![2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7 木 ローマ<br />2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9 土 ローマ<br />2015/5/10 日 ローマ<br />2015/5/11 月 ローマ<br />2015/5/12 火 ローマ<br />2015/5/13 水 ローマ→ナポリ<br />2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15 金 ナポリ<br />2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17 日 ナポリ→バーリ<br />2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31 日 ボローニャ<br />2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4 木 ヴィチェンツァ<br />2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6 土 ミラノ<br />2015/6/7 日 ミラノ<br />2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9 火 →成田<br /><br />宿に帰って、ヴァレンティーナに明日の予定を話したら、何をおいてもヴェローナに行くべきだと勧められました。「ヴェローナの町の不思議な魔力は、何度訪れても私を惹き付けてやまないわ。夏にはアレーナでオペラが開かれるのよ。もうチケットを買ってあるの。絶対ヴェローナに行くべきよ!」 はい。それで決まりでした。不思議な魔力のある町ヴェローナへ、いざゆかん!<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/19/02/650x_11190211.jpg?updated_at=1481378447)
2015/06/03 - 2015/06/03
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
宿に帰って、ヴァレンティーナに明日の予定を話したら、何をおいてもヴェローナに行くべきだと勧められました。「ヴェローナの町の不思議な魔力は、何度訪れても私を惹き付けてやまないわ。夏にはアレーナでオペラが開かれるのよ。もうチケットを買ってあるの。絶対ヴェローナに行くべきよ!」 はい。それで決まりでした。不思議な魔力のある町ヴェローナへ、いざゆかん!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ヴィチェンツァ-ヴェローナ間はトレニタリアの幹線なので、1時間に3本位列車があります。一番早いフェレッチャロッサだとわずか25分で到着しますが、私が乗ったのはレジョナーレ・ヴェローチェという快速列車。日本に沢山あるコーヒー・チェーン店の名前は「速い」だったんだと、こんなところで納得しました。
約40分で、ヴェローナのポルタ・ヌオヴォ駅に到着です。 -
駅を出て右方向に歩き、川を渡ってしばらく進むと、
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町を囲む城壁が見えてきます。ヴェローナは紀元前1世紀頃のローマ時代からの町で、町の中心を流れるアディジェ川には古くから橋が架けられていて、北のドナウ川沿岸地域及びバルカン半島に行くための交通の要衝として、古くから栄えてきました。
その後城壁は町の中ではあまり見ませんでしたが、今でも少なくとも10km程の城壁が残っているそうです。 -
そして見えてきたのが、その城門の一つポルタ・ヌオヴォです。駅の名前にもなっていましたね。
ヴェローナの南側城壁修復の一環として、1532年から40年の間に、建築家ミケーレ・サンミケーリにより作られた城門です。この城門から長い一直線の道が町の中心に向かって伸びていて、サンミケーリが新しい都市計画を基に建設したことが良く分かります。 -
サンミケーリの計画は、軍事的理由より都市再生に重きを置いています。当時、町が南に拡大していくことを見越して、無秩序のまま建物が密集している地域の南側に、町のシンボル円形闘技場(アレーナ)を中心軸として整備された街区の創生を試みたのです。
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これがその整備された街区を貫く、ポルタ・ヌオヴォ大通りです。アレーナのある中心部との約1.2kmを直線で結んでいます。城門をくぐると、昔ながらの狭い入り組んだ道の多い他の町とは印象がかなり違って見えました。
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所々に植物が植えられている公園がありました。
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薔薇はもう少し盛りを過ぎてしまったよう・・・
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途中の小さな広場に銅像がありましたよ。この方が建築家ミケーレ・サンミケーリですって。ヴェローナの主要な建築を手がけた町の誇りです。よくヴィチェンツァのパッラーディオと比較の対象となるようです。
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お馴染み地味マックを通り過ぎ、なおも暫く進むと、
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ポルティーニ・デッラ・ブラ。町の中心ブラ広場への城門は程なくです。あの小さな城門に沿って中世に築かれた古い城壁がありました。
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1257年に書かれた文書にその名前(その頃はブライダ門と呼ばれていた)があるそうですから、少なくとも13世紀にはあった門ですが、現在の門は1459年に建てられたものです。
2つのアーチの間にはアンティークな時計が時を刻んでいました。白く見える部分は大理石。上部はレンガ造りとなっています。駅から歩いて20分ほどで、ようやくブラ広場に到着です。 -
ブラの城門をくぐると、すぐに左にあったのはマッフェイアーノ博物館。マッフェィ公爵によって開かれた、ヨーロッパでは最も古い石に刻んだ碑名の博物館です。
シェークスピアはヴェローナを訪れたことはないそうですが、左側に彼の胸像が置かれていました。 -
門の隙間からちょっと見学。ギリシャの神殿のような建物です。1738年創立のこの博物館、コレクションは公爵が集めたエトルリア、ギリシャ、ローマ時代の碑文が中心です。
1797年ヴェネツィア共和国終焉後はナポレオンに略奪され、コレクションの多くがルーブルに運ばれたそうですよ。一部は返却されたようですが、いまだにルーブルにあるものも少なくないようです。 -
正面の建物の両翼にポルティコがあって、沢山の石碑が並んでいるのが確認できました。
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ここを見学するには解説がないとちんぷんかんぷんのまま終わりそうですね。後述するヴェローナ・カードで入場可能ですが、閉館時間に間に合いませんでした。
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ブラ広場は台形のような形をしています。城門を背に反時計回りに歩くと、最初の建物がこちらのグラン・グァルディア宮殿でした。
1609年の竣工から完成までなんと240年近くかかっています。窓と窓の間に2本柱が並ぶ重厚な造りの古典的な様式の建物で、現在は展示会場として使われているようです。ちょうど「芸術とワイン」展が開かれていました。 -
そして、次に見えてくるネオクラシカル様式の建物が現ヴェローナ市庁舎であるバルビエーリ宮殿です。最初は新グラン・グァルディア宮殿と呼ばれていて、オーストリア帝国による占領時代には、その司令本部が置かれていました。
ヴェネツィア共和国の後はナポレオン、そしてオーストリアによる支配が続きました。旧ヴェネツィア共和国領からオーストリアを追い出すことができたのは、リソルジメントの時代の1866年、コニッグラッツの戦いの後のこと。ようやくこの年、イタリア王国が誕生したんでしたね。
話が脱線! 新グラン・グァルディア宮殿を設計したのはジュゼッペ・バルビエーリだったことから、後に彼の名でよばれるようになりました。 -
木の陰に半分隠れて見えないけれど、ヴェローナの中心アレーナがいよいよ視野に入ってきました。
楕円形をした闘技場で長径が139m、短径が110mあり、遅くとも紀元30年頃、アウグストゥス帝あるいはクラウディウス帝の時代に完成したと言われています。現クロアチアのプーラにあるアレーナとは類似性が見受けられるので、同じ建築家と同じ労働者によるものという見方が出ているそう。
収容人数はおよそ当時で30,000人。現在は安全上の理由から16,000人。今でも音楽会やオペラなどに利用されています。
アレーナの中のチケットオフィスでヴェローナカード24時間を18ユーロで購入。これでヴェローナ市内の16箇所の観光施設に入場可能となりました。 -
ピンクと白の石灰岩で作られたアレーナの前で奇妙なもの発見。なんだこりゃ??
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見ればわかる、張りぼてのスフィンクスたちは、どこで使われるんでしょうね。円形闘技場とスフィンクスの関係が分からない???
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ヴェローナ・カードが使えるので、アレーナにはあまり興味はないのですが(外側を見るだけで十分?)入場しました。アレーナが作られた当時は、ここは城壁の外側に位置していて、かなり遠くの地方から人々が見物に訪れたそうです。
当初建物は二重円構造になっていましたが、外側部分は1117年の大地震の際に崩壊。崩れた石は他の建物を建造する際に再利用されたとのこと。今いるのは内側の長い廊下部分です。 -
こうした、柱が立ち並ぶ部分を見ると、今から2000年前のローマの土木技術の素晴らしさに感嘆の念を禁じえません。
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この建物も、石をただ積み重ねただけで出来ているんですよね。
1117年以降も、たびたび大きな地震に襲われたにもかかわらず、びくともしない堅牢な構造です。 -
カーテンが吊られた所から、観客席に出ることが出来ました。
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カーテンのある出入り口から外に出たところです。古代の闘技場は、常設の椅子席のある観客席へと変化していました。
広ーい!! 大きさは、ローマのコロッセオ、カプアの円形闘技場に続き、イタリアで3番目ですって。 -
上方に見える4列のアーチが連なる場所。あそこがアラAla(羽)と呼ばれる外側部分が残っている場所で、1117年の地震で唯一崩壊を免れた部分だそうです。
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古代ローマ時代はグラディエーター同士の一騎打ちに始まり、人間対猛獣(Venatio)の競技が行われていたアレーナでしたが、ルネサンス期に「劇場」としてよみがえりました。優れた音響効果があるために、1850年ころからはオペラの公演が始まっています。
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現在では、毎年6月から8月にかけて、4つから6つの作品がここで上演されています。観客にはキャンドルが配られ、日没後にそれが一斉に点灯されて、大変美しいそうです。なお、椅子席ではなく、石段席だと料金がうんとお安いんですって。当日券も購入可能かも。
そうそう、ここではロックコンサートも開催され、Deep Purple、Sting、Rod Stewart、Pink Floyd、Kiss、Peter Gabriel等、そうそうたる顔ぶれが過去にここで演奏しています。私はオペラよりはこっちだなあ。 -
上の方まで歩いて行けば、もう少しダイナミックな写真が撮れたでしょうに、石段を駆け上がる元気がなかったみたい・・・
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再び廊下に戻ってきましたよ。真ん中の石がどうして落ちないのか、不思議です。
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壁に飾られていたヴェローナ出身のオペラ歌手ジョヴァンニ・ツェナテッロ(1876年-1949年)のパネル発見。オテロや蝶々夫人などが代表作のテノール歌手です。
その下には消火栓。石造りの建造物にもきちんと配備されていました。 -
アレーナを出たところから見える風景です。目の前には噴水のある美しい公園。木々の背後には、先ほど前を歩いたグラン・グァルディア宮殿が。
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少し右に移動すると、少々小さいので見えにくいですが、「自由のために倒れた者」の像。
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そして、広場を囲む町並みが広がります。高い建物がなくて、空が広い。
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グラン・グァルディア宮殿の内部をちょっとだけ覗きに行きました。時間が足りなそうなので後回しにしましたが、やはり展覧会を見る時間の余裕はありませんでした。
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尚も広場をうろついて、またまたヴィットリオ・エマニュエーレ2世の騎馬像を見つけましたよ。このところちょっとした銅像マニアになっていますね。
1883年1月、国王が亡くなった後、アンブロージョ・ボルギにより作られました。このブロンズ像重すぎて、作られてからわずか数か月後に台座が重みに耐えかねて崩壊しだしたので、慌てて強化したという話が残っています。
他にもこの周辺で銅像やモニュメント、石碑を沢山見ることが出来ました。 -
ここからだとかつての外壁Alaの部分をはっきりと確認することが出来ますね。二重構造だったことが分かる唯一の場所です。
ぐるっとブラ広場を一周したので、次に参りやしょう。 -
ヴェローナのインフォメーションで、「絶対おすすめ箇所」に丸印をしてもらったのですが、この狭い、いかにも中世からの通りという佇まいのマッツィーニ通りを進むと色々と見られそうです。
通りの彼方で、またもや高い時計塔が私を呼んでおりますよ。 -
こちらが、マッツィーニ通りの入り口。アラビアンナイトから飛び出してきたような大道芸人が出迎えてくれました。
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そうそう、パフォーマーのいるすぐ脇にあった小さな祠のあるコロンナも忘れずに撮っておきましょう。
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ヴェローナで一番古くて有名なマッツィーニ通りです。観光客で常に賑わっているショッピング・ストリートでもあります。よって、中世の面影はゼロ。
ちなみにジュゼッペ・マッツィーニとは、リソルジメント時代の政治家・革命家で、カヴール、ガリバルディと並ぶ「イタリア統一の三傑」の1人だそうです。 -
マッツィーニ通りを暫く進んで三叉路になる小さな広場にあった瀟洒な建物は、ロッジア・アルヴェーディと呼ばれています。1816年頃に建てられたと言いますから、この地区では最新作かもしれません。
イオニア式の列柱が並ぶ2階のロッジアが素敵ですねえ。その上のティンパヌムにはネメアの獅子と戦うヘラクレスのレリーフがありました。 -
中は楕円形で、ここからだとはっきりとは見えないのですが、ヴォールトもフレスコで飾られていました。
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で、またしょうもないものを見つけましたよ。ローマ以来追っかけている水飲み場。ヴェローナ版です。
3人の人が同時に飲むことができる水飲み場です。モダンですねえ。Drinking Waterと英語で書かれていたから、大丈夫。お腹にも優しいお水です。 -
こういう、古そうな柱を見つけると、嬉しくなってて撮ってしまいます。
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お土産物屋さんは、ロミオとジュリエット一色です。
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18世紀から19世紀にかけての司祭ピエトロ・レオナルディの生家前です。ローマの雌狼の姿もありました。
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たくさんの観光客がたむろしていたので、寄ってみたサン・トミオ教会。またの名を使徒トマス教会と言います。
伝説によれば、最初の教会はローマ時代の2世紀にここにあったヴェスタの神殿跡に建てられたそうです。最初に文書に登場するのは837年のこと。ナポレオン時代に閉鎖され、劇場に転用されたこともありましたが、19世紀中頃に再奉献されています。 -
内部の様子です。当たり前ですが、2世紀の面影はまるで感じられません。1748年に建築家クリストファーリにより大改装が行われ、その後の1815年には、ルイジ・テレッツァの設計により劇場に変身しています。
現在はどこの町にもある、庶民的な、観光客とは無縁の教会のようでした。 -
簡素な祭壇は、どれも同じサイズ、規格で白で統一されていました。
こちらは、無原罪の御宿りの祭壇です。聖母が地球の上に乗り、蛇を踏みつけています。これは無原罪の聖母像の典型的なモチーフの一つで、彼女は地球の上に全人類の母として立ち、その足で悪を象徴する蛇の頭を踏み砕くのだそうです。 -
主祭壇は3段のステップを上がった上にありました。巨大な幕屋の背後には、三位一体と、その下に12使徒のフレスコが描かれていました。
解説がないので、いつごろの作品なのか分かりません。 -
こちらは、聖家族の祭壇。キリストと聖母、ヨセフ、マリアの母アンナとその夫ヨアキムの5人揃い組です。
先ほどの観光客はこの教会が目当てではなかったのかなあ・・・教会にはそれほど特別なものはないように感じました。 -
サン・トミオ教会を出て更にマッツィーニ通りを進み、カッペッロ通りを左に曲がると高い塔のある細長いエルベ広場に出ます。
ヴィチェンツァ、パドヴァに続き3つ目のエルベ広場です。Erbeとはハーブのことですって。ハーブを含む野菜が売買されていたことからついた名前だそうですよ。 -
ブラ広場から寄り道をしなければ10分ほどで到着するエルベ広場には、ヴェローナの旧市庁舎(またしてもラッジョーネ宮殿! こちらも3つ目!)とその背後に高さ84mのランベルティの塔が聳えていました。
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広場の入り口で迎えてくれたのは、ヴェローナ出身の詩人ベルト・バルバラーニ(1875年-1945年)の彫像です。ヴェローナ方言で綴られた詩を多く発表し、「ヴェローナの人々の願望と苦しみをもっと最も繊細に、そして純粋に表現した」詩人として知られています。
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エルベ広場にも、祠のコロンナがありましたよ!
この広場はローマ時代のフォーラムに位置していて、古くからの政治、経済の中心地でした。ご覧のように、狭い広場は白いテントの露天商で埋め尽くされています。 -
広場の入り口にあったこちらの建物はユニークですねえ。真ん中の高い建物は、その昔は塔だったような外観ですが、今はすっかり住居になっています。てっぺんまで歩いて上るのかしら? と他人事ながら心配。
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こちらは、広場のほぼ中央に立つ「トリブーナ」と呼ばれている建造物です。13世紀ころから貴族や町の行政長官らが中に座り、法令に忠誠を誓う式典や様々な宗教的な儀式に使われたきたそうです。今では観光客の休憩所と化していますけれど・・・
気になったのは、柱に繋がれた鎖。先端についているのはひょっとして首輪? -
市場の野菜を見たいなと思い、中に入っていきましたが、殆どが観光客目当てのお店で占められていました。
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ひょっとしてここはヴェネツィア?
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イチオシ
仮面のオンパレード!
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余りにも人が多いので、静かな場所に避難しましょう。そう、あの塔の上がいいなあ。
塔の手前にあるのはアルコ・デッラ・コスタと呼ばれる、ヴェネツィア共和国時代に、市庁舎と隣の建物ドムス・ノヴァの間に架けられた渡り廊下です。当時ドムス・ノヴァは判事たちの住居として使われており、彼らが「悪意のある」一般道を通ることなく、市庁舎内にある法廷に行き来出来るように作られたのだそうです。 -
というわけで、ランベルティの塔に挑戦します。ヴェローナカードで入場可能です。
塔は12世紀より建て始められ、次第に高くなっていきます。外観をよく観察すると、使われた資材が途中から異なっているのが分かります(1枚上の写真を見てね!)。
主に使われているのは凝灰岩製レンガと大理石だそうですよ。改装工事は1464年まで続き、1779年には時計が取り付けられました。
製作者及び改装を誰が行ったかはわかっていないそうです。 -
ふぅ 疲れたぁ! どうにかてっぺんに到着です。
素晴らしい眺めが眼下に広がっていました。それに大変静かです。なんと! 私一人で他には誰もいません。地図を取り出して、首っ引きでこれから行く場所を確認します。
こちらは西方向。特徴的な高い塔はあまり見当たりませんねえ。左端にアレーナのAlaが見えています。 -
こちらは北側。エルベ広場の一部と一番奥のマッフェイ宮殿と脇にガルデッロの塔が見えています。
左側にある尖塔は聖エウフェミア教会です。 -
マッフェイ宮殿とガルデッロの塔のアップです。この宮殿は15世紀には存在していましたが、1469年に貴族マルカントニオ・マッフェイが3階部分の増築を開始。工事は延々と続き、ようやく出来上がったのが200年後の1668年だそうですよ。
バロック様式の美しいファサード、後で見に行きましょう。 -
マッフェイ宮殿前のヴェネツィアの羽の生えたライオンのアップ。いつも見上げてばかりなので、たまにはこのアングルも良いなあ。
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聖エウフェミア教会の更に西を見やると、遠くに美しい橋が見えました。
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アップするとこんな感じ。カステルヴェッキオ橋。スカラ家のカングランデ2世により1354年から56年にかけて架けられた要塞橋です。
スカラ家の強権支配に対する市民の反乱が起こった際に、橋の左側に見える城から自分が安全に対岸に脱出できるようにと作られた橋だそうですが、とても美しいフォームを持っていて、見飽きず眺めてしまいました。 -
北東側には、白いヴェローナのドゥオモの尖塔が望めました。ドゥオモの背後をアディジェ川が流れています。写真では説明が難しいですが、アディジェ川は、ヴェローナ市街をS字カーブを描きながら流れています。
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東側です。目立つのは手前のカピターノ宮殿と、奥に堂々とした構えの聖アナスタシア教会。その背後にローマ時代の劇場テアトロ・ロマーノが一部見えていました。この3つについては後で訪問します。
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聖アナスタシア教会のアップです。
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最後は南側です。手前の高い建物に沿って、先ほど通ってきたマッツィーニ通りがあります。
良い天気で眺め最高でした! -
ランベルティの塔には鐘が大小二つありました。こちらは大きい鐘で、議会の招集、そして町を防御する必要があるときに市民に武器を取れと命ずる鐘だそう。
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そして、こちらが小さい方です。時刻を告げ、火事の時に知らせる鐘です。
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ほら! 誰もいないでしょう。本当に景色独占してしまいましたよ。ゆったり景色を満喫したので、そろそろ降りるとしましょうか。
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下りてきたのは、パラッツォ・ラッジョーネの中庭です。
ラッジョーネ宮殿は建物の西側をエルベ広場、北側をシニョーリ広場に向けて建っています。1193年に最初の工事が始まっていて、当初は四隅にランベルティ塔のような塔を建てる計画だったようです。スカラ家による支配(1277年~1387年)の間に、宮殿は内部外部ともに何度も改装を重ねます。2階に裁判所ホールや、市庁舎の機能面、装飾面で最も貢献した聖ツェーノに捧げる礼拝堂はこの頃誕生しています。 -
ヴェネツィア共和国の支配を受けるようになった1405年以降、ラッジョーネ宮殿はさらに改良を加えます。
今見えている階段スカラ・デッラ・ラッジョーネは15世紀から16世紀の間に装飾され直されたもの。新たに公証人の礼拝堂が設立され、ランベルティ塔が遂に完成を迎えます。なお、市庁舎は1493年にシニョーリ広場にあるロッジア・デル・コンシリオに移転したため、この後ラッジョーネ宮と呼ばれるようになったそうです。 -
こちらが、スカラ・デッラ・ラッジョーネ全景です。
ラッジョーネ宮の中央に開けた中庭から2階のメインフロアの主扉までを優美に繋いでいます。ヴェローナ特産の赤い大理石が美しいですね。 -
ラッジョーネ宮殿とランベルティの塔。これも不思議と調和していますね。
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もう1枚!
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階段下のアーチの先に、エルベ広場の白いテントが見えています。なるほどね。こういう位置関係だったんだ。
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スカラ・デッラ・ラッジョーネの階段のアーチには、1447年と書かれた碑文を見ることが出来ました。オレンジ色がかったヴェローナの大理石をとくとご覧あれ。階段の下はヴォールト構造になっているんですね。
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一旦ラッジョーネ宮を離れて、カッペッロ通りを少し戻ります。ご覧のような人混みで、ここがどこだかすぐにお判りでしょう。ジュリエットの家。3分足らずで到着です。
門の上には、「ここはジュリエッタの住んでいたキャピュレット家」との碑文が書かれていました。 -
最初に目に入ったのは、アーチの両側の落書きの上に落書きが積み重なって、もはや壁紙と化している壁です。元々の壁がどうだったのか全く想像できません!
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そして有名なジュリエットが登場するバルコニー。実はこれ以外の場所が写せない状態なんです。
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だって、ひと、ひと、ひとなんですもの。狭い家の中庭に、一体何人の人がいるのかしら?
ジュリエットの家に入場しなくても、誰でもここまでは入ることができるので、ヴェローナを訪れるすべてのツアー、殆どの観光客がここにやってきます。正に通勤電車並みの混みようです。 -
テレビでも何度も見たことのあるジュリエット像は、1秒の間も空くことがなく、誰かが一緒に写真を撮っています。ピサの斜塔では塔を支えるポーズで。ここではジュリエットの胸を触るお定まりのポーズで。
というわけで、寂しい一人ぽっちのジュリエットを撮ることは不可能と判断し、サッサと諦めました。ヴェローナカードの元を取ろうとしているわけではないのですが、ここもあまり気が進まないのに入場です。 -
中は打って変わって静か。殆どの観光客は入場しないで帰るようです。正直、あの人混みから逃れられてほっとしている自分がいました。
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この階段から上に上るようです。
ここで簡単にキャプレット家の主要人物をご紹介しましょう。
キャピュレット家の主、つまりジュリエットの父は説明しがたく、殆ど原因不明のモンタギュー家との争いの中にどっぷりつかっています。彼女は娘を深く愛していましたが、彼女の夢と希望には全く無関心でした。彼は、ジュリエットはパリスと結婚すべきと考えていました。
パリス公爵とはヴェローナのエスカルス王子(スカラ家をモデルにしている?)の血縁者で、ジュリエットにぞっこんです。ハンサムで、やや自己陶酔気味、そして非常に裕福な男性です。 -
キャピュレット夫人 ジュリエットの母親。彼女は娘にあまり関心がありません。彼女の教育は乳母に任せておけばよいという考えの持ち主でした。ジュリエットと同じくらいの年で若く結婚した夫人は、夫同様、パリスが最もふさわしいジュリエットの夫候補だと考えています。
乳母 名前はついていません。常に中立で、ジュリエットの僕です。彼女はジュリエットの親友で、実際上夫人より母に近い存在です。
ティボルト 夫人の兄の息子でジュリエットの従兄弟。彼は熟練した剣使いで、短気な性格。物語ではロミオの競争相手という役柄で登場します。 -
ジュリエット 13歳の美しい娘。パリスと結婚させられそうになっています。しかし、彼女が父の仇の息子ロミオに会って恋に落ちた瞬間から、彼女の運命はつまずきを見せるのです。
私が思い浮かべられるのは、1968年公開のフランコ・ゼフィレッリ監督の映画しかありません。ここでテーマ音楽が流れます。♪ララーララー♪ ♪ララーララー♪
こうした登場人物を思い浮かべながら、家の中を歩くと楽しさ倍増です。 -
有名なバルコニー今空いていますよ。一瞬行ってみようかな思いましたが、やめました。私が立っても何の意味もない事に気が付きました。ハハハ・・・
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中庭は相変わらずの混みよう。うっかりバルコニーに立って、一斉にフラッシュの嵐を浴びたらどうしよう??? と考えると、やはり立てません(笑)。
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2階のメインフロアには、「ロミオとジュリエットの死」というタイトルのこちらの絵を始め、数十枚のフレスコ画が飾られていました。
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果物が描かれたフレスコその1
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一番上にいる人物はどなたかしら? こちらもたわわに実った果物が沢山!
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果物が描かれたフレスコその3です。メモ取りませんでした。
ロミオとジュリエットの主要登場人物の続きです。
メルクティオ エスカルス王子とパリス公爵の従兄弟で、ロミオの親友。彼はモンタギュー家ではありませんが、モンタギュー家の人間のようにキャピュレット家を忌み嫌っています。
続いてモンタギュー家
モンタギュー公 キャピュレット家より少し格が上のモンタギュー家の当主。金持ちでキャピュレット家とは確執があります。ロミオを深く愛し、心配しています。
モンタギュー夫人 ロミオの母でロミオの従兄弟ベンヴォリオの叔母に当たります。
ロミオ モンタギュー公の息子。ロザラインへの片思いが破れた彼を気遣い、彼の従兄弟ベンヴォリオと友人のメルクティオは、キャピュレット家の仮面舞踏会に行こうと彼を誘うのです。そこで、ジュリエットと恋に落ちるんでしたね。
ベンヴォリオ モンタギュー公の甥でロミオの従兄弟。
物語を思い出しましたか? -
2階にあったメイン・ダイニングルームと
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その背後の壁にあったフレスコです。
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バルコニーから下を見る女性。乳房が丸見えなんですけれど・・・
16世紀のヴェローナの画家が描いた「バルコニーの女」だそうです。ヴェローナの画家パオロ・カリアリの作品と言われた時期もあったようですが、筆遣いと色の使い方が彼とは異なるとされました。どこかの壁から剥がしてきたと書かれていました。 -
2階部分家の裏側にあるバルコニーは無味乾燥な造り。
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更に階段を上って3階へ。
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壁のニッチェのフレスコは14世紀のもので、やはりどこかの壁から剥がされたものです。作者不詳。聖クリストフォロ、聖ジャコモ、聖レオナルドのいる三位一体が描かれていました。
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3階の壁を覆うフレスコは、今まで教会では見たことのないデザインなので、中々興味深かったですよ。中世の家を探検しているような気分。
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大胆過ぎて少々落ち着かない気分になります。
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こちらは、テレビでも見たことのある「ジュリエットへの手紙」を入れるポスト。世界中からジュリエット宛に手紙が届くそうです。この「ジュリエットの家」の中に、そうした手紙に返事を書くヴォランティアの女性達が活動する拠点があります。
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更に屋根裏に上ります。
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15世紀の建築用タイルのコレクションです。中央上には双頭の鷲が二つ、下には丸いクーポラのある寺院が描かれていました。ヴェローナ産とのことでした。
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最上階の窓からはヴェローナの町の赤い瓦屋根が広がる風景が望めます。狭間が並ぶお向かいの建物はテアトロ・スタビーレ。屋根が波打っていますね。
劇場裏庭の階段がキュートです。 -
ちょこんと飛び出した隣家の屋根裏部屋が見えます。こういう場所には上ったことがないので、窓ガラスにへばりついて見てしまいました。昔と変わらぬ風景と言いたいところですが、テレビアンテナが邪魔。
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屋根裏部屋にあったのは、暖炉の前に恐ろしく背もたれの高い椅子が二脚と・・・
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懐かしい、フランコ・ゼフィレッリ監督、レナード・ホワイティング、オリヴィア・ハッセー主演の映画「ロミオとジュリエット」で使われた衣装です。ダニロ・ドナーティはこの服のデザインでアカデミー衣装デザイン賞を受賞しました。
再び♪ララーララー♪ ♪ララーララー♪のテーマ音楽が流れ出します。もう止まりません! -
レンツォ・モンギアルディーノがデザインした「ルネサンス様式のベッド」は、フランコ・ゼフィレッリ監督の映画の中でセットとして使われたものだそうです。
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これがその場面です。そう言えば、あのロミオ役のレナード・ホワイティングってその後さっぱり姿を見ていませんね。
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ベッドの先の壁には、フレスコの聖母子像が優しく見つめていました。ヴェローナの画家ジョヴァンニ・バティーレ(1379年頃-1448年?)の作品です。
「ロミオとジュリエット」に登場するモンタギュー家(イタリア語モンテッキ)とキャピュレット家(カッペラッティ)は実在するファミリーですが、ギベリン派の豪商モンタギュー家が流血を繰り返して争った相手はゲルフ派のサンボニファシオ家で、キャピュレット家は登場しないそうです。
まあ話のタネにはなりますので、ヴェローナカードを購入された方は中をご覧になっても損はしないと思います。 -
エルベ広場に戻る前に、おおー、呼ばれてしまいました。
まだランチ前なのですが、Venchi(ヴェンキ)を見つけてしまったので、別腹のジェラートタイムを取りましょう。北イタリアではヴェンキのお店が沢山あって、幸せです。 -
元々トリノ発祥の老舗チョコレートメーカーなので、お勧めはやはりチョコのジェラート。チョコといつものピスタチオのペアにしてみました。格別です!
しょうもないところで、長くなりましたので一旦休憩。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その88 ヴェローナ2で!
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この旅行記へのコメント (6)
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- マリアンヌさん 2016/12/13 12:32:26
- ロミオとジュリエット
- junemayさん、こんにちわ。
ヴェローナも見所満載ですね。
若い頃、ツアーで通りましたけど、アレーナとジュリエットのバルコニーをササッと見ただけでした。
塔の上から見るとまさに圧巻の景色ですね。
色彩の統一感が素晴らしいです。
アレーナの内側って初めてみました。オペラとかやるんですよね。
スフィンクスとかアレーナの前にありましたけど、アイーダの名残とか?
それよりjunemayさん、ロック聞かれるんですか?
私はレッドツエッペリンなんですが・・・
それからバルコニー、すごい人ですね。
一般に日本だけじゃなく、他の国々の観光客もミーハーなんですね。
よく思うんですけどヴェネツアなんかもちょっとはずれの教会なんかは、人がいないですもんね。(サンマルコ広場やリアルト橋は大混雑でも)
フランコ・ゼフィレッリ監督、レナード・ホワイティング、オリヴィア・ハッセー主演の映画「ロミオとジュリエット」懐かしい〜!
昔、見ましたし、映画音楽のLPも買いました。
建物の中に飾られているんですね。
ヴェローナも行く機会があるといいのですが・・・
続き楽しみにしています。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/12/14 16:22:39
- RE: ロミオとジュリエット
- マリアンヌさん こんにちは!
素敵なコメントありがとうございました。
10代の頃はブリティッシュロックガンガンの人間でした。ロンドンの街角でジミー・ペイジや今は亡きフレディ・マーキュリーに会ったことがあります。ゼッペリンではカシミールが最高だと思っています。
そう、ジュリエットの家から少し離れると、人っ子一人見かけなくなります。町歩きには本当に良い町です。ヴェネツィアの影響がそこかしこに見ることが出来ます。再訪を期したい町の一つになりました。そう言えば、2014年に初めてヴェネツィアに行った頃には教会への興味がほとんどなかったので、ヴェネツィアの教会は外からしか見ていません。じっくり内部も味わいたいな。いつかきっと!
年末でお仕事お忙しいでしょうが、お体には十分留意くださいね。来年もよろしくお願いいたします。
ブライアン・メイを夫に持つ(嘘!)junemayより
> junemayさん、こんにちわ。
>
> ヴェローナも見所満載ですね。
> 若い頃、ツアーで通りましたけど、アレーナとジュリエットのバルコニーをササッと見ただけでした。
>
> 塔の上から見るとまさに圧巻の景色ですね。
> 色彩の統一感が素晴らしいです。
>
> アレーナの内側って初めてみました。オペラとかやるんですよね。
> スフィンクスとかアレーナの前にありましたけど、アイーダの名残とか?
> それよりjunemayさん、ロック聞かれるんですか?
> 私はレッドツエッペリンなんですが・・・
>
> それからバルコニー、すごい人ですね。
> 一般に日本だけじゃなく、他の国々の観光客もミーハーなんですね。
> よく思うんですけどヴェネツアなんかもちょっとはずれの教会なんかは、人がいないですもんね。(サンマルコ広場やリアルト橋は大混雑でも)
>
> フランコ・ゼフィレッリ監督、レナード・ホワイティング、オリヴィア・ハッセー主演の映画「ロミオとジュリエット」懐かしい〜!
> 昔、見ましたし、映画音楽のLPも買いました。
> 建物の中に飾られているんですね。
>
> ヴェローナも行く機会があるといいのですが・・・
> 続き楽しみにしています。
>
> マリアンヌ
- マリアンヌさん からの返信 2016/12/14 23:59:56
- RE: RE: ロミオとジュリエット
- えっえ〜!ロンドンの街角でジミー・ペイジや今は亡きフレディ・マーキュリーに会ったことがあるんですか!羨まし過ぎます。
実は私もブリテッシュロックに傾倒し、へヴィメタのジューダスプリーストあたりまで聴いてました。しかし何といってもZEP、ジミーペイジのギタープレイに夢中でした。
数年前、英国を訪れた時は、彼が初めて一人暮らししたPangbourneのボートハウスやロンドン市内のタワーハウスに行きました。
写真集発売の時は1時間位、電話をかけ続けて当選し、紀伊國屋でジミーと握手することができました。
junemayさん、ブライアン・メイなんですね!
私もクイ―ン4枚目までは買ってましたが…
ギター好きなので当然、中ではブライアン。9月に武道館でブライアン見て来ましたよ。
博識のjunemayさんがぐっと身近に感じられちゃいました。
これからもよろしくお願いします♪
来世はジミーの恋人、マリアンヌより
- junemayさん からの返信 2016/12/15 17:10:27
- RE: RE: RE: ロミオとジュリエット
- マリアンヌさん こんにちは!
> えっえ〜!ロンドンの街角でジミー・ペイジや今は亡きフレディ・マーキュリーに会ったことがあるんですか!羨まし過ぎます。
ええ。まだ10代のころです。最初に訪れたパリでまず向かったのはペール・ラシェーズにあるJim Morrisonのお墓でした。その頃ロンドンではKings Rordがファッションの中心地で、二人に会ったのもそこでした。懐かしい!
マリアンヌさんお若いのに、よくご存じですね。ロックを聞いたのは80年代まで。その後はすっかりご無沙汰です。アメリカに行くとClassic Rock Stationという70年代から80年代専門のラジオ局がたくさんあって、何もない荒野で車を走らせるとバックグラウンドミュージックだけで胸が高まるのを感じます。ブリティッシュも素晴らしいですが、アメリカの砂漠で聞くホテルカリフォルニアも最高でした。
ヘヴィメタでは、ロンドンのマーキーで聞いたHeavy Metal Kidsが印象に残っています。ジミーと握手できたなんて素晴らしい!一生の思い出ですね。
大学生の時に半年ほどロンドンに住んでいたことがあり、英会話はすべてその時学んだもの。それ以来全く進歩していません。
しかし、欧州往復最低で23万円ほどかかったその頃と比べると、航空運賃安くなりましたね。1ポンドが700円位していて、安アパートのウィークリーの家賃が8ポンドでした。今年スペインで会ったイギリス人にそのことを話すと、今はそれじゃランチも取れないと言われてしまいました。
思い出を語るときりがありませんので、この辺で。今後もよろしくお付き合い願えたら嬉しいです。
junemay
>
> 実は私もブリテッシュロックに傾倒し、へヴィメタのジューダスプリーストあたりまで聴いてました。しかし何といってもZEP、ジミーペイジのギタープレイに夢中でした。
> 数年前、英国を訪れた時は、彼が初めて一人暮らししたPangbourneのボートハウスやロンドン市内のタワーハウスに行きました。
> 写真集発売の時は1時間位、電話をかけ続けて当選し、紀伊國屋でジミーと握手することができました。
>
> junemayさん、ブライアン・メイなんですね!
> 私もクイ―ン4枚目までは買ってましたが…
> ギター好きなので当然、中ではブライアン。9月に武道館でブライアン見て来ましたよ。
>
> 博識のjunemayさんがぐっと身近に感じられちゃいました。
> これからもよろしくお願いします♪
>
> 来世はジミーの恋人、マリアンヌより
-
- kaz-ykさん 2016/12/11 16:21:06
- 貴重なご報告に感謝
- junemayさん 今日は
ヴェローナは、良いよとは、聞いていましたが、2000年前の物が、
見事に、こんなに、沢山残っているとは、初めて知りました。
「塩野七生」の著作が、好きで、何冊か、読みましたが、
貴女様のご報告は、写真で、詳細を、説明して頂いて入る二で、理解出来ました。
ご労作の御礼まで
- junemayさん からの返信 2016/12/12 22:00:29
- RE: 貴重なご報告に感謝
- kaz-ykさん こんばんは!
コメントありがとうございました。そして、大変励みになるお言葉、深く感謝いたします。
イタリアにいると、2、300年前のものは当たり前、少し前まで20年で家を建て替えていた我が国の文化とは違いすぎて、戸惑うことが多々あります。皆で自国の歴史を学び、愛し、古いものを可能な限り残していこうとする文化が根付いているのは、羨ましい限りですね。
古いものを維持管理していくのは大変な努力を伴いますが、日本も新しいものばかりに走らずに、古き良きものを大切にして、その土地独自の文化を町並みとともに子供たちに継承していく姿勢を見習ってほしいと願っております。
ヴェローナはローマとは異なり、見どころがコンパクトにまとまっており、街歩きに適した町。人込みから一歩離れれば、マイペースで歩くことが可能で、町の歴史を肌で感じることができるので、お勧めです。
今後ともよろしくお付き合いください。
junemay
> junemayさん 今日は
>
> ヴェローナは、良いよとは、聞いていましたが、2000年前の物が、
> 見事に、こんなに、沢山残っているとは、初めて知りました。
>
> 「塩野七生」の著作が、好きで、何冊か、読みましたが、
> 貴女様のご報告は、写真で、詳細を、説明して頂いて入る二で、理解出来ました。
>
> ご労作の御礼まで
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