から良い天気です。膝の具合が良くなかったので、本来なら今日も温根沼の方までスノーシューで歩く予定でしたが、来月もあるので、残念でしたが、取り止めました。でも、今日ここにいたお陰で、冬の華が見れました。阿寒湖のこともあまり知らなかったので、阿寒観光協会の方に色々と教えて貰いました。
-
キラキラと雪が舞っています。
-
阿寒湖には島が4つありますが、冬に湖畔から歩いて行けるのは、小島位です。大島、チュウルイ島(マリモ展示観察センターがあります)、阿寒湖で最小のヤイタイ島(アイヌ語で雑木が繁っているという意味で、白龍山の神を祀っています)は、周囲の氷が薄い箇所があり、危険なので、行かない方が良いと言われました。今、見えているところは、湖畔の入り組んだところです。
-
標高1371mの雄阿寒岳です。阿寒国立公園は、阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖の3つのカルデラを含む広大なもので、昭和9年(1934)に指定されました。2月には屈斜路湖、摩周湖を歩きます。
-
葦にも雪が付いて綺麗ですね。
-
今日は晴れているので、木の枝先の雪も後、1、2時間で消えてしまいます。
-
今から1万年前に雄阿寒岳の噴火活動で、堰止湖ができ、その後も成長を続けて、湖面を埋めてしまった「古阿寒湖」が分かれて、現在の阿寒湖、東側にあるペンケトー、パンケトーが誕生しました。雌阿寒岳は2006年3月21日に小さな噴火がありました。
-
振り返ると、真っ白な雌阿寒岳が見えます。なるべく、足跡を辿って歩きます。湖上はどこでも歩けるという訳ではありません。湯壺も毎年移動するものもあるので、地元の人の言うことは、聞きましょう。
-
早朝から朝靄が掛かっていましたが、正面に靄が移動する様が見られました。
-
-
刻々と移動して行く光景に見蕩れていました。
正面の湖面の下から白く煙がでているように見えるのは、湯壺から蒸気で、靄ではありません。 -
これが小島です。これから小島の近くに見えているフロストフラワーを見に行きます。今は雪が湖上にあまり積もっていないので、スノーシューを付けずに、歩いて行くため、人が歩いた跡を辿って行きます。自由に歩くにはやはりスノーシューがあると便利ですね。
-
これは、氷の上に降った雪の結晶です。フロスト・フラワーではありません。
-
-
湖上には所々に湯壺があり、丸く穴が開いています。下からボコボコと湧いています。その周りは氷が薄く、下からの水蒸気で氷上に結晶となって、固まります。それが、段々と上に育って行くのが、フロスト・フラワーと呼ばれる雪の華です。風があると吹き飛んでしまうので、見られませんし、冷え込んだ朝に稀に見られるということです。今年はお正月頃に1回だけだったので、この日はとても恵まれていました。期待しないで行ったので、見ることができて、嬉しかったです。これを見るために態々来る人もいるそうです。晴れていたので、太陽にキラキラ輝いていました。ごごになると、日差しで、萎れて押し花になると言われたので、午後にまた見に来ます。
-
もやもやっとなっているところが、育ちつつある冬の華です。
-
-
-
レンズを持って来なかったのが残念です。
-
-
-
-
下からお湯が湧き出ているのが見えます。
-
-
-
湖畔から陸地へ移動します。今から、湖畔を歩き、湯壺の傍の冬の華が多くあるところまで行きます。
-
石畳の遊歩道にも、霜柱がすっくと盛り上がっていました。
-
ボッケと呼ばれるもので、泥火山が噴出しているところです。アイヌ語で「煮え立つ」という意味だそうです。阿寒湖温泉は、約140年前にアイヌ民族が利用する温泉でしたが、明治45年(1912)に旅館が出来、阿寒国立公園指定となってから、観光地として発展して行きました。
-
地面からも霜柱が見事です。
-
-
ボッケの囲いにも雪が付いていて、やはり寒い季節には色んな感動があります。
子供の頃からこういう寒いところで育つと、見慣れているので、私のように感動しないと思いますが。 -
周りのところにも、房のように付いているのが、面白い。今の気温はマイナス5度位です。
-
-
こういう景色もいつも見れるとは限りません。
-
湖面が見えて来ました。湯壺の温かい水温で湯煙がたっていますが、その傍にはフロストフラワーが集まっています。
-
綺麗な眺めですね。
-
阿寒湖は、面積13、25平方km、周囲役30km、最大水深は、45m、水面の標高は420mです。
-
ここからは同じような写真が続きますので、飽きた方は飛ばしてください。
-
-
-
-
-
湖畔に下りて近くで鑑賞します。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
そろそろ帰りますが、午後からもう一度どうなっているか確かめに来ます。
-
明治36年(1906)に、北海道国有未開地処分法に基づいて、鹿児島出身の官僚、前田正名が阿寒湖畔の土地約3800haを取得し、「前田一歩園」を設立しました。初めは耕作と牧畜植林のための農場、牧場の経営をしていましたが、阿寒湖の美しさに魅せられて、「この山は切る山にあらず、観る山にすべき」として、観光地になることを見据えていました。正名の死後、次男・正次と妻光子に引継がれ、昭和58年(1983)、財団法人となりました。
-
前田正名は、明治2年にフランスへ8年間留学しています。帰国後、大蔵省、内務省、農商務省の要職を歴任した後、全国の実業界の振興に取り組む一方、各地で農業経営や山林事業を展開していきます。「物ごと万事に一歩が大切」というのが、座右の銘だそうです。
-
この阿寒湖畔の森に、江戸時代の探検家・松浦武四郎の石碑が立っていました。弘化元年(1844)から蝦夷地探検を始め、安政2年(1855)蝦夷御用御雇に抜擢されて、「東西蝦夷山川地理取調図」、「久摺日誌」を出版しています。明治2年(1869)に開拓判官となって、蝦夷地に「北海道」の名を与えました。当初は、「北加伊道」だったそうです。明治3年(1870)にアイヌ民族への搾取を温存する開拓使を批判して、辞職しました。余生は全国歴遊して、著述を残しました。この松浦武四郎の墓は、東京の染井霊園にあります。
-
昨年の台風で倒れた大木です。
松浦武四郎の石碑は、摩周湖第一展望台の左高台に建てられていましたが、地震で土台が倒壊しています。また、「久摺日誌」には、屈斜路湖畔温泉として、唯一「池の湯」に関する記述があるそうです。池の湯は、アイヌ語で「湖の薬温泉」という意味の「トー・サム・クスリ」です。 -
-
「前田一歩園」
-
午後に再びどうなっているか、行ってみました。
-
午前に比べるち萎れています。もう育ってはいません。風も少し出て来ました。
-
-
-
-
午前に行ったときはなかった足跡がたくさんあり、穴があいているようですが、危険です。自然にあいている湯壺の傍は、氷が薄いので、あまり近づかないようにしましょう。
-
依然として雄大な雄阿寒岳ですが、昨年の台風で、やや右の白くなっている筋は、崖崩れ部分です。ガイドさんの話に因ると、3合目辺りが斜面が一番きつく、登り辛いそうです。
-
-
-
-
曇ると、かなり寒いです。
-
-
-
-
-
-
鹿の足跡ですね。
-
-
湖畔傍にも多くの足跡がありました。
-
-
-
朝来た湖畔へ来ると、鴨が3羽逆さになって餌を食べていました。
-
-
-
朝と比べてどうかな、と思って見ましたが、少し萎れた感じでした。ここは風があまり当たらないので、その加減でしょうか。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
黄色の矢印の辺りまで歩いて来るのは、とても危険です。薄い氷が割れる可能性があります。
-
-
-
-
先日、染井霊園にお参りに行った時に、近いところにあったので、松浦武四郎のお墓にもお参りしてきました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
阿寒(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
111