ヴィチェンツァ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br /><br />キエリカーティ宮殿を出て、次なるパッラーディオの聖地に向かいます。町の目抜き通りコルソ・アンドレア・パッラーディオを戻り、ショーウィンドーを覗き込みながら散策を続けます。

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その83 ヴィチェンツァ2

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2015/06/01 - 2015/06/01

3位(同エリア69件中)

2

123

junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田


キエリカーティ宮殿を出て、次なるパッラーディオの聖地に向かいます。町の目抜き通りコルソ・アンドレア・パッラーディオを戻り、ショーウィンドーを覗き込みながら散策を続けます。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩

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  • 蚊取り線香見っけ! イタリアでも蚊取り線香使われているんだ! 大きな蚊が貼りついているのがユニーク!

    蚊取り線香見っけ! イタリアでも蚊取り線香使われているんだ! 大きな蚊が貼りついているのがユニーク!

  • コルソ・パッラーディオを少し戻って右に曲がると、目指すものはすぐに見つかりました。サンタ・コロナ教会。パッラーディオ設計のヴァルマラーナ礼拝堂があることで有名になりました。パッラーディオ自身、この教会にある家族の墓に1845年まで眠っていました。<br /><br />建物の背後に、ヴェネツィア風の鐘楼が見えています。美しいですねえ。四角い部分はロマネスク様式。先っぽの丸い尖塔部分は1347年頃追加されたものだそうです。

    コルソ・パッラーディオを少し戻って右に曲がると、目指すものはすぐに見つかりました。サンタ・コロナ教会。パッラーディオ設計のヴァルマラーナ礼拝堂があることで有名になりました。パッラーディオ自身、この教会にある家族の墓に1845年まで眠っていました。

    建物の背後に、ヴェネツィア風の鐘楼が見えています。美しいですねえ。四角い部分はロマネスク様式。先っぽの丸い尖塔部分は1347年頃追加されたものだそうです。

  • 教会は、フランスの聖ルイ9世から司教バルトロメオ・ダ・ブレガンツェに贈られた聖遺物「キリストが被った茨の冠」(そんなものが残っているとは驚きですねえ・・・それをまた、プレゼントするなんて信じられない!)を収めるために、1261年から建設が始まりました。ナポレオンによる修道院廃止令まで、ここは修道会ドメニコ会に属していました。<br /><br />レンガ造りのゴシック様式のファサードです。中央の山形になった壁の上には、5つの小さなピナクルが乗っかっていました。大きなバラ窓が一つ。とても狭い道路に位置しているので、正面から写すのが困難で、この角度がやっと! 本日3つ目の共通チケットでの入場となりました。

    教会は、フランスの聖ルイ9世から司教バルトロメオ・ダ・ブレガンツェに贈られた聖遺物「キリストが被った茨の冠」(そんなものが残っているとは驚きですねえ・・・それをまた、プレゼントするなんて信じられない!)を収めるために、1261年から建設が始まりました。ナポレオンによる修道院廃止令まで、ここは修道会ドメニコ会に属していました。

    レンガ造りのゴシック様式のファサードです。中央の山形になった壁の上には、5つの小さなピナクルが乗っかっていました。大きなバラ窓が一つ。とても狭い道路に位置しているので、正面から写すのが困難で、この角度がやっと! 本日3つ目の共通チケットでの入場となりました。

  • どうやらまた、内部全体の写真を撮るのを忘れ、早速右回りで礼拝堂巡りに向かったようですよ。その価値のある、非常に内容の濃い教会でした。<br /><br />ドメニコ会に属していた教会らしく、右側最初の礼拝堂は聖ドメニコに捧げられていました。祭壇画には中央に王冠を戴いた聖母が、開祖聖ドメニコが描かれた絵を広げて見せています。<br /><br />タイトルは「ソリアーノの奇跡」。1530年9月15日、カラブリア州ソリアーノにあったサン・ドメニコ修道院に三人の女性が現れ、そのうちの一人が「聖ドメニコ」の絵を修道院の修道士に手渡したという出来事がありました。後に、その三人の女性が聖母、アレキサンドリアの聖カタリア、マグダラのマリアだったということが判明したということで、「ソリアーノの奇跡」と呼ばれています。17世紀の作品ですが、画家の名前はわかっていません。

    どうやらまた、内部全体の写真を撮るのを忘れ、早速右回りで礼拝堂巡りに向かったようですよ。その価値のある、非常に内容の濃い教会でした。

    ドメニコ会に属していた教会らしく、右側最初の礼拝堂は聖ドメニコに捧げられていました。祭壇画には中央に王冠を戴いた聖母が、開祖聖ドメニコが描かれた絵を広げて見せています。

    タイトルは「ソリアーノの奇跡」。1530年9月15日、カラブリア州ソリアーノにあったサン・ドメニコ修道院に三人の女性が現れ、そのうちの一人が「聖ドメニコ」の絵を修道院の修道士に手渡したという出来事がありました。後に、その三人の女性が聖母、アレキサンドリアの聖カタリア、マグダラのマリアだったということが判明したということで、「ソリアーノの奇跡」と呼ばれています。17世紀の作品ですが、画家の名前はわかっていません。

  • 聖ドメニコ礼拝堂入り口左側の壁にあった「福者マッテオ・カッレリオ」のモニュメントです。彼は聖ドメニコ会の修道院を建てるという事業を成し遂げました。1472年に作られた油絵と枠だけの簡素なモニュメントですが、フランチェスコ・マッフェイ(1605年~1660年)による絵に差し替えられたのは17世紀に入ってから。1632年のことです。

    聖ドメニコ礼拝堂入り口左側の壁にあった「福者マッテオ・カッレリオ」のモニュメントです。彼は聖ドメニコ会の修道院を建てるという事業を成し遂げました。1472年に作られた油絵と枠だけの簡素なモニュメントですが、フランチェスコ・マッフェイ(1605年~1660年)による絵に差し替えられたのは17世紀に入ってから。1632年のことです。

  • 続いての礼拝堂はヴェローナの聖ピエトロ(1206年-1252年)に捧げられていました。祭壇にはかつて、ヴェローナの聖ピエトロ像が立っていたのですが、現在では「マリアの教育」という珍しいタイトルの祭壇画に代わっています。ドメニコ・ツォルツィの作品で、廃止されたヴィチェンツァの聖ファウスティーノ教会に飾られていたものです。<br /><br />聖母が勉強している姿、初めて拝見しましたぁ!! マリアの母親聖アンナはすでに老婆になっていますよ!

    続いての礼拝堂はヴェローナの聖ピエトロ(1206年-1252年)に捧げられていました。祭壇にはかつて、ヴェローナの聖ピエトロ像が立っていたのですが、現在では「マリアの教育」という珍しいタイトルの祭壇画に代わっています。ドメニコ・ツォルツィの作品で、廃止されたヴィチェンツァの聖ファウスティーノ教会に飾られていたものです。

    聖母が勉強している姿、初めて拝見しましたぁ!! マリアの母親聖アンナはすでに老婆になっていますよ!

  • 素晴らしい絵が続きます。お次はキリストの養父聖ヨーセフに捧げられた礼拝堂で、祭壇画は「東方三博士の礼拝」です。博士達の鮮やかな衣装が凄く目立ちますね。ヴェネツィア出身のルネサンス期の巨匠パオロ・ヴェロネーゼ(1528年-1588年)の作品です。日の光を浴びた派手な博士達の姿の奥に見える清楚な聖母が美しいです。聖母の背後に見える大きな柱にはやや違和感を覚えます。馬小屋とは、どう見てもそぐわない立派な神殿の柱ですよね!<br /><br />

    素晴らしい絵が続きます。お次はキリストの養父聖ヨーセフに捧げられた礼拝堂で、祭壇画は「東方三博士の礼拝」です。博士達の鮮やかな衣装が凄く目立ちますね。ヴェネツィア出身のルネサンス期の巨匠パオロ・ヴェロネーゼ(1528年-1588年)の作品です。日の光を浴びた派手な博士達の姿の奥に見える清楚な聖母が美しいです。聖母の背後に見える大きな柱にはやや違和感を覚えます。馬小屋とは、どう見てもそぐわない立派な神殿の柱ですよね!

  • この礼拝堂は1570年頃建てられ、かつてはここに教会の創建者バルトロメオ・ダ・ブレガンツェの聖遺物と共に、ルイ9世から贈られた「キリストの茨の冠」が収められていましたが、18世紀末に壁が老朽化して崩れ、再建。その際に祭壇画が置き換えられたようです。

    イチオシ

    この礼拝堂は1570年頃建てられ、かつてはここに教会の創建者バルトロメオ・ダ・ブレガンツェの聖遺物と共に、ルイ9世から贈られた「キリストの茨の冠」が収められていましたが、18世紀末に壁が老朽化して崩れ、再建。その際に祭壇画が置き換えられたようです。

  • ロザリオの礼拝堂は1613年~42年にかけて、ジャンバッティスタとジローラモのアルバネーセ兄弟によって建てられました。教会でも1.、2を争う豪華に装飾された礼拝堂です。<br /><br />祭壇にはロザリオの聖母像と、少々見えにくいですが、アーチに沿って「ロザリオの謎」が描かれた八角形のパネルが15枚並べられています。そういえば、ボローニャの聖ドメニコ教会にも、ロザリオの礼拝堂と「ロザリオの謎」の絵画がありましたね。同じように入場不可で、見ることができませんでした。<br /><br />祭壇両脇や上部、左右の壁にある彫像はアルバネーゼ兄弟の作だそうです。ヴォールトの数字は何を意味するのでしょうね。現在修復中なのかしら?

    ロザリオの礼拝堂は1613年~42年にかけて、ジャンバッティスタとジローラモのアルバネーセ兄弟によって建てられました。教会でも1.、2を争う豪華に装飾された礼拝堂です。

    祭壇にはロザリオの聖母像と、少々見えにくいですが、アーチに沿って「ロザリオの謎」が描かれた八角形のパネルが15枚並べられています。そういえば、ボローニャの聖ドメニコ教会にも、ロザリオの礼拝堂と「ロザリオの謎」の絵画がありましたね。同じように入場不可で、見ることができませんでした。

    祭壇両脇や上部、左右の壁にある彫像はアルバネーゼ兄弟の作だそうです。ヴォールトの数字は何を意味するのでしょうね。現在修復中なのかしら?

  • こちらは、右翼廊にある聖ヴィンチェンツオ・フェレール礼拝堂です。最初の礼拝堂は1490年に建てられましたが、1750年にクリストフォーロ・バルバラーノが白い砂岩と赤い大理石で、聖ヴィンチェンツォに捧げる祭壇を新たに制作しました。<br /><br />祭壇画はアントニオ・デ・ピエリの作で、聖ヴィンチェンツォの前に現れた聖母子とサラゴッサの聖ヴィセンソ(ドメニコ会出身の聖人)、聖ヒエロニムスを描いています。いかにもバロックといった祭壇ですね。

    こちらは、右翼廊にある聖ヴィンチェンツオ・フェレール礼拝堂です。最初の礼拝堂は1490年に建てられましたが、1750年にクリストフォーロ・バルバラーノが白い砂岩と赤い大理石で、聖ヴィンチェンツォに捧げる祭壇を新たに制作しました。

    祭壇画はアントニオ・デ・ピエリの作で、聖ヴィンチェンツォの前に現れた聖母子とサラゴッサの聖ヴィセンソ(ドメニコ会出身の聖人)、聖ヒエロニムスを描いています。いかにもバロックといった祭壇ですね。

  • 主祭壇の右隣りにあったのは聖ピエトロと聖パオロに捧げられた礼拝堂です。13世紀の創建当時からあった礼拝堂ですが、18世紀に大きくモデルチェンジしています。祭壇はその時に加えられたもので、こちらも後期バロックと呼ぶのでしょうか?<br /><br />祭壇画は「ピウス5世、聖ピエトロ、聖パオロとともにいる玉座の聖母子」で、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニの作品です。1718年~1725年。<br /><br />左右にある墓は、礼拝堂のパトロンであるティエネ家の人々(マルコとジョヴァンニ)の墓で、どちらも表面は細かいレリーフがびっしりと覆われていました。こちらは14世紀末から15世紀初めにかけての作だそうです。溜息が出るほど美しい!!

    主祭壇の右隣りにあったのは聖ピエトロと聖パオロに捧げられた礼拝堂です。13世紀の創建当時からあった礼拝堂ですが、18世紀に大きくモデルチェンジしています。祭壇はその時に加えられたもので、こちらも後期バロックと呼ぶのでしょうか?

    祭壇画は「ピウス5世、聖ピエトロ、聖パオロとともにいる玉座の聖母子」で、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニの作品です。1718年~1725年。

    左右にある墓は、礼拝堂のパトロンであるティエネ家の人々(マルコとジョヴァンニ)の墓で、どちらも表面は細かいレリーフがびっしりと覆われていました。こちらは14世紀末から15世紀初めにかけての作だそうです。溜息が出るほど美しい!!

  • 5段の階段を上って主祭壇にやって参りました。身廊の外壁を壊して後陣が作られ始めたのは1478年のこと。完成は1504年だそうですから26年間かかっています。建築家ロレンツォ・ダ・ボローニャによる設計です。まずは赤いテラコッタ・タイルで縁取られたヴォールトに注目です。シンプルですが力強さと明るさを感じますね。目が慣れてくると、今度は見事な象嵌細工の幕屋の存在に気が付きます。<br />

    5段の階段を上って主祭壇にやって参りました。身廊の外壁を壊して後陣が作られ始めたのは1478年のこと。完成は1504年だそうですから26年間かかっています。建築家ロレンツォ・ダ・ボローニャによる設計です。まずは赤いテラコッタ・タイルで縁取られたヴォールトに注目です。シンプルですが力強さと明るさを感じますね。目が慣れてくると、今度は見事な象嵌細工の幕屋の存在に気が付きます。

  • これはこれは! 非常に手の込んだ象嵌細工の幕屋ですよ! 正に一目ぼれとはこのこと! 脇で二人の天使(ケルビム=智天使)が見守る基盤部の上には、赤いコリント式の大理石の柱で支えられた幕屋(神殿)本体、そして最上部にはキリストの復活像が乗っていました。そして全面を細かい幾何学模様や花模様の象嵌細工が覆っています。

    イチオシ

    これはこれは! 非常に手の込んだ象嵌細工の幕屋ですよ! 正に一目ぼれとはこのこと! 脇で二人の天使(ケルビム=智天使)が見守る基盤部の上には、赤いコリント式の大理石の柱で支えられた幕屋(神殿)本体、そして最上部にはキリストの復活像が乗っていました。そして全面を細かい幾何学模様や花模様の象嵌細工が覆っています。

  • 祭壇の背後には、美しいステンドグラスと、木製の象嵌細工が施された素晴らしい聖歌隊席(モデナ出身ピエール・アントニオ・デッリ・アバティ作 1482年)のがあるのですが、そこまで見る心の余裕がありません!<br /><br />床はヴィチェンツァではポピュラーな赤と白の市松模様でした。

    祭壇の背後には、美しいステンドグラスと、木製の象嵌細工が施された素晴らしい聖歌隊席(モデナ出身ピエール・アントニオ・デッリ・アバティ作 1482年)のがあるのですが、そこまで見る心の余裕がありません!

    床はヴィチェンツァではポピュラーな赤と白の市松模様でした。

  • でもちょっとだけ、ステンドグラスに浮気します。

    イチオシ

    でもちょっとだけ、ステンドグラスに浮気します。

  • 祭壇上の幕屋は、フィレンツェ出身のアーチスト ドメニコ・コルベレッリとその工房が1669年~86年にかけて制作したもので、貴重な石をふんだんに使用しています。幕屋の最上部から見ていくと、キリストの復活像の下には聖霊のシンボル「鳩」の象嵌細工がありました。

    祭壇上の幕屋は、フィレンツェ出身のアーチスト ドメニコ・コルベレッリとその工房が1669年~86年にかけて制作したもので、貴重な石をふんだんに使用しています。幕屋の最上部から見ていくと、キリストの復活像の下には聖霊のシンボル「鳩」の象嵌細工がありました。

  • その下には、キリストの磔像。

    その下には、キリストの磔像。

  • その下の鍵穴のある扉に描かれたのは・・・さすがに象嵌細工ではなくてフレスコの「キリストの復活」。

    その下の鍵穴のある扉に描かれたのは・・・さすがに象嵌細工ではなくてフレスコの「キリストの復活」。

  • そして、基盤部の中央には、「最後の晩餐」がはめ込まれていました。細か~い! ブラヴォー!!

    イチオシ

    そして、基盤部の中央には、「最後の晩餐」がはめ込まれていました。細か~い! ブラヴォー!!

  • 左から、「キリストの復活」、「最後の晩餐」、「聖ヴィチェンツォとヴィンチェンツァ・パシーニがモンテ・ベリコ(ヴィチェンツァの近郊の山)で見た聖母の姿」の象嵌細工です。右の絵に描かれている町はきっと当時のヴィチェンツアなのでしょうね。

    左から、「キリストの復活」、「最後の晩餐」、「聖ヴィチェンツォとヴィンチェンツァ・パシーニがモンテ・ベリコ(ヴィチェンツァの近郊の山)で見た聖母の姿」の象嵌細工です。右の絵に描かれている町はきっと当時のヴィチェンツアなのでしょうね。

  • 幕屋に向かって左側部分には、「福者ハンガリーのマルガリータを祝福する聖母子」と「彼女の前に現れたキリスト」

    幕屋に向かって左側部分には、「福者ハンガリーのマルガリータを祝福する聖母子」と「彼女の前に現れたキリスト」

  • 右側部分には、「シエナの聖カタリナの前に現れた聖母子」と「聖カタリナが聖痕を受けた場面」です。どのパネルの床も市松模様だったのには笑ってしまいました。<br /><br />上下の細い部分には風情ある町並み、脇には天使と花や果実等、隙間なく象嵌で覆われています。<br /><br />象嵌細工は、裏側にもあったようですが、聖歌隊が練習中で近づけませんでした。

    右側部分には、「シエナの聖カタリナの前に現れた聖母子」と「聖カタリナが聖痕を受けた場面」です。どのパネルの床も市松模様だったのには笑ってしまいました。

    上下の細い部分には風情ある町並み、脇には天使と花や果実等、隙間なく象嵌で覆われています。

    象嵌細工は、裏側にもあったようですが、聖歌隊が練習中で近づけませんでした。

  • 象嵌細工は、主祭壇と聖歌隊席を隔てるフェンスの手摺やその欄干部分にも施されていました。

    象嵌細工は、主祭壇と聖歌隊席を隔てるフェンスの手摺やその欄干部分にも施されていました。

  • 欄干部分では音楽天使が楽器を奏でています。手摺の細い部分には、花、昆虫、動物などの姿がありました。

    欄干部分では音楽天使が楽器を奏でています。手摺の細い部分には、花、昆虫、動物などの姿がありました。

  • こちらが右端部分。聖歌隊の方々が練習している姿がフェンスの隙間から見えました。

    こちらが右端部分。聖歌隊の方々が練習している姿がフェンスの隙間から見えました。

  • ♪音楽天使のアップです。♪

    ♪音楽天使のアップです。♪

  • 他にも、色々な図案があって、目を楽しませてもらいました。こちらは右側の彫像の台座です。

    他にも、色々な図案があって、目を楽しませてもらいました。こちらは右側の彫像の台座です。

  • 画面には二人の人物。右の人物が何か巾着に入ったものを左の人物に手渡しています。何だろう?

    画面には二人の人物。右の人物が何か巾着に入ったものを左の人物に手渡しています。何だろう?

  • こちらは左側の彫像の台座。静物や果実の図柄は、日本でも山梨県などで見かけたことがあるような気がします。二つの取っ手のある花瓶はイタリアでよく見られますね。

    こちらは左側の彫像の台座。静物や果実の図柄は、日本でも山梨県などで見かけたことがあるような気がします。二つの取っ手のある花瓶はイタリアでよく見られますね。

  • ステップの部分にも念入りに埋め込められた動物や植物。やはりブドウの蔓が基本かな?

    ステップの部分にも念入りに埋め込められた動物や植物。やはりブドウの蔓が基本かな?

  • 多色大理石、サンゴ、ラピスラズリ、西洋山法師、真珠などで作られた豪華な幕屋を思う存分見て回りました。とっても充実した時間でした!

    多色大理石、サンゴ、ラピスラズリ、西洋山法師、真珠などで作られた豪華な幕屋を思う存分見て回りました。とっても充実した時間でした!

  • 主祭壇に上るメイン階段両脇にある階段を逆に下りて行くと、クリプトに到着です。このクリプト部分は、前述のロレンツォ・ダ・ボローニャが、後陣の修復工事と同時期(15世紀末~16世紀初頭)に制作したものです。

    主祭壇に上るメイン階段両脇にある階段を逆に下りて行くと、クリプトに到着です。このクリプト部分は、前述のロレンツォ・ダ・ボローニャが、後陣の修復工事と同時期(15世紀末~16世紀初頭)に制作したものです。

  • 左側には、パッラーディオ家の墓がありました。アンドレア・パッラーデイオは1580年にここに埋葬され、1845年に市内の彼個人の墓に移されるまで、眠っていました。<br /><br />写真がボケていたので、この写真はwikimediaのサイトからお借りしました。

    左側には、パッラーディオ家の墓がありました。アンドレア・パッラーデイオは1580年にここに埋葬され、1845年に市内の彼個人の墓に移されるまで、眠っていました。

    写真がボケていたので、この写真はwikimediaのサイトからお借りしました。

  • こちらの礼拝堂が、教会を建てるそもそものきっかけとなったフランスのルイ9世からの贈り物「キリストの茨の冠」が、1520年~1580年まで安置されていたところです。<br /><br />そんな歴史的な場所に似合わず、真新しいイメージですねえ。<br /><br />祭壇の上には、1530年頃制作されたジローラモ・ピットーリによる石像が3体立っていました。

    こちらの礼拝堂が、教会を建てるそもそものきっかけとなったフランスのルイ9世からの贈り物「キリストの茨の冠」が、1520年~1580年まで安置されていたところです。

    そんな歴史的な場所に似合わず、真新しいイメージですねえ。

    祭壇の上には、1530年頃制作されたジローラモ・ピットーリによる石像が3体立っていました。

  • 中央には復活したキリスト。左側がフランス王、ルイ9世。そして右側がこの教会を創った司教バルトロメオ・ダ・ブレガンツェです。<br /><br />ジローラモ・ピットーリの作品はヴィチェンツァ中の教会に散らばっていますが、この3体の彫像は、まさに「代表作」となりました。<br /><br />彼はまた盟友の建築家ジョヴァンニ・ディ・ジャコモ・ダ・ポルレッツァと共にまだ若かったパッラーディオが引き受けた仕事を何度も手伝っているのだそうですよ。

    中央には復活したキリスト。左側がフランス王、ルイ9世。そして右側がこの教会を創った司教バルトロメオ・ダ・ブレガンツェです。

    ジローラモ・ピットーリの作品はヴィチェンツァ中の教会に散らばっていますが、この3体の彫像は、まさに「代表作」となりました。

    彼はまた盟友の建築家ジョヴァンニ・ディ・ジャコモ・ダ・ポルレッツァと共にまだ若かったパッラーディオが引き受けた仕事を何度も手伝っているのだそうですよ。

  • ヴァルマラーナ家の楕円形をした礼拝堂です。もっと大きいものを予想していましたが、こじんまりとしたものでした。<br /><br />1576年にパトロンの一人だったアントニオ・ヴァルマラーナが亡くなった時に、パッラーディオはこの葬送用の礼拝堂を設計しています。すでに教会の別の場所にはヴァルマラーナ家の他の家族が埋葬されていましたが、1597年にアントニオの兄弟レオナルドによって全てここに移されています。パッラーデイオが亡くなった後のことですね。<br /><br />パッラーデイオが設計したという文書は見つかっていませんが、この礼拝堂は、同じ頃彼が設計したヴェネツィア ジュデッカ島にあるレデントーレ教会のファサードに大変よく似ているそうです。ローマのパンテオンやローマ時代の墓碑銘に触発されたと聞くと、なるほどと頷けますね。<br /><br />三角形のペディメントの上に掲げられているのはヴァルマラーナ家の紋章です。

    ヴァルマラーナ家の楕円形をした礼拝堂です。もっと大きいものを予想していましたが、こじんまりとしたものでした。

    1576年にパトロンの一人だったアントニオ・ヴァルマラーナが亡くなった時に、パッラーディオはこの葬送用の礼拝堂を設計しています。すでに教会の別の場所にはヴァルマラーナ家の他の家族が埋葬されていましたが、1597年にアントニオの兄弟レオナルドによって全てここに移されています。パッラーデイオが亡くなった後のことですね。

    パッラーデイオが設計したという文書は見つかっていませんが、この礼拝堂は、同じ頃彼が設計したヴェネツィア ジュデッカ島にあるレデントーレ教会のファサードに大変よく似ているそうです。ローマのパンテオンやローマ時代の墓碑銘に触発されたと聞くと、なるほどと頷けますね。

    三角形のペディメントの上に掲げられているのはヴァルマラーナ家の紋章です。

  • これは教会の表にあったパッラディオ設計のヴァルマラーナ礼拝堂の見取り図です。本当に小さな空間を考え抜いて設計していることがわかります。

    これは教会の表にあったパッラディオ設計のヴァルマラーナ礼拝堂の見取り図です。本当に小さな空間を考え抜いて設計していることがわかります。

  • ヴァルマラーナ礼拝堂の復元修復には、アメリカの建築歴史家協会の支援があったようです。恭しく壁に掲げられていました。1961年。

    ヴァルマラーナ礼拝堂の復元修復には、アメリカの建築歴史家協会の支援があったようです。恭しく壁に掲げられていました。1961年。

  • クリプトから身廊へ上っていくと、大きなバラ窓のステンドグラスが目に飛び込んできました。色遣いもデザインもモダンですが、温かみのある暖色系の青が使われていました。

    クリプトから身廊へ上っていくと、大きなバラ窓のステンドグラスが目に飛び込んできました。色遣いもデザインもモダンですが、温かみのある暖色系の青が使われていました。

  • さあ、教会の残りの左半分を見て回りましょう。聖なる茨の冠の礼拝堂にやって参りましたよ。<br /><br />( ^ω^)・・・出ました! えっ! これが茨の冠の写真ですか? 茨もどきが上の方に絡みついている気もしますが、どう見てもキリストの茨の冠そのものには見えません。それとも、これは単なる入れ物でしょうかね・・・<br /><br /><br />調べてみたら、写真の「箱」!は14世紀の金細工師が作ったもので、本物はヴィチェンツァの教区博物館にあると書かれていました。??? 結局茨の冠はどこにあるんでしょう??? どうやってこの「箱」にいれるんでしょうねえ・・・

    さあ、教会の残りの左半分を見て回りましょう。聖なる茨の冠の礼拝堂にやって参りましたよ。

    ( ^ω^)・・・出ました! えっ! これが茨の冠の写真ですか? 茨もどきが上の方に絡みついている気もしますが、どう見てもキリストの茨の冠そのものには見えません。それとも、これは単なる入れ物でしょうかね・・・


    調べてみたら、写真の「箱」!は14世紀の金細工師が作ったもので、本物はヴィチェンツァの教区博物館にあると書かれていました。??? 結局茨の冠はどこにあるんでしょう??? どうやってこの「箱」にいれるんでしょうねえ・・・

  • 聖なる茨の冠の礼拝堂は創建当時からあった古い礼拝堂で、1260年~1270年の間に建てられたと言われていますが、オリジナルの装具類は失われています。祭壇は1321年の作。聖遺物はあっちこっちへと移されて、1850年にようやくここに帰ってきました。<br /><br />なんとも無様な写真ですが、祭壇下には創健者司教ブレガンツェの聖遺物が収められた骨壺が見えました。鉄格子の隙間からやっとのことで撮ったような記憶。

    聖なる茨の冠の礼拝堂は創建当時からあった古い礼拝堂で、1260年~1270年の間に建てられたと言われていますが、オリジナルの装具類は失われています。祭壇は1321年の作。聖遺物はあっちこっちへと移されて、1850年にようやくここに帰ってきました。

    なんとも無様な写真ですが、祭壇下には創健者司教ブレガンツェの聖遺物が収められた骨壺が見えました。鉄格子の隙間からやっとのことで撮ったような記憶。

  • お次は左翼廊にあるカルドーニョ礼拝堂です。右身廊にあったロザリオの礼拝堂同様、ジャンバッティスタとジローラモのアルバネーゼ兄弟により、1604年に建てられました。<br /><br />スペインのドメニコ会出身の聖人レイモンド・ペニャフォルトを祀った祭壇の上には、アレッサンドロ・マガンツァによる絵が飾られています。キリストは聖母と共に、マグダラのマリア、聖ルカ、大アントニオス、そして聖レイモンドに祝福を与えています。

    お次は左翼廊にあるカルドーニョ礼拝堂です。右身廊にあったロザリオの礼拝堂同様、ジャンバッティスタとジローラモのアルバネーゼ兄弟により、1604年に建てられました。

    スペインのドメニコ会出身の聖人レイモンド・ペニャフォルトを祀った祭壇の上には、アレッサンドロ・マガンツァによる絵が飾られています。キリストは聖母と共に、マグダラのマリア、聖ルカ、大アントニオス、そして聖レイモンドに祝福を与えています。

  • さて次なるは、この教会にある絵画の中でも、先ほどの「東方三博士の礼拝」と一二を争う名画と言われる「キリストの洗礼」のあるガルツァドーリ祭壇です。<br /><br />ヴィチェンツァで一番豪華な祭壇と言われていて、16世紀にトマゾ・ダ・ルガーノ、ベルナルディーノ・ダ・コモロッコ・ダ・ヴィチェンツァらの工房により作られました。<br /><br />ご覧ください!スパイラルやらうろこ状やら様々な模様が彫りこんである両側の列柱を!<br /><br />奥には付け柱が2本ずつあって、片側4本柱という豪華版です。柱頭にはスフィンクスでしょうか? 一番上のアーチの下には太い花綱も見えています。

    イチオシ

    さて次なるは、この教会にある絵画の中でも、先ほどの「東方三博士の礼拝」と一二を争う名画と言われる「キリストの洗礼」のあるガルツァドーリ祭壇です。

    ヴィチェンツァで一番豪華な祭壇と言われていて、16世紀にトマゾ・ダ・ルガーノ、ベルナルディーノ・ダ・コモロッコ・ダ・ヴィチェンツァらの工房により作られました。

    ご覧ください!スパイラルやらうろこ状やら様々な模様が彫りこんである両側の列柱を!

    奥には付け柱が2本ずつあって、片側4本柱という豪華版です。柱頭にはスフィンクスでしょうか? 一番上のアーチの下には太い花綱も見えています。

  • 下のアーチの中央部分にある天使をアップしてみましたが、こちらはあまり可愛くなかった///・・・

    下のアーチの中央部分にある天使をアップしてみましたが、こちらはあまり可愛くなかった///・・・

  • 祭壇上の絵、1500年~02年に描かれた15世紀のヴェネツィア派巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニ(1435年-1516年)の「キリストの洗礼」です。ジョヴァンニの父ヤーコポ、兄ジェンティーレも共に高名な画家です。<br /><br />絵はキリストを中心に、彼の左側に洗礼者聖ヨハネ。右には三神学的美徳の寓意像、そして彼らの頭上には天の父なる神が聖霊の鳩を遣わしています。非常に古典的な構図ですね。<br /><br />背景の山々の彼方にはうっすらと赤みを帯びた雲が広がっていて、そろそろ夜明けが近いと教えてくれています。薄闇の中、キリストのみが光を受けていて、白い肉体が輝いて見えています。<br /><br />聖ヨハネの背後に見える古い小屋は旧約聖書を、反対側の城は新約聖書を象徴しているのだそう。もう一つ、ヨハネの足元にいる赤いオウムはキリストの受難を象徴するものなんですって。

    イチオシ

    祭壇上の絵、1500年~02年に描かれた15世紀のヴェネツィア派巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニ(1435年-1516年)の「キリストの洗礼」です。ジョヴァンニの父ヤーコポ、兄ジェンティーレも共に高名な画家です。

    絵はキリストを中心に、彼の左側に洗礼者聖ヨハネ。右には三神学的美徳の寓意像、そして彼らの頭上には天の父なる神が聖霊の鳩を遣わしています。非常に古典的な構図ですね。

    背景の山々の彼方にはうっすらと赤みを帯びた雲が広がっていて、そろそろ夜明けが近いと教えてくれています。薄闇の中、キリストのみが光を受けていて、白い肉体が輝いて見えています。

    聖ヨハネの背後に見える古い小屋は旧約聖書を、反対側の城は新約聖書を象徴しているのだそう。もう一つ、ヨハネの足元にいる赤いオウムはキリストの受難を象徴するものなんですって。

  • ジョヴァンニ・ベッリーニで思い出すのは、やはりナポリのカポディモンティ美術館で見た「キリストの変容」でしょう。キリストが中心である構図は同じ。キリストの背後には、夏の入道雲が沸き立っていたのが印象に残っています。<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/11084309<br /><br />キリストに正面から見つめられて、マジックのように動けなくなってしまいました。

    ジョヴァンニ・ベッリーニで思い出すのは、やはりナポリのカポディモンティ美術館で見た「キリストの変容」でしょう。キリストが中心である構図は同じ。キリストの背後には、夏の入道雲が沸き立っていたのが印象に残っています。

    http://4travel.jp/travelogue/11084309

    キリストに正面から見つめられて、マジックのように動けなくなってしまいました。

  • 左身廊には、区切られた礼拝堂はなく、ご覧のような祭壇が続いていました。次の「慈悲の聖母」の祭壇(別名トゥルキーニ家祭壇)の1枚は大ボケ(汗)。<br /><br />祭壇画の「星の聖母」の作者は14世紀の画家ロレンツォ・ヴェネツィアーノ。しかしながら絵の下部にヴェチェンツァのパノラマを描いたのは、マルチェロ・フォゴリーノだと言われています。2人の画家の合作?? 川の彼方に広がるこの町のパノラマが中々良かったのですが、残念・・・

    左身廊には、区切られた礼拝堂はなく、ご覧のような祭壇が続いていました。次の「慈悲の聖母」の祭壇(別名トゥルキーニ家祭壇)の1枚は大ボケ(汗)。

    祭壇画の「星の聖母」の作者は14世紀の画家ロレンツォ・ヴェネツィアーノ。しかしながら絵の下部にヴェチェンツァのパノラマを描いたのは、マルチェロ・フォゴリーノだと言われています。2人の画家の合作?? 川の彼方に広がるこの町のパノラマが中々良かったのですが、残念・・・

  • 三番目はモンツァ家の祭壇はドメニコ会の聖人聖アントニーノ・ピエロッツィに捧げられていました。よく存じ上げない聖人です。<br /><br />祭壇画は1598年、レアンドロ・バッサーノによる「貧しい人々に施しを行う聖アントニーノ」です。非常に分かりやすい絵に仕上がっています。<br />

    三番目はモンツァ家の祭壇はドメニコ会の聖人聖アントニーノ・ピエロッツィに捧げられていました。よく存じ上げない聖人です。

    祭壇画は1598年、レアンドロ・バッサーノによる「貧しい人々に施しを行う聖アントニーノ」です。非常に分かりやすい絵に仕上がっています。

  • 四番目のパゲッロ家の祭壇は、マグダラのマリアに捧げられていました。1514年~15年にかけて描かれた「ヒエロニムス、聖パオラ、聖アゴスティーノ、聖モニカといるマグダラのマリア」とプラデッラの3枚はバルトロメオ・モンターニャの作品。祭壇は絵の完成から間もなく、ポデムーロの工房によって完成しました。こちらもレリーフが美しい、手の込んだ祭壇です。

    四番目のパゲッロ家の祭壇は、マグダラのマリアに捧げられていました。1514年~15年にかけて描かれた「ヒエロニムス、聖パオラ、聖アゴスティーノ、聖モニカといるマグダラのマリア」とプラデッラの3枚はバルトロメオ・モンターニャの作品。祭壇は絵の完成から間もなく、ポデムーロの工房によって完成しました。こちらもレリーフが美しい、手の込んだ祭壇です。

  • この祭壇前には、自身の遺言により、ロミオとジュリエットの原作者ルイージ・ダ・ポルト(1485年-1529年)が眠っています。彼はこの祭壇のパトロンであったベルナルディーノ・パゲッロの兄に当たります。<br /><br />絵の中のマグダラのマリアは、少々厳しい表情をしていますねえ。一番手前には、ヒエロニムスのシンボルである赤い教会博士の帽子が実に印象的に置かれています。<br /><br />

    この祭壇前には、自身の遺言により、ロミオとジュリエットの原作者ルイージ・ダ・ポルト(1485年-1529年)が眠っています。彼はこの祭壇のパトロンであったベルナルディーノ・パゲッロの兄に当たります。

    絵の中のマグダラのマリアは、少々厳しい表情をしていますねえ。一番手前には、ヒエロニムスのシンボルである赤い教会博士の帽子が実に印象的に置かれています。

  • 左身廊最後の祭壇はニエヴォ家の祭壇です。最初の祭壇は1426年フィオルダリーサ・ニエヴォの死後に作られましたが、現在の祭壇は1533年、パゲッロ家の祭壇同様、ポデムーロ工房のジョヴァンニ・バッティスタ・クローネが中心となって制作したカラッラ大理石製の豪華な祭壇です。<br /><br />祭壇の彫像は「三位一体」を表しています。湧き上がるような雲が三角形の二角を形作っていますね。

    左身廊最後の祭壇はニエヴォ家の祭壇です。最初の祭壇は1426年フィオルダリーサ・ニエヴォの死後に作られましたが、現在の祭壇は1533年、パゲッロ家の祭壇同様、ポデムーロ工房のジョヴァンニ・バッティスタ・クローネが中心となって制作したカラッラ大理石製の豪華な祭壇です。

    祭壇の彫像は「三位一体」を表しています。湧き上がるような雲が三角形の二角を形作っていますね。

  • 本当に中身の濃い教会でした。時間がたっぷりあったこともあり、長時間お邪魔してしまいました。最後にカウンターファサードにフレスコが何枚か残っていたので紹介します。<br /><br />16世紀初頭の作品で作者はマルチェロ・フォゴリーノともアレッサンドロ・ヴェルラとも言われています。タイトルは「慈悲の聖母」マドンナ・デッラ・ミゼルコルディア 名門トゥルキーニ家の面々を聖母がしっかりと守ってくれています。聖母の右側の女性 カメラ目線ですねえ。

    本当に中身の濃い教会でした。時間がたっぷりあったこともあり、長時間お邪魔してしまいました。最後にカウンターファサードにフレスコが何枚か残っていたので紹介します。

    16世紀初頭の作品で作者はマルチェロ・フォゴリーノともアレッサンドロ・ヴェルラとも言われています。タイトルは「慈悲の聖母」マドンナ・デッラ・ミゼルコルディア 名門トゥルキーニ家の面々を聖母がしっかりと守ってくれています。聖母の右側の女性 カメラ目線ですねえ。

  • こちらの男性、実に味わい深い? お顔の持ち主。誰なんだか気になるなあ・・・<br /><br />これまでヴィチェンツアに来て訪問した中で、一番のお気に入りとなった教会を後にします。名残惜しいなあ・・・ ということは、パッラーディオにはあまり興味ない? いえいえ、そんなことはありませんよ!

    こちらの男性、実に味わい深い? お顔の持ち主。誰なんだか気になるなあ・・・

    これまでヴィチェンツアに来て訪問した中で、一番のお気に入りとなった教会を後にします。名残惜しいなあ・・・ ということは、パッラーディオにはあまり興味ない? いえいえ、そんなことはありませんよ!

  • ヴィチェンツァの町歩きに戻ります。サンタ・コロナ教会の数軒先にあったのが市立考古学博物館。ここは時間があったらまた来ることにしましょう。何故ってここも共通チケットで入れるのです。

    ヴィチェンツァの町歩きに戻ります。サンタ・コロナ教会の数軒先にあったのが市立考古学博物館。ここは時間があったらまた来ることにしましょう。何故ってここも共通チケットで入れるのです。

  • その反対側にはパラッツォ・レオーニ・モンタナリ ここはガッレリエ・ディタリアという美術館になっていました。インテーザ・サンパオロという銀行保有の美術館で、同名の美術館はナポリ、ミラノ、そしてヴィチェンツァにあります。パラッツォ・レオーニ・モンタナリは1678年に建てられた後期バロック時代の屋敷で、18世紀後半に一部分はスタッコとフレスコでネオクラシック様式にリフォームされています。<br /><br />あっという間ににお散歩終了。また美術館ですよ( ^ω^)・・・ 共通チケット4軒目。お好きな方だけお付き合いくださいね。

    その反対側にはパラッツォ・レオーニ・モンタナリ ここはガッレリエ・ディタリアという美術館になっていました。インテーザ・サンパオロという銀行保有の美術館で、同名の美術館はナポリ、ミラノ、そしてヴィチェンツァにあります。パラッツォ・レオーニ・モンタナリは1678年に建てられた後期バロック時代の屋敷で、18世紀後半に一部分はスタッコとフレスコでネオクラシック様式にリフォームされています。

    あっという間ににお散歩終了。また美術館ですよ( ^ω^)・・・ 共通チケット4軒目。お好きな方だけお付き合いくださいね。

  • 丁度「大戦争 場所と傷ついた芸術」という企画展をやっていたので、まずはそちらをちらっと見学。<br /><br />この企画展は、ミラノで開かれているEXPOに協賛して、2015年4月から8月にかけて行われたもので、第一次大戦時に従軍した芸術家、ジャーナリスト、ヴォランティアらによるスケッチ、絵画、写真などが展示されていました。

    丁度「大戦争 場所と傷ついた芸術」という企画展をやっていたので、まずはそちらをちらっと見学。

    この企画展は、ミラノで開かれているEXPOに協賛して、2015年4月から8月にかけて行われたもので、第一次大戦時に従軍した芸術家、ジャーナリスト、ヴォランティアらによるスケッチ、絵画、写真などが展示されていました。

  • 爆撃で破壊された教会。いずれも1917年から19年の間の日付になっていました。

    爆撃で破壊された教会。いずれも1917年から19年の間の日付になっていました。

  • 左は高い岩山に築かれた要塞。右は飛行船ですね。<br /><br />アーネスト・ヘミングウェイの「武器よさらば」は第一次大戦中のイタリア戦線に従軍した経験をもとに書かれたものだそうです。また存じ上げないのですが、イタリアの小説家ジョヴァンニ・ コミッソは第一次大戦で戦い、後にそれを基にした小説を発表しています。

    左は高い岩山に築かれた要塞。右は飛行船ですね。

    アーネスト・ヘミングウェイの「武器よさらば」は第一次大戦中のイタリア戦線に従軍した経験をもとに書かれたものだそうです。また存じ上げないのですが、イタリアの小説家ジョヴァンニ・ コミッソは第一次大戦で戦い、後にそれを基にした小説を発表しています。

  • こちらは、心温まるドリンクサービス!

    こちらは、心温まるドリンクサービス!

  • 殆どが、悲惨な廃墟を描いたスケッチでしたが・・・

    殆どが、悲惨な廃墟を描いたスケッチでしたが・・・

  • こんな絵もありました。Piero Marussig作「オーストリア兵」 1917年。

    こんな絵もありました。Piero Marussig作「オーストリア兵」 1917年。

  • 「大戦争」に関する企画展をチラ見した後は、18世紀後半に付け加えられた装飾過剰なスタッコを見ながら階上のフロアへ。

    「大戦争」に関する企画展をチラ見した後は、18世紀後半に付け加えられた装飾過剰なスタッコを見ながら階上のフロアへ。

  • モンタナーリ家の初代ジョヴァンニは織物貿易で得た富で、1670年代にここヴィチェンツァ中心にこの屋敷を建てました。<br /><br />今見ている部分はジョヴァンニが目にすることが出来なかった18世紀後半に完了した装飾で、こぼれんばかり、あふれて来そうなスタッコとフレスコ、彫刻の組み合わせが特徴です。ロンバルドの建築家ジェゼッペ・マルキが中心となり、多くの芸術家がこれに参加しました。

    モンタナーリ家の初代ジョヴァンニは織物貿易で得た富で、1670年代にここヴィチェンツァ中心にこの屋敷を建てました。

    今見ている部分はジョヴァンニが目にすることが出来なかった18世紀後半に完了した装飾で、こぼれんばかり、あふれて来そうなスタッコとフレスコ、彫刻の組み合わせが特徴です。ロンバルドの建築家ジェゼッペ・マルキが中心となり、多くの芸術家がこれに参加しました。

  • 美術館の部分は、企画展が開かれていた会場の他、ギリシャ及びアドリア海沿岸の陶器コレクション、18世紀のヴェネツィア絵画コレクション、そしてロシアのイコン・コレクションが展示された部屋があります。

    美術館の部分は、企画展が開かれていた会場の他、ギリシャ及びアドリア海沿岸の陶器コレクション、18世紀のヴェネツィア絵画コレクション、そしてロシアのイコン・コレクションが展示された部屋があります。

  • ギリシャ産の黒い陶器に関しては関心がないのですっ飛ばし、18世紀ヴェネツィア絵画の部屋へ直行しました。<br /><br />しかし、なんという豪華な内装なのでしょう!

    ギリシャ産の黒い陶器に関しては関心がないのですっ飛ばし、18世紀ヴェネツィア絵画の部屋へ直行しました。

    しかし、なんという豪華な内装なのでしょう!

  • 部屋の三方に残っていたフレスコです。こちらは、建設当時の17世紀末にパオロ・パガーニにより描かれた、ギリシャやローマ時代の神話を題材にしたフレスコが中心です。<br /><br />その下に飾られていたヴェネツィア絵画とは、あまり関連性がありませんでしたので、どうやら別々に写した方が良さそうだと判断しました。<br /><br />太い木製の梁がずらりと並んだ天井も圧巻です。少々歪んでいる?

    部屋の三方に残っていたフレスコです。こちらは、建設当時の17世紀末にパオロ・パガーニにより描かれた、ギリシャやローマ時代の神話を題材にしたフレスコが中心です。

    その下に飾られていたヴェネツィア絵画とは、あまり関連性がありませんでしたので、どうやら別々に写した方が良さそうだと判断しました。

    太い木製の梁がずらりと並んだ天井も圧巻です。少々歪んでいる?

  • 「サン・ジミニアーノ教会から見たサン・マルコ広場」フランチェスコ・グァルディ(1712年-1793年)の作品で、制作は1775年から80年頃だそうです。<br /><br />でも、この位置の背後にはサン・マルコ寺院しかないはずだなあと思って、調べてみました。すると、サン・マルコの隣にあったサン・ジミニアーノ教会は1807年に取り壊されていたことが判明しました。やっぱり!<br /><br />グーグルマップで比べてみたら、サン・マルコ広場の対面に見えるコッレール美術館の建物も、今とは異なっていることに気づきましたよ。

    「サン・ジミニアーノ教会から見たサン・マルコ広場」フランチェスコ・グァルディ(1712年-1793年)の作品で、制作は1775年から80年頃だそうです。

    でも、この位置の背後にはサン・マルコ寺院しかないはずだなあと思って、調べてみました。すると、サン・マルコの隣にあったサン・ジミニアーノ教会は1807年に取り壊されていたことが判明しました。やっぱり!

    グーグルマップで比べてみたら、サン・マルコ広場の対面に見えるコッレール美術館の建物も、今とは異なっていることに気づきましたよ。

  • 景観画家として名高いカナレット(1697年-1768年)の作品もありました。1720年から21年頃描かれた「ゴシック教会とラグーンのあるカプリッチョ(奇想曲)」です。どんよりした冬の寒そげなヴェネツィアの風景です。

    景観画家として名高いカナレット(1697年-1768年)の作品もありました。1720年から21年頃描かれた「ゴシック教会とラグーンのあるカプリッチョ(奇想曲)」です。どんよりした冬の寒そげなヴェネツィアの風景です。

  • 左の2枚はいずれもグァルディの作品で、「素朴な塔のある家の風景」と「湖畔の塔やコテージのあるヴァルディソーレの風景」。共に1780年から90年頃の作品です。<br /><br />右の絵はアントニオ・マリア・マリーニの「滝と戦士のいる風景」で1690年から1700年頃の作品。平坦な土地出身にしては、独特なブラシ・テクニークを用いて高低差のある風景画を描いた人です。

    左の2枚はいずれもグァルディの作品で、「素朴な塔のある家の風景」と「湖畔の塔やコテージのあるヴァルディソーレの風景」。共に1780年から90年頃の作品です。

    右の絵はアントニオ・マリア・マリーニの「滝と戦士のいる風景」で1690年から1700年頃の作品。平坦な土地出身にしては、独特なブラシ・テクニークを用いて高低差のある風景画を描いた人です。

  • この絵はなかなか面白いですよ。「アンドレア・パッラーディオの寓意を祝った、ヴィチェンツァの理想的な風景」。トスカーナの風景画家フランチェスコ・ツッカネリ(1702年-1788年)の1746年から52年にかけての作品です。<br /><br />絵にはモンテ・ベリコの斜面から見たヴィチェンツァの主要なモニュメント パッラーディオ聖堂、ドゥオモ、ロトゥンダが描かれていますが、実はこれらを一度に見ることは不可能なのだそうです。絵でないと表せないマジックですね。<br /><br />画面下では、腰かけているパッラーディオの元に客人がお祝いに駆けつけています。<br /><br />説明がなかったらただの風景画ですが、大変興味深く拝見しました。

    この絵はなかなか面白いですよ。「アンドレア・パッラーディオの寓意を祝った、ヴィチェンツァの理想的な風景」。トスカーナの風景画家フランチェスコ・ツッカネリ(1702年-1788年)の1746年から52年にかけての作品です。

    絵にはモンテ・ベリコの斜面から見たヴィチェンツァの主要なモニュメント パッラーディオ聖堂、ドゥオモ、ロトゥンダが描かれていますが、実はこれらを一度に見ることは不可能なのだそうです。絵でないと表せないマジックですね。

    画面下では、腰かけているパッラーディオの元に客人がお祝いに駆けつけています。

    説明がなかったらただの風景画ですが、大変興味深く拝見しました。

  • こちらは、1711年11月6日、ミラノのドゥカーレ宮殿に到着した皇帝カルロ6世を出迎えたヴェネツィア総督アルヴィーゼ・ピサーニとヴェネツィアの名門貴族ダ・レッツェ家のアンドレアを捉えたもので、Luca Carlevarijsによる1711年頃の作品。豪華な金色の馬車が何台も止まっていますね。

    こちらは、1711年11月6日、ミラノのドゥカーレ宮殿に到着した皇帝カルロ6世を出迎えたヴェネツィア総督アルヴィーゼ・ピサーニとヴェネツィアの名門貴族ダ・レッツェ家のアンドレアを捉えたもので、Luca Carlevarijsによる1711年頃の作品。豪華な金色の馬車が何台も止まっていますね。

  • フランチェスコ・フォンテバッソの「カリストーと踊り」。1740年から60年頃の作品。<br /><br />カリストーはギリシャ神話に出てくる美しいニンフで、アルテミスの従者をしていましたが、ある日ゼウスに見初められ子供を身ごもってしまいます。大きいお腹を咎めたアルテミスにより熊の姿に変えられ、空に上っておおくま座になったということです。<br /><br />中央でアルテミスの方を振り向いているのがカリストーですね。

    フランチェスコ・フォンテバッソの「カリストーと踊り」。1740年から60年頃の作品。

    カリストーはギリシャ神話に出てくる美しいニンフで、アルテミスの従者をしていましたが、ある日ゼウスに見初められ子供を身ごもってしまいます。大きいお腹を咎めたアルテミスにより熊の姿に変えられ、空に上っておおくま座になったということです。

    中央でアルテミスの方を振り向いているのがカリストーですね。

  • 巨匠ジャンバッティスタ・ティエポロ(1596年-1770年)の1枚は、「最後の審判のためのスケッチ」です。聖堂や教会のクーポラなどの下絵だったのでしょうか?

    巨匠ジャンバッティスタ・ティエポロ(1596年-1770年)の1枚は、「最後の審判のためのスケッチ」です。聖堂や教会のクーポラなどの下絵だったのでしょうか?

  • 一番素晴らしかったのは、こちらの彫刻。2mほどの高さのある一塊のカラッラ大理石から作られた「地獄に堕ちた反逆天使達」です。パドヴァ生まれのアゴスティーノ・ファソラート(1714年-1787年)の作品。<br /><br />60体以上の天使像が一種のピラミッドを形作っています。一番上にいるのはルシファーかしら?

    一番素晴らしかったのは、こちらの彫刻。2mほどの高さのある一塊のカラッラ大理石から作られた「地獄に堕ちた反逆天使達」です。パドヴァ生まれのアゴスティーノ・ファソラート(1714年-1787年)の作品。

    60体以上の天使像が一種のピラミッドを形作っています。一番上にいるのはルシファーかしら?

  • 角度を変えてもう1枚。

    角度を変えてもう1枚。

  • 再び2階の廊下に出ましたよ。このゴテゴテは全く私の趣味ではありませんが、ここまで極端な装飾を行う時代もあったんだと思うことにしましょう。

    再び2階の廊下に出ましたよ。このゴテゴテは全く私の趣味ではありませんが、ここまで極端な装飾を行う時代もあったんだと思うことにしましょう。

  • 嫌っている割には熱心に写真撮ってますねえ・・・

    嫌っている割には熱心に写真撮ってますねえ・・・

  • 本来フレスコが主役で、スタッコはその飾りだと思っていたのですが、ここでは完全に主客転倒しています。フレスコに目が届かない・・・

    本来フレスコが主役で、スタッコはその飾りだと思っていたのですが、ここでは完全に主客転倒しています。フレスコに目が届かない・・・

  • そして再び神話の世界へ。時代が目まぐるしく移り変わります。天井には中途半端にフレスコが残っていました。<br />

    そして再び神話の世界へ。時代が目まぐるしく移り変わります。天井には中途半端にフレスコが残っていました。

  • 続いてやってきた、この美術館の誇るロシアのイコン・コレクションは3階部分にありました。ここで見たのが引き金となって、とうとう2016年10月にはロシアに行ってしまいました。こんなに盛り沢山の素晴らしいイコンを見たのは、初めてだっただけに、感慨もひとしおでした。<br /><br />ここでは130枚以上のイコンが展示されていて、ロシア以外では最も重要かつ優れていると言われるロシア芸術が集められていました。<br /><br />コレクションの核となるものは、1990年代にスポンサーのインテーザ・サンパオロ銀行が取得したプライヴェート・コレクションで、15、6世紀の芸術的価値の高い作品の数々と、13世紀後半にノヴゴロド(ロシアで最古の都市と言われる)で作られた2枚の作品です。ここの美術館では別館に独自の研究センターを持っており、中世から現代までのロシアのイコン画の歴史の文書化、伝説、民話、典礼讃美歌、神学論文などの収集等、様々な活動を行っているそうです。<br /><br />そもそもイコンとは何ぞやという方のために、キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた絵(ウィキペディア)です。

    続いてやってきた、この美術館の誇るロシアのイコン・コレクションは3階部分にありました。ここで見たのが引き金となって、とうとう2016年10月にはロシアに行ってしまいました。こんなに盛り沢山の素晴らしいイコンを見たのは、初めてだっただけに、感慨もひとしおでした。

    ここでは130枚以上のイコンが展示されていて、ロシア以外では最も重要かつ優れていると言われるロシア芸術が集められていました。

    コレクションの核となるものは、1990年代にスポンサーのインテーザ・サンパオロ銀行が取得したプライヴェート・コレクションで、15、6世紀の芸術的価値の高い作品の数々と、13世紀後半にノヴゴロド(ロシアで最古の都市と言われる)で作られた2枚の作品です。ここの美術館では別館に独自の研究センターを持っており、中世から現代までのロシアのイコン画の歴史の文書化、伝説、民話、典礼讃美歌、神学論文などの収集等、様々な活動を行っているそうです。

    そもそもイコンとは何ぞやという方のために、キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた絵(ウィキペディア)です。

  • ロシアのイコンはそのほとんどが木の板に描かれています。ロシア正教の教会ではカトリックと異なり、聖堂の内陣にイコノスタシスと呼ばれるイコンで覆われた壁があります。<br /><br />イコノスタシスには通常3つの門 中央に王門、その左右に南、北門があります。王門には大天使ガブリエルとマリアのイコンが必須とされているそうです。<br /><br />この門はまさに王の門 イタリア語ではPorte regaliで、16世紀末に作られたもの。一番上の2枚は、お馴染みガブリエルとマリアの「受胎告知」です。詳しい解説がないので、他については良く分かりませんが、まずはこの全体の美しさにほれ込んでしまいました。どうも惚れっぽい性格のようです! 上部の扉の形、見事な曲線を描いています。

    イチオシ

    ロシアのイコンはそのほとんどが木の板に描かれています。ロシア正教の教会ではカトリックと異なり、聖堂の内陣にイコノスタシスと呼ばれるイコンで覆われた壁があります。

    イコノスタシスには通常3つの門 中央に王門、その左右に南、北門があります。王門には大天使ガブリエルとマリアのイコンが必須とされているそうです。

    この門はまさに王の門 イタリア語ではPorte regaliで、16世紀末に作られたもの。一番上の2枚は、お馴染みガブリエルとマリアの「受胎告知」です。詳しい解説がないので、他については良く分かりませんが、まずはこの全体の美しさにほれ込んでしまいました。どうも惚れっぽい性格のようです! 上部の扉の形、見事な曲線を描いています。

  • 「3人の預言者達」18世紀後半。それぞれの名前がわからないのが残念・・・

    「3人の預言者達」18世紀後半。それぞれの名前がわからないのが残念・・・

  • 中央はキリスト(イイスス・ハリストス)、左は大天使ミケーレ、そして右は大天使ガブリエルです。16世紀の作。両天使は手に何か玉のようなものを持っていますね。

    中央はキリスト(イイスス・ハリストス)、左は大天使ミケーレ、そして右は大天使ガブリエルです。16世紀の作。両天使は手に何か玉のようなものを持っていますね。

  • 「預言者ダニエル」。予言者にしては珍しく髭のない丸顔の若者に描かれています。ダニエルは、ユダヤの王族と貴族の中から集められた、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力にとみ、宮廷に仕える能力のある少年たちの中でも群を抜いて優秀で(ウィキペディア)、ライオンの沢山いる檻に入れられたが、食われなかったという有名な逸話がありましたね。17世紀。

    「預言者ダニエル」。予言者にしては珍しく髭のない丸顔の若者に描かれています。ダニエルは、ユダヤの王族と貴族の中から集められた、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力にとみ、宮廷に仕える能力のある少年たちの中でも群を抜いて優秀で(ウィキペディア)、ライオンの沢山いる檻に入れられたが、食われなかったという有名な逸話がありましたね。17世紀。

  • 「第1回ニカイア公会議」。第1回ニカイア公会議とは、325年現トルコのイズニクで開催されたキリスト教の歴史で最初の全教会規模の会議だそうです。分離している様々なキリスト教会や会派を統一しようとする運動が、この頃から起こっていたんですね。<br /><br />こんなテーマのある絵画は、カトリックの教会では見たことがありません。15世紀末。

    「第1回ニカイア公会議」。第1回ニカイア公会議とは、325年現トルコのイズニクで開催されたキリスト教の歴史で最初の全教会規模の会議だそうです。分離している様々なキリスト教会や会派を統一しようとする運動が、この頃から起こっていたんですね。

    こんなテーマのある絵画は、カトリックの教会では見たことがありません。15世紀末。

  • 予言者エリヤを描いたもの2点を紹介しましょう。こちらは「預言者エリヤの砂漠での生活」。邪教である太陽の神が描かれているところが面白いですね。いかにも暑そう。19世紀。

    予言者エリヤを描いたもの2点を紹介しましょう。こちらは「預言者エリヤの砂漠での生活」。邪教である太陽の神が描かれているところが面白いですね。いかにも暑そう。19世紀。

  • 2枚目は「預言者エリヤの火の車での昇天」です。素朴ですが、カトリックのものとはやはり表現方法が異なっていて、この絵もとても興味深いです。16世紀。

    2枚目は「預言者エリヤの火の車での昇天」です。素朴ですが、カトリックのものとはやはり表現方法が異なっていて、この絵もとても興味深いです。16世紀。

  • 「神の母の守護」。聖母は「神の母」と呼ばれているんですね。まあキリストが神だとしたら、そうに違いないですが。17世紀末。<br />

    「神の母の守護」。聖母は「神の母」と呼ばれているんですね。まあキリストが神だとしたら、そうに違いないですが。17世紀末。

  • こちらの「神の母への受胎告知」は必見です! 細長いフォークのようなものが左上の父なる神から伸びていますね。「神の母」はこれで、突き刺されたということでしょうか??? <br /><br />19世紀の作品にもかかわらず、遠近法が使われていない背後の建物も大変楽しいです。

    こちらの「神の母への受胎告知」は必見です! 細長いフォークのようなものが左上の父なる神から伸びていますね。「神の母」はこれで、突き刺されたということでしょうか??? 

    19世紀の作品にもかかわらず、遠近法が使われていない背後の建物も大変楽しいです。

  • 天使とマリアの間が異常接近している「神の母への受胎告知」は17世紀後半の作品。イコンの「受胎告知」では、決まって背後の建物がイタリア風であることを発見!

    天使とマリアの間が異常接近している「神の母への受胎告知」は17世紀後半の作品。イコンの「受胎告知」では、決まって背後の建物がイタリア風であることを発見!

  • 「神の母への受胎告知」第3弾は、西洋の影響が色濃いと感じました。17世紀前半。

    「神の母への受胎告知」第3弾は、西洋の影響が色濃いと感じました。17世紀前半。

  • 「キリストの聖誕」1475年頃。古い時代の正統派イコンです。ロシアのイコンでは、聖誕の場面は、このように聖母が寝そべった姿で描かれることが多いように思いました。

    「キリストの聖誕」1475年頃。古い時代の正統派イコンです。ロシアのイコンでは、聖誕の場面は、このように聖母が寝そべった姿で描かれることが多いように思いました。

  • 「キリストの聖誕」をもう1枚。こちらは、前のものとまるで異なる奇岩の台地での聖誕です。紅白の牛が可愛い(^^♪ 18世紀半ば。

    「キリストの聖誕」をもう1枚。こちらは、前のものとまるで異なる奇岩の台地での聖誕です。紅白の牛が可愛い(^^♪ 18世紀半ば。

  • 「東方三博士の礼拝」もイコンになると、雰囲気が異なりますね。背後の緑豊かななだらかな平原も、どことなくロシアを思わせます。18世紀後半。

    「東方三博士の礼拝」もイコンになると、雰囲気が異なりますね。背後の緑豊かななだらかな平原も、どことなくロシアを思わせます。18世紀後半。

  • 聖母子ものも大変数多くありました。そのほとんどで聖母はこのローズ色の、袖の途中に房飾りのあるガウンを着ていました。<br /><br />こちらはノヴゴロドで描かれた15世紀の作品で、聖母子のイコンの中で私が一番気に入った作品です。

    イチオシ

    聖母子ものも大変数多くありました。そのほとんどで聖母はこのローズ色の、袖の途中に房飾りのあるガウンを着ていました。

    こちらはノヴゴロドで描かれた15世紀の作品で、聖母子のイコンの中で私が一番気に入った作品です。

  • 「オデゲトリアの神の母」。<br /><br />オデゲトリアとはギリシャ語で「道を示す人」という意味。ロシアの聖母子のイコンには「道を示す神の母」というタイトルが付けられることが多いのだそうです。19世紀半ばの作品。

    「オデゲトリアの神の母」。

    オデゲトリアとはギリシャ語で「道を示す人」という意味。ロシアの聖母子のイコンには「道を示す神の母」というタイトルが付けられることが多いのだそうです。19世紀半ばの作品。

  • 「神をもたらした者シメオン」。15世紀後半。キリストの「神殿でのお披露目」の際、幼いキリストを抱いたことから、正教会では抱神者シメオン(聖人としての称号)と呼ばれています。カトリックでは預言者シメオンと呼んでいますね。

    「神をもたらした者シメオン」。15世紀後半。キリストの「神殿でのお披露目」の際、幼いキリストを抱いたことから、正教会では抱神者シメオン(聖人としての称号)と呼ばれています。カトリックでは預言者シメオンと呼んでいますね。

  • 「燃える茂みの中の神の母」。確か、神がシナイ山においてモーゼと出会った最初の場面が、この「燃え盛る茂み」でしたが、聖母とどう関連づくのかわかりません。絵画的には西洋文化の影響を受けた、新しい試みが見られる作品だと思います。<br /><br />イコンについては、まるっきり無知なので、こんなこと言ってはいけないかなあ・・・18世紀初頭。

    「燃える茂みの中の神の母」。確か、神がシナイ山においてモーゼと出会った最初の場面が、この「燃え盛る茂み」でしたが、聖母とどう関連づくのかわかりません。絵画的には西洋文化の影響を受けた、新しい試みが見られる作品だと思います。

    イコンについては、まるっきり無知なので、こんなこと言ってはいけないかなあ・・・18世紀初頭。

  • 「チフヴィンの神の母と聖ジョルジュ、聖テオドーロ そして祭りの風景」。17世紀後半。チフヴィンはサンクトペテルブルグから東へ200kmいったところにある都市の名前です。聖ジョルジュ(ゲオルギウス)はお馴染み龍退治の聖人。聖テオドーロは聖マルコになる以前のヴェネツィアの聖人としても有名ですが、4世紀の軍人で殉教者です。

    「チフヴィンの神の母と聖ジョルジュ、聖テオドーロ そして祭りの風景」。17世紀後半。チフヴィンはサンクトペテルブルグから東へ200kmいったところにある都市の名前です。聖ジョルジュ(ゲオルギウス)はお馴染み龍退治の聖人。聖テオドーロは聖マルコになる以前のヴェネツィアの聖人としても有名ですが、4世紀の軍人で殉教者です。

  • 「神の母」に向かって跪いているのはラドネジのセルギイとチューティンのヴァルラーム。正教会特にロシア正教で最も著名な克肖者(正教で聖人の意味)ラドネジのセルギイは、中世のロシアにおける最も偉大な宗教指導者でした。ヴァルラームと聞くと、私はギリシャのメテオラにあるヴァルラーム修道院を思い出してしまうのですが、隠者ヴァルラームのことかしら? 17世紀末。<br /><br />通常記名をしないイコン画家ですが、この絵のタイトルには著名な17世紀のイコン画家シモン・ウシャコフの弟子と書かれていました。

    「神の母」に向かって跪いているのはラドネジのセルギイとチューティンのヴァルラーム。正教会特にロシア正教で最も著名な克肖者(正教で聖人の意味)ラドネジのセルギイは、中世のロシアにおける最も偉大な宗教指導者でした。ヴァルラームと聞くと、私はギリシャのメテオラにあるヴァルラーム修道院を思い出してしまうのですが、隠者ヴァルラームのことかしら? 17世紀末。

    通常記名をしないイコン画家ですが、この絵のタイトルには著名な17世紀のイコン画家シモン・ウシャコフの弟子と書かれていました。

  • 「最後の晩餐と足を洗う」。同じ画面に二つの絵が描かれていました。円卓の「最後の晩餐」は珍しいですよね。左端がユダかしら?<br /><br />「足を洗う」方は、キリストと足を洗われる人の位置関係が不自然。これじゃあ無理な体勢ですよ。18世紀後半。

    「最後の晩餐と足を洗う」。同じ画面に二つの絵が描かれていました。円卓の「最後の晩餐」は珍しいですよね。左端がユダかしら?

    「足を洗う」方は、キリストと足を洗われる人の位置関係が不自然。これじゃあ無理な体勢ですよ。18世紀後半。

  • 「キリストの復活と復活祭のサイクル」。日本ではハロウィーンも定着したので、今度はイースターで一儲けしようと企んでいる人たちがいるそうですが、キリストの復活とイースターの関係を理解しないで、お祭り事だけを物真似するのは止めてもらいたいですね。なんでも「卵を食べる日」なんだとか。 <br /><br />思いっきり脱線しましたぁ(汗)。<br /><br />春分の日以降の最初の満月の次の日曜日が復活祭です。18世紀初頭。解説がないと解読不能な沢山の場面から成り立っています。

    「キリストの復活と復活祭のサイクル」。日本ではハロウィーンも定着したので、今度はイースターで一儲けしようと企んでいる人たちがいるそうですが、キリストの復活とイースターの関係を理解しないで、お祭り事だけを物真似するのは止めてもらいたいですね。なんでも「卵を食べる日」なんだとか。 

    思いっきり脱線しましたぁ(汗)。

    春分の日以降の最初の満月の次の日曜日が復活祭です。18世紀初頭。解説がないと解読不能な沢山の場面から成り立っています。

  • 「5つの祭と聖人達」。15世紀末から16世紀初頭。

    「5つの祭と聖人達」。15世紀末から16世紀初頭。

  • 「神の母の永眠」。聖母の永眠を見守る人々にはなぜかあまり表情がありません。18世紀の半ば頃の作品です。

    「神の母の永眠」。聖母の永眠を見守る人々にはなぜかあまり表情がありません。18世紀の半ば頃の作品です。

  • 「1週間の6日」。19世紀初頭。どういう意味なのでしょうね。神が仕事をした最初の6日間のことを示すのでしょうか? あまりに沢山の人物が登場しすぎ!!

    「1週間の6日」。19世紀初頭。どういう意味なのでしょうね。神が仕事をした最初の6日間のことを示すのでしょうか? あまりに沢山の人物が登場しすぎ!!

  • バーリの聖ニコラは、ロシアでも人気の高い聖人です。ロシア風に発音すると「ニコライ、奇跡を生む人」となります。18世紀前半。描かれたのは北ロシアだそうです。17世紀半ば。<br /><br /><br />この絵の他にも、私は多くのニコライのイコンを見かけました。

    バーリの聖ニコラは、ロシアでも人気の高い聖人です。ロシア風に発音すると「ニコライ、奇跡を生む人」となります。18世紀前半。描かれたのは北ロシアだそうです。17世紀半ば。


    この絵の他にも、私は多くのニコライのイコンを見かけました。

  • 「聖ニコラと彼の人生の8つの場面」。奇跡を生み出す人と言われている聖ニコラの物語はイタリアでも沢山見かけましたね。海の青緑、赤い衣と白い家や帆など、色のコントラストがはっきりした作品ですね。16世紀。

    「聖ニコラと彼の人生の8つの場面」。奇跡を生み出す人と言われている聖ニコラの物語はイタリアでも沢山見かけましたね。海の青緑、赤い衣と白い家や帆など、色のコントラストがはっきりした作品ですね。16世紀。

  • 「最後の審判」を描いた作品は他にもたくさんありました。地獄マニアとしては必見! 19世紀末の作品です。<br /><br />こちらの絵には、地獄の大王らしき羽の生えた悪魔と、下に炎で焼かれる人々が描かれています。

    「最後の審判」を描いた作品は他にもたくさんありました。地獄マニアとしては必見! 19世紀末の作品です。

    こちらの絵には、地獄の大王らしき羽の生えた悪魔と、下に炎で焼かれる人々が描かれています。

  • こちらも「最後の審判」です。すっかり馴染みになった左が天国、右が地獄です。ベルトコンベアーのように流れ流れて、または焼かれて、二つ頭のある怪獣の口に入る仕組みになっているようです。19世紀。

    こちらも「最後の審判」です。すっかり馴染みになった左が天国、右が地獄です。ベルトコンベアーのように流れ流れて、または焼かれて、二つ頭のある怪獣の口に入る仕組みになっているようです。19世紀。

  • 聖ジョルジュ(ゲオルギウス)の龍退治はロシアでもポピュラーな話として広く伝わっていました。19世紀。新しい作品なので色が鮮やかです。

    聖ジョルジュ(ゲオルギウス)の龍退治はロシアでもポピュラーな話として広く伝わっていました。19世紀。新しい作品なので色が鮮やかです。

  • 「8人の聖人が受胎告知のイコンを崇めている図」。18世紀初頭。イコンの中にイコンが描かれている、珍しい構図です。色合いもとても美しい・・・

    イチオシ

    「8人の聖人が受胎告知のイコンを崇めている図」。18世紀初頭。イコンの中にイコンが描かれている、珍しい構図です。色合いもとても美しい・・・

  • 「アレキサンドリアの聖カタリナと彼女の人生の16の場面」。アレキサンドリアの聖カタリナはロシアでも広く信仰を集めている聖人です。多くの伝説に満ちている彼女の人生ですが、16の場面の中には、有名なキリストの幼子との神秘的な結婚や、車輪に手足を括りつけられて転がされるという拷問のシーンなどを見ることが出来ます。1770年頃。中央ロシアからの1枚です。

    「アレキサンドリアの聖カタリナと彼女の人生の16の場面」。アレキサンドリアの聖カタリナはロシアでも広く信仰を集めている聖人です。多くの伝説に満ちている彼女の人生ですが、16の場面の中には、有名なキリストの幼子との神秘的な結婚や、車輪に手足を括りつけられて転がされるという拷問のシーンなどを見ることが出来ます。1770年頃。中央ロシアからの1枚です。

  • 「サンタ・パラシェーヴェと彼女の人生の12の場面」。サンタ・パラシェーヴェはコンスタンティノポリ近郊在住だった10世紀ころの隠者ですが、殆ど無名のまま亡くなりました。彼女の死後、彼女の死体が芳香を放っているという奇跡が起こり、バルカン半島のスラヴ人の間に急速に彼女への信仰が広まったそうです。ヴォルガ県 18世紀末。

    「サンタ・パラシェーヴェと彼女の人生の12の場面」。サンタ・パラシェーヴェはコンスタンティノポリ近郊在住だった10世紀ころの隠者ですが、殆ど無名のまま亡くなりました。彼女の死後、彼女の死体が芳香を放っているという奇跡が起こり、バルカン半島のスラヴ人の間に急速に彼女への信仰が広まったそうです。ヴォルガ県 18世紀末。

  • 正教会における「年間の教会月暦画」と呼ばれるものだそうです。ウラジミールで描かれた19世紀末~20世紀初頭の作品です。全部数えていませんが、365人位以上いそうですね。365日分の聖人リストのようなものなのでしょうか?

    正教会における「年間の教会月暦画」と呼ばれるものだそうです。ウラジミールで描かれた19世紀末~20世紀初頭の作品です。全部数えていませんが、365人位以上いそうですね。365日分の聖人リストのようなものなのでしょうか?

  • 次のコーナーはイコンとそのカヴァーです。イコンは通常、特別に準備された木製のパネルの上に、卵の黄身を使ったテンペラ絵具で描かれています。ロシア語の「美しい」という単語は「赤」という意味もあるので、主要な人物の衣装が赤で描かれることも多いそうです。<br /><br />そして、イコンは人物あるいはその顔の部分のみを残して、金属カヴァーで覆われた姿で見ることがあります。金属の上に銀メッキや金箔、貴石、真珠などで飾られたカヴァーは、金銀細工の職人たちの手により、一つ一つ丁寧に手造りされてきました。<br /><br />こちらのイコンは「神の知恵」19世紀の作品です。

    次のコーナーはイコンとそのカヴァーです。イコンは通常、特別に準備された木製のパネルの上に、卵の黄身を使ったテンペラ絵具で描かれています。ロシア語の「美しい」という単語は「赤」という意味もあるので、主要な人物の衣装が赤で描かれることも多いそうです。

    そして、イコンは人物あるいはその顔の部分のみを残して、金属カヴァーで覆われた姿で見ることがあります。金属の上に銀メッキや金箔、貴石、真珠などで飾られたカヴァーは、金銀細工の職人たちの手により、一つ一つ丁寧に手造りされてきました。

    こちらのイコンは「神の知恵」19世紀の作品です。

  • ずらりと並んだカヴァーをつけたイコンです。左側の4枚は1805年から09年頃モスクワで作られたものです。一番右側はロシア正教の「八端十字架」と呼ばれる十字架です。

    ずらりと並んだカヴァーをつけたイコンです。左側の4枚は1805年から09年頃モスクワで作られたものです。一番右側はロシア正教の「八端十字架」と呼ばれる十字架です。

  • 最後にとびっきり豪華なカヴァーを3枚紹介してお開きにしましょう。こちらは細かい七宝細工が施されたカヴァーです。

    イチオシ

    最後にとびっきり豪華なカヴァーを3枚紹介してお開きにしましょう。こちらは細かい七宝細工が施されたカヴァーです。

  • こちらは、真珠なのかどうかは分かりませんが、ビーズ細工のようなカヴァーになっています。

    こちらは、真珠なのかどうかは分かりませんが、ビーズ細工のようなカヴァーになっています。

  • 3枚目は、金メッキに貴石がはめ込まれているカヴァー。ちなみに、こちらのイコンの方は、「ラドネジのセルギイ」ともう1人著名な聖人と聞けば、必ず名前が挙がるサロフのセラフィム(1759年-1833年)です。サロフの克肖者聖セラフィムとも呼ばれています。<br /><br />イコン・コレクションに圧倒されっぱなしの1時間でした。まさか、イタリアでこんな素晴らしいイコンに出会えるとは思ってもいませんでした。

    3枚目は、金メッキに貴石がはめ込まれているカヴァー。ちなみに、こちらのイコンの方は、「ラドネジのセルギイ」ともう1人著名な聖人と聞けば、必ず名前が挙がるサロフのセラフィム(1759年-1833年)です。サロフの克肖者聖セラフィムとも呼ばれています。

    イコン・コレクションに圧倒されっぱなしの1時間でした。まさか、イタリアでこんな素晴らしいイコンに出会えるとは思ってもいませんでした。

  • 階段を下りて行く途中、2階から撮った中庭部分です。遠くにサント・ステファノ教会のクーポラが見えていました。

    階段を下りて行く途中、2階から撮った中庭部分です。遠くにサント・ステファノ教会のクーポラが見えていました。

  • パラッツォ・レオーニ・モンタナーリを出る前に豪華な中庭にやって参りました。正面に見えるのがヘラクレスのロッジアです。3つのアーチにはそれぞれ異なった男性の頭部像のある装飾が施されています。2階のバルコニーにある錬鉄製のフェンスが繊細で美しいですね!<br /><br />2階左端にある像はヘラクレスにしては優男風ですが、ヘスペリデスの園の黄金の林檎を守っていた龍のラドンを退治した後の姿だそうです。

    パラッツォ・レオーニ・モンタナーリを出る前に豪華な中庭にやって参りました。正面に見えるのがヘラクレスのロッジアです。3つのアーチにはそれぞれ異なった男性の頭部像のある装飾が施されています。2階のバルコニーにある錬鉄製のフェンスが繊細で美しいですね!

    2階左端にある像はヘラクレスにしては優男風ですが、ヘスペリデスの園の黄金の林檎を守っていた龍のラドンを退治した後の姿だそうです。

  • 中庭には、大戦争展の展示物の一つ、第一次大戦時の塹壕とおぼしきものが置いてありました。館には全く似合わない展示です。<br /><br />よくよく読んでみたら、「前哨基地と戦争の言葉」と名付けられた、アナーキーな芸術家として知られている1949年生まれのマッフェオ・ダルコーレの作品でした。彼の生み出した芸術作品の一つだったようです。

    中庭には、大戦争展の展示物の一つ、第一次大戦時の塹壕とおぼしきものが置いてありました。館には全く似合わない展示です。

    よくよく読んでみたら、「前哨基地と戦争の言葉」と名付けられた、アナーキーな芸術家として知られている1949年生まれのマッフェオ・ダルコーレの作品でした。彼の生み出した芸術作品の一つだったようです。

  • これでレオーニ・モンタナーリ家の宮殿は終了です。共通チケットに含まれていなかったら、来なかった可能性が高かったと思います。時間がたっぷりとあるヴィチェンツァならではの「めっけもん」でした。<br /><br />長くなりましたので、この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その84 ヴィチェンツァ3で!<br />

    これでレオーニ・モンタナーリ家の宮殿は終了です。共通チケットに含まれていなかったら、来なかった可能性が高かったと思います。時間がたっぷりとあるヴィチェンツァならではの「めっけもん」でした。

    長くなりましたので、この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その84 ヴィチェンツァ3で!

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  • マリアンヌさん 2016/11/22 12:16:10
    ヴィチェンツァ☆ 
    表紙のサンタ・コロナ教会の幕屋の象嵌細工、素晴らしいですねぇ。
    多くの教会で象嵌細工は見ますが、最後の晩餐をこんなに細かく美しく作ったものは、初めて見ました。
    やはりキリストの茨の冠効果でしょうか?権威があったのでしょうね。

    インテーザ・サンパウロ美術館ですか、内容がすごいですね。
    こんな隠れた美術館があるなんて、ヴィチェンツァの懐の深さを感じます。
    特にロシアのイコンは素晴らしいです。
    東欧旅行でイコノスタシスをずいぶん見ましたが、さすが貴重なものが収集されているとあってどれもイコンの白眉って感じです。
    ニカイア会議とか年間の教会月暦画など大変珍しいのではないでしょうか。
    最後のカヴァー付も豪華です。

    ブルガリアのリラの僧院などで売り物のイコンも数多くあったのですが、図柄が好みのものが無くて購入しなかったのに、ルーマニアのブカレスト空港にあったイコンの聖母子が素敵で連れて帰ってしまいました。

    また続き楽しみにしています。
    マリアンヌ

    junemay

    junemayさん からの返信 2016/11/25 20:30:01
    RE: ヴィチェンツァ☆ 
    マリアンヌさん こんばんは!

    ヴィチェンツァの後に☆がついているのに気が付かなくて、返信が遅くなってしまいました。

    ロシアのイコンについて、コメントいただけて嬉しかったです。イタリアを旅した後にロシアに行けて良かったと思っています。やはりキリスト教の大元はローマ帝国。東ローマ帝国から正教が生れ、西ローマ帝国からカトリックが生れたというイメージでよいのでしょうか?

    共産主義時代にも結局宗教を無くすことはできなくて、途中からは宗教の助けを借りて国民をまとめてきたということが今回良く分かりました。スターリンが爆破した教会も、ロシアになってからすべて再建されています。

    イコンは素晴らしいものがたくさんありましたが、最初に見たヴィチェンツアのものが一番印象に残っています。

    リラの僧院、私も参りました。最後の審判のフレスコが印象に残っていますが、イコンはあまり覚えていない(泣)・・・撮影禁止だとすぐに忘れてしまって、残念です。一度マリアンヌさんのコレクションを紹介してくださいな。ドールやイコンやアンティーク家具など、色々お持ちなのではないかなあ・・・

    サンタ・コロナ教会はお勧めです。ヴィチェンツアに行かれた時はぜひ。

    junemay



    > 表紙のサンタ・コロナ教会の幕屋の象嵌細工、素晴らしいですねぇ。
    > 多くの教会で象嵌細工は見ますが、最後の晩餐をこんなに細かく美しく作ったものは、初めて見ました。
    > やはりキリストの茨の冠効果でしょうか?権威があったのでしょうね。
    >
    > インテーザ・サンパウロ美術館ですか、内容がすごいですね。
    > こんな隠れた美術館があるなんて、ヴィチェンツァの懐の深さを感じます。
    > 特にロシアのイコンは素晴らしいです。
    > 東欧旅行でイコノスタシスをずいぶん見ましたが、さすが貴重なものが収集されているとあってどれもイコンの白眉って感じです。
    > ニカイア会議とか年間の教会月暦画など大変珍しいのではないでしょうか。
    > 最後のカヴァー付も豪華です。
    >
    > ブルガリアのリラの僧院などで売り物のイコンも数多くあったのですが、図柄が好みのものが無くて購入しなかったのに、ルーマニアのブカレスト空港にあったイコンの聖母子が素敵で連れて帰ってしまいました。
    >
    > また続き楽しみにしています。
    > マリアンヌ

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