2016/06/18 - 2016/06/18
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えいちゃんさん
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広い三渓園〜外苑一周に2時間をかけて散策
11時から管理事務所前に集まるとボランティアガイドツアーがあるとのアナウンスが聞こえた
そこで、内苑を1時間たっぷり案内していただいた
そろそろランチタイム〜中華街でお目当の食材を買い、MARINE&WALK YOKOHMA に向かう
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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高浜虚子の句碑を右手に見ながら進む
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三渓園茶寮・月影の茶屋・雁ヶ音茶屋と粋な名前のおやすみ処が三軒
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三渓園では年間を通してイベントが開催されている
今は花ショウブ展
アヤメ・カキツバタ・花菖蒲の違いが詳しく記載されていた -
花菖蒲の様々系統
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原三渓翁の碑
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案内板
三渓記念館にある管理事務所に行くとボランティアガイドの方が数名
まだ内苑を見ていない旨を伝え案内していただいた -
御門の案内板
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京都の西方寺から移築された薬医門
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御門の内側
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御門
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白雲邸
三溪が隠居所として夫人とともに暮らした数奇屋風建築
倉は初期の鉄筋コンクリート造
孫たちが遊びに来た時にと、床をコルクにしたとか〜ハイカラさん -
白雲邸
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個人のお宅とは思えない
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進んで行く
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豊臣秀吉が母大政所の平癒祈願の為に大徳寺に建てた寿塔
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旧天瑞寺寿塔覆堂
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扉の彫りが見事
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水瓶
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空をみあげてみたら、紅葉の葉が透けて綺麗
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個人のお宅にこんなものがあるなんて驚き
ウエディングの先撮り写真撮影の数組のカップルに遭遇 -
亭榭
屋根の下にはベンチがある -
亭榭から臨春閣を望む
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亭榭
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臨春閣から亭榭を望む
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臨春閣
紀州徳川家藩主の頼宣が和歌山-紀ノ川沿いに建てた数奇屋風書院造りの別荘
内部は狩野派などの絵師による障壁画や洗練されたデザインが各所に見られる〜オリジナルは三渓記念館で保存-展示 -
この辺りまで当時は海だったそうで、移築された建物は船で分解して運んだらしい
建物を配してから、イメージ通りに池を数年かけて配した懲りよう -
亭榭から見た聴秋閣
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瓢箪文手水鉢
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臨春閣から白雲邸を望む
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臨春閣のらんまの飾り〜笙-楽器
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建物の雨戸を全て一箇所に収納し、この仕掛けで動かす(下)
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仕掛け(上)
戸の真ん中で回転させて動かしていく〜凄い -
身代わり灯籠
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手水鉢
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圧巻はこの障子の桟
一枚板をくり抜いて作った一品〜透けて見える部分を彫り取ったということ -
一枚岩の橋を渡り奥へ進む
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天授院と月華殿の看板
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天授院の紅葉
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天授院
鎌倉 建長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂 -
金毛窟
三渓の構想による一畳台目の茶室 -
月華殿
伏見城にあった大名来城の際の控え室 -
聴秋閣
二条城内にあったといわれる、徳川家光-春日局ゆかりの楼閣建築
ここの二階で春日局が大名と密談していたらしい -
聴秋閣入り口の大岩の橋
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聴秋閣玄関のたたき
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粋なたたき
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聴秋閣裏手の遊歩道は秋の紅葉の時期に一般開放される
この上から聴秋閣越しに見える三重の塔の景色はガイドの方一押しスポット〜秋に訪れたい -
遊歩道
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ここの紅葉が真っ赤に染まった様子を思い描いてみた
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聴秋閣の屋根は入り組んだ作りになっている
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石の棺
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春草廬
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春草廬
三畳台目の小間は織田信長の弟の有楽作と言われている茶室
見えにくいが躙り口右上に刀置き台が設けてある -
この庭には東大寺の敷石の伽藍石がある
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蓮華院と竹林
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内苑を出て三渓園の出口に向かう途中にある大きな蓮池のほとりに咲いていたネジバナ
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蓮池と鶴翔閣
木々が生い茂って建物が屋根しか見えない -
鶴翔閣
三渓が住まいとして建てた950平米
三渓と交流のあった文化人や政財界人らが多く出入りしていた場所 -
これが鶴翔閣玄関の車寄せ
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建物の奥から見た玄関
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レンガの建物はボイラー室
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ボイラー室内部
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藤棚越しの大池
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出口まで右手にある大池と花菖蒲を今一度愛でる
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更に今一度三重の塔を目に焼き付けた
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原三渓市民研究会のサイトに掲載されている
「原三渓とはどんな人?」を要約
本名原富太郎(1868〜1939)
生糸貿易で財を成した実業家にして古美術と近代日本美術のコレクター
新進画家のパトロン、自らも絵筆をとる文人であり茶人
三溪の号は自邸がある本牧三之谷の地名からとった
富岡製糸場など製糸業にも進出して近代的な事業経営を次々と展開する
日本美術の収集、三溪園の造園、院展の画家や彫刻家に対する物心両面の援助を行う
三溪園を一般公開したのが1906年(明治39)安田靫彦や前田青邨ら若手画家への支援
晩年は親しい友人・知人との三溪園での茶会や、自らの書画三昧の生活を楽しむ 1939年(昭和14)逝去、享年70
日本文化を破壊してきた明治政府とは相反して、莫大な資金で素晴らしい建物を移築-保存し
、こだわりをもって再現していく粋な翁がいた証が「三渓園」なのだと思う
そんな翁に会ってみたかった
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