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飯坂電車に揺られて芭蕉旅の再開<br /><br />ズルしてごめんなさい@芭蕉さん

芭蕉の旅② 歩いた、歩いた・・・疲れた(笑)

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2016/05/02 - 2016/05/02

129位(同エリア224件中)

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きなこ

きなこさん

飯坂電車に揺られて芭蕉旅の再開

ズルしてごめんなさい@芭蕉さん

旅行の満足度
4.0
観光
3.5
グルメ
3.5
ショッピング
3.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 電車キター!(^^)!<br /><br />飯坂線<br />可愛い花模様

    電車キター!(^^)!

    飯坂線
    可愛い花模様

  • 飯坂電車90周年<br /><br />フェルメール展もあって美術館へ向かう方も多く乗車されました

    飯坂電車90周年

    フェルメール展もあって美術館へ向かう方も多く乗車されました

  • 医王寺で降りたのは私のほか2人・・・<br /><br />住宅街だもんね地元の方かなー?

    医王寺で降りたのは私のほか2人・・・

    住宅街だもんね地元の方かなー?

  • 踏切を渡って写真に収めてみました

    踏切を渡って写真に収めてみました

    医王寺前駅

  • 携帯のナビを見ながら住宅街を進むと看板がありました<br /><br />方向オンチには有難い(*^_^*)これで安心して先へ進めます

    携帯のナビを見ながら住宅街を進むと看板がありました

    方向オンチには有難い(*^_^*)これで安心して先へ進めます

    医王寺 寺・神社・教会

  • 隣は<br /><br />おくのほそ道 芭蕉路 とあります(*^_^*)

    隣は

    おくのほそ道 芭蕉路 とあります(*^_^*)

  • 15分ほど歩いたら医王寺に到着です<br />魅惑的な道が見えます<br /><br /><br />途中には果樹園(住宅街なのに!?)もあり<br />コインロッカー式の販売もしていました<br /><br />桃の時期には、あのロッカーに桃が・・・ そう思うだけで<br />羨ましいぞ@福島県民っ

    15分ほど歩いたら医王寺に到着です
    魅惑的な道が見えます


    途中には果樹園(住宅街なのに!?)もあり
    コインロッカー式の販売もしていました

    桃の時期には、あのロッカーに桃が・・・ そう思うだけで
    羨ましいぞ@福島県民っ

  • 医王寺です<br /><br />桜は終わったようで新緑が美しいです

    医王寺です

    桜は終わったようで新緑が美しいです

  • 芭蕉の歌碑<br /><br />戦いで二人の息子を失い悲しみにくれる老母のために嫁達が武将の姿をして慰めたという孝行話が残っています。また、元禄二年五月「奥の細道」の途中醫王寺を訪れた松尾芭蕉は、佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいます

    芭蕉の歌碑

    戦いで二人の息子を失い悲しみにくれる老母のために嫁達が武将の姿をして慰めたという孝行話が残っています。また、元禄二年五月「奥の細道」の途中醫王寺を訪れた松尾芭蕉は、佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいます

  • こらんしょ ふくしま より<br /><br />奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤氏の菩提寺<br /><br />源平合戦において佐藤基治(大鳥城主)は、藤原秀衡の命を受け<br />息子の二人、継信、忠信兄弟を源義経に付き従わせました。<br /><br />継信、忠信兄弟は義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げたと言われています<br /><br /><br /><br />中央が義経です

    こらんしょ ふくしま より

    奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤氏の菩提寺

    源平合戦において佐藤基治(大鳥城主)は、藤原秀衡の命を受け
    息子の二人、継信、忠信兄弟を源義経に付き従わせました。

    継信、忠信兄弟は義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げたと言われています



    中央が義経です

  • 民謡もあるようです

    民謡もあるようです

  • 乙和椿の石碑です

    乙和椿の石碑です

  • 乙和椿<br /><br />こちらを訪れるまで知りませんでしたが<br />椿がかろうじて咲いている感じでした<br /><br /><br />福島民友HP より<br /><br />境内の奥にある2人の墓標の傍らには、父基治、母乙和の墓とともに、花が開かずつぼみのまま落ちてしまう一本のツバキがある。「乙和の椿」と呼ばれるこの古木の名は、松尾芭蕉も涙した悲しい物語が由来となっている。

    乙和椿

    こちらを訪れるまで知りませんでしたが
    椿がかろうじて咲いている感じでした


    福島民友HP より

    境内の奥にある2人の墓標の傍らには、父基治、母乙和の墓とともに、花が開かずつぼみのまま落ちてしまう一本のツバキがある。「乙和の椿」と呼ばれるこの古木の名は、松尾芭蕉も涙した悲しい物語が由来となっている。

  • 大きな木なのに<br />見つけられたのはこの花だけ

    大きな木なのに
    見つけられたのはこの花だけ

  • 木の下には蕾もまま落ちている椿が本当にたくさん((+_+))

    木の下には蕾もまま落ちている椿が本当にたくさん((+_+))

  • 1つ拾い上げてみました<br /><br />

    1つ拾い上げてみました

  • 医王寺で立派な桜が見れました<br /><br />右手に写っているのが継信・忠信の石塔<br /><br />「粉にして飲むと体が強くなる」といういい伝えにより<br />薬として利用され、石塔の半ばほどが大きく削り取られている<br /><br />以前は囲いがなかったそうですが石塔を守るために<br />現在はこのようになっています

    医王寺で立派な桜が見れました

    右手に写っているのが継信・忠信の石塔

    「粉にして飲むと体が強くなる」といういい伝えにより
    薬として利用され、石塔の半ばほどが大きく削り取られている

    以前は囲いがなかったそうですが石塔を守るために
    現在はこのようになっています

  • 可愛いです^^

    可愛いです^^

  • 薬師堂<br /><br />何故か石が括りつけてあるのです・・・<br />駅からの道でも住宅の塀にもあったのです・・・<br /><br />何だろう?

    薬師堂

    何故か石が括りつけてあるのです・・・
    駅からの道でも住宅の塀にもあったのです・・・

    何だろう?

  • 薬師堂を背に本殿へ戻ります

    薬師堂を背に本殿へ戻ります

  • まっずぐな1本道って好きです<br /><br />なんだか気持ちがピン!となります

    まっずぐな1本道って好きです

    なんだか気持ちがピン!となります

  • こちら本殿です<br /><br />最初にさらっと観せて頂いたのですが左手にある芭蕉の歌碑に<br />気を取られ(笑)さらっと・・・になってしまっていたのですが<br /><br />先ほどの薬師堂の石が気になって受付の方に質問してみたら<br />この辺りに昔、石材店があり絵馬の代わりとして石を使っていた名残だそうで石=意思の意味もあるらしいと教えてくれ<br /><br />さらに本堂には佐藤一族の家紋が多く使われていると教えて頂いたので<br />再度確認に。

    こちら本殿です

    最初にさらっと観せて頂いたのですが左手にある芭蕉の歌碑に
    気を取られ(笑)さらっと・・・になってしまっていたのですが

    先ほどの薬師堂の石が気になって受付の方に質問してみたら
    この辺りに昔、石材店があり絵馬の代わりとして石を使っていた名残だそうで石=意思の意味もあるらしいと教えてくれ

    さらに本堂には佐藤一族の家紋が多く使われていると教えて頂いたので
    再度確認に。

  • 本当だ(*^_^*)<br /><br />大きな丸い源氏車が施されていました<br /><br /> ニッポン旅マガジンHP より 〓〓〓<br /> <br />1180(治承4)年、源義経が頼朝のもとに馳せ参じた時、藤原秀衡は、佐藤継信(さとうつぐのぶ)、忠信の兄弟を義経につけた。以来兄弟は義経の四天王として活躍するのだが、継信は屋島の合戦において義経の身代わりとなって壮烈な最期を遂げ、忠信は翌年吉野山から京都に潜伏中に襲われ自刃する。<br /><br />奥州の佐藤氏の根拠地である陸奥国信夫郡(しのぶぐん)大鳥城は、現在の福島市飯坂温泉であり、温泉街の外れに佐藤一族の菩提寺である医王寺がある。継信・忠信の石塔は「粉にして飲むと体が強くなる」といういい伝えにより、薬として利用され、石塔の半ばほどが大きく削り取られている。寺紋は佐藤氏の家紋・源氏車である。

    本当だ(*^_^*)

    大きな丸い源氏車が施されていました

     ニッポン旅マガジンHP より 〓〓〓
     
    1180(治承4)年、源義経が頼朝のもとに馳せ参じた時、藤原秀衡は、佐藤継信(さとうつぐのぶ)、忠信の兄弟を義経につけた。以来兄弟は義経の四天王として活躍するのだが、継信は屋島の合戦において義経の身代わりとなって壮烈な最期を遂げ、忠信は翌年吉野山から京都に潜伏中に襲われ自刃する。

    奥州の佐藤氏の根拠地である陸奥国信夫郡(しのぶぐん)大鳥城は、現在の福島市飯坂温泉であり、温泉街の外れに佐藤一族の菩提寺である医王寺がある。継信・忠信の石塔は「粉にして飲むと体が強くなる」といういい伝えにより、薬として利用され、石塔の半ばほどが大きく削り取られている。寺紋は佐藤氏の家紋・源氏車である。

  • こんなに見てまわるものがあったなんて((+_+))<br /><br />もっと早く来たら良かったー・・・<br /><br /><br />また来ようかな(笑)福島

    こんなに見てまわるものがあったなんて((+_+))

    もっと早く来たら良かったー・・・


    また来ようかな(笑)福島

  • 芭蕉坂

    芭蕉坂

  • この道を下って行ってもどこに行くのか<br />携帯のナビには無い道なので行き止まりかもしれません<br /><br />でも、行きたくなっちゃうww

    この道を下って行ってもどこに行くのか
    携帯のナビには無い道なので行き止まりかもしれません

    でも、行きたくなっちゃうww

  • 竹藪<br /><br />竹のない北海道民には<br />とても憧れる風景<br /><br /><br />坂を下りきると民家が・・・(^_^;)<br /><br />でも脇を抜けると無事国道に出られましたー!(^^)!<br />

    竹藪

    竹のない北海道民には
    とても憧れる風景


    坂を下りきると民家が・・・(^_^;)

    でも脇を抜けると無事国道に出られましたー!(^^)!

  • ナビの通りに歩き続ける途中に<br /><br />ギャラリー梟(http://g-fukurou.com/)<br />気分転換も兼ねて入ってみました<br /><br />店内には梟!フクロウ!ふくろう!! でした<br /><br />可愛いものも多く買ってしまいそうになったのですが<br />私、それでなくても1泊分も荷物を持って歩いているので断念<br /><br />ホント芭蕉さん・・・スゴイです

    ナビの通りに歩き続ける途中に

    ギャラリー梟(http://g-fukurou.com/
    気分転換も兼ねて入ってみました

    店内には梟!フクロウ!ふくろう!! でした

    可愛いものも多く買ってしまいそうになったのですが
    私、それでなくても1泊分も荷物を持って歩いているので断念

    ホント芭蕉さん・・・スゴイです

  • トンネルを抜けて やっと目的地の花ももの里<br /><br />きっと綺麗な桃の花が満開!(^^)!<br /><br /><br />そして大鳥城跡と気になるものが・・・

    トンネルを抜けて やっと目的地の花ももの里

    きっと綺麗な桃の花が満開!(^^)!


    そして大鳥城跡と気になるものが・・・

  • 着いた〜(*^_^*)

    着いた〜(*^_^*)

  • しかし(-&quot;-)<br /><br />しかし((+_+))<br /><br />しかーし 桃の花も連休初日の寒さで散ってしまったらしく・・・<br /><br /><br /><br />これが限界(&gt;_&lt;)   ほんとに花見に縁がなーい

    しかし(-"-)

    しかし((+_+))

    しかーし 桃の花も連休初日の寒さで散ってしまったらしく・・・



    これが限界(>_<)   ほんとに花見に縁がなーい

    花ももの里 名所・史跡

  • 初めて見た桃の花<br /><br /><br />可愛い(*^_^*)  残っていてくれただけでも感謝だわ

    初めて見た桃の花


    可愛い(*^_^*)  残っていてくれただけでも感謝だわ

    花ももの里 名所・史跡

  • コトバンク より<br /><br />おおとりじょう【大鳥城】<br />福島県福島市の飯坂温泉の舘の山(比高約120m)にあった平安時代末期の山城(やまじろ)。<br />奥州平泉の藤原泰衡(やすひら)の郎従で信夫庄司だった佐藤基治(もとはる)(元治)の居城。基治は源義経の郎党の佐藤継信・忠信兄弟の父にあたる。<br /><br />基治は一族郎党とともに1189年(文治5)8月、源頼朝率いる奥州討伐軍(義経をかくまった奥州藤原氏討伐軍)の本軍と戦ったが(石那坂の戦い)、その際、大鳥城は落城した。<br />この戦いの後、佐藤一族は赦免され、その後も大鳥城を居城としていたが、13世紀初めに伊勢(三重県)に移り、全国の佐藤姓の源流の一つになったとされている。ちなみに、この戦いで戦功のあった常陸入道念西が伊達郡を賜り、伊達氏を興した。<br /><br />大鳥城跡は現在、舘の山公園となっている。舘の山の山頂部には主郭、その西側には櫓(やぐら)跡と呼ばれる郭があったことが発掘調査により明らかになっており、曲輪(くるわ)、土塁、空堀、井戸などの遺構のほか、碑や説明板がある。また、基治当時の居館は大鳥中学校や飯坂球場のある舘の山東麓にあったと推定されている。その東には大門という地名が残っており、ここに大手門があったのではないかといわれている。

    コトバンク より

    おおとりじょう【大鳥城】
    福島県福島市の飯坂温泉の舘の山(比高約120m)にあった平安時代末期の山城(やまじろ)。
    奥州平泉の藤原泰衡(やすひら)の郎従で信夫庄司だった佐藤基治(もとはる)(元治)の居城。基治は源義経の郎党の佐藤継信・忠信兄弟の父にあたる。

    基治は一族郎党とともに1189年(文治5)8月、源頼朝率いる奥州討伐軍(義経をかくまった奥州藤原氏討伐軍)の本軍と戦ったが(石那坂の戦い)、その際、大鳥城は落城した。
    この戦いの後、佐藤一族は赦免され、その後も大鳥城を居城としていたが、13世紀初めに伊勢(三重県)に移り、全国の佐藤姓の源流の一つになったとされている。ちなみに、この戦いで戦功のあった常陸入道念西が伊達郡を賜り、伊達氏を興した。

    大鳥城跡は現在、舘の山公園となっている。舘の山の山頂部には主郭、その西側には櫓(やぐら)跡と呼ばれる郭があったことが発掘調査により明らかになっており、曲輪(くるわ)、土塁、空堀、井戸などの遺構のほか、碑や説明板がある。また、基治当時の居館は大鳥中学校や飯坂球場のある舘の山東麓にあったと推定されている。その東には大門という地名が残っており、ここに大手門があったのではないかといわれている。

  • 花ももの里で野菜を売っていた方に<br /><br />何故か(笑)頂いた焼き芋とw

    花ももの里で野菜を売っていた方に

    何故か(笑)頂いた焼き芋とw

  • 調べてみると医王寺に祀られている佐藤一族とリンクしてくるのですね^^<br />行った時に知っていたらもっと楽しめただろうけど<br />後から知るのも楽しい♪

    調べてみると医王寺に祀られている佐藤一族とリンクしてくるのですね^^
    行った時に知っていたらもっと楽しめただろうけど
    後から知るのも楽しい♪

  • 大鳥城窯跡

    大鳥城窯跡

  • 上写真の案内図にもあったように<br />車で本丸まではぐるっと回っていきますが<br /><br />旧道があったので焼き芋パワーで<br /><br />いざ!本丸っ!(^^)!

    上写真の案内図にもあったように
    車で本丸まではぐるっと回っていきますが

    旧道があったので焼き芋パワーで

    いざ!本丸っ!(^^)!

    大鳥城址 名所・史跡

  • しかしお分かり頂けるだろうか((+_+))<br /><br />この急こう配を・・・<br /><br /><br />焼き芋パワーも登り始めて50mで切れ<br /><br />旧道すごい<br /><br />芭蕉(昔の旅する人ね)すごい<br /><br />参勤交代すごーい!!!  って昔の人を想って<br />登り切りましたよwww

    しかしお分かり頂けるだろうか((+_+))

    この急こう配を・・・


    焼き芋パワーも登り始めて50mで切れ

    旧道すごい

    芭蕉(昔の旅する人ね)すごい

    参勤交代すごーい!!!  って昔の人を想って
    登り切りましたよwww

  • そして立ち入り禁止・・・<br /><br /><br />本丸まで辿りつけず((+_+))<br /><br /><br /><br /><br />そうなのよね<br /><br />うん、立て看板あったわ 行き止まりってね<br /><br />だけど登ってみたかったのよ<br />もしかしたら行けるカモって思ったのよ

    そして立ち入り禁止・・・


    本丸まで辿りつけず((+_+))




    そうなのよね

    うん、立て看板あったわ 行き止まりってね

    だけど登ってみたかったのよ
    もしかしたら行けるカモって思ったのよ

  • 第三の砦までだったけど<br /><br />救いなのは展望台には行けること♪

    第三の砦までだったけど

    救いなのは展望台には行けること♪

  • 福島市内側<br /><br />あれ志信山かなー?

    福島市内側

    あれ志信山かなー?

  • こちらは桑折側<br /><br />整備されていて座るベンチ?もあったので<br />しばし休憩<br /><br /><br />時間があるならここでまったりと本を読みたいところだけど・・・<br />飯坂温泉に行かなくちゃ!!

    こちらは桑折側

    整備されていて座るベンチ?もあったので
    しばし休憩


    時間があるならここでまったりと本を読みたいところだけど・・・
    飯坂温泉に行かなくちゃ!!

  • 山を下りナビに従いテクテク<br /><br />途中、飯坂小学校の前を通過<br />下校する小学生に混ざって、のーんびり歩きます<br /><br /><br />懐かしいモノも発見

    山を下りナビに従いテクテク

    途中、飯坂小学校の前を通過
    下校する小学生に混ざって、のーんびり歩きます


    懐かしいモノも発見

  • 駅に向かう途中の小さな公園に「城跡」の文字が<br /><br />調べてみたのだが、昔は湯山城と言っていたらしい・・・と言うことと<br />このすぐ先の坂道を芭蕉が下った路らしいということ<br /><br />もう少し調べてみよーっと♪

    駅に向かう途中の小さな公園に「城跡」の文字が

    調べてみたのだが、昔は湯山城と言っていたらしい・・・と言うことと
    このすぐ先の坂道を芭蕉が下った路らしいということ

    もう少し調べてみよーっと♪

  • 方向オンチは鯖湖湯へ行きたかったのに駅に到着<br /><br />曲がるのを見落としてしまったらしい・・・((+_+))

    方向オンチは鯖湖湯へ行きたかったのに駅に到着

    曲がるのを見落としてしまったらしい・・・((+_+))

    飯坂温泉駅

  • この旅 2つめの芭蕉さんにコンニチハ<br /><br /><br />そして、ここで福島駅前の芭蕉さんを忘れていたことを思い出し<br />かなり悔しい思いをする<br /><br />そして本来ならば今日が休みの鯖湖湯<br />連休なのでお湯に浸かれるかどうかを確認したかったのだけど<br />駅前に観光案内所があったので聞いてみたら<br />「休みですね」のお返事・・・((+_+))残念<br /><br />歩いて汗もかいたし、時間もあるので近くにあった波来湯で入浴〜♪

    この旅 2つめの芭蕉さんにコンニチハ


    そして、ここで福島駅前の芭蕉さんを忘れていたことを思い出し
    かなり悔しい思いをする

    そして本来ならば今日が休みの鯖湖湯
    連休なのでお湯に浸かれるかどうかを確認したかったのだけど
    駅前に観光案内所があったので聞いてみたら
    「休みですね」のお返事・・・((+_+))残念

    歩いて汗もかいたし、時間もあるので近くにあった波来湯で入浴〜♪

    飯坂温泉駅

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