2015/05/29 - 2015/05/29
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
小さな町に宝物が一杯! 外と内でこれだけイメージのギャップがある町も珍しい。時間の許す限り、うろついていたいラヴェンナです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
鉄道駅にほど近いローマ通りに面している サンタポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂です。5世紀末〜6世紀初頭にかけて、当時ラヴェンナを支配していた東ゴート王テオドリックによって建てられました。元々はキリスト「救世主」に捧げられた教会で、現存する数少ないテオドリックが信仰していたキリスト教アリウス派の教会の一つです。
アリウス派を一言で言い表すのは難しいですが、あえて言うならば、「三位一体を信じず、キリストを神より下位のもの(予言者等)とみなしている」のだそう。キリストは預言者の一人だと解釈する部分は、イスラム教も確かそうでしたね。要はカトリックにとってはアウリス派は異端なのです。
サン・ヴィターレ聖堂が547年に完成しましたので、それよりも少し前の時代の建造ですね。
540年、皇帝ユスティニアヌス1世がラヴェンナを東ローマ帝国に編入すると、彼はアリウス派の教会をすべて没収して宗派替えを行いました。そのため、ここは561年以降暫くトゥールの聖マルティーノ(黄金の天国の聖マルティーノ)に捧げられていました。ついでですが、聖マルティーノはアリウス派を認めず、断固それと戦った方です。
856年、ラヴェンナの港に近いクラッセという町でラヴェンナの初代司教である聖アポッリナーレの聖遺物が発見され、それがこちらに運ばれたことから、再度名前が変わり、サンタポッリナーレ聖堂になったという経緯があります。クラッセは港町であり、海賊等の襲撃から聖人の聖遺物を守るにはラヴェンナの方が好都合という意図があったものと推測できます。クラッセのサンタポッリナーレ聖堂には後程訪問します。 -
聖堂の前には、16世紀に聖堂がフランシスコ会の持ち物となった時に増築された大理石で作られたポルティコがあり、その右隣には、9世紀から10世紀に遡る円筒形の鐘楼が聳えています。連窓が上層の5層に見えますね。素晴らしい・・・
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早速中に入ります。内部は三廊式。身廊と側廊を隔てるコリント式列柱が形成するアーチの上には、ご覧の通り、モザイクがびっしりと描かれています。
天井は比較的新しい格間天井に見えますが、制作年ははっきりとはわかりませんでした。恐らく、後陣がバロック様式で改修された時期と同じ18世紀ではないかと思います。 -
モザイクは現在3段分見ることが出来ますが、元々は4段あり、後陣も床もモザイクで覆われていました。海に近いラヴェンナでは高潮の被害が相次いだため、16世紀に床を1.2m高く持ち上げ、その際に身廊と側廊を隔てる壁に描かれていた第4段目と床のモザイクが失われたのです。
こちらは、後陣に向かって左側の壁。 -
そしてこちらが、右側の壁です。ちょうどトンド(メダリオン)がある辺りから下にまだ1.2m壁が続いていたとしたら、雰囲気がかなり変わっていたはずですね。
なくなってしまったものは取り返すことが出来ませんが、それでもこのがらんとした殺風景な床の代わりに、豊かなモザイクの世界が広がっていたらと、想像せずにはいられませんでした。 -
側廊内には、左側廊に礼拝堂らしき部屋が並んでいましたが、見るべきものはなさそうでした。モザイクあるのみです。
いつものように、いくつかのパーツに分けて撮っていきます。創建当時にはアリウス派関連や東ゴート王国の主要人物などのモザイクがあったと考えられますが、ビザンティン時代にすべてカトリックのものに置き換えられています。
まずは左側の壁から。一部工事中だったので、見えづらい箇所がありますがご容赦を。 -
第1段目には、キリストの生涯からの物語(奇跡と受難)のパネルが左右の壁合わせて26枚描かれていて、2羽の鳩がいる寓意的な幕屋(王冠?)のパネルと交互に並んでいます。あまりに小さいために、今回は説明を省くことにしました。
2段目には、預言者、使徒、福音記者等の肖像が16人(両壁で32人)並んでいました。こちらは先ほど見たネオニアーノ洗礼堂のものと、さほど変わらない気がします。窓の上には鳩、クジャクなどの鳥が2羽ずつ向かい合っています。
そして3段目です。左側一杯に描かれているのは、その頃、アドリア海の港で最大の規模を誇っていた古代のクラッセの港です。実は工事の足場の左に黄金色をした船が3隻描かれていました。
狭間のついた町の城壁越しに、円形劇場、バシリカ、円錐形の屋根で覆われた建物などを見ることが出来ますね。右側にある城門の上にはラテン語でクラッセの町と書かれていました。
帰って来てから調べた情報では、オリジナルの城門や城壁には少なくとも5人の人物の姿が描かれていたそうですが、後の時代にそれを消した跡があるそうですよ。 -
クラッセの港に続くのは、聖女達の長い行列です。全部で22人の長〜い行列!
この部分はビザンティン時代に作られたものだとされています。つまり東方教会の影響が色濃く出ています。例えば、反復の多いこと、衣装の豪華さ、奥行きが感じられず平面的なこと、人物を真正面から表現する画法などが挙げられるそうです。 -
クラッセの港を出た聖女達は一人一人異なった、金糸入りのゴージャスな衣に身を包み、白いヴェールに包んだ王冠にそっと手を添えて、一体どこに向かっているのでしょう?
ちなみに、王冠は殉教者の勝利の冠、白いヴェールは処女の証なのだそうです。 -
聖女達の間には、根元に赤や白の花々が咲き乱れるヤシの木が描かれています。ヤシの木のプロムナードのようです。
よくよく見ると、顔の表情や立ち振る舞いが少しずつ違っていますよ。 -
はい。こちらが先頭部分です。聖女達は、東方三博士に導かれ、聖母子に謁見するために行列していたんですね。
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とても派手派手しい東方三博士のアップです。三人は、赤い帽子をかぶり、宝石のついたマントを羽織り、ヒョウ柄(大阪のおばちゃん真っ青!)のレギンズを穿いていて、手には聖母士への貢物を掲げています。ド派手な衣装はペルシャ風なんですって! 1500年以上前に作られたとは思えない、緻密なモザイクです。
背後のヤシはナツメヤシ。実がたわわに実っていますね。ダヴィデの★も一段と輝いていますよ。 -
最も主祭壇寄りには、四人の大天使が見守る中、緑の草原に置かれた玉座に聖母子が座っていました。
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ローマ帝国風の衣装を着けた聖母子は、ビザンティン時代特有の平面法で、表情の硬さはありますが、優雅さと上品さは伝わってきますよね。聖母子とも、右手を挙げて、祝福のポーズを取っています。このモザイクは560年頃の作と言われています。
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では反対側、後陣に向かって右側の壁に参りましょう。左側にはなかったもの。それは窓枠のモザイクです。こちらも併せてお楽しみください。
右側は、ラヴェンナの町とラテン語で書かれた豪華な宮殿から始まります。この宮殿こそ、東ゴート王国のテオドリックの宮殿の在りし日の姿です。宮殿の中央に書かれたPALATIUM とはパレスのこと。
この聖堂にほど近いローマ通りに、宮殿はありました。時間の関係で、バスの中から眺めたものの、写真を1枚も撮らなかったのは、今思えばとても残念です。
この宮殿部分のモザイクも、後年消された部分が沢山あるそうですよ。 -
例えば、城門のモザイクは全て消えていますね。
宮殿は三面(東、南、西)が横一列に並べられて表現されています。宮殿東面の右から2本目の白い柱に「手」だけが残っているの、お判りでしょうか? これも、ここにいた人物が後で消されたという証拠の一つだということです。 -
宮殿ファサードをご覧ください。PALATIUMの下の金色のモザイクの部分も、なんとなく不自然な気がします。もしかしたら王テオドリックその人がここに描かれていたのかもしれません。
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宮殿西面の柱2本目と4本目にも、「手」のみ残っていますね。明らかに、現在見るものより多くの人物像が描かれていたと思われます。
オリジナルを見たかったなあという気持ちはありますが、1500年以上も輝き続けているモザイクを見ていると、そんなことはどうだって良いという気持ちになってきます。こんな凄いものが作れた、当時の東ゴート王国の国力たるや大したものですねえ。 -
ラヴェンナの町を出発するのは、今度は男性殉教者達の行列です。こちらも26人の長〜い行列です。
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逆光で色がおかしくなってしまいました。こちら側も、殉教達の間にヤシの木を見ることが出来ます。
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窓枠のモザイクも、一つ一つ異なることに注目。一番左側の窓枠は、本日3か所目となるらせん模様です。同じ模様を見つけると、関連性があることを発見したみたいでなんだか嬉しくなります。単純細胞〜!
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あらら、一番先頭、そして4番目の殉教者だけ、衣の色が異なっていることに気が付きましたよ。
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調べてみたら、先頭のアメジスト色のマントを羽織った聖人は聖マルティーノ、テオドリックの死後、アウリス派は否定され、聖マルティーノに捧げる教会になったんでしたよね。4番目の黄金色の衣を身に着けた聖人は聖ロレンツォのようです。
聖ロレンツォ(ローマのラウレンティウス)のモザイクは、先ほど訪れたガッラプラチーディア廟堂でも見られたので、古くから彼への信仰があったという証拠にもなりますね。 -
逆光で綺麗に撮れていなかったので、ズームした写真をもう何枚か載せますね。衣についているアルファベットは、聖人の名前の頭文字なのかしら?
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左から2番目の聖人は現在、この教会が現在捧げている聖アッポリナーレ、右端はスルミナ(現在のトルコ、イズミール)の司教だった聖ポリカルポ(ポリュカルボス)です。聖ヨハネの弟子だった人です。
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右端の聖人の脇に、ナツメヤシの実発見! その前にいる聖人は、今回のイタリアの旅で私が一番最初に訪れたローマの教会が捧げていた聖クリソゴノです。
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行列の先には、4人の大天使を両側に従えた、玉座についたキリストの姿がありました。
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こちらがそのアップした1枚です。聖母子の座っていたのと同じ草原の中の玉座ですね。
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500年頃には完成していたという、この聖堂でも最も古い時代のモザイクです。長〜い月日が流れたとは到底信じられないほど、生き生きとしたキリスト像を見せてくれました。完璧!
聖母子の玉座の背もたれは先っぽに花がついていましたが、こちらは松ぼっくりです。松ぼっくりと言えば、ローマを思い出しますねえ。 -
第2段目、第3段目の一番主祭壇に近い部分をもう一度どうぞ。聖人、福音記者、預言者たちは、本か巻物かのいずれかを必ず携えているようです。
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聖母子のいる反対側の1段目と2段目です。
左側にある窓の上の部分に注目! ここにも明らかに消された跡がありますよ。 -
窓枠のフリーズを見て歩くだけでも楽しい(^^♪
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右側の窓の上の1段目のモザイクをご覧ください。「ユダの接吻」の場面です。
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主祭壇にやって参りました。身廊とはあまりに雰囲気が異なるので戸惑いを感じずにいられません。
16世紀に再建され、18世紀に装飾を施された後陣の半球部分は、スタッコでバロックバロックしています。
聖アッポリナーレの聖遺物が収められている主祭壇の周りには4本の柱のみ残されていました(6世紀)。手前の2本の素晴らしいレリーフのある柱頭が気になります。典型的なビザンティン様式ですよ。柱は斑岩だそうです。 -
主祭壇に向かって右側です。葬送モニュメントと、どなたかの殉教場面を描いたフレスコを見ることが出来ました。聖アッポリナーレでしょうか?
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こちらは左側です。中央の扉の上の黒い石を使ったモニュメントは大変美しい黒い石を使っていて、とてもユニークな形! 目を惹きます。
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今度は、身廊と側廊を隔てる列柱を見ていきましょう。こちらは確か、主祭壇に向かって左側です。
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ここでも、前にサン・ヴィターレで見て、素晴らしいと思っていた柱頭のデザインが見られました。アカンサスの透かし彫りの上部に更に十字架のついた部分があり、二つ合わせて柱頭の役割を果たしています。サン・ヴィターレのものよりはるかに素朴ですが、大理石の柱の色とマッチしています。
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主祭壇に向かって右側の柱と柱の間には、美しいレリーフのある説教壇がありました。これも大理石製です。中央の迷路のような菱形(四角形)、左右の球の上に乗った十字架の図案は今までにあまり見た記憶がありません。
もう少し詳しいことが知りたかったのですが、モザイク以外に関する解説がほとんどみつからないのがとても残念です。 -
トンドについても同様で、描かれた聖人達は誰?制作はいつ? と言う疑問に対して、答を得るすべがありません。観光客の興味はモザイクに集中しているんでしょうね。
床が1.2m嵩上げされる16世紀前から描かれていたものなのか、それだけでも知りたい気持ちで一杯でした。
おっと 左奥に礼拝堂発見! ちょっと覗いて行きましょう。 -
主祭壇に向かって右側にあった礼拝堂。わぁ〜 ここもバロックの世界です。
まずはヴォールトの壮大な天で繰り広げられるストーリーが目に飛び込んできました。 父と子と聖霊が揃っています。その手前にいる修道士の衣はフランシスコ会のもののように見えます。
おびただしい!数の天使が飛び回っていますねえ・・・ -
祭壇には、いつもと少し雰囲気が異なりますが、キリストの幼子を抱いているので、聖アントニオの彫像に間違いないでしょう。彼もフランシスコ会の修道僧でした。
祭壇の手前には、本を手にした二人の人物(修道僧?)の大理石の彫像がありました。モザイクから1000年経つと、礼拝堂はこんなに複雑な構造になるんだと妙に納得してしまいました。 -
柔らかな光が差し込む身廊部分。様々な角度からモザイクを楽しみました。光の入り方の微妙な変化で、モザイクも七変化。
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一瞬一瞬の光が演出するマジック・ショーに観客として参加できた喜びに浸りました。これ以上の贅沢はありません。
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聖堂から一歩出ると、まったく別世界が待っていました。午前中訪れた3つの建物と異なり、聖堂は思いがけず緑濃い木立の中にありました。
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こんな素晴らしい天気の日に、黄金色に煌くモザイクを見ることが出来たことに感謝。百聞は一見に如かずとはよく言ったもの。いま、その言葉の意味をずっしりと受け止めています。
興奮状態冷めやらぬまま、今度はバスに乗って、5km離れたクラッセの町に向かいます。 -
バスに乗るために駅に移動中に見つけたのは、、こちらの立派な門構えの教会です。ゴシック様式の束ね柱のあるアーチの上には三角形のペディメントが乗っていて、両側には、尖塔とユーモラスな想像上の動物が乗った柱があります。14世紀の制作だそうです。
サン・ヴィターレの前にも立派な門がありましたが、他の都市では教会の前の門ってあまり見かけませんよね。
アーチの左右には「受胎告知」、ペディメントには聖ヨハネと皇帝ヴァレンティニアン3世、右側にガッラ・プラチーディアと兵士が見えるレリーフがありました。
でも下のルーネット部分の彫刻は難解で理解不能。幕屋の前で、地を這っている人がいる不思議な光景です。
ガッラ・プラチーディアと聖ヨハネが彫られていることだけは確かなようですが、私には誰がどれなんだかさっぱり・・・ -
福音記者聖ヨハネに捧げられたこの教会は、424年になんと!ガッラ・プラチーディアによって建てられました。コンスタンティノポリからラヴェンナに戻る途中、彼女を乗せた船は悪天候のため何日も漂流しました。無事にラヴェンナに戻れたらヨハネに捧げる教会を建てると、彼女は船中で宣言したのです。
約束を果たしたのがこちらの教会です。後にここはベネディクト会の修道院となり、14世紀にはゴシック様式にリニューアルされました。
第二次大戦中に連合軍の爆撃を受け大破、戦後に復元されたそうです。 -
簡素でこざっぱりとしたファサードです。殆ど装飾がありません。
隣の鐘楼は42mの高さがあり、10世紀の建造と言われています。4つある鐘の内2つについては1208年にロベルト・イル・サッソーネにより作られたという刻印があり、おそらくイタリアで最も古い鐘なのだそうです。
入場したかったけれど、クラッセに行くバスの時刻表がこの時点ではわかっていなかったので我慢・・・ -
駅からJ夫妻と共にバスに乗って、走ること15分。なんにもない、平原に突如教会が現れました。
クラッセClasseと言うのは「艦隊」を示す言葉だそうです。ローマ帝国時代、ここには250隻の艦隊と兵器庫、弾薬庫、兵舎などが立ち並び、港は大勢の軍人やその家族、商人などで活気あふれていました。
なので、当然クラッセは港町だと思っていたのですが、どうやら港は土砂に埋まり、今では海岸からも遠く離れてしまったようです。一時はコンスタンティノポリに次ぐ軍港だったクラッセ。ラヴェンナが衰退した原因の一つにこの港の機能不全があったのかなと考えてしまいました。 -
バスは少々行き過ぎてから止まる(Fermata=停留所名はClasse Scuola)ので、サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂へは戻る格好になります。また、行きと帰りのバスの停留所が異なるので、行きにバスに乗ったときに、運転手さんに帰りの停留所の位置を尋ねることをお勧めします。
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聖堂の後陣側からゆっくりとその周りを歩いてファサードに向かいます。サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂は6世紀初頭、ラヴェンナ司教のウルシチーノによって建てられました。聖アッポリナーレは現在のシリア出身で,2世紀初頭頃にラヴェンナに来て司教となった人で、町の守護聖人です。
スポンサーはもう一人の町の守護聖人 サン・ヴィターレを建てる資金の大半を出したというギリシャ人銀行家アルゲンタリウス。2つ目の教会もこの方ですか? 一体どういうお金持ちなんでしょう?
完成したのは549年、サン・ヴィターレが建った2年後のことです。サン・ヴィターレ同様、司教マッシミアーノによって奉献されました。 -
円筒形の鐘楼は9世紀の作。窓が多く、上の4層に連窓が見えています。この鐘楼、開口部を多くとったことで、躯体の軽量化と安定性を図ることができたため、建設から1200年経ってもまだ十分に持ちこたえているそうですよ。
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道はぐるっと大回りをして、ローマ帝国時代の彫像が立つ広場を通ります。
これはこれは 皇帝陛下アウグストゥス殿。お久しぶりです。何も説明がないんですが・・・せめて、皇帝とクラッセの関係位は解説が欲しかったなあ・・・ -
ようやくファサードが見えて来ました。ここまで、バス停から約5分の距離です。
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ファサードの前は大草原。遠くに黒く点々と見えているのは牛またはバッファローの現代的な彫刻です。ダヴィデ・リヴァルタDavide Rivaltaという彫刻家の作品だそうですが、どういう謂れがあるのか、全くもって意味不明・・・ でも広々としていて気持ち良〜い!
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サンタポッリナーレ聖堂のファサードです。ラヴェンナの教会に複雑なファサードはありません。こちらも御多分に漏れず、安定性のある簡素な造りです。1階部分と2階部分の中央に、それぞれ連窓があるのが、特徴と言えなくもありません。
建築材料の一部に墓石が再利用されていたことからみて、創建当時ここにはキリスト教信者の墓地があったようです。向かって左側の部分と拝廊(ナルテックス)はオリジナルではなく、後の時代、多分鐘楼と同時期の9世紀に作られました。 -
こちらのサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂は、共通入場券に含まれていないので、別にチケットを購入します。5ユーロだったような記憶。
内部は三廊式。24本のギリシャ製の大理石の列柱が並ぶ様は壮観! 椅子以外何も置かれていないので、たいへん広く感じます。身廊の先には10段ほどの階段を上った先に後陣、後陣の両側には2つの礼拝堂がありました。 -
お楽しみは最後にと思っていましたが、「無駄な抵抗はよせ」 と何者かに囁かれたような気がして、ふらふらと後陣へ。後はお定まりの溜息か口笛か「ああ〜」とか「うう〜」とか意味不明な言葉しか出て来ません・・・
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イチオシ
モザイク画面中央で両手を広げている方が、聖アッポリナーレです。先ほど見た教会前の牧歌的な風景が不意に蘇ってきました。神々しい天の楽園ではなく、どこにでもある緑の草原で、羊たちが黙々と草を食んでいる、それが実は一番素晴らしい場所なのですよ と教えてくれているみたいです。
主人公は異なりますが、ガッラ・プラチーディア廟堂で見た、キリストの「良き羊飼い」と共通するものがありますね。 -
イチオシ
聖アッポリナーレのズームです。神への忠誠を誓い、祈りを捧げている姿だそうです。
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聖アッポリナーレの両側にいる羊たちは、全部で12匹いますので、12使徒を表しているとわかりましたが、あとの離れている3匹は誰を象徴しているのでしょうか?
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この子達と
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はぐれ子羊みたいなこちらの1匹です。
調べてみたら、この3匹は、タボール山で「キリストの変容」を目撃した聖ピエトロ、聖ヨハネ(福音記者)、聖ヤコブ(ゼベダイの子)の3人を象徴しているのだそうですよ。はぐれ子羊が、ピエトロだそうな。 -
キリストはタボール山で、預言者モーセ並びにエリヤと語り合いながら、白く光り輝く姿を弟子達に見せたとマタイ、ルカ、ヨハネによる福音書にそれぞれ記載があります。
激しくボケてしまいましたが、こちらがモーゼ。 -
そしてこちらがエリヤです。
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モーゼとエリヤのいる天上からは、虹色の雲の合間から神の手がひょっこり覗いていますよ。
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激しくぶれていますが、これがアップです。金のモザイクがふんだんに使われていることがお判りでしょう。
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12匹の羊さん達がいる草原には、木々、岩、ブッシュの間に植物が生い茂り、鳥達の囀りが聞こえてくるようです。のどかですねえ〜!
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聖アッポリナーレの頭上には、星空を閉じ込めたような丸い十字架が浮かんでいます。よ〜くみると、十字架の交差する辺りに、小さなキリスト像が見えますよ。
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宝石で飾られた黄金の十字架の上にはIXAUC 下には、SALUSMUNDI と言うラテン文字が見えます。上の言葉は調べても出て来ませんでしたが、下のサルスムンディは「世界の救済」と言うような意味でした。
星と間違えやすいのですが、十字架の左右にもαとω 最初と終わりの2文字が見えます。 -
こうやって見ていると、星は金色だけのように見えますが、拡大すると金と銀が混ざっていることが確認できます。非常に緻密で細かいモザイクにうっとりするばかりです。
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今度は半球部分の前にある勝利の門(凱旋門)を見てみましょう。
中央のトンドの中にキリスト像、そして左右には福音記者達のシンボルが並んでいます。 -
キリストのトンドは虹色の雲の合間に浮かんでいるようです。
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こうやって写すと良く分かりますでしょうか? 幾筋もの虹色の雲が、後陣の半球部分上部から続いているように見えます。
キリストに向かって左側には翼のある天使(マタイ)、右側には翼のあるライオン(マルコ)のシンボルが、それぞれ福音書を携えています。 -
向かって左側は、翼のある天使(マタイ)そして鷲(ヨハネ)と続きます。その下には、6匹の羊達が城門を出て、山に登ってくる姿が描かれていました。可愛すぎる〜!!
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反対側は翼のあるライオン(マルコ)、そして翼のある牛(ルカ)と続きます。細部に至るまで、完璧な美しさです。
羊さんが全部で27匹。12使徒がダブって、さらにピエトロ、ヨハネ、ヤコブは3たび重複しています。 -
勝利の門(凱旋門)の両端にはおなじみのヤシの木が描かれていました。
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ヤシは正義、殉教、勝利などの象徴で、いわゆる生命の樹なども、ヤシの木に着想を得て、それにアカンサスやブドウのツルなどがあしらわれたものが良く使われていますね。
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もういい加減にしろ とまた言われそうですが、何度見ても良いものは良いです。この後陣を見ただけで、ここに来た甲斐があったというもの。
このモザイク、以前から何度も映像では見ていますが、実際にこの目で見るのとはやはり何か違うような気がしました。 -
モザイクに気を取られ、主祭壇を紹介するのを忘れていましたね。
ご覧の通り、6本の蝋燭と小さな金の十字架が乗った小さな祭壇です。ここにあった聖アッポリナーレの聖遺物は、海賊などの略奪から守るために、9世紀にラヴェンナの聖アッポリナーレ・ヌオヴォ、つまり彼の新しい聖堂に運ばれたんでしたね。 -
窓と窓の間には、ラヴェンナの主な聖堂の創始者とされる4人の司教のモザイクがありました。皆左手に本を持っています。
聖エックレシオ。ラヴェンナの司教を522年〜533年まで務めました。サン・ヴィターレ聖堂の建設を命じた司教として知られています。 -
3世紀から4世紀にかけての聖人聖セヴェーロ。ラヴェンナの(公式な)最初の司教です。町の守護聖人でもありますね。320年頃に司教となり、20年以上その座についていたことがわかっています。
彼は司教としては初めて城壁内に埋葬されたそうです。 -
聖オルソ。彼については信頼できそうな文書が2つ残っています。彼はラヴェンナがローマ帝国の首都となった時(402年)にすでに司教の地位にありました。彼は412年のイースターの日に亡くなりましたが、その日が4月13日だったそうです。
ご存知の通りイースターは毎年日付が変わりますが、月の満ち干と関連するので、正確に亡くなった年が確定できたそうです。
彼はドゥオモの創建に関わった司教です。 -
聖ウルシチーノ。聖エックレシオの後任で、533年〜536年までラヴェンナの司教を務めた人物。同名のラヴェンナの医師で殉教者の聖ウルシチーノ(1世紀の人で、その信仰のために死刑になったことが後の聖ヴィターレに大きな影響を与えたとされています)とは別人です。
聖ウルシチーノの墓はサン・ヴィターレ聖堂内の礼拝堂にあります。 -
司教達のモザイクの左側にあったのは、何度も修復が施された7世紀のパネルです。描かれているのは、ビザンティン皇帝コンスタンティヌス4世(在位 668年〜685年)で、ラヴェンナの大司教からの特使に権限(PRIVILEGIAとあります。英語の特権Privilegeと同じ意味ですね。)を付与している場面のようです。
サン・ヴィターレ聖堂にあったユスティニアヌス1世のモザイクと比べると、どうしても見劣りしてしまいますね。造り手によって、モザイクの出来もこんなに違うと言うのを見せつけられたような気がしました。 -
勝利の門(凱旋門)のヤシの木の下には、大天使ミケーレ(ミカエル)と聖マタイの胸像がありました。これらは12世紀初頭の作だそう。
勝利の門のすぐ脇から、身廊と側廊を隔てるアーチが始まっています。 -
少し離れて同じ場面を写したものです。いくつもの時代に描かれた(造られた)ものがぎっしりとてんこ盛り状態! です。
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皇帝コンスタンティヌス帝4世の反対側には、祭壇に神に生贄を捧げるアブラハム、アベルとメルキゼデクが描かれたモザイクがありました。
左から羊を掲げるアベル、後方に座っているのが、パンとワインを捧げたメルキゼデク、創世記で「いと高き神の祭司」と書かれている人物です。右側はアブラハム。息子のイサクを生贄に差し出そうとしています。
メルキゼデクの右側から神の手が下りて来ています。
これは対面と同じく7世紀の作品。個人的にはこちらの方が好みです。 -
勝利の門には、大天使ガブリエル、その下の聖人の胸像には名前がありません。こちらは12世紀の作品。
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少し離れて撮った写真です。柱の柱頭、実に良いですねえ。手前の柱頭のアカンサスの透かし彫りは変わった形をしていて、ハート形に見えます。中央の柱に見える葉っぱがあまり丸まらずに上に伸びているアカンサスも物珍しく、新鮮な印象を受けました。
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残すところはあと、身廊のアーチだけになってしまいました。トンドの中のフレスコは18世紀の作品で、ラヴェンナ歴代の大司教を描いたものだそうです。
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墨流しのような、大理石の柱の文様が実に眩いです。
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アーチの先、石棺が置かれた側廊の壁は、今は単にレンガの壁となっていますが、聖堂の建設当初は、この壁もモザイクで覆われていたのだそうです。
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今度は反対側のアーチに行きましょう。左側に出入り口が見えています。
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全部のアーチを撮ったのですが、流石にこれ以上は繰り返しになりますから、やめときましょう。アーチとアーチの間のスパンドレルのフレスコが可愛かったので、下に私的なコレクションを並べました。
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神の手。この複雑な→はどう解釈するのかしら?
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光輪のある神の子羊 初めて見ました!
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白い鳩とヤシの木。良い組み合わせですね。
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先が7つに分かれた燭台。ユダヤ教ではメノラーと呼ばれていますが、キリスト教では何と呼ぶのでしょう?
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キリストと白い鳩11羽のいる十字架。鳩の数に意味があるのかしら?
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先ほどアーチの隙間から見えていた石棺は、全て時代が異なりますが、主に5世紀から8世紀にかけてのものが多いようです。何人もの姿が彫られているローマ時代のものから、シンボルのレリーフのみで簡素化、抽象化されたビザンチン時代のものまで、その数10以上あったと思います。
ローマ時代のものはほかでも沢山見ているので、ここではシンプルなレリーフのものを選んでみました。
こちらは、2匹の羊が双方十字架を銜えているもの。αとωも刻まれていますね。奥にはヤシの木も見えます。 -
これは一番シンプルだと思った石棺です。サンタポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂で見たテオドリックの宮殿を思い起こさせます。シンプル・イズ・ザ・ベストです。
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一部残っていたモザイクの床です。ここも賽銭箱と化していました。
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かつては美しく装飾されていたと思われる礼拝堂ですが、今は2本の柱を残すのみとなっています。教会として使われていたのは、いつ頃までだったのかしら?
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洗礼堂でしょうか? 柱頭の形をした聖水盤かなあ・・・
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名残惜しいなあ。ずっとここに居たい気分です。
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一度外に出掛けたのですが、思い直してもう一度徘徊・・・そうそう、1枚しかない貴重な拝廊の写真です。
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側廊から主祭壇側を撮ってみました。
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気が付くと同じような写真をまた撮っていたので、撮るのはやめて椅子に座り、後陣のモザイクを気の済むまで見つめていました。
心穏やかな幸せな時間でした。♪〜(´ε`") -
ラヴェンナに戻るバスは、確かこの辺りから乗車しました。
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バスの中から撮ったので、ひどい写真ですがお許しを。
町の入り口にあったポルタ・ヌオヴァです。教皇グレゴリウス13世に敬意を表して1580年に再建された門で、後に枢機卿ドンギが修復を行っています。形の良い美しい門ですね。アーチの間にある錬鉄製のベゼルがとても素敵! -
ラヴェンナの町に戻って、最後に訪れたのはこちらのアリウス派の洗礼堂です。洗礼堂が建てられたのは、東ゴート王テオドリックの時代の5世紀末から6世紀初頭にかけてで、先ほど訪れたネオニアーノ洗礼堂の1世紀後、聖アッポリナーレ・ヌオヴォ聖堂とは同じ頃のことです。
テオドリックはカトリック教徒(その頃は正統派と呼ばれていた)と平和共存を願っていましたが、洗礼堂は別にしたいという思惑があり、新たにここを建設することにしたようです。
561年にビザンティン皇帝がラヴェンナを手中に収めた後、この建物は正統派のキリスト教、つまり聖母に再奉献されています。 -
八角形をしていて、周りに4つの後陣があるところは、ネオニアーノ洗礼堂と変わりませんが、かつては大きな建物の付属施設だったと思われる出っ張りが目につきました。建物は現在の地面より2.25m下に作られていました。
テオドリックは洗礼堂の傍に、アリウス派の大聖堂ハギア・アナスタシス(現在のスピリト・サント教会)を建設しましたが、この教会はその後の建て替えで、彼の時代のものは何一つ残っていません。と言う意味では、この聖霊堂は現存する数少ないアリウス派の貴重な遺構の一つなのです。イタリアでは唯一のものらしいですよ。 -
この洗礼堂は、ラヴェンナで世界遺産に登録されている8つの施設のうちの1つですが、他との共通券はなく、なんと入場無料でした。ヴォランティアのような女性達によって管理されているように見受けられました。
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殺風景な内部には、洗礼盤も壁の装飾も一切ありませんが、ネオニアーノ洗礼堂と大変良く似ています。かつては床一面がモザイクに覆われており、壁はモザイクの他、大理石のパネルやスタッコで装飾されていたそうです。今は洗礼盤があったと思しき場所に、大理石のスラブを残すのみ。以前考古学調査を行った際には、床から170kgを超えるテッセラ(モザイク片)が見つかっています。
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モザイクが残っているのは、この天井のみです。中央にキリストの洗礼、そしてその周りに使徒達の行列・・・ ネオニアーノ洗礼堂のそれよりサイズは小さいですが、本当によく似ていますね。
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中央部分のズームです。比較するために、下にネオニアーノ洗礼堂の天井中心部分を載せましたので、ご覧ください。
違いはキリストは若く、髭がない事。聖ヨハネとヨルダン川の神の位置が逆であること。聖ヨハネが身に着けているのがヒョウ皮であるのがはっきりとわかること、水草を持ったヨルダン川の神が座っていること 位でしょうか? -
こちらが、ネオニアーノ洗礼堂の天井部分です。
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もう一度キリストの洗礼を見てみましょう。
興味深かったのは、聖霊(白い鳩)がキリストの頭目がけて降下中なのは、ネオニアーノ洗礼堂と一緒なのですが、聖ヨハネはキリストの頭をなでるだけで、水をかけていないこと。私の目には、鳩の口から直接水が噴き出しているように見えるのですが、これはアリウス派の教義と関係あるのかしら? -
白い鳩のアップです。鳩の口からジェット噴射しているように見えるでしょう?
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周りの行列風景にも多少の違いを発見しましたよ。
まずは、行列先頭の二人、左パオロ、右ピエトロとの間に玉座があることです。高貴な紫色のクッションが乗った玉座には、宝石で飾られた十字架が置かれています。ここには「キリストの再臨」が座ることになるのです。紫のクッションの下に見える白い布はシュラウドと言って、死体を包む布だそうです。これは意味が良く分からない・・・
使徒達は、ヤシの木と花が咲き乱れる草原にいて、ネオニアーノ洗礼堂より色鮮やかな背景の中に立っています。詩編92章にある、「 正しい者は、なつめやしの木のように栄え・・・」と言う世界です。 -
先頭の聖ピエトロはアトリビュートの鍵を持っています。こちらは彼から始まる行列で、彼の後に続く使徒達は、皆冠を携えていますよ。
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使徒達の足元の緑色は、様々な色が使われていて、おそらくモザイク完成までには数年を要したのではないかと言われています。
背景の金色のテッセラの量も半端じゃあありませんね。洗礼を受けた者が見上げた天井は、今よりさらに眩しかったに違いありません。 -
こちらは、聖パオロから伸びる行列です。パオロの顔は逆三角形が極めて特徴的で、ネオニアーノ洗礼堂のものと大変良く似ているので驚いてしまいました。パオロは彼のアトリビュートの一つである巻物を携えています。
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よく見るとヤシにもいろいろな種類があり、右側の2本は竹のように節がありますね。
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全体的には、ネオニアーノ洗礼堂のモザイクに比べると、線が強調されている分より漫画チックで分かりやすいですが、使徒たちの表情とか仕草における表現力に欠ける気がしました。
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ご覧の通り、天井以外の壁は装飾が徹底的に剥されています。個人的にはより天井に集中することが出来て、この方が好みですが、以前はネオニアーノ洗礼堂に似た内装だったのでしょうか?
窓からの光の方向により、天井のモザイクはここでも刻々と色を変えて行きます。 -
キリスト教の宗派による違いについては、殆どわからぬまま、まだ幼い少年のように見えるキリストを暫し眺めていました。
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外に出ると、すぐそばにかつてのハギア・アナスタシス(現在のスピリト・サント教会)が見えましたよ。正面のポルティコは16世紀に付け加えられたものだそうです。
殆ど改修されていて面影はないものの、教会内部の配置はアリウス派時代から変わっていないと聞いたので、ちょっと覗いて行こうと思いましたが、もうすでに午後の見学の時間が過ぎていました。残念! -
世界遺産に登録された「ラヴェンナの初期キリスト教建築群」のうち、時間の都合でテオドリックの廟だけ訪問できませんでしたが、小さな町なのでボローニャからの日帰りで十分楽しむことが出来ました。大大大満足の1日となりました。
個人的には、再訪してもっと徹底的に街を歩きたいと思っており、次回はテオドリック関連(宮殿、廟)、国立博物館、TAMO(モザイク美術館)を含めて回りたいと訪問したその翌日から夢想しております!
写真は駅に向かう途中、ローマ通りの北側に見えたポルタ・セッラータ。北ラヴェンナへの玄関口です。大理石とイストリア産の石で作られていて、1235年には文書に名前が残っています。尤もラヴェンナでは「新人」の部類かもしれませんね。この後は1枚も写真を撮っていませんよ。今日1日お付き合いくださったJ夫妻とのおしゃべりに夢中で、ボローニャまであっという間に着いてしまいました。
明日はまた、ボローニャを見ずに遠出しますよ。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その76 モデナで!
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この旅行記へのコメント (4)
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- マリアンヌさん 2016/09/16 15:46:18
- サンタボリナーレ☆
- Ciao!
私は、数あるモザイクのなかでも、この羊さんが大好きです。
ほっこりしますよね。
帰国してからじっくり拝見します。
アプリカーレより
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/09/16 21:22:59
- RE: サンタボリナーレ☆
- マリアンヌさん こんばんは
サンレモ近くの絶壁の町アプリカーレですか?
流石はマリアンヌさん。通の行くところですね。
帰ったら、旅のお話たくさん書いてくださいね。
お待ちしています。
ありがとうございました。
junemay
> Ciao!
>
> 私は、数あるモザイクのなかでも、この羊さんが大好きです。
> ほっこりしますよね。
>
> 帰国してからじっくり拝見します。
>
> アプリカーレより
> マリアンヌ
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- とし坊さん 2016/09/16 05:36:18
- 素晴らしい
- やはり素晴らしいですね
そしてjunemayさんの解説の素晴らしさに見入ってしまいました。
ホンマに行きたいです ラヴェンナ
今後共ヨロシクです(^O^)
- junemayさん からの返信 2016/09/16 11:28:22
- RE: 素晴らしい
- とし坊さま こんにちは。
ラヴェンナを楽しんでいただけて良かったです。ここまで来るのに時間かかりすぎですよね。ラヴェンナからクロアチアまでの海岸線上には、いまだにモザイクで飾られた教会がたくさんあると聞いて、私もまた行きたいと思っています。
私は大学卒業後、ずっと子育てしながら共稼ぎしていましたので、50代で会社を辞めるまで、ヨーロッパとは無縁で、国内とアジア、オセアニア専門でした。今は時間だけはたっぷりあるので、マイペースでの旅行を楽しんでいます。教会と美術館に興味のない夫は、以前は一緒に行っていましたが、今はもっぱらお留守番です。
旅はまだ続きます。もう少しお付き合いいただけると嬉しいです。
junemay
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