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イスタンブールからバスでユーゴスラビアに入り、バスの中でぼーっと眠っていた。<br /> 「ここがベオグラードだよ!」と突然、高速道路の路肩で降ろされた。<br /><br />一緒に下りたニュージーランド人と、地図もなく、迷いながら2人でうろつく。<br /> 観光案内所へ行って、ホテル代の高さに驚き、やっとユースホステル「MLADOST」に泊まる。<br /><br />ぼくはアジアとヨーロッパの架け橋、伝説に満ちあふれたイスタンブールから来た。<br />だから、特に変わった所のない、思ったよりも物価の高いベオグラードなんかには一日で飽き飽きしてしまった。<br /><br />となると考えることは次の国へ行くことだ。<br />ルーマニアは1988年時点では、経済状態がひどく悪いということなので嫌だ。<br /><br />ということは次の行き先は、社会主義国とはいっても経済はもう自由化されているところがいい。<br />つまり、なかなか景気もいいという噂の、ハンガリーになるのは自然のことだ。<br /><br />1988年のヨーロッパでは、分裂前のユーゴスラビアが一番自由化されていた。<br />だって、日本人はノービザで入国できて、自由に歩き回り、ホテルも飛び込みで見つかったしね。<br /><br />次に人気があった社会主義国は、ハンガリーだったんだよ。<br />ただ、ハンガリーに入るためにはビザを取らなければならない。<br /><br />ユースホステルの受付で、ハンガリー大使館の住所を聞いた。<br />ユースホステルに泊まる旅行者は、ユーゴスラビアからハンガリーへ行く人も多いのだろう。<br /><br />しかし、ハンガリー大使館の住所がわかっても、これだけでは意味がない。<br />だって住所を聞いても地図がないんだもの。<br /><br />ユースホステルを出て、道端でダウンタウンへ行くというバス「#47」に乗って、ベオグラード駅に着いた。<br /> 歩いてテラジェ広場の地下にある観光案内所に行き、ここでベオグラード市内地図を入手する。<br /><br />ハンガリー大使館への行き方を確認し、トロリーバスに乗り、バックパックを背負ったままハンガリー大使館に着いた。<br />さすがに隣国という訳で結構な人数が大使館の前に待っている。<br /><br />気がつくと昨日一緒だったニュージーランド人も並んでいる。<br /> 気軽に挨拶を交わして、世間話をする。<br /><br />ハンガリービザは、手数料が12アメリカドル。<br /> 写真が2枚。<br /><br />ドルキャッシュでお釣りが戻ることを確認した上で、50ドル札を出す。<br />ビザの手数料はドルキャッシュで払うというのが世界の常識だ。<br /><br />手持ちのドル札が心細くなっているので、現地通貨でお釣をくれやしないかとびくびくだった。<br />が、無事38ドル、キャッシュで返してくれた。<br /><br />こういう所では写真2枚が用意出来なくて慌てて写真屋に走る連中が、だいたい10人に2人はいるね。<br />でも来さえすれば写真屋の場所は聞けるのだから間違いではない。<br /><br />午前中に申請して、正午にはビザが出来るということなので、大使館近くのカフェで待つ。<br /> 僕のホイヤー(腕時計)が12時になったので、大使館に行くと「まだ出来てない」という。<br /><br />いいかげんさに腹が立つが、他の旅行者が顔を見せてない所を見ると、皆正午には出来ないと知っているということなのだろうか。<br />実はここには重大な理由があったんだ(読み続けるとこの謎が解けるよ)。<br /><br />ハンガリーのビザは、正午に出来るはずだった。<br />ところが、僕の腕時計で正午になったときに、ハンガリー大使館には、僕しかいなかった。<br /><br />他の旅行者は誰も、大使館にビザをもらいに現れてなかった。<br />この理由は「なるほど!」とナットクできるものなのだが、このヒントでわかる人いるかな。<br /><br />しかし、少し待たされただけで、僕の時計で12時半には、ビザをくれたよ。<br />ビザのあるパスポートを渡す時に、「アリガトウゴザイマス」とハンガリー大使館の職員が日本語をしゃべった。<br /><br />びっくりしてしまったが、ここにも結構日本人が来ているらしいね。<br />もらったハンガリービザの有効期間は14日。<br /><br />さあ、あとは列車の切符を買うだけだ。<br /> 重いバックパックを背負って、またベオグラード駅へ戻る。<br /><br />駅の時刻表をチェックする。<br />それによると、午後5時頃に一本、その後すぐ6時過ぎにブダペスト行きの列車があるらしい。<br /><br />料金は2等の座席で56000DR(ディナール)。<br />この時期、1ユーゴディナールは公定レートで1/20円、つまり約2800円。<br /><br />出来るだけ両替をしないようにしていたので、これだけの金はない。<br />この時代のベオグラードでは、切符を買うには両替証明書が必要だった。<br /><br />だから、正規に両替をして、両替証明書をもらわなければならない。<br />ベオグラード駅には当然両替所があるはずと思うが、なぜか見つからない。<br /><br />駅にいた人に聞くと、駅の正面にあるという。<br /> 確かに銀行は見つかるが閉まっている。<br /><br />僕の腕時計を見ると、もう2時近いのだから、昼休みではないだろう。<br />なぜだろう、今日は特別な日なのかしらん、昼休みでもないのに銀行が閉じているなんて。<br /><br />不思議に思いながら、銀行を訪ねて、町をうろうろする。<br />すると40分ぐらいたった時、やっとオープンしている銀行を見つけた。<br /><br />そこでU$20のトラベラーズチェックを両替して、駅へ戻り、ベオグラードからブダペストへの普通乗車券を買う。<br />これで出発の用意が出来た。<br /><br />あとは6時頃まで時間をつぶすだけだが、その前に荷物を預けて身軽にならなければならない。<br /> 駅の手荷物預り所はすぐわかった。<br /><br />長ーい列がある。<br /> 列に並ぶが、この列の長さと係員の取扱速度を考えると、自分の番になるまで30分以上かかる。<br /><br />しかも非効率にも、荷物を預ける人と取り出す人が、同じ列に並んでいる。<br />これは注意すべき旅行のポイントだね。<br /><br />列車に乗るのに、出発直前に荷物預かり所に来ると、自分の荷物をもらうのに時間がかかる。<br /> 結局列車に乗り遅れることになる。<br /><br />長い列に東洋人が一人いるので興味を持ったのだろう、僕の前に並んでいた20代半ばの痩せた男がフランス語で話しかけてきた。<br />いやに気軽な男で、話は面白い。<br /><br />彼の名前はファウジ・アブドゥ・カフィ。<br /> 友達2人を紹介してくれる。<br /><br />アルジェリアから出稼ぎに来たらしい。<br /> 1500DR(75円)払って荷物を預けた後(パスポート番号を控えられた)駅を出て、この3人と一緒にお菓子屋に入る。<br /><br />彼らはムスリムなのでお酒を飲まないのだ。<br /> 他の2人は、色の黒いコンティエ・カリム・アブドゥル、あご髭を生やして口数の少ないジョセフ。<br /><br />僕がアルジェリアを旅行して親切にされたことを話すと喜ぶ。<br /> 話を聞くと彼らも今日ブダペストへ向かうらしい。<br /><br />彼らの列車は午後4時50分発。<br /> 僕はもう一本後の列車に乗るつもりだ。<br /><br />同じ列車で一緒に行こうと誘われる。<br />が、僕は昨日、ベオグラードへ来たばかり。<br /><br />もうすこしゆっくり、ベオグラードの町を歩きたい。<br /> 彼らと別れて、町をうろつくことにする。<br /><br />しかしこのベオグラードという町は、特徴のないところだった。<br />ユーゴスラビアの首都というだけで、ほとんど見るところがないんだから。<br /><br />僕は花の都パリに1ヶ月ばかりいたことがある。<br />だから、ヨーロッパの石造りの普通の都市を見たぐらいでは、それほどの感激はない。<br /><br />橋の上から見た、緑に覆われた島は、なかなか興味深かったけどね。<br />それ以外では歩いてもただ疲れるだけだ。<br /><br />時間の潰しようがないので、駅へ戻った。<br /> 待合室で座って、本でも読もうという考えだ。<br /><br />出発間近の列車がホームに入っているのが見える。<br />どんな列車か、観察している。<br /><br />ところが、列車には、さっき知り合ったばかりのアルジェリア人の3人が乗り込んでいた。<br /> 僕に、「ケン、いっしょにいこうよ!」って声をかけてくる。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

『ベオグラードでハンガリービザをゲットするが、なんとなく変な感じがする』@ベオグラード/セルビア(ユーゴスラビア)

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1987/09/07 - 1990/05/05

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みどくつ

みどくつさん

イスタンブールからバスでユーゴスラビアに入り、バスの中でぼーっと眠っていた。
「ここがベオグラードだよ!」と突然、高速道路の路肩で降ろされた。

一緒に下りたニュージーランド人と、地図もなく、迷いながら2人でうろつく。
観光案内所へ行って、ホテル代の高さに驚き、やっとユースホステル「MLADOST」に泊まる。

ぼくはアジアとヨーロッパの架け橋、伝説に満ちあふれたイスタンブールから来た。
だから、特に変わった所のない、思ったよりも物価の高いベオグラードなんかには一日で飽き飽きしてしまった。

となると考えることは次の国へ行くことだ。
ルーマニアは1988年時点では、経済状態がひどく悪いということなので嫌だ。

ということは次の行き先は、社会主義国とはいっても経済はもう自由化されているところがいい。
つまり、なかなか景気もいいという噂の、ハンガリーになるのは自然のことだ。

1988年のヨーロッパでは、分裂前のユーゴスラビアが一番自由化されていた。
だって、日本人はノービザで入国できて、自由に歩き回り、ホテルも飛び込みで見つかったしね。

次に人気があった社会主義国は、ハンガリーだったんだよ。
ただ、ハンガリーに入るためにはビザを取らなければならない。

ユースホステルの受付で、ハンガリー大使館の住所を聞いた。
ユースホステルに泊まる旅行者は、ユーゴスラビアからハンガリーへ行く人も多いのだろう。

しかし、ハンガリー大使館の住所がわかっても、これだけでは意味がない。
だって住所を聞いても地図がないんだもの。

ユースホステルを出て、道端でダウンタウンへ行くというバス「#47」に乗って、ベオグラード駅に着いた。
歩いてテラジェ広場の地下にある観光案内所に行き、ここでベオグラード市内地図を入手する。

ハンガリー大使館への行き方を確認し、トロリーバスに乗り、バックパックを背負ったままハンガリー大使館に着いた。
さすがに隣国という訳で結構な人数が大使館の前に待っている。

気がつくと昨日一緒だったニュージーランド人も並んでいる。
気軽に挨拶を交わして、世間話をする。

ハンガリービザは、手数料が12アメリカドル。
写真が2枚。

ドルキャッシュでお釣りが戻ることを確認した上で、50ドル札を出す。
ビザの手数料はドルキャッシュで払うというのが世界の常識だ。

手持ちのドル札が心細くなっているので、現地通貨でお釣をくれやしないかとびくびくだった。
が、無事38ドル、キャッシュで返してくれた。

こういう所では写真2枚が用意出来なくて慌てて写真屋に走る連中が、だいたい10人に2人はいるね。
でも来さえすれば写真屋の場所は聞けるのだから間違いではない。

午前中に申請して、正午にはビザが出来るということなので、大使館近くのカフェで待つ。
僕のホイヤー(腕時計)が12時になったので、大使館に行くと「まだ出来てない」という。

いいかげんさに腹が立つが、他の旅行者が顔を見せてない所を見ると、皆正午には出来ないと知っているということなのだろうか。
実はここには重大な理由があったんだ(読み続けるとこの謎が解けるよ)。

ハンガリーのビザは、正午に出来るはずだった。
ところが、僕の腕時計で正午になったときに、ハンガリー大使館には、僕しかいなかった。

他の旅行者は誰も、大使館にビザをもらいに現れてなかった。
この理由は「なるほど!」とナットクできるものなのだが、このヒントでわかる人いるかな。

しかし、少し待たされただけで、僕の時計で12時半には、ビザをくれたよ。
ビザのあるパスポートを渡す時に、「アリガトウゴザイマス」とハンガリー大使館の職員が日本語をしゃべった。

びっくりしてしまったが、ここにも結構日本人が来ているらしいね。
もらったハンガリービザの有効期間は14日。

さあ、あとは列車の切符を買うだけだ。
重いバックパックを背負って、またベオグラード駅へ戻る。

駅の時刻表をチェックする。
それによると、午後5時頃に一本、その後すぐ6時過ぎにブダペスト行きの列車があるらしい。

料金は2等の座席で56000DR(ディナール)。
この時期、1ユーゴディナールは公定レートで1/20円、つまり約2800円。

出来るだけ両替をしないようにしていたので、これだけの金はない。
この時代のベオグラードでは、切符を買うには両替証明書が必要だった。

だから、正規に両替をして、両替証明書をもらわなければならない。
ベオグラード駅には当然両替所があるはずと思うが、なぜか見つからない。

駅にいた人に聞くと、駅の正面にあるという。
確かに銀行は見つかるが閉まっている。

僕の腕時計を見ると、もう2時近いのだから、昼休みではないだろう。
なぜだろう、今日は特別な日なのかしらん、昼休みでもないのに銀行が閉じているなんて。

不思議に思いながら、銀行を訪ねて、町をうろうろする。
すると40分ぐらいたった時、やっとオープンしている銀行を見つけた。

そこでU$20のトラベラーズチェックを両替して、駅へ戻り、ベオグラードからブダペストへの普通乗車券を買う。
これで出発の用意が出来た。

あとは6時頃まで時間をつぶすだけだが、その前に荷物を預けて身軽にならなければならない。
駅の手荷物預り所はすぐわかった。

長ーい列がある。
列に並ぶが、この列の長さと係員の取扱速度を考えると、自分の番になるまで30分以上かかる。

しかも非効率にも、荷物を預ける人と取り出す人が、同じ列に並んでいる。
これは注意すべき旅行のポイントだね。

列車に乗るのに、出発直前に荷物預かり所に来ると、自分の荷物をもらうのに時間がかかる。
結局列車に乗り遅れることになる。

長い列に東洋人が一人いるので興味を持ったのだろう、僕の前に並んでいた20代半ばの痩せた男がフランス語で話しかけてきた。
いやに気軽な男で、話は面白い。

彼の名前はファウジ・アブドゥ・カフィ。
友達2人を紹介してくれる。

アルジェリアから出稼ぎに来たらしい。
1500DR(75円)払って荷物を預けた後(パスポート番号を控えられた)駅を出て、この3人と一緒にお菓子屋に入る。

彼らはムスリムなのでお酒を飲まないのだ。
他の2人は、色の黒いコンティエ・カリム・アブドゥル、あご髭を生やして口数の少ないジョセフ。

僕がアルジェリアを旅行して親切にされたことを話すと喜ぶ。
話を聞くと彼らも今日ブダペストへ向かうらしい。

彼らの列車は午後4時50分発。
僕はもう一本後の列車に乗るつもりだ。

同じ列車で一緒に行こうと誘われる。
が、僕は昨日、ベオグラードへ来たばかり。

もうすこしゆっくり、ベオグラードの町を歩きたい。
彼らと別れて、町をうろつくことにする。

しかしこのベオグラードという町は、特徴のないところだった。
ユーゴスラビアの首都というだけで、ほとんど見るところがないんだから。

僕は花の都パリに1ヶ月ばかりいたことがある。
だから、ヨーロッパの石造りの普通の都市を見たぐらいでは、それほどの感激はない。

橋の上から見た、緑に覆われた島は、なかなか興味深かったけどね。
それ以外では歩いてもただ疲れるだけだ。

時間の潰しようがないので、駅へ戻った。
待合室で座って、本でも読もうという考えだ。

出発間近の列車がホームに入っているのが見える。
どんな列車か、観察している。

ところが、列車には、さっき知り合ったばかりのアルジェリア人の3人が乗り込んでいた。
僕に、「ケン、いっしょにいこうよ!」って声をかけてくる。







旅行の満足度
3.5

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