宇部から萩、山口ちょうちん祭りと徳山の旅(四日目・完)~徳山は山口県では一番の工業地帯。観光地のイメージは希薄ですが、毛利輝元の次男、毛利就隆に始まる徳山藩の歴史と児玉源太郎が見どころです~
2016/08/07 - 2016/08/07
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たびたびさん
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周南市と名前を変えた徳山は、下関市、山口市、宇部市に次いで第4位の人口ですが、出光興産、東ソー、トクヤマ、日新製鋼、などの主力工場が集まる周南コンビナートを擁する県下第一の工業地帯。その工場の夜景ツアーなんかはあるようですが、どっちにしても観光地としてのイメージはほとんどありません。
一方で、歴史的には毛利輝元の次男、毛利就隆に始まる下松藩→徳山藩のおひざ元。長州藩の支藩は長府藩とこの徳山藩の二つだけであり、岩国は岩国領にしか過ぎません。少し付け加えると、長府藩の始まりは毛利秀元。元就の四男の長男ですが、長く子供ができなかった輝元の養子になって、当初は世継ぎとみなされた人物です。しかし、輝元に実子、秀就が誕生すると世継ぎを辞退し、長府藩の誕生となったわけです。この時、長州藩を取り仕切っていた大番頭格は、この秀元と岩国領を受けた吉川広家。ただ、吉川広家は、毛利元就の次男、吉川元春の子ですから、宗主、輝元に対しては家臣の立場。秀元や就隆は輝元の子ですから、おのずと格が違うというわけです。
そんなこともあって、何かあるはずとにらんだのですが、それはちょっと意外なもの。平和に見える街ですが、ちらり悲しい史跡もありました。その他は児玉源太郎。ただし、実務能力が高くて合理主義者の権化のようなところが逆にカリスマ性を弱めたかも。歴史においては、乃木大将のように矛盾を抱えた人物の方が有利なこともあるようです。
さて、今日は最終日。最後は山口駅経由で宇部空港から帰らないといけないので、時間を気にしつつの一日です。
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早朝、宿を出て、湯田温泉駅から徳山駅に向かいます。最後は宇部空港なので、ちょっとルート的には非効率なんですが、そんなことを言っているといつまで経っても行きたいところに行けなくなる。全部が全部、思うようにはいきませんよね。
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湯田温泉は、市街のあちこちに足湯があることが知られていますが、湯田温泉駅の隣りにもちゃんと足湯があります。多分清潔さを保つためだと思いますが、24時間ではなく夜はいったん湯を抜いてあります。朝7時前くらいから湯を貯めていましたので、利用はそれ以降です。
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イチオシ
ところで、湯田温泉は白いキツネが見つけたという伝説の温泉。湯田温泉駅の前には巨大な白キツネの像があって、湯田温泉のシンボルになっています。
そして、それにはちゃんと名前があって、ゆう太というんです。このキャラクターは、街のPRに一役買っていろんな場面で使われているので、是非お見知りおきください。 -
徳山駅に到着して、これは徳山駅に一番近い商店街のみなみ銀座商店街。早朝だし、まだ、開いているお店はありません。
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ということで、モーニングをいただくのにやってきたのはルシアです。
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イチオシ
そんなに期待していたわけではないのですが、店内はレトロというか、むしろ大正ロマンのような美的センスも漂う素敵なお店。おばあちゃんが一人で切り盛りしていて、お客さんも近所のお年寄りが多いみたいですね。
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珈琲の味も割と良くて、私にはこれもありがたかったです。これなら、徳山の名店間違いなしですね。
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腹ごしらえをした後は、散策スタート。まずは、東の方に向かいます。
東川緑地公園は、徳山の市街地中心部からは少し外れますが、市街地を流れる川といえばここになるという場所。町で起きた出来事のモニュメントを設置したりして、それなりに市民に親しまれ大事にされている公園だと思います。川へ降りると両側には遊歩道も整備されています。 -
少し進んで。
これは、江戸時代後期、幼くして母を失い、病父とともに生きた孝女お米の顕彰碑。徳山8代藩主、毛利広鎮はお米の孝行を耳にし、たびたび褒美を取らせたとのことです。 -
親孝行なんて、そんなに珍しいことでもなかったような気もしますが、碑は小さな公園のように整備された中に立った立派な像。ここまでの扱いを考えれば、やっぱりそれなりのことだったのかもしれません。今でも市民の誇りとなっているようです。
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さて、これが目指していた遠石八幡宮です。
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徳山駅から歩いたわけですが、歩いて行ける範囲としてはここがギリギリかなあというような場所です。
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小山の上に鎮座した神社は宇佐八幡大神のお告げにより、推古天皇の時代に創建されたという長い歴史を持つ神社。
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中腹から、新幹線の高架の先に見えるのは出光興産の工場です。
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結婚式などでもよく使われるようで、境内には立派な施設があります。
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イチオシ
暑い中、広々したロビーでゆっくり休めるので、とても助かりました。
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さて、周南市は工場の町。山口では宇部も工業都市ですが、産業の広がりという意味では、こちらがずっと上になります。
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イチオシ
写真は神社を降りて、少し近くから見た出光興産の工場。煙突だかパイプラインだか分かりませんが複雑に組まれたコンビナートで、けっこう見応えがあります。
工場の敷地内でも写真が撮りたいなと思って守衛さんに尋ねるとそれはダメ。はっきり断られて。ちょっと調子に乗った自分を反省しました。 -
そこから徳山市街の方に戻る途中。
ヴェルジェ 二幸は、住宅地の中。小さなケーキ屋さんです。 -
店内に入ると誕生日ケーキのオーダーを受け付ける張り紙。いろんな人形を組み合わせたデザインが紹介されていて、とっても楽しげです。例によって、休憩がてら店内でシュークリームをいただきました。ここは柔らかシューのほんわりシュークリームです。
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ここから徳山毛利家墓所に向かったのですが、ちょっとした峠越えです。
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で、近くにたどり着いたんですが。。
地図を持ってきたのに、かなり分かり辛い。 -
たまたま場所をご存知の地元の人に出合ったので辿り着けましたが、もう少しで諦めるところでした。
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墓所は小さな山の上にありますが、さすが大名墓地。石の囲いに守られた大きな墓石の墓が並び、
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イチオシ
初代、就隆の墓はお堂の中。これを見ると徳山藩はやっぱりあったんだなと実感できる、そんな遺構です。
ちなみに、就隆は輝元の次男。宗家をちょっと軽く見ていたきらいもあって、あまり関係はしっくりいっていなかったよう。途中、徳山藩が断絶し、再興される遠因となったとも言われています。 -
大成寺は墓所を下った先。
臨済宗妙心寺派の寺院で、徳山藩初代藩主毛利就隆が中興した徳山毛利家の菩提寺です。 -
表に寺の由来とかの説明板もありましたが、この寺自体は都会的な感じで歴史もあまり感じることはないですね。やはり見どころは、裏手にある毛利家墓所。大名の墓所らしい重厚な姿の方が一見の価値ありです。
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周南市市長公舎は、大成寺のほど近く。一応周南市の観光スポットにはなっていますが、看板とかは一切ないので、これもかなり分かりにくいと思います。閉められた門の外側から、玄関の方を眺めるだけですが、蘇鉄の植え込みの向こうに赤い屋根の洋館が見える。大正15年に海軍燃料廠の廠長官舎として建てられたもので、市長公舎となったのは戦後のことのようです。
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ここから改めて市街中心部に戻りますが。
国司親相幽閉賜剣之地というのは、幕末の史蹟。東川のほとりの小さな公園の中に墓石のような石碑と説明板がありました。 -
何でもないような碑ですが、これはけっこう重要な意味を持つ碑です。
というのも、国司親相は、長州藩三家老の一人。ここは幽閉され切腹した澄泉寺の跡ということ。禁門の変に続く第一次長州征伐で幕府に謝罪を求められた長州藩は支藩である徳山藩に家老を預けて処分、責任を取らせたわけですね。これにより幕府の顔が立ったことで、第一次長州征伐は終息に向かいます。
反面、これは長州藩の急進派にとっては最悪の局面。これで命運が尽きたと思った瞬間かもしれません。ちなみに、長州藩の苦難の始まりは、文久三年8月18日のクーデター。翌元治元年も、7月の禁門の変惨敗に続き、第一次長州征討。四か国艦隊の攻撃も受け、屈服するしかない。幕府軍の参謀格西郷が岩国に入ったのが11月4日。家老の切腹は15日です。
しかし、ここで起死回生となったのが高杉晋作の功山寺の挙兵。12月15日のこと。ここからは一気に討幕への道が開けることになるのですが、切腹する国司親相は暗たんたる思いだったはず。その後はとても想像できない展開だったと思います。 -
徳山は工業都市となってしまい、徳山藩の遺構はほとんど残っていませんが、本城清誕生地 江村彦之進屋敷跡はその数少ない遺構の一つ。
ちなみに、本城清とその弟江村彦之進はともに幕末の尊王攘夷派。第一次長州征討を受けて、長州藩内で幕府恭順派が主導権を握るとこの二人も謀殺されてしまう。明治に入って、そうした人たちの復権がなされていくのですが、この碑もそうした意味を持っているのだと思います。
傍らに教育委員会の説明板もありました。詳しい説明です。 -
徳山市街中心部に戻ってきて、これはクリーム・クレームという洋菓子屋さん。
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名前の通り、生クリーム系のお菓子を食べようと思っていたのですが、店内にはたくさんの種類のドーナッツがあって、これはすごい。たまらず、ドーナッツの方にしてしまいました。じんわりおいしさが浸みてくるような仕上がり。しっとり感もグッドです。
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で、昼飯はこちら。
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イチオシ
タイ式焼きそばと言ってもピンときませんが、これはうまいです。少しピリ辛の味は決め手というよりむしろ隠し味。それでも、麺のうまさにソースのうまさは食べたことがない味だけど、まったく違和感なし。本当にタイではこんあの食べているのかなあと思わなくもないですが、この味を徳山に持ち込んだご主人の舌の確かさに敬意を表したいと思います。
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さて、ここからは市街中心部。
徳山藩学館跡は、児玉公園の並び。徳山小学校の門前に石碑が立っています。藩校の名前は、「鳴鳳館」。徳山藩7代毛利就馴の時代に開設されましたが、長州藩では幕末、急進的な尊王攘夷の志士たちが育った土地柄。この藩校も、そうした土壌を育んだ基礎になっていたかもしれません。 -
そして、児玉公園は、徳山のヒーロー児玉源太郎を祀る児玉神社の続き。神社の境内みたいな感じです。
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イチオシ
公園の入口脇には、児玉源太郎の銅像があって、これが見どころ。日露戦争の功績から台湾総督としての平和時の務めなど。あらゆる局面で手腕を発揮した人物であり、胸の勲章の多さもお飾りではないように思います。
坂の上の雲では、203高地を攻めあぐねる乃木将軍に代わって、児玉が大砲の威力で粉砕するという下りがあって、合理主義者の権化のようなイメージもありますが、むしろ台湾総督としての貢献も大。 -
本殿前にある李登輝の碑もそれを象徴しているように思います。
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これが児玉神社。
徳山のヒーローは、いまや、日露戦争で活躍した明治の軍人、児玉源太郎。 -
乃木大将ほど有名ではないのですが、正真正銘の実力者です。
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イチオシ
徳山七士碑は、児玉神社の本殿隣り。ちょっと日陰のような場所ですが、勤王七士の碑という説明板があって、その意味を語っています。勤王七士は、その名の通り、尊王攘夷派。第一次長州征討を受けて、藩内では幕府恭順派、
いわゆる俗論党が力を得る。その結果、尊王攘夷派の七人が粛清を受けたわけですね。しかし、その後、高杉晋作の功山寺の挙兵で尊王攘夷派、正義派が再び実権を握ると七士は復権されますが、明治維新への道は平坦なものではない。多くの尊い命が失われたことに思いを馳せました。 -
ここから北に向かうのですが、気持ちのいい少し上りの並木道です。
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その道沿いにある益田親施幽閉賜剣之地。大通りの角です。
長州藩三家老の一人益田親施が幽閉され、切腹した惣持院跡です。
これも、第一次長州征討の関係。改めてですが、謝罪を迫る幕府軍に対し、イギリス・フランス・オランダ・ アメリカの列強四国との下関戦争でも痛手を負った長州藩はなす術もない。藩内では恭順派が実権を握り、尊王攘夷を主導した三家老は、徳山藩にお預けとなり、責任を取らされて処分されることになりました。益田親施も、その三家老の一人です。
結局、徳山藩は宗家のいやな仕事を引き受けた感じ。また、そのことで萩藩の中における保守派と急進派の争いを少しでも緩和したいという思いもあったのだと思います。水戸藩では天狗党と諸生党の血で血を洗う報復合戦があったことを考えれば、こうした知恵は理解できるものだと思います。 -
さらに進んで、これはシュヴェーネ。ハッとするほどきれいな外観が目立つドイツ菓子のお店です。
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店内に入っても、すべてのお菓子が美しい。レーズンクッキーをいただきましたが、サクサクっとした歯ごたえにバターの香りがとってもグッド。外観通りのいいお店です。
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さて、坂を上りきって目指す周南市美術博物館に到着しました。
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こちらでは、林忠彦の有名人の肖像写真が圧巻。
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イチオシ
地元の生んだこれもスーパースターのような存在。
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杉山寧、
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宮本三郎、
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梅原龍三郎、
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中川一政、
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奥村土牛ほか、高山辰夫、熊谷守一、熊谷弦一郎、小倉遊亀などなど。作品は知っていてもどんな人なのか知らない有名画家の素顔の写真が展示されていて、改めて納得したり、意外に思ったり。今後の鑑賞の幅も広がったような気がしました。素晴らしいコレクションだと思います。
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これは戊辰戦争での徳山藩の戦いを説明したもの。鳥羽・伏見の戦いから、五稜郭の戦いまで。新しい時代を切り開くための戦いだったといえば聞こえはいいでしょうが、その犠牲は少なくない。ただ、それでも幕府との全面戦争にならなかったことは、列強の介入を防いだ点も含め、その後の日本にとっても大きな救いであったかと思います。
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周南市文化会館は、周南市美術博物館の向かい側。
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かつては、ここに徳山藩の館邸がありました。その館邸を見ようと訪ねたのですが、せっかくなのでこの文化会館の中も見学。この日は、大勢の人が集まっていて、何かと思ったら、バレーの公演だとか。関係者もいたのかもしれませんが、バレーにもこんなに関心が高いって素晴らしいこと。徳山の知らない一面を見たような気がしました。
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徳山藩館邸跡がわずかに残っているのは、周南市文化会館の前庭の一角。
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庭園だけだし、木々に覆われているので、気が付きにくいかもしれませんね。
ちなみに、徳山藩は毛利輝元の次男就隆が分知されたのは三万石。当然、天守閣を持つような城はなく、館邸を「御城」と呼んでいただけです。 -
文化会館の隣りの祐綏神社は、徳山藩初代藩主、毛利就隆と9代藩主、毛利元蕃を祀る神社です。
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元々の創建は文化8年(1811年)のようですが、現在の建物は明治になってから再建されたもののよう。本殿の前には、毛利家の家紋が入った提灯が二つ目立っていましたが、ちょっと誇らしげ。明治に入ってから、こうした神社はブームみたいになったようですが、やっぱり地元の人のアイデンティティになっている神社だと思います。
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今度は大通りの方から徳山駅の方に戻ります。
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途中にあるこれも児玉源太郎ゆかりのスポット。
けっこう破格の扱い。この生家跡もそんじょそこらの公園以上にきれいに整備されていて、地元の人の熱い気持ちがよく分かります。 -
イチオシ
直接の遺跡はこの井戸だけのようですが、それ以上に、このこ公園のきれいさの方が印象的だと思います。
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さらに戻って、
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いよや 徳山店は、徳山駅にも近い市街地中心部。日曜だとこうしたお店は閉まっていることも多いので、ちょっと助かります。
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うさぎの形をした、これはいわゆる薯蕷饅頭なんですが、しっかり芋の粘りが感じられるのがうれしいですね。写真を撮っていたら、ご主人もカメラが趣味だとか。お菓子の話とカメラの話でちょっと盛り上がりました。
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徳山は街全体が近代的な感じで整備されている印象だったのですが、その中にあって、八正寺という寺がポツンとあって珍しいなと思ったら、この寺は空襲で被災した後、同じ場所に再建された寺なのだそう。
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つまり、逆に言えば、空襲で焼けて再建されなかった寺も少なくなかったということだし、徳山の市街は空襲を受けて、復興の中で今の近代的な街並みになったということ。徳山の空襲なんて認識していませんでしたが、この寺でその事実を知ることになりました。
徳山藩関係の史跡が少ない理由は、こんなところにもあったんですね。 -
では、最後にもう少し駅の周辺をチェックです。
これは青空公園。児玉公園みたいに史跡公園ではありませんが、きれいに整備されたちょっと潤いのある公園です。周辺ぎりぎりまで住宅が迫っているのですが、それでまた公園としての役割が増しているとも言えるかもしれません。通りを歩いていても、ゆったり感があるのであれっとすぐに気が付くと思います。 -
こちらはシェーク。徳山の人にとっては子供の時から慣れ親しんでいるお店だそう。
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店内ですが、単なる飾りつけ?
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メニューはそれなりにあるようですが、
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やっぱりここは名物のポテトフライをいただきました。普通と言えば普通なんですが、やっぱりなんかおいしい。お店のかける愛情が違うんですかねえとでもいいたくなるような優しい味わい。これが昔懐かしい味になっているという徳山が素晴らしい街のような気もしてきます。
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徳山駅の近くには商店街がいくつもあって、
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意外にそこそこ充実しています。
その中で、徳山のお土産どころと言えば、自他ともに認める一番店はこのたわら。 -
お店はそう大きくはないのですが、徳山というより、海産物などの山口全体を代表する品物を取り扱っていて、その充実度はさすが。徳山に来たら、寄ってみる価値ありのお店です。
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商店街は、駅から近い順に徳山みなみ銀座商店街、徳山銀座商店街、銀南街商店街が並行して並びます。この徳山銀座商店街が一番賑やかで、徳山みなみ銀座商店街はやや落ちるかなという感じです。
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銀座商店街の一本南側が銀南街商店街。裏通りという感じなんですが、マイナーでも名物店という感じの店が隠れているような雰囲気。
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日曜日だったせいか開いてない店も多くて、そこは残念でしたが、ワクワク感があることはしっかり確認できたように思います。
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まちのポートというのは、周南市の観光案内所のこと。みなみ銀座商店街の中ほどにあります。
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案内所の中にはお土産物の売り場もあったりするんですが、係の若い男の人に質問してもイマイチなにがお勧めか伝わってこない。他に、どこかないかと尋ねたら、さっきのたわらを紹介されてしまいました。
普段、観光客なんかめったに来ないんでしょうねえ。これで不満を言っても仕方ないかなと思います。 -
新幹線の改札を出てすぐの場所にあって、スタッフも二人いる。充実した案内所なんですが、新山口駅から山口駅はそれなりに離れていて、山口市に行こうとする観光客は新山口駅ではまだ落ち着いていない。ここでゆっくり情報をもらおうという気持ちにはならないでしょう。ただ、ここが玄関口であることも間違いないし、難しいところかと思います。
これで徳山はおしまい。 -
新山口駅に戻ってきました。
新山口駅の改札を出てすぐのおみやげ街道新山口。新幹線の駅にしてはちょっと寂しいなあという中にあって、ここが一人気を吐いている感じ。 -
東京でも人気が出てきた日本酒、獺祭(だっさい)をずらりと並べて、流行にも乗っていると思います。
で、お土産は本多屋懐古庵。ういろうは空港でも買えるかなと思ったら、生ういろうはここだけですとのこと。ういろうと生ういろう。試食してもそこまでの違いはないような気もしましたが、せっかくなのでそれを買いました。しかし、家族の反応も残念ながら特にどうということはなかったように思います。 -
アイスタ新山口は、新山口駅の駅ビル一階なんですが、改札出口は二階だし、二階からは新幹線口に出るような感じでエスカレータを降りて、そこからさらに回り込んだ場所。初めて新山口駅にきた観光客にはほとんど分かり辛い場所かなと思います。
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ところが、余裕のあるスペースに山口の海産物のお店やお菓子屋さんなどがきちんと入っていて、ショッピングモールとしてはずいぶん充実しています。新幹線口は裏のような位置づけだし、もったいない施設だなあと思いました。
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さて、そうこうしているうちに時間が来てしまいました。ここからリムジンで宇部空港に向かいます。
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宇部空港でも、ちょっとうろうろ。
やまぐち特産品プラザは、山口宇部空港のお土産物売り場。 -
ここにもふぐのてっさ2万円以上の豪華版が置いてあって、最後の最後まで山口はやっぱりふぐかという感じ。実際に買うなら、蒲鉾くらいかなとは思いますけど。。
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少し小腹がすいていることに気が付いて、それではと利用したのは角打 鍋島。立ち食いうどんみたいなお店。値段もリーズナブルだし、空港では珍しいような。
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ただ、私はうどんを食べていたのですが、気が付くと隣りでは日本酒を一杯やっている若いカップル。例の獺祭のようでしたが、なかなかおしゃれですね。むしろこっちの方がウリのようで、面白いコンセプトかもしれません。
さて、以上で山口の旅は終了。気が付くと山口の旅もけっこう回を重ねています。しばらくは間を置いてもいいかもしれませんね。。
お疲れ様でした。
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