2016/12/07 - 2016/12/08
74位(同エリア251件中)
さん太さん
アルルといえば、“アルルの女”ゴッホが有名ですが、私にとっては古代ローマ都市。
しかし、本場イタリアの遺跡、ニーム、オランジュを見てきた後では、ちょっと物足りない感じは否めない。
アルルは紀元前6世紀頃ギリシア人によって"Theline"の名前で創設された。紀元前535年にケルト人によって占領され、街の名前を "アレラーテ (Arelate)"(「湖(池、潟)の近く」の意味)に変更した。
ローマ人は紀元前123年に街を占領し、地中海に繋がる運河を紀元前104年に建設し、街を拡張して重要な都市とした。しかし同じく海岸沿いのマッサリア(現在のマルセイユ)の方が重要だったが、カエサルがポンペイウスと対峙した時、アルルはカエサルの側に付き、軍隊を派遣した。一方、マッサリアはポンペイウスを支援していた。カエサルの勝利が決定的になると、マッサリアはその所有物を取り上げられ、報償としてアルルに引き継がれた。街はアルルに拠点のあったローマ軍の第6軍団フェッラタの退役軍人のための植民市として正式に設立した。
植民市としての正式な肩書きは"コロニア・ユリア・パーテルナ・アレラテンシス・セクタンノールム「第6軍団の先祖伝来のアルルのユリウス植民地」であった。
目次編は
http://4travel.jp/travelogue/11199176
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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アヴィニョンからアルル
TERで20分ほど -
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駅からまっすぐローム川に出て旧市街を目指します。
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ラマルティーヌ広場と旧市街入口のカヴァルリ門
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カヴァルリ門から200m程のところのVoltaire広場にホテルをとりました。
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チェックイン時間前の為ホテルに荷物を預け、街中散策
広場前の路地から円形闘技場が見えます。 -
直径136m、フランスで最大の闘技場。
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闘技場の裏手、古代劇場の脇を通りレビュブリック広場へ
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レビュブリック広場
正面は市庁舎、右手がサン・トロフィーム教会 -
市庁舎の中に古代フォーロム地下回廊の入り口があります。
古代ローマのフォーロム(公共集会場)の地下回廊として紀元前40年頃に造られた、アルルに残る最も古いローマ遺跡。
コの字型、長さ89m幅59m -
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サン・トロフィーム教会
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入口の半円アーチ部分には「最後の審判」図が描かれている。
キリストの歌舞左側は天国に行く人たち、右側は地獄に送られる人たちが鎖に繋がれ火に焼かれている。 -
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天国組
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鎖に繋がれた、地獄に向かう人たち
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教会の脇を上がると回廊がある
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北と東の回廊が12世紀、西と南は14世紀だそうです。
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ヴァン・ゴッホ財団美術館
インフォで6ヶ所の共通券を購入していたが、ここは入ってないのでパス。
妻は、アルルといえばゴッホ、私は古代ローマ、
入場料9ユーロ、といえば妻はじゃあいいや。
妻も絵画には興味ありません。
ゴッホが自殺した理由を、絵画が全く分からない私なりに推理
ゴッホはロートレックに「どこか美人の多い所はないですか」と聞き、ロートレックはアルルを勧めた。アルルにはいろんな人種が入り混じり、混血美人が多かった。
アルルに移ったゴッホは友人のゴーギャンを誘い、同居生活を始めた。
それまでアルルの女にもててたゴッホは、すべてゴーギャンにとられ、うつ状態、精神的に病むようになった、ある日やきもち僻みからゴーギャンにコーヒーカップを投げつけた。
ゴーギャンはゴッホとの友情を解消し、アルルから去った。
ますます精神を患ったゴッホはついに自殺を図った。
(勝手な推理) -
コンスタンティヌス共同浴場
コンスタンティヌス帝時代の4世紀に建てられた共同浴場 -
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アリスカン(ローマ墓地)入口
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古代から中世にかけて、ヨーロッパでもっとも有名な墓所の一つだった。
最盛期の中世末期には19もの教会や礼拝堂がある墓所だったという。
19世紀に鉄道が賛同を分断したことによってそれにとどめを刺した。芸術的価値の高い石棺は散逸している。 -
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ゴッホの絵・・
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参道の突き当りのサントノラ教会
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サンティアゴ・デ・コンポステイラまで1560㎞だそうです。
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この線路が参道を分断したのだそうです
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ムルグの塔
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ホタテ貝の指示通り、城壁に沿って歩きマジョール教会へ
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城壁の上のマジョール教会
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ライトアップ
ちょっと光量が足らない感じ -
マジョール教会
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ここもベトナムレストラン
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西ローマ帝国滅亡後の中世、地中海にサラセン人(イスラム教徒)が進出してくると、闘技場は要塞に転用される。防衛のため、外壁の上には現在も残る四角形の塔が立てられ、アリーナや客席には住宅が建ち並ぶことになった。この円形城砦村は18世紀までそのまま使用され、文化遺産の保護研究を提唱した文筆家プロスペール・メリメの運動により1826年から増築部分の撤去が始まったときには、場内には212軒の住宅とふたつの教会があったという。
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こんなところにもホタテ貝
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中学生の課外授業
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