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真言宗醍醐派の総本山醍醐寺は、山号を醍醐山(深雪山とも)と称し、貞観16年(874)京都の山科盆地に空海の孫弟子理源大師聖宝が開山して以来、加持祈禱や修法など実践を重視する真言密教の寺として歴史的にも重要な役割を果たしてきた名刹です。<br />開創期以来の本格的な密教美術の数々は本尊の彫刻や絵画、修法仏具などを始め 醍醐寺繁栄の歴史を伝える国宝「醍醐寺文書聖教 」は 修法の次第や方法、本尊についての記録、天皇や関白等の為政者の帰依を示す文書など7万点に及ぶと言われます。<br />安土桃山時代に豊臣秀吉が行った有名な「醍醐の花見」に関する文書の数々も大切に守られていると聞きます。<br />京都に近い奈良での歴史的意義をもつ展覧会というので 久し振りに鹿にも会えるからと出かけてきました。

芸術の秋…奈良にやって来ました醍醐寺展 !

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2014/09/12 - 2014/09/12

671位(同エリア6015件中)

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otto

ottoさん

この旅行記のスケジュール

2014/09/12

  • 近鉄奈良駅で降りて東向き商店街「月日亭」でランチ

  • 猿沢の池、興福寺・五十塔、浮御堂を過ぎて奈良国立博物館へ

この旅行記スケジュールを元に

真言宗醍醐派の総本山醍醐寺は、山号を醍醐山(深雪山とも)と称し、貞観16年(874)京都の山科盆地に空海の孫弟子理源大師聖宝が開山して以来、加持祈禱や修法など実践を重視する真言密教の寺として歴史的にも重要な役割を果たしてきた名刹です。
開創期以来の本格的な密教美術の数々は本尊の彫刻や絵画、修法仏具などを始め 醍醐寺繁栄の歴史を伝える国宝「醍醐寺文書聖教 」は 修法の次第や方法、本尊についての記録、天皇や関白等の為政者の帰依を示す文書など7万点に及ぶと言われます。
安土桃山時代に豊臣秀吉が行った有名な「醍醐の花見」に関する文書の数々も大切に守られていると聞きます。
京都に近い奈良での歴史的意義をもつ展覧会というので 久し振りに鹿にも会えるからと出かけてきました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 奈良国立博物館は近鉄奈良駅から県庁前の大通りを直線距離で徒歩15分のところにありますが、お腹も空いたしランチを済ませてからお気に入りの三条通を散策しながら訪問することにしました。

    奈良国立博物館は近鉄奈良駅から県庁前の大通りを直線距離で徒歩15分のところにありますが、お腹も空いたしランチを済ませてからお気に入りの三条通を散策しながら訪問することにしました。

  • 近鉄奈良駅 で降りるとすぐ右手に現れるのが東向商店街<br />ここは奈良観光の人々で賑わう楽しい通りです。

    近鉄奈良駅 で降りるとすぐ右手に現れるのが東向商店街
    ここは奈良観光の人々で賑わう楽しい通りです。

  • この通りで よく立寄るのがお気に入りの「月日亭」です。

    この通りで よく立寄るのがお気に入りの「月日亭」です。

  • 京都にも出店しています。点心膳をいただきました。

    京都にも出店しています。点心膳をいただきました。

  • 通りを抜けて左に折れ 猿沢の池を過ぎるあたり、

    通りを抜けて左に折れ 猿沢の池を過ぎるあたり、

  • 左手前方に興福寺の五重の塔が現れます。ランドマーク的な建物です。

    左手前方に興福寺の五重の塔が現れます。ランドマーク的な建物です。

  • しばらくして右手に見える鷺池の浮御堂。...<br />近鉄沿線の観光ポスターに描かれていますね。<br />地元の方の散歩コースにもなっています。<br />大好きなポイントです。<br />

    しばらくして右手に見える鷺池の浮御堂。...
    近鉄沿線の観光ポスターに描かれていますね。
    地元の方の散歩コースにもなっています。
    大好きなポイントです。

  • ここを左に行くと見えてくるのが…<br />

    ここを左に行くと見えてくるのが…

  • 奈良国立博物館   です。<br /><br />〒630-8213 奈良県奈良市登大路町50<br />電話:050-5542-8600(NTTハローダイヤル) <br />

    奈良国立博物館 です。

    〒630-8213 奈良県奈良市登大路町50
    電話:050-5542-8600(NTTハローダイヤル)

  • 快晴の奈良は爽やかでまさに美術の秋日和。<br />入り口の看板に近寄ると………

    快晴の奈良は爽やかでまさに美術の秋日和。
    入り口の看板に近寄ると………

  • 「本展は国宝・重要文化財に指定された仏像や仏画を中心に、濃密な密教美術の世界を体感するとともに、普段は公開されない貴重な史料・書跡を通じて、平安時代から近世にいたる醍醐寺の変遷をたどるものです」と高らかに謳われています。

    「本展は国宝・重要文化財に指定された仏像や仏画を中心に、濃密な密教美術の世界を体感するとともに、普段は公開されない貴重な史料・書跡を通じて、平安時代から近世にいたる醍醐寺の変遷をたどるものです」と高らかに謳われています。

  •  トップスターはポスターの<br />快慶作【弥勒菩薩坐像】重文<br /><br />威厳に満ちた穏やかな佇まいに惹かれます。<br /><br /><br /><br /><br />

     トップスターはポスターの
    快慶作【弥勒菩薩坐像】重文

    威厳に満ちた穏やかな佇まいに惹かれます。




  • 昨年、醍醐寺にある約7万点の文書や聖教が国宝に指定されたのを記念して、歴史的にも繋がりの深い奈良での展覧会となったようです。<br />国宝、重要文化財やく150件を含む仏像や仏画など190件が出店されています。<br />出展作品の一覧表を貰いましたがとても覚えきれません。<br /><br /><br /><br />

    昨年、醍醐寺にある約7万点の文書や聖教が国宝に指定されたのを記念して、歴史的にも繋がりの深い奈良での展覧会となったようです。
    国宝、重要文化財やく150件を含む仏像や仏画など190件が出店されています。
    出展作品の一覧表を貰いましたがとても覚えきれません。



  • 上醍醐の薬師堂は保安2年(1121年)の創建で、ご本尊も創建以来のものです。<br />中尊が2メートル近くの像容を誇る国宝《薬師如来および両脇侍像》<br />平安彫刻の白眉に数えられるもので必見です。<br />薬師如来は普通、これといって目立った特徴を持つものが少ないのですが 仏像としての魅力はこのお薬師さんが 丈六の大きさながらも重厚感があってかなり大きく見えるところです。<br />光背についている6体の小さなお薬師さんにも魅力がありますね。<br /><br />

    上醍醐の薬師堂は保安2年(1121年)の創建で、ご本尊も創建以来のものです。
    中尊が2メートル近くの像容を誇る国宝《薬師如来および両脇侍像》
    平安彫刻の白眉に数えられるもので必見です。
    薬師如来は普通、これといって目立った特徴を持つものが少ないのですが 仏像としての魅力はこのお薬師さんが 丈六の大きさながらも重厚感があってかなり大きく見えるところです。
    光背についている6体の小さなお薬師さんにも魅力がありますね。

  • 次に優麗な重要文化財《如意輪観音坐像》<br /><br />聖宝の弟子で座主となり、密教の重要経典「大日経」の注釈書「大日経疏(しょ)」を研究した観賢(かんげん)の思想が右手の表現などに反映されているといいます。<br />開山堂と同じく上醍醐山頂に並ぶ如意輪堂は<br />西国三十三所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られます。上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並びます。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂とその間に白山大権現祠が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院があるそうです。

    次に優麗な重要文化財《如意輪観音坐像》

    聖宝の弟子で座主となり、密教の重要経典「大日経」の注釈書「大日経疏(しょ)」を研究した観賢(かんげん)の思想が右手の表現などに反映されているといいます。
    開山堂と同じく上醍醐山頂に並ぶ如意輪堂は
    西国三十三所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られます。上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並びます。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂とその間に白山大権現祠が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院があるそうです。

  • 重要文化財【如意輪観音坐像】(10世紀)<br /><br />同じ像を角度を変えて拝見すると又 感じが異なって不思議です。<br />頭を傾け、右手の指を頬に添えて思惟(しゆい)する体勢。膝を立てて座り上体を傾けた何とも優美な姿は、日本の如意輪観音像の代表作と呼ばれます。<br />

    重要文化財【如意輪観音坐像】(10世紀)

    同じ像を角度を変えて拝見すると又 感じが異なって不思議です。
    頭を傾け、右手の指を頬に添えて思惟(しゆい)する体勢。膝を立てて座り上体を傾けた何とも優美な姿は、日本の如意輪観音像の代表作と呼ばれます。

  • 【不動明王像 】を中心に170~180cmの大きさの五大明王が一堂に並ぶ姿は圧巻です。<br />標高450mの上醍醐といわれるお山から一挙に下りてこられた五体の明王は向かって左から 【大威徳、軍荼梨、不動、降三世、金剛夜叉明王像】

    【不動明王像 】を中心に170~180cmの大きさの五大明王が一堂に並ぶ姿は圧巻です。
    標高450mの上醍醐といわれるお山から一挙に下りてこられた五体の明王は向かって左から 【大威徳、軍荼梨、不動、降三世、金剛夜叉明王像】

  • 異彩を放つのがアンバランスにも見える大胆なポーズ。金剛夜叉明王像をはじめ四明王のアクロバティックともいえる表現は当時、実験的だったでしょう。<br />重々しく緻密な造形が多い平安前期と、手足が細長く伸びやかな表現の平安後期とをつなぐポジションに位置付けられるといわれます。<br />因みに京都醍醐寺の「五大力さん」と慕われる大法要では大きな餅を担ぎ上げる力比べでも知られています。<br /><br /><br />

    異彩を放つのがアンバランスにも見える大胆なポーズ。金剛夜叉明王像をはじめ四明王のアクロバティックともいえる表現は当時、実験的だったでしょう。
    重々しく緻密な造形が多い平安前期と、手足が細長く伸びやかな表現の平安後期とをつなぐポジションに位置付けられるといわれます。
    因みに京都醍醐寺の「五大力さん」と慕われる大法要では大きな餅を担ぎ上げる力比べでも知られています。


  • 【大威徳明王像】平安時代<br /><br />険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...<br />「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。<br />そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

    【大威徳明王像】平安時代

    険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...
    「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。
    そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

  • 【降三世明王像】江戸時代<br /><br />険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...<br />「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。<br />そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

    【降三世明王像】江戸時代

    険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...
    「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。
    そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

  • 【不動明王像】江戸時代<br /><br />迫力の重要文化財《五大明王像》は醍醐寺の信仰を象徴するとともに、<br />中尊・不動明王の大きな目玉がせり出す憤怒の形相も迫力満点<br />険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...<br />「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。<br />そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

    【不動明王像】江戸時代

    迫力の重要文化財《五大明王像》は醍醐寺の信仰を象徴するとともに、
    中尊・不動明王の大きな目玉がせり出す憤怒の形相も迫力満点
    険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...
    「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。
    そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

  • 【降三世明王像】江戸時代<br /><br />険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...<br />「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。<br />そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

    【降三世明王像】江戸時代

    険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...
    「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。
    そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

  • 大威徳、軍荼梨、不動、降三世、に続き最右翼が【金剛夜叉明王像】<br /><br />険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...<br />「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。<br />そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

    大威徳、軍荼梨、不動、降三世、に続き最右翼が【金剛夜叉明王像】

    険しい表情ながらも5体明王が慈愛に満ちた迫力で伝えようとしているのは...
    「思うだけでは駄目ですよ!一歩を力強く踏み出し、行動しましょう!」という大きな祈りです。不安な心、自信のない心に力を与える祈りです。
    そして心に力を得て、実践し、実行していくことにより人々の生活の繁栄、町の繁栄、国の繁栄へと連なっていく祈りでもあります。

  • 修法というのは、密教の加持祈禱のことで目的に応じた作法を用い儀式を行います。<br />その種類は息災法・敬愛法・降伏法など、色々ありますが、目的に応じてそれぞれに適した主尊の仏画を飾り、心でその主尊を念じながら印を結び、主尊の真言を唱えます。<br /><br />「五大尊像のうち不動明王」鎌倉時代、醍醐寺蔵、国宝 画像提供:奈良国立博物館(展示期間:9月19日~10月15日) <br />輝かしい火炎を背にした不動明王が画面いっぱいに描かれています。きわめて保存状態がよく、着衣の精緻な截金も鮮やかに残されています。<br />絹本著色五大尊像の、五幅あるうちの一幅、降三世明王像の掛軸です。<br />密教の五壇法(ごだんほう)の本尊で、五大尊像として最古のもの。?結構な大きさで、縦2mくらいあります。

    修法というのは、密教の加持祈禱のことで目的に応じた作法を用い儀式を行います。
    その種類は息災法・敬愛法・降伏法など、色々ありますが、目的に応じてそれぞれに適した主尊の仏画を飾り、心でその主尊を念じながら印を結び、主尊の真言を唱えます。

    「五大尊像のうち不動明王」鎌倉時代、醍醐寺蔵、国宝 画像提供:奈良国立博物館(展示期間:9月19日~10月15日) 
    輝かしい火炎を背にした不動明王が画面いっぱいに描かれています。きわめて保存状態がよく、着衣の精緻な截金も鮮やかに残されています。
    絹本著色五大尊像の、五幅あるうちの一幅、降三世明王像の掛軸です。
    密教の五壇法(ごだんほう)の本尊で、五大尊像として最古のもの。?結構な大きさで、縦2mくらいあります。

  • 【文殊来迎図】(国宝)<br />静かな悟りの境地に導く仕掛け。<br />密教では現世利益の実現を重んじ、加持祈祷(かじきとう)など修法を実践する。本尊として仏画や仏像は欠かせず、鎮護国家や厄災の調伏、雨乞いなど目的別に様々な仏画・仏像が制作されました。複数の顔と腕を持つ「多面多臂(ひ)」、憤怒の形相、青や赤の鮮烈な色彩。魔や怨敵を退散させ煩悩を焼き尽くすために、力強い独特の表現が採られました。

    【文殊来迎図】(国宝)
    静かな悟りの境地に導く仕掛け。
    密教では現世利益の実現を重んじ、加持祈祷(かじきとう)など修法を実践する。本尊として仏画や仏像は欠かせず、鎮護国家や厄災の調伏、雨乞いなど目的別に様々な仏画・仏像が制作されました。複数の顔と腕を持つ「多面多臂(ひ)」、憤怒の形相、青や赤の鮮烈な色彩。魔や怨敵を退散させ煩悩を焼き尽くすために、力強い独特の表現が採られました。

  • 舞楽図屏風 (俵屋宗達)<br /><br /><br /><br />

    舞楽図屏風 (俵屋宗達)



  • 醍醐寺は空海が説いた真言密教の中核寺院の一つとして曼荼羅や宝具等の神秘的な品々を通じて深遠な真言密教の ワールドに浸れます。<br /><br />【金銅五鈷鈴】 重文<br />精巧な作りと美しいフォルム きっといい音色がするのでしょうね。

    醍醐寺は空海が説いた真言密教の中核寺院の一つとして曼荼羅や宝具等の神秘的な品々を通じて深遠な真言密教の ワールドに浸れます。

    【金銅五鈷鈴】 重文
    精巧な作りと美しいフォルム きっといい音色がするのでしょうね。

  • 【金銅九鈷鈴】 <br />どんな風に使用されるのか実際に見聞してみたいです。

    【金銅九鈷鈴】
    どんな風に使用されるのか実際に見聞してみたいです。

  • 醍醐寺と奈良の交流に僧侶たちが結んだ知られざる絆についても初めて知ることができました。

    醍醐寺と奈良の交流に僧侶たちが結んだ知られざる絆についても初めて知ることができました。

  • ■空海の「メモ」<br />寺側が特に思いを込めて出展するのが国宝【大日経開題】。<br />密教を修学していた若き空海が「大日経疏」から大事なポイントを抜き書きしたメモと考えられています。<br />さまざまな質や寸法の紙を貼り継いであり、楷書と行書、草書が混在する。「字の間隔も書体もばらばら、気取りが全く見えません。日本の真言密教はここから始まったとの解説が添えられています。<br />醍醐寺は開山以来寺宝や文書聖教などを大切に伝承してきました。<br />戦乱や明治維新後の廃仏毀釈の波にも飲み込まれず僧侶たちはこれ等の物を守り抜きました。大正3年(1914)からは文書調査が間断なく続けられ今も継続されているそうです。<br />

    ■空海の「メモ」
    寺側が特に思いを込めて出展するのが国宝【大日経開題】。
    密教を修学していた若き空海が「大日経疏」から大事なポイントを抜き書きしたメモと考えられています。
    さまざまな質や寸法の紙を貼り継いであり、楷書と行書、草書が混在する。「字の間隔も書体もばらばら、気取りが全く見えません。日本の真言密教はここから始まったとの解説が添えられています。
    醍醐寺は開山以来寺宝や文書聖教などを大切に伝承してきました。
    戦乱や明治維新後の廃仏毀釈の波にも飲み込まれず僧侶たちはこれ等の物を守り抜きました。大正3年(1914)からは文書調査が間断なく続けられ今も継続されているそうです。

  • 豊臣秀吉像 と金天目・金天目台<br /><br />室町時代の応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残されたのですが豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が再建されたりなどし、今日の姿となったのです、<br />

    豊臣秀吉像 と金天目・金天目台

    室町時代の応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残されたのですが豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が再建されたりなどし、今日の姿となったのです、

  • 五重塔壁画 大日如来(心柱西面)<br /><br />醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展しました。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになりました。

    五重塔壁画 大日如来(心柱西面)

    醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展しました。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになりました。

  • 中世以降、醍醐寺は足利将軍や豊臣秀吉ら時の権力者の帰依を受けた。華麗な文化の中心となった当時のきらびやかな品々も展示会場を彩ります。<br />その中で出色の彩色を排した力強い筆致の不動明王<br />重要文化財「不動明王図像」(信海筆、弘安5年=1282年)は同寺の白描図像を代表する一つ。墨の濃淡や線の太さを巧みに使い分け、荒海にそそりたつ岩に立つ不動明王を描く。あちこちに修正した跡が残り、試行錯誤した様子が見て取れる。描かれたのは2度目の蒙古襲来の翌年。元軍撃退や和平を祈願したとの説があります。

    中世以降、醍醐寺は足利将軍や豊臣秀吉ら時の権力者の帰依を受けた。華麗な文化の中心となった当時のきらびやかな品々も展示会場を彩ります。
    その中で出色の彩色を排した力強い筆致の不動明王
    重要文化財「不動明王図像」(信海筆、弘安5年=1282年)は同寺の白描図像を代表する一つ。墨の濃淡や線の太さを巧みに使い分け、荒海にそそりたつ岩に立つ不動明王を描く。あちこちに修正した跡が残り、試行錯誤した様子が見て取れる。描かれたのは2度目の蒙古襲来の翌年。元軍撃退や和平を祈願したとの説があります。

  • 醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展しました。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになりました。その後、室町時代の応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残されたのですが豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が再建されたりなどし、今日の姿となったのだということを学びました。<br />

    醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展しました。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになりました。その後、室町時代の応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残されたのですが豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が再建されたりなどし、今日の姿となったのだということを学びました。

  • 熱気ほとばしる密教文化神髄の一端に触れ、<br />のぼせた頭を暫し愛らしい鹿の仕草に癒されておりました。<br /><br /><br />ここで上醍醐と下醍醐の主な建物をピックアップしてみました。

    熱気ほとばしる密教文化神髄の一端に触れ、
    のぼせた頭を暫し愛らしい鹿の仕草に癒されておりました。


    ここで上醍醐と下醍醐の主な建物をピックアップしてみました。

  • 醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある寺院。真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称します。古都京都の文化財として世界遺産に登録されていて、京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を有し 豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。<br />本尊・薬師如来坐像(重要文化財)と日光菩薩・月光菩薩と四天王像を安置する。堂内は内陣と外陣(礼堂)の境に結界や間仕切りがなく、一体の空間とする点に特色がある。

    イチオシ

    醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある寺院。真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称します。古都京都の文化財として世界遺産に登録されていて、京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を有し 豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。
    本尊・薬師如来坐像(重要文化財)と日光菩薩・月光菩薩と四天王像を安置する。堂内は内陣と外陣(礼堂)の境に結界や間仕切りがなく、一体の空間とする点に特色がある。

  • 如意輪堂 本殿 (重文)<br /><br />山頂に並ぶ開山堂と如意輪堂は西国三十三所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られる。上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂とその間に白山大権現祠が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院があります。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    如意輪堂 本殿 (重文)

    山頂に並ぶ開山堂と如意輪堂は西国三十三所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られる。上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂とその間に白山大権現祠が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院があります。








  • 薬師堂(国宝) <br />薬師堂は保安2年(1121年)の創建で、ご本尊も創建以来のものです。<br />薬師如来は普通、これといって目立った特徴を持つものが少ないので、仏像としての魅力を感じるのはなかなか難しいなあと感じているのですが、このお薬師さんは半丈六の大きさながらも重厚感があってかなり大きく見えます。<br />光背についている6体の小さなお薬師さんも魅力的。

    薬師堂(国宝)
    薬師堂は保安2年(1121年)の創建で、ご本尊も創建以来のものです。
    薬師如来は普通、これといって目立った特徴を持つものが少ないので、仏像としての魅力を感じるのはなかなか難しいなあと感じているのですが、このお薬師さんは半丈六の大きさながらも重厚感があってかなり大きく見えます。
    光背についている6体の小さなお薬師さんも魅力的。

  • 上醍醐	<br />山頂に並ぶ開山堂と如意輪堂<br />西国三十三所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られる。上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂とその間に白山大権現祠が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院がある。<br />清瀧宮拝殿(国宝)<br />南側から 醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展しました。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになりました。

    上醍醐
    山頂に並ぶ開山堂と如意輪堂
    西国三十三所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られる。上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂とその間に白山大権現祠が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院がある。
    清瀧宮拝殿(国宝)
    南側から 醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展しました。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになりました。

  • 醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展しました。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになりました<br />「下醍醐五重塔」平安時 (国宝)<br />醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の天暦5年(951)に完成した。京都府下最古の木造建造物で内部の壁画は、日本密教絵画の源流をなすものといわれている。<br /><br /><br />上醍醐と下醍醐は険しい山道で隔てられ、徒歩で1時間は要する。<br /><br />本尊の薬師如来像を安置する金堂、三宝院などを中心に、上醍醐とは対照的に絢爛な大伽藍が広がる。応仁の乱でほぼ全焼し、その後も焼失・再建を繰り返しているが、護摩道場前に建つ五重塔は創建当時のまま現在に残る。また五重塔内部の壁画も国宝に指定されており、壁画中の空海像は同人の肖像として現存最古のものである。

    醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展しました。後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになりました
    「下醍醐五重塔」平安時 (国宝)
    醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の天暦5年(951)に完成した。京都府下最古の木造建造物で内部の壁画は、日本密教絵画の源流をなすものといわれている。


    上醍醐と下醍醐は険しい山道で隔てられ、徒歩で1時間は要する。

    本尊の薬師如来像を安置する金堂、三宝院などを中心に、上醍醐とは対照的に絢爛な大伽藍が広がる。応仁の乱でほぼ全焼し、その後も焼失・再建を繰り返しているが、護摩道場前に建つ五重塔は創建当時のまま現在に残る。また五重塔内部の壁画も国宝に指定されており、壁画中の空海像は同人の肖像として現存最古のものである。

  • 清瀧宮拝殿(国宝)  <br />室町時代の応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残されました。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が再建されたりなどし、今日の姿となったそうです。

    清瀧宮拝殿(国宝)
    室町時代の応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残されました。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が再建されたりなどし、今日の姿となったそうです。

  • 三宝院唐門(国宝)

    三宝院唐門(国宝)

  • 飛火野に夕暮れが兆してきました。

    飛火野に夕暮れが兆してきました。

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