2016/06/03 - 2016/06/06
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ペコちゃんさん
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瀬戸内の旅の一日目は、岡山城に一番近いホテルを予約し、岡山に宿泊。
翌朝、岡山観光の定番「岡山城」と「後楽園」に行きました。
岡山城は、黒漆塗の下見板(壁土を雨から守るため、外壁に張られた黒漆を塗った板)が特徴的で、城全体が黒い外観のため「烏城(うじょう)」とも呼ばれ、「白鷺城」と呼ばれる姫路城と好対照です。
昭和6年に国宝(現行の重要文化財に相当)に指定されましたが、戦時中の空襲で焼失し、昭和41年に再建されました。
後楽園は、今から約300年前に、岡山藩二代藩主・池田綱政が藩主のやすらぎの場として造らせた大名庭園で、岡山城とは旭川を挟んで隣り合わせの位置にあります。
後楽園は、金沢の兼六園・水戸の偕楽園と共に、日本三名園の一つに数えられる江戸時代の代表的な大名庭園で、芝を大量に使った庭園は美しく輝いていました。
写真は、後楽園・沢の池と岡山城。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
姫路城の観光を終え、新幹線で岡山へ・・・僅か20分で到着しました。
岡山駅東口にあるこの噴水は「ピーコック(孔雀)噴水」・・・タマネギではありません。
待ち合わせ場所として有名ですが、じっと見ると何とも不思議な形です。 -
「桃太郎」の銅像・・・噴水のそばにある桃太郎は、山陽新幹線の開業時(1972年)に作られたものです。
吉備国・岡山は、日本五大お伽話のひとつ『桃太郎の鬼退治』の舞台になった所でもあります。 -
日本の路面電車の第一号は、明治28年の京都電気鉄道伏見線(七条停車場前~伏見町京橋下油掛通間)。
京都での成功が引き金となり、明治31年には名古屋電気鉄道、明治33年に東京鉄道などが開業し、昭和に入ると路面電車は全盛期を迎えます。
全国各地の大都市では、昭和40年代後半頃まで路面電車が都市交通の主力でしたが、モータリゼーションなどにより、現在稼働している都市は僅か19か所・・・岡山電気軌道の路面電車は、明治45年に岡山駅前~城下間が開業し、今も市民の足として親しまれています。
この車両は、2002年に運行を開始した「MOMO(9200型)」。 -
岡山駅前から路面電車に乗り、3駅目の「城下」で下車。(料金:100円)
城下の交差点の向かい側に、今日のお宿「ホテル エクセル岡山」があります。 -
チェックインを済ませ、最上階(10階)の部屋に入ると、目の前に岡山城が・・・
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姫路城とは、また違った壮麗な美しさが目を引きます。
ホテルから城まで歩いて数分の距離ですが、もう18時半を過ぎているので、観光は明日の楽しみにします。 -
綺麗なサンセットが見られました(19時)。
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ビジネスホテルでは珍しい1泊2食のプランを予約。
夕食は、地下1階の中華ダイニング「餃子屋台」で3つのメニューからチョイス・・・これは「本日の料理長おすすめセット」。
嬉しいことに、生ビール(またはソフトドリンク)が1杯サービス! -
これは「海鮮五目あんかけ焼きそばセット」。
駅から近く、外出不要で美味しい食事にドリンクも付いて、広めの部屋からはお城も見えて、料金も安くて大満足! -
暗くなると岡山城がライトアップ・・・外に出てその美しさに見とれました。
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2日目の早朝、明るくなった空を部屋から見ると、日の出前の美しい景色が・・・(4時42分)
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(4時46分)
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5時にサンライズ。
今日、結婚する姪を祝福するかのような、朝の景色でした。 -
朝食は、7時から1階のレストラン「ALO ALO」で和洋食のビュッフェ・・・約40種類の豊富なバイキングで、ビジネスホテルのサービスとは思えません。
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この時期、後楽園の開園時間は7時半、岡山城は9時なので、先ずは後楽園に向かいます。
この一角は「岡山カルチャーゾーン」ということで美術館や博物館などがありますが、午後からは結婚式があるのでスキップ。 -
ホテルから旭川沿いを歩いていると、アオサギが・・・
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旭川に架かる月見橋は、昭和32年に開催された「岡山産業文化大博覧会」の際に、開催場所の岡山城と後楽園をスムーズに行き来出るようにするために、昭和29年に造られました。
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橋を渡らずに右に進むと岡山城、橋を渡ると後楽園の南門に行けます。
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橋を渡ったところにあったポスター。
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後楽園は東京にも小石川後楽園があるので、ここは「岡山後楽園」と呼ばれます。
当初は、岡山城の背後(北側)にあることから、「御後園」または「後園」と呼ばれていました。
明治2年の版籍奉還によって、御後園は岡山城とともに一時的に明治新政府の手に渡り、明治3年に御後園は再び岡山藩の所有となります。
明治4年に一般に開放した時に「後楽園」と改めました。
この名称は、中国・宋の范仲淹が著した『岳陽楼記』にある「先憂後楽」 (「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」)からとったもので、小石川後楽園と同じ由来です。
これは、儒教精神に基づく忠国の情を表した言葉で、「天下の人々が憂えるのに先立って憂い、天下の人の楽しんだ後から楽しむ」という意味です・・・どこかの国の代議士や知事に聞かせたい言葉ですね。 -
橋を渡って南門の入り口でシニア料金(140円)を払って入園。
早朝にも拘らず、外国の観光客も訪れています。 -
後楽園の築園は、備前岡山藩の第二代藩主・池田綱政(1638~1714)の時代に行われました。
1687年に着工し、一応の完成をみたのは1700年、総面積は東京ドーム3個分に相当します。
周辺の山々や正面に見える岡山城を借景として取り込むことで、実際の面積以上に壮大な庭園として見えるように作られています。
その後も、代々の藩主が自らの好みや、藩政の状況などから少しずつ手を入れて変化し続けて現在に至っています。 -
後楽園の特徴は、広い芝生の園です。
伝統的な日本庭園の趣向は、「苔の美しさ、奇岩名木の組合せ」ですが、後楽園は旭川の中洲で砂地の土質。
そのため、湿気を好む苔は適しておらず、苦肉の策で砂地に強い野芝を植えたことが現在の美観につながりました。
当初は「沢の池」周辺の一部に使われる程度で、園内の大半は田畑でしたが、明治以降に園全体に広がりました。 -
南門から左に進むと「花葉(かよう)の池」があります。
夏になると、大名蓮の異名を持つ「一天四海」が大輪の白い花を咲かせます。 -
花葉の池は後楽園の中では2番目に大きい池で、園の中央にある沢の池から水を引き込んでいます。
滝の石組の中に巧みに導かれた水が、美しく流れ落ちています。 -
花葉の池の奥にある「大立石(おおだていし)」は、巨大な花崗岩を90数個に割って運び、もとの姿に組み上げたもので、存在感のある庭石として大名家の庭にふさわしい風格を漂わせています。
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能舞台「栄唱の間」・・・後楽園を造った池田綱政は、能舞台を作って自らも舞い、時には家臣や領民にも能を見せました。
能舞台の周りの座敷は、能の観覧や接待の場として使われました。
今日は残念ながら、建物の中は見ることが出来ません。 -
「延養亭」・・・藩主が後楽園を訪れた時の居間として使われ、園内外の景勝が一望できるように作られています。
戦災で焼失し、昭和35年に築庭当時の間取りに復元されました。 -
中央の小高い所は「唯心山(ゆいしんざん)」・・・池田継政が作った約6mの築山で、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。
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延養亭に連なるように建っている「鶴鳴館」・・・鶴鳴館は庭園で遊ぶ鶴から付けられた館名で、賓客を招待したり、会合を開くための場所でした。
当初、茅葺きだった建物は戦災で焼失し、現在の建物は昭和24年に山口県岩国市の吉川邸を移築しましたが、武家屋敷の佇まいをよく伝えています。 -
延養亭と鶴鳴館の遠景。
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青々とした芝生の庭園の先には、岡山城が・・・
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「寒翠細響軒」・・・室内からは沢の池、唯心山、岡山城天守閣が望め、それらが借景となった後楽園らしい景観が楽しめます。
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園内中央にある「沢の池」・・・3つの小島が池に浮かび、景観を引き立てています。
これは、白砂青松が美しい「砂利島(じゃりじま)」。 -
沢の池から望む岡山城。
沢の池は、後楽園の中心的存在で、池越しに聳える天守閣の姿は、まるで絵はがきのよう。 -
「慈眼堂」・・・池田綱政が1697年に、池田家と領民の繁栄を願って観音像を祀り建立しました。
後楽園は池田家から岡山県へ譲渡されましたが、池田家にとって重要な物は除かれており、その象徴的な施設が、後楽園の鬼門に当たる北東の位置に佇む慈眼堂。
立派な山門を持つ堂宇ですが、現在は本尊が納められていない空堂で、かつて祀られていた本尊は池田家が管理し、非公開となっています。 -
境内には、巨大な陰陽石「烏帽子岩」が安置されています。
池田家と領民の繁栄を願うシンボルのひとつと言われ、花葉の池にある「大立石」に比べれば小ぶりですが、こちらは36個に分割して運ばれたものだそうです。 -
園内をめぐる水路の水は、旭川の5km上流から水路で引いており、庭園内に入った水は曲水を流れ、各池を通って再び旭川へ戻ります。
沢の池を悠然と泳ぐ、美しいコイの群れ。 -
舟宿、太鼓橋、島茶屋のある「中の島」。
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沢の池から見た延養亭と鶴鳴館。
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井田(せいでん)に咲く「大賀ハス」・・・岡山市出身の植物学者・大賀一郎博士は、昭和26年に千葉で約2,000年前の古代蓮の実を発見し、翌年、見事に大輪の花を咲かせます。
蓮は博士の姓を採って大賀ハスと名づけられ、その後、国内外に分植されました。
後楽園の蓮は、島根県斐川町・荒神谷史跡公園から譲り受けたものです。 -
以前、見に行った埼玉県・行田市の古代蓮と同様、何とも言えない美しさです。
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唯心山の山腹には唯心堂があり、斜面には石組に合わせてツツジやサツキが植えられています。
頂上からは庭園全体が見渡せると同時に、どこからでもこの築山が挑められるように設計されています。 -
唯心山からは、釣殿のある御野島、島茶屋のある中の島、そして太鼓橋の素敵な風景が広がり、対岸に慈眼堂と烏帽子岩と鳥居が見えます・・・本当に美しい眺めですね。
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「流店(りゅうてん)」は中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物・・・藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われました。
戦災を免れた建物の一つで、簡素な佇まいを今に伝えています。 -
流店の近くにある花菖蒲畑。
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白や紫などの美しい花・・・
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梅雨の季節を爽やかにしてくれます。
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「廉池軒(れんちけん)」・・・昭和9年の室戸台風で壊れた後 絵図に基づいて復旧された建物は、戦災を免れた建物の一つで、「く」の字に歪曲させた切石の石橋を渡って至る演出がなされています。
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後楽園を一通り回って、何だか心が洗われたような気分になりました。
この後は、岡山城へ向かいます。
月見橋から城を見ると、旭川の水面にもその勇姿が映っています。 -
岡山城は、宇喜多氏が居城として長年丹精を込めて築いた城です。
一面に黒漆が塗られたその外観は、陽の光を浴びると烏の濡れ羽色に見えるということから「烏城」という別名があります・・・まさに漆黒の砦。
往時は、その規模や構造において、日本有数の名城でした。 -
1597年に岡山城を完成させた宇喜多秀家(1572~1655)は、羽柴秀吉の備中高松城攻めに協力した縁で、元服した際、秀吉より「秀」の字を与えられ、秀家と名乗りました。
秀吉の寵愛を受けて、猶子(親子関係)となり、1586年には秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫を正室とします。
秀家は、父・直家の居城だった石山城から300mほど東隣にある丘陵「岡山」に、新しく旭川の流れを付け替え、掘削した土砂を盛り上げて3段の地形を造成して本丸を構えました。
秀家が、関ヶ原の戦いで敗将となり八丈島へ流刑された後は、小早川秀秋が城主となり、小早川家断絶の後は、代々、池田氏が受け継いで、城の改修・拡張が続けられてきました。
因みに流刑地として有名な八丈島ですが、流人の第一号が宇喜多秀家。
33歳から50年、明日葉を食べて(?)83歳まで長生きしました。 -
城の入り口の手前には、歴代城主の旗紋が描かれた石碑が立てられ、「岡山開府四百年記念 開祖 宇喜多氏顕彰之碑」と記されています。
石碑は昭和48年に岡山開府四百年を記念し、有志によって建立されました。 -
天守閣は6階建で、4階までエレベーターで上がることができます。
1階はお土産や食事処、2階から5階は城の歴史を展示してあり、城主・宇喜多直家の生涯や城の建築の特徴など興味深い内容となっています。
最上階からは360度の眺望が楽しめます。 -
城郭は天守がある「本段」、月見櫓などがある本段下の「中の段」、右側の「下の段」と三段造りの構造で、各段の仕切りは高い石垣が築かれ、堅牢な守りになっています。
天守台は一般的には四角形ですが、岡山の上に造られた岡山城の天守閣は、岡山の山の形に合わせて造られたことから、不等辺五角形の天守台を持つ独特の形状をした天守となっています。
岡山城天守は安土城の天主を模したと言われていますが、安土城の天主台は不等辺八角形です。 -
天守閣と同時に再建された「廊下門」をくぐって城内に入ります。
岡山城の正門は、この先にある「不明門」ですが、不明門は藩主と側近のみが使用する門のため、ほとんど開かずの門でした。
一方、通用門だったのがこの廊下門です。
本丸の北側から中段に上るための門で、本段の張出部から中段にかけて上屋が渡され、その下に門扉を設けた櫓門が造られています。
上屋は本段の御殿に住む藩主が中段の表書院に降りるための専用廊下だったので、廊下門と呼ばれました。 -
廊下門を入った右手にある「月見櫓」・・・築城当時の遺構として現存しているのは、この月見櫓のみです。
元和元年(1615)から寛永年(1632)まで岡山城主であった池田忠雄(ただかつ)によって建てられたもので、岡山城内に35棟あった櫓の中で最も新しく優美であったと言われています。
文字通り「月見」という風流を愉しむためにも用いられましたが、本来の目的は中段にあった表書院の北西を防衛するための櫓であり、出格子窓には石落としを兼ねた実戦的な造りが見られ、櫓自体は武器の貯蔵庫になっていました。 -
姫路城でも見た「狭間(さま)」・・・敵から身を隠しながら鉄砲や矢を放つ小さな窓ですが、岡山城の狭間は内側と外側が逆になっており、外側の穴は大きく、内側が小さい・・・何故でしょう?
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高さ12m、幅18mの不明門(あかずのもん)。
岡山城は32棟の城門で守られていましたが、明治期に解体され、現在の不明門は天守閣と共に再建された鉄筋コンクリート製です。
敵軍の侵入を防ぐため、上の格子窓から攻撃できるようになっています。 -
天守閣の礎石・・・かつての天守の礎石を本段北東の一画に配置しています。
空襲で赤く焼けた痕が残され、戦争の悲惨さを物語っています。 -
岡山城は西向きの城構えで、防御のために旭川を城の背後に流れを変えるという大工事を行い、天然の外堀を完成させた特徴ある城で、岡山大空襲で焼失しましたが 広範囲に残る石垣の殆どは昔の状態のままです。
天守は、石垣からの高さが20.45mあり、2階建の建物を大中小の3つに重ねた3層6階の複合式望楼型になっています。
屋根には金箔を貼った鯱や鬼瓦、軒瓦が葺かれ、黒地に金が映えて燦然と輝く天守の偉容を演出していますがよく見ると、軒丸瓦は、上3層は金箔塗り、下3層は黒いまま。
窓の格子も下4層は白漆喰、上2層は黒いままで、上と下で色彩に変化を与え、違う印象を与えています。
左手の白い櫓は附櫓の塩蔵で、籠城時に蓄えて塩を備蓄するための蔵です。 -
天守の観覧時間は午前9時~午後5時で、入城料は300円。
中に入ると、城の歴史や当時の暮らしぶり等を展示しています。
金の鯱というと名古屋城が有名ですが、江戸城、安土城などいくつかの城でも使われていました。
現在、岡山城の鯱は全身が金色ですが、当初は鰭や牙、耳など部分的に金箔が貼られ、唇は朱に染められて、黒い城の上でかなり目立っていたようです。
これは、昭和41年の城復元時に作られた金の鯱で、同じものが天主閣の最上部に飾られています。 -
宇喜多秀家の鎧と兜。
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5階から見た旭川の眺望。
先ほど歩いた月見橋が見えます。
月見橋が完成した1954年から5年間は有料の橋で、当時の金額で10円の通行料が必要だったそうです。 -
「沢の池」など後楽園も、よく見渡せます。
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岡山城の金鯱は金箔押鯱瓦で、粘土製の素焼きの鯱瓦に漆を塗り、その上に金箔を施しています・・・当時の藩主も、岡山城から金の鯱越しに後楽園を眺めていたのでしょうか?
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金の鯱を間近で見られるのも、岡山城の魅力の一つです。
金の鯱は豊臣秀吉から許された特別の武将しか使えませんでした。 -
安土桃山時代(1576~1599)に、初めて天守閣や高い石垣などを築いた近世城郭が出現しました。
この時代には、安土城・大坂城(豊臣)・松本城・三原城・広島城・伏見城・岡山状の7城が築かれ、外壁が黒く塗られた板張りと最上階が正方形になっているのが特徴です。
江戸時代前期(1600~1637)は、近世城郭が全国的に築かれます。
姫路城にみられるように、天守は大規模に造られ、外壁は白壁が多用され、最上階は矩形になっています。
この時代の代表的な城は、姫路城・彦根城・名古屋城・大阪城(徳川)・熊本城・和歌山城・松山城・福山城・松江城などで、1638年以降は幕府の取り締まりが厳しく、社会は平和になり、城は造られなくなりました。
この時期に造られた城は丸亀城と備中松山城の2城のみで、いずれも再建のために許されたようです。 -
右上の「兒」の文字は、宇喜多氏の旗紋です。
古代、「兒」を旗紋とする百済の3人の王子が備前の島(児島半島)に亡命・漂着し、この島を「兒島」(児島)と呼ぶようになり、後に三宅姓を名乗りました。
宇喜多氏は、備前の豪族・三宅氏の後裔とする説があり、旗に「兒」を書いたという訳です。 -
岡山城を見学した後、城下の近くを散策。
これは、平成3年に竣工した「岡山シンフォニーホール」・・・オーケストラやオペラ等が開催されるコンサートホールです。 -
1597年に岡山城天守閣を完成させた宇喜多秀家は、これと並行して、岡山の北を通っていた山陽道を城下町の中を通るように移し、また備前国内から多くの商人・職人を召し集めて、城下町に住まわせました。
この時、城下町内の山陽道沿いに形成された商人町が、このアーケードを中心とした現在の表町商店街です。
入り口のアーケード上には「アムスメール上ノ町」。 -
路幅12mの広い街路には植栽とベンチが置かれ、街路中央にオランダ風の時計台が設置されています。
-
次が、中之町商店街。
-
そして、下之町商店街・・・アーケードの屋根のステンドグラスが綺麗です。
表町商店街は8つのアーケード商店街からなる、総延長1km 以上の商店街・・・歴史と新しさを感じた岡山の一角でした。
この後は、午後の結婚式に間に合うように、福山に向かいます。
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