2016/12/08 - 2016/12/11
102位(同エリア449件中)
さん太さん
マルセイユの歴史は古く、小アジアから来た古代ギリシアの一民族であるポカイア人が紀元前600年頃に築いた植民市マッサリアにその端を発する。
都市は交易で栄え、紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけてのポエニ戦争ではローマ側につき、カルタゴと敵対した。カエサルの『ガリア戦記』にもマッシリアへの言及が見られる。紀元前49年からのカエサルとグナエウス・ポンペイウスの間で起った内戦ではポンペイウスを支持したが敗北し、自治都市としての権限を大きく縮小された(マッシリア包囲戦)。当時のマッシリアはガッリア・トランサルピーナ属州におけるギリシア系住民の拠点であったが、徐々にローマ化が進んでいった。
最終地マルセイユ
ボルドーからアルルまでの感じと、ここマルセイユとは全く違う感じがしました。
ここまでで感じたこと
小さな街でも黒人、アラブ人、アジア人等色々見かけました。
白人夫婦に黒人の養子、単一民族の日本人の私にはちょっと違和感を感じましたが、結構多く見かけました。
又小学生くらいの子供たちが遊んでる輪を見ると、いろんな人種の子供たちが何の隔たりもなく一緒に遊んでいます。
小さい内から人種間の壁を取り除いた関係は素晴らしいと思いました。
しかしここマルセイユ、フランス第二の都市、さすが地中海に面した昔からの港町。
ほんの3日間くらいの感想ですが、あまりにも他の人種の人たちが多く、それぞれが固まり、自国語で話している。
目をつむって聞いてると、1/3から半分くらいはフランス語以外の言葉が聞こえるようでした。
こういう入り混じった文化、大好きです。
目次編は
http://4travel.jp/travelogue/11199176
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
アルル15:30発
-
マルセイユ16:31
-
さすが第二の都市
凄い賑やかな駅です。 -
ホテルは早朝の空港への事、荷物を転がしての治安上の移動を考え、駅のすぐそば、イビスに取りました。
-
ホテルに荷物を置いて早速旧港へ
ここにも大観覧車 -
クリスマス用なのか、ここでも出店が並んでいます
-
ノートルダム・ド・ギャルド・パジリカ聖堂が見えます。
-
-
翌朝、駅前広場から撮ったノートルダム・ド・ギャルド・パジリカ聖堂
-
駅前広場から大階段を下り、アテヌ大通りへ
旧港までは下り坂
行きはよいよい帰りは恐い~♪ -
大階段から駅前広場とマルセイユ・サン・シャルル駅を見る
-
大階段の石造
-
この石造は誰・・・?
アジア系の様な、南方系のような…? -
旧港からバスに乗り、ノートルダム・ド・ギャルド・パジリカ聖堂へ
海抜154mからのマルセイユ -
サン・ニコラ要塞とサン・ジャン要塞
-
手前の小さな島、これが岩窟王のイフ島
その奥に「最後の楽園」ともいわれる自然真っただ中のフリウル島が姿を見せています。 -
-
-
ノートルダム・ド・ギャルド・パジリカ聖堂
地元の人々からは「ラ・ボンヌ・メール」(優しい聖母さま)と呼ばれて親しまれています。 -
聖堂の南側正面には、巨大な四角柱の形をした高さ41メートルの鐘楼があります。その上に高さ12.5メートルの塔があり、これを土台として、高さ11.2メートルの巨大な黄金の聖母子像が据えられています。
航海に出る船乗りたちを見守り続けてきたマリア様です。 -
-
-
近くにいたフランス人がこれを指さして、機関銃を構える格好して教えてくれました。
テロか何か・・と思いましたが、帰って調べると第二次大戦の時の痕跡だそうです。 -
非常事態宣言中のフランス。
あちこちで見かけます。 -
サン・ヴィクトール修道院
この場所はかつてギリシャ時代には石切り場だったといわれている。 伝説では4世紀の殉教者、聖ヴィクトールの遺体のあった場所にこの修道院を建てたという。 -
-
-
修道院の地下のクリプト(地下祭室)
-
-
-
-
-
石棺が並ぶ
-
-
修道院奥のサン・ニコラ要塞
残念ながら、修理中なのかクローズでした。 -
ファロ公園にあるファロ宮
ナポレオンIII世時代、ウジェニー皇后の別邸として建設された宮殿で、現在はマルセイユ市の所有となり、主に会議場やイヴェント会場として使われている。 -
-
ファロ公園から対岸のサン・ジャン要塞を見る
-
ファロ宮の中は見学できませんが、人が出入りしてるので、一緒に入ってみました。
何かのパーティーのようです。
いそいそと出てきました。スイマセン。 -
旧港の近くで見つけた中華屋さん
-
やはり一番口に合います。
-
-
旧港からサン・ジャン要塞方面へ
-
サン・ローラン教会
-
ヨーロッパ地中海文明博物館と、サン・ジャン要塞を結ぶ海の上を渡る橋
-
サント・マリー・マジョール大聖堂が見えます
-
-
なかなか近代的、芸術的・・・とでもいうのでしょうか
-
-
-
サント・マリー・マジョール大聖堂
1852年から1893年にかけて建造されました。長さ140m、天井までの高さ70m、ローマ・ビザンチン様式の巨大で壮麗な建物です。
マジョール大聖堂の隣には旧マジョール大聖堂が残っています。こちらは12世紀中頃のロマネスク建築です。 -
-
-
-
旧港前の サン・フェレオル教会
-
-
大階段の夜景
-
この日はエクスアン・プロバンスに行くか、イフ島にするか迷いましたが、イフ島に。
11:05旧港を出て、イフ島を13:10でもどる。 -
-
イフ島まで約20分
-
ファロ宮が見えます。
-
まことに残念ながら、この日は曇り。
昨日イフ島にしておけばよかった・・・・ -
-
フリウール諸島
-
イフ島到着
イフ島は海からの防御拠点とするために、フランソワ1世の命令により、1524年から1531年にかけて建設された。1481年にマルセイユがフランスに占拠されたこともあり、市民への監視にも利用された。
イフ島の軍事的役割は防御ではなく、抑止であった。1531年7月、カール5世はマルセイユを攻撃しようとしたが、イフ島要塞を見て中止したとされる。 -
イフ島はその孤島という立地と付近の海流から脱獄が困難であるため、政治犯や宗教的犯罪者を収容する牢獄として利用されるようになった。この間3500人以上のユグノー(カルバン派)がここに送られた。
-
-
1516年にポルトガルの王エマニュエルが、インドの王グザラから献上されたサイを、ローマ法王レオン10世に贈ろうとした。
サイはリスボンを出発、マルセイユ経由でローマに向かう途中、数週間イフ島に滞在した。当時、サイはヨーロッパではまったく知られておらず、人々の関心を大いに集めたそうです。
その後、ローマに向かった船は嵐に遭いジェノヴァ沖で難破、残念なことにサイは死体となって海岸で発見されました。そのためサイは剥製となって法王に献上された -
岩窟王では、ここから脱獄する話ですが、ここから脱獄に成功した人は一人もいない、との事です。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
イフ島は終わりです
-
-
-
旧港に戻ってきました。
-
大通りではなく、賑やかな路地を歩きます。
ここはアラブ系のアメ横のようです。 -
人懐っこい兄ちゃん
-
鳥獣でしょうか
-
-
-
Eglise des Reformes
何て読むのかわかりませんが、教会です。 -
ここで何かのデモ。
中東系の人たちのようです。
何を訴えているのか・・・とても興味あるのですが・・ -
12月11日 マルセイユ9:40発 KLMオランダ航空
12月12日 成田9:45着 -
マルセイユではちょうどアイススケートグランプリファイナルが行われており、ユズリストのおばさんたちがぞろぞろ。
マルセイユでTV見ててもアイススケートの番組は一切なし。
フランスではアイススケートはマイナーなスポーツ。
日本ではチケットがなかなか取れなくても、フランスではいっぱい空いているとか。
空港で解説者の柳沼順子がいました。エキシビジョンを見ないで帰るようです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
96