2015/04/29 - 2015/04/29
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bunbunさん
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スペイン内陸部、マドリードの南東部に位置する標高約700mの広大な乾燥高原:メセタ(Meseta)の南東部分、ラ・マンチャ(この名前はアラビア語の「乾いた土地」を意味する “manxa” に由来します。)地方をバスで走ると、やがて丘の上に白い風車群が見えてきます。これらの風車は16世紀、時のスペイン国王カルロス1世(Carlos I, 1500-1558)でかつ神聖ローマ皇帝カール5世(Karl V)が風力を用いて穀物を挽くために、彼の故郷で神聖ローマ帝国の領土であったネーデルランドから導入したものです。当時はたくさんありましが、現在はその役目を終え、観光用として10基以上の風車群が残されている村は、11基を有するコンスエグラ(Consuegra)と、その東約40kmにあって10基を有するカンポ・デ・クリプターナ(Campo de Cristana)だけです。本旅行ではこのうちコンスエラの南、南北に延びる標高800mのカルデリコの丘(Cerro Calderico)の尾根に沿ってほぼ1列に並ぶ風車群を見学しました。但し、この丘の風車は11基中の7基です。風車群は、セルバンテス(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547-1616)の小説「ドン・キホーテ(Don Quijote de la Mancha)」のなかで、ドン・キホーテが巨人と間違えて、槍を持って馬に乗り、突進したことであまりに有名ですが、村にはドン・キホーテ博物館もあります。
関連情報は旅行記の最後に付録として載せましたので、お時間とご興味のある方はご覧ください。
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バスの窓一杯に広がる広大な乾燥高原メセタ。緑の部分は牧草地ですかねえ。
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延々と続くメセタ。茶色の部分はこれから農作物でも植えるのかな。
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好きですねえ。こういった広大な景色。
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うーん、まさにメセタ。
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まだまだ続く。
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こいつは葡萄畑だ。
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また牧草地。
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オーッ!見えてきたぞ、丘の上の白い風車たち。手前はコンスエグラ(Consuegra)の村か。
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近づいて来たねえ。右に城塞が見えるな。
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バスは村を通って風車のあるカルデリコの丘(Cerro Calderico)に駆け上がる。目の前に風車が現れた。
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丘の上から見たコンスエグラ。綺麗だねえ、オレンジ色の屋根と白い壁の家々。
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バスはいくつかの風車を通り越し、カルデリコの丘南端近くにあるこの風車の近くに止まった。中は売店で入口の横にはドン・キホーテの像。各風車は個人蔵で入口の上に持ち主の名前が書かれている。
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風車の横に看板があった。左上から反時計回りに、
「風車は16世紀からのオリジナルな構造と機構を守っています。」
「あなたは特権とされた展望場所からコンスエグラを見ることができます。」
「さまざまな言語でのビデオで、風車がどのように働くか学んでください。」
「ソフトドリンクと暖かい、もしくは冷たい飲み物があります。」
「サフラン、ワイン、オリーブオイル等、私たちはあなた方に伝統的でグルメな製品を提供します。」
「オリジナルなギフトとお土産、100%コンスエグラ製。」
とスペイン語と英語で書かれています。右側は売店の宣伝だ。 -
上の写真の風車近くから北北西を望む。
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視線を少しずつ南へ。
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南へ。
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南へ。
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南西方向。スペインは今回が3回目だけど、何回見ても飽きないねえ、こういいった景色は。たまんねえな。
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まず最初に城塞見学ということで、風車を横目にバスで来た道を北へ戻る。
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城塞が近づいてきましたねえ。
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ここからは若干の上り坂です。
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城塞に着きました。
この8世紀にアフリカから渡ってきたイスラム教徒のムーア人によってその基礎が築かれ、12世紀に聖ヨハネ騎士団によって増改築されましたが、19世紀の初めのナポレオン政権とのスペイン独立戦争で破壊されたそうです。クレーンがあることからお分かりのように、現在修復が続けられています。 -
城塞。左手前の城壁は随分不規則な石を積み重ねて造られえますね。”ENTRADA”、「入口」と書かれていますから、中に入れるようですが、時間がないからやめ。
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さあ、逆戻りで南に向かい肝心の風車の見学です。風車は7基ですね。手前(北側)から2番目の風車は1番目の陰で見えにくい。
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途中の道路から南東を望む。こちらは西側に比べ、なだらかな岩場です。
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方向を東に振って。
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ここからだと、7基の風車が全て見えます。風車への道がありますね。
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行ってみましょう。
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でっかいなあ。
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でかっ!セルバンテスさんはうまい表現をしたもんだ、「巨人」なんてね。
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屋根から右下に延びる棒は、風車を屋根ごと回転して風上にむけ、最大の回転力を得るためのものです。風車の所有者は毎週1回風車の羽に布を貼って、風車を回転させて穀物を挽き、風車としての機能を維持しているそうです。文化遺産を守っていくにはこういった苦労があるんですよね。Gracias, senores.
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風車とメセタ。絵になるなあ。
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これは北から2番目の風車です。羽の骨組みが一部欠けちゃってるなあ。
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それでもメセタと一緒に撮ると絵になる。
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これは北から3番目の風車。羽は壊れてませんね。よく管理されてます。
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3番目の風車の風車の全体像。巨人だねえ。
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北から4番目の風車。
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メセタと風車達。
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北から5番目の風車。最初の方に出てきた売店のある風車です。
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5基の風車と城塞。「地球の歩き方」の写真と同じアングルだ。人とバスが邪魔だねえ、なんて言っちゃいけない。自分もそう思われてんだから。
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さらに南に来た。5つの風車と城塞とコンスエグラの村。絶景だねえ。
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城塞とコンスエグラの村。
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北から6番目の風車。
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6基の風車と城塞。
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さらに南に来た。6基の風車と城塞。
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北から7番目の風車。これで全部だな。
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7基の風車と城塞。1基は陰に隠れて見えないか。
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南西の風景。
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さらに南に来た。7基の風車と城塞。1基はかろうじて見えるんだが。
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さらに南へ。メセタと7基の風車と城塞。今度は全部見えるな。
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ズームイン。うん、7基全部見える。5番目と6番目はちょっと重なってるけどねえ。
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少し右に振って。6基の風車と城塞とコンスエグラの村だ。
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もうここはカルデリコの丘の殆ど南端だ。さらに南東に移動して丘を下る。ここからだと城塞も7基の風車も完全に分離して全部見える。
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ついでに南西の風景。
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さて、戻るとしますか。7基の風車と城塞とコンスエグラの村。
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東側斜面をトコトコ上る。
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途中から見た風車と城塞とコンスエグラの村。
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斜面の黄色いお花、綺麗ですねえ。
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この白いお花も。
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この植物と周りに咲く黄色いお花も。
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風車の尾根に近づいて来た。
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北から6番目の風車まで戻って来たぞ。
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売店のある風車だ。
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中に入りますか、ねえドン・キホーテさん。
中に入ると上に登る階段があり、その脇でお姉さんが何やら仕事をしていた。”Hola senorita, Buenos dias. Puedo subir?” (やあ、お嬢さん、こんにちは。上ってもいいですか?) “Si, adelante. De donde?” (ええ、どうぞ。どこから?)”Soy de Japon” (日本からです。)なんて会話をして階段を上った。
この会話に関しては、付録「2.海外旅行と旅行先の国の言語」を参照してください。 -
風車の機構部が見えますね。中央の太い角柱が風車の回転軸でそれに大きな歯車が取り付けられています。その歯車が下部の小さな歯車を回し、回転方向が水平から鉛直方向へ変換されます。かさ歯車の役割ですね
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小さな歯車に杵が取り付けられ、その下に石臼があります。これで穀物を挽く訳ですね。
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見学を終えて外にでると、さっきのお姉さんが今度は外でなにやら仕事をしていた。
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“Puedo sacar su foto?” (あなたの写真を撮ってもいいですか?)”Si”(ええ。)と、ニコッとしてくれたんでパチリ。
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そしたら、”Espera un poco” (ちょっと待って)とか言って髪をかき上げたんで、またパチリ。”Gracias, Buena dia!” (ありがとう、よい一日を!)。”Usted tambien.” (あなたも。)
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そろそろお腹も空いて来たんで村のレストランで昼食です。
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レストラン名は El Alfar ですかね。
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中庭を通って、
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入口へ。
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レストラン内です。
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これはほうれん草、ひよこ豆と魚介のスープです。メインにカジキのソテートマトソース、デザートも出ましたが、残念ながら写真がありません。
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食事後コンスエグラ村内を散策しました。
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通りに誰もいない静かな村ですねえ。
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コンスエグラ
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バスに乗ってオリーブ畑を見ながら土産店兼ドン・キホーテ博物館へ移動です。
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入口。
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「ドン・キホーテ」は70ヶ国以上の言語に翻訳・出版されています。博物館には各国の翻訳本の挿絵が展示されてました。いくつかご紹介します。これはイタリア語版。
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これは英語版。
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これはフランス語版。
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ドン・キホーテの頭部彫像。
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ドン・キホーテの像。
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ドン・キホーテの書斎。
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騎士道小説を読み過ぎて正気を失ったドン・キホーテの像。
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僭越ながら我が愛するドン・キホーテ殿とお手てつないで2ショットです。
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メセタ
付録
1.小説「ドン・キホーテ」
(1) 著者と評価
この著者はマドリードの東約30㎞、カスティーリャ・ラ・マンチャ(Castilla la Mancha)地方に接する町:アルカラ・デ・エナーレス(Alcala de Henares)生まれのミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547-1616)であり、小説の前篇は1605年、後篇は1615年に出版されています。この小説は聖書に次ぐ出版部数を誇りますが、今だに評価が分かれており、小説や著者の研究がなされていて、多数の関連著書や新たな翻訳本、ダイジェスト本も出版されています。
(2) 本旅行記に関連するあらすじ
ラ・マンチャのさる村に歳のころは50ばかりのアロンソ・キハーノという郷士がいた。この郷士は畑地も売り払って膨大な騎士道小説を買い込み、ろくに眠りもせず夜も昼も読みあさったため、脳みそがすっかり干からび、正気を失ってしまった。その結果、甲冑に身を固め、自ら遍歴の騎士となって冒険を求めて遍歴をするという奇怪至極な考えに落ちった。鎧兜はご先祖様のものに手を加え、馬は二束三文でかった駄馬の中から駿馬に映った一頭を選び、ロシナンテと名付けた。自分自身の名前も本名は気に入らず、生国から一部をとって、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと変えた。また、遍歴の騎士には想い姫が必要と、かつて片思いをしたことがある隣村の百姓娘アルドンサ・ロセンソを勝手に選んだが、その名前は姫君にふさわしくないと、ドゥルシーネア・デル・トボーソと呼ぶことにした。これで一旦遍歴の旅にでたが、騎士となるためには叙任式が必要と、妄想ゆえに城主と見えた旅籠の主人に叙任式をしてもらい、正式の騎士になったとご満悦であったが、その後のひと騒動で負傷して村に引き返した。
村にいる間に、ドン・キホーテが気が付いたことは騎士には従者が必要ということであった。そこで彼は脳味噌が足りないサンチョ・パンサという百姓に、どこかの島を手に入れて太守にしてやっる、とそそのかしたため、サンチョはすっかりその気になって、妻子を残し、ドン・キホーテに従うことにした。
ある夜ドン・キホーテとサンチョ・パンサはそれぞれ馬ロシナンテと驢馬に乗って遍歴の旅に出た。
やがて二人は野原に並んだ30~40の風車を目にする。ドン・キホーテはこれを悪魔の化身である巨人と勘違いし、「あれはだだの風車です」とのサンチョ・パンサの説得にも耳をかさず、盾で身をかばい、槍を脇に抱えてロシナンテにまたがり風車に突進した。ところが棲まじい勢いで回る風車に槍はきれぎれにくだけ、ロシナンテもドン・キホーテもふっとばされて、身動きもできない程の大怪我を負う。しかし、ドン・キホーテは負け惜しみを言って自分の間違いを認めず、膨大な数の事件を起こしながら遍歴の旅は延々と続く。
長―い長―い中略。
あるときドン・キホーテは鏡の騎士と戦い、一撃にして敗れてしまう。戦い前の彼との約束に従ってドン・キホーテはサンチョとともに故郷の村に戻った。村についたドン・キホーテは熱病で6日間床に伏して、最後6時間の睡眠から目覚めたのち正気にもどり、アロンソ・キハーノに戻った。そしてそれまでの常軌を逸した行動の原因が、いかがわしい騎士道の三文小説であったことを説明した。死を悟ったドン・キホーテはサンチョ・パンサ、姪、家政婦、住職、得業士、床屋等、彼と親しい人々の見守る中、公証人の立会のもとで遺言書を作成し、その三日後大往生を遂げた。
(3) 本旅行記著者の感想
気が触れて風車が巨人であるとの妄想を抱き、槍を持って突撃した末に叩きのめされる、といった解説のみをして、この作品を三流のドタバタコメディ小説ととらえると、この小説の本質を見誤ります。主従の立場にありながら、お互いに尊敬しあうドン・キホーテとサンチョ・パンサの人間関係や、気が触れたドン・キホーテとは思えない、また、脳味噌が足りないサンチョ・パンサとは思えない、至るところに飛び出す人生に対する言葉や諺は、これらの作品が発表されて400年たった今日でも色褪せていません。ドン・キホーテは妄想にかられ、多くの事件を引き起こして、時には死に直面し、時には至福の時を過ごしますが、その生き様は常に命を懸けた真剣で必死なものであり、私自身はこの小説には強い共感を覚えます。
2.海外旅行と旅行先の国の言語
(1) 意義
私は旅行に先立ち、旅行先の国によってはその言語を勉強します。目的は現地の人々と現地の言葉で会話をしたいということです。勉強といっても大したことをしている訳ではありません。NHKラジオの語学放送を半年間聞くだけです。しっかりマスターすれば、日常会話を話せるレベルに達すると思いますが、もの忘れが激しいため、身に着けられる会話力は挨拶+α程度です。それでも現地の人にその国の言葉で話しかけると、相手の態度がガラッとかわり、にこやかで親切に対応してもらえます。
(2) スペイン語の発音
さて、今回の旅行先の言語であるスペイン語ですが、基本的にはローマ字と同じように書かれた通りに発音すればいいので、比較的学び易い言語と思います。ただ、注意が必要なのは子音の発音がローマ字と異なるものがあること、発音しない子音があるということです。単語の最後の ”d” は殆ど聞こえない発音になります。したがって、”Madrid” の発音は「マドリッド」でも「マドリード」でもなく、「マドリー」です。”gi”, “ge” の発音はそれぞれ「ひ」、「へ」となります。”h” は発音しません。「ホテル」は “hotel” と書きますが、発音は「オテル」です。”j” の発音は「は」行です。「日本」は”Japon” と書きますが、発音は「ハポン」です。”y” と ”ll” の発音は「じゃ」行か「や」行です。スペイン料理でおなじみの「パエリャ」は “paella” と書きますが、発音は「パエジャ」か「パエヤ」です。この程度を覚えておけば、意味はともかくスペイン語を読むことはできます。
(3) 街歩きに必要なスペイン語(スペイン語独特の記号は多分このブログでは反映されないでしょうから省略します。)
スペイン語を話さない(話す気のない)人でも知っていて便利な言葉は、「すみませんが」の “Perdon”、もしくは「やあ」の “Hola”、「あなたは英語を話しますか?」の “Habla Ingles?” です。”Yes” または “Si” と答えられたらしめたもんで、後は英語が使えます。 「少し」の “ Un poco” と答える場合もあるかも知れませんが、欧米人の「少し」は「日常会話程度」ですから、全く問題ありません。
地図を持っていて迷ったとき便利な表現は、「私たちはこの地図のどこにいますか?」の “Donde estamos en este mapa?” です。場所が分かれば「私たちはここにいます。」の “Estamos aqui.” と指さして答えてくれます。地図がなくて迷った場合、知っている場所があれば、「(場所)はどこですか?」の “Donde esta (場所)?” と聞けば、「あっちにあります」の “Esta alli” とでも言ってその方向を指さしてくれるでしょう。知っている場所がないときは警察頼みです。「警察はどこですか?」の “Donde esta la policia?” と聞きましょう。あとは「(たいへん)ありがとうございます。」の “(Muchas) gracias” と言って別れればいいだけです。言葉が通じればそれだけ旅も楽しくなります。
私は自分の旅行記に日本語と現地語とその読み方をできるだけ併記して載せるようにしてますが、こういった場合や現地語での検索をメンバーの皆さんがされる場合を想定してのことです。
あっ、それから人間の生理現象と関連して重要な文章がありましたね。「トイレはどこですか?」は “Donde esta el bano”(ドンデ エスタ エル バーニョ)です。
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