2016/07/16 - 2016/07/16
67位(同エリア1027件中)
かっちんさん
昭和48年(1973)3月、NHKテレビ番組「新日本紀行」で「幸福への旅」が放映されました。
上野駅のきっぷ売り場で「幸福まで」と行先を告げると、一瞬戸惑った駅員から渡されたきっぷには手書きで「幸福」ゆきと書かれていました。
かっちんはちょうど学生時代、襟裳岬へ行く途中にホームだけの幸福駅に降りてみると、まわりが一面じゃがいも畑で人家の少ないところでした。
この番組をきっかけに、広尾線内の「愛国駅から幸福駅行き」のきっぷが人気となり、昭和62年に国鉄広尾線廃止後もいまだに観光ブームが続いています。
今日は十勝バスの1日券を利用し、帯広から幸福駅と愛国駅を訪れ、鉄道遺産をじっくり見学します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ようこそ恋人の聖地「愛国駅へ」
昭和48年(1973)3月、NHKテレビ番組「新日本紀行」で放送された「幸福への旅」をきっかけに、愛国駅から幸福駅行きのきっぷが「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズとともに一大ブームになりました。
当時の新日本紀行の最初の部分が今でもNHKの動画で見られます。
http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010176_00000
動画を見て気がついたのですが、幸福ゆきのきっぷは当時機械化が始まった乗車券印刷発行機で発行されています。 -
広尾線は第ニ次廃止線
帯広と広尾を結ぶ広尾線は、国鉄赤字ローカル路線として第ニ次廃止線の対象となり、昭和62年廃止になりました。
この路線図の中で、深名線(深川〜名寄)だけは冬期間の道路が豪雪で通行止めになるため、廃止線に予定されていませんでした。 -
帯広周辺地図
幸福と愛国は帯広市内南部に位置し、とかち帯広空港からも近いところにあります。 -
十勝バスの1日券
帯広市内乗り放題のきっぷ900円を利用し、帯広から出発します。
朝のバスは、通学バスになり車内が満員です。 -
十勝の風景(車窓)
幸福手前の大正あたりです。 -
幸福バス停で下車
帯広から50分ほどバスに乗りました。 -
牧草ロールのトラック
近くに酪農農家があるのですね。 -
幸福駅まで500m
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幸福駅に保存されているディーゼルカー
手前に種子馬鈴薯の畑が広がっています。 -
空港連絡バスの降車停留所
とかち帯広空港から訪れることもできます。 -
幸せの鐘
バス停から5分ほどで到着。 -
イチオシ
幸福駅に停車する列車
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短いホームにとまるキハ22
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幸福駅の駅名板
広尾線は昭和4年に帯広・愛国・大正・中札内の区間が最初に開通しました。
それから27年後の昭和31年、幸福駅は地元民の駅造り奉仕活動により開業しました。 -
キハ22の車内(幸福)
国鉄時代、北海道のローカル線を走るディーゼルカーはキハ22でした。
車両の前後に運転台とデッキがある極寒地向け仕様で、1両でどこでも走れました。 -
イチオシ
板張りの床(幸福)
昭和38年に製造されたディーゼルカーです。 -
キハ22の運転台(幸福)
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幸福駅の待合室
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願いを書いたきっぷが貼られている待合室(幸福)
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キップ販売所(幸福)
「愛国駅から幸福駅行き」の記念きっぷ、お土産品などが売られています。 -
今も動いているみたい(幸福)
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森を突き抜ける農道
幸福周辺を歩いていて見つけました。 -
愛国駅
幸福駅から2つ隣にある愛国駅にバスで移動しました。
昭和4年に開業した駅ですが、駅舎は昭和54年に改築されています。
現在、交通記念館となり、駅舎内に鉄道施設品が展示され、駅構内にはSLが保存されています。 -
イチオシ
歴史を感じる車掌車(愛国)
以前は駅横の売店として利用されていました。 -
「愛国から幸福ゆき」きっぷ
かつて一大ブームとなり、愛国や幸福駅を訪ねた旅人が記念に買いました。 -
愛国駅の時刻表
2時間に1本の頻度で列車が走っていました。 -
愛国駅の運賃表
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イチオシ
きっぷ売場
鉄道施設の展示を見ています。
入場券が140円、愛国〜幸福が220円など、あらかじめ印刷された硬券に日付を入れて発売されていました。 -
通票革袋
タブレットと呼ばれているもので、通票を入れる袋です。 -
金属玉が通票
単線区間なので、この通票を持った1列車だけが通れる仕組みです。
両隣の駅間の通票は、〇と△で異なっています。 -
通票閉そく機
閉そく区間両端の停車場の駅長が連絡をとりあい、この装置から通票を1個だけ取り出し、機関士に携帯させます。 -
金のう
収入金等を廻送するのに、この袋に入れて使用していました。 -
スイッチ盤
大きな銅板のナイフスイッチ。
どのように使ったのやら?? -
充電機
合図灯などの電池を充電する装置です。 -
駅のスタンプ
昔、全国の駅スタンプを集めていたので懐かしいです。 -
全盛期の広尾線
広尾線は昭和4年から7年にかけて徐々に開通し、地域の発展に貢献してきました。 -
初の特急列車
広尾線廃止決定に伴い、別れを惜しむ「リゾートエクスプレス愛国・幸福号」が昭和61年12月に幸福駅にやって来ました。 -
さよなら広尾線「最終832D列車」
昭和62年2月1日、広尾発20時2分の最終列車が走り、58年の歴史を閉じました。 -
転換バス
翌2月2日から帯広〜広尾間の交通は、鉄道からバスに引き継がれました。 -
イチオシ
愛国駅構内に保存されているSL
大正7年に川崎造船所で製造された9600形蒸気機関車です。 -
愛国駅の9600
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9600の後ろ姿
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ホームに佇むキュウロク
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真横から
「19671」は、9600形171号機という意味です。 -
運転席
機関士が左側の運転席に座り、機関助手がカマ焚きと蒸気圧調整などをやります。 -
十勝バス
愛国駅を後にし、帯広駅へ向かいます。 -
珍しいつり革
2点支持タイプというつり革です。
バスの揺れに対して振られにくそうですね。 -
帯広の気温は29℃
真夏の暑さです。 -
お昼は帯広駅ビルの東家さん
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夏季限定納豆そば
暑いときは冷たい蕎麦が最高に美味いですね。
この後、前の旅行記で紹介した「ばんえい競馬」へ行き、旭川空港から帰ります。
これで、4日間の十勝廃線跡の旅を終わります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 横浜臨海公園さん 2016/09/06 14:20:48
- 愛国駅
- かっちんさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
小生が広尾線に乗車したのは、昭和61年(1986年)3月で、日高本線から終点 様似から国鉄バスに揺られ、襟裳岬を経て広尾に着いたものでしたが、国鉄バスは途中から客が小生1名となり、運転手と話しながら進んだものでした。
ところで、愛国駅構内で保存されている9600型蒸気機関車ですが、19671号機は、大正12年(1923年)に上野機関庫配置で、関東大震災発生当時、上野駅構内に駐機し、翌日該構内で火災で焼損被災した経緯を有しております。
小生も。鉄道省が編纂した関東大震災に関する記録を精査していて、初めて気づきました。
横浜臨海公園
- かっちんさん からの返信 2016/09/06 22:38:28
- RE: 愛国駅
- 横浜臨海公園さん
こんにちは。
そうそう広尾線は襟裳岬の行き帰りに利用した鉄道でした。
襟裳岬周辺は国鉄バスでしたね。懐かしい。
愛国駅に保存されている9600型蒸気機関車の履歴を調べてくださり、ありがとうございます。
駅にある説明板には詳しい説明がなく、どこを走っていたのか気になっていたところです。上野駅で焼損被災した経緯があるとは驚きです。
今は帯広市で大事に保存され、塗装も綺麗な状態です。
かっちん
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