2015/05/29 - 2015/05/29
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
5月28日の午後7時頃にボローニャに無事到着。あらかじめ予約しておいた宿に向かったのですが、今回の宿、部屋にたどり着くまでが大変でした。ブティーク・アパートメントという触れ込みで予約サイトから申し込んだのですが、詳細部分についてはあまりチェックしていませんでした。
チェックインの数日前にメールで、ビル入口の扉を開けるための番号、その方法、そしてWiFiへのアクセスコードなどが送られてきます。管理人が常駐していないアパートではこういうスタイルの宿が多く、昨年のフィレンツェも同じような方法だったので、すっかり安心していたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。
駅からわずか5分と言う抜群のアクセスの良さで選んだので、目指すビルまでは楽勝でした。ビル入口の開錠方法も事前に教えられたコードで問題なし。そしてエレヴェータで無事宿のある階までたどり着いたのですが、玄関の扉が開きません。特殊な装置が取り付けられていて、呼び鈴もなく、叩いても誰も出て来ません。はて、困ったにゃ〜。
ということで、結局宿の管理人宛電話をする羽目に。すぐに電話は通じ、管理人が車で駆けつけてくれ、15分ほどで部屋に入れたのですが、なんと玄関と部屋の鍵は、その日の午後送られたメールに添付されていた三次元バーコードでした!
私はノートPCを持ち歩いているので、連絡先を携帯にしなかったのが敗因でした。もう少し前に送ってもらえればチェックできたのですが、昼間はフィレンツェをうろついていてPCを開かなかったし、まさか三次元バーコードがカギ替わりだなんて、思ってもみませんでしたよ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ようやく部屋に入ることが出来たのは19時半過ぎ。バーコードを携帯のカメラで撮り、無事開錠できることを確かめてから、管理人は帰っていきました。
こちらがブティーク・アパートメントの部屋の中です。非常にモダンな造りで、スッキリしたインテリアです。 -
中央駅が近いので、窓からの展望は期待できません。煩いかなと心配だったのですが、二重ガラス窓でそれは問題なし。
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トイレに洗面所。
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モダンなバスルームでも、便器とビデが並んでいます。
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斜めになった洗面台はなかなかオシャレな雰囲気。
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驚いたのはシャワールームです。入り口に扉がなくて、しかも床が部屋と一緒のレベルで、高低差がありません。細長い台形をしていて、このカーテンを開けると、その先に部屋のハンガーラックが見えています。つまり潜り抜け可能な造りなのです。
これって 部屋に水漏れしないのかしら??? -
シャワーの先は、・・・
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ハンガーラックのあるスペースに繋がっています。何故扉がないのか、何故壁にしなかったのか、まったくもって不可解な造りでした。湯気も部屋に流れてしまうし、掛けてある洋服まで濡れてしまう可能性があります。
案の定、かなり気を付けても、入り口に置いてあるバスマットが濡れてしまうのには閉口しました。ブティークでなくていいから、普通の部屋が良かったなあ・・・ -
こちらは共有スペースの台所とリビングルームです。
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お酒やフルーツ、スナックなどが置いてあって、自由に食べたり飲んだりしていいよと管理人に案内されました。
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食べるスペースは少々貧弱かな?
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コーヒーや紅茶はいつでも飲めるようになっています。
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お酒とスナックと果物。その横にシンク、そして冷蔵庫があります。
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お湯は電気ケトルで沸かすことが出来ましたが、調理用の鍋などは見当たりませんでした。毎日クリーニングスタッフが来て、食べ物や飲み物を補充していきます。
問題は、ここに来るときにも携帯を持って出なければ不安なこと。また、外出途中で携帯が電池切れにならないよう気を使いました。部屋に入れなくなったら大変! アナログ人間なので、やはり鍵と携帯は別が良いなあ・・・ -
それでもなんとか無事一夜明けて、29日の朝の出かける場面です。シャワー以外は快適な部屋でした。
アパートの中央には古式ゆかしきエレヴェータ。古い人間なので、どうしてもこういうエレヴェータを見ると、トレンチコートを着たアラン・ドロンが下りて来そうな気がします。ちちちょっと古すぎだよ〜 -
ボローニャに着いたばかりですが、この日は列車で約1時間の距離にあるラヴェンナへ向かいます。
8:52発の普通列車ラヴェンナ行き。途中で同じ車両にあるトイレの非常ベルが急に鳴りだし、騒さいったらありゃしない。それなのに、待てど暮らせど車掌も誰も来ないんですよ。ああ〜 この国では非常ベル押しても誰も助けてくれないんだ。と諦めて、あまりの煩さに隣の車両に移ったら・・・
2週間前にナポリのピザ屋でお会いした日本人夫婦にばったり! なんという奇遇でしょうか。ナポリから何百キロも離れたラヴェンナ行きの列車の中で再会するとは! -
というわけで、旅は道連れ。今日はお二人と一緒にラヴェンナを回らせていただくことにしました。偶然お二人もボローニャに宿泊していらして、2日後に帰国されるという予定でした。
さてラヴェンナ到着です。 -
駅前の広場にあった銅像はルイジ・カルロ・ファリーニ。ラヴェンナ近郊出身の19世紀の歴史学者、政治家です。イタリア共和国の第4代総理大臣を務めました。広場も彼にちなんだ名前がついていました。
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駅前の道ヴィアレ・L.C.ファリーニを進むと、今度はガリバルディ広場…かと思ったらちょっと違いますよ。アニータ・ガリバルディ広場。ジュゼッペ・ガリバルディの妻であり、革命の同士でもあったブラジル生まれのこの女傑は、1849年、ラヴェンナ近郊で戦死したのだそうです。
このモニュメントは、リソルジメント闘争(国家統一運動)で亡くなった人々を供養するためのもので、4頭いる周りのライオンは、リソルジメント闘争における重要な年を表しています。台座の上ではラヴェンナを象徴する女神アテネが倒れた兵士に月桂樹の冠を捧げています。 -
道を渡って更にまっすぐ歩いていくと、大きなこちらのポポロ広場にぶつかります。左の建物はエミリオ・ロマーナ州ラヴェンナ県の県庁舎です。
以前はヴィットリオ・エマニュエーレ2世広場と呼ばれていましたが、1946年に行われた「王政廃止に関するイタリアの国民投票」で、ラヴェンナの有権者の実に88%が「共和制」を選んだという事実(これはイタリア一高かったそうです)に基づき、ポポロ(People)広場に変更されたのだそうです。
この投票結果を見ると、興味深いのはローマ以南の地域が軒並み王政を支持していたことです。州ごとの集計で王政派が一番多かったのはナポリのあるカンパニア州でした。おお〜脱線しちゃいましたぁ。 -
そして、広場の奥に建つのがラヴェンナの市庁舎。手前にヴェネツィアを思わせる二本の円柱が立っています。
ラヴェンナはローマ帝国時代、アドリア海の重要な海港でした。476年、西ローマ帝国が滅亡すると、東ローマ帝国(首都コンスタンティノポリ)皇帝ゼノンは東ゴート王テオドリックを派遣し、西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン系傭兵隊長オドアケルを排除しラヴェンナを掌握。ここに東ゴート王国が誕生します。しかしテオドリックが亡くなり、その娘アマラスンタが王位につくと、王国は早くも混乱し始め、幼いアマスランタは暗殺されてしまいます。
時の東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世はそのすきにラヴェンナに侵攻。ラヴェンナを東ローマ帝国の支配下に置いたのです。
ラヴェンナにある世界遺産初期キリスト教建築は、ほとんどがこの時代に作られた物です。もう一度おさらいです。
西ローマ帝国(402年〜403年)
テオドリック王の東ゴート王国(493年〜526年)
東ローマ帝国(ビザンティン帝国)(553年〜751年)これが大体の年表となります。
ラヴェンナはその後ロンゴバルド王国、教皇領、ヴェネツィア共和国、教皇領と目まぐるしく治世者が変わりますが、8世紀末以降ともなるとラヴェンナの重要性は急速に失われ、教会建築群は建て替えられることもなく放って置かれたようです。そのことがかえって功を奏し、重要な美術品が残ったんですね。 -
また脱線しちゃいそうなので、話を元に戻しましょう。二本の円柱とポポロ広場はヴェネツィア共和国時代の1483年に、サン・マルコ広場に倣って作られました。柱の上には、この町の守護聖人聖アポリナーレ、そしてヴェネツィアの羽の生えたライオンが置かれましたが、ライオンは後に聖ヴィターレの像に置き換えられました。
台座のレリーフが美しいですね。柱は花崗岩だそうです。 -
市庁舎は、1681年に地元の有力な貴族ダ・ポレンタの屋敷跡とヴェネツィア共和国が建てた「小さなヴェネツィア宮殿」跡に建てられたもので、地元ではパラッツォ・メルラートと呼ばれています。
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ポポロ広場から最初の目的地サン・ヴィターレ聖堂への道順は少々複雑です。途中にあったインフォメーションで頂いた地図を頼りに北西の方角に歩くこと10分。ようやく聖堂の門が見えて来ます。
入場する前に、門の手前にある入場券売り場でチケットをまず購入します。サン・ヴィターレ聖堂、ガッラ・プラチーディアの墓、大司教博物館、ネオニアーノ洗礼堂、サンタアポリナーレ・ヌオヴォ聖堂の5つに入場できるチケットが、2015年5月現在で11.5ユーロでした。 -
いよいよ、サン・ヴィターレに入場します。聖ヴィターレ聖堂と呼ばれていますが、ここには司教座はありません。聖ヴィターレの聖遺物が収められているマルティウム(記念礼拝堂)と言う位置づけなのだそうです。ローマのサン・ピエトロも最初はピエトロの墓に詣でるためのマルティウムとして建てられたのだそうですよ。
しかし、この聖ヴィターレという殉教者については、ボローニャで発見された彼の聖遺物が5世紀ごろにラヴェンナに移されたということ以外にはあまり多くのことがわかっていません。こんな立派な聖堂を建てるにふさわしい人物だったのかについても謎に包まれています。 -
サン・ヴィターレ聖堂は外側に円筒形の建物が三つくっ付いている八角形をしたお堂で、中央部分に同じく八角形の塔があります。レンガ造りの初期キリスト教時代の洗礼堂のような雰囲気が漂っていました。
建物は525年〜532年の間にコンスタンティノポリから来た司教エックレシオにより工事が始められ、ラヴェンナの27代司教マッシミアーノの時代の547年に完成しました。資金の大部分を寄進したのはユリアヌス・アルゲンタリウスという個人だそうです。一説にはギリシャの銀行家だという話ですが、本当のところは何もわかっていません。
左側にはシンプルで、温かみが感じられる鐘楼。こちらは10世紀頃の建造ですが、1688年に起こった地震後に再建されています。 -
入り口から入ると、床のモザイクが目に飛び込んできました。早くも大興奮! ほかのものはそっちのけで、まずは床を見て参ります。
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ここの床のモザイクはあまり有名ではないらしく、どの解説本でも殆ど語っていません。折角重たい思いをして家に持ち帰った本にも一行も触れられていませんでした。
一旦この建物に入ると、「見上げる人」ばかりで、床に目をくれる人は少ないのだと思いますが、是非床にも注目してみてくださいね。
ただ一つ見つけた解説本には、16世紀に大規模な床の修復工事が行われ、その際、大理石やモザイクの古いかけらを再利用したという記述がありました。オリジナルと修復部分の境目は分かりません。 -
勝手に「傘」と名付けたパターン。「蝙蝠」にも見えて来ました!
実は「貝殻の波」と呼ばれるパターンのようです。 -
個人的な趣味で、下を向いて歩きます。右側は卍を発展させたような、45度あるいは135度ずつ途中で方向が変わっていくパターンで面白い・・・
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床の形が特殊で、正八角形型のドーナッツ(そんなもんないけれど・・・)のような形をしているので、一つのパターンの大きさ(広さ)や長さは様々です。
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誰が作ったかと言う記載は一切ありませんでした。私はこれさえあれば飯も要らない(嘘)・・・
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円と四角が組み合わされたパターン。色の使い方も巧みです。
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いつまで続けるの?と聞かないで下さいね。当方恍惚の境地に入っております。
画面下右側の輪が二つ繋がっている図案は、「ソロモンの結び目」Solomon's Knotと呼ぶそうですよ。よく目にする図案ですがようやく名前がわかりました。 -
手前の部分は立ち入り禁止になっていたので、もしかしたら古いモザイクかもしれません。円の中にクローヴァーが見えます。隣はソロモンの結び目の四角いヴァージョン。モザイクの肌理が粗く、表面が少し凸凹しているように思います。
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部屋が四角くないため、調整部分は三角形をしている箇所が多かったです。隙間を埋めるために使われていました。つまり、主役ではありえません。
お次は三角形部分にこだわってみました。 -
両側の大理石の床を挟むように使われている三角形のモザイク。
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上と似ていますが、柄は一つずつ異なります。同じパターンは殆ど見当たりません。
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こちらは三角形ではなく、菱形(台形)ですね。生命の樹(アカンサスとブドウのツル)のような植物が籐で作られた籠のような鉢に植わっています。
鴛でしょうか? 生命の樹の芽をつまんでいる鳥もいますよ。 -
上のパターンの三角形ヴァージョン。図案の稚拙さからしても、古い時代のものだと思いたいなあ。すぐ上の1枚と比べてみてください。
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左右逆のヴァージョン。
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やはり植物の植わった鉢が描かれていますが、スペースの都合か、少々寂しい図案になっています。
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幾何学模様のパターンです。これも稚拙なところがまた味わい深い。と何でも褒めちゃいます。菱形と楕円形の組み合わせ。図形の数に意味はあるのか?
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上と似ていますが、菱形の数のパターンが異なります。菱形が全部奇数であるところは共通。
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これは偶数のパターンでした。食いしん坊なのでスイカかメロンと魚に見えます。
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これは菱形(台形)部分の1枚です。壺の形も様々で、本当に飽きることを知らずに楽しめました。
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修復の跡発見! こういう部分があるのを見ると、モザイクが古くなったり、擦り減ったりした後で、繰り返し改修工事が行われてきた歴史がわかるような気がします。色が少々濃く写っている部分が古いモザイクでしょうね。
手前のフリーズはいろいろな所でパターンを分ける境界線として使われていました。2種類の花が咲いているアカンサスのパターンです。 -
「半分の太陽」のようなパターンも2種類発見しましたよ。もしかしたら、太陽ではなく、これも貝殻なのかもしれませんね。
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太陽の光線が全部で20本。手前の□と〇がつなぎ合わさったフリーズの手前には大理石のモザイク床が見えています。こちらも凄いんだ!
ローマ以来の細かいパターンの連続で、目を奪われました。 -
こちらの「半分の太陽」は光線が全部で27本。逆光になってしまったけれど、細かい模様が本当に見事!
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久々にコズマーティとご対面!
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聖堂の中央に立って放射状に伸びているパターンを見てみると、当然のことながら八等分されていて、そのうち2/8の部分は三角形のモザイクで覆われています。この2つの三角形部分が一番古い作品で、6世紀の作品なのだそうです。
説明するのに分かりやすいので、この写真はサイトからお借りしました。 -
上の写真の6時の方向にある三角形の底辺に立っています。
聖堂の中央は三角形の上の頂点の部分ですが、図案が逆になるので、こちらに移動してきました。
写真の左に見えるのが聖堂中央への通路となっています。こちらは右側のモザイク部分です。生命の樹が植わっているのが鉢ではなく、二つの取っ手がある壺の図案になっていました。 -
左側の三角形です。こちらは、鳥たちで賑やかな1枚。手前の2羽の鳥の羽の色が大変綺麗ですね。花瓶の上の花はユリだそうです。
当初残りの6/8の部分の床もこちらと同様のモザイクで覆われていましたが、1535年に発生した洪水の後の床上浸水で深刻なダメージを受けたのです。 -
再び聖堂の中心に立ちました。
洪水の後の16世紀の修復工事の際に、新たに作られた床部分(残る6/8の部分)は大理石のモザイクが床一面にちりばめられています。古い大理石のかけらを再利用したそうですよ。写真は全体の1/8のパターンです。
手前にホタテ貝のマークが見えますね! その先に円の中に☆の形が押し込められた床モザイクがあるのがお判りでしょうか。 -
別の1/8です。ホタテ貝の先にあったのは、こちらも八角に分かれた☆型でした。
当時の人達が8にこだわったのは、8と言う数字が完璧な調和を意味していたからだと言います。完全なもの〇(天にいる神、空など)と不完全なもの□(人間、地球、物質等)との接点に当たるのが8という数字の括れた部分なのだそうですよ。
聖ジョヴァンニ洗礼堂では、私、8は6日間の創造、1日の休息の後の「再生」を表していると書いていますね。いい加減〜!!
でも8と言う数字の形を見ると、上からの線と下からの線が1か所で同時に交わっていて、完全と不完全の交差点 と言う考え方はとても分かりやすいと思いました。両方あるから調和が保たれているんですよね。 -
そして、こちらのホタテ貝の先にあるのが、有名な「魂の迷宮」と呼ばれている丸い迷路パターンです。ラヴィリンス(迷宮)から手前に向かって三角形の矢印が続いています。
初期キリスト教時代には迷宮は罪の象徴とみなされていて、迷宮を歩くことは罪の浄化とされました。つまり迷宮から抜け出すことは、「復活」を意味したのだそうです。 -
後の3枚は、奥のパターンだけお見せします。こちらは円形(太陽光線?)のパターン。対角線で全部で8つの部分に仕切られています。部分ごとに図案が異なっています。
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八角形のパターンです。こちらも八等分に区切られていて、それぞれの部分にもホタテ貝のマークがあるのが気になります。
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長々と床の説明(ほとんど説明になっていないが)をさせていただきましたが、こちらが最後の1枚です。2枚前の写真同様太陽光線のように見えます。
大理石部分はすべて1535年後の修復工事で作られたものです。 -
さあて、床部分はこれ位にして、他の皆さんと同じように上を見上げることにしましょう。
前述したとおり、堂内は2階建ての八角形の箱の中に、中央部分だけ天井が3階部分まであるクーポラがあるイメージです。小さな写真だけでは、なかなか全体像をお伝えすることが出来ませんが、外側から想像していたより遙かに広くて高い天井に驚きました。こういう形式の建物に入ったのは、初めてのような気がします。
中央のクーポラに面して、8本のアーチヴォールトに支えられた8つの外側の回廊がぐるりと取り囲んでいます。写真右側に見えるのが後陣です。ここだけ、アーチの幅が広いような気がしました。 -
物凄く太い柱が各アーチを支えていて、その間に半球ドーム(こういうのをエゼドラと呼ぶんでしたね!)とそれを支える列柱が見えます。
中央の後陣のある空間だけは、ヴォールト天井になっていて、視界を遮る列柱がありませんでした。 -
各アーチの装飾は一つずつ異なっていて、モザイクやフレスコで飾られています。今思えば、この大のフレスコ好きが柱や壁、エゼドラのフレスコに見向きもしなかった気がします・・・
2階部分の回廊は、既婚女性の礼拝のために用意されたそうです。フィレンツェのサン・ジョヴァンニ礼拝堂と同様の構造になっているのかな? イスラム教のモスクも、確か女性は2階席だったような気がします。
エゼドラのフレスコには、花綱を作る子供たちと果物籠が描かれていました。2階回廊部分のヴォールトにもフレスコの跡がうっすらと見えます。 -
アーチが続きます。右側は3つのトンドの中に横向きの肖像が描かれています。左側は、大きな天幕のように見えます。
サン・ヴィターレ聖堂はコンスタンティノポリにあった東ローマ帝国の宮殿の「黄金の間」(Chrysotriklinos)の装飾を反映しているとされていますが、宮殿は現存していません。
また、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世(在位 527年〜565年)の治世下に建てられた教会ということでも、この聖堂しか現存していないのだそうです。
ラヴェンナが8世紀末以降も発展をし続けていたら、おそらく取り壊されていたののでしょうね。そういう意味では、歴史とは皮肉なものです。 -
初期のキリスト教建築で、こんなに圧迫感を感じない空間を確保している建物も他に例を見ないと思います。
東ローマ帝国特有の建築様式だけでなく、ラヴェンナのある地方の、つまり「イタリアの」技術も取り入れられているそうで、随所に建物にかかる重量を軽くする工夫が施されています。
一体建築家はどこの人で、どのように建てたのか? いろいろな憶測が伝えられていますが、ほとんど解明されていないのが実情です。 -
この花綱のデザインは、対面にあるのと同じパターンでした。同じパターンのものは、花綱の他、トンドの中の肖像画でも見られました。
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後陣の手前のアーチです。半球ドームの巨大な6弁の花びらは、ローマ帝国(ここでは西の意味)時代の建物を思い起こさせます。
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次にクーポラのヴォールトを見てみましょう。どう見ても547年にあったフレスコとは思えません。
こちらは1778年〜82年にかけてボローニャ出身のバロッツィ、ヴェネト出身のガンドルフィ、グアラーナらの画家により制作されました。バロックバロックしていますね。
真ん中のフレスコの周りを太い花綱が浮かんでいるように描かれています。アーチの半球ドームにも描かれていた6弁の花とPとXを組み合わせた紋章が白い背景にくっきりと浮かんで見えます。 -
床のモザイク同様、クーポラのフレスコについても、説明がほとんどありません。確かに、このフレスコがここを訪れる目的にはならないかもしれませんが、なかなか素晴らしい作品だと思いますので、紹介します。
詳細は分かりませんが、左側中央付近で手を挙げている黒い服の男性が、天に召される場面だと思います。多分聖ヴィターレでしょうね。 -
ローマではよく見た、3Dの「飛び出す画法」が多用されていました。ヴォールトの赤い服をまとった天使、そして周りの花綱が思いっきり浮かんでいます。
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元々は、窓以外何もなかったところに、偽の黒と白がまだらになった石の列柱のある祭壇(ニッチェ)を描き、中に黒っぽい彫像を置いたんですね。
窓には、ガラスの代わりにアラバスターが使われているそうです。アラバスターは白のみだと思っていましたが、色のついたものもあるんですね。 -
ニッチェの下には、様々なものを携えた天使達が浮遊していました。
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目の錯覚をうまく利用した作品で、個人的にはこのフレスコだけでも十分楽しむことが出来ましたよ。
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少々こわもての黒い彫像は一体どなたなのでしょうね。動きが感じられるので、彫像と言うよりは実際にそこに座っていらっしゃる方のようにも見えますね。
きりがないので、この辺で次に参りましょう。 -
外側の回廊から見上げた1枚です。半球ドームを支える柱の柱頭には、古風とも現代風ともとれる珍しいアカンサスの装飾を見ることが出来ました。
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いよいよ内陣に入ります。手前の勝利の門(凱旋門)には、ずらりとモザイクのメダリオンが並んでいました。その先にクロスヴォールト、そして後陣の半球ドーム(アプシス)が見えています。
内陣部分は6世紀半ばに完成したもので、中のモザイク装飾がほぼ完ぺきに残っています。ここを見てしまうと、他のものはどうでも良くなる気持ちになりそうなので、あえて最後に取っておきました。 -
救世主キリストを中心に、12使徒、そして ミラノの双子の兄弟である聖ゲルヴァシオと聖プロタシオがメダリオンの中に描かれていました。聞きなれない名前の聖人ですが、この二人は聖ヴィターレの息子たちで、3世紀にミラノにおいて、体を石に縛り付けられて殉教しました。
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向きを逆にして、勝利の門(凱旋門)の真下から見上げた1枚です。
12使徒はそれぞれ異なった髪型と顔をしていて、名前が書いてあるので、誰だかすぐにわかるようになっていました。 -
7色の虹の中に描かれた救世主キリストは、髭を蓄え、やや硬い表情です。
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お待たせしました。こちらが、サン・ヴィターレ聖堂の後陣のモザイクです。
すんばらしい〜!!!
こちらのキリストには、髭がなく、たいへん若い印象。彼は青色をした地球に腰かけています。地球からは4本の天国の川が流れ出ていて、足元には白い花々が咲き乱れる緑の草原が生まれています。 -
キリストは右手に王冠、左手に巻物を持っていますね。王冠は戴冠に使われるもの。そして巻物はおそらく、彼が再び地上に降り立つ「再臨」のときに、最後の審判に用いられる「生命の本」だと言われています。彼の背後に描かれている十字架のあるハロ(後光)は地上の最高責任者である「全能者キリスト」を表しています。
キリストの両側には大天使。そして、キリストが王冠を手渡そうとしているのは一番左側にいる聖ヴィターレ。彼は恭しく、自分のマントを差し出しています。
一番右側にいる黒っぽい衣をまとっているのは、聖堂を建設した司教エックレシウス。彼は教会の模型を捧げ持っています。 -
四人の人物の頭上には、不思議な色をした何筋もの雲が浮かんでいます。これは天の園を表しているのだそうですよ。
後陣のアーチには極彩色の花や鳥たちが描かれていました。 -
アプシスの下、3つ並んだ窓の両側には、これまた大変貴重なモザイク画が残されていました。
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まずは向かって左側の1枚です。
中央の王冠を被り、手に聖体をのせるために用いる金の聖体皿=パテナを持った人物は、東ローマ帝国皇帝のユスティニアヌス1世です。彼がまとっている衣は、ティリアン・パープル、日本語では貝紫色と呼ぶ王者の色だそうです。
右隣りにいる十字架を持った司教はマッシミアーノ。聖堂が完成した時のラヴェンナの司教です(在位 546年〜556年)。頭上に名前が書かれているので、分かりやすいですね。 -
パネルの右側には聖職者達、左側には兵士達の姿も見えます。大きな緑の盾にはキリストを象徴する紋章が描かれていました。なぜか、兵士たちは皆同じ顔をしていますね。
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向かって右側の1枚には、ユスティニアヌス1世の妃テオドラを中心に描かれていました。彼女は聖杯を入れる金の器=カリスを手に持っています。彼女がまとった衣装の裾の部分に、東方三博士の礼拝場面が刺繍されていることに注目!
豪華な王冠に首飾り。まるで、女神のようにイメージされていますね。 -
テオドラの右隣りには身分の高そうな女性2人。高価な衣装に身を包んでいます。その後にはお付きの者達が続いています。ここでもお付きの女官達の顔はどういうわけか皆似かよっています。
一番左側の男性がカーテンを持ちあげているので、これから聖堂で行われるミサに出席するところなのかもしれません。 -
イチオシ
続いて天井 クロスヴォールトです。この天井を見て、思い出したのはローマのサンタ・プラッセーデ教会、ローマに残るビザンティン時代の遺産です。
ここでは中央の神の子羊を、サンタ・プラッセーデ教会では、救世主キリストを「4人の天使達」が支えていました。彼らもまた青い球体=地球に乗っているように見えますね。
暫し溜息〜 はあ〜 声になりません。
サンタ・プラッセーデ教会についてはこちらを読んでくださいね。
http://4travel.jp/travelogue/11031090 -
ヴォールトは花とフルーツ、下の方にはクジャクが描かれたフリーズで4つに分けられています。緑と金の背景に描かれているのは、床のモザイク同様、アカンサスの樹(生命の樹)です。緑の背景には金の、金の背景には緑のアカンサスが渦を巻いて伸びています。
また多くの動物、鳥、花、星などが描かれています。なんて華やかな色遣いなんでしょう! 見上げればそこは6世紀の人々が思い描いた宇宙空間でした。 -
イチオシ
苦労して撮ったのがこちらの「神の子羊」。星空に浮かぶ白い「神々しい」羊です。5回も失敗して6回目にようやく、なんとか見れる1枚が撮れました。
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後陣の半球の上には、白い天使が2人、これまたメダリオンを支えています。
彼らの左右に描かれているのはエルサレムとベツレヘムの町です。ユダヤ人は常に自分たちと他を区別をしているようで、エルサレム=ユダヤ人、ベツレヘム=異邦人、両方合わせて人類を象徴しているのだそうです。 -
内陣の左壁です。左右の内壁には、実に完成度の高い、旧約聖書からの場面が描かれていました。緑と白を基調とした色遣いもお見事と言う以外に表現できません。
上部には唐草模様が描かれていて、その下には福音記者達の姿があります。左がヨハネ(鷲)、右がルカ(雄牛)です。 -
ルーネット部分には、アブラハムの姿を2箇所に見つけることが出来ます。左側にはアブラハムが3人の客人をもてなしている場面。そしてその右には神の命令によりわが子を殺そうとした「イサクの犠牲」です。
ルーネットの上の部分には左に預言者ジェレマイア、右にモーゼが描かれています。右下はモーゼが律法を受け取る場面だそうです。 -
右壁です。唐草模様の下には左に福音記者マタイ(人、天使)と右に福音記者マルコ(ライオン)。
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右壁のルーネット部分に描かれていたのは、祭壇にお供えを運ぶアベルとメルキゼデク。白い四角い祭壇には壺と皿らしきものが置かれています。メルキゼデクという人は創世記の中で、「いと高き神の祭司」、「サレムの王」と書かれている人だそうです。
左側には「茂みを焼く」モーゼがサンダルの紐を緩める姿、森のあちこちに火の手が上がっています。「茂みを焼く」は神の使いがモーゼに言った言葉で、「燃えているのに燃え尽きない低木」の意味だそう。意味深長ですが、残念ながらさっぱり分かりません・・・右側には預言者イザヤが描かれています。 -
見逃してしまいそうだけれど、下の3つのアーチのスパンドレル部分の「花籠と鳥」のモザイクも大変手が込んでいますよ。古典的なテーマだけれど、宗教とは無関係のデザインで、はっとするほど新鮮です。
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同じような写真ばかりですが、あまりに美しくて、断捨離できません。
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反対側の1枚です。
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もう一度、気が済むまで後陣のモザイクを眺めてから立ち去ることにしました。
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最後は若き「髭なし」キリストをアップで!
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再び八角形の迷宮を歩きます。大理石の美しい断面がいくつも使われている豪華な柱にうっとり。
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今改めて見ると、新たな発見が沢山あって、もう一度じっくりと見たいという欲求にかられます。
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力強い直線と女性的なカーブの連続、窓から差し込む淡い光が相まって、どこをどう切り取っても絵になります。
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何か所かに置かれていた石棺には、モノグラムとクジャクの番とヤシの木が彫られていました。モノグラムはキリストの復活を象徴。ヤシの木は楽園を意味するようです。
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外側の回廊の柱の一部に、天井を支えるこんなヴォールト(回廊ヴォールト=クロイスターヴォールトと呼ぶらしい)を発見。これってビザンティン時代からあったものなのかしら?
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見学を終えて外に出ると、ここにもありましたよ、外側から支えるフライング・バットレスが! このバットレスは、建物を支えると言うよりは、ヴェネツィアから続く地盤が軟弱な湿地帯にあるラヴェンナで、建物がその重みで地下に埋まってしまうのを防ぐために、後年作られたものなのだそうです。
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庭を越えて進んでいくと、行く手にまた、小さなレンガ造りのお堂が見えて来ます。ガッラ・プラチーディアの廟堂です。
最初の西ローマ帝国皇帝となったホノリウス(最後の統一ローマ帝国皇帝テオドシウス1世の息子)が423年に亡くなると、次の皇帝ヴァレンティニアン3世がまだ幼かったため、彼の母で、ホノリウスの妹のガッラ・プラチーディア(392年〜450年)が実質上の治世者となります。ガッラの元でラヴェンナでは様々な芸術が花開き、沢山の建物が建てられました。
彼女の廟堂は現存しないサンタ・クローチェ教会の付属の建物の一つで、元々は聖ロレンツォに捧げられた礼拝堂でした。 -
とても小さな十字架の形をした廟堂です。聖ヴィターレ同様の素朴なレンガ造りに見えますが、実は建設当初、外壁は大理石のスラブで覆われていたそうです。当時の地面は現在より1.5m下にあったため(つまり埋まっていたということですね)、外観は大きく変わっている可能性があります。
廟は、ガッラ自身とその家族(彼女の夫コンスタンツォ3世、兄ホノリウス)用に、彼女がまだ健在の頃に建設を依頼したというのが通説ですが、実際には廟堂として使われた形跡はないそうです。ガッラの実際の墓はローマにあるんですって。建てられたのは425年頃と言われています。 -
小さな堂内は人であふれていたので、上の方ばかり写してしまいました。入り口(十字架の形の建物で下が入り口)から入り、一番奥にあったのが、こちらのルーネットのあるヴォールトです。
アラバスターの貼られた窓から、ほんの少し光が入ってきますが、堂内はとても暗いです。後年、大理石のスラブが貼られた壁以外のクーポラ、ルーネット、ヴォールトは全てモザイクで覆われています。 -
ルーネットの下には巨大な、空っぽの石棺が置かれていました。人を写さないように撮ろうとすると、こんな至近距離になってしまいます。こちらが、ガッラ・プラチーディアのために作られた石棺です。ギリシャ製の大理石で作られているそうです。
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ヴォールトのモザイクは、「エデンの園」と呼ばれている、青地に白と金の雪の結晶のような花々がちりばめられた、飛び切り美しいものでした。ビザンティンで作られる織物の影響が感じられます。
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赤と緑が使われた幾何学模様のパターンがある方が、クーポラ側となります。こちらもなかなか美しいデザインですねえ。
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奥のルーネットのモザイクは、鉄格子で焼かれて殉教した聖ロレンツォと思われます。彼は異端の書を火にくべている最中のようです。一方、左に見える戸棚には、正しい教えである四冊の福音書(ルカ・マルコ・ヨハネ、マタイ)が入っています。
日本語のウィキペディアには、ロレンツォではなく、聖ウィンケンティウス(ヴィチェンツォ)だということが証明されたと書かれていましたが、私が購入した本はロレンツォになっていたので、それに従います。両人とも鉄格子の網の上で焼かれて殉教しました。 -
手前のクーポラのアーチに描かれた白い服を着た聖人達は12使徒のいずれかだと言われています。窓に下に見える小さな噴水(洗礼盤を象徴?)とハトは、ここが静寂で平和な空間であることを教えてくれます。
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そのまま、更に首を深く傾けると、星が瞬いているクーポラが見えて来ます。星は全て8本の光線から成り立っていることに注目! 中央には十字架、ペンデンティヴには、4人の福音記者達のシンボルが黄金色に光って見えます。
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ここが十字が合わさった部分です。
クーポラを一周する赤地に青い螺旋模様が描かれたフリーズがまた豪華です。本当に5世紀?と首をかしげたくなるほど鮮やか。モザイク・マジックですね・・・ -
イチオシ
何という、完璧な空間なのでしょう!! アラバスターの窓からの光がとても優しいですね。
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振り返ると、入り口の扉の上のルーネットにはたまた、素晴らしいモザイクを発見!
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ここは十字架の一番長い軸の部分なので、「エデンの園」のヴォールトが奥の2倍位の長さで続いています。その先にあったのは、「良き羊飼い」の図柄でした。
「良き羊飼い」はキリストのシンボルです。羊飼いは牧歌的な緑の草原の中にいて、左右3頭ずつの羊を見守っています。とはいえ、キリストが身にまとっているのは豪華な金と紫のチュニックで、これは当時の皇帝や王達のためのコスチュームだったに違いありません。 -
解説本では、このモザイクを、自然をそのままに表現する古典時代から、定型化、パターン化された表現をする中世時代への移行期の作品だと位置づけていました。
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12人の使徒の内、名前がわかっているのは、こちらの2人。ご存知聖ピエトロ(右 鍵を持っている)と聖パオロです。彼らは手を高く上げて、キリストの再臨を歓迎しています。彼らの上に見えるホタテ貝の形をした屋根のようなものは、後陣を表しているのだそうです。
ここでは白鳩たちは、水盤から水を飲んでいます。 -
今度は翼廊に当たる部分です。こちらのヴォールトは「エデンの園」とは異なり、、青地にXとPのモノグラム、聖人像、そしてアカンサスとブドウの唐草模様に覆われています。
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このヴォールトも、アップでお届けします。
XとPは救い主と言う意味である「メシア=ハリストス」をギリシャ語で”ΧΡΙΣΤΟΣ”と書くところから、最初の2文字を取って、キリストのシンボルとされてきました。 -
横のαとωですが、こちらは、アルファ=最初の文字、オメガ=最後の文字 であることから、万物の最初と最後を意味し、永遠の存在である神とイエス・キリストを指すのだそうです。すべて起源はギリシャだったのですね。
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奥のルーネットにあったのは、灌木の中で水場を探し当てた2頭の鹿でした。鹿はキリスト教では聖獣でしたね。
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こちらは、もう一方の翼廊部分です。
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周りのアカンサスやブドウのツルが多少異なりますが、デザインそのものはあまり変わりません。
涸れた谷にシカが水を求めるように、神よ、私の魂はあなたを求める
というくだりが、詩編42章にあります。 -
先ほど紹介したガッラ・プラチーディアの石棺の他に、この廟堂には、二つの石棺がありました。こちらは、ガーラの夫であるコンスタンツォ3世の棺。技術的には大変優れた石棺ですが、蓋の部分に関しては彫刻がまだほとんど手付かずの状態です。未完成のままに放置されたようです。5世紀末〜6世紀初め頃の制作です。
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こちらはガーラの息子ヴァレンティニアーノ3世の棺です。人を避けて撮ったらこんなになってしまいました(単なる言い訳)。蓋の部分のうろこ模様が変わっていますね。いま見えている小さい方の面は、水の入った壺の上で休んでいるハトの図案でした。6世紀初頭の作と書かれていました。
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本当はこんなに人がうじゃうじゃいたんですよ。ルーネットの下の壁の部分の大理石のスラブは、後の時代の修復によるものだそうです。
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5世紀と言えば、日本では大王が前方後円墳を大阪平野に作ったという記述があるものの、まだ国家としては成り立っていない状態のころです。ラヴェンナで一瞬花開いた文化に、ぞっこんほれ込みました。2か所見ただけで、すっかりラヴェンナの魔法にかかってしまいました。こんなに美しい状態で、よくぞ今まで持ちこたえてくれたと心から申し上げたい。
まだまだ歩きまっせ!! 続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その74 ラヴェンナ2で。
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この旅行記へのコメント (4)
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- マリアンヌさん 2016/09/01 11:48:33
- ラヴェンナ☆
- junemayさん、こんにちわ。
素敵なデザイナーズアパルトメントですね〜
でも確かに鍵が心配だし、シャワー室の床は?フフフ
まずは、床面ってこんなにバラエティーに富んだ模様だったっけと驚きました。
さすがです!
16Cの修復のものもあるようですが、お馴染みのコズマーティ様式が出てきてホッとしました(笑)
モザイク、いつもながら丁寧に見せていただき、嬉しかったです。
(ツアーで2回行ってるのだけど自由時間はないから)
やはり対岸のクリアチアのポレチェと同時代だけあって似てるなと思いました。
よろしければ・・・
http://4travel.jp/travelogue/10951170
ガッラ・プラチーディア聖堂のブルーは、素敵ですね。
一番好きなモザイクかも?
また続き楽しみにしています。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/09/01 20:02:08
- RE: ラヴェンナ☆
- マリアンヌさん こんばんは
ラヴェンナは昨年のイタリアで多分一番気にいった場所です。
マリアンヌさんにも気にいっていただけて、良かったです。
マリアンヌさんの旅行記を見て、同じソロモンの結び目のモザイクを発見して大喜びです。でもやはりこの目で見たいと思っています。ポレチェしっかりとチェックしますね。
昨年の旅行、だいぶ印象が薄れてきているので、頑張って早く完成させねばと思っています。今後ともよろしくお願いします。
9月の旅行、楽しんでいらしてくださいね。
junemay
> junemayさん、こんにちわ。
>
> 素敵なデザイナーズアパルトメントですね〜
> でも確かに鍵が心配だし、シャワー室の床は?フフフ
>
> まずは、床面ってこんなにバラエティーに富んだ模様だったっけと驚きました。
> さすがです!
> 16Cの修復のものもあるようですが、お馴染みのコズマーティ様式が出てきてホッとしました(笑)
>
> モザイク、いつもながら丁寧に見せていただき、嬉しかったです。
> (ツアーで2回行ってるのだけど自由時間はないから)
> やはり対岸のクリアチアのポレチェと同時代だけあって似てるなと思いました。
> よろしければ・・・
>
> http://4travel.jp/travelogue/10951170
>
> ガッラ・プラチーディア聖堂のブルーは、素敵ですね。
> 一番好きなモザイクかも?
>
> また続き楽しみにしています。
>
> マリアンヌ
>
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- とし坊さん 2016/08/29 18:37:50
- 下を見て歩こうですね(^O^)
- 上を向いて歩こうは普通ですが、下を向いたほうが
あのモザイクはいいナー 説明があるのでホンマによくわかりますしね
お願いがありますが・・・ ラヴェンナだけで 10ぐらい載せてくださいませ 5つの教会ですから
楽しみに待ってます でも知識がすごいですね
お待ち申し上げております ヨロシクです
- junemayさん からの返信 2016/08/30 12:30:26
- RE: 下を見て歩こうですね(^O^)
- とし坊さま こんにちは
お待たせしました。1年越しの約束が果たせてほっとしています。
少しは楽しんでいただけたようで、嬉しい限りです。
サン・ヴィターレがラヴェンナのメインだったので、この後10くらいというのは無理なお話。モザイクにぼぉ〜となってしまって、解説なんてとんでもないという状況でしたから。
地震多発地帯からは少し離れていますが、ラヴェンナは土壌も悪く、元沼地なので、なるべく早い段階でご自分の目で見られることをお勧めいたします。
アマトリーチェは私が訪れたスポレートから40km位離れた山中の村。フォリーノの宿の主人が2009年にあった地震のことを話してくれましたが、その時は聞き流しただけでした。今回のことで、俄然現実味が増しました。1日も早く、復興することを祈っています。
ラヴェンナとは関係ない話になってしまいました。コメントいただき感謝です。ありがとうございました。
junemay
> 上を向いて歩こうは普通ですが、下を向いたほうが
>
> あのモザイクはいいナー 説明があるのでホンマによくわかりますしね
>
> お願いがありますが・・・ ラヴェンナだけで 10ぐらい載せてくださいませ 5つの教会ですから
>
> 楽しみに待ってます でも知識がすごいですね
>
> お待ち申し上げております ヨロシクです
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