所沢市高齢者大学第36期同期会旅行 上田城・小諸城址懐古園 OB/OG Tour of 36th Senior College of Tokorozawa City/UedaCastle,Komoro Kaikoen
2016/11/17 - 2016/11/17
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yamada423さん
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上田城東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)/小諸懐古園 紅葉ヶ丘の紅葉
2016.11.17
このブログは所沢市高齢者大学第36期同期会の公式サイトではありません。
今年の同期会のバス旅行のテーマは大河ドラマの世界
「真田丸 戦国ルートを巡る」
大河ドラマ「真田丸」上田市推進協議会公式ホームページ
http://ueda-sanadamaru.com/
上田城の歴史
http://www.ueda-cb.gr.jp/uedajo/history.html
上田城は天正11年(1583)真田昌幸によって築城され、天正13年(1585)第一次上田合戦・慶長5年(1600)第二次上田合戦の二度にわたり徳川の大軍を退けたことで知られています。二度もの実戦経験があり、上田城のような戦歴を持つ城は全国でも例がありません。関ヶ原の合戦後、上田城主は真田信之となり、以後、仙石氏(三代)、松平氏(七代)とかわり、廃城後は公園となり、現在に至っています。
上田合戦
第一次・第二次上田合戦The Battle of Ueda
徳川・北条の和睦により、真田昌幸が徳川家康にそむくかたちで起った第一次上田合戦。関ヶ原の合戦の前哨戦となり、真田父子が分かれて戦った第二次上田合戦。
二度もの実戦経験をもち、上田城のような戦歴を持つ城は全国でも他に例がありません。
龍光院(上田市 精進料理昼食)
http://www.nagareki.com/ueda/ryukou.html
龍光院(上田市)概要: 龍光院の創建は弘安5年(1282)、塩田北条国時が父である義政の菩提を弔う為、月湲和尚を招いて開山したのが始まりと伝えられています。塩田北条氏の菩提寺として庇護され、「信州の鎌倉」とも言われた文化の中心的寺院として寺運も隆盛しますが元弘3年(1333)、新田義貞が鎌倉を攻めた際、幕府側として行動した為、塩田北条氏一族が滅びその後は庇護者を失い衰退します。慶長6年(1601)萬照寺六世瑞応が中興開山し当初の寺号だった仙乗寺を龍光院と改め曹洞宗に改宗、建長寺(神奈川県鎌倉市)から萬照寺(更科市)の末寺となっています。享保17年(1732)の火災で多くの堂宇が焼失し享保20年(1735)に再建されています。
小諸城址「懐古園」
http://www.kanko.komoro.org/midokoro/kaikoen.html
「懐古園」は、小諸城址に残る「三の門」や苔むした野面石積の石垣、樹齢500年といわれるケヤキの大樹の中、四季折々の風情が楽しめる公園です。
小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城で「日本百名城」でもあります。仙石秀久が築いた「大手門」や野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿で残されています。
また、明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられました。現在の「三の門」に掲げられた扁額は徳川宗家16代当主・徳川家達の筆によるものです。
明治の文豪・島崎藤村をはじめ、若山牧水、高濱虚子、臼田亜浪のゆかりの地であり、多くの歌碑を見ることができます。先の大戦では小林亜星、永六輔が小諸に疎開していましたが、このご縁で「小諸 わが想い出」をお二人に作詞作曲いただきました。また「上を向いて歩こう」は永六輔氏が戦時中の小諸時代、この懐古園での悲しい思い出から作詞されたということです。
バス旅行ルート
小手指駅南口→国道463バイパス→圏央道入間IC→関越鶴ヶ島JCT→上里SA→藤岡JCT→上信越自動車道上田菅平IC→上田城→龍光院(上田市 精進料理昼食)→小諸城址「懐古園」→小諸IC→藤岡PA・道の駅「ららん藤岡」→鶴ヶ島JCT→入間IC→小手指駅南口
あとがき
今回のバス旅行は大河ドラマ真田丸に因んだ上田城・小諸城がメインでしたが、ちょうど紅葉が真っ盛りで紅葉狩りとなりました。
天気に恵まれたのが最大のポイントで、夏のハイキング倶楽部の谷川岳の悪天候の恨みを晴らした感じです。
撮影CANON PowerShot SX610HS
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
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2016年11月17日(木)快晴 7:07
バス旅行集合場所の小手指駅南口
今回は自宅の最寄り駅なので便利です。 -
60人乗り大型観光バス Tamayodo Kanko
参加者は44名で補助席は使わずにすみました。 -
入間IC 8:09
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上里SA出発前 9:02
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ナラ、クヌギなどの雑木の黄葉9:37
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浅間山 9:53
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光っているので溜池と思いきや、ソーラー発電所でした。10:21
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上田市 長野新幹線高架
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上田城址南駐車場のドウダンツツジの紅葉 10:34
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上田城櫓・櫓門 10:37
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写真館
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上田城跡公園
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沿道には真田丸の幟旗が林立しています。10:43
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国指定 史跡 「上田城址」
横長写真をクリックすると2倍に拡大しますので文字が読みやすくなります。 -
史跡 上田城址
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モミジの紅葉が見ごろでした。
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上田城内案内標識 10:50
11時からガイドツアーがありましたが、紅葉を主体に撮りたいため参加しませんでした。 -
上田城リーフレット表紙
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上田城案内 (左2/3)
横長写真をクリックすると2倍に拡大しますので文字が読みやすくなります。 -
上田城案内(右2/3)
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上田城東虎口櫓門から城内へ入ります。
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真田幸村と十勇士 おもてなし武将隊
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おもてなし武将隊
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上田城東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)10:55
表紙写真 -
真田神社
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手水舎
ここで手と口を清めて参拝するのが作法です。
筍日 新日 日新 又日新
筍(まこと)に日に新たに、日々に新たに、また日々新たなり。(大学)
中国の古典「大学」伝二章に“筍日新 日日新 又日新”の文があります。
この文は“まことに 日に新たに 日々新たに また日に新たなり”と読みます。
この言葉は紀元前16世紀頃、中国の殷を開いた湯王が唱えたもので、
日々は毎日が天地開闢以来はじめて訪れた日である。
しかも身分階層に関係なく訪れた日である。
毎朝手や顔を洗うように自分の心も洗い清め、昨日よりも今日、
今日よりも明日と一日一日を新しい感覚を以て事にあたり、
精一杯生きるべきである。 -
上田公園史
横長写真をクリックすると2倍に拡大しますので文字が読みやすくなります。 -
真田赤備え兜
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真田神社 10:59
ここは参拝しました。
神社参拝の作法は二礼 二拍手 一礼 -
真田神社の狛犬
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真田井戸
本丸唯一の井戸で直径2m、深さ16.5mに達する。この井戸には抜け穴があり、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館に通じていたという伝説がある。
(上田城案内による) -
本丸西櫓 11:02
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本丸西櫓
横長写真をクリックすると2倍に拡大しますので文字が読みやすくなります。 -
史跡 上田城本丸跡
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メタセコイア(あけぼの杉)の黄葉
この木の特徴の一つは、真夏でも葉の色が濃い緑ではなく黄緑であることです。
都内のアメリカ大使館の敷地内にもあり、遠くからでもそれと判ります。 -
本丸跡のモミジの紅葉 11:05
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この日は天気も時期も紅葉には絶好の日和でした。
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大銀杏の黄葉 11:08
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幼稚園の園児たち
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モミジの落ち葉
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北東の濠 11:13
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本丸跡の紅葉
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東虎口櫓門の北櫓
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カモが棲む濠の水面は紅葉を映して赤くなっています。11:22
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小県蚕業学校初代校長 三吉米熊胸像 11:23
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横長写真をクリックすると2倍に拡大しますので文字が読みやすくなります。
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♪この実 何の実 黄色の実
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上田市立博物館
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上田城・大阪城
友好城郭提携
記念碑
平成18年10月10日 -
信州上田真田丸大河ドラマ館 11:37
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上田城真田茶屋
http://www.ueda-cb.gr.jp/uedajo/spot.html
Uedajo Castle Sanada Chaya
二の丸橋から入城すると、上田城真田茶屋がご来場の皆様をお出迎え致します。信州上田のご当地グルメ「美味だれ焼き鳥(おいだれやきとり)」はもちろん、おやきやおむすび、お団子からご当地ソフトクリームなどがお楽しみいただける城下町風青空フードコートです。 -
南櫓 11:46
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ドウダンツツジのあまり見事な紅葉に再度感動しました。11:47
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記念写真
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龍光院(上田市 精進料理昼食)
http://www.nagareki.com/ueda/ryukou.html
龍光院(上田市)概要: 龍光院の創建は弘安5年(1282)、塩田北条国時が父である義政の菩提を弔う為、月湲和尚を招いて開山したのが始まりと伝えられています。塩田北条氏の菩提寺として庇護され、「信州の鎌倉」とも言われた文化の中心的寺院として寺運も隆盛しますが元弘3年(1333)、新田義貞が鎌倉を攻めた際、幕府側として行動した為、塩田北条氏一族が滅びその後は庇護者を失い衰退します。慶長6年(1601)萬照寺六世瑞応が中興開山し当初の寺号だった仙乗寺を龍光院と改め曹洞宗に改宗、建長寺(神奈川県鎌倉市)から萬照寺(更科市)の末寺となっています。享保17年(1732)の火災で多くの堂宇が焼失し享保20年(1735)に再建されています。 -
宝珠山
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龍光院の精進料理
ふだんは口にしないいろいろな料理が揃いましたが、薄味(無塩に近い)には閉口しました。(でも完食しましたよ)
下の写真は野菜天ぷら盛り合わせで4人前です。
よもぎ、かぼちゃ、朝鮮人参、ナタマメ、エリンギなど -
龍光院での食事風景 13:04
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座禅堂
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本堂
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平和余韻之鐘 13:17
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羅漢堂
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羅漢堂の釈迦如来
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塩田北条氏菩提処
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龍光禅院
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龍光禅院 沿革
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小諸へ向かう沿道のあちこちに、たわわに実った柿が目立ちました。13:50
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小諸城リーフレット表紙
小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城で「日本百名城」でもあります。仙石秀久が築いた「大手門」や野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿で残されています。
また、明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられました。現在の「三の門」に掲げられた扁額は徳川宗家16代当主・徳川家達の筆によるものです。
明治の文豪・島崎藤村をはじめ、若山牧水、高濱虚子、臼田亜浪のゆかりの地であり、多くの歌碑を見ることができます。先の大戦では小林亜星、永六輔が小諸に疎開していましたが、このご縁で「小諸 わが想い出」をお二人に作詞作曲いただきました。また「上を向いて歩こう」は永六輔氏が戦時中の小諸時代、この懐古園での悲しい思い出から作詞されたということです。 -
小諸城址懐古園案内図
小諸城址「懐古園」
http://www.kanko.komoro.org/midokoro/kaikoen.html
「懐古園」は、小諸城址に残る「三の門」や苔むした野面石積の石垣、樹齢500年といわれるケヤキの大樹の中、四季折々の風情が楽しめる公園です。
縦長写真はクリックすると縮小されてしまいます。 -
黄緑の制服の観光ガイドに従って見学しました。14:25
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懐古園 三の門
http://www.city.komoro.lg.jp/doc/2014022500798/
三之門は現在、懐古園の玄関口にあたり、二層、寄棟造、瓦葺の門で、両柚での塀には矢狭間・鉄砲狭間が付けられている。
両側の石垣の上に上層部が渡されている渡り矢倉(多聞矢倉)と呼ばれるものである。石垣の積み方も、本丸や他の郭(近世の城では丸と呼ぶ)のような自然石の石積み(野面積)でなく、一つひとつ加工された切込みはぎの石積みによって築かれている。したがって、慶長期の築城当時の面影を残す大手門のような豪壮さは見られない。
寛保2年(1742年)の「寛保の戌の満水」と呼ばれる大洪水により流失し、現在のものはそれ以降、おそらく明和2、3年(1765、1766年)頃の再建と考えられている。
なお、宝暦年間(1751~1763年)の城郭絵図では入母屋造、柿葺となっている。寄棟造、瓦葺となったのは、明治時代中頃の改築によるものではないかと考えられる。
門の正面には、徳川家達(徳川宗家の相続者で、貴族院議長、日本赤十字社長などの重職にあった)の筆による「懐古園」という扁額(横に長い額)が掲げられている。
矢狭間・鉄砲狭間:城の塀や櫓などに設けた、中から矢を射るための小窓が矢狭間で、鉄砲を撃つための小窓が鉄砲狭間である。 -
左は動物園ですが、右側の本丸跡、天主台、藤村記念碑などへ向かいます。
14:30 -
モミジの黄葉
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小諸義塾塾長 木村熊二のレリーフ
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小諸義塾塾長 木村熊二
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小諸城「二の丸」に、関ヶ原の合戦に向かう徳川秀忠が逗留。真田氏との上田合戦の本陣となった。
◎慶長5年(1600年)天下分目の決戦「関ヶ原」に向かうべく、東軍の軍勢3万8千を率いて徳川秀忠が中山道を進んだ。碓氷峠を越え信州に入ると小諸城主・仙石秀久は、秀忠を小諸城の二の丸に本陣を構えお迎えした。二の丸からは、北西に西軍の真田昌幸・幸村の居城・上田城方面を見渡す場所である。秀忠は、上田城開城を迫ったがのらりくらりと返事を先延ばしする真田昌幸に激怒、上田城攻略を命じる。ところが上田城に籠城する真田軍わずか3千5百の兵力に翻弄され決着がつかない。そこで小諸城内にあった海応院の住職が仲立ちし真田と和睦。この上田合戦で小諸に10日間の足止めされ、秀忠軍は「関ヶ原」の決戦に遅れてしまったのは有名な逸話。 -
二の丸跡
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中仕切門跡
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小諸 懐古射院(弓道場)14:37
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紅葉谷
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小諸城址
下馬所 -
小諸領境界石標
従是西小諸領 (ここから西は小諸領) -
手水舎「澄心」
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懐古神社 14:43
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社務所裏の噴水池
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紅葉の落ち葉を浮かべた噴水池
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鏡石
自分の姿が映って(写って)います。 -
ドウダンツツジの紅葉
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天守台 14:46
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馬場から見下ろす空濠(天然のクリーク?)
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天守台の石垣の隅石
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天守台
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小諸八重紅枝垂
小手指の砂川掘りの枝垂桜も「八重紅枝垂」です。
2013年 http://4travel.jp/travelogue/10757786 -
バス旅行の一行
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武器庫 14:53
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武器庫の歴史
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武器庫は白壁の土蔵造りです。
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武器庫の内部
木製大筒 -
塩哨樽(火薬樽)
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木製大筒について
全長 1間3尺(2.7m)
砲口 5寸(15cm) -
藤村碑 14:54
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島崎藤村詩碑
千曲川旅情のうた
https://www.city.saku.nagano.jp/kanko/townguide/bungakuhi/shihi.html -
詩碑岩
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水の手展望台
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展望台から望む千曲川 14:56
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モミジの紅葉の落ち葉
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紅葉したサクラ
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苔むした天守台の石垣
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欅の大木
樹齢 推定五百年
幹まわり 6.5m -
紅葉ヶ丘の紅葉 1
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紅葉ヶ丘の紅葉 2
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紅葉ヶ丘の紅葉 3
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紅葉ヶ丘
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紅葉ヶ丘での記念写真 15:10
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黒門橋の紅葉
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紅葉+黄葉
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三の門へ戻りました。15:15
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人力車 こもろ轟屋(とどろきや)
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懐古園に展示された蒸気機関車 C56 144
国鉄C56形蒸気機関車 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84C56%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A#C56_44
1938年:C56 122 - 154(33両)
日立製作所(40両)C56 127 - 146(製造番号970 - 989) -
帰路につきます。 小諸市街地 15:40
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日没過ぎました。16:32
東京の11月17日の日没時刻は16:33ですが、秩父連山に日が沈むのはそれより少し早いです。
朝から快晴の天気に恵まれ、紅葉狩りには絶好に日和でした。 -
藤岡PA・道の駅「ららん藤岡」16:50
小手指駅前には18:12に着きました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- でんでんこさん 2016/11/21 09:19:06
- 紅葉綺麗ですね
- 明日、22日真田の地に行ってきます。
ワクワク楽しみ。まだ紅葉綺麗に観られるかなー。
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