1988/09 - 1988/09
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ベオグラード(ユーゴスラビア)〜ブダペスト(ハンガリー)1988年9月
ハンガリービザゲットしてベオグラード駅へ アルジェリア人がハンガリー国境でどこかへ
1:《ハンガリービザゲットしてベオグラード駅へ》
イスタンブールからバスでユーゴスラビアに入り、バスの中でぼーっと眠っていたら『ここがベオグラードだよ!』と突然、高速道路の路肩で降ろされた。
一緒に下りたニュージーランド人と、地図もなく、迷いながら2人でうろつき、観光案内所へ行って、ホテル代の高さに驚き、やっとユースホステル『MLADOST』に泊まる。
アジアとヨーロッパの架け橋、伝説に満ちあふれたイスタンブールから来たので、特に変わった所のない、思ったよりも物価の高いベオグラードなんかには一日で飽き飽きしてしまった。
となると考えることは次の国へ行くことだ。
ルーマニアは経済状態が悪いということなので嫌だ。
旅行者の中には、発展途上国へ行って惨めな人たちを見るのが趣味のサディスティックなタイプもいるのだが、僕はそうじゃない。
出来るだけ可哀想な人たちは見たくない。
だって、僕はただの観光旅行者なんだ。
人の惨めな状態を見た所で、それを何とか出来る訳じゃないんだからさ。
また、発展途上国へ行って、貧乏な人たちを見て、それで自分が優越感を感じられ、自分が日本で持っていた劣等感が癒されるという、ありふれた日本人のインド旅行者みたいに品性が下劣でもない。
ということは次の行き先は、社会主義国とはいっても経済はもう自由化されていてなかなか景気もいいというハンガリーになるのは自然のことだ。
ハンガリーに入るためにはビザを取らなければならない。
YHのレセプションでハンガリー大使館の住所と場所を聞く。
しかし、これだけでは何が何だか解らない。
だって住所を聞いても地図がないんだもの。
YHを出て、とにかく道端でダウンタウンへ行くバス#47に乗る。
ところが切符がない。
買おうとするが車掌がいない。
よく見てみるとみんな切符をすでに持っていて、車内にはその切符を切る自動機械があるだけだ。
まわりの人に身振り手振りで聞いて切符を買おうとするのだが、バスの中では売ってないらしい。
ずいぶん慌てたが、こういう場合は流れに任せるしかない、と覚悟を決めた。
無理に買おうとしても、買う場所がないのだから。
例えばローマの市内バスも、車内では切符を売ってない。
ついバスに乗ったら、困ってしまう。
もちろん切符を持ってる人がいればその人から買ってもいいけれど、ほとんどは定期券か回数券なので、こういう場合はどうしようもないのだ。
この後ブダペストからドナウ川を船でウイーンへ入って、船着き場から町の中心へ行く地下鉄に乗った時もそうだったよ。
まず第一に船着場に両替所がない。
さらには、切符売り場もないのだから。
東ベルリンからプラハに鉄道で入った時も、この国際鉄道の終点のホレショビツェ駅からプラハ本駅までの地下鉄については、いったい自分がどこにいるのか解らず、両替所もどこにあるのか解らなかった。
東欧ではほとんどの人が公共交通機関のパスや回数券を持っているものなので、いちいち切符を買うなんてしない。
だから、駅に切符売り場がなかったりするわけだ。
日本のように、片っ端から金を取ることしか考えてないところよりも、まともかもしれない。
しかし、このあと10年近くたった、資本主義国化されたブダペストでは、わざと切符売り場の数を少なくして、罰金を取るのが商売になっていたよ。
さて、バスに乗ってベオグラード駅に着いた。
歩いてテラジェ広場の地下にある観光案内所に行き、ここで地図を入手する。
ハンガリー大使館への行き方を確認し、トロリーバスに乗り、バックパックを背負ったままハンガリー大使館に着いた。
さすがに隣国という訳で結構な人数が大使館の前に待っている。
気がつくと昨日一緒だったニュージーランド人も並んでいて挨拶を交わす。
手数料が12アメリカドル。
写真が2枚。
ドルキャッシュでお釣りが戻ることを確認した上で、50ドル札を出す。
ビザの手数料はドルキャッシュで払うというのが世界の常識だ。
手持ちのドル札が心細くなっているので、現地通貨でお釣をくれやしないかとびくびくだったが無事38ドル、キャッシュで返してくれた。
こういう所では写真2枚が用意出来なくて慌てて写真屋に走る連中がだいたい10人に2人はいる。
でも来さえすれば写真屋の場所は聞けるのだから間違いではない。
午前中申請して正午にはビザが出来るということなので、大使館近くのカフェで待つ。
僕のホイヤーが12時になったので大使館に行くと『まだ出来てない』という。
いいかげんさに腹が立つが、他の旅行者が顔を見せてない所を見ると、皆正午には出来ないと知っているということなのだろうか。
実はここには重大な理由があった( 読み続けるとこの謎が解けるよ)。
少し待たされてビザをもらう時『アリガトウゴザイマス』とハンガリー大使館の職員が日本語をしゃべるのでびっくりしてしまった。
ここにも結構日本人が来ているらしい。
もらったビザの有効期間は14日。
さあ、後は列車の切符を買うだけだ。
重いバックパックを背負って、またベオグラード駅へ戻る。
時刻表をチェックすると、午後5時頃に一本、その後すぐ6時過ぎにブダペスト行きの列車があるらしい。
料金は2等の座席で56000DR(ディナール)。
この時期、1ユーゴディナールは公定レートで1/20円、つまり約2800円。
出来るだけ両替をしないようにしていたので、これだけの金はない。
それに切符を買うには両替証明書が必要だから、正規に両替しなければならない。
ベオグラード駅には当然銀行があるはずなのだが、なぜか見つからない。
駅にいた人に聞くと、駅の正面にあるという。
確かに銀行は見つかるが閉まっている。
時計を見るともう2時近いのだから昼休みではないだろう。
なぜだろう、今日は特別な日なのかしらん、こんな馬鹿な話はないが、と考えながら、銀行を訪ねて、うろうろする。
すると40分ぐらいたった時、やっとオープンしている銀行を見つけた。
そこでU$20のトラベラーズチェックを両替して、駅へ戻り切符を買う。
これで出発の用意が出来た。
後は6時頃まで時間をつぶすだけだが、その前に荷物を預けて身軽にならなければならない。
駅の手荷物預り所はすぐ解った。
長ーい列がある。
列に並ぶが、この列の長さと係員の取扱速度を考えると、自分の番になるまで30分以上かかる。
しかも非効率にも荷物を預ける人と取り出す人が同じ列に並んでいるのだ。
これは注意すべき旅行のポイントだね。
例えば6時出発の列車に乗るのにここへ直前に来ると、自分の荷物をもらうのに時間がかかって乗り遅れることになる。
長い列に東洋人が一人いるので興味を持ったのだろう、僕の前に並んでいた20代半ばの痩せた男がフランス語で話しかけてきた。
いやに気軽な男で、話は面白い。
彼の名前はファウジ・アブドゥ・カフィ。
友達2人を紹介してくれる。
アルジェリアから出稼ぎに来たらしい。
1500DR(75円)払って荷物を預けた後(パスポート番号を控えられた)駅を出て、この3人と一緒にお菓子屋に入る。
彼らはムスリムなのでお酒を飲まないのだ。
他の2人は、色の黒いコンティエ・カリム・アブドゥルとあご髭を生やして口数の少ないジョセフ。
僕がアルジェリアを旅行して親切にされたことを話すと喜ぶ。
話を聞くと彼らも今日ブダペストへ向かうらしい。
彼らの列車は午後4時50分発。
僕はもう一本後の列車に乗るつもりだ。
同じ列車で一緒に行こうと誘われるが、僕はゆっくりベオグラードの町を歩きたいので彼らと別れて町をうろつくことにする。
しかしこのベオグラードという町は本当につまらないところだった。
ユーゴスラビアの首都というだけで、ほとんど見るところがないんだから。
まあ僕は花の都パリに1ヶ月ばかりいたことがあるので、ヨーロッパの石造りの普通の都市を見たぐらいでは大して感激する訳ではない。
橋の上から緑に覆われた島のような森を見る景色はまあまあだったが、それ以外では歩いてもただ疲れるだけだ。
2:《アルジェリア人がハンガリー国境でどこかへ》
時計が5時近くを指したので、荷物を早めに取り出すために駅へ戻る。
3番ホームに入っている列車があるので行き先を確かめると、これが4時50分発のブダペスト行きだ。
もうすぐ出発するのだろう。
歩いていると僕を呼ぶ声がする。
さっき別れたアルジェリアの3人組だ。
カフィが列車の窓から身を乗り出して『ケン、一緒に行こうよ!』と叫んでいる。
こっちももう退屈してるのだから行ってもいいが、荷物を取り出すのに時間がかかるので出発間際のこの列車に乗るのは無理だ。
『一緒に行きたいんだけど、もう時間がないよ。荷物を持って来なきゃいけないしね』
『まだ時間はたっぷりあるじゃないか』
何をいっているのだろう。もう僕の時計は5時を過ぎているのに。
『もう5時過ぎたよ。見送ってあげる』と僕が言う。
『違う!違う!今はまだ4時だ!』との答。
そこで駅の大時計を初めてじっくりと見ると、なんと4時5分を指している。
丁度1時間僕の時計が進んでいるのだ。
何故なんだろう。
1時間丁度ずれているというのは時差しか考えられないが‥‥。
わかった!
ブルガリアからユーゴスラビアへ国境を越えた時、時差があることに気付かず、時計を修正するのを忘れていたのだ。
それでハンガリー大使館に正午過ぎだと思ってビザを取りに行った時、他に誰もいなかったのだ。
銀行が閉まっていたのはきっと昼休みだったのだ。
それならまだ時間がある。
一緒に行くことにしよう。
荷物を取って3人と一緒のコンパートメントに入る。
僕たち4人でこのコンパートメントは独占だ。
現地の人も、薄汚いアルジェリア人が3人と、アーミージャケットを着た日本人の組み合わせの僕たちのコンパートメントに入るのに二の足を踏むようだ。
列車は広々としたハンガリー盆地をひた走る。見渡すかぎりの平原に太陽が沈んでいくのをぼんやり見ている。
夜8時を過ぎたころ、列車が停車した。
国境らしい。
あたりは真っ暗で、何があるのかさっぱりわからない。
2人の男がパスポートをチェックしに来る。
アルジェリア人のパスポートをあっさりと見る。
僕の日本のパスポートを見ると名前をチェックして、手帳に控えている。
今年はソウルオリンピックの年だし、日本赤軍が何か起こしそうだと僕も感じている。
それで日本人の名前を特に控えているのだろうと、勝手に想像する。
パスポートをチェックした後、コンパートメントの中を徹底的に調べだす。
座席のシートをひっくり返すのは誰か隠れていないかということなのだろうか。
その後、入国審査官がジョセフに何か聞き始めた。
何があったのか、役人が急にジョセフの腕をつかんだかと思うと、列車から連れ出してしまった。
アブドゥルとカフィが僕の分からない言葉で何か相談している。
列車はずいぶん止まっている気がする。
ジョセフの問題で停車しているのだろうか。
まあここで『世界旅行者』の僕が考えることは、ジョセフのことを心配することではもちろんないよ。
まず第一に、このトラブルに巻き込まれないということだ。
万が一ドラッグでも持ち込んでいたということになったら、僕まで巻き添えになる可能性がある。
『ミッドナイトエクスプレス』の世界は絶対いやだ。
出来るだけ2人から離れて座り、知らない顔をするに限る。
急に、ディバッグからアガサクリスティーの『エレファンツ・キャン・リメンバー』を取り出して、読んでいる振りをする。
しばらくすると、また役人がやってきて、ジョセフのバッグを持っていこうとする。
アブドゥルが何か文句を付けたらしい、今度はアブドゥルまで彼の荷物と一緒に引っ張っていかれてしまった。
列車はアブドゥルとジョセフの二人を国境の町に残したまま静かに動き出した。
コンパートメントにはカフィと僕の2人きりになった。
2人きりになれば知らない振りをする訳には行かない。
『2人は何か変なものを持ってたの?』と恐る恐る聞く。
『いや。何もしてないのに降ろされちゃったんだ』と、カフィ。
『だったら、すぐ釈放されるさ。次の列車が1時間遅れで同じ道を走るのだから、2人ともその列車に乗ってくるよ』
『僕もそう思うんだけれど。皆のお金はジョセフが持ってるんだ。もし2人が来なかったらどうしよう…』
あれあれ、お金の話になってしまった。
下手をすると、金を貸してくれということにもなりかねないぞ。
でも、お金の話を僕にしても駄目だ。
僕は人に奢らないことが譲れぬ信念だという、近頃珍しいセコイ男なのだ。
何しろ女の子とホテルに泊まってSEXしても、例えばホテル代を僕が出したら、女には食事代を出させるというくらいの、本物の男なのだ。
なぜかっていうと、まず第一に元々金がないのだ。
これは強い。
その上に、学生時代フェミニスト運動のスローガンの『抱かれる女から抱く女へ』に影響を受けて目覚め『抱く男から抱かれる男へ』とコペルニクス的転回を果たした、僕は本物の思想実践家なのだ。
僕は女に奢って貰ったことはあっても、何か理由がない限り、ほとんど女に奢ったことがない。
日本では貧乏学生のくせにアルバイトした金で女を高級レストランへ連れていき、食事を奢って、さあいざとなると逃げられる連中が多いと、バルセロナで一緒だった大学生から体験談として聞いた。
僕は思考する。
これは阿呆なマスコミの連中に乗せられているだけだ。
もし本当にいい男なら、もともと女がほうっておかないのだ。
女に食事を奢るなどというのは初めから2流のやることだ。
でも女とレストランに行って、突然支払の時に割り勘にして驚かせるのも気の毒だ。
そこで僕は親切に、テーブルに就いてしばらくしたら穏やかににっこりと笑って、こう言うことにしている。
『近頃では男に食事を奢って貰っているのに、SEXもさせないというヒドイ女がいるそうですが、信じられますか?そういう根性の汚い女は人間じゃありませんよね!』
だいたいこう言えば、普通は物解りよくすんなりと割り勘にしてくれるものだ。
しかしタイミングが大切なのは言うまでもない。
昔、ヨーロッパ系航空会社勤務の20代前半の育ちのいい貞淑な人妻と付き合いはじめた時、六本木のレストランのテーブルにつき、さあいよいよ僕の殺し文句を言って割り勘攻撃をかけようとした時『今日は西本さんにごちそうして頂けて嬉しいですわ』と言われてしまった。
ここまではっきり言われてしまうと、さすがの僕も元々は気が小さいので『いや割り勘のつもりなんですよ』とは言えない。
仕方なしに、奢ってしまったが、こうなるとどうしても元を取り返そうと、つい肉体関係を持ってしまった。
ちょっと後先が逆になってしまったが、結果的に筋は通したことになる。
僕はこういうきちんとした男なのだ。
という訳で、僕は女にだって金で付き合ったことはない。
まして、男になんか絶対に金をあげないし、貸すこともない。
シェークスピアの格言『貸して不仲になるよりも、いつもにこにこ現金払い』だ。
だから、カフィ君が金のことを言い出したとたん、急に眠くなって、目をつぶりたぬき寝入りしてしまった。
後は何事もなくブダペスト東駅に到着した。
到着予定時刻は22時45分だったが、国境で止まり過ぎた分遅れたのか30分遅れて23時15分になった。
9月の初めでまだ夏休みが続いているのだろう、東駅の待合室のフロアには『風と共に去りぬ』のアトランタのシーンみたいに、旅行者がごろごろと寝ていた。
さて、このプラットホームでかわゆい日本人女子大生と中国人の女子大生と出会い、フランス語で彼女ら2人の通訳をして、ぐっと持てた話は『終着駅(ブダペスト東駅)〜とても知的でかわゆくて育ちがいい金のある女の子がベオグラードに行くというのでつい結婚まで考えてベオグラードへ逆戻りしそうになった話』というタイトルで、希望があれば書いてもいい。
これは旅先で出会った女の子と僕の華麗な関係を描くシリーズのひとつになるだろう。
さて、ジョセフとアブドゥルはどうなったかというと、翌朝6時頃に何事もなく無事到着した。
僕が待合室の床で寝ていたら、わざわざ挨拶しに来た。
この国境のごたごたでますます社会主義国が嫌いになった。
恐怖感が残って、この後ポーランドへ突入しなかった理由のひとつにもなった。
ブルガリア入国の時に見た国境の役人の横暴さにも、こんな体制は長続きするはずはないと思っていた。
東ヨーロッパの社会主義体制の崩壊は1年後の1989年のことだった。
まだ社会主義体制が存続していたころの東ヨーロッパを見ていなければ、社会も政治も文化も語れない。
もちろん、海外旅行については一言だっていえないだろう。
僕が1988年の東ヨーロッパを見ることが出来たのは、まさしく『世界旅行者』への神の恩寵なのである。
神は偉大なり!
http://www.midokutsu.com/europe/beograd.htm
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