ベローナ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />ピエトラ橋から進路を右手に取ります。先ほどローマン劇場から見えたドゥオモに向かいましょう。

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その89 ヴェローナ3

51いいね!

2015/06/03 - 2015/06/03

31位(同エリア589件中)

2

145

junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

ピエトラ橋から進路を右手に取ります。先ほどローマン劇場から見えたドゥオモに向かいましょう。

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • ピエトラ橋からほんの数分でドゥオモの後陣に到着です。今まで見た教会とは異なる白い外観が目に飛び込んできました。<br /><br />鐘楼の手前にある歪んだ、今にも倒れそうなレンガ造りの壁は、かつては建物の一部だったようですが、現在は只の塀。つっかえ棒でかろうじて立っているように思えますが、残さねばならない歴史ある建物なのでしょうか? 日本だったらすぐさま解体していそう。

    ピエトラ橋からほんの数分でドゥオモの後陣に到着です。今まで見た教会とは異なる白い外観が目に飛び込んできました。

    鐘楼の手前にある歪んだ、今にも倒れそうなレンガ造りの壁は、かつては建物の一部だったようですが、現在は只の塀。つっかえ棒でかろうじて立っているように思えますが、残さねばならない歴史ある建物なのでしょうか? 日本だったらすぐさま解体していそう。

  • 鐘楼は土台部分はロマネスク時代、中間部分は16世紀にサンミケーリによって建設が行われました。そして、上部は20世紀に入ってから建築家エットーレ・ファジョーリにより工事が進められましたが、未だに完成には至っていないのだそうです。理由は資金不足!<br /><br />中には世界でも最高水準の鐘(複数)が収められていて、ヴェローナにはこの鐘を鳴らす専門チームが存在すると聞きました。

    鐘楼は土台部分はロマネスク時代、中間部分は16世紀にサンミケーリによって建設が行われました。そして、上部は20世紀に入ってから建築家エットーレ・ファジョーリにより工事が進められましたが、未だに完成には至っていないのだそうです。理由は資金不足!

    中には世界でも最高水準の鐘(複数)が収められていて、ヴェローナにはこの鐘を鳴らす専門チームが存在すると聞きました。

  • ピナクルが沢山ついたヴェローナ主教区の隣に、殆どドゥオモの後陣にくっつくようにして建っていた赤と白の縞々模様の建物は、案内板には聖ジョルジュと聖ツェーノに捧げられた聖エレーナ(聖ヘレナ=コンスタンティヌス帝の母)教会と聖ヨハネ洗礼堂と書かれていました。

    ピナクルが沢山ついたヴェローナ主教区の隣に、殆どドゥオモの後陣にくっつくようにして建っていた赤と白の縞々模様の建物は、案内板には聖ジョルジュと聖ツェーノに捧げられた聖エレーナ(聖ヘレナ=コンスタンティヌス帝の母)教会と聖ヨハネ洗礼堂と書かれていました。

  • 聖エレーナ教会のあるところは、4世紀に司教ツェーノにより、ヴェローナで最初のキリスト教の礼拝堂が造られた場所だと言われています。最初の教会は842年から47年の間に献堂されましたが1117年の地震で損傷。しかしすぐに再建され、1140年には再献堂されました。<br /><br />この場所そのものが大変重要だということが良く分かりました。

    聖エレーナ教会のあるところは、4世紀に司教ツェーノにより、ヴェローナで最初のキリスト教の礼拝堂が造られた場所だと言われています。最初の教会は842年から47年の間に献堂されましたが1117年の地震で損傷。しかしすぐに再建され、1140年には再献堂されました。

    この場所そのものが大変重要だということが良く分かりました。

  • 入場してみたかったけれど、扉は閉まっていました。ファサードがどこなのか良く分かりません。扉の上には、洗礼者聖ヨハネのレリーフがありました。もしかしてここは12世紀に造られたという洗礼堂かしら?

    入場してみたかったけれど、扉は閉まっていました。ファサードがどこなのか良く分かりません。扉の上には、洗礼者聖ヨハネのレリーフがありました。もしかしてここは12世紀に造られたという洗礼堂かしら?

  • さてと、私はドゥオモに向かっているのでしたね。聖エレーナ同様、こちらも初期キリスト教時代の建物の上に建つ教会で、1117年の地震で崩壊。再建後1187年に献堂されています。<br /><br />ぐるりと建物の壁沿いに進むと、ドゥオモのファサードに到着です。と思いきや、私はどうやらファサードまで行かずに、右側廊にある南扉から中に入ってしまい、そのままファサードを見ることなく帰ったようです。大失敗!<br /><br />白いと思ったのは後陣のみで、この辺りは聖エレーナと同様、赤と白の大理石の縞模様でした。

    さてと、私はドゥオモに向かっているのでしたね。聖エレーナ同様、こちらも初期キリスト教時代の建物の上に建つ教会で、1117年の地震で崩壊。再建後1187年に献堂されています。

    ぐるりと建物の壁沿いに進むと、ドゥオモのファサードに到着です。と思いきや、私はどうやらファサードまで行かずに、右側廊にある南扉から中に入ってしまい、そのままファサードを見ることなく帰ったようです。大失敗!

    白いと思ったのは後陣のみで、この辺りは聖エレーナと同様、赤と白の大理石の縞模様でした。

  • 南扉の上の、ヴェローナではよく見かけるポーチ内部には、やや不鮮明ながらフレスコが残っていました。それよりも、ポーチを支える柱の柱頭に注目!<br /><br />お気に入りの人の顔が付いた柱頭ですよ。その上の前に突き出した梁には、人を飲み込む怪獣の姿もレリーフで描かれていますね。ドゥオモの再建に携わった人達の中に、フェッラーラのドゥオモで活躍した彫刻家ニコラウスがいたと聞きました。もしかして、ここの彫刻も彼の作かしら? 妙に懐かしい・・・<br /><br />フェッラーラのドゥオモについてはこちらをどうぞ<br />http://4travel.jp/travelogue/11166838

    南扉の上の、ヴェローナではよく見かけるポーチ内部には、やや不鮮明ながらフレスコが残っていました。それよりも、ポーチを支える柱の柱頭に注目!

    お気に入りの人の顔が付いた柱頭ですよ。その上の前に突き出した梁には、人を飲み込む怪獣の姿もレリーフで描かれていますね。ドゥオモの再建に携わった人達の中に、フェッラーラのドゥオモで活躍した彫刻家ニコラウスがいたと聞きました。もしかして、ここの彫刻も彼の作かしら? 妙に懐かしい・・・

    フェッラーラのドゥオモについてはこちらをどうぞ
    http://4travel.jp/travelogue/11166838

  • ドゥオモ 正式名サンタ・マリア・マトリコラーレの中に入りました。今回はかろうじて全体写真を撮っていますね。ほっとしました。<br /><br />内部は15世紀の改装の結果、ゴシック様式のヴォールト天井とゴシックアーチになっていました。左右のアーケードを構成するヴェローナ特産の赤い大理石の列柱が見事です。

    ドゥオモ 正式名サンタ・マリア・マトリコラーレの中に入りました。今回はかろうじて全体写真を撮っていますね。ほっとしました。

    内部は15世紀の改装の結果、ゴシック様式のヴォールト天井とゴシックアーチになっていました。左右のアーケードを構成するヴェローナ特産の赤い大理石の列柱が見事です。

  • 主祭壇前の勝利の門(凱旋門)には、バラ窓がついていました。珍しい・・・<br /><br />描かれているのは受胎告知と預言者達(イザヤとエゼキエル)ですね。後陣のフレスコを描いたフランチェスコ・トルビードの1534年の作品です。ジューリオ・ロマーノの原画を元に描かれたそうです。

    主祭壇前の勝利の門(凱旋門)には、バラ窓がついていました。珍しい・・・

    描かれているのは受胎告知と預言者達(イザヤとエゼキエル)ですね。後陣のフレスコを描いたフランチェスコ・トルビードの1534年の作品です。ジューリオ・ロマーノの原画を元に描かれたそうです。

  • 受胎告知だけ、もう一度。マリアの頭上を飛んでいるフリスビーのような物体は何でしょう? ひょっとして天の父なる神が投げたもの?

    受胎告知だけ、もう一度。マリアの頭上を飛んでいるフリスビーのような物体は何でしょう? ひょっとして天の父なる神が投げたもの?

  • 主祭壇の半円形をしたアーチは、ヴェローナが誇る建築家、ミケーレ・サンミケーリの作で、大変目を惹きます。ここから見ると金属製にも見えますが、白い大理石が主に使われています。アーチの中央には、ブロンズ製の磔像。両脇には聖母と聖ヤコブの像が立っていました。

    主祭壇の半円形をしたアーチは、ヴェローナが誇る建築家、ミケーレ・サンミケーリの作で、大変目を惹きます。ここから見ると金属製にも見えますが、白い大理石が主に使われています。アーチの中央には、ブロンズ製の磔像。両脇には聖母と聖ヤコブの像が立っていました。

  • 後陣、および天井のフレスコも、ジューリオ・ロマーノの原画によるフランチェスコ・トルビードの作品で、中央には聖母被昇天が描かれていました。<br /><br />見づらいですが、天井の左右には、「マリアの誕生」と「マリアの神殿へのお披露目」がありました。

    後陣、および天井のフレスコも、ジューリオ・ロマーノの原画によるフランチェスコ・トルビードの作品で、中央には聖母被昇天が描かれていました。

    見づらいですが、天井の左右には、「マリアの誕生」と「マリアの神殿へのお披露目」がありました。

  • 半円部分だけもう一度。<br /><br />下で聖母を見上げる使徒たちの表情と仕草が大変ユニーク。オーバーすぎる? 手振り、身振りを通して、使徒たちの感情がリアルに伝わってきましたよ。

    半円部分だけもう一度。

    下で聖母を見上げる使徒たちの表情と仕草が大変ユニーク。オーバーすぎる? 手振り、身振りを通して、使徒たちの感情がリアルに伝わってきましたよ。

  • 右側廊から見て回りましょう。まずは、聖ピエトロと聖パオロに捧げられているディオニーシ礼拝堂です。聖アナスタシア教会でも見た祭壇と背後のフレスコが一体となった礼拝堂ですね。フレスコは青が色あせたのか、コバルトブルーの背景となっていて、美しい。<br /><br />ここは1711年から12年にかけて改装が行われていて、祭壇画は改装後に供えられた「聖ピエトロ、聖パオロ、パドヴァの聖アントニオといる聖母子」。アントニオ・バレストラの1711年の作品です。<br /><br />祭壇中央に置かれた彫像「聖アルカディウスの殉教」は小ぶりながらなかなかの力作。作者は地元出身のアンジェーロ・サルトーリです。

    右側廊から見て回りましょう。まずは、聖ピエトロと聖パオロに捧げられているディオニーシ礼拝堂です。聖アナスタシア教会でも見た祭壇と背後のフレスコが一体となった礼拝堂ですね。フレスコは青が色あせたのか、コバルトブルーの背景となっていて、美しい。

    ここは1711年から12年にかけて改装が行われていて、祭壇画は改装後に供えられた「聖ピエトロ、聖パオロ、パドヴァの聖アントニオといる聖母子」。アントニオ・バレストラの1711年の作品です。

    祭壇中央に置かれた彫像「聖アルカディウスの殉教」は小ぶりながらなかなかの力作。作者は地元出身のアンジェーロ・サルトーリです。

  • 礼拝堂と礼拝堂の間にあったこちらの葬送モニュメントは、どう見ても後から割り込んだという雰囲気ですね。

    礼拝堂と礼拝堂の間にあったこちらの葬送モニュメントは、どう見ても後から割り込んだという雰囲気ですね。

  • 2番目のカルカソーリ礼拝堂は、18世紀製の祭壇で、シェル型のヴォールトが特徴的です。初めて耳にする名前の聖人ウィーンの聖アントニオに捧げられていました。<br /><br />フレスコは16世紀のヴェローナを代表する画家で建築家でもあるジョヴァンニ・マリア・ファルコネットの作。彼自身のサインが残されていたため、製作年が1503年と判明しています。<br /><br />写し方が悪くて、フレスコが写しきれませんでした。<br /><br />ゴシックアーチのフリーズも素晴らしいですね!

    2番目のカルカソーリ礼拝堂は、18世紀製の祭壇で、シェル型のヴォールトが特徴的です。初めて耳にする名前の聖人ウィーンの聖アントニオに捧げられていました。

    フレスコは16世紀のヴェローナを代表する画家で建築家でもあるジョヴァンニ・マリア・ファルコネットの作。彼自身のサインが残されていたため、製作年が1503年と判明しています。

    写し方が悪くて、フレスコが写しきれませんでした。

    ゴシックアーチのフリーズも素晴らしいですね!

  • 祭壇画をズームアップ。こちらは16世紀初頭に2人の画家の合作で描かれたもの。上段のキリストの十字架降下、下段の、左から聖ロッコ、大アントニオス、右側の聖バルトロメオと聖セバスティアーノを描いたのはニッコロ・ジョルフィーノ。下段中央の「東方三博士の礼拝」を描いたのは、リベラーレ・ダ・ヴェローナだそうです。小さすぎて見えないかもしれませんが、聖母が座っているのは天使達の顔と体が積み重なったピンクのタワー! おやまあ吃驚!

    祭壇画をズームアップ。こちらは16世紀初頭に2人の画家の合作で描かれたもの。上段のキリストの十字架降下、下段の、左から聖ロッコ、大アントニオス、右側の聖バルトロメオと聖セバスティアーノを描いたのはニッコロ・ジョルフィーノ。下段中央の「東方三博士の礼拝」を描いたのは、リベラーレ・ダ・ヴェローナだそうです。小さすぎて見えないかもしれませんが、聖母が座っているのは天使達の顔と体が積み重なったピンクのタワー! おやまあ吃驚!

  • 右側2番目と3番目の礼拝堂の間を写しています。お気づきの通り、どちらのフレスコ画もファルコネットの作品です。状態が非常に良好ですね。どの聖人達も、幾何学模様や花模様のフリーズのあるニッチェに立っていました。

    右側2番目と3番目の礼拝堂の間を写しています。お気づきの通り、どちらのフレスコ画もファルコネットの作品です。状態が非常に良好ですね。どの聖人達も、幾何学模様や花模様のフリーズのあるニッチェに立っていました。

  • 教会に入ったら、必ずといって良いほど高確率で写す説教壇です。透かし彫りの階段手摺が美しい・・・

    教会に入ったら、必ずといって良いほど高確率で写す説教壇です。透かし彫りの階段手摺が美しい・・・

  • 三番目のエミレイ礼拝堂です。二番目の礼拝堂と構成が大変よく似ていますね。恐らく同じ頃に改装されたのでしょう。祭壇画は、ジャンベット・チニャローリの「キリストの変容」。1741年の作品です。

    三番目のエミレイ礼拝堂です。二番目の礼拝堂と構成が大変よく似ていますね。恐らく同じ頃に改装されたのでしょう。祭壇画は、ジャンベット・チニャローリの「キリストの変容」。1741年の作品です。

  • あらら・・・ここにも割り込み発見。折角のファルコネットの絵の上からまた、別の絵を上塗りしたようですね。これってあり? ひどくなーい?

    あらら・・・ここにも割り込み発見。折角のファルコネットの絵の上からまた、別の絵を上塗りしたようですね。これってあり? ひどくなーい?

  • 右側四番目の大きなメーモ礼拝堂は、バロック時代の産物で1762年の制作。聖体に捧げられていました。天使達が飛び交っていますね。ここはあまり面白くない・・・<br /><br />唯一注目したのは、祭壇画「最後の晩餐」です。ジョヴァンニ・バッティスタ・ブラートによるものだそう。少々変わった構図ですねえ。18世紀の作品。

    右側四番目の大きなメーモ礼拝堂は、バロック時代の産物で1762年の制作。聖体に捧げられていました。天使達が飛び交っていますね。ここはあまり面白くない・・・

    唯一注目したのは、祭壇画「最後の晩餐」です。ジョヴァンニ・バッティスタ・ブラートによるものだそう。少々変わった構図ですねえ。18世紀の作品。

  • 祭壇下にも「最後の晩餐」のレリーフがありました。<br />テーブルの下から何やら奇妙なものが顔を出しているのですが、ズームしても良く分からない。なんだろう?

    祭壇下にも「最後の晩餐」のレリーフがありました。
    テーブルの下から何やら奇妙なものが顔を出しているのですが、ズームしても良く分からない。なんだろう?

  • 続いて、クーポラを見上げます。二重になった円が連なっているように見えるのは雲なのかしら? 中央の太陽光線は、ローマで見かけたものと似ていましたよ。

    続いて、クーポラを見上げます。二重になった円が連なっているように見えるのは雲なのかしら? 中央の太陽光線は、ローマで見かけたものと似ていましたよ。

  • こちらの葬送モニュメントはかろうじて割り込みではなく、セーフですね。こちらも天使が飛び交っていて、バロックの香りがプンプンします。

    こちらの葬送モニュメントはかろうじて割り込みではなく、セーフですね。こちらも天使が飛び交っていて、バロックの香りがプンプンします。

  • 左右側廊の一番奥に向かい合って設置されているパイプオルガンです。共に木製のカヴァーが付けられていて、美しい装飾が施されていました。オルガンの扉、こういう風に使うんですねえ。ヴェローナの司教だったアゴスティーノ・ヴァリエールが1565年から40年ほどの歳月をかけ、作らせたオルガンだそうです。<br /><br />内側の扉には、歴代のヴェローナの司教4人が、2人ずつ描かれていました。ビアージョ・ファルキエリによる1683年頃の作品です。オルガンを閉めないと見えない表側の扉には、「マリアの誕生」、「聖母の永眠」等が描かれているそうですよ。

    左右側廊の一番奥に向かい合って設置されているパイプオルガンです。共に木製のカヴァーが付けられていて、美しい装飾が施されていました。オルガンの扉、こういう風に使うんですねえ。ヴェローナの司教だったアゴスティーノ・ヴァリエールが1565年から40年ほどの歳月をかけ、作らせたオルガンだそうです。

    内側の扉には、歴代のヴェローナの司教4人が、2人ずつ描かれていました。ビアージョ・ファルキエリによる1683年頃の作品です。オルガンを閉めないと見えない表側の扉には、「マリアの誕生」、「聖母の永眠」等が描かれているそうですよ。

  • 先ほど、カウンターファサード付近から眺めた主祭壇にやって参りました。後ろからだと見えなかった、窓と窓の間に描かれたフレスコが、ここからはよく見ることが出来ました。

    先ほど、カウンターファサード付近から眺めた主祭壇にやって参りました。後ろからだと見えなかった、窓と窓の間に描かれたフレスコが、ここからはよく見ることが出来ました。

  • 主祭壇をアーチの隙間から覗いてみました。奥に聖歌隊席が見えますね。床は1880年頃、大理石で再張替えされたそうです。

    主祭壇をアーチの隙間から覗いてみました。奥に聖歌隊席が見えますね。床は1880年頃、大理石で再張替えされたそうです。

  • 主祭壇前には紋章入りの装飾が施された床になっていました。こうした装飾のある部分や墓の部分は、以前の床のままなんですって。

    主祭壇前には紋章入りの装飾が施された床になっていました。こうした装飾のある部分や墓の部分は、以前の床のままなんですって。

  • サンミケーリが制作した半円アーチの上のキリスト、聖母とヤコブ像を見上げます。

    サンミケーリが制作した半円アーチの上のキリスト、聖母とヤコブ像を見上げます。

  • 主祭壇の左側にある、小さなマッフェイ礼拝堂です。ここにもファルコネットのフレスコがありました。1500年の制作です。<br /><br />右側と対になっているオルガンが見えています。扉のフレスコ画以外は、同じ造りのようにみえますね。

    主祭壇の左側にある、小さなマッフェイ礼拝堂です。ここにもファルコネットのフレスコがありました。1500年の制作です。

    右側と対になっているオルガンが見えています。扉のフレスコ画以外は、同じ造りのようにみえますね。

  • 祭壇画は1794年、アゴスティーノ・ウゴリーニによるもので、ヴェローナ8世紀の司教聖アンノーネ、使徒アンデレ、ヒエロニムス、洗礼者聖ヨハネといる聖母子が描かれています。<br /><br />注目は両側の柱の中程にある細長いベール状の装飾です。「クラッセのヴェール」として有名な絹のヴェールのレプリカで、本物はラヴェンナにあるそうです。聖アンノーネの聖遺物の一つで、2聖人とヴェローナの初代司教らの顔が〇の中に刺繍されていました。

    祭壇画は1794年、アゴスティーノ・ウゴリーニによるもので、ヴェローナ8世紀の司教聖アンノーネ、使徒アンデレ、ヒエロニムス、洗礼者聖ヨハネといる聖母子が描かれています。

    注目は両側の柱の中程にある細長いベール状の装飾です。「クラッセのヴェール」として有名な絹のヴェールのレプリカで、本物はラヴェンナにあるそうです。聖アンノーネの聖遺物の一つで、2聖人とヴェローナの初代司教らの顔が〇の中に刺繍されていました。

  • 左側オルガン横の扉から階段を下りて行くと、隣の聖エレーナ教会及び聖ヨハネの洗礼堂に下りて行くことが出来ました。<br /><br />なぁんだ。ドゥオモから入れたのですね。さっきうろついた時間は何だったんだろう? 但し入場できるのは、3月から10月まで期間限定だそうです。

    左側オルガン横の扉から階段を下りて行くと、隣の聖エレーナ教会及び聖ヨハネの洗礼堂に下りて行くことが出来ました。

    なぁんだ。ドゥオモから入れたのですね。さっきうろついた時間は何だったんだろう? 但し入場できるのは、3月から10月まで期間限定だそうです。

  • 階段を下りたところは、ロマネスク時代のアトリウムになっていました。4本の細いコリント式の柱が造るアーチで全体を支えていました。

    階段を下りたところは、ロマネスク時代のアトリウムになっていました。4本の細いコリント式の柱が造るアーチで全体を支えていました。

  • 聖エレーナの床の位置よりさらに2mほど低い位置には、ローマ帝国時代と思しきモザイクの床が一部見えていました。<br /><br />構造は大変複雑で、現在の12世紀の建物の下には、5世紀(73m×30m)、4世紀(38m×17m)の建物が一部重なるように存在しているのです。解説を読んだ限りでは、モザイクは聖ツェーノが創建した4世紀の教会の床のようです。

    聖エレーナの床の位置よりさらに2mほど低い位置には、ローマ帝国時代と思しきモザイクの床が一部見えていました。

    構造は大変複雑で、現在の12世紀の建物の下には、5世紀(73m×30m)、4世紀(38m×17m)の建物が一部重なるように存在しているのです。解説を読んだ限りでは、モザイクは聖ツェーノが創建した4世紀の教会の床のようです。

  • モザイクの詳細です。

    モザイクの詳細です。

  • かまぼこ型のヴォールトを持つこちらの部屋は洗礼堂に行く途中にあったようですが、記憶にありません。

    かまぼこ型のヴォールトを持つこちらの部屋は洗礼堂に行く途中にあったようですが、記憶にありません。

  • 石が敷き詰められた床の奥には、何枚かの石板が立て掛けてありました。どこだったんだろう? 地図を見てもはっきりしません。

    石が敷き詰められた床の奥には、何枚かの石板が立て掛けてありました。どこだったんだろう? 地図を見てもはっきりしません。

  • そしてこちらが12世紀の洗礼堂です。この建物が、先ほどドゥオモ後陣ギリギリに建っていた建物の内部となります。ここには原始キリスト教時代からの洗礼堂がありましたが、1117年の地震で崩壊、1123年にロマネスク様式で再建されたものだそうです。<br /><br />部屋の中央には、見事なレリーフのある八角形の洗礼盤がありました。1塊の大理石から作られたもので、それぞれの面には福音書からのエピソード 受胎告知、キリストの洗礼等が彫られています。

    そしてこちらが12世紀の洗礼堂です。この建物が、先ほどドゥオモ後陣ギリギリに建っていた建物の内部となります。ここには原始キリスト教時代からの洗礼堂がありましたが、1117年の地震で崩壊、1123年にロマネスク様式で再建されたものだそうです。

    部屋の中央には、見事なレリーフのある八角形の洗礼盤がありました。1塊の大理石から作られたもので、それぞれの面には福音書からのエピソード 受胎告知、キリストの洗礼等が彫られています。

  • 直径が3m近くもある大きな洗礼盤です。盤というよりは風呂に近い。<br /><br />中央の面が、「キリストの洗礼」ですね。左側見づらいけれど、「エジプトへの逃避」のようです。

    直径が3m近くもある大きな洗礼盤です。盤というよりは風呂に近い。

    中央の面が、「キリストの洗礼」ですね。左側見づらいけれど、「エジプトへの逃避」のようです。

  • これは「受胎告知」と右側は「訪問」と「聖誕」が合わさっているのかな?<br />見る角度によって、微妙に色が変わる、美しいヴェローナの赤大理石です。

    これは「受胎告知」と右側は「訪問」と「聖誕」が合わさっているのかな?
    見る角度によって、微妙に色が変わる、美しいヴェローナの赤大理石です。

  • 左から、「羊飼いへの告知」、「東方三博士の礼拝」。左側のレリーフで、羊飼いの右横にいる羊たちが作る羊ピラミッドが面白い!

    左から、「羊飼いへの告知」、「東方三博士の礼拝」。左側のレリーフで、羊飼いの右横にいる羊たちが作る羊ピラミッドが面白い!

  • こうなったら全部紹介しましょう。左側は、「兵隊たちといるヘロデ王」。右側は「ヘロデ王の嬰児殺し」です。

    こうなったら全部紹介しましょう。左側は、「兵隊たちといるヘロデ王」。右側は「ヘロデ王の嬰児殺し」です。

  • 今まで洗礼堂という言葉を使ってきましたが、サン・ジョヴァンニ・イン・フォンテ教会とも呼ばれていて、独自の祭壇を持っています。吊り下げられた十字架は、聖ヨハネの祭日のパレードの際に使用されていたもので、ジョヴァンニ・バディーレの作とされています。15世紀前半。<br /><br />壁に残るのは、主に13世紀から14世紀に描かれたフレスコだそうです。

    今まで洗礼堂という言葉を使ってきましたが、サン・ジョヴァンニ・イン・フォンテ教会とも呼ばれていて、独自の祭壇を持っています。吊り下げられた十字架は、聖ヨハネの祭日のパレードの際に使用されていたもので、ジョヴァンニ・バディーレの作とされています。15世紀前半。

    壁に残るのは、主に13世紀から14世紀に描かれたフレスコだそうです。

  • こちらは、マドンナ・デッラ・ミゼリコルディア 「慈悲の聖母」のフレスコです。14世紀前半の作と言われています。様々な階級の人々が等しく聖母の保護のもとにあることを表わしています。疫病が流行した際には、特に多くの「慈悲の聖母」が描かれたと聞いています。

    こちらは、マドンナ・デッラ・ミゼリコルディア 「慈悲の聖母」のフレスコです。14世紀前半の作と言われています。様々な階級の人々が等しく聖母の保護のもとにあることを表わしています。疫病が流行した際には、特に多くの「慈悲の聖母」が描かれたと聞いています。

  • 玉座の聖母子は13世紀のフレスコ。ロマネスクの特徴が良く出ていますね。

    玉座の聖母子は13世紀のフレスコ。ロマネスクの特徴が良く出ていますね。

  • 多くの石板が飾られている回廊を抜けて、今度はお隣の聖エレーナ教会へと向かいます。

    多くの石板が飾られている回廊を抜けて、今度はお隣の聖エレーナ教会へと向かいます。

  • 途中にまた、発掘された古い時代の教会の遺跡を通ります。モザイクを見ると、目の色が変わる私・・・

    途中にまた、発掘された古い時代の教会の遺跡を通ります。モザイクを見ると、目の色が変わる私・・・

  • 教会の半分は考古学博物館のようで、ここにも古い原始キリスト教時代の遺跡が顔を覗かせていました。掘れば無尽蔵に出てきますなあ・・・

    教会の半分は考古学博物館のようで、ここにも古い原始キリスト教時代の遺跡が顔を覗かせていました。掘れば無尽蔵に出てきますなあ・・・

  • 聖エレーナ教会は、ドゥオモのファサードに向かって左側に、寄り添うようにしてありました。いわば、ドゥオモ別館のような存在です。<br /><br />ダンテが1320年1月20日、彼の作品「Quaestio de aqua et terra」の初めての朗読のために選んだ会場はここだったそうです。<br /><br />こちらは、主祭壇です。祭壇画はジョヴァンニ・カロート作の聖マルティーノ、聖ステファノ、寄進者とともにいる聖母子」1514年作。

    聖エレーナ教会は、ドゥオモのファサードに向かって左側に、寄り添うようにしてありました。いわば、ドゥオモ別館のような存在です。

    ダンテが1320年1月20日、彼の作品「Quaestio de aqua et terra」の初めての朗読のために選んだ会場はここだったそうです。

    こちらは、主祭壇です。祭壇画はジョヴァンニ・カロート作の聖マルティーノ、聖ステファノ、寄進者とともにいる聖母子」1514年作。

  • なぜか主祭壇は1枚しか撮らず、カウンターファサードを写しています。典型的なロマネスク様式が嬉しい! シンプルな一廊式の身廊です。

    なぜか主祭壇は1枚しか撮らず、カウンターファサードを写しています。典型的なロマネスク様式が嬉しい! シンプルな一廊式の身廊です。

  • 中央の通路は全て墓石でした!

    中央の通路は全て墓石でした!

  • 身廊中ほどには二つの小さな祭壇が向かい合って置かれていました。<br /><br />カウンターファサードに向かって左側(主祭壇に向かって右側というのが普通ですね)の祭壇は聖なる十字架に捧げられていて、「聖エレーナ、聖カタリア、ネポムクの聖ヨハネと共にいる聖母子」が描かれていました。聖エレーナ教会でようやくエレーナに会うことが出来ました。ピエトロ・アントニオ・ロターリの1735年の作品です。<br /><br />少々遠いですが、その横にある二人の聖ヨハネを従えた聖母の三連彫刻トリプテックが素朴な味わいがありましたよ。

    身廊中ほどには二つの小さな祭壇が向かい合って置かれていました。

    カウンターファサードに向かって左側(主祭壇に向かって右側というのが普通ですね)の祭壇は聖なる十字架に捧げられていて、「聖エレーナ、聖カタリア、ネポムクの聖ヨハネと共にいる聖母子」が描かれていました。聖エレーナ教会でようやくエレーナに会うことが出来ました。ピエトロ・アントニオ・ロターリの1735年の作品です。

    少々遠いですが、その横にある二人の聖ヨハネを従えた聖母の三連彫刻トリプテックが素朴な味わいがありましたよ。

  • 反対側の祭壇は聖フランシス・サレジオに捧げられていて、ジョヴァンニ・ピエトロ・サルヴァテッラの祭壇画には、救世主キリスト、聖フランシス、そして聖フィリッポ・ネッリが描かれていました。

    反対側の祭壇は聖フランシス・サレジオに捧げられていて、ジョヴァンニ・ピエトロ・サルヴァテッラの祭壇画には、救世主キリスト、聖フランシス、そして聖フィリッポ・ネッリが描かれていました。

  • これは、一体何だったのでしょう? 全く記憶なし。ご容赦。

    これは、一体何だったのでしょう? 全く記憶なし。ご容赦。

  • さあ、ドゥオモに戻って参りましたよ。この写真なんだと思います?<br /><br />答えは、左側廊にあるオルガンの底です。こんなところにも絵が描かれていたんだなと感心することしきり・・・オルガンに相応しい、音楽天使の姿がありましたよ。

    さあ、ドゥオモに戻って参りましたよ。この写真なんだと思います?

    答えは、左側廊にあるオルガンの底です。こんなところにも絵が描かれていたんだなと感心することしきり・・・オルガンに相応しい、音楽天使の姿がありましたよ。

  • ドゥオモの礼拝堂巡り後半戦ですよ。左側廊にある大きなマドンナ・デル・ポポロ(民衆の聖母)礼拝堂。地元民が大勢詰めかける人気スポットです。<br /><br />ここは、1510年に造られた赤い大理石製の勝利の門以外は、1756年にバロックにすっかり模様替えされていました。祭壇下には、ヴェローナの殉教者聖フェルモと聖ルスティコの聖遺物が収められています。<br /><br />祭壇にあるのは1921年に制作された「玉座の聖母子」の像。金ぴかです! ヴィンチェンツォ・カドリンの作品。<br /><br />

    ドゥオモの礼拝堂巡り後半戦ですよ。左側廊にある大きなマドンナ・デル・ポポロ(民衆の聖母)礼拝堂。地元民が大勢詰めかける人気スポットです。

    ここは、1510年に造られた赤い大理石製の勝利の門以外は、1756年にバロックにすっかり模様替えされていました。祭壇下には、ヴェローナの殉教者聖フェルモと聖ルスティコの聖遺物が収められています。

    祭壇にあるのは1921年に制作された「玉座の聖母子」の像。金ぴかです! ヴィンチェンツォ・カドリンの作品。

  • 右側廊から見た、左側廊部分です。

    右側廊から見た、左側廊部分です。

  • 右側廊マドンナ・デル・ポポロ礼拝堂とお隣のカルトラーリ礼拝堂の間の壁です。相変わらず割り込みが激しい・・・お断りできない事情があったのでしょうね。

    右側廊マドンナ・デル・ポポロ礼拝堂とお隣のカルトラーリ礼拝堂の間の壁です。相変わらず割り込みが激しい・・・お断りできない事情があったのでしょうね。

  • カルトラーニ礼拝堂。オリジナルは1465年に作られ、大天使聖ミケーレに捧げられています。この祭壇は18世紀に建て直されたもの。祭壇画は「聖ミケーレ、聖ジョルジュ、聖ヒエロニムスといる聖母」で、ミケランジェロ・プルナーティの作品。18世紀。聖ミケーレの下にはちゃんとルシファーらしき人物が描かれているのが面白い。<br /><br />左右の壁には所狭しと碑文が掲げられていました。

    カルトラーニ礼拝堂。オリジナルは1465年に作られ、大天使聖ミケーレに捧げられています。この祭壇は18世紀に建て直されたもの。祭壇画は「聖ミケーレ、聖ジョルジュ、聖ヒエロニムスといる聖母」で、ミケランジェロ・プルナーティの作品。18世紀。聖ミケーレの下にはちゃんとルシファーらしき人物が描かれているのが面白い。

    左右の壁には所狭しと碑文が掲げられていました。

  • どうしても一部切れてしまいますが、全体像はこのような感じ。

    どうしても一部切れてしまいますが、全体像はこのような感じ。

  • カルトラーニ礼拝堂と次なる礼拝堂の間の壁です。ここにわずかな隙間がありますが、自分の葬送記念碑をここに造ろうと目論んでいる輩がいるかも? そんな不謹慎なことを言ってはいけませんね。ハイ。

    カルトラーニ礼拝堂と次なる礼拝堂の間の壁です。ここにわずかな隙間がありますが、自分の葬送記念碑をここに造ろうと目論んでいる輩がいるかも? そんな不謹慎なことを言ってはいけませんね。ハイ。

  • 次なる礼拝堂は更に背後のフレスコが細かくて、沢山のニッチェそして屋上にも大勢の人物が描かれています。祭壇そのものの形状は、前のものとあまり変わり映えしませんね。<br /><br />こちらはアッバツィアーラッツァーリ礼拝堂。コルプス・ドミニ、つまりキリストの体に捧げられています。祭壇画のキャストは、復活したキリストを中心に、トビアス、天使、聖リボリウス、聖フランシス・サレジオ等。<br /><br />トビアスは、旧約聖書外典「トビト書」の中に登場する父親思いの少年で、大天使ラファエルの力を借りて、父親の目を直します。聖リボリウスはフランスの町ル・マンの第二代司教で4世紀の人です。様々な時代の人々が登場すると、どういう理由でこの絵が描かれたのか知りたくなります。<br /><br />画家サンテ・プルナーティの1720年の作品です。

    次なる礼拝堂は更に背後のフレスコが細かくて、沢山のニッチェそして屋上にも大勢の人物が描かれています。祭壇そのものの形状は、前のものとあまり変わり映えしませんね。

    こちらはアッバツィアーラッツァーリ礼拝堂。コルプス・ドミニ、つまりキリストの体に捧げられています。祭壇画のキャストは、復活したキリストを中心に、トビアス、天使、聖リボリウス、聖フランシス・サレジオ等。

    トビアスは、旧約聖書外典「トビト書」の中に登場する父親思いの少年で、大天使ラファエルの力を借りて、父親の目を直します。聖リボリウスはフランスの町ル・マンの第二代司教で4世紀の人です。様々な時代の人々が登場すると、どういう理由でこの絵が描かれたのか知りたくなります。

    画家サンテ・プルナーティの1720年の作品です。

  • 遅かれ早かれ、このような過密状態になることは目に見えているような気がします。しかし何故、絵の一部にかかるように設置するのでしょう?

    遅かれ早かれ、このような過密状態になることは目に見えているような気がします。しかし何故、絵の一部にかかるように設置するのでしょう?

  • お待たせしました。最後の祭壇です。こちらが、かのティッツィアーノが只1枚ヴェローナに遺した傑作「聖母被昇天」のあるカルトラーリ-ニケソーラ礼拝堂です。ニケソーラ家は1530年から32年にかけて祭壇を改装し、ヤコポ・サンソヴィーノがその仕事を請け負いました。祭壇画はティッツィアーノの1535年の作品。1797年イタリアに侵攻したナポレオン軍によって「盗まれ」、ようやく町に帰ってきたという曰くつきの作品です。<br /><br />ティッツィアーノの「聖母被昇天」といえば、、ヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオサ・デイ・フライ聖堂にあるものがすば抜けていますが、こちらの作品も、聖母のポーズが非常に印象的な1枚。背後のアーモンド型の雲が太陽の光を受けて淡いオレンジ色に輝くさまも素晴らしいです。

    イチオシ

    お待たせしました。最後の祭壇です。こちらが、かのティッツィアーノが只1枚ヴェローナに遺した傑作「聖母被昇天」のあるカルトラーリ-ニケソーラ礼拝堂です。ニケソーラ家は1530年から32年にかけて祭壇を改装し、ヤコポ・サンソヴィーノがその仕事を請け負いました。祭壇画はティッツィアーノの1535年の作品。1797年イタリアに侵攻したナポレオン軍によって「盗まれ」、ようやく町に帰ってきたという曰くつきの作品です。

    ティッツィアーノの「聖母被昇天」といえば、、ヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオサ・デイ・フライ聖堂にあるものがすば抜けていますが、こちらの作品も、聖母のポーズが非常に印象的な1枚。背後のアーモンド型の雲が太陽の光を受けて淡いオレンジ色に輝くさまも素晴らしいです。

  • ニケソーラ家の祭壇横にあった石製の祭壇とカウンターファサードです。<br /><br />どう考えても、このドゥオモは物が置かれ過ぎ、飾り過ぎのきらいがありますね。至るところ物で溢れています。

    ニケソーラ家の祭壇横にあった石製の祭壇とカウンターファサードです。

    どう考えても、このドゥオモは物が置かれ過ぎ、飾り過ぎのきらいがありますね。至るところ物で溢れています。

  • カウンターファサード中央部の高い場所には時計がありました。ここから退出出来なかったので、うっかりドゥオモのファサードを拝み損ねてしまいました。<br /><br />聖アナスタシアに続き、ヴェローナ式の装飾のある祭壇を楽しむことが出来たドゥオモでした。おや、もう4時20分! やはり1日限りでは、町歩きはどこも中途半端になりそうです。二度目、三度目が必要ですね。イタリアっていう国は!

    カウンターファサード中央部の高い場所には時計がありました。ここから退出出来なかったので、うっかりドゥオモのファサードを拝み損ねてしまいました。

    聖アナスタシアに続き、ヴェローナ式の装飾のある祭壇を楽しむことが出来たドゥオモでした。おや、もう4時20分! やはり1日限りでは、町歩きはどこも中途半端になりそうです。二度目、三度目が必要ですね。イタリアっていう国は!

  • ドゥオモの南扉から出た正面にあったこちらの建物は、教会風の佇まいですが、何の表示もありませんでした。中央扉の上にあるヴェローナ風のポーチには聖人が座っておられました。何の建物かなあ?

    ドゥオモの南扉から出た正面にあったこちらの建物は、教会風の佇まいですが、何の表示もありませんでした。中央扉の上にあるヴェローナ風のポーチには聖人が座っておられました。何の建物かなあ?

  • ドゥオモを出て、ドゥオモ通りを南東へと下ります。

    ドゥオモを出て、ドゥオモ通りを南東へと下ります。

  • あらあ どこかで見た教会ですよ!

    あらあ どこかで見た教会ですよ!

  • 再びやってきたのは、聖アナスタシア教会の前。先ほど取り忘れた殉教者聖ピエトロ教会のファサードを1枚。この教会、夕方になってもやはり開いていませんでした。ポーチの形がヴェローナ独特ですねえ。

    再びやってきたのは、聖アナスタシア教会の前。先ほど取り忘れた殉教者聖ピエトロ教会のファサードを1枚。この教会、夕方になってもやはり開いていませんでした。ポーチの形がヴェローナ独特ですねえ。

  • とあるオステリアの前。ちょうど花のある窓辺だけに陽が差し込んでいました。美しいですね。

    イチオシ

    とあるオステリアの前。ちょうど花のある窓辺だけに陽が差し込んでいました。美しいですね。

  • 次いでやってきたのは、ヴェローナの街角博物館 活版印刷の博物館です。ヴェローナ・カードに紹介があったので、ちょっと寄ってみただけなのですが、なかなか面白い。

    次いでやってきたのは、ヴェローナの街角博物館 活版印刷の博物館です。ヴェローナ・カードに紹介があったので、ちょっと寄ってみただけなのですが、なかなか面白い。

  • ここでは印刷技術の時系列による進化過程や過去に使われていた様々な印刷方法が学べるうえ、アマルフィで作られた100%コットン製の紙やかつては本の表紙などに使われていたヴェローナ製の上質革紙(ベラム)を触ったり、1600年代に手彫りで作られ、今も使われている木型などを見ることが出来ます。

    ここでは印刷技術の時系列による進化過程や過去に使われていた様々な印刷方法が学べるうえ、アマルフィで作られた100%コットン製の紙やかつては本の表紙などに使われていたヴェローナ製の上質革紙(ベラム)を触ったり、1600年代に手彫りで作られ、今も使われている木型などを見ることが出来ます。

  • 時間が許せば、自分で活版印刷機を使って、カードを作ることも可能なんですって。

    時間が許せば、自分で活版印刷機を使って、カードを作ることも可能なんですって。

  • 見たこともない、古い機械が沢山置いてあって、目が丸くなりました。しかも皆現役ですよ!

    見たこともない、古い機械が沢山置いてあって、目が丸くなりました。しかも皆現役ですよ!

  • こんなカードが作れますよ。時間のある時にまた訪問したい、可愛い博物館でした。

    こんなカードが作れますよ。時間のある時にまた訪問したい、可愛い博物館でした。

  • 相変わらず、難しい顔をしているシニョーリ広場のダンテ像の傍を通り過ぎ、

    相変わらず、難しい顔をしているシニョーリ広場のダンテ像の傍を通り過ぎ、

  • カーゼ・マッツァンティとランベルティの塔のあるエルベ広場をてくてく歩き、

    カーゼ・マッツァンティとランベルティの塔のあるエルベ広場をてくてく歩き、

  • ドムス・メルカトルムの角を曲がって、カッペッロ通りを進みます。

    ドムス・メルカトルムの角を曲がって、カッペッロ通りを進みます。

  • 夕方のジュリエットの家は、午前中の喧騒が嘘のように静かでした。出かけるのであれば、この時間がお勧め!?

    夕方のジュリエットの家は、午前中の喧騒が嘘のように静かでした。出かけるのであれば、この時間がお勧め!?

  • こちらは、ヴェローナ市立図書館。背後にある塔からすると、かつては教会だった建物かしら?新旧が混ざり合った不思議な景観でした。

    こちらは、ヴェローナ市立図書館。背後にある塔からすると、かつては教会だった建物かしら?新旧が混ざり合った不思議な景観でした。

  • 更に通りを進んでいくと、なんじゃこりゃ~ と言いたくなるような景色が出現。右側の建物に古い門がぴったりとくっついているように見えます。<br /><br />こちらは、ローマ時代のレオーニ門。紀元前1世紀中頃の共和国時代に造られ、後の帝国時代の1世紀に再建されています。右側レンガの部分が共和国時代、左側大理石部分が帝国時代の建造だそうです。この門を通る道はボローニャとアキレイアに向かって伸びていました。

    更に通りを進んでいくと、なんじゃこりゃ~ と言いたくなるような景色が出現。右側の建物に古い門がぴったりとくっついているように見えます。

    こちらは、ローマ時代のレオーニ門。紀元前1世紀中頃の共和国時代に造られ、後の帝国時代の1世紀に再建されています。右側レンガの部分が共和国時代、左側大理石部分が帝国時代の建造だそうです。この門を通る道はボローニャとアキレイアに向かって伸びていました。

  • かつての門は四角形で、両側にファサードを持ち、遠くまで見通せる2本の塔がその脇に聳えていました。現在は内側のファサードのみ残っています。13mもあったんですって。高い!<br /><br /><br />上部に一部残るエゼドラと螺旋模様のある柱に注目!

    かつての門は四角形で、両側にファサードを持ち、遠くまで見通せる2本の塔がその脇に聳えていました。現在は内側のファサードのみ残っています。13mもあったんですって。高い!


    上部に一部残るエゼドラと螺旋模様のある柱に注目!

  • レオーニ門から数m離れたところには、土台の遺跡が残っていました。

    レオーニ門から数m離れたところには、土台の遺跡が残っていました。

  • こちらは、塔の基礎部分で、十六角形をしています。直径が約424cm。スリムな塔ですが、高さはどのくらいあったのでしょうね。

    こちらは、塔の基礎部分で、十六角形をしています。直径が約424cm。スリムな塔ですが、高さはどのくらいあったのでしょうね。

  • 寄り道しながら歩いてやって来たのは、聖フェルモ・マッジョーレ教会です。今日はなぜか背後から迫ることが多いなあ。<br /><br />レオーニ門からほど近いアディジェ川の畔。ここで304年に二人の人間が殉教しました。聖フェルモと聖ルスティーコ。人々は二人を偲んで5世紀か6世紀頃、この地に教会を建てました。<br /><br />765年、ヴェローナの司教だった聖アンノーネは、二人の聖遺物をトリエステから取り戻し、以前の原始キリスト教教会を整備。そして、1065年から1143年の間にベネディクト会が古い教会を下部に包含する新たなロマネスク様式の教会を建設したのです。そして1261年には、フランシスコ会の教会となり、現在見る教会の姿となりました。<br /><br />1759年にはアディジェ川の氾濫から聖遺物を護るために、二人の石棺は主祭壇へと移されています。<br /><br />今見えている鐘楼は12世紀から13世紀にかけての建築。独立した塔ではなく、後陣脇の礼拝堂の膨らみを持つ、珍しい構造をしています。レンガとトゥファ(石灰岩)の混ざりあった模様もユニークです。<br />

    寄り道しながら歩いてやって来たのは、聖フェルモ・マッジョーレ教会です。今日はなぜか背後から迫ることが多いなあ。

    レオーニ門からほど近いアディジェ川の畔。ここで304年に二人の人間が殉教しました。聖フェルモと聖ルスティーコ。人々は二人を偲んで5世紀か6世紀頃、この地に教会を建てました。

    765年、ヴェローナの司教だった聖アンノーネは、二人の聖遺物をトリエステから取り戻し、以前の原始キリスト教教会を整備。そして、1065年から1143年の間にベネディクト会が古い教会を下部に包含する新たなロマネスク様式の教会を建設したのです。そして1261年には、フランシスコ会の教会となり、現在見る教会の姿となりました。

    1759年にはアディジェ川の氾濫から聖遺物を護るために、二人の石棺は主祭壇へと移されています。

    今見えている鐘楼は12世紀から13世紀にかけての建築。独立した塔ではなく、後陣脇の礼拝堂の膨らみを持つ、珍しい構造をしています。レンガとトゥファ(石灰岩)の混ざりあった模様もユニークです。

  • 見れば見るほど複雑な構造体ですねえ。今度こそファサードに回りましょう。

    見れば見るほど複雑な構造体ですねえ。今度こそファサードに回りましょう。

  • はい。こちらが聖フェルモ・マッジョーレ教会のファサードです。ファサードの工事は1350年ころに完成したと言われています。ロマネスクとゴシックの折衷様式ですね。<br /><br />大きなロマネスク様式の中央扉の両脇には、方立のある連窓があり、こちらはゴシックになっていました。三層より上は、白と赤の縞模様。

    はい。こちらが聖フェルモ・マッジョーレ教会のファサードです。ファサードの工事は1350年ころに完成したと言われています。ロマネスクとゴシックの折衷様式ですね。

    大きなロマネスク様式の中央扉の両脇には、方立のある連窓があり、こちらはゴシックになっていました。三層より上は、白と赤の縞模様。

  • またもやここでも、墓発見! 二つと思ったのですが、向かって右側にはポーチしか残っていませんでした。<br /><br />左側は1368年に亡くなったスカラ家お抱えの医者であったアヴェンティーノ・フラカストーロの墓です。地面に置かないのは、水害を恐れてのことかもしれませんね。

    またもやここでも、墓発見! 二つと思ったのですが、向かって右側にはポーチしか残っていませんでした。

    左側は1368年に亡くなったスカラ家お抱えの医者であったアヴェンティーノ・フラカストーロの墓です。地面に置かないのは、水害を恐れてのことかもしれませんね。

  • 中央扉に至るまでに、十数段の階段を上ります。前述したとおり、この教会は二重構造になっており、古い教会を壊さずに新しい教会を建てたためと思われますが、それにしても結構な階段です。

    中央扉に至るまでに、十数段の階段を上ります。前述したとおり、この教会は二重構造になっており、古い教会を壊さずに新しい教会を建てたためと思われますが、それにしても結構な階段です。

  • 縞模様をじっくりと眺めたら、赤い大理石とレンガのツートンカラーになっていましたよ。<br /><br />中央には大きな連窓。その上に小さな連窓も見えました。

    縞模様をじっくりと眺めたら、赤い大理石とレンガのツートンカラーになっていましたよ。

    中央には大きな連窓。その上に小さな連窓も見えました。

  • 中央扉には、20世紀後半の彫刻家ルチアーノ・ミングッツィによる24枚のブロンズ製パネルを見ることが出来ます。彼のマスターワークと言われていて、1997年の作。<br /><br />レリーフには、聖フェルモと聖ルスティーコに対するヴェローナの人々の献身ぶりが描かれているそうですが、解説がないため、良く分かりませんでした。

    中央扉には、20世紀後半の彫刻家ルチアーノ・ミングッツィによる24枚のブロンズ製パネルを見ることが出来ます。彼のマスターワークと言われていて、1997年の作。

    レリーフには、聖フェルモと聖ルスティーコに対するヴェローナの人々の献身ぶりが描かれているそうですが、解説がないため、良く分かりませんでした。

  • またまた、全体写真がありません。これは、主祭壇に向かって、天井の一部を拡大した写真です。木の格子を組み立て合わせた少々変わった形の天井になっています。<br /><br />実は、この格子の窪みには、416人の聖人像が描かれているのだそうですが、肉眼では確認できませんでした。

    またまた、全体写真がありません。これは、主祭壇に向かって、天井の一部を拡大した写真です。木の格子を組み立て合わせた少々変わった形の天井になっています。

    実は、この格子の窪みには、416人の聖人像が描かれているのだそうですが、肉眼では確認できませんでした。

  • 416人の聖人の内、96人のイメージが教会内に展示されていました。「14世紀の市内で最も豪華な美術館」というキャッチコピーが添えられていました。

    416人の聖人の内、96人のイメージが教会内に展示されていました。「14世紀の市内で最も豪華な美術館」というキャッチコピーが添えられていました。

  • 上から順番に、身廊の右側高い部分、右側低い部分、左側高い部分、左側低い部分の順に並んでいます。名前がないので、一体どなたなのかが分かりませんが、700年前のものにしては、保存状態良好です。

    上から順番に、身廊の右側高い部分、右側低い部分、左側高い部分、左側低い部分の順に並んでいます。名前がないので、一体どなたなのかが分かりませんが、700年前のものにしては、保存状態良好です。

  • 作者についても、解説が一切ありませんでした。見上げても小さすぎて見ることが出来ない代物を、誰が何のために作ったのでしょう???<br /><br />これで96人全員集合です。

    作者についても、解説が一切ありませんでした。見上げても小さすぎて見ることが出来ない代物を、誰が何のために作ったのでしょう???

    これで96人全員集合です。

  • 内部は一廊式のシンプルな構造。では、早速右側から見て参りやしょう。こちらはニケソーラ家の礼拝堂。但し、ニケソーラ家時代のものは、祭壇の大理石の柱と、その上のルーネット部分に描かれたフレスコしか残っていません(1504年)。ルネサンス様式の祭壇は廃止されたサン・フエルモ・アル・ポンテ教会から1816年にここに移されたものです。<br /><br />ルーネット部分のフレスコにはマニエリスム期の画家ドメニコ・ブルサソルツィ作で、名前の分からない司教の殉教シーンが描かれていました。<br /><br />

    内部は一廊式のシンプルな構造。では、早速右側から見て参りやしょう。こちらはニケソーラ家の礼拝堂。但し、ニケソーラ家時代のものは、祭壇の大理石の柱と、その上のルーネット部分に描かれたフレスコしか残っていません(1504年)。ルネサンス様式の祭壇は廃止されたサン・フエルモ・アル・ポンテ教会から1816年にここに移されたものです。

    ルーネット部分のフレスコにはマニエリスム期の画家ドメニコ・ブルサソルツィ作で、名前の分からない司教の殉教シーンが描かれていました。

  • 祭壇画はニケソーラ家から引き継いだムラーリ・ブラ家時代に描かれた「聖ブランダーノ、聖グレゴリオ等と共にいる聖母子」で、サンテ・クレアーラの16世紀の作品。<br /><br />この教会もドゥオモ同様、ごちゃごちゃと色々なものが並べられていました。上の写真の戦士の像のある聖水盤の奥には、教会の模型が見えますね。<br />

    祭壇画はニケソーラ家から引き継いだムラーリ・ブラ家時代に描かれた「聖ブランダーノ、聖グレゴリオ等と共にいる聖母子」で、サンテ・クレアーラの16世紀の作品。

    この教会もドゥオモ同様、ごちゃごちゃと色々なものが並べられていました。上の写真の戦士の像のある聖水盤の奥には、教会の模型が見えますね。

  • そしてその右奥には、14世紀のフレスコ「インドのターナで殉教した4人のフランシスコ会修道僧」がありました。1321年の作ですが作者は「救世主の工房」ということしかわかっていません。また、オリジナルは壁一面に描かれていたそうですが、現在では3場面しか残っていません。<br /><br />

    そしてその右奥には、14世紀のフレスコ「インドのターナで殉教した4人のフランシスコ会修道僧」がありました。1321年の作ですが作者は「救世主の工房」ということしかわかっていません。また、オリジナルは壁一面に描かれていたそうですが、現在では3場面しか残っていません。

  • 一番下の部分に描かれている聖人は、聖オノフリオと聖ドロテアで、その右横にはフレスコを無視して墓が作られてしまっていました。1562年のグァリエンティ家の墓だそうです。

    一番下の部分に描かれている聖人は、聖オノフリオと聖ドロテアで、その右横にはフレスコを無視して墓が作られてしまっていました。1562年のグァリエンティ家の墓だそうです。

  • お次は、1396年に制作されたという赤と白の大理石製の説教壇です。こちらについては、アントニオ・ダ・メストレという制作者が判明していました。壺をひっくり返したような美しいフォームですねえ。<br /><br />賑やかな背景はマルティーノ・ダ・ヴェローナ作のフレスコで、右側には巻紙を掲げた教会博士達がずらりと並んでいます。説教壇の上には磔、両側には旧約聖書からの場面が描かれていました。<br /><br />

    お次は、1396年に制作されたという赤と白の大理石製の説教壇です。こちらについては、アントニオ・ダ・メストレという制作者が判明していました。壺をひっくり返したような美しいフォームですねえ。

    賑やかな背景はマルティーノ・ダ・ヴェローナ作のフレスコで、右側には巻紙を掲げた教会博士達がずらりと並んでいます。説教壇の上には磔、両側には旧約聖書からの場面が描かれていました。

  • 説教壇の上にポーチが作られ、尖塔のある塔まで備わっていて、教会の中の内なる教会といったイメージでした。

    説教壇の上にポーチが作られ、尖塔のある塔まで備わっていて、教会の中の内なる教会といったイメージでした。

  • 同じ作者と思われるフレスコは左側のアーチのある壁にも続いていますが、残念なことにほとんどが剥げ落ちてしまっていました。こちらは、聖ボナヴェントゥーラの「人生の木」と呼ばれる作品で、その上には前述の「インドでの殉教場面」を描いた救世主の工房による「受胎告知」がありました。1325年から30年にかけての作と言われています。古典的な受胎告知ですね。<br /><br />アーチの奥は、聖ベルナルドに捧げる礼拝堂になっていました。祭壇画はアントニオ・エレネッティ作の聖母子で、下の方には、この教会が捧げる聖フェルモと聖ルスティーコが描かれていました。エレネッティが描いたのは16世紀ですが、下方の2人の聖人画は18世紀の作品だそう。<br /><br />この礼拝堂には、素晴らしい吊り下げ型の墓などがあったのですが、何故か写真が見つかりませんでした(???)。<br /><br />左側にある墓は、1550年に亡くなったベローナ最初の歴史家と言われるトレッロ・サライナの石棺です。

    同じ作者と思われるフレスコは左側のアーチのある壁にも続いていますが、残念なことにほとんどが剥げ落ちてしまっていました。こちらは、聖ボナヴェントゥーラの「人生の木」と呼ばれる作品で、その上には前述の「インドでの殉教場面」を描いた救世主の工房による「受胎告知」がありました。1325年から30年にかけての作と言われています。古典的な受胎告知ですね。

    アーチの奥は、聖ベルナルドに捧げる礼拝堂になっていました。祭壇画はアントニオ・エレネッティ作の聖母子で、下の方には、この教会が捧げる聖フェルモと聖ルスティーコが描かれていました。エレネッティが描いたのは16世紀ですが、下方の2人の聖人画は18世紀の作品だそう。

    この礼拝堂には、素晴らしい吊り下げ型の墓などがあったのですが、何故か写真が見つかりませんでした(???)。

    左側にある墓は、1550年に亡くなったベローナ最初の歴史家と言われるトレッロ・サライナの石棺です。

  • 大天使聖ラファエルに捧げられた祭壇です。この荘厳な祭壇は1523年に造られたもの。<br /><br />祭壇画には三位一体の父と子と聖霊(鳩)の下に、聖母子、大天使ラファエルと幼いトビアスが登場します。トビアスとラファエルの関係については、ドゥオモの項で触れたので参照くださいね。<br /><br />ニックネームがイル・モーロという、フランチェスコ・トルビードが描きました。1530年の作品。父(神)と子(キリスト)が並んでいる姿を見たのは初めてかも。<br /><br />祭壇下には、十字架降下後のキリストを囲んで嘆き悲しむ人々の彫像群が見えました。こちらも16世紀の作です。<br />

    大天使聖ラファエルに捧げられた祭壇です。この荘厳な祭壇は1523年に造られたもの。

    祭壇画には三位一体の父と子と聖霊(鳩)の下に、聖母子、大天使ラファエルと幼いトビアスが登場します。トビアスとラファエルの関係については、ドゥオモの項で触れたので参照くださいね。

    ニックネームがイル・モーロという、フランチェスコ・トルビードが描きました。1530年の作品。父(神)と子(キリスト)が並んでいる姿を見たのは初めてかも。

    祭壇下には、十字架降下後のキリストを囲んで嘆き悲しむ人々の彫像群が見えました。こちらも16世紀の作です。

  • 次はフランシスコ会の始祖聖フランチェスコに捧げられた祭壇です。祭壇画、黒い法服に身を包んだ聖フランチェスコの下で手を広げている裸の男性は、聖人に救いを求めているのでしょうか? この人の存在が一番気になりました。<br /><br />画家はジャンバッティスタ・ベロッティで18世紀の作品です。<br /><br />この祭壇の下には、1127年にヴェローナで亡くなった隠者聖グァルファルドの聖遺物が収められています。

    次はフランシスコ会の始祖聖フランチェスコに捧げられた祭壇です。祭壇画、黒い法服に身を包んだ聖フランチェスコの下で手を広げている裸の男性は、聖人に救いを求めているのでしょうか? この人の存在が一番気になりました。

    画家はジャンバッティスタ・ベロッティで18世紀の作品です。

    この祭壇の下には、1127年にヴェローナで亡くなった隠者聖グァルファルドの聖遺物が収められています。

  • 主祭壇右側で、5つ並んだ後陣の一つであるキリストの受難の礼拝堂は、バロック様式で作り直されていました。祭壇画は右側1番目の礼拝堂と同じドメニコ・ブルサソルツィの作。16世紀。

    主祭壇右側で、5つ並んだ後陣の一つであるキリストの受難の礼拝堂は、バロック様式で作り直されていました。祭壇画は右側1番目の礼拝堂と同じドメニコ・ブルサソルツィの作。16世紀。

  • 翼廊にあるアリギエーリ礼拝堂には、ダンテの子孫の墓がありました。彼は生涯独身かと勝手に思っておりましたが、違ったんだぁ!<br /><br />1548年から58年にかけて造られたもので、ダンテ・アリギエーリの血を引く最後の子孫がここに眠っています。

    翼廊にあるアリギエーリ礼拝堂には、ダンテの子孫の墓がありました。彼は生涯独身かと勝手に思っておりましたが、違ったんだぁ!

    1548年から58年にかけて造られたもので、ダンテ・アリギエーリの血を引く最後の子孫がここに眠っています。

  • 祭壇画は「聖人たちといる聖母子」で、ジョヴァンニ・バッティスタ・デル・モーロの1547年の作品です。<br /><br />この上なくシンプルなところが気にいりました。

    祭壇画は「聖人たちといる聖母子」で、ジョヴァンニ・バッティスタ・デル・モーロの1547年の作品です。

    この上なくシンプルなところが気にいりました。

  • さて、ここからキエザ・インフェリオーレ 「下の教会」へと下りて行きます。ステップを25段ほど下ると、そこはもうロマネスクの世界です。

    さて、ここからキエザ・インフェリオーレ 「下の教会」へと下りて行きます。ステップを25段ほど下ると、そこはもうロマネスクの世界です。

  • 階段を下りたところは、墓石の上でした。どうしても踏むしかない状況。

    階段を下りたところは、墓石の上でした。どうしても踏むしかない状況。

  • 1階分以上階段を下りて来たというのに、外には古いキオストロが同じ高さの場所に続いていました。生憎鍵がかかっていてキオストロを回ることができませんでしたが、ここには14世紀初頭のフレスコ画が多く残されていたのだそうです。<br /><br />不完全ながら彫像も沢山あって、歩いて回ってみたかった回廊でした。

    1階分以上階段を下りて来たというのに、外には古いキオストロが同じ高さの場所に続いていました。生憎鍵がかかっていてキオストロを回ることができませんでしたが、ここには14世紀初頭のフレスコ画が多く残されていたのだそうです。

    不完全ながら彫像も沢山あって、歩いて回ってみたかった回廊でした。

  • 更に階段は下へと続きます。現教会の翼廊から2階分はたっぷり下りたと思います。

    更に階段は下へと続きます。現教会の翼廊から2階分はたっぷり下りたと思います。

  • 下の教会にやって参りました。1065年まで遡るロマネスク様式の建築です。ラテン十字形をしていて、3列の列柱によってアーチが築かれています。<br /><br />そしてすべての石柱には、フレスコが描かれていました。これぞロマネスクというシンプルでいて豪華なインテリアです。

    下の教会にやって参りました。1065年まで遡るロマネスク様式の建築です。ラテン十字形をしていて、3列の列柱によってアーチが築かれています。

    そしてすべての石柱には、フレスコが描かれていました。これぞロマネスクというシンプルでいて豪華なインテリアです。

  • 下の教会のヴォールト天井です。赤い絵の具で描かれた6枚の花びらのようなマークがあちこちで見られました。これは、最初に教会を運営した修道会ベネディクト会の教義で、「救世主」を表わすのだそうです。<br /><br />フレスコは12世紀から14世紀にかけて描かれたものです。

    下の教会のヴォールト天井です。赤い絵の具で描かれた6枚の花びらのようなマークがあちこちで見られました。これは、最初に教会を運営した修道会ベネディクト会の教義で、「救世主」を表わすのだそうです。

    フレスコは12世紀から14世紀にかけて描かれたものです。

  • もう一度。身廊後ろ側から主祭壇方面を臨みます。

    もう一度。身廊後ろ側から主祭壇方面を臨みます。

  • フレスコの下の方が剥げているのは、アディジェ川の氾濫によるものだそうです。

    フレスコの下の方が剥げているのは、アディジェ川の氾濫によるものだそうです。

  • 神の子羊ならぬ神の子馬でしょうか? 羊には見えないんだけれど・・・

    神の子羊ならぬ神の子馬でしょうか? 羊には見えないんだけれど・・・

  • フレスコの作者はわかっていませんが、顔、特に目鼻の描き方が独特です。これは聖母子ですね。

    フレスコの作者はわかっていませんが、顔、特に目鼻の描き方が独特です。これは聖母子ですね。

  • 薄暗いせいか、ピントが定まらない写真ばかり(泣)・・・

    薄暗いせいか、ピントが定まらない写真ばかり(泣)・・・

  • 中央よりやや右側の柱に有名な「キリストの洗礼」がありました。これは13世紀の作と言われています。

    中央よりやや右側の柱に有名な「キリストの洗礼」がありました。これは13世紀の作と言われています。

  • アップの仕方がまずいけれどご容赦。

    アップの仕方がまずいけれどご容赦。

  • 柱やヴォールトの付け根には、赤い絵の具で描かれた幾何学模様(唐草またはアガンサス?)も残っていました。トルコやギリシャの原始キリスト教教会、岩窟教会等で見かけるような文様ですね。

    柱やヴォールトの付け根には、赤い絵の具で描かれた幾何学模様(唐草またはアガンサス?)も残っていました。トルコやギリシャの原始キリスト教教会、岩窟教会等で見かけるような文様ですね。

  • こちらの80cm×46cmのギリシャ製の大理石のスラブは、304年聖フェルモと聖ルスティーコが城壁の外、アディジェ川のほとりで殉教した際の伝説のリマインダー(一説によると、彼らの首をはねた石?)と言われています。450年頃、二人を偲んで、この場所に最初の教会が建てられたのでした。<br /><br />雑多なもの、なんとバケツまで一緒に置かれているところが気にくわないなあ・・・

    こちらの80cm×46cmのギリシャ製の大理石のスラブは、304年聖フェルモと聖ルスティーコが城壁の外、アディジェ川のほとりで殉教した際の伝説のリマインダー(一説によると、彼らの首をはねた石?)と言われています。450年頃、二人を偲んで、この場所に最初の教会が建てられたのでした。

    雑多なもの、なんとバケツまで一緒に置かれているところが気にくわないなあ・・・

  • もう1枚スラブ発見!

    もう1枚スラブ発見!

  • 地下教会の主祭壇です。本物のヤシの木が植えられていて、そこだけ明るく、南国モードでした。

    地下教会の主祭壇です。本物のヤシの木が植えられていて、そこだけ明るく、南国モードでした。

  • 中央の十字架は14世紀製。素晴らしい出来なのだそうですが、相変わらず磔図は苦手。

    中央の十字架は14世紀製。素晴らしい出来なのだそうですが、相変わらず磔図は苦手。

  • 文様の中には、フランスの百合のシンボル フルール・ド・リもありました。多くの聖人達はユリの花を伴って描かれるので、このシンボルは宗教的、政治的、芸術的、象徴的なものとして多く用いられています。<br /><br />フレスコを求めて、反対側から写真を撮りまくりましたが、いずれもピンボケ! 諦めてそろそろ、上の世界へと戻ることにしましょうか。

    文様の中には、フランスの百合のシンボル フルール・ド・リもありました。多くの聖人達はユリの花を伴って描かれるので、このシンボルは宗教的、政治的、芸術的、象徴的なものとして多く用いられています。

    フレスコを求めて、反対側から写真を撮りまくりましたが、いずれもピンボケ! 諦めてそろそろ、上の世界へと戻ることにしましょうか。

  • 上の教会の主祭壇まで戻ってまりましたよ。祭壇の手前にはご覧の、ドゥオモと同様の半円形をしたアーチがありました。1573年にサンミケーリが制作したものを元に作られたものです。<br /><br />主祭壇と両脇の二つの礼拝堂を跨ぐように、大きな勝利の門(凱旋門)があって、向かって左上には「聖母戴冠」、右上には「東方三博士の礼拝」が描かれていました。これらは、ロレンツォ・ヴェネツィアーノの14世紀の作品。三角形の一番天井に近い場所には、天の父なる神がいましたよ。

    上の教会の主祭壇まで戻ってまりましたよ。祭壇の手前にはご覧の、ドゥオモと同様の半円形をしたアーチがありました。1573年にサンミケーリが制作したものを元に作られたものです。

    主祭壇と両脇の二つの礼拝堂を跨ぐように、大きな勝利の門(凱旋門)があって、向かって左上には「聖母戴冠」、右上には「東方三博士の礼拝」が描かれていました。これらは、ロレンツォ・ヴェネツィアーノの14世紀の作品。三角形の一番天井に近い場所には、天の父なる神がいましたよ。

  • 主祭壇は1759年にジュゼッペ・アントニオ・シアヴィによって再建されました。聖フェルモと聖ルスティーコの聖遺物は、アンティークの櫃に入れられ、祭壇下に収納されています。<br /><br />ヴォールトには聖母、洗礼者聖ヨハネ、聖フェルモ、聖ルスティーコを従えた救世主のフレスコが見えました。その上のクロスヴォールトには、福音記者達のシンボルが燦然と輝いています。これらのフレスコは1312年から20年頃に救世主の工房によって描かれたとされています。<br /><br />

    主祭壇は1759年にジュゼッペ・アントニオ・シアヴィによって再建されました。聖フェルモと聖ルスティーコの聖遺物は、アンティークの櫃に入れられ、祭壇下に収納されています。

    ヴォールトには聖母、洗礼者聖ヨハネ、聖フェルモ、聖ルスティーコを従えた救世主のフレスコが見えました。その上のクロスヴォールトには、福音記者達のシンボルが燦然と輝いています。これらのフレスコは1312年から20年頃に救世主の工房によって描かれたとされています。

  • 祭壇上の聖人たち。聖フェルモと聖ルスティーコはどちら?

    祭壇上の聖人たち。聖フェルモと聖ルスティーコはどちら?

  • 主祭壇左隣は、パドヴァの聖アントニオに捧げる礼拝堂です。いつものように、幼子キリストを抱いたアントニオの像が目印になっていました。

    主祭壇左隣は、パドヴァの聖アントニオに捧げる礼拝堂です。いつものように、幼子キリストを抱いたアントニオの像が目印になっていました。

  • 礼拝堂は一風変わっていて、フレスコの祭壇画の他に何枚もの絵画がご覧のように吊り下げられていました。2004年に壁を覆っていた大理石の中から何枚かのフレスコ画が発見され、その中に1340年から50年頃に描かれた一連の聖アントニオに捧げる絵画があったと解説板には書かれていましたが、その発見されたフレスコを生かして、それまであった祭壇画及びその他の絵画を吊り下げているようです。<br /><br /><br />現行の祭壇画に向かって左側に吊り下げられているのが、リベラーレ・ダ・ヴェローナによる元々の祭壇画「聖アウグスティウスと聖ニコラと一緒にいる聖アントニオ」のはずですが、わかりにくい展示で、その場では訳が分からず戸惑ってしまいました。

    礼拝堂は一風変わっていて、フレスコの祭壇画の他に何枚もの絵画がご覧のように吊り下げられていました。2004年に壁を覆っていた大理石の中から何枚かのフレスコ画が発見され、その中に1340年から50年頃に描かれた一連の聖アントニオに捧げる絵画があったと解説板には書かれていましたが、その発見されたフレスコを生かして、それまであった祭壇画及びその他の絵画を吊り下げているようです。


    現行の祭壇画に向かって左側に吊り下げられているのが、リベラーレ・ダ・ヴェローナによる元々の祭壇画「聖アウグスティウスと聖ニコラと一緒にいる聖アントニオ」のはずですが、わかりにくい展示で、その場では訳が分からず戸惑ってしまいました。

  • 左翼廊付近、5つある後陣の一つに置かれていた幼子を抱く彫像はどなたでしょう? <br /><br />彫像の右隣りにある白鳩が沢山描かれているフレスコがことさらに美しい。ここにあるフレスコは「聖フランチェスコの生涯」をテーマにしていると書いてあったので、ひょっとして「小鳥への説教」かしら???

    左翼廊付近、5つある後陣の一つに置かれていた幼子を抱く彫像はどなたでしょう? 

    彫像の右隣りにある白鳩が沢山描かれているフレスコがことさらに美しい。ここにあるフレスコは「聖フランチェスコの生涯」をテーマにしていると書いてあったので、ひょっとして「小鳥への説教」かしら???

  • この教会で最も美しい祭壇画は、聖ヨセフの礼拝堂にあるこちらの「聖誕」。ヴェローナ生まれの初期バロック期の巨匠アレッサンドロ・トゥルキの作品です。<br /><br />なんてかわいい赤ん坊でしょう! そして赤ん坊を見つめる人々の眼差しがなんて希望に溢れているのでしょう! 左側手前のオレンジの衣を身に着けているのが聖ヨセフでしょうか。

    イチオシ

    この教会で最も美しい祭壇画は、聖ヨセフの礼拝堂にあるこちらの「聖誕」。ヴェローナ生まれの初期バロック期の巨匠アレッサンドロ・トゥルキの作品です。

    なんてかわいい赤ん坊でしょう! そして赤ん坊を見つめる人々の眼差しがなんて希望に溢れているのでしょう! 左側手前のオレンジの衣を身に着けているのが聖ヨセフでしょうか。

  • 身廊内に置かれた端正な顔立ちの、少し肌が黒い聖母像。豪華な金糸の縁飾りがついた衣装も素敵です。

    身廊内に置かれた端正な顔立ちの、少し肌が黒い聖母像。豪華な金糸の縁飾りがついた衣装も素敵です。

  • ここは左側で一番広いマドンナの礼拝堂のはずなんですが・・・<br /><br />色々な催しが行われている教会では、1972年ボローニャ生まれの芸術家ニコラ・ナンニーニ氏の「ゴーレム」が展示されていました。何故ここに? とまたまた戸惑うばかり。<br /><br />調べてみたら、ゴーレムとはもともとヘブライ語で、「形なき物」。後に、作った主人の命令だけを忠実に実行する召使のような存在という意味を持ちました。教会とは全く関係ないと思っていたけれど、ユダヤ教では神が大地からアダムを生み出す前の「胎児」を指すそうなので、つながりがあるのかもしれませんね。<br /><br />でもあなた合わないよ。この場所には!<br /><br />おかげで、背後の絵画を見損なってしまいました。

    ここは左側で一番広いマドンナの礼拝堂のはずなんですが・・・

    色々な催しが行われている教会では、1972年ボローニャ生まれの芸術家ニコラ・ナンニーニ氏の「ゴーレム」が展示されていました。何故ここに? とまたまた戸惑うばかり。

    調べてみたら、ゴーレムとはもともとヘブライ語で、「形なき物」。後に、作った主人の命令だけを忠実に実行する召使のような存在という意味を持ちました。教会とは全く関係ないと思っていたけれど、ユダヤ教では神が大地からアダムを生み出す前の「胎児」を指すそうなので、つながりがあるのかもしれませんね。

    でもあなた合わないよ。この場所には!

    おかげで、背後の絵画を見損なってしまいました。

  • ゴーレムとは全く無関係の穏やかな天井です。真ん中の絵がないのが気にかかりました。

    ゴーレムとは全く無関係の穏やかな天井です。真ん中の絵がないのが気にかかりました。

  • 教会通用口の上には、素晴らしいフレスコの「磔」場面が残されていました。テゥローネ・ディ・マキシオによる1363年の作品です。力なく立ち尽くす聖母と彼女を力強く支える聖ヨハネ、一心に祈りを捧げるマグダラのマリア、福音書に記述されている通り、キリストが死んだのを確認するために、脇腹を槍で突く兵士等、リアリティ溢れる傑作に仕上がっていました。<br /><br />テュローネに関してはあまり多くの作品が残っておらず、この作品が彼のマスターワークと評する人もいます。

    イチオシ

    教会通用口の上には、素晴らしいフレスコの「磔」場面が残されていました。テゥローネ・ディ・マキシオによる1363年の作品です。力なく立ち尽くす聖母と彼女を力強く支える聖ヨハネ、一心に祈りを捧げるマグダラのマリア、福音書に記述されている通り、キリストが死んだのを確認するために、脇腹を槍で突く兵士等、リアリティ溢れる傑作に仕上がっていました。

    テュローネに関してはあまり多くの作品が残っておらず、この作品が彼のマスターワークと評する人もいます。

  • こちらが聖フェルモ・マッジョーレ教会最後の祭壇。バーリの聖ニコラに捧げられたもので、テュローネのフレスコとはこういう位置関係にあります。

    こちらが聖フェルモ・マッジョーレ教会最後の祭壇。バーリの聖ニコラに捧げられたもので、テュローネのフレスコとはこういう位置関係にあります。

  • 聖ニコラの祭壇は1535年に建てられました。祭壇画の中で、聖ニコラは海運の守護聖人として崇められています。下方には聖アウグスティヌスと修道士の祖 大アントニウスの姿がありました。こちらもジョヴァンニ・バッティスタ・デル・モーロの作品です。<br /><br />この祭壇、祭壇画よりその周りのアーチ部分に描かれた美神像に魅せられてしまいました。

    聖ニコラの祭壇は1535年に建てられました。祭壇画の中で、聖ニコラは海運の守護聖人として崇められています。下方には聖アウグスティヌスと修道士の祖 大アントニウスの姿がありました。こちらもジョヴァンニ・バッティスタ・デル・モーロの作品です。

    この祭壇、祭壇画よりその周りのアーチ部分に描かれた美神像に魅せられてしまいました。

  • 左側一番入口に近い場所にあったのは、ニコラス・ブレンツォーニの葬送記念碑です。1426年の作品で、彫刻部分はフィレンツェの彫刻家ナンニ・ディ・バルトーロ、フレスコ部分はピサネッロがそれぞれ担当しました。<br /><br />ドゥカーレの記念碑にもよく使われるモチーフが多く採用されていて、ヴェネツィア風の記念碑に仕上がっています。<br /><br />記念碑では、石棺が天使により開けられ、キリストの復活が展開しています。石棺の前では4人の警備兵が岩の上で眠りこけています。キリストの両脇にはドレープをテントのような形に持ち上げる天使達。そしてキャノピーの上、最も高いところには主の姿がありました。<br /><br />こちらには、このひとまとまりの彫像群を囲む額縁が備わっていて、その中では、受胎告知が行われていました。マリアの足元に白い犬発見!<br /><br />主の背後にはフレスコでゴシック風の宮殿、そしてその左右に2本の尖塔が描かれていて、中に控えているのは大天使ミケーレとラファエルです。<br /><br />何と見事な構図なのでしょう! 額縁の中でドラマは今もって進行中。出演者たちを乗せたドラマセットは、穏やかな海を進む船のようにも見えました。ブラボー!!

    イチオシ

    左側一番入口に近い場所にあったのは、ニコラス・ブレンツォーニの葬送記念碑です。1426年の作品で、彫刻部分はフィレンツェの彫刻家ナンニ・ディ・バルトーロ、フレスコ部分はピサネッロがそれぞれ担当しました。

    ドゥカーレの記念碑にもよく使われるモチーフが多く採用されていて、ヴェネツィア風の記念碑に仕上がっています。

    記念碑では、石棺が天使により開けられ、キリストの復活が展開しています。石棺の前では4人の警備兵が岩の上で眠りこけています。キリストの両脇にはドレープをテントのような形に持ち上げる天使達。そしてキャノピーの上、最も高いところには主の姿がありました。

    こちらには、このひとまとまりの彫像群を囲む額縁が備わっていて、その中では、受胎告知が行われていました。マリアの足元に白い犬発見!

    主の背後にはフレスコでゴシック風の宮殿、そしてその左右に2本の尖塔が描かれていて、中に控えているのは大天使ミケーレとラファエルです。

    何と見事な構図なのでしょう! 額縁の中でドラマは今もって進行中。出演者たちを乗せたドラマセットは、穏やかな海を進む船のようにも見えました。ブラボー!!

  • お終いはカウンターファサードに残る磔のフレスコです。4枚上のフレスコの作者、テュローネ・ディ・マキシオあるいは彼の工房の作品で、上の作品と同じ14世紀後半に描かれたようです。<br /><br />十字架の左側で跪いている黒い兵士のような人物が謎めいています。左端の全裸の男性洗礼者聖ヨハネ?の体を蛇がうねっているのも大変不思議。キリスト教で蛇は悪魔の象徴であり狡猾さの象徴であるだけに、何かを語っているのでしょうね。

    お終いはカウンターファサードに残る磔のフレスコです。4枚上のフレスコの作者、テュローネ・ディ・マキシオあるいは彼の工房の作品で、上の作品と同じ14世紀後半に描かれたようです。

    十字架の左側で跪いている黒い兵士のような人物が謎めいています。左端の全裸の男性洗礼者聖ヨハネ?の体を蛇がうねっているのも大変不思議。キリスト教で蛇は悪魔の象徴であり狡猾さの象徴であるだけに、何かを語っているのでしょうね。

  • ふぅ、ヴェロナ終わってしまいました。<br /><br />時間が全然足りなくて、観光案内所の人に勧められた聖ツェーノ教会とスカラ家の居城で、現在は博物館になっているカステルヴェッキオは、次回までお預けです。いつものことだけれど、後ろ髪が曳かれる思いです。

    ふぅ、ヴェロナ終わってしまいました。

    時間が全然足りなくて、観光案内所の人に勧められた聖ツェーノ教会とスカラ家の居城で、現在は博物館になっているカステルヴェッキオは、次回までお預けです。いつものことだけれど、後ろ髪が曳かれる思いです。

  • 少々疲れていたので、駅までバスに乗ってしまいました。明日はヴァレンティーナの故郷バッサーノ・デル・グラッパまで足を伸ばすつもりだったけれど、ゆっくりヴィチェンツァで骨休めしようかなあ・・・とちょっと弱気。<br /><br />この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その90 ヴィチェンツァ4で!<br /><br />多分これが本年最後になります。皆さま良いお年をお迎えくださいね。

    少々疲れていたので、駅までバスに乗ってしまいました。明日はヴァレンティーナの故郷バッサーノ・デル・グラッパまで足を伸ばすつもりだったけれど、ゆっくりヴィチェンツァで骨休めしようかなあ・・・とちょっと弱気。

    この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その90 ヴィチェンツァ4で!

    多分これが本年最後になります。皆さま良いお年をお迎えくださいね。

この旅行記のタグ

関連タグ

51いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • マリアンヌさん 2017/01/02 23:29:52
    見どころ溢れるヴェローナ
    junemayさん、あけましておめでとうございます!

    年末バタバタして4トラをゆっくり覗けず、今日は時間ができました。
    今年も私の行けない旅に連れて行って下さいね。

    しかしヴェローナは、見どころいっぱいですね。
    パルマもそうでしたが地図などを見ずに漠然と拝見してるので、あまりに教会が多くて…

    そしてjunemayさんの解説、いつもながら凄すぎます!
    いつか行けるかわかりませんが、ヴェローナに行く時、またじっくり読ませていただき、セレクトの参考にさせていただきます。(私はこんなにたくさんは廻れないと思うので)

    聖エレーナ教会、聖ヨハネの洗礼堂や聖フェルモ・マッジョーレ教会の地下教会など古い時代のものに心惹かれます。
    よく残っていますね。タイムスリップしちゃいそう。

    今年もよろしくお願いします。
    マリアンヌ

    junemay

    junemayさん からの返信 2017/01/03 10:52:02
    RE: 見どころ溢れるヴェローナ
    マリアンヌさん
    あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。


    お正月は離れて暮らす家族も集まり、おさんどんに明け暮れています。明日になったら元の生活に戻れるかな?

    ヴェローナは資料がたくさんあったので、思い出すのに苦労はしなかったのですが、この後のヴィチェンツァは、記憶がかすかになっていて、書くことがあまりありません。でも最終日のミラノは大変濃密な思い出が残っていますので、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

    私もあまり予定をきっちりとたてずに、思い付きで行動するタイプなので、どうしても詰めが甘いと自分でも思います。でも、思わぬ幸運に出くわすこともあるので、今年もこの方法でうろつくことになりそうです。

    マリアンヌさんの素敵なコメントを励みに、欲張りな旅を完結させたいと願っています。まだまだ書きたい旅が残っているけれど、時間は待ってはくれないので、旅をしながら少しずつマイペースで書き進みたいと思っています。退屈を感じたことがない私の人生、なかなかです。

    junemay



    > junemayさん、あけましておめでとうございます!
    >
    > 年末バタバタして4トラをゆっくり覗けず、今日は時間ができました。
    > 今年も私の行けない旅に連れて行って下さいね。
    >
    > しかしヴェローナは、見どころいっぱいですね。
    > パルマもそうでしたが地図などを見ずに漠然と拝見してるので、あまりに教会が多くて…
    >
    > そしてjunemayさんの解説、いつもながら凄すぎます!
    > いつか行けるかわかりませんが、ヴェローナに行く時、またじっくり読ませていただき、セレクトの参考にさせていただきます。(私はこんなにたくさんは廻れないと思うので)
    >
    > 聖エレーナ教会、聖ヨハネの洗礼堂や聖フェルモ・マッジョーレ教会の地下教会など古い時代のものに心惹かれます。
    > よく残っていますね。タイムスリップしちゃいそう。
    >
    > 今年もよろしくお願いします。
    > マリアンヌ

junemayさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

イタリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
イタリア最安 187円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

イタリアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP