2015/06/04 - 2015/06/04
5位(同エリア71件中)
junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
明けましておめでとうございます。2015年の旅がまだ続きますが、今年もよろしくお願いいたします。
イタリアの旅も早1か月。流石にくたびれて来ました。今日はバッサーノ・デル・グラッパまで行こうと思っていたけれど、どうやら少し骨休めした方が良いみたい・・・と朝はそう思ったのですが、結局のところはいつもと変わらぬ、いや、いつも以上に、ひたすら歩いた1日になりました。ヴィチェンツァとその郊外をゆっくり味わえて、思い出深い1日となりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日はゆっくり起きて、ヴィチェンツァ駅前から8番のバスに乗り、パッラーディオの傑作ラ・ロトンダを見に行きます。バスの運転手さんにLa Rotondaで降りたいと伝えておいたら、バス停をちゃんと教えてくれました。
これから先は全くもって何にも分かりません。地図ないし、スマホないし、聞こうにも、だーれも歩いていません。郊外の方が立派なお屋敷が目につきます。緩やかな坂道のロトンダ通りを上っていくと・・・ -
右側に、如何にもパッラーディオ風の立派な邸宅が!
と思ったのですが、実はこの邸宅の対面が、目指すラ・ロトンダでした。正式名をヴィッラ・アルメリコ・カプラ・ヴァルマラーナと言います。
1565年にヴァティカンを引退した司教パオロ・アルメリコが故郷ヴィチェンツァ近郊に家を建てたいと欲し、パッラーディオが設計を行ったのが始まり。彼は1566年にここの設計を行い、67年から工事が始まりましたが、パッラーディオの死により未完成に終わっています。引退した司教も完成を見ることはなかったそうです。
その後家はオドリコとマルコのカプラ兄弟の手に渡り、彼らが依頼したパッラーディオの弟子スカモッティが1592年にヴィッラを完成させています。ヴァルマラーナというのは、ヴィチェンツァの貴族の家系で、現在の所有者はその末裔だそうです。 -
こちらが、ロトンダの表門です。入口にいる女性に入場料を払っていざ中へ。
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じゃーん 見えて来ましたよ。ヴィッラというのは、門からすぐの所にはありませんよね。少なくとも50mから100mのアプローチが必要。誰も歩いて家に向かうなんてことは考えなかったんですね。また、高台の、ギリシャ神殿はたまたパンテオンのような荘厳なお屋敷へ向かうに相応しい、絶妙なスロープが用意されていました。
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生憎逆光でした。この位置からでないと、中央の丸い屋根がうまく写らないので、構図は悪いですが1枚! このアプローチも、前述のカプラ兄弟が建設させたものだそうですよ。
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門からのアプローチを振り返ったところです。ちょうど門の正面に、先ほどのお向かいのヴィッラが臨めるように設計したのかしら? あまりに出来過ぎです。
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立方体と球の組み合わせで構成された、シンメトリーな建物が姿を現しましたよ。ヴィッラの中央部分はパンテオン同様球形。その球に立方体を押し込み、更にその外側の面に4つの四角形を出っ張らせたようなイメージですね。
4つの面には、長い階段を上った先にポルティコのある神殿風ファサードがあり、それぞれの中央扉からは球形のホールへの廊下が伸びています。
内部の公開は水曜と土曜のみ。今日は木曜のため、外側からの見学しかできませんでした。 -
パッラディオ設計の宮殿には必須の彫像は、それぞれの面のファサードのペディメント部分に3人、階段の両脇に2人ずつ立っていました。その他にも、庭のあちこちにこのようなニッチェ、塀が回され、彫像が置かれていました。
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建物の立方体部分の4つの角は、東西南北をきっちり指しているのだそうですよ。この角は西の方角です。つまり、建物の各ファサードは北西、南西、南東、北東の方角を向いていて、どの部屋にも日差しが入るよう工夫してあるのです。
司教アルメリコは、ここを農業拠点としてのヴィッラとしての利用より、邸宅としての機能を重んじたようです。 -
もう少し近づくと、シンプルで力強い建物のフロアーごとの構造が良く分かります。1階は家事や様々な仕事部屋に使われていました。メインフロア(ピアノ・ノビーレ)である2階は天井が高く作られていますね。そしてその上は屋根裏(アティック)になっています。
建物の南側は敷地ギリギリのところまで階段が迫っていて、通路が大変狭くなっていました。土地の中央に建物を建てたのではなく、核となるクーポラをベストポジションを置いた結果なのでしょう。 -
これは花のモニュメント?
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ファサードのポルティコは6本のイオニア式円柱とそれが支えるペディメントから構成されています。柱の根元が若干上部より太く見えるのは目の錯覚かしら?
柱は石造りに見えますが、実はレンガを石膏で固めたものです。勿論、柱の土台と柱頭、階段、コーニス、扉や窓の枠には石が使われていました。建材については、午後訪れるパッラーディオ博物館で学ぶことが出来ました。 -
変わり映えしないように見えますが、こちらは東の角です。
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塀越しに、なだらかなヴィチェンツァ郊外の景色を愛でることが出来ます。こんなプロムナードが南側を除いて、続いていました。
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北東方向のファサードをもう一度。
ロトンダは1557年の工事開始から2年後の1569年には、未完成ではあったものの、住むことは可能であったと言われています。ロレンツォ・ルビーニが制作した彫像群は、1570年に設置されたことが、パッラディオ自身が遺した記録から判明しています。 -
ぐるっと一周して、メインファサードに戻ってきました。この方向からが、やはり一番ロトンダの雰囲気を伝えることができそうです。シンメトリーながら、実際には各ファサードで少しずつ地形に合わせて長さや角度が調整されていると聞きました。
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最後に、中央の球形のクーポラが見える位置まで下がって、もう1枚。やはり少し見上げる角度からが、建物が一番美しく輝くように思えます。
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パッラディオが亡くなって500年。この建物が世界の建築家に及ぼした影響は計り知れないものがあります。アメリカ第3代大統領のトーマス・ジェファーソンが、ホワイト・ハウスの設計コンテストに、ロトンダをモデルとした設計案を作って匿名で応募したのは、有名な話です。結局ほかの人の案で決まったのですが、それもパッラーディオ様式でした。
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ヴィッラの入り口に相応しい、ガーコ達の石像。
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花のアプローチに沿って、平屋、途中から2階屋になる、不思議な建物が続いていました。農作業小屋だと思われますが、この建物の屋根にも彫像が置かれていましたよ。納屋には見えない格調の高さです。
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お向かいの邸宅が、まるでジグソウパズルのようにぴったりと収まっていますねえ。
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6ユーロの入場料を払わないで、門から写真を撮る観光客もいました。確かに建物の中に入れないのに、6ユーロは高いかも。
さて、これからどうしましょう? 昨晩地図で確認したら、ヴィチェンツァ初日に訪れた市立美術館で見た、モンテ・ベリコにある聖母聖堂までそう遠くはないので、折角の良いお天気、ハイキング気分で歩いていきましょうか?
というわけで、地図も持たないで、モンテ・ベリコの丘を目指すことにします。まずは、チケット売り場の女性に尋ねて、最初の経由地ヴィッラ・ヴァルマラーナ・ナーニを目指します。 -
教えられた通り、モンテベリコの丘に至る坂道を上り始めて数分で、素敵なヴィッラが見えて来ましたよ。静かでゴミ一つ落ちていない通りの名前はvia dei nani 小人通りですって。「私道」と書かれています。
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ロトンダの持ち主とは別の家ですが、やはりヴァルマラーナ一族のヴィッラで、「小人のヴァルマラーナ」と書いてありました。
奥に見える最初の建物は1670年に完成。その後農具小屋や馬小屋、ゲストハウス等が整備されていった典型的なヴェネツィア風ヴィッラです。とはいえ、ロトンダと同様、農家というよりは居住用に重きが置かれている、パラッツォに近い存在ですね。 -
玄関わきの建物(かつての馬小屋? 車庫?)のニッチェにひっそりと立つ彫像です。
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1720年に屋敷はヴァルマラーナ一族の兄弟に売却され、それから300年。現在もヴァルマラーナ一族が所有、ここで生活を送っています。
1736年に当主だったジュスティーノ・ヴァルマラーナは、建築家フランチェスコ・ムットーニに改装を依頼。現在ある本館の三角形の切妻屋根、階段とポーチ、左奥に見える塔等はその時に造られたものです。 -
こじんまりとまとまっているヴィッラですね。親近感がわく大きさです。
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中央は黒い羽を持った天使?
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本館に向かって左側にあるのはゲストハウスとして使われた建物です。この建物のアーチの装飾もムットーニが行いました。
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このヴィッラの至宝は、なんといってもこちらのポスターにある、ジャンドメニコ・ティエポロのフレスコです。本館とゲストハウスの壁を埋め尽くすフレスコは1757年頃に描かれたもの。1944年、第二次大戦の際に焼夷弾を受け、天井の殆どが被災しましたが、幸い、フレスコには影響がありませんでした。一族は壁からフレスコを石膏ごと剥がし、安全な場所に保管。戦後に再度壁に戻したそうです。
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残念なことに、お昼休みの時間に当たっていたため(営業時間は10:00-12:30、15:00-18:00)、入場しそびれてしまいました。今回調べてみたら、神話の世界の他、教会で見るフレスコとは一味も二味も違った、ヴェネツィアの風俗が分かるようなもの、庶民や商人、外国人(中国人も)を描いたもの等があり、素晴らしい作品が多数ありました。
ううう・・・悔しい・・・ -
仕方がないので、門を出て、塀越しにトボトボ歩きます。塀の上の石像は何だろう? 見たことがないキャラクターばかり・・・というわけで調べてみたら、この石像たちがナーニ つまり小人たちでした。
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小人の石像は全部で17体あるそうです。かつては庭中に散らばっていたのを、塀の上に置いたということです。
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実はこれらの小人には、こんな伝説が隠されていました。昔このヴィッラにライアーナという当主の娘が住んでいました。彼女は小人症を患っていましたが、本人は自分の病気に気づいておらず、父親は娘を慮って、小人の召使を雇っていたのだそうです。
しかしある日、娘は門から入ってきた、ハンサムな王子様に一目ぼれ。自分の体が正常でないことに気づいた娘は、塔から飛び降り自殺してしまったのです。娘を失った深い悲しみは、小人たちを石に変え、今見る彫像になった という次第です。 -
どうです。ここでしか見られない石像ですよね。
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それぞれに愛嬌があって、面白い。
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ヴァルマラーナ邸本館の裏に広がる広大な庭園への門です。
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しつこいけれど、いつものように、全部アップしてしまおう。動物を抱いている?
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こちらは、よく見かける小人風。
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最高傑作なのが、こちらの石像。私はベートーヴェンとあだ名をつけてあげました。かつらが足元まで届いています。
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ひん曲がった口がユニーク!
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これはおばさん風?
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こちらで最後です。楽しかったぁー♪
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ドワーフ達が並ぶ塀の横の静かな道を進みます。本当に良い天気!
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道は上ったり下りたりを繰り返しながら、まだまだ続きます。
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高い塀の中は全てお金持ちのヴィッラかしら? ヴィチェンツァはヴェネト州でも有数の富豪の住まいが多いと聞いています。
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昼下がりのこの時間、人っ子一人歩いていません。今歩いているのはバスティアン通り。
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徐々に増えてきた沿道の住宅も瀟洒なものばかりです。
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アティックにロッジアのある家が多いなあ・・・
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ご覧のような古い塔のある家もありました。
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マッシモ・ダゼーリョ通りに出ると、急に視界が開けました。わぉー ヴィチェンツァが一望できます!!
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ヴィチェンツァのシンボル パッラディアーナ聖堂。圧倒的な存在感! その横にそびえるビッサーラ塔、右奥に見えるのは、サント・ステファノ教会のクーポラです。
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そして、ご覧のようなポルティコが遙かモンテ・ベリコの丘の上までずっと続いている場所に出て参りましたよ。ポルティコはここから右に折れ、6月10日大通りに沿ってずっと下までくの字型に続いています。
遙か先にモンテ・ベリコのサンクチュアリ 聖母聖堂が見えました。よっしゃー! ポルティコ沿いにあそこまで歩くとしましょう。 -
このポルティコを設計したのは、先ほどの「小人のヴァルマラーナ」で大規模改装を行った建築家のフランチェスコ・ムットーニ。1746年から34年かけて作られ、全長700m。150のアーチと15の礼拝堂から構成されています。
横向きに屋根のある部分が礼拝堂になっていますが、中は何もないがらんとした空間です。 -
イチオシ
丘の上のサンクチュアリは多くの巡礼者を集めます。緩やかなカーヴを描いたこの坂道は彼らにとって最後の試練の場。聖母が「あともう一歩ですよ」と彼らの耳元で囁いたかもしれません。
巡礼者は時に、このポルティコの中を膝だけを使って歩みを進めたそうです。ちょうどローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノにあったスカラ・サンタ(聖なる階段)のようなイメージですね。 -
礼拝堂は、10のアーチごとに1つずつ、規則正しく作られていました。ちょっと中を覗いてみましょう。
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坂道にあるので、屋根が斜めになっているのが分かりますね。
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礼拝堂の内部です。ルーネット部分にフレスコが描かれたのは19世紀末のことで、ヴィットリオ・ブレッサニンとヴィンチェンツォ・デ・ステファーニが担当しました。「ロザリオの秘蹟」がテーマになっています。
日本語では「ロザリオの祈り」と呼んでいるようです。受胎告知から始まり、キリスト再臨で終わる20の玄義を含んだ4つの神秘から成り立っています。 -
日陰を求めて、あえてポルティコの中を歩かず、道の反対側を上っていきました。
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ロトンダを出発して30分でモンテベリコの丘にある聖母聖堂に到着です。やったぜー。
サンクチュアリと書いてある場所は数多くありますが、適当な訳語が見つからない。聖域というよりは神社の方がしっくりきます。要は民間主導で建てられた聖母神社と呼んでも良いのではないかしら? -
伝説によれば、聖母は1426年と1428年の2回に渡り、この丘に出現しました。2回目の1428年は、ペストが大流行している最中でした。聖母はもし丘の上に教会を建てたならば、ペストを封じ込めることができると約束。そこで人々はわずか3か月間でこの地に会を建てたのだそうです。苦しい時の神頼み?
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現在の建物は、15世紀の最初のゴシック様式の教会を、後から17世紀に建てられたバロック様式の教会で覆ったというと、分かりやすいでしょうか? 1688年から1703年にかけて、建築家のカルロ・ボレッラによって造られました。パッラーディオも1578年から79年にかけて、教会の小規模な改装に関わっています。
ファサード上の聖人像や美徳の寓意像を彫刻したのはオラーチェ・マリナーリと彼の工房によるものです。 -
中央扉を挟んで聖ピエトロ、聖パオロの彫像が置かれています。ちょうどその時扉が開いて、中から人が出てきました。おっ 開いている。入れそう!
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と思ったのですが、中ではミサが進行中でした。途端に身動きできない状態に陥ってしまいました。どうしよう!!
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上の写真の中央上に見える八角形のステンドグラスには、地元の農婦ヴィンチェンツァの前に出現した時と思しき聖母の姿がありました。疫病の流行時には「慈悲の聖母」の姿が良く描かれたと聞きましたが、まさに善男善女を護ることができる大きなマントを身に着けています。
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暫くたつと、ミサは終わりましたが、人々はなかなかその場を去ろうとはしませんでした。仕方がない。異教徒の闖入者は、最初にもぐりこんだ位置から離れずに、辺りを観察。
正面が主祭壇のようです。その手前にある大きな「勝利の門」(凱旋門)には、ヴィチェンツァの商人たちがヴェネツィア派の画家に注文した大きな絵画がありました。暗いので、はっきり確認できませんでしたが、右側には当時のヴィチェンツァの市長フランチェスコ・グリマーニとその横にチャリティ、信仰、平和、希望を表す寓意像が描かれているそうです。 -
こちらの方が少しましかな。色は良く分かりますね。
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そして主祭壇にあったのは、こちらの聖母子です。彼女のマントに沢山の人々が入り、庇護を受けています。
彫像は1430年、ニコラ・ダ・ヴェネツィアの作。農婦ヴィンチェンツァ・パシーニが聖母の出現を目にしてからわずか2年後のことだったそうです。 -
少々傾いてしまいましたが、アップはこれが精一杯。信者の方の祈りを邪魔したくないので、これで御暇することにしましょう。
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ふぅ・・・もう少しゆっくり見たかったのですが、致し方ありません。宗教儀式の邪魔をしてはいけませんものね。思ったよりも小さな聖堂でしたが、その背後には鐘楼や赤い屋根の建物など、いくつかの付属施設があるようです。
現在は、マリアの下僕会の教会になっているようです。 -
聖母聖堂の前は大きな広場になっていました。
今では信じられなことですが、1920年まで聖堂の階段前には、大きな崖があって、、展望台からヴィチェンツァの景色を眺めることなんぞ、誰も考えてもみたことがなかったそうです。それが莫大な予算をかけて、12万立方mの土砂、岩が除かれ、現在の姿に変身したのだそう。まさか、景色を楽しむためだけじゃあないですよね。
「勝利の広場」は1924年9月23日に完成しました。 -
先ほど別の場所から眺めたけれど、折角だから覗いて行きましょう。ここから眺められるということは、町からもここを見上げることができるっということですね!
意外に近いと思ったのは、左手前に見える鉄道駅です。 -
ほらっ ちょうど列車が到着しましたよ。この距離なら、十分歩いて降りることができそうです。
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パッラーディオ聖堂から左に目を移すと、もう一つ緑の屋根が見えますね。あれがヴィチェンツァのドゥオモです。
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晴れた日には、ドモミテを始めとするアルプスの姿が見えるそうですが、今日はこんなに良い天気にもかかわらず、遠くの山は見えませんでした。がっくし!
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聖母聖堂から広場を突っ切って、右側に歩いていくと、・・・
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座ってくつろげるスペースが広がっていました。皆思い思いの飲み物やジェラートを購入して、景色を楽しんでいます。暫しここで休憩。うたた寝したくなるような気持ちの良い天気です。
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可愛いスズメまで遊びに来ましたよ。お腹すいているのかなあ・・・そう言えば、私もお腹すいたなあ・・・
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というわけで、重い腰を上げます。向こうの神殿のような建物には何があるんでしょう?
なんと、中はAl Pellegrissoというレストランになっていました。渡りに船です。 -
展望台に向けて撮った1枚です。
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中は意外にカジュアルなレストランでした。
メニューはチョイスが可能です。
こちらはPasta con Salamelle。蹄鉄のような形のパスタとサラミの組み合わせ。 -
そして、Baccala alla Vicentina ヴィチェンツァ風バカラです。たっぷり盛られた黄色いものは、トウモロコシのマッシュで、確かポレンタ(コーンミールをノリ状に煮た付け合わせ)という名前でしたね。
残念ながら、ヴィチェンツァ初日に食べたイル・チェッポのバカラには程遠いお味でしたが、今日は予定がない分、ゆっくりと食事を楽しめたので良しとするかぁ! -
食事の後は、ゆっくりとポルティコを下りて行きます。中は緩やかなスロープになっています。前を行く、黒い服を着た青年と少し話をしました。左半身麻痺で杖をつきながら、ポルティコを何回も往復してトレーニングに励んでいました。
彼はモルドヴァ出身で、26歳。スポーツ(なんのスポーツだかわからない所が哀しい・・・)の最中に、脊髄損傷の事故に会ったそうです。頑張ってね!と声援を送ったけれど、彼が理解できるのはイタリア語、ルーマニア語、ロシア語。殆ど会話になりませんでした。 -
さあ、モンテベリコともお別れです。
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受胎告知の礼拝堂です。このフレスコから始まっていたんだっけ? 思い出せない・・・
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下る方は簡単ですが、このスロープを膝をついて上ってきた巡礼者たちにとっては、長い道のりだったに違いありません。
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くの字にカーヴするところにキリストの礼拝堂があったということですが、取り立てて変わった要素はなかったと記憶。延々とポルティコが続くのみでした。
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彫像が乗った立派な門(中に家はない)が見えてくると、ポルティコも終点になります。
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こちらが終点というか、始まりです。ボローニャにあるサン・ルカのサンクチュアリに続くポルティコはこれよりはるかに長く、世界一を誇ります。なんと3.5km。666個のアーケードがあるそうですよ。次回は是非そちらに挑戦したいと思いました。結構退屈だというコメントもちらほらでしたよ。
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途中で見つけた「カミーノ・フォガッツァーロ・ロイ」への標識です。云わば、ベネト州版自然歩道のような存在。丘あり谷ありで、豊かな自然を愛でながら、自分のペースで歩ける道だそうです。町歩きに疲れたら、これもありですね。
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鉄道の線路を超えて、市街地に戻って参りましたよ。美しいアーチと錬鉄製のバルコニーの柵にうっとりのお屋敷です。
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ダルマツィア通りを進むと、バッキリオーネ川の支流レトロネ川を渡ります。川の上流の古い橋越しに、パッラーディオ聖堂とビッサーラ塔が見えましたよ。
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旧市街に近づくと、興味深い家が増えて来ます。早速見つけましたよ。左から2軒目はパラッツォ・アルナルディ・トレッティ。15世紀末の建造で、建築家ロレンツォ・ダ・ボローニャが建てた比較的小さな邸宅です。ヴィチェンツァ初日に訪れたサンタ・クロナ聖堂の主祭壇が彼の作でしたね。
上の階の4連窓が素敵! -
ファサードの表面の装飾がユニークですね。ヴィチェンツァ郊外のナントで取れた赤石がダイヤモンド型に模様を描いています。
門は赤の大理石製。恐らくヴェローナ産。ルネサンスの香りがプンプンしますよ。 -
誰も入っていいよ と言わないけれど、門が開いているので、ちょっとだけお邪魔しちゃいます。
ご覧下さい! 通路はバレルアーチ型のヴォールトを持つアトリウムとなっていました。なんて優雅なんでしょう!!! -
そして、恐る恐る入ったアトリウムの奥には、美しいフォームの階段がありましたよ。
悪いことしていないのに、心臓がバッコンバッコン。ランプシェードも素敵! -
現在は共同住宅になっているみたいです。こういう建物と出くわすから、町歩きはやめられません。
実はその隣の建物もゴシックの窓がエキゾチックでなかなかだったのですが、興奮状態のまま、通り過ぎてしまいました。 -
続いては13世紀に造られたロスキの塔が見えてきました。中世の時代には度々海賊や蛮族等の外敵に襲われて防御を固めて来たイタリアの各都市は、13世紀に入ると今度は近隣同士の争いに明け暮れることになります。ヴィチェンツァの町も例外ではなく、町は一時、塔と要塞で溢れていた時代がありました。
その後の時代に、殆どの塔は解体される運命となりましたが、ロスキの塔は、オリジナルに近い形で唯一残ったのだそうです。理由はこの塔がドゥオモに近く、防御機能が備わっていたからと言われています。 -
ほら! 20mも歩けばドゥオモの正面広場に到着です。今日はドゥオモには寄りませんよ。
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再び、いや三度かもしれません。ここはアンドレア・パッラディオ大通りです。
あの赤い壁の家もヴェネツィア風。前に撮りましたっけ? -
4連窓と両側のバルコニー。大好きなパターンです。
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方々寄り道しながら、やってきたのは、パッラーディオ博物館。初日に購入した共通券は1週間有効なので、まだ使えるのです。
こちらはパラッツォ・バルバラン・ダ・ポルト。1569年にアンドレア・パッラーディオによって設計され、1570年~75年の間に建てられた邸宅です。今ここが彼の博物館になっています。 -
パラッツォは2階建てにアティックが付いた様式です。1階部分は中央扉の両脇には印象的なイオニア式の付け柱がありました。壁は切石積み、そして2階部分には白いコリント式の付け柱が並んでいました。ファサードはシンメトリーではなく、1階と2階とでも全く印象が異なります。
2階の窓枠は彼の設計ではおなじみの三角と半円のペディメントが交互についていました。ヴィチェンツァ市内にある建物で、パッラーディオが設計から完成までをやり遂げた只唯一の建物だそうです。 -
パラッツォの持ち主で依頼人でもあるヴィチェンツァの貴族モンターノ・バルバラーノは、内装にも力を入れました。
こちらは、上の写真の扉を入ったところにあるアトリウムのすぐ左側の部屋です。フレスコとスタッコの組み合わせですが、バロック程くどくない絶妙なバランスを保っています。
フレスコにはジョヴァンニ・バッティスタ・ツェロッティ、スタッコはロトンダの彫像を作ったルビーニ親子が主に担当しました。 -
絵の解説がなかったのが残念ですが、暫しパッラーディオのことを忘れ、首が痛くなるまで見上げてしまいました。
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博物館はワークショップも兼ねた新しいタイプの展示方法で、研究成果や調査結果が日々更新されていく仕組みを取っていました。また、それらを関係者だけに公開するのではなく、博物館内、もしくはwebを通じて広く一般に知らしめるというプロジェクトにも挑戦しています。
映像がたっぷりあるので、言葉の壁を超えるのは意外と容易でしたが、肝心のパッラーディオについて、知らなさすぎる自分が不甲斐なく思えました。 -
太い円柱がバルコニーを支えています。その先にあるのは、・・・
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明るい中庭です。直接は出られず、上から覗きこむことしかできなかったように記憶しています。
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パッラーディオの作品の模型が展示されている部屋(紙の部屋)は非常に楽しかったですよ。パッラーディオが1570年に書き記した「建築四書」にフォーカスを当てた部分は理解が難しかったけれど、ロトンダが影響を及ぼした、世界各地に散らばるロトンダのコピーは、興味津々でした。
こちらは、先ほど見て来たばかりのロトンダですね。 -
メモを忘れたので、こちらの建物の名称は分かりませんが、ロトンダによく似ていますね。
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このように、建物の一部が縦割りにされていると。中央の球の部分がどうなっているのかが良く分かります。
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この部屋の天井も、見事なフレスコで覆われていました。マニエリスム時代の特徴が良く出ています。
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レンガで円柱を作る方法。これはよーくわかりました。
パッラーディオは安い材料を使って、外観を高価に見せる技に非常に長けていたのだそうです。この三角のレンガ柱は、実際に博物館があるこの建物バルバラン・ダ・ポルトで使われている方法です。 -
こちらは、ヴィチェンツァの部屋。シルク・ルームとも呼ばれています。裕福な町ヴィチェンツァは絹の富から生まれたんですね。
ヴィチェンツァのシンボル、パッラーディオ聖堂を縦に二つに切った展示品。切り口を撮らないでどうする? ですよね。はい・・・
建物の二重構造がよく理解できました。 -
こちらは、今いるパラッツォ・バルバラン・ダ・ポルト。ファサードの前の道が狭いため、なかなかこの角度では見ることが出来ません。
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初日に訪れたパラッツォ・キエリカーティ。2階の両脇にあるロッジアが大変優雅な雰囲気を与える建物でした。
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博物館で一番豪華な部屋 穀物と栄光の部屋に入って参りました。ここには、ヴェネツィア共和国内にある、パッラーディオの最も革新的な建物の模型が多く展示されていました。
内装も豪華です。建物のパトロンであったモンターノ・バルバラーノが大いなる熱意をもって制作を依頼した、ローマ皇帝達と共和制時代の政治家スキピオの偉業をたたえるフレスコを鑑賞することが出来ます。 -
スタッコ部分には、歴代のローマ皇帝たちの胸像がずらり! 歴史にも疎いので、誰が誰なんだかさっぱり・・・
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この部屋にある建物は、今回訪問していない場所ばかり。こちらの建物はヴィッラ・エーモ。ヴェネツィアの北西のファンツォーロにあり、ファサードの遙か先には昔のポストゥミア街道が通っています。
両翼にある長いロッジアが特徴的です。エーモ家は2004年にここを売却するまで住んでいたそうです。田舎にあったせいか、建築後殆ど手を加えられていない、貴重な遺産となっています。 -
ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の内部の模型です。ここも中を見ていない・・・パッラーディオが設計し、1566年から70年にかけて建てられた、ファサードの4本の列柱が忘れられないインパクトを残す教会です。
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博物館では沢山の映像も自由に鑑賞できます。ロトンダに
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ラ・マルコンテンタという愛称で呼ばれるヴィッラ・フォスカーリ
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こちらは、裏側のファサードです。ヴェネツィアらしい2本の煙突がキュート!
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パドヴァのヴィッラ・ピサーニ・モンタニャーナ。1552年の比較的初期のヴィッラで、枢機卿フランチェスコ・ピサーニのために建てた別荘です。
まだ目にしていない多くの建物を見ることが出来て、ここで時間をだいぶ使ってしまいました。まだまだありましたが、この辺で。「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ」で世界遺産に登録された建物が多く含まれていました。 -
最後にホアキン・ベルチェスが撮った写真による「祭壇建築家としてのエル・グレコ」という企画展が行われていたので、3枚ほどご紹介。
トレドのサン・ドメニコ・アンティコ教会の主祭壇の祭壇画「聖母被昇天」。あまりにも有名な作品ですね。1577年から79年。 -
トレドのタヴェーラ施療院所蔵の「キリストの洗礼」。1608年から14年。
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サン・トーメ教会の「オルガス伯爵の埋葬」。1586年から88年。暫し、ヴィチェンツァからトレドに空間移動していました。
この展覧会は、エル・グレコのあまり知られていない側面、彼の祭壇の設計・デザインの才能に焦点を当てたものでしたが、私はそんなことはおかまいなしに、絵の写真のみ撮ってしまいました。済みませんねえ。
グレコはローマとヴェネツィアに滞在した際、ミケランジェロとパッラーディオに特に傾倒し、スペインに戻って、自分の作品のフレームや祭壇設計に学んだものを取り入れたそうです。 -
最後にもう一度、中庭を取りまく柱(一部しか見えません!)を眺めて、パッラーディオ博物館終了です。楽しかったぁ!
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パラッツォ・バルバラン・ダ・ポルトを、来た時とは別のアングルから1枚。
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バルバラン・ダ・ポルトの真向かいには、外壁にフレスコのある邸宅が建っていました。
こちらはティエネ家の屋敷で、1490年にロレンツォ・ダ・ボローニャが建てた部分です。前に中庭を見たことがありますが、いくつもの建物から構成されていて、こちらとは全く印象が異なりました。このファサードを見るのは初めてです。
2階部分右側のフレスコにはラクダを連れたアラビア人らしい商人が描かれていました。 -
扉の上のバルコニー、その上の連窓が良いですねえ・・・ トンドの中の人物は政治家か貴族と思いきや、ヴェネツィアやヴィチェンツァで活躍した建築家や画家たちの胸像なのだそうですよ。
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よく見たら、扉と連窓の石はともにピンクの大理石製でした。非常に凝ったフリーズからも、お金をかけた邸宅だということが分かります。
もう少し離れた場所から眺めたいなと思ったティエネ家のファサードでした。 -
ティエネ家のファサード隣にあった、これまたティエネ家分家のファサード。こちらはゴシックで、ヴェネツィアン・スタイルですねえ。これまた素敵!
長くなりましたので一旦休憩。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その91 ヴィチェンツァ5で!
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この旅行記へのコメント (4)
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- ドロミティさん 2018/06/11 23:26:05
- ヴィチェンツァ☆彡
- junemayさん、こんばんは^^
お帰りなさい!(であってますか?)
ヴィチェンツァ、またまた初めて耳にし目にしました。
イタリアの地方都市にはこのように魅力的な街がいったい
どれだけあるのでしょう!?
ヴィッラ・ヴァルマラーナ・ナーニ、フレスコ画を見ることが
できなくて残念でしたね!
私もすごーく残念です^^;
junemayさんの旅行記はとても見応えがあるので、
ゆっくり落ち着いて拝見したいのでなかなか進まないけど、
イタリア編は全編制覇目指します(^_-)-☆
ドロミティ
- junemayさん からの返信 2018/06/12 00:29:32
- RE: ヴィチェンツァ☆彡
- ドロミティさん こんばんは!
ヴィラ ヴァルマラーナ アイ ナーニですか。
懐かしいですね。
確か訪れた時にティエポロの企画展が開かれていました。
今回ドイツを旅して、数十年ぶりにヴュルツブルグを訪れた際、彼の地でティエポロが司教のお抱え画家として活躍していたことを知りました。ドイツで嫌というほどティエポロと出会って、不思議な感覚でしたよ。
教会はイタリアのカトリックの方が私好みですが、古いゴシック様式やロマネスクの柱頭のあるクリプトなどが数多く残っていて、ドイツの教会巡りもなかなか奥が深かったです。
ヴィチェンツァは交通の便が良いので、そこからあちこちに出かけるためには大変便利な町です。あの町での最大の収穫はパッラーディオではなく、ロシアのイコンでした。そのために2016年秋にロシアまでイコンを見に行ってしまいました。まだ旅行記全く着手していませんね。そのうちに…という間にどんどん記憶が薄れていっています。少しダッシュしないとね。いつもコメントありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。
junemay
> junemayさん、こんばんは^^
>
> お帰りなさい!(であってますか?)
>
> ヴィチェンツァ、またまた初めて耳にし目にしました。
> イタリアの地方都市にはこのように魅力的な街がいったい
> どれだけあるのでしょう!?
>
> ヴィッラ・ヴァルマラーナ・ナーニ、フレスコ画を見ることが
> できなくて残念でしたね!
> 私もすごーく残念です^^;
>
> junemayさんの旅行記はとても見応えがあるので、
> ゆっくり落ち着いて拝見したいのでなかなか進まないけど、
> イタリア編は全編制覇目指します(^_-)-☆
>
> ドロミティ
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- マリアンヌさん 2017/01/10 12:52:44
- パッラーディオ♪
- junemayさん、こんにちわ〜。
パッラーディオ、素晴らしいですね。
ヴィチェンツァも通り過ぎるばかりでまだ訪れていない街です。
ここも街道沿いのせいか文化度高いですねぇ。
以前パドヴァに行ったとき、パッラーディオ建築見学河下り?みたいの行きたかったんですが時間が足りませんでした。
いつか行きたいなぁ(いつものボヤキ)
郊外のパラッツォ・アルナルディ・トレッティ、素敵ですね。
アトリウム、スカラ・・・惚れ惚れです♪
4連窓とかヴェネツィアンゴシック惹かれます。
ところでjunemayさんのロンドン時代、マーキーetc.想像するにつけ垂涎です。週末はZEPのコピーバンドのライブ、楽しみました。
続き楽しみにしてます。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2017/01/10 21:54:52
- RE: パッラーディオ♪
- マリアンヌさん こんばんは!
いつしかマリアンヌさんからのメールを待ちわびている自分がいます。
いつもありがとうございます。
お天気にはあまり恵まれなかった連休が終わって、本格的にお仕事開始ですね。私はいい気なもんで、そろそろ今年はどこへ行こうか考えなくっちゃと思っています。マリアンヌさんお勧めのアドリア海沿岸の小さな町を訪れつつ、ロヴィーニを目指すなんてどうだろうかと思ったりしています。ヴェネツィアも教会をほとんど見ていないので必須だし、あれこれ考える時間もまた楽しみですね。
Zepのコピーバンドですか? いいですね! あの時代より良い音楽に会えないのは、自分が年取ったせい?と思っていましたが、結構若い人たちも昔の音楽楽しんでいるんですねぇ。マリアンヌさんからエナジーを分けてもらいたいです。
そうそう、マリアンヌさんと高尾山、合わないかな?と思いつつ拝見。でも意外としっくりはまっていましたよ。あの赤い靴可愛かったなあ。こちらは友人と新春の七福神めぐり。ぴったんこでしょう?
またのおいでをお待ちしております。
junemay
> junemayさん、こんにちわ〜。
>
> パッラーディオ、素晴らしいですね。
> ヴィチェンツァも通り過ぎるばかりでまだ訪れていない街です。
> ここも街道沿いのせいか文化度高いですねぇ。
>
> 以前パドヴァに行ったとき、パッラーディオ建築見学河下り?みたいの行きたかったんですが時間が足りませんでした。
> いつか行きたいなぁ(いつものボヤキ)
>
> 郊外のパラッツォ・アルナルディ・トレッティ、素敵ですね。
> アトリウム、スカラ・・・惚れ惚れです♪
> 4連窓とかヴェネツィアンゴシック惹かれます。
>
> ところでjunemayさんのロンドン時代、マーキーetc.想像するにつけ垂涎です。週末はZEPのコピーバンドのライブ、楽しみました。
>
> 続き楽しみにしてます。
> マリアンヌ
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