1976/07/10 - 1976/07/10
2位(同エリア150件中)
tadさん
入会前の古い写真を見直すシリーズの続き。カルフォーニアのサン・ディエゴに滞在中、スウェーデンの友人と一緒に、バスを乗り継いで国境を越え、西海岸で最初の町、Tijuanaティフアナに日帰りで遊びに行った。
猥雑な国境の町で、ゴミゴミした印象が残る。買った土産物はインチキ商品が多く、特に、銀製品、トルコ石の飾りや指環など、殆どみんな偽物と後で言われた!マカロニ・ウェスタンのメキシカンが着ているようなチョッキも買ったが、それは玄関マットだとみんなに笑われた。ランチは現地で、ビールを飲みながらメキシコ料理を食べた。薄いパンのようなものに具を挟むやつだ。料理名も思い出さない。甘辛い味。
後、よく覚えている出来事は、メキシコの酒テキーラが絡む。酒屋で最高の一本を友人と割り勘で買った。サン・ディエゴに戻って一緒に飲むつもりだった。ところが、アメリカ国境の税関で酒はアメリカに持ち込めないというのだ。あれこれやりあっていたら、税関の職員がこちらにいっしょに来いというので、ついて行くと、職員用のトイレで、ここでなんとかしろという。友人と二人で、なるほどと納得して、二人でテキーラをトイレでラッパ飲みした!二人とも酒は強かったので、問題なく、ほとんど飲みほしたと思う!!今、思えば、酔っ払いは国境を越えられないことがあるが、あの時は、ふたりともしゃんとしていたのだろう。
で、写真だが、酷い!!フィルムは日本から富士フィルムを確か持っていったはずだが、現地のDPEが安いこともあり、それに、写真を見たいこともあって、最初の10本くらいはアメリカで現像、焼き付けをしてしまった!!!それらはぜんぶ、今、セピア色だ!後のフィルムは日本に持ち帰って現像した。前の旅行記、グランド・キャニオンの写真は日本で焼き付けたもので、まだまだしっかりしている。
アメリカの劣化は既にそのごろ、始まっていたのだろうか?ベトナムに戦争で負けた後だ。町には南ベトナム人があふれていた。ロサンジェルスの日本人町も冴えない雰囲気だった。何度か酷い人種差別を受けた。。。スウェーデン人の友人にそのころ流行していたライブ・バンドつきのディスコにむりやり誘われた。で、行ってみると、白人の友人だけは入れるが、私は駄目だと言われた!彼が、あれこれ言ってくれたが、駄目だった。そこで、有色人種も入れるディスコに移動した。今度は入れたが、白人は彼一人だった。。。
ソールト・レークのある宗教団体の合唱団とパイプ・オルガンが有名だというので、入ったことがあるが、あの時も、大変な数の入場者がいたのに、私以外はすべて白人だった。。。見まわして、ぞっとした。これらは1976年の話だ。ロバート・ケネディが暗殺された階段に立ったことがある。この国はしばらく住むなら銃はぜったいに購入しないと危ないと感じた。スーパーにいけば、そのころは、一万五千円くらいで銃が買えた。マリファナは二人に一人はやっていると連中は言っていた。酒には偏見があり、買えない州もあった。個人的にはオープンでいい奴も多い国だし、自分の学問の世界でも彼等はリードしている面がたくさんあったし、防衛面や政治経済では日本も相手にせざるをえない。しかし、他の方面ではあまり関わりたくない国だと感じた。その後、もう一度、出張で行ったが、写真は残っていない。写す気もなかった。
もっとも、アメリカの気楽な大衆文化の世界は毛嫌いしているわけではない。東海岸に行った時は、ブルーノートのジャズ・ライブやヤンキー・スタジアムの野球も楽しんだ。イチローを見に行きたいという気もある。そうそう、ワシントンの宇宙航空博物館は素晴らしかった。そういう方面に関しては世界をリードしている。多くの観光客が行くのも理解できる。ディズニーも一回は行くべきだと思った。特に広大な自然が好きな人にはおすすめの観光地が多い。高層ビルに興味があるなら、今は他にもいくつか候補地がある。
家内をアメリカに連れて行っていないので、一度、行こうとは思うのだが。。。
(2016年記す。)
- 旅行の満足度
- 3.5
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この旅行記へのコメント (4)
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- 三昧さん 2019/06/09 19:58:08
- 写真が新鮮ですね
- 今晩は!
この時代だからこそ、当時の写真が新鮮味があっていいですね~。
それにしても、テキーラをラッパ飲みとは、若くないと出来ませんね。強いんですね。
自分は若い頃からJAZZが好きなもんで、本場のブルーノートでの演奏聴いてみたいものです。まあ、好きなプレーヤは殆ど、あの世に出かけちゃいましたけど。
1976年ですか、街中の風景、服装、髪形、車、そしてセピア色いいですね~。今と違って、現像してみないと、どんな感じで撮れてるか分からい時代でしたね。
- tadさん からの返信 2019/06/09 20:57:36
- Re: 写真が新鮮ですね
- こんばんは!
このところ、拙い旅行記を集中的に読んでくださっているようで、恐縮します。書いて何年もたつと、意見がかなり変わっているものもありますが、その時期の意見だということで、書き換え修正は、多分、やらないでしょう。。
ただ、国際情勢の変化で、我々の見方もかなり変化してしまうことを、この旅行記集でも気が付かされました。特に周辺のアジアの国々に対する意見は、激しく変わりました。。
そうそう、昨年の手術前までは、大体、ウィスキー・ストレート派でした。今は、とりあえず、アルコール摂取はやめています。医者の許可がでるまで我慢します。
-
- ハンクさん 2016/09/09 18:34:45
- ティファナ
- tadさん
驚きました。小生は2002-3年ごろメキシコ ティファナにも長期滞在した経験があります。大変危険な地域と言われていて、街で写真を撮ることもありませんでした。サンディエゴのホテルに住んで、国境まで自分で運転して歩いて国境を越え、防弾ガラスの車で職場へ向かったものです。この貴重な写真を拝見して当時のことを思い出しました。
次の投稿をお待ちしています。ハンク
- tadさん からの返信 2016/09/09 21:42:43
- RE: ティファナ
- > tadさん
> 驚きました。小生は2002-3年ごろメキシコ ティファナにも長期滞在した経験があります。大変危険な地域と言われていて、街で写真を撮ることもありませんでした。サンディエゴのホテルに住んで、国境まで自分で運転して歩いて国境を越え、防弾ガラスの車で職場へ向かったものです。この貴重な写真を拝見して当時のことを思い出しました。
>
> 次の投稿をお待ちしています。ハンク
確かに、メキシコとアメリカの関係は時代によって大いに変化したと思いますから、私がティフアナに入ったころは、むしろ、メキシコから季節労働者がカルフォーニアに入ってきて、ある程度、その(もぐりの)労働力も利用されていたと思います。ただ、無制限に入ってくるようになると、アメリカも制限をかけますし、また、メキシコ側の不満も高まりますね。メキシコから来て、ある程度既にサン・ディエゴに定着している生活が安定した人に知り合いが当時いましたが、そういった人達も英語を必死で勉強していました。ところが、大量に入ってきたメキシコ人に対応しきれない時代になると、チカノと呼ばれた彼らの英語教育も諦めようという発想も出たほどです。カルフォーニアで英語なしの義務教育導入が議論されたりしましたね。同化させる気がない政策をとると、やはり分裂状態が維持されてしまいますね。ドイツのトルコ人問題より、カルフォーニアやテキサス等の問題はやはり大変な問題ですね。トランプのように壁をつくれというような発言がでても荒唐無稽とは言えない部分もあります。実際、ここ数年、そういう動きはヨーロッパでもありましたから。
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