2016/08/06 - 2016/08/11
84位(同エリア450件中)
bakanekoさん
- bakanekoさんTOP
- 旅行記163冊
- クチコミ14件
- Q&A回答2件
- 398,164アクセス
- フォロワー14人
8月6日第一次、8月11日第二次と御所市高天へ出撃しました。
高天原とは「古事記」の冒頭「天地(あめつち)のはじめ」に登場する神々の生まれる場所・天津神の住まう場所です。出雲の国譲りにより天照大神の孫(天孫)瓊瓊杵命(ニニギノミコト)が高天原から高千穂へ天下る(降臨)したという伝説があります。
御所市の「高天」の台地は金剛(葛城)山の麓に広がり、この伝説の舞台となった場所であると言われ、神話の世界にふさわしい雰囲気が漂っています。
8月6日払暁 5時過ぎ天王寺より愛車バーディー90に乗り出撃す。もうすでに盛夏。大阪市内は、ぬるい空気が支配している。ぬるい空気を受け大和川まで南下する。
さて妄想へ 著者注)
本紀行は、写真撮影記に私の妄想が入り、過去の人物などが出る事があります。入江:入江泰吉 土門:土門拳 佐藤:佐藤義清 楠木:楠木正成
大和川を渡るとそこは近鉄河内国分の駅である。
そこに軽装の楠木さんが馬で待っていた。
楠木「暑いのう。まってたで」
私「ほないきまひょか」
河内国分から国道166号で奈良に入る。
私「ええ温度になってきましたなあ」
楠木「24度やで。四天王寺よりだいぶ涼しいやろ」
そのまま当麻寺を越え、県道30号線を突っ走る。
金剛山系の東を北から南に走るのである、
- 旅行の満足度
- 4.5
-
山の稜線を覆っていた雲が薄くなっていく。
-
-
-
高天原から地上を見ているような
後ろから
入江「フフフフフ 幻想的だなあ」
私「やはり出てきましたか」 -
-
入江「日本の神話の世界へようこそ」
-
おおすごい 楠木さんも感動です。
古事記神話に記されている高天原がどこを指しているのかは諸説があります。 新井白石は高天原とは常陸の国多珂郡の海上を指すといった解釈をしていますし 忌部正通は「一念無き胸中」であると人々の心の中にあるといった説もあります。
その中で奈良県御所市の高天は古来より神話の世界である高天原の伝承地として伝えられる 場所のひとつです。 この場所は金剛山の中腹にぽっかりと広がる高原台地で ここからは大和盆地を一望できる標高の高い場所です。 -
-
現在、金剛山と呼ばれる山は古代に大和側からは高天山と呼ばれていたそうです。 (山の反対側の河内側からはコンゴウセンと呼ばれました。)高天原は金剛山(高天山)の中腹にある高原台地のエリアです。
この高天原エリアを含む葛城地方は、大和朝廷以前の古代にこの地域は葛城王朝と 表現されるほど強大な勢力を誇った葛城氏という豪族の本拠地でした。
高天原よりすこし山を下った場所ではこの葛城氏の祭祀場跡と推定される 巨大な遺跡が発見され(極楽寺ヒビキ遺跡)この地が古代の信仰にとって とても重要な場所であったことが推測されます。 奈良時代にもこの高天に高天寺という名の大寺院が存在していることから 大変に古くからこの地がすでに高天と呼ばれていたことがはっきりとわかります。 この様なことからも、奈良県御所市の高天・北窪の一帯が神話に登場する 高天原であると伝えられています。 -
-
私「入江先生、私感動してますわ」
入江「これが私の愛する奈良だ」 -
-
朝5時から来たかいがある。
-
-
-
-
私「古色大和路ですか・・・」
-
入江「ああ、だがいらぬ建物ができすぎてしまったよ」
-
-
-
-
-
-
大和三山のほうを見る。
入江「君の写真は、散々だがな」 -
-
撮影場所を変えると日の出になった・・・・
楠木「えらい演出でんなあ」 -
-
-
-
-
入江「下世話なごみ焼却場ができて絵が台無しだ」
-
-
-
-
私「奈良盆地に現代の龍が泳いでいます」
入江「大神の神がうごめくようだ」 -
-
-
-
-
ああ満足しました。いよいよ高天原エリアへ
-
高天彦神社の参道
-
入江「何を言っとる。まだまだ畑を歩くぞ。楠木さんもどうぞ」
楠木「今年の米の出来は・・・幕府と戦せなあかん」 -
-
-
-
-
-
陽が高くなり大和盆地に陽があたります
-
-
-
-
-
入江「どうかね」
私「建造物を消して、あとは霧でごまかす」
入江「そうそう霧はなんでもごまかせる・・・・変なことを言うんじゃない!!」 -
-
この光景を見たら、奈良とは思えん
-
-
-
-
-
邪魔な道路を消す。
-
-
-
-
-
-
ああ忘れたこの風景。広角で撮りたかった1枚です。
-
-
-
参道から
でもバイクは横の道を走ります。 -
蜘蛛蜘蛛 これが後への布石
-
-
-
参道を少し登る
-
-
-
上の集落まで上がって、当初目的の蜘蛛窟にゆく。もう道が大変。
参考 http://takama.sakura.ne.jp/kumokutsu
この高天の蜘蛛窟には次の様な伝説が残っています。『むかし、千本の足をもつ大きな土蜘蛛がすんでいた。時の天皇はお悩みであったので勅使がきて、字 サルチ(猿伐)から矢を射て殺した。 矢の落ちたところを矢の段という。土蜘蛛を高天彦神社の傍に埋め、蜘蛛塚といった。蜘蛛のいた窟は神社の前の並木の東にある。(御所市史より) -
神話によれば神武天皇が大和を平定すべく東征をしたとき この地には先住の人々が暮らしていました。
その先住の人々は神武天皇の皇軍に従わずに抵抗し敗れます。 土蜘蛛という名称は、勝者側が敗者の先住の人々 を呼ぶ時に使われた蔑称のひとつです。
日本書記には土蜘蛛のことを 「そのひととなり、身短くして手足長し。しゅじゅと相類す」
摂津国風土記の逸文には 「恒に穴の中に居り。故、賤しき号を賜いて土蛛と日う」 など表現されています。
実際に先住の人々の胴体が短くて手足が長く、土の穴に住んでいたのかは定かではありませんが このあたり一帯に先住の人々が暮らしていた可能性は高そうです。 -
日本書記によれば神武天皇の皇軍は葛のつるで網を作り、 それを覆いかぶせて反抗する土蜘蛛を捕らえて殺した。 それでこのあたりを葛城と呼ぶようになったと葛城の地名の伝承について記しています。
蜘蛛窟の石碑の場所には戦いに敗れた土蜘蛛と呼ばれた先住の人々が 眠っているのでしょうか。石碑には供養碑としての意味も込められているように感じます。
土蜘蛛に関しては、土蜘蛛(先住民側)の残した記録が無いためほとんど謎に包まれています。 葛城には高天彦神社社殿の脇にある岩をはじめ土蜘蛛に関する史跡がほかにもあります。あと高天原エリアではありませんが 葛城一言主神社境内に土蜘蛛塚があります。
天孫降臨伝説や神武東征神話が英雄神話として光の部分であれば 土蜘蛛の伝承は英雄を引き立てる神話の影の部分を担っているのかも知れません。 高天原エリアや葛城では神話の光と影の両方をたずねることができる貴重な場所だと思います。 -
-
-
高天原を訪れた方が真っ先に向かうのがこの高天彦神社(たかまひこじんじゃ)。社務所もなく、それほど大きくない神社ですが、境内に立つと何とも言えぬ威厳を感じずにはおれません。それ程、参拝客を見かけることはありませんが、全国からこの神社をたずねてこられる方が後を絶ちません。
-
ご祭神は高皇産霊神(タカミムスヒノカミ・タカミムスビノカミ)で市杵島姫命と菅原道真も祀られています。 高天彦とはタカミムスヒノカミの別名だろうと言われています。
延喜式には高天彦神社。月次・相嘗・新嘗。とあり4度の官幣に預かっています。 社殿は三間社神明造り・明治十年の建築だそうですが、築年数以上の風格を漂わせています。 -
-
-
-
-
-
さあ、昼までには大阪へ帰宅しましょう。
入江「じゃあな」 -
-
-
-
-
-
-
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
御所・葛城(奈良) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
96