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[三滝渓谷から三滝城跡を大回遊]<br />四国西予ジオパーク区域内、三滝川支流の中野川に愛媛県随一の滝と淵(滝壺を含む)の多さを誇る三滝渓谷がある。この渓谷の特徴は階段と橋を駆使して探勝の便を図った遊歩道と、各滝や淵の伝説。<br /><br />その滝や淵の何割かには、渓谷背後の三滝山に築城されていた三滝城の城主家来に関する伝説があり、看板も建てられており、興味深い。<br /><br />また、渓谷には愛媛県最古、4億2,000万年前のゴトランド紀石灰岩の地層も走っていることから、渓谷の駐車場下方には城川地質館もあり、旧城川町の地質を学ぶこともできる。<br />駐車場横には室内が斜めに傾いた「びっくりハウス」もあり、そこではマイケル・ジャクソンの斜め立ちポーズ「スタンド・マッシュ」が誰でもできるようになっている。両施設共有料。後者は100円。<br /><br />三滝城は三方が断崖絶壁となった要害。城は「土佐日記」で有名な紀貫之の末裔、紀実次が築城した。紀親安の時代、四国の雄・長曾我部元親の妹婿である元親の家臣・波川玄番の娘を娶る。しかし玄番の謀反に加担したということで、天正11年(1583)1月13日、三滝城は長曾我部軍によって落城させられ、親安は二の丸で自害した。<br />余談だが、私は’03年、玄番の妻で元親の妹を主人公の一人とした舞台(高知県内三ヶ所で公演)に出演したことがある。<br /><br />三滝渓谷に行く前、城川町古市の恵美須神社境内に開口している中津川洞穴遺跡に寄った。開口部の高さ2.1m、奥行5mの横穴で、縄文土器片や大量の石鏃(やじり)、縄文早期(約8,000年前)の女性の骨等が出土している。<br /><br />三滝渓谷遊歩道は当初、びっくりハウス横の駐車場から辿る予定だったが、手前の県道2号が工事のため通行止めで市道を迂回したため、間違って城川ロッジへ行ってしまった。が、ロッジは休業中で、他の行楽客もその駐車場に駐車していたため、渓谷遊歩道の起点であるロッジから歩いた。<br /><br />屋根付き橋を渡った先の地質館前から前述の駐車場へと上がり、そのまま遊歩道を歩く。落差のある大瀑布はないものの、次から次へと滝、滝壺、淵が現れ、身体は涼しいものの、心は興奮?<br />しかしここまで多くの橋や階段を設置した渓谷は、我が高知県にはない。費用も莫大になる。流石四国一の発展県・愛媛、というところか。<br /><br />二見滝橋に上がり、二つの滝が同時に見られる場所から引き返す観光客が多いが、橋から上にまだ遊歩道は続いており、二見滝の左側の滝の上部へと進む。上流にはポットホールを擁する滝も懸かっている。<br /><br />車道へ出ると右折し、二見滝橋から上ってくる車道に合流。そこを左折し、三滝山の古道を探ってみたが、既に廃道化していたため、ウォーキング・コースにもなっている車道を上がり、三滝城二の丸跡へと行った。<br />そこには宝暦13年(1763)、庄屋の矢野氏が親安の命日に廟である林庭院を建立した。それから何度も再建されており、現在のものは平成2年のもの。<br /><br />道路を挟んだ下方には親安が根元で自害した「三滝城の大銀杏」の大木が立っている。目通り7.4m、樹高は40mにも達する。<br />傍らには親安の辞世の歌碑が添えられている。<br />「蔭山の花は咲けども 散り朽ちて 草の都の花さかり見む」<br /><br />林庭院奥から長大な石段を上がり、三滝神社前から尾根沿いの林道を南下する。<br />文久3年建立の法経一字一石塔を過ぎると、親安たちが駆け抜けた古道が分岐していたので、林道よりは勾配がきついが、そちらを上って三滝城跡へと到った。<br /><br />城跡からは神社前まで引き返し、車道を北東の鞍部まで下った後、そこから東へ峠道を下った。この道は下るに連れてヤブ化が進行している。<br />林道に出ると一旦左折した後、すぐ右折して峠道の続きを下る。<br /><br />砂防ダムから桂川沿いの車道に下りると、そこから下の峠道は消滅していたため、その車道から県道へと下り、城川ロッジへと引き返した。

愛媛県の八十八の滝と九十九の淵とマイケル・ジャクソン

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2016/07/03 - 2016/07/03

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マローズ

マローズさん

[三滝渓谷から三滝城跡を大回遊]
四国西予ジオパーク区域内、三滝川支流の中野川に愛媛県随一の滝と淵(滝壺を含む)の多さを誇る三滝渓谷がある。この渓谷の特徴は階段と橋を駆使して探勝の便を図った遊歩道と、各滝や淵の伝説。

その滝や淵の何割かには、渓谷背後の三滝山に築城されていた三滝城の城主家来に関する伝説があり、看板も建てられており、興味深い。

また、渓谷には愛媛県最古、4億2,000万年前のゴトランド紀石灰岩の地層も走っていることから、渓谷の駐車場下方には城川地質館もあり、旧城川町の地質を学ぶこともできる。
駐車場横には室内が斜めに傾いた「びっくりハウス」もあり、そこではマイケル・ジャクソンの斜め立ちポーズ「スタンド・マッシュ」が誰でもできるようになっている。両施設共有料。後者は100円。

三滝城は三方が断崖絶壁となった要害。城は「土佐日記」で有名な紀貫之の末裔、紀実次が築城した。紀親安の時代、四国の雄・長曾我部元親の妹婿である元親の家臣・波川玄番の娘を娶る。しかし玄番の謀反に加担したということで、天正11年(1583)1月13日、三滝城は長曾我部軍によって落城させられ、親安は二の丸で自害した。
余談だが、私は’03年、玄番の妻で元親の妹を主人公の一人とした舞台(高知県内三ヶ所で公演)に出演したことがある。

三滝渓谷に行く前、城川町古市の恵美須神社境内に開口している中津川洞穴遺跡に寄った。開口部の高さ2.1m、奥行5mの横穴で、縄文土器片や大量の石鏃(やじり)、縄文早期(約8,000年前)の女性の骨等が出土している。

三滝渓谷遊歩道は当初、びっくりハウス横の駐車場から辿る予定だったが、手前の県道2号が工事のため通行止めで市道を迂回したため、間違って城川ロッジへ行ってしまった。が、ロッジは休業中で、他の行楽客もその駐車場に駐車していたため、渓谷遊歩道の起点であるロッジから歩いた。

屋根付き橋を渡った先の地質館前から前述の駐車場へと上がり、そのまま遊歩道を歩く。落差のある大瀑布はないものの、次から次へと滝、滝壺、淵が現れ、身体は涼しいものの、心は興奮?
しかしここまで多くの橋や階段を設置した渓谷は、我が高知県にはない。費用も莫大になる。流石四国一の発展県・愛媛、というところか。

二見滝橋に上がり、二つの滝が同時に見られる場所から引き返す観光客が多いが、橋から上にまだ遊歩道は続いており、二見滝の左側の滝の上部へと進む。上流にはポットホールを擁する滝も懸かっている。

車道へ出ると右折し、二見滝橋から上ってくる車道に合流。そこを左折し、三滝山の古道を探ってみたが、既に廃道化していたため、ウォーキング・コースにもなっている車道を上がり、三滝城二の丸跡へと行った。
そこには宝暦13年(1763)、庄屋の矢野氏が親安の命日に廟である林庭院を建立した。それから何度も再建されており、現在のものは平成2年のもの。

道路を挟んだ下方には親安が根元で自害した「三滝城の大銀杏」の大木が立っている。目通り7.4m、樹高は40mにも達する。
傍らには親安の辞世の歌碑が添えられている。
「蔭山の花は咲けども 散り朽ちて 草の都の花さかり見む」

林庭院奥から長大な石段を上がり、三滝神社前から尾根沿いの林道を南下する。
文久3年建立の法経一字一石塔を過ぎると、親安たちが駆け抜けた古道が分岐していたので、林道よりは勾配がきついが、そちらを上って三滝城跡へと到った。

城跡からは神社前まで引き返し、車道を北東の鞍部まで下った後、そこから東へ峠道を下った。この道は下るに連れてヤブ化が進行している。
林道に出ると一旦左折した後、すぐ右折して峠道の続きを下る。

砂防ダムから桂川沿いの車道に下りると、そこから下の峠道は消滅していたため、その車道から県道へと下り、城川ロッジへと引き返した。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通手段
自家用車

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