2015/05/29 - 2015/05/29
24位(同エリア205件中)
junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
ラヴェンナ最初の訪問場所サン・ヴィターレとガッラ・プラチーディアがあまりに美しすぎて衝撃を食らいました。暫しこの余韻に浸りたい・・・と願いましたが、外に出るとそこにはただありきたりのレンガ造りの建物が建っているだけで、「それはね、きっと夢だったんだよ。」と囁かれてしまいます。
そうか、夢だったんだ・・・それ以外考えられないわね。頭をはっきりさせるために、首を左右に何度か振って、また、とぼとぼ歩き始めました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ガッラ・プラチーディア廟堂から再びサン・ヴィターレ聖堂を経由して外に出ます。
サン・ヴィターレ聖堂に隣接する、鐘楼のある建物です。ガイドブックには一行も出てこないけれど、現在国立博物館になっている建物なのかしら? -
鳥除けの網の聖で、とても見にくいのですが、翼の生えたドラゴン(ライオン?)と壺が交互に並ぶフリーズのレリーフがとても美しかったです。サン・ヴィターレ聖堂だけがもてはやされるけれど、周りの建物の説明も少しほしいですね。
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鐘楼のある建物にも入ってみたいと思いましたが、どこにも入口が見つかりません。辺りには野ざらしになった石棺がいくつか見られました。
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先ほどガーラ・プラチーディアの廟堂でも見た石棺に似ています。蓋の部分のうろこ模様って沢山作られていたんですね。
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上の写真の門の所から、名残惜しそうに振り返って写真を撮ります。この外観からは想像できないような世界が待ち受けていました。期待以上だったなあ。ラヴェンナの黄金時代のモザイク。
東ローマ帝国のモザイクはイスタンブールのアヤ・ソフィアに少し残っていましたが、そのほとんどが、8、9世紀に出たイコノクラスム(聖像破壊運動)によって破壊されてしまったのです。ですから、現存しているのはイタリアの地にあったラヴェンナだけということになります。 -
銅板で作られたサン・ヴィターレのレリーフ。盲人の人が触って確かめられるように作られているようです。グッドアイディアですね。
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遠くに見えた円筒形の鐘楼に引き寄せられました。ラヴェンナに来てからというもの、鐘楼=円筒形と言うのが頭に刷り込まれてしまいました。
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サンティ・ジョヴァンナ・エ・パオロ教会。またの名を守護天使達の教会と言います。バロックのファサードと古めかしい鐘楼が全くもってマッチしていません。
この教会も創建は5世紀か6世紀に遡ります。9世紀に建てられた鐘楼は、よくよく見たら、途中まで四角形、上部のみ円筒形になっていました。円筒部の3層のみに窓があり、中間層の窓は連窓になっていました。高さが18.3mあるそうです。 -
ファサードはトスカーナ風の壁柱が4本、中央には三角形のペディメントのある大きな窓があります。現在のファサードは1758年にドメニコ・バルビアーニによって行われた修復の結果だそうです。
うう〜ん。レンガの鐘楼にはレンガのファサードの方が似合いますねえ。昔の教会を見てみたい気分です。
残念ながら、教会は閉まっていました。 -
ボローニャもそうでしたが、北イタリアに来て、すぐに気が付いたことは自転車の数が半端でなく多いこと。アップダウンの激しいウンブリアと異なり、平坦な道が多いからなのでしょうが、そのせいか、町には駐車車両が少なくてすっきりと見えます。
旧市街の狭い路地を歩くとき、ひっきりなしにやってくる車と駐車車両に挟まれて怖い思いをしていたので、とても好感が持てました。自転車万歳! -
とある共同住宅の玄関の扉が開いていたので、覗いたときにこのモザイク画があるのに気が付きました。面白い構図だったので、迷わず撮って後で調べたら、とても貴重なモザイク画であることがわかりました。勿論、これは複製でしょうけれどね。
1993年に聖エウフェミア教会近くで建設工事を行っている最中に、地下3mの所からビザンティン時代の家が発見されました。家は14部屋あり、3つの中庭がついていましたが、いずれもふんだんに色を使ったモザイク画で覆われていたのです。
こちらは、その中から発見された、これまであまり見たことのないダンスをしている場面のモザイク。「四季の遺伝子の踊り」というタイトルが付けられているそうです。お手〜て、つ〜ないで、どんな踊りなのでしょうね。
後の祭りですが、前述の聖エウフェミア教会からこの「石のカーペットのある家」に入場できたのだそうです。また行くしかないね。 -
次の目的地 ネオニアーノ洗礼堂のあるドゥオモが見えて来ましたよ。今回ドゥオモを見学する暇はなかったのですが、5世紀の聖ウルシアーナ聖堂がその起源となっているそうです。青い屋根のクーポラと鐘楼(やはり円筒形)が目立ちますね。現在の建物は1734年に完全に建て直されたものだそうで、内部には初期キリスト教の石棺などが置かれていると聞きました。日帰りのラヴェンナ訪問だと、見学する時間を取るのは難しそうです。
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手前のラスポーニ通り沿いの広場に、こんなモザイクのモニュメントがありました。石にモザイクを貼りつけたものかしら? 緑の背景に咲くユリの花一輪。
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反対側はこんな感じでした。別の石の上に咲く、受胎告知で御馴染のユリの花は全部で7本(あっ 1本見えていないや!)。こちらもモザイクが丁寧に貼られています。何の説明書きもなかったけれど、最近のアーチストが作った作品なんでしょうね。ラヴェンナらしいモニュメントだと思いました。
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広場に続く小さな公園に入ってみます。ラスポーニ公園または「忘れられたハーブの園」と言う名前がついています。
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様々な色の花が咲き乱れている小さな癒しの空間でした。他にも、古くから薬として用いられて来たハーブや、地中海料理用に使われる一般的なハーブが沢山植わっていました。
真ん中には古い井戸がありました。入場無料。街歩きに疲れた時に最適な場所ですよ。 -
先ほどから見えていたドゥオモの鐘楼が目の前に現れました。ここはドゥオモの後ろ側に当たりますが、観光客は皆ここに集まります。
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お目当ては、こちらのネオニアーノ洗礼堂。6世紀前半を中心にラヴェンナの町を支配していた東ゴート王国の王テオドリックはキリスト教のアリウス派と言う宗派を信仰していました。約50年程後に建てられたアリウス派の洗礼堂と区別するために、こちらの洗礼堂はオルトドッシ(正統派)と呼ばれています。
オルトドッシを英語で言えばオーソドックス。これは正教会(ギリシャ正教)を意味する言葉ですが、東ローマ帝国の宗教は正教だったので、私は最初、正教会の洗礼堂と考えてしまいましたが、違うようです。カトリックの洗礼堂でした。
八角形をした、レンガ造りのラヴェンナらしい建物です。司教ウルススの手により、4世紀末〜5世紀初頭に建てられたと言われています。5世紀後半、司教ネオーニの時代(在位 450年〜475年)にモザイクが加えられたので、ネオニアーノ洗礼堂と呼ばれています。ガッラ・プラチーディアと同じくらい古いんですねぇ〜 今の地面より3m下に建っていたそうですよ。 -
中に入ると、まずは大きな窓の上にある八角形の天井に目が行きます。またしても、見事なモザイク! 天井一面がすべてモザイクで覆われています。
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天井全体が三重円になっていることがわかります。中央に、キリストの洗礼場面が描かれた大きなモザイク画。その周りを12使徒が囲んでいます。その外側には、3枚1組になった祭壇、福音書の乗った4本柱のある建物などが描かれています。
いずれも濃い青の背景に、金を多く使った煌びやかな世界が演出されています。 -
こちらが中央の洗礼場面のアップです。場所はヨルダン川。キリストの肩のあたりにそう書いてありますよ。水の中にいるのはヨルダン川を擬人化した老人。彼が両手に抱えているのは、この後キリストが身に着ける衣服だそうです。それに葦。これは川の象徴かしら? 聖ヨハネが葦で作られた十字架を持っているのを見かけたことがあります。
白いハト(聖霊)がキリストの頭目がけて降下中です! -
聖ヨハネは杯のようなもので、キリストの頭に水をかけています。キリストと聖ヨハネの顔については18世紀に作り替えられたそうです。そのため、以前とは異なる描写となっている可能性があります。
先ほどの聖ヴィターレで見て来たキリストとこちらの髭のあるキリストではかなりのイメージギャップがありますね。 -
2段目の詳細を見ていきましょう。
白と金の衣服に身を包んだ12使徒たちの行進(プロセッション)の様子が描かれています。手には殉教者の印である王冠を持っています。
行列は一番左に見える使徒聖ピエトロと、彼と向かい合っている聖パオロから始まっていました。 -
使徒達の頭の上からは枝付き燭台が吊り下げられていて、燭台と燭台の間には白地のドレープが垂れ下がっています。全体を見ると、まるで一つの白い花弁のように見えます。
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今度は頭が薄く描かれている! 聖パオロとその後ろに続く行列です。
使徒と使徒の間にある植物はアカンサスでしょうか?植物は緑ではなく、黄金色に輝いていますね。 -
美しすぎて、洗礼堂の中を頭を上に挙げたまま、何周もしてしましました。
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少し頭を戻しましょう。堂の中央には、大きな八角形の大理石で作られた洗礼盤が置かれています。この洗礼盤は、16世紀にオリジナルに忠実に再建されたものだそうです。
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但し、中央に見える十字架のついた説教壇は5世紀まで遡ると言われています。現在の洗礼盤は、あたかも賽銭箱のようでした!
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天井の外周(3周目)に戻りましょう。
その下の部分は八角形の各辺にあるアーチです。アーチの縁はモザイクですが、奥のニッチェの部分はフレスコで描かれているようです。
上のモザイクはエゼドラの部分に建っている福音書が乗った4本柱の小さな神殿と両脇は後陣(アプス)のある空っぽの椅子です。
下のフレスコは馴染みのある唐草模様ですね。 -
次のモザイクは、エゼドラ部分に玉座が置かれています。鉛筆のように2本見えるのは玉座の脚でしょうか? 細かい装飾が施されていますね。両側はフェンスに囲まれた美しい庭園になっているようです。
下のフレスコは向かい合ったクジャクとブドウのツルのように見えます。 -
福音書の置かれた神殿と玉座が交互に続きます。ここに描かれているのは、この洗礼堂で洗礼を受けた者達が目にするかもしれない天国の庭と神の王国の神殿のようです。4つの福音書に合わせて、神殿も4つ用意されているんですね。
下のフレスコは、唐草模様の様々なパターンが展開されます。 -
玉座の番ですよ。玉座にあるドレープや脚の色が少し異なりますが、基本は同じ。フェンスのデザインが異なるのでお楽しみいただけると思います。
フレスコの唐草は花を咲かせています。 -
今気が付きましたが、椅子の脚は動物の足の形をしていますね。いわゆる猫足と言う奴です。こんな古い時代からあったんですね。
アーチのスパンドレル部分に描かれた植物(これもアカンサス?)の葉が、クジャクの羽のように色鮮やかです。
下のフレスコに描かれているのは、羽の生えた馬? と唐草(アカンサス)です。この1枚は少々状態が悪いです。 -
これは、私としては珍しく、鮮明に撮れていますね。上部十字架の左右にあるモザイク片がキラ☆キラと輝いています。
フレスコです。こちらはまさしく鹿ですね。立派な角の形で分かります。 -
両脇に置かれた椅子の脚が、蛇の頭のように見えませんか? ちょっと不気味。
フレスコはブドウのツルのような唐草でした。 -
八角形の辺の最後です。同じように見えても、よくよく見ていくと、異なる点や新しい発見がありますね。
下のフレスコは修復された物かなあ。二つの取っ手付き壺に植えられたアカンサスがとても鮮明でした。 -
詳細ばかりで、全体像が掴みづらいと思いますが、今まで見てきた部分は、こんなイメージです。窓と窓の間のスタッコ装飾にはあまり関心がなかったので、あまり真剣に撮っていません。
スタッコには以前色が塗られていたそうですが、今は色は見えませんね。預言者達のレリーフが刻まれています。 -
疲れたので、再度頭を下におろして休めます。今度は低い位置にある部分を見て歩くとしましょう。放射状に4つある後陣のエゼドラ(半球部分)と祭壇のある部分です。
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お馴染みのスパイラルの連続模様は、英語ではPhytomorphicと呼んでいます。「葉と茎、または分岐で構成されるローマ起源の装飾モチーフ」と言われても、具体的なイメージ沸いてこないよなあ・・・ やはり画像を見るに限ります。
モザイクは20世紀になってから修復されたもののようですが、壁一面がこの唐草模様でした。
外に突き出したエゼドラの後陣については、洗礼堂の一番最初の外観写真をもう一度見て下さいね。外側に突き出ている部分が確認できますよ。
この後陣の内部には装飾もなく、十字架がぽつんと置かれているだけでした。 -
アーチの縁飾りのらせん模様、先ほどガッラ・プラチーディア廟堂で見たのと同じ螺旋模様ですね。
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こういう丸や長方形の形に大理石のスラブを貼りつけたパネルを以前にも方々で見ましたね。何模様と呼ぶのかな? 大変ゴージャス。こちらはエゼドラのない部分です。
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縁飾りは植物の芽と実のように見えます。
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アーチとアーチの間のスパンドレル部分には預言者たちのモザイクがありました。
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このモザイクの預言者は手に巻物を持っていました。預言者たちの背面には、金が贅沢に使われていますね。
アカンサスの唐草模様が、上の写真とは随分入り方が違うので、比べてみてください。上の写真ではアカンサスの茎が不鮮明になっているようです。 -
続いての後陣には燭台が置かれていました。
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縁飾り…これは何の模様でしょう?
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預言者が左手で抱えている大きな書物から血が滴り落ちているように見えるのは私の目の錯覚かしら? 赤い数珠を持っているのかな?
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どの預言者も、唐草がマンドルレ(アーモンド)の形に切り取られた空間に立っていました。
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対面の祭壇とは、丸と長方形の大理石の位置と色が逆になっています。7枚前のものは両側が〇、今度のものは中央が〇です。
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縁飾りは対面のものと同じように見えましたが、この模様、写す角度や光の加減により色が変化するんですよ。
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ご覧ください。アーチの中央付近だと、上の写真で曖昧な色に写っていた色が鮮やかな青に変化しましたよ。こんな色だったんだ! 中央には意味深長なシンボルが描かれていました。
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三番目の後陣のニッチェには取っ手付きの壺が置かれていました。
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あと預言者のモザイクを何枚かご紹介。これはメタボ気味の預言者。預言者ってほとんどガリガリなんだけれど・・・
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こちらは若くて、まだ少年と言っても良いような年頃に見えます。コスチュームも他の人達のものと異なり、なんだか現代の寝巻のような感じ。
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預言者最後はこちらの右手を挙げて、OKサイン?の方。多分入り口で、アーチが切れた部分にあったモザイクです。
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四番目最後の後陣はなぜか縁飾りだけ。何も置かれていなかった可能性大です。十字架と、2本並んだ筒状の枝?とその先の葉が神秘的。初めて見る模様です。解説がないのが残念。
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他にもこんな縁飾りがありましたよ・・・花と十字架の美しい文様です。本当にきりがありません。
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もう一度天井を長い間見つめてから、洗礼堂を後にしました。完全にラヴェンナの魔力に取りつかれてしまった自分がいました。
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洗礼堂を出ました。おお〜 外側の壁の中程に、馬に乗った人のレリーフのある石板を発見! 解説を見ると、ローマの騎士が描かれたレリーフなのだそうですよ。
実に飾り気のない外観ですが、今まで訪れた3か所とも、外観からは想像できない素晴らしい世界が内側に広がっていましたね。 -
次の目的地、大司教付属博物館へは、ドゥオモ(大聖堂)の裏側の道を進んでいきます。18世紀に建て替えられたとは思えないほど、こちらも古色蒼然としています。300年近く前なので、十分古いのですが、ヨーロッパの場合、300年前なんて新しいと思ってしまうところが恐ろしいですね。
大司教付属博物館には、建て替えられる前にあったドゥオモから移された貴重なモザイクが所蔵されています。 -
ドゥオモ広場にやって参りました。私としたことが、現在のドゥオモのファサードを1枚も撮っていないのに気が付きました。これはファサードを背中にした1枚。広場の中央には聖母像が乗った塔が見えました。2010年に建てられた新しいモニュメントだそうです。
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広場で気になったのは、こちらの円筒形の教会 聖ジュスティーナ教会です。こちらも新しい! 1747年〜51年の建造と言うますから、わずか370年前の建物でした。なにせ5世紀とか6世紀と言う建物ばかり見て来たので、感覚がおかしくなっています。
その前から聖ジュスティーナに捧げられた教会は存在していたのですが、荒廃していたために、ドゥオモの再建と時を同じくして、こちらも再建されたようです。直径が13mもある円筒形は目を惹きますね。 -
大司教博物館へは、こちらの階段を上っていきます。残念ながら、大司教付属博物館は撮影禁止のため、写真はありません。とても小さな博物館で、1743年に誕生した時には宝石細工の間と呼ばれていました。
博物館の至宝は、象牙の細かいレリーフが刻まれた椅子「マッシミアーノの司教座」(サン・ヴィターレ聖堂のモザイクにも描かれていたラヴェンナの司教の椅子です)で6世紀のもの。他にも、モザイクの美しい壁画やモザイクに覆われたヴォールトやアプシスがありましたが、いずれもラヴェンナ華やかなりし頃の作品でした。 -
博物館見学後は、昼休みに入っているドゥオモを諦め、もう一度ネオニアーノ洗礼堂を横目で見ながら、お腹を満たすことにしました。
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サンドイッチと野菜の揚げ物の簡単な食事を済ませます。とても感じの良いカフェで、「熱いミルク入りコーヒー」を頼んだら、コーヒーポットと熱いミルクのグラスが別々に出て来て吃驚! 普段は写真を撮らないのに、どうもそれに感激したみたいです。
イタリアでは熱いカフェラッテを飲みたいと思ったら、カフェ・コン・ラッテ・カルダと頼まないと、ぬるいコーヒーが出て来てしまいます。 -
町中で見かけたモニュメント。多分「エジプトへの逃避」。
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途中にあったカドゥーティ・ペル・ラ・リベルタ広場。自由のために戦死した人達の広場 ってな感じでしょうか?
先に見えている建物はパラッツォ・デッラ・プロヴィンシア。かつてのラスポーニ家の邸宅で、1886年以降はホテルとして使用されてきました。
もう少し近寄っていきます。 -
広場を曲がるとすぐ右に、パラッツォ・プロヴィンシアのキオストロが見えます。
古い時代の石材を利用していますが、殆どは1922年の火災で焼失した後再建されたものです。 -
プロヴィンシア宮殿前の広場に立つと、奥に聖フランチェスコ教会が見えました。この教会も歴史は大変古く、最初の教会は先ほど見て来たネオニアーノ洗礼堂にモザイク装飾を作らせた司教ネオーニの命を受け、450年頃建てられました。勿論、その頃まだフランチェスコは生まれていないので、最初の教会は使徒聖ピエトロと聖パオロに捧げられていたそうです。
教会は9世紀後半から10世紀にかけて再建され、新たに鐘楼を建設。1261年にはフランシスコ修道会に引き継がれました。 -
1321年にダンテ・アリギエーリの葬儀が行われたのはこの教会です。
1921年、ダンテの死600周年を機に、18世紀終わりごろに施されたバロック装飾をすべて剥がし、オリジナルに近い様式に戻したようです。
シンプルなレンガ造りのファサードで、たった一つの扉の上には連窓が見えます。鐘楼は9世紀のもので、1921年にモデルチェンジを行い、3層にわたる窓が付けられました。高さ32.6mあるそうです。四角い鐘楼は久々。 -
教会は閉まっていたので、仕方なく次に参ります。オッと、このツタの絡まった塚はなんだろう? と思って近づいていったら、こんなことが書いてありました。
「1944年3月23日から1945年12月19日まで、ダンテの骨はこの塚の中に埋められていました。」
わぉー! 第二次大戦中のことですね。これから詣でるダンテの墓は18世紀には出来上がっていたはずなので、爆撃による被害を恐れて、ラヴェンナの人々はダンテの墓を一時的にこちらに移したのでしょう。ダンテはラヴェンナの人達にかくも大切にされたんだということを物語るエピソードですね。感激! -
昨年私はフィレンツェのサンタ・クローチェのダンテの祈念碑の前でこう綴っています。
(以下引用)
ダンテ・アリギエーリは、ルネッサンスの先駆者で、イタリア文学界を代表する詩人、哲学者です(1265年〜1321年)。
ダンテは、フィレンツェで政争に巻き込まれ、欠席裁判でフィレンツェからの永久追放、戻ったら死刑を言い渡されたため、イタリア北部の都市を放浪して回る人生を送りましたが、彼の一番の傑作と呼ばれる神曲は、この苦しい時期に書かれたものです。
ミケランジェロは彼の死後200年たった頃に、記念碑の建築を提案しましたが、フィレンツェのシニョリーアはこれを拒否。今となっては、ミケランジェロのプランがどのようだったか想像すらできません。
その後、フィレンツェはダンテの亡くなったラベンナに対し、時には軍隊まで差し向けて、遺体を返すように求めましたが、その都度、ラヴェンナの人々は、遺体を修道院の壁の中に隠して、断固返却を拒否したそうです。
この祈念碑は、リッチ・ステファノにより1819年から1830年にかけて作られました。ちなみに、彼の遺骨はいまだにラヴェンナにあるそうです。2008年、フィレンツェは彼の死刑判決を正式に取り消したとのこと。いやはや、ついこの間の出来事ではないですか!
詳しくはこちらを見て下さいね
http://4travel.jp/travelogue/10934792 -
昨年以来、ラヴェンナを訪れたらダンテの墓参りをしようと心に決めていました。どう考えてもフィレンツェは身勝手じゃあないですか!
ダンテの墓は、1780年〜82年の間に、枢機卿ルイジ・ヴァレンティ・ゴンサーガの命により、ラヴェンナの建築家カミッロ・モリージャによって建てられました。枢機卿は、体裁の整ったダンテに相応しい墓を作り供養したいと願ったのです。
前述の通り、詩人の遺体はフィレンツェから返還を求める執拗な攻撃から守るために、何世紀にも渡り、壁に塗りこめられた小さな礼拝堂に保管されてきたからです。 -
枢機卿ゴンサーガが命じたという記載のある碑文が壁にありました。
それにしても、ダンテの墓はどこにあるのでしょう? 見つからな〜い! -
これじゃあないでしょうね? (まだ見つからない・・・)
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うろうろしていたら、近くにいた人が教えてくれました。なんと墓のあるQuadrarco di braccioforteという名前の廟堂の前に立っていたのに、気が付かないとは!
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こちらが、その廟堂です。ネオ・クラシカル様式のとても小さなお堂です。枢機卿ゴンサーガの紋章が恭しく掲げられていました。その下にはラテン語でシンプルに
ダンテ 詩人の墓
と書かれていました。 -
全面が大理石とスタッコに覆われた内部です。棺には1366年にベルナルド・カナッチョが捧げたエピタフが刻まれていました。
棺の上は1483年に制作されたピエトロ・ロンバルドによる美しいレリーフで飾られています。
私は帰るまで知らなかったのですが、釣り下がっている金のランプの油はフィレンツェから奉納され続けているのだそうです。せめてもの罪滅ぼしでしょうかねえ。 -
墓前の花輪は1921年に第一次大戦の退役軍人たちから寄贈されたもので、ブロンズ製だそうですよ。
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こちらが、花輪を贈った退役軍人会の壁の碑文です。やはり1921年となっていました。
ダンテの墓、と言うより彼の骨の安置場所の変遷については、今回ラヴェンナに来て初めて詳細を知りました。何枚か前の写真でフェンスの中に見えた二つの石棺の一つは、やはりダンテの墓として用いられた時代があったようです。
何故ラヴェンナがこんなに彼の骨に執着したのかは分かりませんが、彼らは何度も墓の場所を変更しています。15世紀末以降、フィレンツェが最も有名な市民であるダンテの遺物の返還を要求し始めてからは、ラヴェンナはさらに警戒を深めるようになりました。なぜって、メディチ家出身の教皇(レオ10世、クレメンス7世)が2代も続いたからです。フィレンツェが強硬手段に出た時、骨は石棺のどこにも見つかりませんでした。聖フランチェスコ教会の修道士たちが事前にキオストロに秘密の穴を開け、そこに隠したのです。
1782年に現在の墓が出来た後も、危機は終わりませんでした。1810年、今度はナポレオンの登場です。この時も修道士たちは事前に骨を今度はキオストロに隣接する礼拝堂内に隠しました。それから暫くの間、骨は1865年に偶然発見されるまで本当に行方不明になっていました。
最後は第二次大戦です。先ほど見たこんもりとした塚の中に、骨壺は1年余り疎開していたのです。 -
ダンテさん。郷土出身有名人の記念碑を自分達の町の教会内にずらりと並べて、盛んにその素晴らしさをアピールしている町より、ここの方が貴殿の終の棲家としてずっと相応しい気がしますよ。
ラヴェンナに着いて以来、人々の貴殿への愛情を、その温もりをそこここで感じて来ました。この町以上に貴殿にとって安全な場所はありません。来たるべき危機に対しても、町の人達は断固として戦ってくれるはずです。ゆっくりお眠りくださいね。 -
ついでにお寄りしたのは、隣にある聖フランチェスコ教会の付属施設フランシスコ会修道院の中庭と回廊です。ここにあるダンテ博物館は、1921年、ダンテの死から600年を記念してオープンしました。「ラヴェンナがダンテの人生に及ぼした影響・役割」がテーマだそうですよ。今回は時間の都合で割愛しました。
広々とした芝生の真ん中には古い井戸と二体のブロンズ像がありました。 -
そして、ダンテの墓からほど近いところにあった、ラスポーニ家のクリプトにもお邪魔しました。先ほど見たパラッツォ・プロヴィンシアの地下にあります。元々ここはラスポーニ家の持ち物でしたね。1922年に建物は殆ど壊されて、オリジナルで残った部分はこちらのクリプト部分だけのようです。
現在は市が管理していて、入場料は2ユーロでした。 -
尤もラスポーニ家では、クリプトを本来の目的(葬儀礼拝堂)のために使用したことは殆どなかったようです。建物は3つの部分から成り立っています。
入口は、19世紀に作られたネオゴシック様式の塔の基盤部分に当たります。 -
こちらが後刻見た塔です。屋上庭園に隣接しています。
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二番目はこちらの部屋です。中央に石の水盤のようなものが置かれています。宗教的儀式を行う部屋だそう。
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そして三番目の部屋が礼拝堂になっていました。大きなクーポラのある丸い形をした部屋です。
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見どころはこちらの床。このモザイクは近くにあった聖セヴェーロ聖堂から運ばれたモザイクの床です。
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イタリア語の説明板を苦労して訳してみたところによると、聖セヴェーロ聖堂はかつてラヴェンナにある聖アッポリナーレ聖堂と勢力を二分し、双子の教会と呼ばれていました。大変素晴らしい6世紀のモザイクの床があったとされています。聖堂はラヴェンナの衰退期にもよく耐えましたが、次第に見捨てられ、ついに1820年頃壊されたと言います。
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1800年代の初めにラスポーニ家はここにクリプトを建てた際に、いくつかのモザイクの断片を聖堂からここに運び、礼拝堂の装飾に使ったのです。
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モザイクは所々剥がれていましたが、魚の形ははっきりと残っていますね。
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何種類かの鳥、そしてユリの花も見ることが出来ました。左側に角の生えた動物の姿も見えます。ガチョウ、雄鶏、蛇などもいるようですが、探せませんでした。
いずれにしろ、この床のモザイクは、何種類かの床の一部の寄せ集めで、体系化されたものではありません。しかし、モザイクの貴重さに気が付き、ここに運んだラスポーニ家の人々のおかげで、現在見ることが出来るのだと思うと、感謝するしかありませんね。 -
興味深かったのは、クーポラのヴォールト中央にある卵型の物体です。石を加工したものだそうで、横に碑文が書かれていました。
sic vita pendet ab alto 日本語にはうまく訳せません。「It hangs from the high life.」意味深長ですなあ・・・ -
クリプタから階段を上っていくと、ルーフガーデンに出ます。まるで別世界のような明るい居心地の良い庭園です。誰もいないのがちと寂しい・・・
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ちょうど聖フランチェスコ教会の裏に隣接していて、ここから教会の裏側と鐘楼がよく見えました。
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聖フランチェスコ教会の裏側にある建物かしら? 連窓が美しい・・・
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ルーフガーデンに面したプロヴィンシア宮殿(庭に面した玄関もありました)はモダンな建物に見えました。屋上(2階)とは思えないほど緑が豊かです。
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宮殿の前にあった曲線が美しい噴水です。
さてと、一休みしたのでお次に参りましょう。 -
フランチェスコ教会から北に向かってコッラード・リッチ通りを歩いているときに見つけて飛び込んだ教会。サンタ・マリア・マッダレーナ(マグダラのマリア)教会です。1750年創建と言いますから、この町では古い方ではありません。レンガで作られたバロック様式のファサードは建築家ファウスト・ペッリチョッティによるものです。
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所謂観光客向けではない、一般の教会の様子を見たかったのですが、残念ながらミサの最中だったため、すぐに退散しました。内部は一廊式で、バロックにしては簡素な造り。主祭壇の絵画は18世紀のラヴェンナが生んだ最も重要な画家と呼ばれているアンドレア・バルビアーニの作品です。
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壁にかかっていたモザイクは、2002年に列聖されたピエトレルチーナのピオ。予言や病気治癒の奇跡で有名な、カプチン会のピオ神父(1887年〜1968年)です。1910年には祈りの最中に聖母とキリストが現れ、彼に聖痕を与えたという話は大変有名です。
彼はサンタ・マリア・マッダレーナ教会(カマルドレーゼ会)とは宗派の異なる修道会の聖人ですが、何故ここにあるんだろう??? -
すっかり日が差し込まなくなった通りを歩いて、たどり着いたのは・・・
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どこかで見たことがあると思ったら、朝一番で訪れたポポロ広場でした。
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広場には、朝の時間にはまだなかったカフェが椅子やテーブルを目いっぱい広げて大賑わい。と言っても、夏のシーズンと異なり、5月のイタリアはご覧のような好天に恵まれ、観光日和が続いている割には人は少ないと思います。行かれるなら5月が狙い目ですよ。
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広場の反対側にやってきました。正面の時計塔があるのは、イタリア労働銀行の旧本社だった建物で、90度の角度で接触しているお隣の県庁の建物と屋上を共有しています。ダンテの墓を手掛けたカミッロ・モリージャの設計で、県庁の屋上からなら、彼が手掛けた二つの建物を一度に両方見ることが出来るそうですよ。
時計塔と道を挟んで隣にあるのはサンタ・マリア・デル・スッフラジョ教会。1728年に建てられたバロック様式の教会です。 -
ポポロ広場の標識までモザイクでしたぁ!
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ポポロ広場に隣接する、今度こそ間違いないジュゼッペ・ガリバルディ広場で、どことなくユーモラスな国民的英雄の像と対面しました。今回、ラヴェンナには、二つのガリバルディ広場があることを知りました。
背後に見えている建物は、テアトロ・アリギエーリ。ダンテの名前がついた劇場です。細長い建物で、ファサードは写真の右側にあります。
ここから午後のハイライトの1つ、サンタポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂に向かいます。
長くなりましたので、この続きは イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その75 ラヴェンナ3で!
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この旅行記へのコメント (5)
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- マリアンヌさん 2016/09/09 13:36:28
- 古都ラヴェンナ
- こんにちわ。
やはり一般的な観光地以外のディープなラヴェンナは素晴らしいですね。
モザイクに溢れてますね〜
発見されたダンスのモザイク、おまけにピオ神父まで!
続き楽しみにしてます🎵
シャルル・ド・ゴールにて
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/09/09 18:06:05
- RE: 古都ラヴェンナ
- マリアンヌさん こんにちは。こんばんはかしら?
遠い場所への旅行中にメールをいただいて恐縮しております。どうか素敵な旅になりますように!
旅を終えてからとても時間が経っているので、記憶が曖昧な部分がたくさんあり、書くのに時間ばかりかかっているというのが現実。なかなか前に進みません。一旦取り掛かると、効率性を一切無視して、あっちへふらふら、こっちへふらふら寄り道ばかり。マイペースといえば聞こえが良いですが、単なる自己満足の代物になりつつあります。コメントをいただくのが最上の喜び。いただいたコメントを励みに続けていきたいと思っています。
ありがとうございました。
junemay
> こんにちわ。
>
> やはり一般的な観光地以外のディープなラヴェンナは素晴らしいですね。
> モザイクに溢れてますね〜
>
> 発見されたダンスのモザイク、おまけにピオ神父まで!
>
> 続き楽しみにしてます🎵
>
> シャルル・ド・ゴールにて
> マリアンヌ
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- とし坊さん 2016/09/07 21:44:51
- やっぱり 最高です ラヴェンナ
- 初めてラヴェンナを知ったときは
モザイクのきれいな教会がある場所ぐらいの知識で、なんとか見てみたいと、思っていましたが
この日記を見ると歴史的なことがよく解りますます
ラヴェンナに行きたくなりましたね、いい旅行記に出会えて良かったです
行くなら5月ですか(^O^) 2年後(定年です)の楽しみにしておきます
それまでは junemayさんの日記で満足しておきます
次のラヴェンナ3楽しみですね
今後とも、ヨロシクです(^O^)
- junemayさん からの返信 2016/09/09 17:40:54
- RE: やっぱり 最高です ラヴェンナ
- とし坊さま こんにちは
いつもありがとうございます。
旅に出るたびに、この世はまだ知らない、とんでもなく素晴らしいもので溢れていると実感します。ラヴェンナは外に出ている部分はとても地味なのに、一皮むくと美の宝庫というところが、余計に「掘り出し物を探し当てた」気分にさせてくれます。絢爛豪華な外観で中は質素な建物の逆でしょうか?
自分が見つけたわけでもないのに、妙にワクワク気分にさせられた町でした。
とし坊さん、そんなお歳でしたか?
この間、息子さんのスポーツカーを拝見して、「えっ 奥様はお若く見えるのに、こんな大きいお子さんがいらっしゃるんだぁ」と思ったばかり。我が家は息子二人ですが、もしかして同じ家族構成でしょうか?
今どきは定年を迎えても、そのまま会社に残る方が多いと聞いています。素敵な旅で人生の節目を祝えることを祈っております。
ラヴェンナは次回の3でお終いです。生きている間にもう一度行きたい町です。
junemay
> 初めてラヴェンナを知ったときは
>
> モザイクのきれいな教会がある場所ぐらいの知識で、なんとか見てみたいと、思っていましたが
>
> この日記を見ると歴史的なことがよく解りますます
>
> ラヴェンナに行きたくなりましたね、いい旅行記に出会えて良かったです
>
> 行くなら5月ですか(^O^) 2年後(定年です)の楽しみにしておきます
>
> それまでは junemayさんの日記で満足しておきます
>
> 次のラヴェンナ3楽しみですね
>
> 今後とも、ヨロシクです(^O^)
>
- とし坊さん からの返信 2016/09/09 19:15:55
- RE: RE: やっぱり 最高です ラヴェンナ
- junemayさんへ
ありがとうございます、我が夫婦も結婚して30年経ちました
長女も今年三十路になってしまいます、早いものですね
長男は26歳 次男は少し離れの高1です(^O^)
メールでのやりとりは、勝手に妄想をしてしまいますね
わたしは 自由気ままに旅する独身の方だと勝手に思っておりました・・
いい年月を重ねて ラヴェンナへ行きたいものですね
今後とも よろしくです
3回目で終了とのことですが 写真たくさんアップくださいませ(^O^)
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