2016/06/03 - 2016/06/06
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ペコちゃんさん
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瀬戸内海に面する尾道は、岡山市と広島市のほぼ中間の街で、古くから海運で繁栄してきました。
明治時代には山陽鉄道が開通し、鉄道と海運の接点となって、広島県東部で最大の都市となりましたが、昭和40年代初頭には福山市に中心地の座を明け渡します。
「坂の街」「文学の街」「映画の街」として知られた尾道・・・文学では、林芙美子・志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表しています。
映画では、小津安二郎監督の「東京物語」が尾道で撮影され、大林宣彦監督の「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の『尾道三部作』で、若い世代にもこの街は有名になりました。
そして、もう一つ、忘れてならないのが「尾道ラーメン」・・・瀬戸内海の小魚(いりこ)と鶏ガラ等でとったダシが特徴で、醤油味ベースのご当地ラーメン。
有名店は相変わらずの行列でしたが、何とか食べることが出来ました。
写真は、天寧寺の三重塔と尾道の街並み・・・瀬戸内の海も見えます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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瀬戸内の旅・2日目は、午前中に岡山城と後楽園を見学して福山に移動し、午後から結婚式に出席して福山で宿泊。
3日目はレンタカーを借りて尾道に向かいます。
国道2号線を走り、芦田川を渡っていると五重塔が見えたので寄り道。 -
ここは「明王院(みょうおういん)」・・・芦田川に面した愛宕山の麓にある、真言宗大覚寺派のお寺です。
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本堂と五重塔は国宝に指定されています。
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かつて西光山理智院常福寺と呼ばれた明王院は、807年に空海(弘法大師)によって創建されたと伝えられ、古来より観音応現の霊場として信仰されてきました。
芦田川のこの辺りは、昔は海中あるいは遠浅の浅瀬で、平安時代より江戸時代に至るまで、この寺の下には門前町として栄えた草戸千軒町という港町があり、朝鮮・中国・南方諸国とも貿易をしていました。
その後、河川が運んできた土砂が港に堆積して衰退し、町の遺構も昭和初期に行われた芦田川の川筋を変える治水工事により破壊されてしまいました。
境内には、草戸千軒の全盛期である鎌倉時代の本堂と、室町時代前期の五重塔が現存しており、往時の繁栄を偲ぶ事が出来ます。 -
1726年再建の十王堂。
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茅の輪をくぐって石段を登り、山門に向かいます。
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手水舎には不動明王が・・・
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1614年に再建された明王院の山門。
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明王院本堂は鎌倉時代(1321年)の建立。
尾道の浄土寺本堂(1327年再建)とともに、瀬戸内海地域で最も古い折衷様建築物です。 -
明王院五重塔・・・南北朝時代(1348年)に建立された純和様の五重塔で、法隆寺・室生寺・醍醐寺・海住山寺に次ぐ5番目に古い塔・・・総高は29.14mで、非常に整った美しい塔です。
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鐘楼・・・福山三代藩主・水野勝貞が1657年に寄進した建物です。
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開基の弘法大師像。
子供の頃に来たことがある明王院ですが、久し振りに来てみると、なかなか見ごたえのあるお寺でした。
この後は、尾道に向かいます。 -
尾道駅に来ました。
千光寺公園にある尾道城が見えます。
この天守閣風の建物は、尾道商工会が観光事業の一環として、「全国城の博物館・尾道城」として建てた施設で、1990年代に閉鎖した後は、廃墟となっています。
弘前城天守を模した建物ですが、歴史的な背景は全くありません。 -
尾道駅も昔のままという感じです。
観光の街・尾道を訪れた観光客数は、平成25年で633万人・・・このうち、尾道市街が417万人、因島が68万人、西日光・耕三寺がある生口島が62万人などとなっています。(因みに鞆の浦や福山城がある福山市は617万人)
尾道地区は戦火を免れたため、西の小京都と呼ばれるほどで、多くの寺が今も点在しています。 -
千光寺公園の駐車場に車を停めて、展望台の方に行きました。
千光寺公園の山頂・西側広場は、天正年間(1573~1592)、木梨城主・杉原氏の千光寺山城築城の跡で千畳敷と呼ばれ、 北側には巨岩の八畳岩があります。 -
山頂は岩だらけ。
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「文学のこみち」の方に進むと・・・
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展望台の丸い建物があり・・・
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展望台に登ると、向島や因島など瀬戸内の島々が写真で表示されていますが、今日はあいにくの天気。
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東側を見ると、しまなみ海道の新尾道大橋と奥の尾道大橋が霞んで見えます。
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瀬戸内では、村上水軍時代から造船業が盛んでした。
近代になり木造船から鉄造船に移ると、島で育まれた造船技術と中世から受け継がれていった尾道の鍛冶の技が結びつき、飛躍的に発展しました。
今でも因島を中心に、多くの造船会社があり、向島には日立造船や向島ドックなどがあります。 -
展望台から少し歩くと、有名画家の写生地があります。
今日は天気が良くありませんが、この景色を児島善三郎・宮永武彦・中村琢二などの一流画家が絵に残しました。 -
千光寺は巨石と伝説の宝庫でもあります。
千光寺山頂から中腹にある千光寺までの道が「文学のこみち」で、尾道を訪れた文人墨客の言葉などを自然石に彫っています。
その文字に目を奪われますが、彫ってあるのが自然石ということに驚きます。 -
徳冨 蘇峯・・・徳富蘆花の兄で熊本から上京して民友社を作り、国民新聞を創刊し、「近世日本国民史」を著した史家でもあります。
” 海色山光信に美なるかな 更に懐う頼子の出群の才を 淋離たる大筆精忠の気 維新の偉業を振起して来たる ” -
前田 曙山(しょざん)・・・明治・大正時代の大衆作家。
” 浜焼きを むしりつゝ春 惜しむな里 ” -
正岡 子規・・・松山の人で、俳誌「ホトトギス」を発刊した俳句革新の大先達。
” のどかさや 小山つづきに 塔二つ ” ・・・この句は、日清戦争で日本新聞の従軍記者として尾道を通過した時の作。
二つの塔は、西国寺と天寧寺の三重塔と思われます。 -
物外(もつがい)・・・松山の人で、尾道・済法寺の住職となり、文武両道にたけていました。
” あれは伊予 こちらは備後 春の風 ” -
十辺舎一九・・・静岡の人で、弥次・喜多の「東海道中膝栗毛」の作者。
” 日のかげは 青海原を照らしつゝ 光る孔雀の 尾の道の沖 ” -
金田一 京助・・・盛岡市生まれで「アイヌの研究」等の著述があります。
” かげともの をのみちのやどの こよなきに たびのつかれを わすれていこへり ” -
江見 水蔭(えみ すいいん)・・・岡山で生まれた明治時代の小説家で、田山花袋・泉鏡花などと親交がありました。
” 覚えきれぬ 島々の名や 夏がすみ ” -
こんな岩の間を通って、千光寺に下って行きます。
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志賀 直哉・・・宮城県の人で、大正元年の秋から二年の中頃まで、千光寺山の中腹に居を構えていました。
大作「暗夜行路」は大正十年に発表し、昭和十二年に完成。
” 六時になると上の寺で刻の鐘をつく。ゴーンとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。その頃から晝間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。それがピカリと光って又消える。造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。 ” (暗夜行路より) -
林 芙美子・・・下関生まれで、大正五年に尾道に移り住んで、小学校・女学校を卒業後、上京。
昭和四年に出世作「放浪記」を出し、新進作家として大成しました。
” 海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のやうに、拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ。緑色の海向うにドックの赤い船が帆柱を空に突きさしてる。私は涙があふれてゐた。 ”(放浪記より) -
緒方 洪庵・・・岡山で生まれた江戸後期の医者。
29歳の時に大阪で開業しましたが、これは1862年の初夏、尾道に来遊した時の作。
” 軒しげく たてる家居よ あしびきの 山のおのみち 道せまきまで ” -
巌谷 小波(いわや さざなみ)・・・東京出身のお伽話作家で、この句は昭和7年に尾道を訪れた時に詠んだもの。
” 大屋根は みな寺にして 風薫る ” -
山口 玄洞(げんどう)・・・尾道の人で、上坂し実業家として大成し、尾道市の上水道敷設、明徳商業学校創設など尾道に大きな功績を残しました。
碑に刻まれた三文字『明明徳』(明徳を明らかにす)は、座右の銘でした。 -
柳原 白蓮・・・東京の女流歌人で、尾道に歌行脚した時の一首。
” ちゝ母の 声かときこゆ瀬戸海に み寺の鐘の なりひびくとき ” -
千光寺の近くにある「鏡岩」・・・尾道には以前から鏡岩の伝説がありました。
それは、千光寺に鏡岩という岩があって、その岩は「玉の岩」の光を反射し、海を照らすというもので、また冬至の日、昇る太陽の光は鏡岩に当たって西国寺のタンク岩を照らすと言われてきました。
しかし、その鏡岩がどこにあるのか、全く分かっていませんでしたが、平成12年に千光寺客殿裏の岩山にある松が枯れたため、それを取り除いてみると、そこに円く磨かれた岩が発見されました。
高さ7mの位置に、直径2mの円形が見える・・・これが伝説の鏡岩です。 -
干支ごとに、守り神と干支の動物の彫り物が・・・
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河東 碧梧桐・・・松山市の人で、高浜虚子と共に正岡子規門下のニ俊秀と言われました。
この句は、全国を俳句行脚して「新傾向運動」をすすめる途中、尾道を訪れた時に詠んだものです。
” 濫紅(えいこう)の 碑あるあり四山 眠れるに ” -
千光寺は、806年に弘法大師が開基したとされる真言宗のお寺。
大師堂には弘法大師像が祀られています。 -
梵字岩・・・この曼荼羅図絵は、徳川五代将軍・綱吉公の帰依僧、東京の霊雲寺開基・浄厳大和尚が当地へ来た時に、書き遺したものです。
円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれています。 -
これは、「玉の岩」または「烏帽子岩」と呼ばれる、周り50m、高さ15mの巨岩・・・この岩には、夜ごとに異光を放ち海上を照らしていた、という伝説があり、今でも頂上に直径14cm、深さ17cmの穴がありますが、この穴が光を放つ宝玉があった跡だといわれています。
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大師堂前の小門をくぐると、明治23年(1890)に再建された、朱塗り唐づくりの鐘楼「驚音楼」が断崖絶壁に建っています。
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この鐘は「時の鐘」として有名で、元禄の頃から時刻を近郷近海に知らせ、近年は「除夜の鐘」として広く親しまれ、尾道の名物の一つにもなっています。
驚音楼の鐘は「日本の音風景百選」の一つに選ばれ、この附近の情景は「暗夜行路」にも描写されています。 -
ここからの眺望は、なかなかのものです。
ちょうど、ロープウェイが来ました。
市街地より千光寺公園までを3分間で結び、料金は片道:320円、往復:500円。 -
しまなみ海道の新尾道大橋と、その奥の尾道大橋がよく見えます。
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対岸の向島。
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1686年に建てられた本堂。
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本尊の千手観世音菩薩。
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弘法大師像。
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三重岩・・・大きな岩が重なり、下から見上げると、今にも落ちて来そうに迫ってきます。
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松尾 芭蕉・・・1792年、尾道に滞在していた俳人・長月庵若翁が、当地の俳人52人と先師・芭蕉の百回忌を営み、句会を催したことで、芭蕉48歳の時の句を彫ってあります。
” うきわれを 寂しがらせよ 閑古鳥 ”
閑古鳥とはカッコウのことで、古来、日本人はカッコウの鳴き声に物寂しさを感じていたようです。 -
千光寺本堂裏には石の鳥居があり、大正15年に石鎚山へ登る鎖を取り付けましたが、戦争の激しくなった昭和18年に鐘と一緒に供出されて以来、忘れられた存在でした。
住職の多田義信さんが、「本堂からとは違う一段上からの素晴らしい眺めと奇岩を見てもらいたい」と石鎚山を整備し始めたことがきっかけで、平成17年から一般の参拝客もお参りできるようになりました。
今日は天気が良くないので、石鎚山の鎖岩はパス。 -
吉井 勇・・・東京の人で、昭和11年、51歳の時、瀬戸内に歌行脚にをした時に尾道を訪れ浄土寺や千光寺に詣でた時の一首。
” 千光寺の 御堂へのぼる石段は わが旅よりも 長かりしかな ” -
古歌(こか)・・・作者不詳のこの古歌は、玉の浦=尾道を歌った歌として、古くから人々の間に愛誦されています。
” ぬばたまの 夜は明ぬらし 玉の浦に あさりする鶴 鳴き渡るなり ” -
小杉 放庵・・・日光生まれの画家で、この歌は終戦後、尾道を訪れた時の作品。
” 岩のまに 古きほとけの すみたまふ 千光寺山 かすみたりけり ” -
千光寺の幟が連なっている坂道を登り、駐車場へ向かいます。
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ここも有名画家の写生地・・・高畠達四郎・児玉幸雄・児島善次郎が写生した景色。
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頼 山陽・・・広島県竹原市の人で、「日本外史」「日政治記」などを著し、明治維新の大業成就に寄与しました。
尾道には度々来遊しましたが、この詩は1829年、千光寺山に登った時の作です。
” 磐石坐す可く松拠る可し 松翠缺くる処海光露わる 六年重ねて来たる千光寺 山紫水明指顧に在り 萬瓦半ば暗くして帆影斜なり 相傳う残杯未だ傾け去らず 首を回らして苦に諸少年に嘱す 記取せよ先生曽て酔いし処と ” -
岩割松(いわわりのまつ)・・・樹齢数百年の大きな松が、その根で数トンもあるような岩を割り、砕いて、厳然と立ち上がっています。
その様は、自然界の力強い生命力を感じさせると同時に、ゆったりと流れる悠久の時間をも感じさせられます。 -
千光寺と文学のこみちの散策も終わり、12時を過ぎたので街中に下りて、海に面した市役所の駐車場に車を預け、これからお楽しみの尾道ラーメンの昼食です。
尾道ラーメンの元祖・朱華園(しゅうかえん)は、御覧の通りの行列。 -
人気No1の「壱番館」も10人以上並んでいますが、この店にしました。
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さすが、人気店・・・「trip advisor」や「食べログ」のシールを貼っています。
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尾道ラーメン・壱番館は、「ミシュランガイド広島2013」でお薦めの店として紹介されており、楽しみです。
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麺は尾道ラーメンの特徴の平打ち麺で、最後までコシを失わないシッカリとした麺。
スープは豚・鶏ガラ・野菜をベースに小魚の隠し味で、トッピングはネギ・メンマなどベーシックです。 -
メニューの中から選んだのは・・・
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一番人気の「角煮ラーメン」・・・豚の角煮・味付玉子・もやし・メンマ・茎わかめ・白髪ネギ・ねぎが入ったボリューム感たっぷりの一品です。
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それと、チャーシューラーメン。
餃子も美味しく頂きました。 -
食後の腹ごなしに、街を散策。
市役所から国道2号線に続く道は「出雲街道」と呼ばれ、尾道が古くから陸海交通の要所として栄えてきたことを偲ばせます。 -
国道2号線の手前にある「鍛冶発祥の地」の碑・・・吉備国(備中・備後・美作)は、刀の原料になる鉄を多く算出したので、刀の産地として全国的に有名でした。
正和(1312~1317)の時代に、この地に「其阿弥」ら刀鍛冶が住んでいたそうです・・・尾道が刀鍛冶発祥の地とは知りませんでした。 -
いろんな人の足型・・・金田正一さんや西川ヘレンさんも!
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国道2号線を渡り、山陽本線のトンネルをくぐって「艮(うしとら)神社」へ。
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艮神社は千光寺の麓、ロープウエイ山麓駅の奥にあり、なんとロープウエイは神社の真上を通っています。
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艮神社は尾道で最初に建てられた神社で、千光寺と同じ806年の創建。
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境内には楠の巨木群があり、県の天然記念物にしていされています。
樹齢は800~1000年と言われます。 -
この境内では、映画「時をかける少女」や「ふたり」のロケが行われました。
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艮神社の右にある巨大な楠・・・幹の周囲は約7m。
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艮神社の左にある巨石と楠の巨木。
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境内で水を飲む猫。
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細い路地を左に曲がって天寧寺へ。
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天寧寺は、1367年に尾道の道円の発願により、足利義詮が尊氏の遺志を継いで工事を寄進し、普明国師を請して開山されました。
創建当時は東西三町にわたる七堂伽藍を配した大寺院だったようです。
当初は臨済宗でしたが、元禄年間に現在の曹洞宗に転宗しました。 -
唐風の山門の上には鐘楼が。
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本堂の奥には、1367年に足利義詮が建立した三重塔が見えます。
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このお寺の見どころとして外せない五百羅漢・・・全部で526体あり、それらは江戸時代の文化年間(1804~1824)から明治初期の約60年間にかけて寄進されたものです。
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羅漢とは、人々の供養を受けるに値する悟りを得た人という意味があり、釈尊入滅後、仏典編集に釈尊直弟子が五百人集まったところから五百羅漢の像や画が作られて崇拝の対象になったと言われています。
当寺の五百羅漢は木彫彩色で、とにかく沢山鎮座していますが、1つ1つ顔の表情が違うし、大きさも微妙に違います。 -
三重塔(別名:海雲塔)・・・この塔は、もともとは五重塔で1388年の造立ですが、1692年に永年の風雪のため上層部を損じたので、五層から現在の三層の姿になりました。
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三重塔越しに見る風景は、尾道を代表する景観のひとつです。
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三重塔の近くの小道を入ると、カフェや「猫の小道」などがあります。
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ツタの絡まる「梟の館」でお茶でもと思って入ったのですが、ちょうど食事のグループが入っており、時間がかかるとのことなので断念。
梟の館は、元々は山手地区の中腹にある大正時代の瀟洒な建物でした。
人が住まなくなり廃屋同然になっていた所を、寺の壁画や天井画を描く絵師の園山春二氏により手が加えられ、尾道水道を一望できる美術館へと生まれ変わりました。
1階はカフェ、2階は美術館になっています。 -
梟の館を少し下った所から「猫の細道」が始まります。
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猫の細道は、天寧寺三重塔から艮神社にかけて続く、約200mの細い路地。
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尾道在住の画家・園山春二氏によって生み出された「福石猫」は、尾道市内に1000匹以上、この猫の細道にも108匹が至る所に潜んでいます。
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ねこグッズのお店「Le chat」。
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「招き猫美術館」・・・舶来物、珍しい物を中心に約3,000体もの招き猫が収集された美術館です。
大正時代の民家をリノベーションした美術館は、1階がショップ、2階がギャラリーとなっています。 -
猫・ねこ・ネコ・・・
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駐車場に向かう途中、国道2号線と並行したアーケード街「尾道本通り商店街」を歩いてみました。
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素敵な喫茶店があったので入ります。
この店は、平成6年にオープンした「尾道浪漫珈琲」。 -
自家焙煎ならではのコクと香りが漂う、美味しいコーヒーでした。
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それともう一つ、盛りだくさんのフルーツを苺のソースで味わう楽しさ満点のフルーツワッフルも一緒に。
印象に残る尾道の街と別れ、次は因島に向かいます。
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