
2016/08/27 - 2016/08/28
66位(同エリア160件中)
特急サンライズさん
- 特急サンライズさんTOP
- 旅行記29冊
- クチコミ43件
- Q&A回答0件
- 129,550アクセス
- フォロワー3人
日本の奥深くを訪れたい!と思って計画した今回の秘境旅。目的地は実に南半分が山地で占められる奈良県の最も南に位置する十津川村です。険しい紀伊山地の山奥を通る国道をひた走り、"下界”とは様子の異なった秘境をめぐる1泊2日の旅行です。
世界遺産に登録されている熊野古道にまつわる名所旧跡や景勝地もあり、途中で大雨に見舞われたときは大変でしたが、文字通りの山あり谷ありの起伏に富んだ旅となりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
友人と合流した岐阜市内から車で東名阪・紀勢道を走り、尾鷲から山奥へと進んで走ること5時間弱、三重県・奈良県・和歌山県の3県の県境が川の上で交わる瀞峡にやって来ました。
瀞峡(奈良県十津川村) 自然・景勝地
-
途中、和歌山県の飛び地である北山村を通り、やってきたいまいる地点は奈良県十津川村にあたります。本日は休日なので…バスは1日1度来る!♪
-
来る途中ぱらついた雨もすっかり上がり、強い日差しとセミの声がいかにも夏らしく、このネコも融けた氷のようにのびています。
-
1日1本の割にはトイレ付きのしっかりしたバス停。
-
新宮川の支流、北山川の河原を見下ろすと遊覧ボートから下船する人たちの姿。
左側のテントで飲み物か何かを振る舞われているようです。 -
急峻な渓谷と静かなブランコ。
時刻は11時半でもうお昼時です。 -
昼食は予約しておいたこちら、瀞ホテルでいただきました。
ホテルと言う名前ですが現在はレストランのみの営業で、11時半のオープンと同時に暑さを逃れてすぐ建物に入りました。 -
エアコンはありませんでしたが、開放的な造りで、扇風機と川面に吹く自然の風だけで十分涼しかったです。
-
1階のテーブル席では眼下に瀞峡を眺めながら、2階の座敷では大人数でも一緒に食事ができます。
-
大正〜昭和初期のような雰囲気が漂い、とてもいい感じです!
「新しく作られた古いもの」ではなく「昔からそのままの古いもの」という印象で、本当に良い気分でした。 -
小物や調度に至るまでレトロな味があるものばかりで、築百年以上のこの建物ごと100年前にタイムスリップしてきたかのようです。
-
本日のメニューはハヤシライス(\900)か、マフィンのセット(\1,000)ということで、自分はマフィンを選びました。生ハムのサラダと冷製コーンスープが付いています。
マフィンと言うとお菓子のイメージですが、ベーコンや黒胡椒が入っており、「料理」として食べるマフィンという感じでした。 -
いつ頃のものでしょうか。
-
食後は先ほどボートから観光客が乗り降りしていた河原に降りてみました。水が綺麗で、川岸の手が届きそうなところに10センチほどの魚が群れを作って泳いでいました。
-
一時はどうなるかと思った天気も良くなって本当に絶好の行楽日和でした。
しかし西の方から厚い暗雲が近づいているとはまだ思いもしませんでした。 -
正に深山幽谷といった光景。
-
川をさかのぼっていく遊覧船を見送り、自分たちも次の目的地へ。
うねうねと続く国道をさらに西へ進んでいきます。 -
40分ほどで到着しました、熊野三山の主座を占める熊野本宮大社です。
鳥居の前にはサッカー日本代表のユニフォームでもおなじみの八咫烏の幟が。熊野本宮大社 寺・神社
-
木立に囲まれた石段を登っていきます。
日本史の授業では院政期に上皇・法皇が何度も参拝したという熊野ですがこのあたりから雲行きが怪しくなってきました。 -
主神は家津御子大神(けつみこのおおかみ)で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の名前で知られていますが、ここでは林業の盛んな紀の国らしく樹木の神として祀られているそうです。
本殿の両脇にも社殿があり、それぞれ天照大神などを祀っています。 -
参道のわき道を通って道路まで降ります。ここだけでも熊野古道の雰囲気がちょっとだけ感じられる気がします。
-
そして熊野本宮と言えば日本一の高さを誇る大鳥居!
黄色く色づいた田んぼの先に構えられたその下まで行くと高さを実感します。
中村公園の鳥居も大きいけれどさすがにこれには及ばないと言うことは遠くから見ても明らかになるくらいでした。 -
鳥居の先の木々の先には明治22年の水害以前まで本宮の社殿が置かれていた大斎原(おおゆのはら)があるのですが、そらはたちまち暗くなって大粒の土砂降りに。
お賽銭をケチったのがいけなかったのか、傘を差しても下着まで濡れるほどの大雨で、急きょ車に退避して、雨が緩むのを待って次の目的地へ向かいました。 -
Tシャツを絞って水が出るほどがっつり濡れた状態でやってきたのは再び奈良県に入って、県最南端に位置する十津川村です。時刻は16時ごろで、行く予定だった村の資料館は閉館時刻だったので早いですが本日の宿に行くことにしました。
-
十津川村役場のあるところから南に進んだ十津川温泉の、民宿やまとやに宿泊しました。
近くにコンビニは無いので、酒屋の自販機で缶ビールを、すぐ隣のよろず屋でおつまみを買って一日の締めくくりの楽しみとします。民宿やまとや 宿・ホテル
-
夕飯は山の幸と釜飯料理!
お風呂は硫黄の香り漂う温泉で、雨で早く宿に着いた分、たっぷりと温泉旅行の気分を堪能してきました。 -
翌朝。十津川には平地がほとんどなく、川沿いに走る道路沿いに建物が並ぶのがほとんどで、なるほど現代の秘境の村とはこんな感じかという気分です。
-
旅行前にNHKで20年ほど前に放送された司馬遼太郎『街道をゆく』のDVDを借りて、十津川街道の回を観ました。
今日はそこで紹介されていた玉置山の玉置神社を訪れます。 -
十津川温泉から30分ほど、つづら折りが続く1,2車線の山道を登っていき、やってきた玉置(たまき)神社は深い霧に包まれていました。駐車場には他の観光客の車や観光バスも停まっており、番組を見るまでは知りませんでしたが、十津川村では主要な観光スポットの一つのようです。
玉置山 自然・景勝地
-
鳥居前の駐車場からはしばらく階段の山道を上り下りします。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部であるこの神社は熊野の奥宮として古くから修験道の一大拠点で、十津川郷士は都から来る修験者を通じて中央の情勢に関する情報を得ていたと紹介されていました。 -
駐車場から歩くこと20分ほどで社殿の前までやって来ました。手水の水は止まっており、本来口から水を吐き出すであろう龍の像も、暑さでのどが渇いた犬の様です。
-
「玉置山縁起」では、神武天皇の東征の際に八咫烏の案内を受けて大和を目指した時にこの地を訪れて安全を祈願し「十種の神宝」を奉じた、また第十代崇神天皇が創建したとも伝えられているそうです。
-
かなり古くからあるとはいえ、なぜこのような不便な山奥に創建したのか、この山を選んだのかについては疑問があります。
玉置山は火山活動でできた火山岩から成っており、岩肌にはその特徴が見られると言うことですが、その特異な地形から神聖な修行の場として選ばれたとも考えられているそうです。玉置神社 寺・神社
-
神代杉の巨木が御神木とされています。
古代より建材に使われてきた杉の巨樹が多数あり、俗物的な感想ですが、春だったら花粉症の自分は悲惨な目にあっていたかもしれないです。 -
本殿は玉置三所権現とあがめられて、国常立尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊を祀り、末社には天照大神・神武天皇が合祀されています。
歴史上の著名人も訪れていると言うことで、脇の石塔は後白河上皇・和泉式部が参詣したことを記念して建てられたといわれています。 -
『街道をゆく』では鎌倉の地頭の館のような建物と表現されていた神社の社務所です。
300年ほど前の建築で、500円を払って中を見学させて頂きました。 -
建物の内部は一部が公開され、重文の狩野派の襖絵が飾られています。
-
奥に進むにつれ座敷が1段ずつ高くなっていき、御簾のある座敷は天皇が訪れたときに使われる場所であったそうです。
-
手を触れることはできませんが、柵のない息がかかりそうな距離で実物の、"ふすまとして使われている"襖絵を観られる機会はあまりないでしょう。
-
都から遠く山々で隔てられた山中の神社でありながら、このような優美な絵が残されているというのは不思議な感じがします。
-
さらに階段を登って行ったところにある玉石社は修験道の聖地のひとつだそうです。
この先山頂へとつづく道がありますが、雨が降ってきたのでこの辺りで引き返すことにしました。 -
霧がかかって神秘的な雰囲気さえ漂っています。途中の道には熊野本宮へと向かう山道も分岐しており、大昔から修験者らは人一人通るのがやっとの道を駆け巡って山から山へ、寺社を巡っていたと考えると大層なことだと感じます。
-
山を下りて、役場のある十津川村中心部に着くと天気は再び回復してきました。
役場の向かいにある資料館を見学し、近世〜近代、とりわけ幕末維新に大きく関わった十津川の歴史に関する文書などを見ました。
十津川が保元の乱・南北朝の争乱・大坂の陣などで兵を出してきた歴史は番組で見たとおりですが、これらを史料から見るとよりリアリティが湧いて面白く感じます。 -
昼食は役場のすぐ隣の道の駅で。
中心部と言ってもここも平地はかなり少なく、国道沿いにいくつかの建物がある程度でした。道の駅 十津川郷 道の駅
-
注文した、かちんそば。草餅が入ったそばで、熊野地方の郷土料理で高菜の漬物で酢飯をくるんだめはり寿司と一緒に食べました。
-
食後、国道を北へ30分ちょっと走ったところにあるのが、これも十津川村の有名スポットの一つ、谷瀬のつり橋です。
-
橋の両側に小屋があり、係の人が危険がないか見張って危ない時は放送を流して注意を促します。20人以上はわたれませんと書いてありますが、実際には20人以上渡っていることもあり、まあ長年の経験上大丈夫なのでしょう…と思いつつ自分たちも渡ってみます。
谷瀬の吊り橋 名所・史跡
-
高さ54m、長さ297mで二輪車に乗る地元の人以外は歩行者専用となっています。
『街道をゆく』でも建設の経緯が、十津川の「公の意識」と共に紹介されており、番組を見てからだと、単なるスリル以上に楽しむことができます。 -
幅は3人分くらいで、中央は板張りになっており、板の隙間から下が見えるのでヒヤヒヤします。そして真ん中に進むにつれギシギシ揺れるので、一緒に行った友人のうち1人はギブアップして引き返してしまいました。
-
橋の上からは十津川の山々が望めます。
足元を見ると少し怖いけれども、橋の真ん中を前を向いて歩けば恐怖感はそれほどでもなく、途中からはすいすい進むことができました。 -
対岸の土産物屋を少し覗いて、再び引き返そうとするとまたも雨が。ちょっとだけ雨宿りをして渡ってきた橋を引き返します。
-
赤字で注意が書かれていますが、危険な状態を渡ってきたということでしょうか。
なるほどこれなら文字通りの「吊り橋効果」も得られそうなところなので、若いカップルにもお勧めです! -
谷瀬の吊り橋をあとにして、後はずっと北上して奈良県を縦断します。
沿道には青々と茂る夏山と川の景色が続き、五條市街が近づくと急に田んぼが広がる景色に変わり、とうとう秘境を抜けて下界にやってきたと感じ、改めてすごい山奥を旅してきたなと思いました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
民宿やまとや
3.19
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
53