2015/06/03 - 2015/06/03
37位(同エリア609件中)
junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
ジュリエットの家から出て、Venchiでジェラートをほおばり、またエルベ広場に戻ってきました。広場の建物をもう少し見物します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
再びラッジョーネ宮です。1117年の震災の後建てられた市庁舎は、イタリアで最初の公共施設だと解説書には書かれていました。中には、市議会、塩の貯蔵庫、絹の税関、質屋があり、スカラ家支配の時代(1262年から1387年)には、裁判所、14世紀には公証人の事務室が置かれ、文字通りヴェローナの公共機能がすべて集中していました。
ヴェネツィア共和国時代になると、法廷、刑務所、医療施設、保健施設、税務並びに商工会議所の機能が加わりましたが、行政機能である市庁舎は1493年、ロッジア・デル・コンシーリオに移転。以後この建物はラッジョーネ宮と呼ばれることになります。
1541年、裁判官室から出火した火事は瞬く間に広がり、建物は甚大な被害を被ります。修復は16世紀末までかかったそうです。
ナポレオン時代には、市庁舎の中に公共部分と私有部分の棲み分けがあることが判明し、整理作業が行われました。塩やたばこの倉庫は公共部分に残りましたが、この時エルベ広場に面した側は民間の手に委ねられたようです。
現在、今見える部分の建物は、アキッレ・フォルティ・モダンアート美術館になっています。 -
こちらは、ラッジョーネ宮殿の向かいにあるドムス・メルカトルム(またの名をカーザ・デイ・メルカンティ=商業組合)と呼ばれる13世紀に建てられた中世の建物で、主にウール製品の取引に使われてきました。
2色のレンガを使ったアーチの下は風通しが良く涼しいので、大勢の観光客が座って休んでいます。 -
うっかりファサードの写真を撮り忘れたので、こちらは、ウィキペディアからお借りした写真です。
13世紀以来、当然のことながら何度も修復されてきましたが、19世紀末に、元の外観に復元されました。1階部分の列柱のあるアーチ、2階の連窓、そして屋上の狭間に特徴が見られますね。 -
現在はある銀行所有だそうで、入場は叶いませんでした。1階ポーチから見えた格間天井には、様々なパターンの幾何学模様が描かれていて、綺麗でした。
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ドムス・メルカトルムの向かいにあったこちらの像は、1915年11月、オーストリア軍による第一次大戦最初の空爆の記念碑です。
爆弾は空襲警報が出た後、急いでドムス・メルカトルムのアーチ下に避難した人々を直撃し、37人が死亡、48人が負傷したそうです。 -
その対面、ラッジョーネ宮殿に隣接するこちらのなんとも風変りの外観の建物に魅せられてしまいましたよ。カーゼ・マッツァンティは、エルベ広場の東側に建ついくつかの建物の集合体です。
てんでバラバラの、寄せ集めなんですが、なぜか味があるんだよなあ・・・ -
1階には様々な形状のアーケードが並び、3階部分には長いテラスが伸びています。3階の一部と4階の窓の殆どは、上部が半円アーチ型になっているのが特徴かしら?
1500年代、ヴェローナは明るい色を使ったフレスコで外壁を飾り立てられた建物で溢れていたそうです。カーゼ・マッツァンティはその頃を思い起こさせる、貴重な遺産の一つなのです。 -
マッツァンティの家々に残るフレスコは、1540年頃、16世紀の建築家兼画家であったマニエリスムの大家ジュリオ・ロマーノの弟子アルベルト・カヴェッリによって描かれました。戸外のフレスコにしては、保存状態が素晴らしく良好ですね。
絵の内容までは分かりませんでしたが、神話や寓話を題材にしているようです。あの目隠しをされた巨人は誰だろう??? -
マッツァンテイの家々の横には、ランベルティの塔の上から見下したマッフェイ宮殿とガルデッロの塔、そして羽の生えたライオン(マルコ)のコロンナがありました。
マッフェイ宮のある場所は、広場の他の部分より少し高くなっていて、その下にはローマ時代の遺跡が眠っているそうです。
1階はティンパヌム(半月形)付きのルネサンス風アーケード。その上には優雅なバルコニー。2階部分の窓はイオニア式の付け柱で仕切られていて、窓の上には人の顔の装飾が施されています。
前の旅行記で触れましたが、3階以上は1469年以降に貴族のマルカントニオ・マッフェイが増築した部分で、工事は延々200年以上も続きました。3階の窓は2階の窓より小さく、鷲の装飾のある偽柱で仕切られています。細かな花や葉のモティーフのフリーズが窓の上に見えますね。
最上階は、6体の神々の彫像が乗った手摺が続いています。左からヘラクレス、ジュピター、ヴィーナス、マーキュリー、アポロにミネルバです。かつてローマのカピトリーノの丘にあった古代寺院から運ばれたという伝説のあるヘラクレスの像を除いては、地元の大理石で作られているそうです。 -
マッフェイ宮殿前のヴェネツィアのライオンのコロンナです。見事な白い大理石ですね!!
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エルベ広場から北東に伸びる道コルソ・サンタナスジーナを辿ります。まっすぐ行くと聖アナスタシア教会に通じる道です。
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遠くに聖アナスタシア教会が見えましたが、真っすぐには行かずに1本目の道を右に曲がると、ラッジョーネ宮が面するもう一つの広場シニョーリ広場に出ます。
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この広場もエルベ広場同様、ローマンフォーラムをその起源としています。小さな広場で人もあまり多くなくて快適。
中央には、白いダンテ像が立っていました。後ろ姿でごめんなさい!
右側の縞々の建物がラッジョーネ宮。そして左側の塔のある建物がカンシニョーリオ宮です。この宮殿は要塞宮殿として建てられ、1363年頃完成しました。今見えている塔はその当時のものだそうです。ヴェネツィア共和国時代に、この建物はカピターノの住居として使われてきました。 -
時計回りに角度を変えて、今一度ラッジョーネ宮とランベルティの塔です。
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ラッジョーネ宮の賑やかな外壁をご覧ください。どこまでがフレスコ、またはスタッコなのかわからない・・・
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そしてラッジョーネ宮と渡り廊下で繋がっている、判事たちの住まいだったドムス・ノヴァ宮。先ほどエルベ広場側のファサードを見ました。
右側のオレンジ色の建物はカーザ・デッラ・ピエタ。現在はカフェになっています。 -
ようやく、ダンテが正面を向いてくれましたが、少々遠いなあ。1865年、ウーゴ・ツァンノーリによってカラッラ大理石で作られたダンテの瞑想する姿です。
カーザ・デッラ・ピエタの隣、1493年に市庁舎の行政機能が移転した先のロッジア・デル・コンシーリオは残念ながら修復中でした。 -
そして、広場の北東側ロッジア・デル・コンシーリオと90度の角度で建っているのが現ヴェローナ県庁舎となっているポデスタ宮です。
この建物もまた、ローマ帝国時代の遺跡の上にスカラ家により13世紀に建てられたものです。宮殿は代々のスカラ家の居城となり、スカラ家最大の勢力を誇ったカングランデ1世の時代には何度かに渡り、時間をかけて改装を行っています。そして各国の大使、外交官、王子、枢機卿、騎士達のみならず、詩人、画家、彫刻家、音楽家、様々な芸術家などが招かれ、文字通りヴェローナの文化の中心として栄えました。招かれた客の中には、ジョット、ペトラルキ、そしてフィレンツェを追われたダンテもいたのだそうですよ。それで、ダンテの像があるわけが分かりました。 -
建物のファサードを飾るメイン扉は、ミケーレ・サンミケーリによって1533年に完成しました。一番上にヴェネツィアの羽の生えたライオン、その下には4本のイオニア式列柱が並ぶ堂々とした造りです。
古代ローマ時代の凱旋門を思い起こさせる扉ですね。扉の左右にはアーチが並んでいますが、左側はいわゆるブラインド・アーチ。右側はロッジアになっていて、美しい格間天井を見ることが出来ました。 -
ポデスタ宮は入場できませんでしたが、お隣のカンシニョーリ宮は中庭に入ることができそうです。ちょっと拝見!
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こちらが、カンシニョーリ宮の中庭です。右側に見えるロッジアは、1476年の建造だそうです。
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壁にあったのは、ドイツ人の貴族でブランデンブルク=プロイセン国家連合(1618年に成立)の将軍だったヨハン・マティアス・フォン・デア・シューレンブルグ(舌を噛みそう・・・)の彫像。ヴェネツィアで引退した後、16世紀から17世紀にかけてのイタリア絵画を大量に買い付けて、アート・コレクター及び芸術のパトロンとして有名になった人だそうです。
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中庭への通路にも、フレスコが随所に残されていました。
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ポデスタ宮とカンシニョーリ宮の間のアーチをくぐると、すぐに見えてくるのがサンタ・マリア・アンティカ教会(奥)とスカラ(スカリジェレ)家の霊廟です(手前)。
これは凄い!! いきなり現れた廟の数々に目を見張ります。 -
ヴェローナにおけるスカラ家の治世は1226年にエッツェリーノ3世がコムーネのポデスタ(市長)に選出されたことに始まります。エッツェリーノ3世が亡くなった時、町の評議会が次のポデスタに息子のマスティーノ1世を選出したことにより、スカラ家の支配が確立されます。1262年、ポデスタに再選出されなかったマスティーノ1世はクーデターを起こし、カピターノ・デル・ポポロ(町の民兵の司令官)の座を手に入れます。
一族の力はカングランデ1世(1291年-1329年)の時に最大となり、1387年の10月19日の真夜中にヴェローナを逃げ出したアントニオでその支配を終えることになります。
この墓地には、一族の内、9人の霊廟および墓が収められていました。 -
まずは、サンタ・マリア・アンティカ教会の南扉の上にあるのが、ヴェローナの職人の手によるカングランデ1世の墓です。スカラ家の記念碑的な墓の第1号というわけです。
この墓は、彼の座を引き継いだマスティーノ2世の命により作られました。その時に、すでにマスティーノ2世は自身の墓の場所を確保していたと言われています。
少々見にくいですが、墓の一番下両側にあるスカラ家の紋章が見えるでしょうか? スカラ=階段なので、紋章のデザインは階段でした。面白い! -
墓の一番上には、カングランデ1世の騎馬像が置かれていました。但し、これはコピーで、本物はカステルヴェッキオ城の博物館にあります。
ここからでは確認できませんが、頭のヘルメットには翼のある犬が彫られているそうです。甲冑の上に着るスティールメッシュのマントが風にたなびいている姿が印象的ですね。14世紀のもっとも美しい騎馬像と呼ばれているそうですよ。 -
そしてこちらが、ベスト・ポジションを確保したマスティーノ2世の豪華な霊廟です。まだ存命中に自身の廟を建てることを決めたようですよ。この墓地で2番目に建てられた、最も豪華な建造物となりました。
石棺には素晴らしいレリーフが施されていますが、周りを囲む錬鉄製の柵のためにあまりよく見えません。鉄柵もよく見ると、「階段」マークがデザインされていますね。
なお、スカラ家の霊廟はヴェローナカードで入場可能です。入る際に、希望者には簡単な英語の解説板を渡してくれます(後で返却)。 -
霊廟のてっぺんには、マスティーノ2世の鎧姿の騎馬像が見えました。こちらもコピーで、オリジナルはカステルヴェッキオ城の塔の中に保管されているそうです。
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霊廟のペディメントに描かれているのは聖書からの場面。左側は「カインの殺人」、右側は「祖先の仕事」でしょうか?
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3つ置かれた石棺は、左からバルトロメオ(1301年-1304年)、アルボイーノ(1304年-1311年)、カングランデ2世(1332年-1359年)です。カッコ内は、司令官を務めた期間です。
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墓地の反対側の隅にあったこちらは、カンシニョーリオ・デッラ・スカラ(1359年-1375年)の霊廟です。
カンシニョーリオは自身の健康の衰えを感じた1364年に、優れた建築家や彫刻家を呼び集め、自身の墓の設計を開始したと言われています。ヴェローナの高価な赤大理石をふんだんに用いた豪勢な霊廟は、ボニーノ・ダ・カンピオーネによって設計されました。建設には莫大なお金がかかったと言われています。 -
カンシニョーリオは取り立てて功績も実績もない領主でしたが、自身をパワフルな専制君主と見立て、六角形の廟の周りに、聖人、騎士、王達の彫像のある小さな祠を建て、彼らに見守られながら眠りにつくことを欲したようです。
てっぺんには、やはり彼自身の騎馬像が置かれていました。赤と白の大理石の素晴らしい事! 自身の墓を生前に考える自己顕示欲の強い人間はどこの国にもいるんですねえ。 -
錬鉄製の柵のためにレリーフがよく見えませんでしたが、豪華な装飾の一部が見て取れると思います。柵は14世紀の末に制作されたものと書かれていました。
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こちらの石棺は、[おそらくアルベルト1世(1277年-1301年)のもの]という書き方をされていたので、正確な所はわかっていないようです。
ここが最初にカングランデ1世が埋葬された場所と書かれていましたので、石棺より場所が大事だったのかもしれません。 -
ご丁寧に、裏側も写してしまいました。なかなか美しいレリーフです。しかしながら、やはりカングランデ1世、モスティーの2世、カンシニョリオのものに比べると、簡素ですね。
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サンタ・マリア・アンティカ教会の南壁面にあったのは、ジョヴァンニ・デッラ・スカラ(享年1359年)の墓です。この墓は元々はサン・ヴェルモ橋のたもとにあったもので、ヴェネツィアの彫刻家アンドリオーロ・デ・サンティの後継者の作とされています。1831年に今の場所に移されました。
このジョヴァンニはスカラ家の一員ですが、歴代の領主の中には名前が見当たりませんでした。 -
四方の貝殻型のニッチェの中には、巻紙を携えた預言者の姿がありました。
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サンタ・マリア・アンティカ教会の西側の壁と鐘楼が見えています。アンティカ(古い)という名前からも容易に想像できる古いロマネスクの教会です。創建は7世紀のロンゴバルド時代に遡りますが、1117年の地震で全壊。1185年に再建されました。
正にスカラ家の菩提寺と呼ぶのに相応しい教会ですね。 -
ポデスタ宮をバックに、マスティーノ2世とカンシニョーリオの霊廟を再び。
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建築美という視点から見ると、このカンシニョーリオの霊廟が断トツ!
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サンタ・マリア・アンティカ教会のクラシカルな扉が気になりました。教会はお昼休み中で、16時半に開くというので、ここも仕方ない。飛ばしましょう。
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スカラ家の霊廟のあるサンタ・マリア・アンティカ教会のすぐ裏にあったのがロミオの家。やはりジュリエットの家だけでは片手落ちですから、こちらも見ておきましょうね。
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典型的な中世の家と言った佇まいですね。勿論何度も改装されているのでしょうが、レンガの一部は12世紀のままです。狭間もオリジナルだそうですよ。
モンタギュー家は一般公開されていませんが、上の写真に見える隣のレストランから、モンタギュー家の一部を見ることができるのだそうです。ヴェローナ市の案内書には、リーズナブルで美味しいレストランだと書かれていました。 -
ロミオの上からジュリエットの家までは、ほんの数百mといったところ。毎晩通える距離です。
実際のモンタギュー家(イタリア語ではモンテッキ家)は1320年、スカラ家への陰謀に関与したという疑いで、ヴェローナから追放されています。ティボルトを殺害して追放になったロミオと被るところがありますね。 -
ロミオの家から戻って、サンタ・マリア・イン・キアーヴィカ通りを進みます。見上げればご覧のようなゴシック風窓が並んでいます。
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まるで芸術品のように美しいですねえ!
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こちらは、バルコニーと窓の上の装飾が凝った造りの邸宅。これもパラッツォかしら?
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にょきにょきと塔が生えている古い町をなおも進みます。ヴェローナ楽しい!!
遠くに見えているのは、先ほど上ったランベルティの塔です。 -
こちらのプラゼッタ・キアヴィカという建物隣に、とても感じの良いレストランがあったので、ランチを取ることにしました。ヴェッキア・フォンタニーナという名前です。
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前菜はうどん位もある太めの麺のボロネーゼ。ここの名物みたい。面白い食感でした。
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メインはお魚。残念ながらメニューを控えて来ませんでした。さっぱりして私好みの薄味。野菜が物足りないなあ・・・・ でもお味はグーでしたよ。後で調べたら、トリップ〇〇ヴィザーのレストラン・ランキングで932件中49位。いい線いっているお店でしたよ。
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お腹がいっぱいになったところで、今度は腹ごなしにまたほっつき歩きます。どこを見てもヴェローナは絵になる風景。
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こんな風に急にポルティコが現れたりするんですよね。ここはアディジェ川に近いポンテ・ヌオヴォ通り付近。
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おお~やっと見えましたよ。アディジェ川。
見えているのがポンテ・ヌオヴォ(新しい橋)と対岸にあるサン・トマーゾ教会です。 -
川幅は広いけれど、そんなに深くはなさそうです。水がとても綺麗ですね。対岸に見える小さな丘の麓に、ローマン劇場があるはず。後で行ってみましょう。
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アディジェ川の川岸から1本内側の道を辿ります。当たり前のように、ここもポルティコが続く道です。
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見えてきたのは、聖アナスタシア教会の右翼廊部分かしら?
聖アナスタシア教会はヴェローナでも最も古い地区にあるドメニコ会の教会です。 -
現在の建物は、ドメニコ会の修道僧ベンヴェヌート・ダ・イモーラの設計により、1280年に建築を開始して、1400年代末に完成を迎えました。
ここには、6世紀に東ゴート王テオドリックが建てた聖アナスタシアと聖レミジョを祀った寺院があったため、新しい教会でも、その名前を引き継いだようですが、ヴェローナ生まれで町の守護聖人の一人殉教者聖ピエトロにも捧げられています。
テオドリックが信仰したのはキリスト教の異端と言われたアリウス派でしたよね。 -
細い道を通って、正面ファサードに向かいます。
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ファサードより先に目に飛び込んできたのは、ファサードのすぐ前にある前述のヴェローナの守護聖人殉教者聖ピエトロ教会の建物です。ここもドメニコ会の僧によって13世紀末に建てられた教会でしたが、ナポレオンが奉献を解いて押収。その後も引き続き町を占領したオーストリア軍に占拠され、1807年にようやくヴェローナ市に戻されたという歴史を持ちます。
先ほどサンタ・マリア・アンティカ教会で見たばかりの、扉の上に釣り上げられたお墓がここにもありましたよ。今度は門のアーチの上です。 -
聖アナスタシア教会に入る前にちょっと見学。墓の主は、ヴェローナの領主だったカステルバルコ家のグリエルモという人物で、1320年に亡くなっています。なかなかの政治的野心家であり策力に長けた人物だったらしく、聖アナスタシア教会にも多額の寄付を行っています。生存中にこの場所を自分の墓用に確保したらしく、完成した墓が後のスカラ家の霊廟、特に1329年に亡くなったカングランデ1世の墓に大きな影響を与えたと言われています。
こちらの方が先だったとは! -
石棺には、聖母子の前で跪くグリエルモ自身の肖像のレリーフを見ることが出来ます。アーチをくぐって反対側も拝見。
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カングランデ1世の墓と異なり、壁に面していないので、不安定な気がします。地震がなければ良いのですが・・・
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駐車場になっていた教会の背面の壁際にも、ご覧のように宙吊りの墓が3つ並んでいました。いずれも全く知らない名前ばかりだったので、詳細は省きますが、大変興味深く拝見しました。文化の違いを実感!
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殉教者聖ピエトロ教会の背面とグリエルモ・カステルバルコの墓です。
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こちらは、扉が閉まっていた殉教者聖ピエトロ教会です。扉の上にはかすかにフレスコが残っていました。中央の方が殉教者聖ピエトロかしら?
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お待たせー! ヴェローナの町で一番の大きさを誇る聖アナスタシア教会のファサードです。教会の建設に当たっては、前述のグリエルモ・カステルバルコ及びスカラ家が莫大な寄付を行っています。
実はこのファサード未完だそうです。そう言えば中央のゴシック様式の扉周りのみ装飾が施されていますね。そしてカラフルな束柱の右側にはレリーフが2つ見えますが、左側はからっぽ! -
1319年-23年に作られた2つの木製扉の上のフレスコはどれも殆ど消えかかっています。大きなルーネット部分のフレスコは「三位一体と二人の天使」と書かれていましたが、よく見えません。下の2つのフレスコに至っては絶望的。ルーネットの下には、キリストの生涯からのレリーフが6枚ありました。
ファサードのその他の部分は殆どがレンガで作られています。中央にシンプルな丸窓、左右にはステンドグラスのある中方立の窓がありました。 -
パステルカラーに見えたこちらの束柱。元々は赤、黒、白だったようですが、大理石もこんなに色あせるんだということを思い知りました。
右側の2枚のレリーフは、上がヴェローナの聖ピエトロの殉教。そして下がヴェローナの町で説教をしている聖ピエトロでした。
それでは入場しますよ。ヴェローナ・カードが使えます。 -
イチオシ
教会の入り口、最初の柱で出迎えてくれたのは、こちらの方です。ヴェローナでは、聖水盤を背負っている「パスキーノ」と呼ばれているそう。 パオロ・オレフィーチェの1591年の作品です。とてもユニーク!
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イチオシ
帰りに見つけたのですが、ついでなのでもう一つの傑作聖水盤をご紹介。こちらはもっと窮屈な格好で聖水盤をしょっていますよ。愛称は「せむし」。ヴェネツィアの巨匠パオロ・ヴェロネーゼの長男ガブリエーレ・カリアーリ(1568年-1631年)による作品です。制作年が1495年と書かれていましたが、その年だとまだカリアーリは生まれていないはずなので、どう考えても合いません・・・
この人たち、どんな悪いことをしたんでしょうね。何かの罰ではないのかなあ・・・ -
教会の床も赤、黒、白の三色。黒、白はドメニコ会の修道士の法服。赤は殉教者聖ピエトロに捧げる色なのだそうですよ。床の敷設はピエトロ・ダ・ポルレッツァの15世紀の仕事です。
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聖堂内は三廊式。相変わらず全体像を撮っていませんので、こちらでお許しを。
ゴシック様式の内部は、左右6本ずつの大理石の列柱が身廊と側廊を隔てています。柱の色は赤と白が混じっていました。クロスヴォールトの天井が素晴らしい!! -
イチオシ
ご覧ください。この天井! 白地に草花や花輪の他、ドメニコ会の修道士像と幾何学模様の組み合わせ等、様々なパターンを見ることが出来ましたよ。ドメニコ会の会則に基づく場面やシンボルが表現されているそうです。
身廊部分のヴォールトは1437年の作とされていました。ということは、オリジナルなのかしら? -
もう1枚。こちらは側廊のヴォールトです。
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最初の祭壇はドメニコ会出身の聖人聖ヴィンチェンツォ・フェレールに捧げられていました。作られたのは1482年。
祭壇画は後年のもので、ピエトロ・ロターリ(1707年-62年)の作品です。4本柱が迫力あります。 -
一番多くのろうそくが灯っていたのは、身廊内にあった聖母子像の祭壇でした。聖母も幼子も手にロザリオを持っていますね。願いが叶った信者の方々が寄贈するハートの飾り物(何と呼ぶのでしょう?)が聖母が座る玉座に沢山吊り下げられていました。
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こちらは、無原罪の御宿りに捧げられた祭壇です。大理石の彫刻群はオラツィオ・マリナーリ(1643年-1720年)の作で、19世紀初頭にサンタ・マリア・イン・キアヴィカ教会からここに運ばれたものだそうです。一体どれだけ大理石を使ったのでしょう!!
中途半端にしか見えていません(次の写真の方がわかるかも)が、祭壇周りのアーチに刻まれた美しいフリーズは、それよりうんと古いピエトロ・ダ・ポルレッツァ(1481年-1559年)によるものです。教会の床を制作した方です。 -
祭壇の左壁に中途半端に残っているフレスコは佳品でした。リヴェラーレ・ダ・ヴェローナ(1455年-1526年)という画家兼ミニアチュール(細密画)画家の作品です。
下段に描かれた女性の聖人はどなたでしょうか? 細部まで丁寧に描かれていて、見る者に訴えかけるインパクトがありました。 -
ピンデモンテ家の祭壇は聖マルティーノに捧げられていました。1541年。祭壇画は、リベラーレ・ダ・ヴェローナの弟子ジョヴァン・フランチェスコ・カロート(1480年-1558年)によるものです。
祭壇はヴェローナに残るローマ時代の門 ガヴィ門Arco dei Gaviを模倣したものだそうですよ。もう少し下がって撮れば良かったなあ・・・ -
聖堂内の列柱に所々残されているフレスコです。右側廊5本目の柱から主祭壇側を写しています。
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次なるはモッツォレーニ家の祭壇で、リマのローザに捧げられています。今回の旅行で彼女に会うのはこれで二度目かな? ペルー生まれの世界的に人気のある聖人で、インド、ラテンアメリカ、フィリピンの守護聖人です。バラの花冠が彼女のアトリビュートのようです。
ローザと教皇ピウス5世が描かれた祭壇画は、ジョヴァンニ・チェッフィスの17世紀後半の作品です。 -
教会中で最も古い部分に建つ十字架の礼拝堂です。正にこの下に古い時代の聖アナスタシア教会が建っていたのだそうです。
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壁の装飾は天井のヴォールトと同じ草花のモティーフですね。
祭壇の木の十字架は15世紀のもの。注目すべきは左側の葬送モニュメントです。ジャニセッロ・フォルガリーアの1433年頃の作品で、死せるキリスト像と嘆き悲しむ使徒達の彫刻が施されています。 -
右側廊6本目の柱に残された玉座の聖母子のフレスコ。奥左側が主祭壇、右側がペッレグリーニ家礼拝堂です。
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わお~!! 素晴らしい祭壇画に出会いましたよ!
チェントレーゴ祭壇と呼ばれているこちらの祭壇。玉座の聖母子とともにいるのは、ドメニコ会出身の聖人トマス・アキナスと聖アウグスティウス。描いたのはジローラモ・リブリ(1477年-1555年)というヴェローナ出身の有能な画家だそう。
この絵を生かすのであれば、もう少し祭壇の装飾を控えてほしかったと思うのは私だけ? -
少々装飾過多のきらいがありますよね。
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続いて訪れたのは、主祭壇の右側奥にある、カヴァッリ家の礼拝堂です。壁の至るところにフレスコが描かれていました。この立派な祭壇については、なぜか説明がありませんでした。
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イチオシ
この礼拝堂で最も有名なのは、こちらの右壁に描かれたアルティキエーロ・ダ・ツェヴィオのフレスコです。パドヴァでは撮影禁止の嵐で、紹介できなかった彼のフレスコをようやくお見せ出来ました。諸説ありますが、1390年頃の作品と言われています。
聖母子はゴシック様式の寺院内のヴォールトの下にいて、聖人達と天使達に囲まれています。幼子がその手を伸ばしている先にいるのは跪いている3人の騎士達。彼らは聖ジョルジュ、聖マルティーノ、聖ジャコモ(ヤコブ)に導かれてやってきたのです。
このフレスコはヴェローナにおける最初の優れた芸術と言われていて、「奉納フレスコ画」という名前がついています。
その右側にあるのは、フェデリコ・カヴァッリの墓です。石棺の上のルーネット部分にあるフレスコの中でも、一人の騎士が聖母子の前で跪いていますが、これが多分フェデリコ本人なのでしょう。それにしても、フェデリコの石棺に使われている赤と白の斑のあるヴェローナ大理石は素晴らしいですねえ。教会の説明板によるとマルティーノ・ダ・ヴェローナの1412年頃の作品です。 -
モニュメントの右側にあったフレスコ。内部のフレスコと比べると、あまり面白みのない絵です。
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壁から剥されて、ここに運ばれたらしいフレスコの断片が3枚。
キリストの洗礼場面を描いた奥上のフレスコは高い評価を受けています。作者不詳ですが、一部の解説によると、ボローニャ出身のヤコピーノ・ディ・フランチェスコで、1330年から50年頃の作品となっていました。 -
手前の入り口左側にあったフレスコです。赤地に白の水玉という派手な服装の兵士かしら? でもハロ(後光)がついているところを見ると聖人のようにも見えます。
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主祭壇右隣りのペッレグリーニ家礼拝堂です。この礼拝堂が教会中で最も有名。というのも、ピサネッロの傑作「聖ジョルジュとプリンセス」が入り口のアーチ上にあることで知られているのです。
まずは礼拝堂内部から。テラコッタのレリーフが特徴で、壁の大部分をこのパネルが覆っています。1932年に行われた調査の結果、ミケーレ・ダ・フィレンツェの作品ということが判明しています。中に入れなかったので、詳細を見ることが出来ませんでしたが、テーマはキリストの生涯です。
左側のこれまた素晴らしい大理石製のペッレグリーニ家の墓の中に描かれたフレスコは、アルティキエーロまたは彼の工房によるものです。 -
フレスコの拡大です。聖母子の座る玉座の装飾が、先ほど見たカヴァッリ家の右壁面のフレスコによく似ていますね。残念ながら、左端にいる寄進者の姿が写せませんでした。
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ペッレグリーニ家礼拝堂右壁です。こちらにも同じような墓にアルティキエーロのフレスコが描かれていました。
1枚上の写真では撮れませんでしたが、こちらの写真では、聖母の足元に跪いている騎士2人が見えますでしょうか? 多分、この騎士達がペッレグリーニ家のメンバーだと思います。墓はジョヴァンニ・アントニオ・ペッレグリーニのもので、1382年に亡くなっています。 -
正面から見たペッレグリーニ家礼拝堂の全体像は、こんなイメージ。壁を覆う「キリストの生涯」のパネルは全部で24枚。細かすぎて、この角度で見るのが困難ですよね。とても残念です。
ここで改めてミケーレ・ダ・フィレンツェ(1385年-1455年)を紹介。彼は15世紀前半の最も著名な彫刻家の一人で、テラコッタを用いた最初のフィレンツェ人彫刻家と言われています。 -
ペッレグリーニ家礼拝堂で一番有名なのが、こちらの入り口アーチに描かれたフレスコです。上手く撮ることができませんでした。1433年から38年にかけてのピサネッロの作品です。
聖ジョルジュがドラゴン退治に出掛けるために、トレビゾンド帝国のプリンセスと別れる場面ですが、どうも白い馬のお尻ばかりが目についてしまいます。肝心の二人より目立っていますよね。高い場所にあるので、詳細が良く見えませんでした。 -
イチオシ
いやあ 驚いたぁ。この教会、宝物の宝庫です。私の持っている地球の〇き方には紹介がなかったので全くノーチェックでした。次から次へと、素晴らしいお宝の出現に興奮状態!
主祭壇の左側の壁1枚丸ごと使ったこちらのモニュメントは、、ヴィチェンツァ生まれでヴェローナで活躍した外交官コルテシア・セレーゴ(1335年頃-1386年)の葬送記念碑です。フレスコと彫刻の巧みなコラボ!
中央には甲冑姿のセレーゴがバトンを持っている騎馬像。左右にはテントの幕を開ける彼の部下でしょうか? テントの頂にも見張りの兵隊がいますね。テントは花が散りばめられた美しいフォームの額縁で囲まれていて、その上には天の父なる神が姿を現していますよ。左右に広がる優雅な町はどこなのでしょうか?
下方には、2人のドメニコ会の聖人、聖ドメニコと殉教者聖ピエトロの姿も見えますよ。
このモニュメントは、セレーゴの息子が1424年から建造を始めたそうです。制作者ははっきりとはわかっていませんが、彫刻はトスカーナ出身でヴェネツィアで活躍していたピエトロ・ディ・ニコロ・ランベルティ。フレスコはヴェネツィアの画家ミケーレ・ジャンボーノではないかと言われています。 -
主祭壇は殉教者聖ピエトロに捧げられています。後陣には長いランセット窓のある壁が5枚連なっていました。ステンドグラスは20世紀製で、聖トマゾ、シエナの聖カタリナ、殉教者聖ピエトロ、リマの聖ローザ、聖ドメニコの姿がありました。
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祭壇奥に並んでいるのは殉教者聖ピエトロの聖遺物かしら???
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主祭壇右側の壁には、比較的良好なフレスコが残っていました。14世紀後半に活躍した画家マウリティオ・トゥローネの傑作「最後の審判」です。アルティキエーロはジョットそしてこのトゥローネの弟子でもあったと言われていますが、師匠トゥローネに関する資料は驚くほど少なく、14世紀に活躍したという事しかわかっていません。
これまた近くで見られない悲しさはありますが、幸いにも地獄寄りがよく見えました! 後世のものから比べれば、大変おとなしい印象を受ける地獄ですが、右端に控える黒い地獄軍団が一斉攻撃を始める直前の様子であるようです。 -
主祭壇の左側にあるラヴァニョーリ家の礼拝堂は、聖アンに捧げられています。
左壁のフレスコは比較的良好な状態で、上から「キリストによる最初の使徒達の召命」、「磔」、「カペナウムに入場するキリスト」の場面が描かれています。カペナウムとは、ガリラヤ湖の北西に位置する新約聖書に登場する町の名だそうです。
絵の作者はフランチェスコ・ベナーリオかミケーレ・ダ・ヴェローナだと論争中ですが、ヴェネツィア派のルネサンス期の巨匠アンドレア・マンティーニャ(1431年-1506年)の絵をモデルにしていることは間違いないと言われています。マンティーニャがこだわった遠近法がここでも取り入れられています。一番下の絵に描かれた海は、どう見てもヴェネツィアっぽいですね。 -
ラヴァニョーリ家礼拝堂右壁です。残念ながらフレスコは下半分が剥されてしまっているようです。一家の新しい墓を作る際に剥されたのかなあ・・・
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祭壇には、幼子を抱いた聖アンの姿がありました。簡素で、慎ましくさえ見える礼拝堂でした。
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壁がフレスコに覆われている左翼廊のサレルニ礼拝堂です。ここは、1879年から81年にかけて復元工事が行われています。フレスコは14世紀末から15世紀初頭に描かれたもので、ステファノ・ダ・ツェヴィオ他聖ツェーノ工房によるものとされています。上部にかかっている3枚の絵は、左から
「聖ニコラと聖チェチリアのいる聖母被昇天」アレッサンドロ・トゥルキ
「キリスト降下」パオロ・ファリナーティ
「聖ジャチントの奇跡」パオロ・ファリナーティ
沢山あるので、もう少し近寄ってみましょう。中央の扉の先にはジュスティ家の礼拝堂があります。 -
扉の右側部分です。一番右端のレンガ部分の絵が特に素晴らしく感じたのですが、こちらはステファノ・ダ・ツェヴィオによるものです。
中央上の聖母子の左側に立っている全裸の男性はどなたでしょうかねえ? -
こちらは扉の左側です。写真が小さ過ぎましたが、フレスコが何重にも重なっているのがわかります。どこを剥して良いのやらという気持ちになりますね。
壁の絵は、「聖パオロ、聖ディオニシウス、マグダラのマリアと信者達」で、フランチェスコ・モローネ(1471年-1529年)の作品。 -
随分色あせていますが、堂内にあったジョヴァンニ・サレルニの墓です。これもフレスコはステファノ・ダ・ツェヴィオの作と言われています。
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こちらがサレルニ家の祭壇です。ここにも、ロザリオを持つ聖母がいらっしゃいましたよ。磔を背景に物悲しい表情です。
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そして右側です。似たような構図が多いですね。フレスコはその土地、その時代を反映したものが多いので、余計に親しみがわきます。
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聖歌隊席のある大きなジュスティ礼拝堂。1452年の建造です。お気に召さなかったのか、信者達の祈りの邪魔をしたくなかったのか今となっては分かりませんが、写真が1枚しか残っていません。
黒光りする聖歌隊席はロレンツォ・ディ・サンタ・チェチリアの作品です(1490年から1493年)。 -
教会の中で最も豪華なロザリオの礼拝堂に足を進めましょう。この礼拝堂は、レパントの戦い(1571年)の勝利を記念して、1585年から96年にかけてドメニコ・クルトーニにより建てられました。クルトーニはミケーレ・サンミケーレの甥にあたるそうです。
祭壇の手前の手摺には、愛らしい天使達がお出迎えです。 -
祭壇神殿の青みがかったピンクの大理石が美しいですね。ここはバロックに溢れていました。
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祭壇画のフレスコは3つの部分から構成されています。中央には、「謙譲のマドンナ」と呼ばれている聖母子。その両脇には聖ドメニコと殉教者聖ピエトロが立っています。そして小さく描かれている寄進者の夫妻は、カングランデ2世とその妻バイエルンのエリザベートです。
フレスコはロレンツォ・ヴェネツィアーノの17世紀末の作品。上下の作品は、ロザリオの礼拝堂が建つまえにあった聖ドメニコの礼拝堂のフレスコを剥して額装したもので14世紀のものだそうです。 -
クーポラのフレスコはかなり傷んでいますが、こちらもドメニコ・クルトーニの作品。
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礼拝堂には、素晴らしい絵画も残されていましたよ。こちらは、「ゲツセマネの祈り」で、ピエトロ・ベルナルディの17世紀前半の作品。月光に照らし出されたキリストの赤い衣装が印象的。
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そして、こちらはクラウディオ・リドルフィ(1560年-1644年)の「むち打ち」です。写真の出来が悪いけれど、本物はキリストの白い肉体が不思議な輝きを見せていましたよ。リドルフィはヴェローナ生まれですが、主にローマとウルビーノで活躍しました。この絵は彼の代表作です。
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神殿上のルーネットに描かれているのは、レパントの海戦の勝利を祝った「栄光」という作品です。
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オルガンは1625年の作。周りの金メッキ細工のケースはアンドレア・シュデッリーノの手によるもので、教皇たちとドメニコ会の聖人達を表わしているそうです。オルガン本体はヴェローナの職人ドメニコ・ファリナティーデの作。存在感あるピンク大理石の4本柱がこれを支えています。
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オルガンの左隣、お隣の祭壇との間のわずかな隙間にあった、葬送モニュメントです。黒地に流れるような白い線が輻輳する美しい石はなんという石でしょう?
ヴェローナの裕福なミニスカルキ家の墓で、この左隣が彼らのための祭壇となっていました。炎を思わせるような赤いドレープを大勢のプット達が手で押さえている背景のフレスコは、所々剥げていましたが、秀逸な作品だと思いました。 -
ミニスカルキ家の祭壇は、聖霊(スピリトサント)に捧げられていました。作成は1436年。お金持ちだけあって、非常に凝った造りの祭壇となっています。
祭壇画はヴェローナの画家ニッコロ・ジョルフィーノ(1476年-1555年)の1518年頃の作で、タイトルは「ペンテコスタ(聖霊降臨)」。その下のプラデッラには、「聖ドメニコの奇跡」が描かれていました。ルーネット部分の「聖母と12人の使徒達への聖霊降臨」場面は、フランチェスコ・モローネの作品です。
祭壇の両側に立つ立派な彫像の作者および制作年はわかっていないようです。どれも、ルネサンス期の特徴を持つ素晴らしい作品に仕上がっています。 -
1枚の写真では入りきらないので、少し後ろに下がって、ヴォールトまでを写しました。見事ですよね。フリーズのレリーフも緻密で、完璧な仕上がりです。
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残すところあと3つの祭壇となりました。こちらは、ドメニコ会の聖人ペニャフォルトの聖レイモンドに捧げる祭壇です。祭壇画はフェリーチェ・リッチオ(1539年-1605年)が描き始めたものを彼の弟子の一人であるアレッサンドロ・トゥルキ(1578年-1649年)が完成させたという変わり種。彼はヴェローナで活躍した後、ローマに渡りました。アレッサンドロ・ヴェロネーゼという名前で呼ばれることもあります。
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左側廊入り口から2番目の聖エラスーモの祭壇までやって参りました。今までのものに比べたらとてもシンプルで古典的な祭壇です。
祭壇画はミニスカルキ家の祭壇画も描いているニッコロ・ジョルフィーノの作で、聖ジョルジュと聖エラスーモ(エラスムス)の上に現れた救世主キリストが描かれています。
二人の間に見える広場では今まさに迫害が行われていて、司教達の死刑執行の真っ最中です。こういう構図はあまり目にしたことがありません。 -
カウンターファサードと三色の床を撮った1枚です。
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お終いは、一番入り口寄りのボルディエーリ家の祭壇で、殉教者聖ピエトロに捧げられています。フリーズの美しさはベローナの教会の特色の一つですね。
消えかかっているフレスコはアントニオ・バディーレ(1424年-1507年)によるもの。半月部分に、天の父なる神とキリスト、聖母の姿をかろうじて捉えることができます。聖母戴冠のシーンでしょうか?
彫像は柔らかい石に彩色したもので、中央の祠には、上段は聖母子、下段は左から聖セバスティアーノ、殉教者聖ピエトロ、聖ロッコが並んでいました。こちらは15世紀。 -
ボケていますが、祭壇の天井部分です。
ベローナ特有のフリーズや装飾が多く見られて、美術館のような教会でした。どの祭壇にも「イタリア語」、「英語」、「ドイツ語」、「ロシア語」の説明書きがあり、理解を助けてくれたので、感謝で一杯です。ヴェローナできちんと見ることができた教会は数少ないのですが、特筆すべきスポットだと思いました。 -
ああー 面白かった! と外に出て、再び聖ピエトロ教会、そしてグリエルモ・カステルバルコの墓とご対面です。
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祭壇背後の円筒形の膨らみがなんとも言えない味わいがある聖アナスタシア教会の右側廊脇の通路です。
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そして、アディジェ川の川岸に戻ってきました。今度はローマン劇場のある対岸に渡りましょう。それにしても、この川の水、本当に清らかです。
対岸に見える丘はサン・ピエトロの丘と呼ばれているそうです。 -
でも私のことだから、中々前には進みません。また、見つけちゃった。壁にフレスコの残る古い邸宅です。くねくねと流線形をしている外観も魅力的。
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一番左は、お皿を洗っているのかな? 次は葡萄を搾っている場面ですね。右端の馬に乗っている人は大きな籠を抱えています。
こういう建物を見つけると、どうしても立ち止まってしまうんですよね。 -
今はボロボロになった壁にも、かつてはフレスコが描かれていたようです。軒下だけかろうじて絵が残ったのでしょう。聖人ではなく、働く庶民の姿が生き生きと描かれていたのが印象的でした。
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ようやく橋のたもとに到着。ポンテ・ピエトラ。直訳すれば石橋でしょうか?
最初の橋はローマ時代の紀元前1世紀に作られた古いもので、古代のポストゥミア街道からの分岐した道がここを通っていました。ちょうどこの門をくぐって直ぐの部分がローマ時代の建造だそうですが、どうやら橋そのものを写すことを忘れたみたい(汗)・・・ -
ローマ時代の部分以外は1298年にアルベルト・デッラ・スカラによって再建されましたが、この時点ではまだ木造部分があったようです。完全な石橋になったのは1503年のこと。
1945年の第二次大戦中、町に向かう橋のうち、唯一損傷を受けていなかったこの橋は退却するドイツ軍によって爆破されてしまいました。現在の橋は古い石材を再利用して1959年に完成したものです。
長さ92.8m。幅が7.2mもある大きくて長い橋です。 -
川岸には、花満載の家並みが続きます。お見事!
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橋から川面を覗き込みます。穏やかだった川が、この辺りで急に「瀬」になっていました。
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でやってきたのが、橋を渡ってすぐの所にあるローマン劇場です。
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ローマン劇場は対岸から見えたサン・ピエトロの丘を背景に、なんと! 町の中心にあったアレーナより前の紀元前1世紀末に作られました。
中世の時代になると御多分に漏れずここも見捨てられ、多くの石材は持ち出され、劇場の上には別の建物が建っていたそうです。 -
19世紀に入り、地元の豪商アンドレア・モンガがこの土地を購入し、大規模な解体及び発掘作業を始めたのがきっかけで、ようやく世に知られることとなりました。オウディトリウム、階段、ステージの建物等が次々と姿を現しました。彼は1851年には、丘の上にあった寺院の遺跡も発掘しています。
遅まきながら、1904年にはヴェローナ市が土地を購入して発掘作業を継続、現在に至っています。古代の劇場は60mもの高低差を利用したアディジェ川岸から丘の上まで続く壮大なものでした。 -
アディジェ川に沿って、洪水を防ぐために二つの城壁が築かれたと書かれていましたが、この壁がそうかしら?
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きちんと整備された現在のローマン劇場です。かつてオウディトリウムが建っていたところには、10世紀に創建された聖シーロと聖リベラに捧げられた教会がありました。
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入口は閉ざされていたので、変わった格好の中央扉上のポーチ屋根内にあるフレスコだけ撮ってきました。ゴシック様式ですね。
中央扉へと通じる2つの階段は1697年から1703年の間に作られたそうです。 -
教会に続く背後の目立つ建物はローマン劇場の考古学博物館。以前の聖ジローラモ教会とその修道院の建物を利用しています。アンドレア・モンガやヴェローナ市が発掘した多くのモザイク、石像、石柱等が展示されているそうです。時間の関係でここもオミット(泣)!
丘の上には、ローマン劇場創建時にあった寺院の跡に建てられたサン・ピエトロ城があるのですが、ここからだと見えない! -
こちらはステージ。夏の間には、ここでミュージック・フェスティバルが開かれるそうです。アレーナより風通しが良さそうですねえ。
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少し階段を上れば、ご覧の景色です。
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この辺りの座席にある石はオリジナルかしら???
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アディジェ川の向こうに、先ほど訪れた聖アナスタシア教会とランベルティの塔が見えます。良い眺め!
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そしてこちらは、ピエトラ橋とヴェローナのドゥオモですよ!! 小さくて見にくいけれど、対岸のローマ時代に作られた石造りのアーチ(白く見える部分)がここから確認できました。素晴らしい景色に癒されて、暫しの間ここで休憩。
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発掘品と思しき石柱の一部がこんなところにも沢山展示? されていました。
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著名な劇作家、オペラの台本作家であるレナート・シモーニの記念碑。1948年7月26日の夜に、この古代劇場でロミオとジュリエットが上演されたと書かれています。
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再びピエトラ橋を渡って、旧市街に戻ります。アディジェ川が大きくカーブする辺りに見えるのは、サン・ジョルジョ・イン・ブライダ教会です。
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ピエトラ橋の入り口の塔です。きちんと全景を撮れよ! と文句を言いたくなる写真ですがご容赦下さい。1298年に前述のアルベルト・デッラ・スカラが橋の修復を行った際に、元からあった塔に見張り塔としての機能を加えたもので、アーチの真ん中に、スカラ家の紋章が見えています。
長くなりましたので、一旦ここで筆を置きます。この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その89 ヴェローナ3で!
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