2017/01/03 - 2017/01/03
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愛吉さん
2017年穏やかな正月を迎えて居ります。
今年は義母の喪中である為、神社は避けお寺への初詣、元日二日は地元世田谷のお寺巡り、3日は範囲を広げ都内へ進出、午後から上野寛永寺に出掛けます。
何故寛永寺かというと、上野西洋美術館でクラーナハ大回顧展が開催中で、あの魅惑的な筆使いの実物をこの目で確かめたい為です。
どちらが本命かは判りませんが、寛永寺から回ります。
表紙は寛永寺弁天堂、3日ですが参拝客が行列しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
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弁天堂を通り過ぎると、今度は清水観音堂。
江戸の浮世絵に描かれた月の松が復活しました。 -
開山堂に到着、寛永寺の開山天海大僧正(慈眼大師)と慈恵大師を祀る処から両大師と呼ばれます。
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本堂です。
義母の冥福と家内安全を祈ります。 -
本堂の横には阿弥陀堂。
両大師の御守護を願う幟がはためきます。 -
内部には阿弥陀如来が鎮座します。
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隣の輪王殿の正門、通称黒門、国の重文です。
江戸時代寛永寺の正門で、上野戦争でも焼け残りました。
その折の弾痕が今でも残ります。 -
博物館裏の徳川家墓地を訪ねます。
寛永寺には徳川将軍家の御霊廟があり、4代5代8代10代11代13代の6将軍が祀られていますが戦災で多くを失い、現存するのは4代5代の勅額門と水盤舎のみです。
この門は4代家綱廟の勅額門、裏側から写しました。
こちらも国の重文です。 -
アップします。
徳川将軍家の葵の紋が目立ちます。 -
4代家綱公廟所。
石灯篭が並び水盤舎が見えます。 戦前は灯篭のこちら側に供所や拝殿等がありました。
正面の木の間に青銅の柵が見えます、その奥が墓所になります。 -
墓所を柵の間から写しました、正月だからでしょうか門が開いています。
4代将軍家綱公の宝塔(お墓)
戦前には立派な殿舎に収まっていた筈です。 -
4代将軍の隣の奥には5代将軍綱吉公の勅額門、勿論重文です。
この門は柵に囲まれこれ以上近寄れません。
門の中は覗く事すら出来ません。 -
案内板。
一番立派な廟所だったと書いてあります。 -
墓所を出て寛永寺本坊に向かいます。
ここが正門。
かっての根本中堂は現在の国立博物館の場所にあり、大伽藍の威容を誇って居ましたが、上野戦争で焼失。
従い明治12年、川越喜多院の本地堂を子院大慈院の場所に移築したのが現在の根本中堂です。 -
正面から眺めて見ましょう。
3日の日は、3時締切、4時閉門で内陣に入る事が出来ず外からの参拝です。 -
境内に建つ上野戦争碑。
明治7年の建立。 -
緒方乾山墓碑と乾山深省蹟。
江戸時代の陶芸家、長い事墓の所在が不明でしたが、ようやく探し出し、ここに墓碑を建てました。 -
慈海僧正墓
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鬼瓦が展示してあります、見てみましょう。
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根本中堂の鬼瓦
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旧本坊表門(現黒門)の鬼瓦
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境内に建つお地蔵様
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同じく六地蔵。
これで寛永寺を離れ国立西洋美術館に向かいます。 -
国立西洋美術館。
最近建物そのものが世界遺産に登録されました。
手前の彫刻はロダンのカレーの市民。 -
エミールの弓を引くヘラクレスとロダンの地獄の門。
屋外展示です。 -
企画展としてクラーナハの大回顧展を行っており、見応えある展示会です。
尚企画展は撮影禁止ですので常設展の内部を写します。 -
建物そのものが世界遺産です。
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どこかで見たような絵が並んでいます。
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美術館を出て来ると夕闇が迫り、上野公園のライトアップが始まりました。
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ムードあるライトアップで、今年は何か良い事がありそうです。
終
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