2016/06/19 - 2016/06/19
500位(同エリア1671件中)
青によしさん
京都市伏見にあります、赤い大鳥居が目印の「御香宮神社」(ごこうのみやじんじゃ、または、ごこうぐうじんじゃ)へ📸
京阪電車…伏見桃山駅、近鉄京都線…桃山御陵前下車、JR奈良線…桃山駅下車、いずれも徒歩5分以内にあります。
まずは目にする表門は、旧伏見城大手門を移築したもの。
元和8年(1622年)徳川頼房の寄進によって建立されました。
その表門上部には、中国の「二十四孝」のうち「4つの彫刻」の蟇股があります👀
「二十四孝」(にじゅうしこう)は、中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物です。
儒教の考えを重んじた歴代中国王朝は、孝行を特に重要な徳目として治世を行ないました。
二十四孝は、日本にも伝来し大いに模範とされ、仏閣等の建築物に人物図などが描かれました。
また、御伽草子や、寺子屋の教材にも採られました。
また、本殿の前に湧き出た水は「御香水」として、名水百選に選定されています💧
伏見の七名水の一つで、徳川頼宣、義直の各公は、この水を産湯として使われたそうです。
ボトルに取水して持ち帰りしましたので、コーヒーを淹れて飲んでみます☕
御香宮神社 京都市伏見区御香宮門前町174
御祭神 神功皇后(じんぐうこうごう)
御利益 安産、子育て、開運厄除
10月1日から9日までの「神幸祭」は(年によって日がかわります)伏見九郷の総鎮守の祭礼とされ、古来「伏見祭」とされ、今も洛南随一の大祭として賑わいます✨
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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大手筋商店街、京阪伏見桃山駅、近鉄桃山御陵前駅を結ぶ道に建つ御香宮の鳥居。
表門は、くぐってすぐ左側です。 -
南向きの表門の前の道路に、西向きで立つ鳥居。
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表門(重要文化財指定)
元和8(1622)年に旧伏見城大手門を初代水戸藩主徳川頼房(水戸黄門の父)の寄進により建立されました。 -
御祭神 神功皇后(じんぐうこうごう)
御利益 安産、子育て、開運厄除 -
境内、石の鳥居をくぐり拝殿、本殿へと続く参道
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割拝殿前から境内参道、表門方向を振り返ります
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割拝殿
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割拝殿の彫刻
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「鯉の瀧のぼり」割り拝殿の彫刻
割拝殿の正面軒唐破風は、手の込んだ彫刻によって埋められています。
特に五三桐の蟇股や大瓶束によって左右区切られている彫刻は、向かって右は「鯉の瀧のぼり」、すなわち龍神伝説の光景を彫刻し、左はこれに応ずる如く、琴高仙人が鯉に跨って瀧の中ほどまで昇っている光景を写しています。 -
寛永二年(1625)、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進による入母屋造、本瓦葺の割拝殿は、手の込んだ彫刻によって埋められています。
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本殿
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本殿前にあります名水「御香水」
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名水百選 認定書「伏見の御香水」
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名水『御香水』
この水を汲みにここを訪れる人が絶えません。
貞観4(862)年に、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったのだとか。
もともと「御諸(みもろ)神社」と呼ばれていましたが、時の天皇・清和天皇から「御香宮」と名を賜り、境内から湧き出た水も『御香水』と呼ばれるようになりました。御香水は桃山の伏流水で、伏水・伏見(ふしみ)の地名の起こりとされ、現在でも霊水として、病気平癒、茶道・書道、生活用水として持ち帰られています。 -
江戸の作庭師・小堀遠州によってつくられた石庭が復元されています。
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表門上部には、中国の「二十四孝」のうち「4つの彫刻」の蟇股があります。
向かって右から、
楊香、敦巨、唐夫人、孟子の物語の順にならんでいます。 -
●「楊香」の話
普の時代、楊香(ようきょう)という十四歳の若者がいました。
ある時、父親とともに田を耕しに行きました。
すると突然、山の中から一頭の白い額の虎が出てきて父親に食いつこうとした。
楊香はわが身の危険をもかえりみず、急いで走りより、両手で虎の首にとりついた。虎は首にとりつかれたので、父親に食いつこうとしていた口を放した。
虎も楊香の捨て身には何かを感じたとみえて
間一髪のところで突然、虎が静かになり、襲いかかるのをやめ、おとなしく林の中へ帰っていきました。
この話は村中で話題になりましたが、みな口々に「普段から父を大切にし良く働いている楊香の行いを、天がちゃんと見ていてくださったのだろう」と言ったそうです。 -
●「郭巨」の話
郭巨(かっきょ)の家は貧しく、母と妻、三歳になる子どもがいました。
郭巨の母は孫をかわいがり、自分の少ない食事を孫に分け与えていました。ある日郭巨は妻に言いました。「母の食事さえ充分ではないほど我が家は貧しい。私たち夫婦は、また子を授かることはできるが、母を授かることは二度とない。だからこの子を埋めるしかないんだよ」と。
妻は悲嘆にくれましたが、夫の命に従うしかありませんでした。
やがて郭巨が涙ながらに地面を掘り始めました。すると、土中に黄金の釜があり、釜には「孝行な郭巨に天がこの釜を与える」という内容の文字が刻まれていました。
郭巨は、黄金の釜を子どもと一緒に持ち帰り、いっそう母に孝行をつくしたということです。 -
●「唐夫人」の話
唐婦人(とうのふじん)は姑にあたる長孫夫人に大変孝行をつくした人でした。長孫夫人は年老いて歯がないため、唐婦人はいつも自らの乳を食事の代わりに出していました。また、毎朝姑の髪を串で整えるなど、さまざまな孝行をつくしていました。
ある日、自らの命がもう長くはないと悟った長孫婦人は、一族を集め「我が家の唐婦人からは数々の恩を受けました。けれどもその恩に報いずに死ぬことが心残りです。せめて私の子孫であるあなたがたは、唐婦人の行いを真似て過ごしてもらいたい。そうすれば必ず繁栄がもたらされるでしょう」と伝えました。
唐婦人の一族はその後栄え、こんなに姑に孝行な人はめったにいないと評判になったといいます。 -
●「孟宗」の話
孟宗(もうそう)は幼いときに父を亡くし、年老いた母を養っていました。
やがて母が病気になり、味覚が変わってしまった母は、あれこれと違う食べ物を欲しがりました。
ある冬の日、母に筍が食べたいといわれた孟宗は、あろうはずもない筍をもとめて竹林に向かいました。雪をかきわけ掘れども掘れども一向に筍は姿を現しません。
途方にくれ、涙を流しながら一本の竹に寄りかかると、突然大地が裂け、たくさんの筍が姿を現しました。
孟宗は大変喜び、掘ってきた筍で筍汁を作りました。母親に食べさせたところ、たちまち病気が治り、天寿を全うすることができたそうです。 -
伏見城跡から発掘された残石が置かれています。
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