総社・吉備路旅行記(ブログ) 一覧に戻る
吉備と言えば、桃太郎伝説を抜きには語れません。しかも1.5kmほどの距離の所に同じ主祭神 吉備津彦を祀る一文字違いの神社「吉備津彦神社」と「吉備津神社」が存在するのは何とも奇妙です。<br />主祭神は、『古事記』では大吉備津彦命、『日本書紀』では吉備津彦命と記され、表向きには各々の神社は備前国と備中国という別の国にあり、吉備津彦神社は備前国の一ノ宮、吉備津神社が備中国の一ノ宮だとしています。そして2つの神社の境界が、吉備津彦が眠る吉備中山というご神体です。<br />ところが実際に両社を見比べてみると、不思議なことに吉備津彦神社と吉備津神社は空気感が全く異なります。しかも吉備津神社は吉備津彦を祀っていると称しながら、本質的には温羅一族の怨霊を鎮めるために創建された神社のようにも窺えます。あるいは、温羅一族を正義と見て、陰の(本質の)祭神として祀っていたのかもしれません。<br />一方、この吉備津彦神社は『続日本紀』にも登場する由緒ある神社であり、旧官幣社の面影が随所に残されています。ここから、吉備津彦という名前を隠れ蓑に温羅一族を祀る吉備津神社に対抗し、朝廷が力ずくで吉備津彦を主祭神に祀ったのが吉備津彦神社だったとの推論が導けます。一説には、邪馬台国女王とは吉備津彦の姉 倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ=一説には神功皇后とも)だとも伝えられており、主祭神 吉備津彦に温羅に勝る箔を準備したことが窺えます。<br />更には、壮大な神社を造営することだけではヤマト王権による吉備国征服が領民たちに納得されるに至らず、後世のわだかまりを抹消するために吉備津彦を讃える伝承として「桃太郎伝説」を流布したとも考えられます。その謎に迫ってみたいと思います。<br /><br />境内ガイドです。<br />http://www.kibitsuhiko.or.jp/guide.html

青嵐薫風 吉備路逍遥③吉備津彦神社

584いいね!

2016/05/01 - 2016/05/01

3位(同エリア271件中)

0

31

montsaintmichel

montsaintmichelさん

吉備と言えば、桃太郎伝説を抜きには語れません。しかも1.5kmほどの距離の所に同じ主祭神 吉備津彦を祀る一文字違いの神社「吉備津彦神社」と「吉備津神社」が存在するのは何とも奇妙です。
主祭神は、『古事記』では大吉備津彦命、『日本書紀』では吉備津彦命と記され、表向きには各々の神社は備前国と備中国という別の国にあり、吉備津彦神社は備前国の一ノ宮、吉備津神社が備中国の一ノ宮だとしています。そして2つの神社の境界が、吉備津彦が眠る吉備中山というご神体です。
ところが実際に両社を見比べてみると、不思議なことに吉備津彦神社と吉備津神社は空気感が全く異なります。しかも吉備津神社は吉備津彦を祀っていると称しながら、本質的には温羅一族の怨霊を鎮めるために創建された神社のようにも窺えます。あるいは、温羅一族を正義と見て、陰の(本質の)祭神として祀っていたのかもしれません。
一方、この吉備津彦神社は『続日本紀』にも登場する由緒ある神社であり、旧官幣社の面影が随所に残されています。ここから、吉備津彦という名前を隠れ蓑に温羅一族を祀る吉備津神社に対抗し、朝廷が力ずくで吉備津彦を主祭神に祀ったのが吉備津彦神社だったとの推論が導けます。一説には、邪馬台国女王とは吉備津彦の姉 倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ=一説には神功皇后とも)だとも伝えられており、主祭神 吉備津彦に温羅に勝る箔を準備したことが窺えます。
更には、壮大な神社を造営することだけではヤマト王権による吉備国征服が領民たちに納得されるに至らず、後世のわだかまりを抹消するために吉備津彦を讃える伝承として「桃太郎伝説」を流布したとも考えられます。その謎に迫ってみたいと思います。

境内ガイドです。
http://www.kibitsuhiko.or.jp/guide.html

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
JRローカル
  • JR岡山駅 桃太郎線<br />3月28日からJR吉備線(岡山〜総社)が「桃太郎線」の愛称に変わりました。<br />沿線には吉備津神社や古代の山城「鬼ノ城」など桃太郎伝説ゆかりの史跡が多く、JR西日本が知名度アップのために愛称を公募して決まりました。<br />ラッキーなことに、「キハ40系ディーゼル車両」2両編成の車体に桃太郎や鬼などの絵が描かれたラッピング列車に乗ることができました。

    JR岡山駅 桃太郎線
    3月28日からJR吉備線(岡山〜総社)が「桃太郎線」の愛称に変わりました。
    沿線には吉備津神社や古代の山城「鬼ノ城」など桃太郎伝説ゆかりの史跡が多く、JR西日本が知名度アップのために愛称を公募して決まりました。
    ラッキーなことに、「キハ40系ディーゼル車両」2両編成の車体に桃太郎や鬼などの絵が描かれたラッピング列車に乗ることができました。

  • JR岡山駅 桃太郎線<br />後部車両は、桃太郎伝説のモチーフとなったとされる「温羅(うら)伝説」の世界を漫画家 出口竜正氏が書き下ろしたものです。

    JR岡山駅 桃太郎線
    後部車両は、桃太郎伝説のモチーフとなったとされる「温羅(うら)伝説」の世界を漫画家 出口竜正氏が書き下ろしたものです。

  • JR岡山駅 桃太郎線<br />先頭車両は、おとぎ話風の作画で描かれたデザインです。<br />こちらも出口竜正氏の手によるものです。<br />桃太郎線は10番線からの発車になり、時間帯にもよりますが、通常30分毎の発車になります。因みに、この電車は12時44分発です。

    JR岡山駅 桃太郎線
    先頭車両は、おとぎ話風の作画で描かれたデザインです。
    こちらも出口竜正氏の手によるものです。
    桃太郎線は10番線からの発車になり、時間帯にもよりますが、通常30分毎の発車になります。因みに、この電車は12時44分発です。

  • 備前一宮駅<br />桃太郎線に揺られて10分程で「備前一宮」駅に到着です。<br />無人駅ですので、駅の周りにはお店はありません。<br />駅の左隣にある「ウエドレンタサイクル」で自転車をレンタル(総社駅:荒木レンタサイクルへ乗り捨て)してスタートです。<br />個人的な感想ですが、ウエドレンタサイクルは古いママチャリ(変速なし)しか置いていないため、逆コースで荒木レンタサイクルでレンタルされた方がいいかもしれません。予約はしていましたが、台数が少ないように感じました。<br /><br />吉備路自転車道マップです。<br />http://www.kibiji.ne.jp/scci/kibiroad/html/map/index.htm<br />今回は自転車道に忠実に従わずに近道を使いましたが、結構アップダウンがありました。自転車道が遠回りをしているのはその辺りに配慮してのことだと思います。

    備前一宮駅
    桃太郎線に揺られて10分程で「備前一宮」駅に到着です。
    無人駅ですので、駅の周りにはお店はありません。
    駅の左隣にある「ウエドレンタサイクル」で自転車をレンタル(総社駅:荒木レンタサイクルへ乗り捨て)してスタートです。
    個人的な感想ですが、ウエドレンタサイクルは古いママチャリ(変速なし)しか置いていないため、逆コースで荒木レンタサイクルでレンタルされた方がいいかもしれません。予約はしていましたが、台数が少ないように感じました。

    吉備路自転車道マップです。
    http://www.kibiji.ne.jp/scci/kibiroad/html/map/index.htm
    今回は自転車道に忠実に従わずに近道を使いましたが、結構アップダウンがありました。自転車道が遠回りをしているのはその辺りに配慮してのことだと思います。

  • 鳥居<br />自転車をこいで3分程すると鳥居の前に到着です。<br />この明神鳥居は、犬島産の石材を用いて石工棟梁 河内屋治兵衛が造ったものです。<br />吉備津彦神社は、夏至の日出には太陽が鳥居の真正面から昇って神殿の御鏡に朝日が差すことから、「朝日の宮」と称されてきたパワースポットです。これは、古代太陽信仰の原点、つまり太陽を神と仰ぎ日本民族と人類の豊穣や発展、幸運を祈るための神社として創建されたことを象徴しています。<br /><br />背後の山がご神体となっている吉備中山です。神奈備山(かんなびやま)とも呼ばれ、神が宿る山という意味だそうです。<br />平安朝時代から「真金吹く吉備の中山帯にせる 細谷川のおとのさやけさ」(古今和歌集)と歌枕に詠われた吉備中山は、岡山市の西方5kmにある田園地帯に忽然と現われる小高い丘陵状の山です。「真金(まかね)」とは「鉄」のことで、「真金吹く」が吉備の枕詞になります。<br />備中と備前の国境をなす吉備中山は独立山塊であり、東西2km、南北2.5kmあり、最高点は北端竜王山の標高175mとなります。山体は南北に双子状となっており、その山姿から頼山陽は「鯉山」とも名付けています。<br />標高の低い山ながら、平安期にはすでに著名であり、『枕草子』では「山は、小倉山・三笠山…吉備中山・嵐山・更科山」とし、天下の名山として認知されていたことが窺えます。

    鳥居
    自転車をこいで3分程すると鳥居の前に到着です。
    この明神鳥居は、犬島産の石材を用いて石工棟梁 河内屋治兵衛が造ったものです。
    吉備津彦神社は、夏至の日出には太陽が鳥居の真正面から昇って神殿の御鏡に朝日が差すことから、「朝日の宮」と称されてきたパワースポットです。これは、古代太陽信仰の原点、つまり太陽を神と仰ぎ日本民族と人類の豊穣や発展、幸運を祈るための神社として創建されたことを象徴しています。

    背後の山がご神体となっている吉備中山です。神奈備山(かんなびやま)とも呼ばれ、神が宿る山という意味だそうです。
    平安朝時代から「真金吹く吉備の中山帯にせる 細谷川のおとのさやけさ」(古今和歌集)と歌枕に詠われた吉備中山は、岡山市の西方5kmにある田園地帯に忽然と現われる小高い丘陵状の山です。「真金(まかね)」とは「鉄」のことで、「真金吹く」が吉備の枕詞になります。
    備中と備前の国境をなす吉備中山は独立山塊であり、東西2km、南北2.5kmあり、最高点は北端竜王山の標高175mとなります。山体は南北に双子状となっており、その山姿から頼山陽は「鯉山」とも名付けています。
    標高の低い山ながら、平安期にはすでに著名であり、『枕草子』では「山は、小倉山・三笠山…吉備中山・嵐山・更科山」とし、天下の名山として認知されていたことが窺えます。

  • 狛犬<br />備前伊部焼の陶器の狛犬です。盗難防止なのか、注連縄が張られています。<br />地元独自のものという観点では、これぞ「岡山の狛犬」と言えます。本多静雄著『備前の宮獅子探訪』によれば、社頭に置かれたものは岡山市内に5対あるそうです。<br /><br />元々は安仁神社が備前国一ノ宮として祀られていましたが、939年の天慶の乱で敵味方に分かれたため、官軍側についた吉備津彦神社が一ノ宮に昇格し、敵側についていた安仁神社はその地位を失ったとされています。

    狛犬
    備前伊部焼の陶器の狛犬です。盗難防止なのか、注連縄が張られています。
    地元独自のものという観点では、これぞ「岡山の狛犬」と言えます。本多静雄著『備前の宮獅子探訪』によれば、社頭に置かれたものは岡山市内に5対あるそうです。

    元々は安仁神社が備前国一ノ宮として祀られていましたが、939年の天慶の乱で敵味方に分かれたため、官軍側についた吉備津彦神社が一ノ宮に昇格し、敵側についていた安仁神社はその地位を失ったとされています。

  • 神池 亀島神社<br />鳥居を潜り、参道を進むと神池の左右に亀島・靏島(つるしま)神社が佇んでいます。<br />こちらは亀島神社です。御祭神は市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)という水の女神様です。<br />神池に3つの島が設けられていることから、三島式庭園と呼ばれます。神池の水がかなり少なくなっているのが気がかりですが、神池は風水でいうところの金運の運気を持っていますので、この池を眺めれば金運アップが期待できます。

    神池 亀島神社
    鳥居を潜り、参道を進むと神池の左右に亀島・靏島(つるしま)神社が佇んでいます。
    こちらは亀島神社です。御祭神は市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)という水の女神様です。
    神池に3つの島が設けられていることから、三島式庭園と呼ばれます。神池の水がかなり少なくなっているのが気がかりですが、神池は風水でいうところの金運の運気を持っていますので、この池を眺めれば金運アップが期待できます。

  • 神池 五色島 環状列石<br />参道左手の亀島神社の奥に浮かぶ五色島には環状列石があり、古代の里宮跡とも祭祀場跡とも言われています。20個程の石が環状に整然と配されていますが、このストーンサークルが何時頃のものなのかは不明だそうです。神社の背後の山中にも数多の磐座遺跡があり、頂上付近には元宮磐座があってそこに神々が降臨したとも言われています。ここから吉備中山を遥拝していたとか、参拝に際しての禊の場だとか、想像を掻き立てられる異空間です。<br />日本の近代造園界の鬼才 重森三玲氏は、神池を詳しく調査した結果、「元禄時代の手直しはみられるものの、平安時代の作庭と認められる」と著書に記しています。

    神池 五色島 環状列石
    参道左手の亀島神社の奥に浮かぶ五色島には環状列石があり、古代の里宮跡とも祭祀場跡とも言われています。20個程の石が環状に整然と配されていますが、このストーンサークルが何時頃のものなのかは不明だそうです。神社の背後の山中にも数多の磐座遺跡があり、頂上付近には元宮磐座があってそこに神々が降臨したとも言われています。ここから吉備中山を遥拝していたとか、参拝に際しての禊の場だとか、想像を掻き立てられる異空間です。
    日本の近代造園界の鬼才 重森三玲氏は、神池を詳しく調査した結果、「元禄時代の手直しはみられるものの、平安時代の作庭と認められる」と著書に記しています。

  • 神池 靏島神社<br />参道右手の靏島神社は、海上安全の神とされ、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、神功皇后の住吉大神とされる四柱の神を祀っています。

    神池 靏島神社
    参道右手の靏島神社は、海上安全の神とされ、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、神功皇后の住吉大神とされる四柱の神を祀っています。

  • 随神門(市指定重要文化財)<br />1697(元禄10)年に池田綱政が造営した三間一戸の8脚門で、2柱の門番が守っています。向かって左には、豊磐窓命(とよいわまどのみこと)。右には、櫛磐窓命(くしいわまどのみこと)。<br />両神共に『古事記』においては、天孫降臨に際して登場する神々です。天照大神とその子孫が住む皇居の御門を守護する神で、厄災を追い払い、朝廷や領主が篤く信仰しました。こうしたところが官社たる所以です。

    随神門(市指定重要文化財)
    1697(元禄10)年に池田綱政が造営した三間一戸の8脚門で、2柱の門番が守っています。向かって左には、豊磐窓命(とよいわまどのみこと)。右には、櫛磐窓命(くしいわまどのみこと)。
    両神共に『古事記』においては、天孫降臨に際して登場する神々です。天照大神とその子孫が住む皇居の御門を守護する神で、厄災を追い払い、朝廷や領主が篤く信仰しました。こうしたところが官社たる所以です。

  • 随神門<br />三つ編みのような注連縄と共に吉備津彦神社の扁額が掲げられています。四角い額ではなく、自然木を用いて趣を深めています。<br />古代より背後にある吉備中山に巨大な天津磐座や磐境が鎮座し、山全体が神の山として崇敬されてきました。崇神天皇の御代、四道将軍として派遣された吉備津彦もこの山に祈って吉備国を平定し、その後も中山の東麓に永住し、諸民と国を深く愛し、平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎をつくったとされています。人々はこれを顕彰し、吉備津彦を現人神として崇めました。これが吉備津彦神社の生い立ちです。<br />因みに、『日本書紀』によると、四道将軍とは、ヤマト王権に従わない各地の豪族に対し、兵を挙げて討伐するようにと北陸、東海、西道、丹波に派遣された将軍を指します。<br />また、古くは歴代朝廷をはじめ武将などの崇敬が厚く、羽柴秀吉が備中高松城を攻略する際にここに立ち寄って戦勝祈願し、江戸時代には池田綱政が社領300石を寄進して社殿を完成させています。1928(昭和3)年には 国幣小社に列せられています。しかしその2年後、不慮の火災により、本殿と随神門以外が焼失しました。その後、昭和11年に社殿が再建され、現在に至っています。

    随神門
    三つ編みのような注連縄と共に吉備津彦神社の扁額が掲げられています。四角い額ではなく、自然木を用いて趣を深めています。
    古代より背後にある吉備中山に巨大な天津磐座や磐境が鎮座し、山全体が神の山として崇敬されてきました。崇神天皇の御代、四道将軍として派遣された吉備津彦もこの山に祈って吉備国を平定し、その後も中山の東麓に永住し、諸民と国を深く愛し、平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎をつくったとされています。人々はこれを顕彰し、吉備津彦を現人神として崇めました。これが吉備津彦神社の生い立ちです。
    因みに、『日本書紀』によると、四道将軍とは、ヤマト王権に従わない各地の豪族に対し、兵を挙げて討伐するようにと北陸、東海、西道、丹波に派遣された将軍を指します。
    また、古くは歴代朝廷をはじめ武将などの崇敬が厚く、羽柴秀吉が備中高松城を攻略する際にここに立ち寄って戦勝祈願し、江戸時代には池田綱政が社領300石を寄進して社殿を完成させています。1928(昭和3)年には 国幣小社に列せられています。しかしその2年後、不慮の火災により、本殿と随神門以外が焼失しました。その後、昭和11年に社殿が再建され、現在に至っています。

  • 安政の大燈篭<br />随神門を潜った先の左右には、東洋一と称される安政の大燈篭があります。1859(安政6)年に建立されたもので、花崗岩の大基礎は6段に築かれ、総高11.5m、笠石の大きさが8畳敷もあります。基礎・竿・中台・火袋は、それぞれ一石造になっています。<br />地元有志が建立を発起し、天下泰平や国家安全、万民豊楽、五穀成就などを念願して備前一円、浅口郡を中心に広い地域で寄進を募って奉納したものです。

    安政の大燈篭
    随神門を潜った先の左右には、東洋一と称される安政の大燈篭があります。1859(安政6)年に建立されたもので、花崗岩の大基礎は6段に築かれ、総高11.5m、笠石の大きさが8畳敷もあります。基礎・竿・中台・火袋は、それぞれ一石造になっています。
    地元有志が建立を発起し、天下泰平や国家安全、万民豊楽、五穀成就などを念願して備前一円、浅口郡を中心に広い地域で寄進を募って奉納したものです。

  • 手水舎<br />1697(元禄10)年に池田綱政が社殿を造営した際、永忠の信頼厚く数々の難事業を共に成し遂げた石工で有名な河内屋治兵衛が奉納した手水鉢です。<br />しっかりと治兵衛の名が読み取れます。<br />

    手水舎
    1697(元禄10)年に池田綱政が社殿を造営した際、永忠の信頼厚く数々の難事業を共に成し遂げた石工で有名な河内屋治兵衛が奉納した手水鉢です。
    しっかりと治兵衛の名が読み取れます。

  • 安政の大燈篭<br />6段造の石段には、1670余名の奉納者名がびっしりと刻まれています。集まった浄財は5676両(現在の金額で約1億5000万円)にものぼったそうです。<br />因みに、燈篭が完成した年は、日米通商交渉条約を締結した年に当たります。<br />

    安政の大燈篭
    6段造の石段には、1670余名の奉納者名がびっしりと刻まれています。集まった浄財は5676両(現在の金額で約1億5000万円)にものぼったそうです。
    因みに、燈篭が完成した年は、日米通商交渉条約を締結した年に当たります。

  • 社殿<br />古来より備前一ノ宮として人々に崇敬されていましたが、金川城主 松田氏に迫害されて焼き払われ、その後岡山藩主 池田光政が造営に着手し、1697年にその子 綱政が津田永忠に命じて現在の境内の姿を造り上げました。<br />流麗な三間社流作りの神殿は、飛鳥時代社殿建築の粋が尽くされており、荘厳華麗にして吉備国の神社建築が伝統とする流造の正統な姿を残す貴重な建築物です。また、古代に創建された熱田神宮の社殿配置に倣い、本殿、渡殿、祭文殿、拝殿と大社殿が一直線に配置されているのも特徴です。<br />拝殿の扁額には「一品一宮」と書かれています。<br />1930(昭和5)年の火災で拝殿などが焼失し、現在の建物は1936(昭和11)年に復元されたものですが、本殿は幸いにも火災から免れ、総欅材を使った三間社流造、桧皮葺の流麗な建物で、県重要文化財に指定されています。<br />残念なことに、本殿は修復工事の真っ最中のようです。

    社殿
    古来より備前一ノ宮として人々に崇敬されていましたが、金川城主 松田氏に迫害されて焼き払われ、その後岡山藩主 池田光政が造営に着手し、1697年にその子 綱政が津田永忠に命じて現在の境内の姿を造り上げました。
    流麗な三間社流作りの神殿は、飛鳥時代社殿建築の粋が尽くされており、荘厳華麗にして吉備国の神社建築が伝統とする流造の正統な姿を残す貴重な建築物です。また、古代に創建された熱田神宮の社殿配置に倣い、本殿、渡殿、祭文殿、拝殿と大社殿が一直線に配置されているのも特徴です。
    拝殿の扁額には「一品一宮」と書かれています。
    1930(昭和5)年の火災で拝殿などが焼失し、現在の建物は1936(昭和11)年に復元されたものですが、本殿は幸いにも火災から免れ、総欅材を使った三間社流造、桧皮葺の流麗な建物で、県重要文化財に指定されています。
    残念なことに、本殿は修復工事の真っ最中のようです。

  • 拝殿 絵馬<br />お参りを終えて境内を散策していると、かわいらしい絵馬を発見。<br />さすが岡山だけあり、桃がモチーフです。<br /><br />ボランティアガイドさんによれば、1930(昭和5)年12月に起こった火災は、拝殿の床下で暮らしていた今で言うホームレスの火の不始末が原因だったそうです。その火事で本殿と随神門を除き、全て燃えてしまったそうです。<br />再建時には、床下に侵入できないような構造にしているそうです。

    拝殿 絵馬
    お参りを終えて境内を散策していると、かわいらしい絵馬を発見。
    さすが岡山だけあり、桃がモチーフです。

    ボランティアガイドさんによれば、1930(昭和5)年12月に起こった火災は、拝殿の床下で暮らしていた今で言うホームレスの火の不始末が原因だったそうです。その火事で本殿と随神門を除き、全て燃えてしまったそうです。
    再建時には、床下に侵入できないような構造にしているそうです。

  • 拝殿<br />神前では結婚式が行われています。<br />祭神が天皇家関係の場合にのみに使用できる菊紋と五七桐紋が燦然と輝いています。<br />

    拝殿
    神前では結婚式が行われています。
    祭神が天皇家関係の場合にのみに使用できる菊紋と五七桐紋が燦然と輝いています。

  • 渡殿<br />本殿と祭文殿の間に位置し、大祭時のお供物がこの渡殿に供えられ、ご祈祷をする場所です。<br />10月中は殿内に全国の神々を奉祭します。<br /><br />

    渡殿
    本殿と祭文殿の間に位置し、大祭時のお供物がこの渡殿に供えられ、ご祈祷をする場所です。
    10月中は殿内に全国の神々を奉祭します。

  • 祭祀所<br />祭文殿と渡殿の間には、このような半地下通路が設けられ、より本殿に近い所から参拝することができます。本殿に近い分、ご利益も濃いのかもしれません。<br />上の写真に写っている四角いトンネルのような所です。立ち入りは自由のようです。

    祭祀所
    祭文殿と渡殿の間には、このような半地下通路が設けられ、より本殿に近い所から参拝することができます。本殿に近い分、ご利益も濃いのかもしれません。
    上の写真に写っている四角いトンネルのような所です。立ち入りは自由のようです。

  • 平安杉<br />樹齢千年以上とされる御神木です。<br />「この大杉に龍が宿る」という伝承があり、吉備津彦神社のシンボル的存在です。<br />しかし、樹形がなんとなく不自然に見えませんか?<br />何と、拝殿が火災で燃え盛った際に拝殿側の枝や幹は燃え、反対側だけが燃え残ったためにこのような樹形になったそうです。<br />その後、幹は空洞化と老朽化が進行し、近年には倒木の恐れもありましたが、寄付等により2004年に大手術治療が行なわれて今の姿があるそうです。<br />痛々しくもありますが、それでも生きようとする姿には脱帽です。

    平安杉
    樹齢千年以上とされる御神木です。
    「この大杉に龍が宿る」という伝承があり、吉備津彦神社のシンボル的存在です。
    しかし、樹形がなんとなく不自然に見えませんか?
    何と、拝殿が火災で燃え盛った際に拝殿側の枝や幹は燃え、反対側だけが燃え残ったためにこのような樹形になったそうです。
    その後、幹は空洞化と老朽化が進行し、近年には倒木の恐れもありましたが、寄付等により2004年に大手術治療が行なわれて今の姿があるそうです。
    痛々しくもありますが、それでも生きようとする姿には脱帽です。

  • 稲荷神社<br />摂社には稲荷神社もあります。<br /><br />『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は邪馬台国に居住し、鬼道で衆を惑わしていたと伝わっています。また当時の倭人の風俗の記述には、男子は顔や体に入墨を施し、人々は朱や丹を体に塗っていたとあり、これは温羅の特徴に酷似しており、吉備国と邪馬台国の関係が見え隠れします。<br />一方、吉備周辺の古墳は、3世紀後半から古代出雲の四隅突出型墳丘墓から前方後円墳に変遷しています。また、日本最古の前方後円墳であり、卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳の築造が3世紀後半とされ、そこから吉備国独特の特殊器台などが出土していることから、古墳文化の成立過程に吉備が深く関わったと考えられています。これは、吉備津彦の温羅討伐以降、吉備国がヤマト王権に下った証左とされています。また、吉備には日本第4位の規模を持つ古墳が発見されており、吉備地方に近畿政権に匹敵する勢力を持つ王国があったと推測されています。邪馬台国がこの鬼の国「吉備国」と関係があったことは確かであり、邪馬台国=吉備国という古代ロマンが膨れ上がります。<br />因みに、吉備津彦の姉が倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ=卑弥呼)と伝わっています。

    稲荷神社
    摂社には稲荷神社もあります。

    『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は邪馬台国に居住し、鬼道で衆を惑わしていたと伝わっています。また当時の倭人の風俗の記述には、男子は顔や体に入墨を施し、人々は朱や丹を体に塗っていたとあり、これは温羅の特徴に酷似しており、吉備国と邪馬台国の関係が見え隠れします。
    一方、吉備周辺の古墳は、3世紀後半から古代出雲の四隅突出型墳丘墓から前方後円墳に変遷しています。また、日本最古の前方後円墳であり、卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳の築造が3世紀後半とされ、そこから吉備国独特の特殊器台などが出土していることから、古墳文化の成立過程に吉備が深く関わったと考えられています。これは、吉備津彦の温羅討伐以降、吉備国がヤマト王権に下った証左とされています。 また、吉備には日本第4位の規模を持つ古墳が発見されており、吉備地方に近畿政権に匹敵する勢力を持つ王国があったと推測されています。邪馬台国がこの鬼の国「吉備国」と関係があったことは確かであり、邪馬台国=吉備国という古代ロマンが膨れ上がります。
    因みに、吉備津彦の姉が倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ=卑弥呼)と伝わっています。

  • 温羅(うら)神社 <br />鳥居の先に佇むのが、温羅神社です。<br />桃太郎伝説では吉備津彦と戦った温羅は鬼とされていますが、吉備国に様々な大陸文化をもたらし、「吉備の冠者」の名を吉備津彦に献上したとされる温羅の和やかな御魂を祀っています。<br /><br />吉備津彦とは孝霊天皇の第3皇子で、ヤマト王権から派遣されて往時吉備の国を治めていた豪族 温羅一族を攻め滅ぼした人物です。この討伐の伝承が桃太郎伝説の元になったとも言われています。<br />温羅は、百済から吉備国に渡来した百済の皇子とも伝わり、吉備の冠者や禍叉温羅(かしゃうら)、艮御崎(うしとらみさき)とも称されました。桃太郎伝説では「鬼」とされ、目は爛々と輝き、髪は燃えるように赤い大男で、妖術を使い口から火を吹いて人々を襲って悪事を働いたとされています。総社市の新山に鬼城を築いて吉備津彦と戦いました。<br />一方、製鉄技術をはじめ様々な技術文化を伝えた功労者としての一面も窺わせます。事実、吉備や出雲では古来、中国山脈の砂鉄を材料とした製鉄が盛んであり、備前日本刀にもみられるこの地の製鉄文化の発展がこれを物語っています。

    温羅(うら)神社 
    鳥居の先に佇むのが、温羅神社です。
    桃太郎伝説では吉備津彦と戦った温羅は鬼とされていますが、吉備国に様々な大陸文化をもたらし、「吉備の冠者」の名を吉備津彦に献上したとされる温羅の和やかな御魂を祀っています。

    吉備津彦とは孝霊天皇の第3皇子で、ヤマト王権から派遣されて往時吉備の国を治めていた豪族 温羅一族を攻め滅ぼした人物です。この討伐の伝承が桃太郎伝説の元になったとも言われています。
    温羅は、百済から吉備国に渡来した百済の皇子とも伝わり、吉備の冠者や禍叉温羅(かしゃうら)、艮御崎(うしとらみさき)とも称されました。桃太郎伝説では「鬼」とされ、目は爛々と輝き、髪は燃えるように赤い大男で、妖術を使い口から火を吹いて人々を襲って悪事を働いたとされています。総社市の新山に鬼城を築いて吉備津彦と戦いました。
    一方、製鉄技術をはじめ様々な技術文化を伝えた功労者としての一面も窺わせます。事実、吉備や出雲では古来、中国山脈の砂鉄を材料とした製鉄が盛んであり、備前日本刀にもみられるこの地の製鉄文化の発展がこれを物語っています。

  • 参集所<br />入口には岡山城の鯱が置かれています。<br />岡山城主 池田氏の尊崇を受けていたことからの繋がりでしょうか?

    参集所
    入口には岡山城の鯱が置かれています。
    岡山城主 池田氏の尊崇を受けていたことからの繋がりでしょうか?

  • 参集所<br />こちらは、岡山城の五七桐紋の鬼瓦です。

    参集所
    こちらは、岡山城の五七桐紋の鬼瓦です。

  • 子安神社 参道<br />吉備津彦神社の摂社であり、祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、木花佐久夜姫命(このはなさくやひめのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀り、吉備津彦神社本殿より古い創建になりますが、池田綱政によって再建されています。<br />古来より、縁結び、子授け、安産、育児の神様として多くの人に信仰され、全国からも熱心なお参りがあると言います。岡山藩備前監国の池田利隆が子宝に恵まれなかった際、子安神社で祈願すると忽ち名君と仰がれた光政が誕生したと伝わっています。子安神社の脇に自生する蕨(ワラビ)を夫婦で食べると懐妊するという伝承もあるそうです。<br />『吉備津彦神社社記』によると、晩年の池田光政は健康がすぐれなかったため、その健康を祈願するため、娘の六姫が発願し、光政の生母福生院の手によって1692年に子安神社を備前一ノ宮の境内に建立したとあります。

    子安神社 参道
    吉備津彦神社の摂社であり、祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、木花佐久夜姫命(このはなさくやひめのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀り、吉備津彦神社本殿より古い創建になりますが、池田綱政によって再建されています。
    古来より、縁結び、子授け、安産、育児の神様として多くの人に信仰され、全国からも熱心なお参りがあると言います。岡山藩備前監国の池田利隆が子宝に恵まれなかった際、子安神社で祈願すると忽ち名君と仰がれた光政が誕生したと伝わっています。子安神社の脇に自生する蕨(ワラビ)を夫婦で食べると懐妊するという伝承もあるそうです。
    『吉備津彦神社社記』によると、晩年の池田光政は健康がすぐれなかったため、その健康を祈願するため、娘の六姫が発願し、光政の生母福生院の手によって1692年に子安神社を備前一ノ宮の境内に建立したとあります。

  • 子安神社 社殿(市指定重要文化財)<br />拝殿は、桁行三間、梁間二間、入母屋造りの銅板葺の建物で、正面には 「子安宮」と金文字で書いた神号額が掲げられています。<br />奥の本殿は、桁行一間、梁間一間、桧皮葺で花崗岩の亀腹の上に建てられています。流造の屋根の前後に伸びた弛みない曲線、五七桐や蟇股の形状、勾欄柱の擬宝珠の姿などに桃山時代の様式を残しています。外装に丹や胡粉を塗り、また破風下には蕪懸魚を吊るすなど、全体を華麗な社殿に仕上げています。

    子安神社 社殿(市指定重要文化財)
    拝殿は、桁行三間、梁間二間、入母屋造りの銅板葺の建物で、正面には 「子安宮」と金文字で書いた神号額が掲げられています。
    奥の本殿は、桁行一間、梁間一間、桧皮葺で花崗岩の亀腹の上に建てられています。流造の屋根の前後に伸びた弛みない曲線、五七桐や蟇股の形状、勾欄柱の擬宝珠の姿などに桃山時代の様式を残しています。外装に丹や胡粉を塗り、また破風下には蕪懸魚を吊るすなど、全体を華麗な社殿に仕上げています。

  • 末社<br />子安神社の北側には、7つの末社が鎮座しています。<br />手前から、下宮(倭比賣命)、伊勢宮(天照大神)、幸神社(猿田彦命)、鯉喰神社(楽々森彦命荒魂)、矢喰神社(吉備津彦命御矢)、坂樹神社(句句廼馳神)、祓神社(祓戸神)と連なっています。

    末社
    子安神社の北側には、7つの末社が鎮座しています。
    手前から、下宮(倭比賣命)、伊勢宮(天照大神)、幸神社(猿田彦命)、鯉喰神社(楽々森彦命荒魂)、矢喰神社(吉備津彦命御矢)、坂樹神社(句句廼馳神)、祓神社(祓戸神)と連なっています。

  • 吉備の巌<br />巨大な石室を彷彿とさせる石組の作品です。<br />吉備津彦神社と吉備津神社の背後の中山には、巨大な天津磐座や磐境が鎮座していいるため、山全体が神の山として崇敬されています。それにあやかっての作品でしょうか?<br />

    吉備の巌
    巨大な石室を彷彿とさせる石組の作品です。
    吉備津彦神社と吉備津神社の背後の中山には、巨大な天津磐座や磐境が鎮座していいるため、山全体が神の山として崇敬されています。それにあやかっての作品でしょうか?

  • 吉備の巌<br />桃太郎伝説の元ネタは要約すると次のようになります。 <br />昔々吉備国に温羅という鬼に似た形相の渡来人がおり、窃盗や婦女暴行を繰り返して住民を恐怖に追いやっていました。そのことを知ったヤマト王権は、孝霊天皇の息子 吉備津彦に温羅退治を命じました。吉備津彦の軍は吉備の中山に陣を構え、鬼城一帯の温羅をめがけて弓を射ました。しかし、温羅は岩石を投じてその矢を封じ、変幻自在な温羅に苦戦を強いられました。そこで吉備津彦が2本の矢を射って温羅の片目を射抜くと、負傷した温羅は雉に姿を変えて飛んで逃走を図りました。ならばと吉備津彦は鷹になって追いかけます。これでは分が悪いと、温羅は鯉に変じて血吸川に逃れようとします。すると吉備津彦は鵜になり、鯉になった温羅に噛みつき、とうとう捕らえます。しかし、捕まってもしぶといのが温羅。首を刎ねられて晒し首にされても唸り声をあげ人々を恐がらせます。これはいかんと吉備津彦命は犬にその頭を食べさせますが、骨になっても唸り声は静まりません。最終的に吉備津神社で神事を行い、温羅の亡骸を釜の下に封じ込め、ようやく温羅との戦いが終わりました。<br />めでたし、めでたし。

    吉備の巌
    桃太郎伝説の元ネタは要約すると次のようになります。
    昔々吉備国に温羅という鬼に似た形相の渡来人がおり、窃盗や婦女暴行を繰り返して住民を恐怖に追いやっていました。そのことを知ったヤマト王権は、孝霊天皇の息子 吉備津彦に温羅退治を命じました。吉備津彦の軍は吉備の中山に陣を構え、鬼城一帯の温羅をめがけて弓を射ました。しかし、温羅は岩石を投じてその矢を封じ、変幻自在な温羅に苦戦を強いられました。そこで吉備津彦が2本の矢を射って温羅の片目を射抜くと、負傷した温羅は雉に姿を変えて飛んで逃走を図りました。ならばと吉備津彦は鷹になって追いかけます。これでは分が悪いと、温羅は鯉に変じて血吸川に逃れようとします。すると吉備津彦は鵜になり、鯉になった温羅に噛みつき、とうとう捕らえます。しかし、捕まってもしぶといのが温羅。首を刎ねられて晒し首にされても唸り声をあげ人々を恐がらせます。これはいかんと吉備津彦命は犬にその頭を食べさせますが、骨になっても唸り声は静まりません。最終的に吉備津神社で神事を行い、温羅の亡骸を釜の下に封じ込め、ようやく温羅との戦いが終わりました。
    めでたし、めでたし。

  • さざれ石<br />一般的にこうした石塊を「さざれ石」と言いますが、正確には「さざれ石」そのものではなく、「さざれ石の巌」となったものです。さざれ石とは小さい砂利、小石のことを指します。この石塊は、小石(さざれ石)の石灰質が雨などで凝縮し、固まった岩石です。

    さざれ石
    一般的にこうした石塊を「さざれ石」と言いますが、正確には「さざれ石」そのものではなく、「さざれ石の巌」となったものです。さざれ石とは小さい砂利、小石のことを指します。この石塊は、小石(さざれ石)の石灰質が雨などで凝縮し、固まった岩石です。

  • 桃太郎像<br />少し分かり難い駐車場の奥まった所にあり、参拝者を遠目に見守っています。<br />桃太郎の少し漫画チックなほのぼのとした顔立ちに、少し間の抜けた表情の犬や猿、雉たち…。作者の意図が何処にあるのか…。<br />シュールな作品で、なかなか味わい深いものがあります。<br /><br />この続きは、青嵐薫風 吉備路逍遥④吉備津神社でお届けいたします。

    桃太郎像
    少し分かり難い駐車場の奥まった所にあり、参拝者を遠目に見守っています。
    桃太郎の少し漫画チックなほのぼのとした顔立ちに、少し間の抜けた表情の犬や猿、雉たち…。作者の意図が何処にあるのか…。
    シュールな作品で、なかなか味わい深いものがあります。

    この続きは、青嵐薫風 吉備路逍遥④吉備津神社でお届けいたします。

この旅行記のタグ

関連タグ

584いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP