2016/11/22 - 2016/11/22
143位(同エリア2894件中)
かっちんさん
東京都心の街路樹が色づき始め、日比谷公園には紅葉を楽しむ人たちが集まっています。
そして、今年で50年を迎えた銀座ソニービルは来春解体が決まりましたが、その前に「It's a Sony 展」が開催され、ソニーが歩んできた歴史を振り返る商品が展示されています。
懐かしい思い出がよみがえり、ソニーの新しいものを世の中に出す開発意欲に賞賛します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
日比谷門前の菊飾り
東京都観光菊花大会が日比谷公園内草地広場で11/1~11/23に開催されています。 -
日比谷公園の案内図
有楽門から入り、園内を左回りで一周します。 -
日比谷公園の冬桜
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黄色い銀杏を眺める見物客
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アキニレ
真っ赤な葉がかすかに枝に残っています。 -
欅の紅葉
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欅の散歩道
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イチオシ
ビルの谷間のオアシス
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イチオシ
美しい彩りの紅葉
雲形池のところです。 -
色づくもみじ
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燃えるような朱色のもみじ
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池に映る紅葉
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落ち葉の絨毯
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背比べしている銀杏と高層ビル
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銀座ソニービル
みゆき通りを歩き、銀座ソニービル前に来ています。 -
It's a Sony 展
昭和41年(1966)に数寄屋橋交差点に面した銀座ソニービルがオープンしました。
当時、まだ中学生だったかっちんには先進的なビルが登場したことを覚えています。
今年で50年が経ち、2017年4月1日からビルの解体が始まり、2018年の夏にソニーパークとしてオープンします。
ソニー創業70年、銀座ソニービル開館50年を迎えて、ソニーが歩んできた歴史を振り返る商品が一挙に集結し展示されています。 -
カセットウォークマン(昭和63年 1988)
ウォークマンと言えばソニーですね。 -
8mmビデオカメラ(平成元年 1989)
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MDウォークマン(平成10年 1998)
冬季長野オリンピック開催、郵便番号7桁化された年です。
中二階へ上がる階段を一段づつ踏むとドレミファ・・の音が出ます。これは「ドレミ階段」と呼ばれていたものです。 -
「東京通信工業株式会社」の看板
ソニーの前身である東京通信工業は、昭和21年(1946)に日本橋で創業しました。 -
イチオシ
電気炊飯器(昭和20年 1945)
木のおひつにアルミ電極を貼り合わせただけの失敗作第1号でした。
失敗があったからこそ、今の美味しく炊ける他社の炊飯器ができたと思います。 -
真空管電圧計(昭和20年 1945)
創業時からトランジスタ開発期までの主力製品でした。
新しい開発製品を生み出すには、計測器が必需品だったのですね。 -
ポーダブルテープレコーダー(昭和26年 1951)
「デンスケ」の愛称で親しまれていた取材用可搬型テープレコーダーです。
電池の消費電力低減のため、テープを回す動力にゼンマイが使われていたとはビックリ! -
普及型テープレコーダー(昭和26年 1951)
普及型テープレコーダーの1号機、重さ13kg。
初めて社外工業デザイナーに依頼したもので、「完成しないうちは、帰ってきてはいかん」と井深氏から厳命され、開発者たちが熱海でカン詰めになって出来上がった製品です。 -
トランジスターラジオ(昭和32年 1957)
当時世界最小のトランジスターラジオでした。
ソニーとして本格的な輸出第1号機となりました。 -
オープンリール方式のテープレコーダー(昭和39年 1964)
「ソニオマチック」という名称で愛されていました。
かっちんが小学生の頃、学校で見かけたことがあります。 -
カセットテープレコーダー(昭和41年 1966)
ソニーのコンパクトカセットテープレコーダー第1号機で、重さはわずか1.75kg。
ピアノ式と呼ばれる操作ボタンとテープが飛び出すイジェクト方式は好評でした。 -
ポーダブル電子計算機(昭和42年 1967)
重量6.3kgで価格は26万円という代物。
現在の電卓に活かされるオペレーティングシステムの基礎となる仕組みを数多く開発し、搭載されていました。 -
イチオシ
ソニー坊や
1950年代のプロモーション用キャラクターです。
ソニー坊やは、漫画家の岡部冬彦さんが週刊朝日で連載していた「アッちゃん」から生まれたキャラクターです。
1960年代頃まで使われていたそうで、かっちんもソニーの販売店で見かけたことがあります。 -
トリニトロンカラーテレビ(昭和43年 1968)
井深氏自ら開発リーダーとして最初から最後まで立ち合い、生まれたソニー独自のトリニトロン方式によるカラーテレビ1号機です。
その発表会はこの銀座ソニービルにて行われました。
トリニトロンは光の三原色である赤・青・緑の3色を1本の銃で同時に発射するので、フォーカスが良くなり、色ずれが少なく細部までクッキリと表示できました。
他社は3本の銃からそれぞれの色を発射する方式でした。 -
ベーター方式ビデオテープレコーダー(昭和50年 1975)
カラーテレビ普及率が90%を超えた1975年、「ビデオテレビ」と銘打ってビデオデッキ単体として発売されたビデオレコーダー第1号機です。
VHSと競いあった録画方式です。
当時、私の両親はベーター方式を買っていました。 -
イチオシ
レコードプレーヤー(昭和51年 1976)
スピーカー内蔵のハンディレコードプレーヤーです。
社内アイデアコンテストの出展作品を販促用として商品化、モーター駆動でグルグル回りながら、車体下のカートリッジで溝をトレースしてレコードを再生します。
昭和50年代は今より自由に考えることができた時代です。逆転の発想は大事ですね! -
8mm方式ビデオカメラ(平成元年 1989)
ソニーとして初めて「予告CM」を出した、パスポートサイズのハンディーカムTRシリーズの第1号機です。
グッドデザイン賞を受賞しています。 -
ウォークマン第1号機(昭和54年 1979)
音楽の楽しみ方を変えた商品。
和製英語である「ウォークマン」が海外の権威ある辞書に載るまでになりました。 -
時代とともに変わるウォークマン
カセットテープからCD、MDプレーヤーへと変わります。 -
記録媒体の変遷
磁気媒体(テープ、FD)から光ディスク、半導体メモリーのメモリースティックへと変わります。
記録媒体は、小型化、大容量化していきます。 -
ポーダブルCDプレーヤー(昭和59年 1984)
ディスクジャケットサイズの底面積を実現させた、コンポーネントタイプのCDプレーヤー第1号機です。
CDジャケット4枚分の厚さの木型を元に開発されました。 -
ポーダブルLPプレーヤー(昭和58年 1983)
持ち運びができ、プレーヤーを壁にかけながら、レコードを再生できます。 -
時代の要求に応えたミニコンポ(平成元年 1989)
ミニコンポの小型志向をさらに発展させ「ピクシー」という愛称で親しまれました。 -
My First Sony(平成元年 1989)
児童を対象に開発されたオーディオビジュアル機器です。
ネーミングは、子供が初めて音響製品に触れ、それが科学への興味を触発できればという願いが込められていました。 -
3.5型FD(昭和55年 1980)
世界初3.5型マイクロフロッピーディスクを発売し、パソコンや日本語ワープロの外部記憶装置として、家庭用パソコンに採用されました。 -
初期のパソコン(昭和59年 1984)
MSX規格のエントリーモデルです。
右上部にカセットスロットがあり、ソフトの入ったカートリッジを差し込み動かします。
画面表示装置、外部記憶装置は別に接続します。 -
ワードプロセッサー(昭和62年 1987)
2インチデータディスクドライブ内蔵のワープロです。
持ち運びに便利なプリンター分離型のデザインが特徴的でした。 -
携帯電話の変遷
初期の携帯電話は巨大でした。 -
AIBO(平成11年 1999)
ペットロボットの製品第1号「アイボ」です。 -
エンタテインメントロボット(平成15年 2003)
家庭内での使用に向けて、安全性や耐久性、コミュニケーションの能力をさらに高めた小型二足歩行ロボット「QRIO」。
子育てが終わった世代には欲しいロボットかも・・・ -
1000万台目の記念すべきプレイステーション
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アロマスティック
5つの香りの中から好きなものを選び、ボタンを押すと自分のまわりだけで香りを楽しめます。
数量限定ですが、2016年11月23日から販売開始しています。
気分転換に使えそうですね。
ソニーの商品を見ていると、技術の進歩と開発意欲が素晴らしい商品を生み出していることを感じました。
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