2016/05/29 - 2016/05/29
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Wind99さん
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旧東海道 藤沢宿
戸塚宿を歩いた後、神奈中バスに乗り、藤沢へ来た。
藤沢宿と源義経の歴史を感じることが出来た。
一里塚−遊行寺−藤沢御殿跡−妙善寺−問屋場跡−藤沢御殿の堀跡−御殿辺公園−白旗神社−義経首洗井戸−常光寺−弁慶塚−永勝寺
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
戸塚宿からバスで移動し、遊行寺坂上バス停で降りて、遊行寺坂を下る。
5.2kmは、車窓となった。 -
遊行寺坂の途中に、一里塚の看板があった。
現在は何の痕跡も無く、この当時の絵図により、一里塚があったことが分かるのみ。 -
この坂は、箱根駅伝の難所の一つとなっているが、二度掘り下げたものだそうだ。
当時は勾配がきつく、「立ちんぼ」と呼ばれる駄賃稼ぎの人たちに荷車を押していたという。 -
遊行寺総門。入るといろは坂になる。
遊行寺の正式名称は清浄光寺だという。
遊行寺上人の名前から遊行寺と呼ばれるらしい。 -
境内に入って左手に、最も古い中雀門があった。
大棟に皇室との深いつながりを示す菊の御紋、屋根の下に徳川家の家紋である葵の御紋が刻まれている。 -
境内の真ん中あたりにある大銀杏。
樹齢500〜700年という。 -
大銀杏越しに本堂が見える。
-
一遍上人の像
この時宗の開祖。 -
ひぎり地蔵菩が居られた地蔵堂の前の像。
-
この寺は時宗の総本山である。
本堂は、木造銅葺、木造としては東海道随一といわれている。 -
大きな本堂。
関東大震災で倒壊したのち、昭和10年上棟、同12年に落成した。 -
遊行寺を出て、境川を渡り、藤沢御殿跡方面へ進む。
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藤沢御殿跡
当初藤沢宿では本陣が無く、将軍家が泊まる所を御殿として造った。 -
江戸初期に、家康、、秀忠、家光が利用していた。
いずれ本陣ができ、御殿は使われなくなった。 -
妙善寺
藤沢本陣や藤沢御殿に隣接していたと思われる寺。 -
妙善寺の風情ある参道を歩いてみた。
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旧東海道(県道467)には、問屋場跡があった。
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藤沢市民病院前に行くと、藤沢御殿の堀跡の案内板があった。
藤沢御殿は、その発掘調査で、広大な6,000坪の土地で、城郭構えの作りであったことが分かっている。 -
市民病院の横河には御殿辺公園が広がっていた。
ここもその藤沢御殿内である。公園の名前も当時の名残であろう。 -
御殿辺公園の先に白旗神社があった。
源義経が平泉で自害し、鎌倉(腰越宿)へ運ばれた首は、夜の内にこの地に辿りついたという伝承があり、それを聞いた頼朝は、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示したという。 -
御社殿
階段下左に源義経公鎮霊碑があった。 -
義経首洗いの井戸
旧東海道に戻り、少し離れた所にそれがあった。 -
義経の首は腰越宿で首実検を行った後、腰越の浜に捨てられ、それが潮に乗って境川を遡り、この辺りに漂着したという。1189年のこと。
そして里人がその首をすくいあげ、洗い清めたのがこの井戸と伝えられている。 -
旧東海道沿いには、このような蔵や古い建物が散見された。
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常光寺に入る。
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常光寺の境内には、江戸期の供養塔や、大きなカヤの木があり、うっそうとしていた。
探し物が無い・・・。 -
寺を出て、裏の公園にまわると、探し物の弁慶塚があった。
武蔵坊弁慶の首塚跡と伝わる。 -
弁慶塚についての説明書きは無かった。
義経首洗井戸から徒歩数分の距離だ。 -
飯売女の墓碑があるというので、永勝寺に来た。
39基の墓があるという。 -
墓のほとんどは、飯盛旅籠を開業していた、小松屋の松屋源蔵の出身地である、伊豆国小松村の出身者であるという。
飯売女の墓があるのは、珍しく、よほど心の優しい主人であったのだろう。
今回はここまで。
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