2016/06/23 - 2016/06/23
29位(同エリア202件中)
玄白さん
オーストリア・チェコ一ヶ月のんびり旅の個別旅行記第1弾は、オーストリア入りする前に立ち寄ったミュンヘンでの観光の一つ、ノイシュバンシュタイン城訪問記である。
ダイジェスト版その1で、記しておいたように、当初は、ミュンヘン観光をするつもりはなかったのだが、連れ合いの希望により、南ドイツの鉄板観光名所、ノイシュバンシュタイン城へ。連れ合いの乙女時代からの夢だったというので行かない訳にはいかなかったのである。
公共交通機関の不便なところにあるので、手軽に効率よく行くことが出来る現地ツアーを利用。
個人的には、ノイシュバンシュタイン城に対しては歴史的・文化的価値を高く評価していないのだが、城建設当時の時代背景や城の所有者バイエルン王国第4代国王、ルートヴィッヒ2世の歴史上の評価を抜きにして見れば、美しい森と湖に囲まれて優雅に佇む城は、まさしくメルヘンの世界のようで、多くの観光客を魅了していることも頷ける。
参考
オーストリア・チェコ、貸別荘・ホリデイアパートで自炊しながらの一ヶ月間のんびり旅(1) ダイジェスト版その1 ザルツカンマーグート、チロル編
http://4travel.jp/travelogue/11152503
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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成田発KLM862便でアムステルダムへ。定刻より1時間以上遅れての出発となったが、乗り換え待ち時間が3時間以上あったので、混乱もなく、ミュンヘン空港には定刻20:05に着陸。
Sバーンにてミュンヘン中央駅へ。今宵の宿は、駅のすぐそばの Europäischer Hof Hotel。今回の旅行で唯一のホテル泊だ。 -
ザルツカンマーグートへの移動のために一夜のストップオーバーの宿のつもりだったので、駅に近くてそんなに高くないホテルということで選んだホテル。
部屋は清潔で・・・ -
バスタブ付きの洗面所。何も文句のつけようがないホテルである。
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ミュンヘンからノイシュバンシュタイン城へ公共交通機関を乗り継いで行く方法はネットなどで紹介されているが、本数が少なく、いかにも効率が悪い。しかも入場するまでに、なにかと手間がかかるらしい。ここだけで一日がかりになりそうだ。そこで、JTBの現地法人マイバス社のツアーを利用することにした。
現地ツアー予約サイトVELTRAで調べると類似のいくつかのツアーがあったが、VELTRAのHPに体験談を投稿するだけで、一人分の料金が期間限定でタダになる、通常ほかにリンダーホーフ城かヴィース教会のどちらかの組み合わせがほとんどだが、これら全てとオーバーアマガウ散策まで組み込まれていて、効率のよいツアー設計になっている。逆に一ケ所の滞在時間が少ないというデメリットがあるのかもしれないが、もともと、どうしても行ってみたいというほどの思いはなかったので、これで十分。
ツアーは7:15に中央駅26番ホーム集合。
たまたま停車していた、ドイツ国鉄自慢のICE T列車。主に山岳地帯が多い南ドイツ、オーストリアで運用されているタイプ。
もちろん、これに乗っていくわけではなく、ツアーはバスである。 -
定刻間近になったので、ツアーガイドが、バスの居場所を確認してくると集合場所を離れ、ガイド補助員を任せられてしまった連れ合い。
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定刻通り出発。
車窓からの風景。ミュンヘン市街地を抜けると、見渡す限りの畑が広がっている。
トウモロコシ畑のようだ。 -
太陽光発電の先進国ドイツ、あちこちに太陽光パネルが設置されている。1999年に設立されたQセルズというメーカーが高効率ソーラーパネルで世界を席捲したが、中国・韓国との価格競争、ドイツ政府の補助金削減で一旦倒産してしまったことは記憶に新しい。今は韓国財閥の傘下に入って復活している。
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鏡面のような湖や・・・
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牧草地帯も現れ、車窓からの風景は飽きることがない。
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牧草が茂る丘の先に見える山並みは、ツーク・シュピッツェを主峰とするドイツアルプス。山の向こう側はオーストリア、チロル州だ。
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牧草を刈り取った後の縞模様が面白い。
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ミュンヘンを出て、2時間弱。シュバンガウの村に入ってきた。
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Bannwald-seeという湖。草原の中を気持ちよさそうにサイクリングしている人が見える。
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ノイシュバンシュタイン城の麓のシュバンガウの集落に到着。
ここでバスを降りる。この麓に城の入場券売り場がある。ツアーなので、ツアコンがまとめて購入してくれるので、気が楽である。
ここから、城までは、①歩く ②シャトルバスを使う ③馬車を使うという3つの方法がある。歩くと30~40分かかる。ツアーなので時間節約のため、シャトルバスで移動だ。
シャトルバスが出るまで少し時間があるので、Alpseeという湖のほとりで、しばし撮影タイム。 -
水は澄んでいる。きれいな湖である。
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シャトルバス乗り場からは、ホーエンシュバンガウ城が見える。ノイシュバンシュタイン城を建てたルートヴィッヒ2世の父親、マクシミリアン2世が、12世紀に建てられ寂れていた古城を買い取って改修した城である。
ルートヴィッヒ2世は子供時代をここで過ごしていたという。 -
すぐ近くなので時間があれば行ってみたいところだが、悲しいかな、ツアーなのでそんな時間はとれない。
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シャトルバス乗り場。夏休みの観光ピークシーズンには、シャトルバス乗り場にも長蛇の列ができるらしい。
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シャトルバスの終点から歩いてノイシュバンシュタイン城に向かう。
その途中には、眺めの良いヴューポイントがある。麓のホーエンシュバンガウの集落、左にはAlpsee, 右はホーエンシュバンガウ城が見えている。 -
イチオシ
森の中にたたずむホーエンシュバンガウ城。森に囲まれた小さな湖はSchwan-see、文字通り白鳥の湖である。
ワーグナーのオペラ「ローエングリン」に出てくる船を引く白鳥の伝説は、この地に伝わるものだそうだ。ルートヴィッヒ2世がワーグナーのオペラの題材である中世のロマンに引き込まれ、特にローエングリンに傾倒していったのは、幼年時代をここで過ごしていたからなのかもしれない。 -
遠くに見える街並みはフュッセンだろうか
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Forggenn-seeのほとりに開けたシュバンガウ村
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イチオシ
望遠にて撮影
きれいな風景である。ノイシュバンシュタイン城の魅力は、城の美しさもさることながら、周囲がこの美しい景観に囲まれているからなのかもしれない。 -
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イチオシ
城の入口に向かって坂道を登っていくと、木立の間からノイシュバンシュタイン城が間近に見えてくる。
なお、途中に、マリエン橋という深い谷に架かる歩道橋があり、そこがノイシュバンシュタイン城の外観を眺めるビューポイントになっている。事前のチェックでは、橋の修復工事は5月末で終了するということだったが、いまだに工事は続いていて、残念ながら、そこでの景観は見られなかった。 -
城を回り込むように道が続いているので、城の形が変わっていく。
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イチオシ
赤いファサードで彩られている側が城の正面入り口である。
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城門
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門のアーチの上にはバイエルン王国の紋章が飾られている。
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門をくぐり、城の前庭で入場時間が来るまで待機。
入場券にはツアー番号が書かれていて、その番号がゲートに表示されるまで、中に入れない。
それまで、しばし撮影タイムである。城内に入ってしまうと、撮影禁止になってしまう。 -
彼方にマリエン橋が見えている。工事をやっているようには見えないのだが・・・
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<この城の主、ルートヴィッヒ2世について>
1845年、バイエルン王国3代目国王マクシミリアン2世とプロイセン王女だったマリーとの間に長子として生まれた。前に書いたとおり、幼少期は、この城からも眺められるホーエンシュバンガウ城で過ごしている。
1863年に王太子だったルートヴィッヒはプロイセンの鉄血宰相として知られているビスマルクと対面している。ビスマルクはルーヴィッヒを高く評価し、自分の執務室にルートヴィッヒの肖像を飾っていたほどだという。かれはルーヴィッヒの生来の非凡な才能を見抜いていたのかもしれない。
1864年に父マクシミリアン2世が無くなり、わずか19歳で4代国王に即位。国王として真っ先にやったことが、幼少のころから傾倒していたワーグナーを宮廷に召し抱えることだった。ワーグナーは今でこそ名オペラの作曲家として名声が固まっているが、存命中は素行良からぬ人物として悪評が絶えなかった。そのため、家臣たちからワーグナーを追い出すよう求められ、しぶしぶ追放せざるを得なかった。 -
イチオシ
<この城の主、ルートヴィッヒ2世について?>
1866年、プロイセン−オーストリア戦争が勃発。ルートヴィッヒは個人的には戦争に巻き込まれたくないという思いが強かったようだが、議会の圧力に屈して参戦せざるを得なかった。しかも、自分を認めてくれ、彼自身も尊敬していたというビスマルクのプロイセンを敵に回しての戦いだった。結果、オーストリアは惨敗しバイエルンも多額の賠償金をプロイセンに支払う羽目になってしまった。
王制とはいえ、このころのヨーロッパ各国は議会が力を持つようになってきており、国王専制というわけには行かなくなってきたのである。 -
<この城の主、ルートヴィッヒ2世について?>
こんなことが続いて、ルートヴィッヒはすっかり現実の政治が嫌になってしまい、幼少のころから親しんできた騎士道やゲルマン神話など中世のロマンにのめり込んでいった。すっかり人間嫌いになり、孤独を好むようになっていった。そして、自分が夢想する中世の世界を実現しようとして、時代錯誤の中世風のノイシュバンシュタイン城建設に多額の資金を注ぎ込み、国家財政を危うくしていったのである。
残念ながら、国のリーダーとしての実績は皆無なのである。 -
<ノイシュバンシュタイン城はなぜ世界遺産に登録されないのか?>
年間130万人も訪れるドイツの代表的な観光ポイントであり、世界の名城○○選といった人気ランキングでも常に上位にランクされるノイシュバンシュタイン城。しかし、ユネスコ世界遺産には登録されていない。
それは上述したルートヴィッヒ2世の伝記からすれば明らかだ。ノイシュバンシュタイン城を建設したのは19世紀後半の1869年のこと。イギリスの産業革命から100年近く経ち、各国とも近代国家建設に向けて鉄道、都市インフラなどの社会資本整備や近代産業育成に力を入れている時代である。極東の後進国日本でさえ、明治維新を経て近代国家に脱皮しようとしている時代である。そんな時代に、近代化に逆行するような中世の城を作り国家財政を危うくしてしまうというのは時代錯誤も甚だしいのである。ルートヴィッヒという一人のリーダー失格の人間の空想を現実化し、そこに逃避するためだけの仕掛けであり、歴史的・文化的価値の希薄な異形の建築物というしかないのである。
言葉は悪いが、成金趣味の現代の金持ちが自分の楽しみのためだけに鉄筋コンクリートで戦国時代の城の天守閣を作ったようなものに思えるのである。 -
参考までにユネスコ世界文化遺産の登録基準を記しておこう。
1.人類の創造的才能を表す傑作である。【人類の創造的傑作】
2.建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。【価値観の交流】
3.現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも稀有な存在)である。【文化的伝統、文明の存在】
4.歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。【建築様式、建築技術、科学技術の発展段階】
ノイシュバンシュタイン城が、どれかに該当するとは思えない。 -
この城は実は未完であるという。ルートヴィッヒ2世が建築途中で謎の死を遂げてしまったからである。生前、ルートヴィッヒは自分の死後、この城は取り壊すように言っていた。
しかし、壊すにも費用はかかる。他にもルートヴィッヒは城建築をやっていたし、プロイセンへの戦争賠償金の支払いもあり、財政は破綻寸前の状態だったので、城は壊さず、未完のまま一般公開されたのである。死後もなお、自分の意思を通すことが出来なかったルートヴィッヒ2世は、哀れといえば哀れではある。
だが、今やノイシュバンシュタイン城は国内外から大勢の人が来る観光地であり、ドイツでは数少ない観光収入が維持費用を上回る黒字の観光地なのだそうだ。彼は生前は国を破綻させかねない人物だったが、現代ではバイエルン州に多大な貢献をしているのである。今頃天国で苦笑いをしているのではなかろうか! -
ようやく、入場する順番が回ってきた。このゲートを通り城内に入る。
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ここから先は撮影禁止。
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歴史的・文化的価値はないなどとこき下ろしておきながら、ちゃっかり記念に来年のカレンダーを買い求めた。その中に内部の写真が数枚使われていたので借用させてもらった。
玉座の間
城内部でも特に絢爛豪華な部屋。手前にイタリア、トスカーナ産のカラーラ大理石を使った階段があり、その手前に玉座を置く台座が設置されている。しかし、工事途中でルートヴィッヒが亡くなったので、玉座はない。 -
寝室
壁画は、ワーグナーのオペラの題材にも使われている「トリスタンとイゾルデ」の物語の場面が描かれている。
明るく輝いている窓の下には洗面台が置かれ、白鳥の形をした水道の蛇口が設置されている。 -
更衣室兼化粧室。
壁画は、ワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタイジンガー」が題材になっている。
どこもかしこもワーグナー一色だ。 -
ツアーガイドの最後に案内される歌人の広間と言われている大ホール。
玉座の間に劣らぬ絢爛豪華な装飾、シャンデリア!壁画の題材は、ワーグナーのオペラ「パルシファル」である。
1867年にルートヴィヒはオペラ「タンホイザー」の舞台となったアイゼナッハのヴァルトブルク城を訪れ、そこの「歌合戦の間」を見て、こういうホールを持つ自分の城を作りたいという思いにかられたという。
ヴァルトブルク城については
旅行記「ドイツ フランクフルト&チューリンゲン州ちょっぴり観光」
http://4travel.jp/travelogue/10678740
参照 -
城の厨房
城の外観、装飾はことごとく中世風だが、キッチン、洗面所などの生活に必要な設備は、当時の最先端のものが使われている。トイレは水洗である。 -
ツアーコースが終わった所に、どこでもそうだが、土産物ショップがある。その横に城のジオラマが置かれていて、城の構造を立体的に俯瞰してみることが出来る。
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城内見学を終え、外に出る。写真ではよくわからないが塔の上空になにやら白いものが舞っている。何か植物の綿毛のようなものらしい。
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麓に下る道は、登ってきたときとは別ルートである。城へのアクセスは一方通行になっているのである。
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しつこく、ノイシュバンシュタイン城外観を撮る。
<ルートヴィッヒ2世について 余談>
彼が現実の政治が嫌になり、中世のロマンに逃避した孤独な生活を送るようになったことは既に記した通り。こうした行いから、家臣たちは、王の資格なしとして、精神科医グッテンら4人の医師に精神病であるという診断書を書かせ、強引に退位させミュンヘン郊外のシュタルンベルク城に幽閉、その翌日に医師グッテンとともに、城の前の湖で水死体となって発見されたのである。真相はなぞに包まれたままだが、なにやら推理小説の題材になりそうな話である。
もう一つのエピソードは、彼が同性愛者だったということである。一時期婚約の話もあったが、婚約の時期を自分で再三延期し破談にしてしまったのである。現代でこそ、LGBTは一種の障害という側面もあるが、その人権は保護しようという動きが広がっている。だが、キリスト教の影響が強い当時としては、神を冒涜する絶対的タブーであった。まして王家の者は結婚して後継者を作るということが、最大の責務であったのである。
こんなこともあって、退位させられてしまったのが真相らしい。
ルートヴィッヒ2世について調べてみたが、いまだ解けない疑問が一つある。王が望まないワーグナー追放やプロイセンーオーストリア戦争参戦を強いた家臣団、議会が、時代錯誤の中世風の築城に情熱を燃やす王の暴走を、どうして事前に食い止められなかったのだろうか?
まあ、事前に食い止められていたら、今日大勢の観光客を集める美しい城はこの世に存在しなかったのであるが・・・・ -
雲ひとつない好天で、暑い一日。麓に下る途中にあったカフェでジェラートで涼む。
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こんな小さな滝が途中にあった。
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麓のシュバンガウに降りて来た。続々と観光客が訪れている。
馬車で城に向かう人たち。 -
イチオシ
麓から見上げるノイシュバンシュタイン城
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たぶん、再びここを訪れることはないと思う。これが見納めである。
ツアーの次の目的地ヴィース教会に向かう。
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