2016/10/06 - 2016/10/06
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belleduneさん
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登米市(とめ)の登米町(とよま)は、藩政時代に、伊達一門登米伊達氏二万一千石の城下町として繁栄しました。北上川の舟運の流通拠点で、一時は、県庁が置かれましたが、水運の衰退などで過疎の町となってしまいました。現在は北上川沿いの一画が明治村として昔の姿を残しています。先ず初めに一番見たかった「旧登米高等尋常小学校」ヘ行きました。現在は歴史史料館ですが、明治21年(1888)に竣工し、外観、内部とも解体・修復工事が平成されて、創設当時に近い姿を見ることができます。
夕方4時半で閉館となるため、駆け足でしたが、ここを訪れる人がいなかったので、ゆっくりと過ごせました。また、窓ガラスから見える歪んだ景色に明治期の哀愁を感じることが出来ました。
「とよま」か「とめ」と読むかは、同じ登米なので、住民も紛らわしいそうです。公式には天保6年(1835)に藩より「登米郡登米と相称候様」と許可出入るので、「登米(とよま)」と決定したそうです。その後、明治初期にこの町が、登米県・水澤県の県庁所在地になって、地名の名称も分からない県庁職員が多数往来したため、「とめ」となったらしい。そして、「宮城県登米郡(とめ)登米町(とよま)」となりました。町の施設は、全て「とよま」と呼び、国、県などの施設は、「とめ」と読んで使い分けているそうです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- タクシー 徒歩
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校舎は、宮城県建築技師・山添喜三郎(1843~)の設計で、擬洋風の木造素木造2階建の建物となっています。コの字型の校舎は、東西(この写真では、正面奥側)41,8m、東西両翼が20mで、其々南方向(この写真では、手前方向)に突き出しています。建築面積は256坪(845平方m)です。山添喜三郎は29歳の時、明治5年(1872)のウィーン万博に大工棟梁として出向き、政府御雇いのゴトフリート・ワグネル(Gottfried Wagner) の元、日本建築を建てました。また、明治9年(1876)のアメリカ独立百年記念万博にも参加したそうです。2度の渡航経験で得た西洋建築の深い知識がこの小学校の建築にも生かされています。瓦1枚ずつ厳しく検査したため、不合格品が多数出たたために、瓦屋が倒産したそうです。ここ以外に、登米警察署、佐沼小学校、飯野川第一小学校、同警察署、宮城県立第一中学校など公立建築を手掛けていますが、現存しているのは、ここと旧登米警察署庁舎だけだそうです。
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屋根は、寄せ棟造で、桟瓦葺です。両南端は平屋に六方(ろっぽう)の土間で、渡り板、下駄箱などがあり、生徒の昇降口でした。当時、和風建築の大工達に取って、この六方の施工はとても苦労したそうです。明治21年の竣工当時は、約800名の児童が通っていました。一番児童が多かったのは、昭和16年の「登米国民学校」時の約1800名でしたが、少子化のため、現在、裏手にある登米市立登米小学校には、298名が学んでいます。
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校舎の見取り図です。
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2階ポーチの屋根は切妻で、ペディメントは漆喰仕上げとし、中央の朱の旭日紋章は、落成記念の木盃にも描かれているそうです。翌年完成した旧登米掲載庁舎にも同じ紋章があります。
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廊下は、1、2階共に中庭に向かって開放されています。柱とX字の欄干があるのみです。この校舎で使われている木材は全て湯通しをしてから使用されたています。湯通しすると天候による狂いが殆ど見られないことから、「湯気で蒸す」湯通しが施されたそうです。
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当初は、背面側に校庭への出入り口、湯沸かし場、宿直室等がありましたが、現在は撤去されています。
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廊下及び天井は、竿縁天井で、天井裏の小屋組は、トラス工法を使用しています。
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明治21年から昭和48年まで地域の教育の拠点といsて活用されてきました。昭和61年まで登米高等学校、登米中学校仮校舎、また教育資料館として利用されてきましたが、屋根、内外壁の損傷が激しく、昭和62年から平成元年までの3年事業として、文化庁の援助を受けて、総事業費約2億4千万円の保存修理工事を実施しました。
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バルコニーの正面と東西両側にバラスター付きの手摺を付け、床は腐植を防ぐために全面亜鉛板が敷き詰められています。四隅の柱には1階ポーチと同じフルーティングの上に柱頭飾りが付いています。柱頭飾りの渦巻き模様は、昔から長生きするようにと言うお呪いだそうです。天井は1、2階共に格天井。
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建物の基礎は、三和土を固めた大きなベースを各礎石下に置いて、稲井石(いない)をのせて、その上に土台を置いたというものです。玄関の四隅の柱は、2丈4尺(7,27m)の通し柱です。基礎の杭打ちは、岩盤に達するまで打ち込まれ、2ヶ月以上掛かったと言われています。粘度、砂利、石灰を混ぜ合わせ、突き固めた三和土は、コンクリートのようになりました。明治以来、数回の地震、大洪水でも殆ど狂いは見られないそうです。
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2階の開放廊下は、冬の風雪の対策として、屋根の軒を深くして、垂木を長く出してあります。軒先には、鼻隠として模様のある板を付けてあります。
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1階と2階の境に胴蛇腹があり、その下に1階の窓上に和風の「霧除庇」が付けられています。
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2階へ上がります。
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木造なので、階段板も角が丸くなっていて、経年が感じられます。
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冬に雨水が凍って、窓敷居部分が壊れるのを防ぐ「水抜き穴」が開けられています。亜鉛板を嵌め込んであり、外部へ排水するようになっています。
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2階の廊下に夕方の日差しが映り込んで、歪んだ窓ガラスが良いですね。
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その横の柱にも...
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2階から見ると、僅かですが古い家並みが見えました。
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2階の裁縫室を廊下の窓ガラス越しに見ています。
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教室内に入ってみると、裁縫室と勉学室が襖で仕切ることが出来る2間続きの畳敷きの教室となっていました。この小学校で、裁縫科を設けたのは、明治18年からで、この裁縫科新設によって、女子児童の数が増えたそうです。
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どこの国でも、電気以前の昔はこんなアイロンだったでしょうね。
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仕切りの欄間が板を削った芸術的なものです。
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教場境は取り外しできるように、板壁枠で仕切られていました。畳敷きの教室にした際に、正面の大床、両端の違棚を改造し、16枚の畳をしいて、「礼式演習場」となりました。この改造の前年に米軍による本土初空襲があったため、児童達の心理的な動揺を考慮して、造られたということです。
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内側に開放された廊下はどこから見ても絵になります。
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お気に入りの1枚です。
当時、ガラス戸は珍しいものでした。竣工当時のガラスがわ窓を教室の両側に取り、子供の背丈に合わせて、腰羽目板も低くなっています。出入り口は引違戸で、敷居は、柱と蟻組継ぎ(釘を使わずに互いを組込ませて繋ぐ工法)にして頑丈なものになっています。 -
明治21年の竣工当時、輸入ガラスは、歪んでいた上に、気泡や線が入っていて、今では大変貴重なものとなっています。平成23年3月11日の東日本大震災で多くのガラスが割れたそうですが、当時の面影を残すために、歪んだガラスをドイツから輸入して、嵌め込んであるそうですよ。今でも、ドイツで歪みのある昔のガラスを造っているんですね。
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隣の教室は、教師の机の上に色んな資料が展示してありました。
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教室の床は、全て乾湿による床板の伸縮でも隙間が生じないように、湯通しなどの手間を掛けて、施工されています。
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波平さんと舟さんが使った机とありました。
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で、隣は、タラちゃんが使った机だそうです。
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教師はここに立って、教えていたんですね。
明治16年の「宮城県学校建築心得」に「教場は長方形を良しとする、巾四間、長さ五間中に三十人まで」とする基準が示されていました。俗にいう「二十坪の教室」だそうですが、実体験がないので、今ひとつ実感が湧きません。 -
当時は、照明設備がなく、窓や壁の色で明るさを出すように指導されていました。この教室も鼠色になっていました。
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後にはストーブがありました。
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冬は隙間風が入って寒かったでしょうね。
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次の教室には、左手に炬燵がありました。
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裏手に現在の小学校があります。よく学び、よく遊べと校舎に書いてありました。良いですね!
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2階の廊下柱上部にある方杖は、その間に装飾板が嵌め込まれていて、頑丈で、ユニークな飾りとなっています。
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バルコニーの柱にも、廊下にあった方杖部分と同じ円板が付けられていました。白ペンキのコロニアル風柱と対照的な組み合わせですね。
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このバルコニーに立つと、教室内部が見渡せるため、校長先生はここで授業風景を見ていたそうです。また、ここから生徒の集会で挨拶、訓令などをしていたと言われています。当初は、このバルコニーの床は、黒鉛板敷きだったことが、保存修理の際に発見されています。
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校門方向
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コの字型の廊下の角の部分ですが、垂木の繋ぎ具合などがよく見えます。
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バルコニーの前が校長室でした。平成2年8月2日に、皇太子殿下行啓の際に、ここでご歓談された応接セットが置いてありました。
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校長室の天井にはこんな松飾りが吊るしてありました。
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1階ポーチ左手に井戸があります。
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1階六方下に当初の
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右が、当初のイギリス積みの赤煉瓦造りの校門ですが、昭和53年6月の宮城県沖地震で倒壊しました。昭和54年に再建されています。
左の展示は、門柱頭飾りです。 -
当初の校舎
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棟鬼
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背面鬼
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隅巴・隅鬼
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以前の省線「とよま」駅
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当時の駅舎風景
大昔、登米地方が内海だった頃、蓄積したものが近くの変動と共に、硬質粘板岩となり、「とよま玄晶岩」となります。純黒色で薄く剥離できますが、強靭となっています。そのため、東京駅舎の屋根材にも使用されました。 -
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2階の開放廊下部分です。1度しか通っていませんが、同じ形式なので、同じような写真になっています。
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1階の開放廊下から見たポーチとバルコニー。
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1階廊下外側に掛けてある半鐘は、授業の開始と終了時に鳴らされました。
登米伊達藩鋳物師・江田家第19代 江田嘉茂左衛門の作で、大正5年に鋳造され、昭和14年までここで使われていました。 -
日時計が校庭にぽつんと置いてありました。
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4時過ぎだったので、近くの武家屋敷通ヘ行ってみました。角にある「水澤縣廰記念館」へ。現在は、県庁時代の事務所や裁判所法廷を再現してあり、またレンタサイクルの貸出所もしています。時間がなかったので、入りませんでした。
明治4年に登米県庁舎が設置されることになりましたが、8月の廃藩置県により、同年11月に一関県、12月に水澤県が置かれ、明治5年6月に水澤県庁舎として開庁した建物です。明治8年に水澤県が廃止され、磐井県となり、県庁所在地が一関に移ったことにより明治9年に登米村第一所学校として使われました。明治23年には、登米区裁判所として昭和まで使用されていました。冠木門に入母屋造りの屋根、破風に狐格子という日本建築でした。本棟は、洋風を取り入れていて、当時の県内管公舎建築の貴重な建物となっているそうです。 -
こじんまりとしていますが、色んな変遷のあった建物なんですね。
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庭の隅に「一宿庵の記」の石碑がありました。元禄2年、松尾翁おくのほそ道行脚の折に、登米に泊まったことを記念したものらしい。汚れていて良く読めませんでした。
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水澤県庁記念館から見た道路向かいの建物は、現在観光物産センター「遠山之里」です。ここから車で5分ほどで、隈研吾設計の伝統芸能伝承館「森舞台」があるのですが、時間切れのため、次回にします。
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ここからが武家屋敷通ですが、現在は50m位しかありません。
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現在、「みやぎ北上商工会登米支所」です。
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旧鈴木家武家住宅表門です。
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門傍の松も綺麗に揃えられていました。
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こちらが旧鈴木家の日常門。鈴木家は、紀伊の国熊野の鈴木家の分家で、鈴木将監重信公の時、登米伊達初代藩主・相模宗直公が水澤城から登米に移るのに伴って、慶長9年に移住した班列一族、知行高6211丈を賜り、外道川原に戦功をたてました。元禄時代、鈴木家の屋敷は、後小路東角地にありましたが、天保10年以後に現屋敷に移ったものです。登米の武家屋敷は、「直ご家形式」という珍しいものです。現在、無料休憩所「春蘭亭」として整備され、公開されています。
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姫リンゴが実っています。
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門を入ると、右手に木戸門があり、表玄関へ通じています。
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柿も実っていますね。干し柿にするんでしょうか。
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上座敷への飛び石
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下座敷方向
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こちらが十二畳の下座敷です。
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森舞台ではこんな催しも開催されるんですね。いつか機会があれば、行ってみたいです。
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六畳の上座敷です。
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囲炉裏のある土間方向
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囲炉裏傍の柱には竃の神様が。
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裏庭には、井戸、納屋などがあります。
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もう閉まっていますが、奥が「蔵の資料館」です。最古の歴史を誇る味噌・醤油の醸造元・海老喜商店が明治41年まで清酒「君が代」を醸造していた酒蔵を資料館として公開しているそうです。隣に商店がありました。
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北上川沿いにある古い商店通は殆ど閉まっていました。
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蔀下し戸商家で、文久年間(1862)築の小間物・荒物商店。後麹を営んだ店舗で、藩政・明治期の商家の貴重な遺構です。
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蔵造商店街を歩いていくと、右から描いてある「小堀元栄堂」商店がありました。側面を見ると、お蔵の部分に後で増築した店舗でしょうか。
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隣は「金山タクシー」ですが、やはり右から描いてあります。
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蛯武旅館も古そうです。鰻屋が数軒あるので、鰻も取れるのでしょうか。
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ヤマカノ醸造株式会社 本社土蔵造は、明治43年頃の建造。右側の蔵は、商用蔵として建てられ、銀行にも使われていました。左の蔵は、書類・家財を保管する蔵でした。
現在は「鈴彦」k.k.となっています。 -
奥が醤油工場だと思われます。
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