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ワンワールドの世界一周航空券で1か月の旅行をしています。<br /><br />北米から欧州に向かい、イタリアはJTBのツアーに現地から参加しました。<br />盛りだくさんの内容でフィレンツェの次は、サンマリノ共和国とベネチアです。<br /><br />小さな国、サンマリノ共和国と一度は行ってみたかったベネチア、どちらも初めての<br />土地です。街歩きも新鮮でした。ゴンドラにも乗りました。

世界2周目旅行 北米~欧州 ⑫イタリア周遊・ サンマリノ共和国・ベネチア

7いいね!

2016/09/15 - 2016/09/16

2495位(同エリア4196件中)

2

92

さくらいろ

さくらいろさん

ワンワールドの世界一周航空券で1か月の旅行をしています。

北米から欧州に向かい、イタリアはJTBのツアーに現地から参加しました。
盛りだくさんの内容でフィレンツェの次は、サンマリノ共和国とベネチアです。

小さな国、サンマリノ共和国と一度は行ってみたかったベネチア、どちらも初めての
土地です。街歩きも新鮮でした。ゴンドラにも乗りました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.0
グルメ
4.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
100万円以上
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  • フィレンツで2泊したホテル、カンファレンス・<br />フロレンティア での朝食です。<br /><br />6時半から朝食、7時半にはホテルを出発します。<br />

    フィレンツで2泊したホテル、カンファレンス・
    フロレンティア での朝食です。

    6時半から朝食、7時半にはホテルを出発します。

  • フィレンツェからサンマリノ共和国へ<br />バスで3時間くらいです。<br /><br />途中で道の駅に寄りました。

    フィレンツェからサンマリノ共和国へ
    バスで3時間くらいです。

    途中で道の駅に寄りました。

  • 道の駅の売店ではビールが半額。<br />安いのですが、こんなに飲まないし重いし、で<br />残念。

    道の駅の売店ではビールが半額。
    安いのですが、こんなに飲まないし重いし、で
    残念。

  • 高速道路の脇にはトマトやオリーブの<br />畑が続きます。<br /><br />

    高速道路の脇にはトマトやオリーブの
    畑が続きます。

  • サンマリノ共和国が見えてきました。<br /><br />この国は世界で5番目に小さな国です。<br />国土は標高749mの岩山に広がる山地と丘陵地。<br /><br />首都サンマリノ市はティターノ山の頂上にあります。<br /><br />国の面積は日本の十和田湖や八丈島とほぼ同じ。<br />小さい!<br /><br />人口は約3万人で、現存する世界最古の共和国だそうです。

    サンマリノ共和国が見えてきました。

    この国は世界で5番目に小さな国です。
    国土は標高749mの岩山に広がる山地と丘陵地。

    首都サンマリノ市はティターノ山の頂上にあります。

    国の面積は日本の十和田湖や八丈島とほぼ同じ。
    小さい!

    人口は約3万人で、現存する世界最古の共和国だそうです。

  • サンマリノ共和国の始まりは4世紀初頭。<br />マリーノという石工がローマ皇帝によるキリスト教徒<br />迫害を逃れるためティラーノ山に立てこもり、共同体を<br />作ったのが国の始まりとされています。<br /><br />山頂にあるため、天然の要塞に守られると共に、<br />11世紀、13世紀、14世紀に3つの塔(砦)を建造、<br />外敵の侵入を防ぎました。<br /><br />現在まで自由と独立を守り続け「山頂の独立国」と<br />呼ばれています。<br /><br />市の中心部には車は入れないので、バス駐車場から<br />歩いて観光しました。

    サンマリノ共和国の始まりは4世紀初頭。
    マリーノという石工がローマ皇帝によるキリスト教徒
    迫害を逃れるためティラーノ山に立てこもり、共同体を
    作ったのが国の始まりとされています。

    山頂にあるため、天然の要塞に守られると共に、
    11世紀、13世紀、14世紀に3つの塔(砦)を建造、
    外敵の侵入を防ぎました。

    現在まで自由と独立を守り続け「山頂の独立国」と
    呼ばれています。

    市の中心部には車は入れないので、バス駐車場から
    歩いて観光しました。

  • 坂道と階段を上りながらの観光です。<br /><br />その要所要所に歴史的建造物や展望台があります。

    坂道と階段を上りながらの観光です。

    その要所要所に歴史的建造物や展望台があります。

  • 採石場です。<br /><br />石は建造物のためだけでなく、石弓の弾として<br />使われました。<br /><br />中世のサンマリノの最大の武器は石弓で、近年は<br />そのトーナメントが毎年、ここで開かれるそうです。<br />

    採石場です。

    石は建造物のためだけでなく、石弓の弾として
    使われました。

    中世のサンマリノの最大の武器は石弓で、近年は
    そのトーナメントが毎年、ここで開かれるそうです。

  • 展望台もありました。

    展望台もありました。

  • 展望台からの眺めです。<br />

    展望台からの眺めです。

  • サンマリノ政庁とその前にリベルタ広場が<br />ありました。<br /><br />サンマリノ政庁はネオ・ゴシック様式の宮殿。<br />広場の中央にはシンボルとして1876年に建立された<br />自由の女神像が立っています。<br />(ニューヨークの像より10年早い)<br />

    サンマリノ政庁とその前にリベルタ広場が
    ありました。

    サンマリノ政庁はネオ・ゴシック様式の宮殿。
    広場の中央にはシンボルとして1876年に建立された
    自由の女神像が立っています。
    (ニューヨークの像より10年早い)

  • サンマリノ共和国の国旗です。

    サンマリノ共和国の国旗です。

  • 政庁は衛兵が守っており、春から夏にかけて<br />30分毎に交代儀式が行われています。<br /><br />ちょうどその時間だったのですが、人が多くて<br />後ろから見るだけでした。<br /><br />もう交代が終わったところ。

    政庁は衛兵が守っており、春から夏にかけて
    30分毎に交代儀式が行われています。

    ちょうどその時間だったのですが、人が多くて
    後ろから見るだけでした。

    もう交代が終わったところ。

  • しばらく自由時間となり、街の散策をしました。

    しばらく自由時間となり、街の散策をしました。

  • 町全体が砦のようなものです。

    町全体が砦のようなものです。

  • 山頂には第2の砦チェスタ(Rocca Cesta)<br /><br />13世紀、ティターノ山頂の最高点(755m)に<br />建てられました。

    山頂には第2の砦チェスタ(Rocca Cesta)

    13世紀、ティターノ山頂の最高点(755m)に
    建てられました。

  • 左上後方が第3の砦モンターレ(Rocca Montale)<br />14世紀にティターノ山の尾根に建てられました。<br /><br />第1の砦は遠くに見えたのですが、写真は<br />撮れませんでした。<br /><br />三つの城砦はサンマリノ共和国の国旗にもデザイン<br />されています。

    左上後方が第3の砦モンターレ(Rocca Montale)
    14世紀にティターノ山の尾根に建てられました。

    第1の砦は遠くに見えたのですが、写真は
    撮れませんでした。

    三つの城砦はサンマリノ共和国の国旗にもデザイン
    されています。

  • 山頂の独立国のため、城砦をはじめとする<br />すべての歴史的建造物は建造当時のまま<br />残っています。<br />

    山頂の独立国のため、城砦をはじめとする
    すべての歴史的建造物は建造当時のまま
    残っています。

  • サンマリノの基幹産業は観光業。<br /><br />また、独自の切手を発行しています。<br />世界の切手収集家も訪れ、一定の財源となっています。<br /><br />郵便局に切手が並んでいました。

    サンマリノの基幹産業は観光業。

    また、独自の切手を発行しています。
    世界の切手収集家も訪れ、一定の財源となっています。

    郵便局に切手が並んでいました。

  • コインも同じように並んでいます。

    コインも同じように並んでいます。

  • 郵便局の前にはポストがありました。<br />切手を貼って投函するのでしょう。<br /><br />コレクターにとっては、サンマリノの消印も<br />重要らしいです。

    郵便局の前にはポストがありました。
    切手を貼って投函するのでしょう。

    コレクターにとっては、サンマリノの消印も
    重要らしいです。

  • 石畳の坂道を歩いて行きます。

    石畳の坂道を歩いて行きます。

  • 道沿いのおみやげ屋さんのウィンドー。<br /><br />ここにも三つの砦がデザインされていました。

    道沿いのおみやげ屋さんのウィンドー。

    ここにも三つの砦がデザインされていました。

  • きれいなグラスやベルの飾り。<br /><br />サンマリノらしい絵付けです。<br /><br />でも、この店は昼休みで入れませんでした。

    きれいなグラスやベルの飾り。

    サンマリノらしい絵付けです。

    でも、この店は昼休みで入れませんでした。

  • 私達も自由時間を終えて、ランチの店に<br />集合です。<br /><br />「Buca San Francesco」

    私達も自由時間を終えて、ランチの店に
    集合です。

    「Buca San Francesco」

  • 店内へ。

    店内へ。

  • 野菜のリゾットです。<br /><br />この時に頼んだ白ワインがフルボトルで6ユーロと<br />安くて美味しかった!<br /><br />同じテーブルの方と4人で飲みました。

    野菜のリゾットです。

    この時に頼んだ白ワインがフルボトルで6ユーロと
    安くて美味しかった!

    同じテーブルの方と4人で飲みました。

  • 牛肉の煮込み。<br /><br />毎回、豚肉かなと思ってしまうのですが<br />(白っぽいので)たぶん仔牛です。

    牛肉の煮込み。

    毎回、豚肉かなと思ってしまうのですが
    (白っぽいので)たぶん仔牛です。

  • デザートのアイスクリーム。<br /><br />

    デザートのアイスクリーム。

  • 食事を終えたら、サンマリノとお別れです。

    食事を終えたら、サンマリノとお別れです。

  • バスに乗り、山頂のサンマリノを見上げながら<br />一路ベネチアへ向かいます。

    バスに乗り、山頂のサンマリノを見上げながら
    一路ベネチアへ向かいます。

  • ベネチアまでバスで4時間です。<br /><br />途中でまた道の駅に寄りました。<br />

    ベネチアまでバスで4時間です。

    途中でまた道の駅に寄りました。

  • ここにはピノキオの人形などがありました。<br /><br />イタリアではあちこちで見かけます。<br />「ピノッキオの冒険」は1883年に出版されました。<br />イタリアの作家・カルロ・コッローディの児童文学作品。<br /><br />ディズニー映画の印象が強いです。<br /><br />ここでは「LOAKER」のウェハースを買いました。<br />3箱で3.9ユーロと半額になっていて、市内の<br />スーパーよりも安かったです。

    ここにはピノキオの人形などがありました。

    イタリアではあちこちで見かけます。
    「ピノッキオの冒険」は1883年に出版されました。
    イタリアの作家・カルロ・コッローディの児童文学作品。

    ディズニー映画の印象が強いです。

    ここでは「LOAKER」のウェハースを買いました。
    3箱で3.9ユーロと半額になっていて、市内の
    スーパーよりも安かったです。

  • 休憩の後は、バスで農村地帯を走って行きます。

    休憩の後は、バスで農村地帯を走って行きます。

  • 夕方6時半頃、ベネチア市の本土側<br />メストレのホテルに着きました。<br /><br />Holiday Inn Venice Mestre Marghera

    夕方6時半頃、ベネチア市の本土側
    メストレのホテルに着きました。

    Holiday Inn Venice Mestre Marghera

  • こじんまりしたツインルーム。

    こじんまりしたツインルーム。

  • デスクまわり。<br />このホテルには冷蔵庫はありませんでした。

    デスクまわり。
    このホテルには冷蔵庫はありませんでした。

  • コンパクトなバスルーム。<br />バスタブはありました。

    コンパクトなバスルーム。
    バスタブはありました。

  • この日は35回目の結婚記念日でした。<br /><br />旅先で迎えるなんて、旅行好きな私達らしいと<br />思いました。<br /><br />

    この日は35回目の結婚記念日でした。

    旅先で迎えるなんて、旅行好きな私達らしいと
    思いました。

  • 夕食で同じテーブルになった方達に<br />スプマンテをご馳走して、一緒に<br />お祝いしていただきました。<br />乾杯!

    夕食で同じテーブルになった方達に
    スプマンテをご馳走して、一緒に
    お祝いしていただきました。
    乾杯!

  • 夕食はパスタで始まりました。

    夕食はパスタで始まりました。

  • メインは舌平目のソテー。<br /><br />茄子や野菜、ポテトも添えられています。

    メインは舌平目のソテー。

    茄子や野菜、ポテトも添えられています。

  • デザートはリコッタチーズのケーキ。<br /><br />皆さんと話しながら、楽しい夕食でした。<br />記念日の思い出になりました。

    デザートはリコッタチーズのケーキ。

    皆さんと話しながら、楽しい夕食でした。
    記念日の思い出になりました。

  • ツアーで仲良くなった方から、フィレンツェの<br />チョコレートをお祝いにといただきました。<br /><br />とても美味しいチョコレートでした。<br />感謝です。<br /><br />この日はホテルに着いて食事をするだけでした。<br />明日のベネチア観光に備えて、早めに寝ました。

    ツアーで仲良くなった方から、フィレンツェの
    チョコレートをお祝いにといただきました。

    とても美味しいチョコレートでした。
    感謝です。

    この日はホテルに着いて食事をするだけでした。
    明日のベネチア観光に備えて、早めに寝ました。

  • さて、翌日の朝です。<br /><br />ホテルの朝食会場へ。<br />この日も6時半から朝食で、7時半には<br />ホテルを出発します。

    さて、翌日の朝です。

    ホテルの朝食会場へ。
    この日も6時半から朝食で、7時半には
    ホテルを出発します。

  • まだ暗い中を出発して、リベルタ橋を<br />渡りました。<br /><br />メストレとベネチアは鉄道と自動車用道路の<br />リベルタ橋で結ばれています。

    まだ暗い中を出発して、リベルタ橋を
    渡りました。

    メストレとベネチアは鉄道と自動車用道路の
    リベルタ橋で結ばれています。

  • リベルタ橋を渡って、ベネチアへのモーターボート<br />乗り場まで行きます。

    リベルタ橋を渡って、ベネチアへのモーターボート
    乗り場まで行きます。

  • バスの駐車場からボート乗り場まで<br />歩いてきました。<br /><br />ボートでベネチアへ渡ります。

    バスの駐車場からボート乗り場まで
    歩いてきました。

    ボートでベネチアへ渡ります。

  • ボートからは大型客船が停泊しているのが<br />見えました。<br /><br />この大きな船から降りた方達もみんな<br />ベネチア観光に行くのでしょう。<br /><br />

    ボートからは大型客船が停泊しているのが
    見えました。

    この大きな船から降りた方達もみんな
    ベネチア観光に行くのでしょう。

  • ボートに15分くらい乗っているとベネチアらしい<br />景色が見えてきました。<br /><br />「水の都」「アドリア海の真珠」と言われています。<br /><br />ベネチア本島全体が小さな島からできており、150を<br />越える運河が177の島々を分けているそうです。

    ボートに15分くらい乗っているとベネチアらしい
    景色が見えてきました。

    「水の都」「アドリア海の真珠」と言われています。

    ベネチア本島全体が小さな島からできており、150を
    越える運河が177の島々を分けているそうです。

  • 有名な鐘楼も見えました。<br /><br />海からだんだんと近づいて行くので期待が<br />高まります。<br /><br />ベネチアは元はアドリア海の湿地帯でした。<br />ゲルマン人のイタリア侵略により、北イタリアの住民が<br />452年にこの湿地帯へと避難して暮らし始めたのが原点<br />とのこと。<br /><br />人々は干潟に大量の丸太の杭を打ち込み、建物の土台と<br />しました。そのため、”ベネチアを逆さまにすると<br />森ができる”と言われています。

    有名な鐘楼も見えました。

    海からだんだんと近づいて行くので期待が
    高まります。

    ベネチアは元はアドリア海の湿地帯でした。
    ゲルマン人のイタリア侵略により、北イタリアの住民が
    452年にこの湿地帯へと避難して暮らし始めたのが原点
    とのこと。

    人々は干潟に大量の丸太の杭を打ち込み、建物の土台と
    しました。そのため、”ベネチアを逆さまにすると
    森ができる”と言われています。

  • ボートで船着き場に着きました。

    ボートで船着き場に着きました。

  • 船着き場の向かいに見えるのは、サン・ジョルジョ・<br />マッジョーレ島です。<br /><br />島のほとんどはマッジョーレ教会です。

    船着き場の向かいに見えるのは、サン・ジョルジョ・
    マッジョーレ島です。

    島のほとんどはマッジョーレ教会です。

  • 船着き場に着いたら、運河にかかる橋を<br />いくつか渡ってドゥカーレ宮殿へ。<br /><br />途中、新婚さんが何組か撮影をしていました。<br />

    船着き場に着いたら、運河にかかる橋を
    いくつか渡ってドゥカーレ宮殿へ。

    途中、新婚さんが何組か撮影をしていました。

  • ベネチア本島内は運河と歩行者のみ渡れる橋、<br />迷路のように狭い路地が続いています。<br /><br />さっそく見えてきた「ため息橋」<br />ドゥカーレ宮殿と牢獄を結ぶ橋です。<br /><br />壁に囲まれ、装飾はなく、小さな格子窓があるだけです。

    ベネチア本島内は運河と歩行者のみ渡れる橋、
    迷路のように狭い路地が続いています。

    さっそく見えてきた「ため息橋」
    ドゥカーレ宮殿と牢獄を結ぶ橋です。

    壁に囲まれ、装飾はなく、小さな格子窓があるだけです。

  • ドゥカーレ宮殿です。<br /><br />ベネチア共和国の総督邸兼政庁として、8世紀に創建され<br />14~16世紀にかけて現在の形に改修されました。<br /><br />サンマルコ広場に面して建造され、運河の対岸の牢獄跡と<br />ため息橋で結ばれています。

    ドゥカーレ宮殿です。

    ベネチア共和国の総督邸兼政庁として、8世紀に創建され
    14~16世紀にかけて現在の形に改修されました。

    サンマルコ広場に面して建造され、運河の対岸の牢獄跡と
    ため息橋で結ばれています。

  • ベネチア・ゴシック様式の代表建築といわれています。<br /><br />1~2階の簡素な回廊とは異なり、内部にはベネチア派の<br />画家たちの壁画や天井画が並び、豪華な装飾が施されて<br />います。<br /><br />現在は美術館として公開されており、ベネチア映画祭の<br />会場としても使用されています。

    ベネチア・ゴシック様式の代表建築といわれています。

    1~2階の簡素な回廊とは異なり、内部にはベネチア派の
    画家たちの壁画や天井画が並び、豪華な装飾が施されて
    います。

    現在は美術館として公開されており、ベネチア映画祭の
    会場としても使用されています。

  • 中を見学しました。<br /><br />黄金の階段は高位官や身分の高い貴族専用で<br />24金の金箔と漆喰、フレスコ画で飾られています。<br /><br />その階段の天井です。豪華絢爛さを誇っています。

    中を見学しました。

    黄金の階段は高位官や身分の高い貴族専用で
    24金の金箔と漆喰、フレスコ画で飾られています。

    その階段の天井です。豪華絢爛さを誇っています。

  • 「4つの扉の間」は控室。<br /><br />4つある扉は大理石で装飾縁取りされ、上部には彫刻群が<br />扉との間には神学的主題のフレスコ画が描かれています。

    「4つの扉の間」は控室。

    4つある扉は大理石で装飾縁取りされ、上部には彫刻群が
    扉との間には神学的主題のフレスコ画が描かれています。

  • 天井はそれぞれ特徴のある天井飾りと<br />絵画で埋められています。<br />(元老院の間)

    天井はそれぞれ特徴のある天井飾りと
    絵画で埋められています。
    (元老院の間)

  • 「元老院の間」は外国の代表団や重要な<br />人物を迎え、共和国総統と6人の評議員が会見する<br />部屋です。<br /><br />1574年に火災にあった後、1595年までに壁や天井が<br />一新されています。

    「元老院の間」は外国の代表団や重要な
    人物を迎え、共和国総統と6人の評議員が会見する
    部屋です。

    1574年に火災にあった後、1595年までに壁や天井が
    一新されています。

  • 武器庫には、中世に使用された様々な武器や<br />武具も展示されていました。

    武器庫には、中世に使用された様々な武器や
    武具も展示されていました。

  • 宮殿の窓から見えたマッジョーレ島。<br /><br />窓ガラスも素敵でした。

    宮殿の窓から見えたマッジョーレ島。

    窓ガラスも素敵でした。

  • 「大議会の間」は共和国議会室。<br /><br />1200~2000人を収容できたそうです。<br /><br />正面は天地7m、幅22mの世界最大の油絵、<br />ティントレット作の「天国」<br /><br />外観とは違い、内部はたいへん豪華な造りでした。

    「大議会の間」は共和国議会室。

    1200~2000人を収容できたそうです。

    正面は天地7m、幅22mの世界最大の油絵、
    ティントレット作の「天国」

    外観とは違い、内部はたいへん豪華な造りでした。

  • そして、この橋がドゥカーレ宮殿と牢獄を<br />結ぶ「ため息橋」です。<br />(運河から見たところ)<br /><br />

    そして、この橋がドゥカーレ宮殿と牢獄を
    結ぶ「ため息橋」です。
    (運河から見たところ)

  • ため息橋の小さな格子窓から見える景色。<br /><br />ロマンチックな名前かと思っていましたが、<br />実は違いました。<br />牢獄に入れられる囚人がここを通る時、この世の<br />見納めとため息をついた(だろう)ことからの<br />名前でした。

    ため息橋の小さな格子窓から見える景色。

    ロマンチックな名前かと思っていましたが、
    実は違いました。
    牢獄に入れられる囚人がここを通る時、この世の
    見納めとため息をついた(だろう)ことからの
    名前でした。

  • ため息橋から先は牢獄です。<br /><br />牢獄はその色から「鉛の監獄」とも呼ばれたそうです。<br /><br />悪名高いカサノヴァは30歳の時(1755年)宗教裁判で<br />有罪を宣告され、ここに投獄されました。<br />5年後に脱獄、パリに逃亡し、その顛末を著書に著しました。<br />以後、脱獄に成功した者はいないとのこと。<br /><br />なんと厳重な牢獄。

    ため息橋から先は牢獄です。

    牢獄はその色から「鉛の監獄」とも呼ばれたそうです。

    悪名高いカサノヴァは30歳の時(1755年)宗教裁判で
    有罪を宣告され、ここに投獄されました。
    5年後に脱獄、パリに逃亡し、その顛末を著書に著しました。
    以後、脱獄に成功した者はいないとのこと。

    なんと厳重な牢獄。

  • 「巨人の階段」<br /><br />中庭に突き出ている大理石の階段です。<br />15~16世紀にかけて造られ、ベネチア共和国総督の<br />即位式が行われました。<br /><br />階段の上の左右には1554年に造られた軍神マルス(左)<br />と海神ネプチューン(右)の二体の巨人が立っています。<br />(夫いわく、日本の仁王像「阿吽」だね、とのこと)<br /><br />ベネチア共和国は反乱、独立、降伏などを繰り返した後、<br />1866年にイタリア王国に編入されています。

    「巨人の階段」

    中庭に突き出ている大理石の階段です。
    15~16世紀にかけて造られ、ベネチア共和国総督の
    即位式が行われました。

    階段の上の左右には1554年に造られた軍神マルス(左)
    と海神ネプチューン(右)の二体の巨人が立っています。
    (夫いわく、日本の仁王像「阿吽」だね、とのこと)

    ベネチア共和国は反乱、独立、降伏などを繰り返した後、
    1866年にイタリア王国に編入されています。

  • 宮殿見学を終えて、サン・マルコ広場へ。<br /><br />「世界で最も美しい広場」とも称され、ベネチアの<br />中心。有名な観光スポットです。<br /><br />サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿、コッレール博物館、<br />新政庁、時計塔に囲まれ、世界中から観光客が集まります。<br /><br />ベネチアの広場は「カンポ」と呼ばれるのですが、ここは<br />別格で「ピアッツァ」と呼ばれます。

    宮殿見学を終えて、サン・マルコ広場へ。

    「世界で最も美しい広場」とも称され、ベネチアの
    中心。有名な観光スポットです。

    サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿、コッレール博物館、
    新政庁、時計塔に囲まれ、世界中から観光客が集まります。

    ベネチアの広場は「カンポ」と呼ばれるのですが、ここは
    別格で「ピアッツァ」と呼ばれます。

  • 「サン・マルコ寺院」<br /><br />828年にベネチア商人がエジプトのアレクサンドリアから<br />運んできた(盗んできた)聖マルコの聖遺物(遺骸)を<br />納めた寺院。<br /><br />900年にわたって建て増しと改修を繰り返し、ドゥカーレ宮殿に<br />つながっています。

    「サン・マルコ寺院」

    828年にベネチア商人がエジプトのアレクサンドリアから
    運んできた(盗んできた)聖マルコの聖遺物(遺骸)を
    納めた寺院。

    900年にわたって建て増しと改修を繰り返し、ドゥカーレ宮殿に
    つながっています。

  • サン・マルコ寺院の中へ。<br /><br />内部はモザイク画で装飾され、主央祭壇の後ろには<br />無数の宝石がはめ込まれた黄金の祭壇画「パラ・ドーロ」<br />があります。<br /><br />観光客が多く、予約していても中に入るのは大変でした。

    サン・マルコ寺院の中へ。

    内部はモザイク画で装飾され、主央祭壇の後ろには
    無数の宝石がはめ込まれた黄金の祭壇画「パラ・ドーロ」
    があります。

    観光客が多く、予約していても中に入るのは大変でした。

  • こちらは、ムーア人の時計塔。<br />上部の羽のあるライオンはベネチアの守護聖人・<br />聖マルコのシンボルです。<br /><br />1499年完成。中世の天文時計で24時間計。月齢や<br />潮の干満を知ることができます。<br /><br />海運国家ベネチアにとって、航海に出る時期や期間を<br />知り、潮の干満を知ることは、とても重要でした。<br /><br />時計職人が管理人として塔に住み込んでいましたが、<br />最後の職人の引退により、スイスのピアジェが修復。<br />現在はオール・オートマティック化されています。<br /><br /><br /><br />

    こちらは、ムーア人の時計塔。
    上部の羽のあるライオンはベネチアの守護聖人・
    聖マルコのシンボルです。

    1499年完成。中世の天文時計で24時間計。月齢や
    潮の干満を知ることができます。

    海運国家ベネチアにとって、航海に出る時期や期間を
    知り、潮の干満を知ることは、とても重要でした。

    時計職人が管理人として塔に住み込んでいましたが、
    最後の職人の引退により、スイスのピアジェが修復。
    現在はオール・オートマティック化されています。



  • 「サン・マルコの鐘楼」<br /><br />ベネチアのシンボル。高さ98.6m。<br />最初に鐘楼が建てられたのは9世紀で、現在の形に<br />なったのは1513年。<br /><br />幾度かの修繕を受けたものの1902年に倒壊し、1912年に<br />再建されています。<br /><br />この鐘楼は全世界で塔や高層ビルのデザインに大きな<br />影響を与えました。<br />

    「サン・マルコの鐘楼」

    ベネチアのシンボル。高さ98.6m。
    最初に鐘楼が建てられたのは9世紀で、現在の形に
    なったのは1513年。

    幾度かの修繕を受けたものの1902年に倒壊し、1912年に
    再建されています。

    この鐘楼は全世界で塔や高層ビルのデザインに大きな
    影響を与えました。

  • さて、宮殿や広場、寺院などを観光した後は<br />ガラス工房の見学です。<br /><br />ベネチアングラスの工房へ。<br />熟練した職人さんが、あっという間に作品を<br />仕上げて見せてくれます。

    さて、宮殿や広場、寺院などを観光した後は
    ガラス工房の見学です。

    ベネチアングラスの工房へ。
    熟練した職人さんが、あっという間に作品を
    仕上げて見せてくれます。

  • ベネチアと言えば、ガラス工芸が有名です。<br /><br />これは、ベネチア共和国がガラス製造で最も進んだ<br />技術を持っていたアンティオキアからガラス職人と<br />製法をムラーノ島に移し、今も続いています。<br /><br />15~16世紀にはヨーロッパ中の王侯貴族の間で高額で<br />取引されたそうです。

    ベネチアと言えば、ガラス工芸が有名です。

    これは、ベネチア共和国がガラス製造で最も進んだ
    技術を持っていたアンティオキアからガラス職人と
    製法をムラーノ島に移し、今も続いています。

    15~16世紀にはヨーロッパ中の王侯貴族の間で高額で
    取引されたそうです。

  • シャンデリアや大きな飾りなど、たくさんの<br />商品が並んだ店舗を歩いて見学しました。<br /><br />きれいですが、豪華な商品が多く、価格も高いです。<br /><br />外にたくさんある店でも買えそうなので、後でそちらを<br />見ることにしました。<br /><br />

    シャンデリアや大きな飾りなど、たくさんの
    商品が並んだ店舗を歩いて見学しました。

    きれいですが、豪華な商品が多く、価格も高いです。

    外にたくさんある店でも買えそうなので、後でそちらを
    見ることにしました。

  • 次はベネチア名物、ゴンドラに乗ります。<br /><br />ベネチアの伝統的手漕ぎボートで、共和国時代に<br />黒の装飾が義務づけられました。<br /><br />船体は非対称で左舷が右よりも25cm程度長く、縦に<br />婉曲しています。<br /><br />左側に乗るゴンドリエとバランスが取れるように<br />なっているとのこと。<br /><br />ゴンドラ乗り場から乗り込み、海に出て、そこから<br />運河に入って行きます。

    次はベネチア名物、ゴンドラに乗ります。

    ベネチアの伝統的手漕ぎボートで、共和国時代に
    黒の装飾が義務づけられました。

    船体は非対称で左舷が右よりも25cm程度長く、縦に
    婉曲しています。

    左側に乗るゴンドリエとバランスが取れるように
    なっているとのこと。

    ゴンドラ乗り場から乗り込み、海に出て、そこから
    運河に入って行きます。

  • 私達もゴンドラに乗って、運河を行きます。<br /><br />狭い運河でゴンドラが渋滞することも。<br /><br />

    私達もゴンドラに乗って、運河を行きます。

    狭い運河でゴンドラが渋滞することも。

  • 運河の両側には建物が建っています。<br /><br />ホテルや店舗、住居などいろいろです。<br /><br />景色を眺めながら進んでいきます。

    運河の両側には建物が建っています。

    ホテルや店舗、住居などいろいろです。

    景色を眺めながら進んでいきます。

  • ホテルの送迎や荷物の運搬など全てが<br />ゴンドラで運ばれます。

    ホテルの送迎や荷物の運搬など全てが
    ゴンドラで運ばれます。

  • こんな素敵なカップルの乗ったゴンドラも<br />ありました。<br /><br />ゆっくりと運河を行くのは、なかなか良かったです。<br /><br />私達の乗った舟のゴンドリエさんは、ずっと口笛を<br />吹いてくれて、それも風情がありました。

    こんな素敵なカップルの乗ったゴンドラも
    ありました。

    ゆっくりと運河を行くのは、なかなか良かったです。

    私達の乗った舟のゴンドリエさんは、ずっと口笛を
    吹いてくれて、それも風情がありました。

  • ゴンドラを降りたと思ったら、急に雨に<br />なりました。<br /><br />傘を取り出して、雨宿りがてらガラスの店に<br />入りました。<br /><br />ベネチアングラスの店はたくさんありますが、<br />ここは価格もあまり高くなくて良かったです。

    ゴンドラを降りたと思ったら、急に雨に
    なりました。

    傘を取り出して、雨宿りがてらガラスの店に
    入りました。

    ベネチアングラスの店はたくさんありますが、
    ここは価格もあまり高くなくて良かったです。

  • たくさんの商品が並んでいて迷います。<br /><br />私は自分用にシンプルな赤のペンダントを<br />買いました。<br /><br />

    たくさんの商品が並んでいて迷います。

    私は自分用にシンプルな赤のペンダントを
    買いました。

  • 店舗が並ぶ通りにはレースの店も<br />ありました。

    店舗が並ぶ通りにはレースの店も
    ありました。

  • ベネチアはレースも有名で、美しい物が<br />たくさんありました。<br /><br />繊細で見とれてしまいます。

    ベネチアはレースも有名で、美しい物が
    たくさんありました。

    繊細で見とれてしまいます。

  • 他にはタッセルの店も。<br /><br />手工芸品が有名なのですね。<br />見ているだけで楽しいです。

    他にはタッセルの店も。

    手工芸品が有名なのですね。
    見ているだけで楽しいです。

  • 仮面を売る店も多かったです。<br /><br />ベネチアでは1月末から3月上旬の間の2週間に<br />カーニバルが開催されるので、その時に使うもの。<br />ベネチア・カーニバルは抗争の勝利を祝って1162年に<br />始まりました。<br /><br />現在は世界三大カーニバルの一つに数えられ、約300万人が<br />参加するそうです。<br /><br />仮面舞踏会や仮面コンテストもあり、オーダーで仮面や<br />衣装を作る人も多いとの話でした。

    仮面を売る店も多かったです。

    ベネチアでは1月末から3月上旬の間の2週間に
    カーニバルが開催されるので、その時に使うもの。
    ベネチア・カーニバルは抗争の勝利を祝って1162年に
    始まりました。

    現在は世界三大カーニバルの一つに数えられ、約300万人が
    参加するそうです。

    仮面舞踏会や仮面コンテストもあり、オーダーで仮面や
    衣装を作る人も多いとの話でした。

  • 雨もひどくなり、私達はランチの店に入りました。<br /><br />「kori」という店です。<br />ツアーなので予約してありますが、雨宿りの観光客も<br />多くて満員でした。<br /><br />「イカスミのパスタ」です。<br />真っ黒ですが、味はそれほど濃くないので美味しく<br />食べました。

    雨もひどくなり、私達はランチの店に入りました。

    「kori」という店です。
    ツアーなので予約してありますが、雨宿りの観光客も
    多くて満員でした。

    「イカスミのパスタ」です。
    真っ黒ですが、味はそれほど濃くないので美味しく
    食べました。

  • サラダもありました。<br />全てを船で運んでくるこの島で、野菜サラダが<br />あったのには少し驚きました。<br /><br />他の都市での食事には生野菜はあまり出なかった<br />記憶です。

    サラダもありました。
    全てを船で運んでくるこの島で、野菜サラダが
    あったのには少し驚きました。

    他の都市での食事には生野菜はあまり出なかった
    記憶です。

  • メインはたらのオーブン焼き。<br /><br />

    メインはたらのオーブン焼き。

  • デザートはイタリアらしいティラミスでした。<br /><br />ここのランチコースは美味しかったです。

    デザートはイタリアらしいティラミスでした。

    ここのランチコースは美味しかったです。

  • ランチの後はまた船でバスに戻りました。<br /><br />ベネチアはほんの半日の滞在でしたが、観光スポットを<br />回ってゴンドラにも乗り、ベネチアングラスも買えて<br />充実した滞在でした。<br /><br />さて、この後はバスでヴェローナへ。<br />ロミオとジュリエットの町として知られる場所を<br />観光して、ミラノに向かいます。<br /><br />続く。

    ランチの後はまた船でバスに戻りました。

    ベネチアはほんの半日の滞在でしたが、観光スポットを
    回ってゴンドラにも乗り、ベネチアングラスも買えて
    充実した滞在でした。

    さて、この後はバスでヴェローナへ。
    ロミオとジュリエットの町として知られる場所を
    観光して、ミラノに向かいます。

    続く。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • りりいさん 2017/02/06 16:59:51
    サンマリノ共和国とベネチア
    サンマリノ共和国は、以前テレビの旅番組で見たことがあります。
    本当に城、要塞、砦という言葉がぴったりの国ですね。
    坂を登って行くのも、暑い季節だと大変でしょうね。
    でも、心に残る旅先になりますね。

    ベネチアは、どこをとっても絵になりますね。
    突然の雨だったようですが、私が行ったときは、船で島のホテルに着くやいなや、なんと大粒の雹が降ってきて、スーツケースの中まで水がしみこんでしまいました。

    そのときは、完全にボーイさんの運び方や置き方のミスだったので、ホテルでクリーニングしてもらいました。
    また、仲間で濡れたので、スーツケース代は保険が下りたことを覚えています。

    ベネチアは狭い割に見るところが多く、確か2泊しました。
    レースも素敵ですね。

    さくらいろ

    さくらいろさん からの返信 2017/02/06 22:35:49
    RE: サンマリノ共和国とベネチア
    サンマリノ共和国はあまり予備知識なく行ったので、
    興味深かったです。
    当時の建物が残っていて、本当にタイムスリップした
    感じでした。
    山頂の小さな国が今でもそのままあるのが驚きでした。

    ベネチアはまさに海の上の都市でした。
    りりいさんは2泊されたのですね。
    運河や橋がたくさんあり、路地も多いのでゆっくり町を
    歩くとさらに良かったと思います。
    ベネチアングラスやレースももっと見て歩きたかったです。

    旅のトラブルはよくありますが、トランクの中まで濡れたとは
    困りましたね。
    保険がきくのは助かりますが、旅を続ける上でも大変だったと
    思います。
    それも含めて旅の思い出でしょうが・・。

    旅のトラブルはない方がいいです。
    最近のアメリカの報道など見ても、今年だったらアメリカ旅行は
    予定通りいかなかったかも、と思ってしまいます。
    りりいさんもこの時期のニューヨークでなくて良かったですね。


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