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総社市の観光ガイドによるタイトルです。大和王朝にも匹敵する勢力を誇ったといわれる古代吉備王国。多くの古墳や、山城の鬼ノ城、国府、国分寺、国分尼寺がおかれたことから、総社地域が、政治、経済、文化の中心としてにぎわっていました。<br /><br />城巡りに興味があるなら、ぜひとも行かなければなりません。<br /><br />GW中なので、早く自宅を出発しました。<br /><br />この日は、鬼ノ城→備中国分寺→吉備津神社→吉備津彦神社と巡りました。<br /><br />GW後半戦怒涛の日帰り4連発 !!<br /><br />5/3 桃源郷は、南信州にもありました! <br />http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10772855/<br />5/4 尾張 津島を巡る 藤まつりもね   <br />http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773146/<br /><br />5/5 古代吉備王国をうぉーク!!        <br />http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773235/<br /><br />5/5 吉備路に桃太郎さんを探して!!     <br />http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773466/<br /><br />5/6 兵庫の花巡り 2013年 1      <br />http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773521/<br /><br />5/6 兵庫の花巡り 2013年 2      <br />http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773784/<br /><br />よろしければ、おつき合いください

古代吉備王国をうぉーク!!

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2013/05/05 - 2013/05/05

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hiro3

hiro3さん

総社市の観光ガイドによるタイトルです。大和王朝にも匹敵する勢力を誇ったといわれる古代吉備王国。多くの古墳や、山城の鬼ノ城、国府、国分寺、国分尼寺がおかれたことから、総社地域が、政治、経済、文化の中心としてにぎわっていました。

城巡りに興味があるなら、ぜひとも行かなければなりません。

GW中なので、早く自宅を出発しました。

この日は、鬼ノ城→備中国分寺→吉備津神社→吉備津彦神社と巡りました。

GW後半戦怒涛の日帰り4連発 !!

5/3 桃源郷は、南信州にもありました! 
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10772855/
5/4 尾張 津島を巡る 藤まつりもね   
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773146/

5/5 古代吉備王国をうぉーク!!       
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773235/

5/5 吉備路に桃太郎さんを探して!!    
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773466/

5/6 兵庫の花巡り 2013年 1      
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773521/

5/6 兵庫の花巡り 2013年 2      
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773784/

よろしければ、おつき合いください

同行者
カップル・夫婦
交通手段
自家用車
  • 鬼ノ城までは、狭い道路が続きます。すれ違いのポイントで交わさなければなりません。<br />8時頃に到着しました。まだ、下ってくる車は、ありませんでした。<br /><br />これは、鬼の釜です。駐車場まで、もう少しというあたりにあります。<br /><br />鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)という伝説の鬼が使用していたとされ、「鬼の釜」という名で呼ばれています。鋳型で作られた大釜で、上・中・下三段の横方向と、各段10片の縦方向の鋳造痕が明瞭に認められます。<br /><br />鬼伝説をもりあげてくれます。<br /><br />

    鬼ノ城までは、狭い道路が続きます。すれ違いのポイントで交わさなければなりません。
    8時頃に到着しました。まだ、下ってくる車は、ありませんでした。

    これは、鬼の釜です。駐車場まで、もう少しというあたりにあります。

    鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)という伝説の鬼が使用していたとされ、「鬼の釜」という名で呼ばれています。鋳型で作られた大釜で、上・中・下三段の横方向と、各段10片の縦方向の鋳造痕が明瞭に認められます。

    鬼伝説をもりあげてくれます。

  • 桃太郎伝説のもとになったといわれる温羅(うら)伝説。<br />温羅という百済の王子が、この地に鬼ノ城を築き、貢物や婦女子を略奪して、大変恐れられたそうです。それを大和朝廷が、温羅征伐のために送り込んだのが、「五十狭芹彦命(吉備津彦命)」だそうです。命が放った矢が命中し、噴出した血潮が血吸川に流れ、下流の赤浜まで真っ赤に染めたという。そして、成敗された温羅の首は、吉備津神社の御釜殿に埋められたが、13年もうなり続けた。命の夢枕に温羅が現れ、「悪行の償いに、釜をうならせて世の吉凶を占う」といった。これが、吉備津神社の「鳴釜神事」の始まりといわれています。<br /><br />

    桃太郎伝説のもとになったといわれる温羅(うら)伝説。
    温羅という百済の王子が、この地に鬼ノ城を築き、貢物や婦女子を略奪して、大変恐れられたそうです。それを大和朝廷が、温羅征伐のために送り込んだのが、「五十狭芹彦命(吉備津彦命)」だそうです。命が放った矢が命中し、噴出した血潮が血吸川に流れ、下流の赤浜まで真っ赤に染めたという。そして、成敗された温羅の首は、吉備津神社の御釜殿に埋められたが、13年もうなり続けた。命の夢枕に温羅が現れ、「悪行の償いに、釜をうならせて世の吉凶を占う」といった。これが、吉備津神社の「鳴釜神事」の始まりといわれています。

  • ビジターセンター<br /><br />案内板の後ろが、駐車場。手前が、ビジターセンター<br /><br />まだ駐車している車は少なかった。

    ビジターセンター

    案内板の後ろが、駐車場。手前が、ビジターセンター

    まだ駐車している車は少なかった。

  • ビジターセンター<br /><br />8時30分のオープンです。資料室、トイレ、休憩室などが、整備されています。<br /><br />鬼ノ城を散策するには、ぜひ訪れてください。パンフレットの地図が、参考になります。各ポイントの距離が、入っているので目安になります。(分岐のポイントには、案内板があるので、迷うことはないと思いますが。)

    ビジターセンター

    8時30分のオープンです。資料室、トイレ、休憩室などが、整備されています。

    鬼ノ城を散策するには、ぜひ訪れてください。パンフレットの地図が、参考になります。各ポイントの距離が、入っているので目安になります。(分岐のポイントには、案内板があるので、迷うことはないと思いますが。)

  • ビジターセンター

    ビジターセンター

  • ビジターセンター<br /><br />主だった見所を紹介しています。

    ビジターセンター

    主だった見所を紹介しています。

  • ビジターセンター<br /><br />鬼ノ城の城壁は、高さ5〜7m、幅も7mあるので、大変な作業だと思われます。

    ビジターセンター

    鬼ノ城の城壁は、高さ5〜7m、幅も7mあるので、大変な作業だと思われます。

  • ビジターセンター<br /><br />版築土塁の作り方です。土を敷いては踏み固め、作業工程が、幾重もの層になって積み上げられています。バームクーヘンを想像してしまいました。

    ビジターセンター

    版築土塁の作り方です。土を敷いては踏み固め、作業工程が、幾重もの層になって積み上げられています。バームクーヘンを想像してしまいました。

  • ビジターセンター<br /><br />模型です。

    ビジターセンター

    模型です。

  • ビジターセンターから西門付近までは、車椅子でいけるように、緩やかなスロープの道が整備されています。

    ビジターセンターから西門付近までは、車椅子でいけるように、緩やかなスロープの道が整備されています。

  • 西門が見えてきました。

    西門が見えてきました。

  • 鬼ノ城は鬼城山の8合目から9合目にかけて、2.8kmにわたって城壁をめぐらせて、版築土塁と高石垣で築かれています。

    鬼ノ城は鬼城山の8合目から9合目にかけて、2.8kmにわたって城壁をめぐらせて、版築土塁と高石垣で築かれています。

  • 復元された西門<br /><br />ここにつながる角楼とよばれるあたりが、復元されています。<br /><br />盾は、高欄の内側に立てるものですが、文様が見えなくなる為に、外側に取り付けられているそうです。最初に目にしたときは、威嚇する為に取り付けられているのかと思っていました。<br /><br />パンフレットの下に小さく但し書きのように書いてありました。

    復元された西門

    ここにつながる角楼とよばれるあたりが、復元されています。

    盾は、高欄の内側に立てるものですが、文様が見えなくなる為に、外側に取り付けられているそうです。最初に目にしたときは、威嚇する為に取り付けられているのかと思っていました。

    パンフレットの下に小さく但し書きのように書いてありました。

  • 西門は、12本の柱で上屋をささえ、その柱は、最大で一辺が60cmで2mの深さまで入っているそうです。

    西門は、12本の柱で上屋をささえ、その柱は、最大で一辺が60cmで2mの深さまで入っているそうです。

  • 西門から外に出てみます。<br /><br />

    西門から外に出てみます。

  • 西門<br /><br />城壁の様子がよくわかります。<br />

    西門

    城壁の様子がよくわかります。

  • 城壁の説明です

    城壁の説明です

  • ここだけでも、結構な距離の城壁です。<br /><br />時代を考えると・・・、ましてや、山の上です。どれだけの人が投入されたのでしょうか?

    ここだけでも、結構な距離の城壁です。

    時代を考えると・・・、ましてや、山の上です。どれだけの人が投入されたのでしょうか?

  • 敷石の説明<br /><br />古代山城で敷石が敷かれているのは、日本ではここだけのようです。

    敷石の説明

    古代山城で敷石が敷かれているのは、日本ではここだけのようです。

  • 城壁の上に板塀を廻らせてより堅固な守りとしています。

    城壁の上に板塀を廻らせてより堅固な守りとしています。

  • 建物に登ることはできません。<br /><br />下を抜けて表に出れます。

    建物に登ることはできません。

    下を抜けて表に出れます。

  • 礎石建物群<br /><br />ほぼ中心部にあります。<br /><br />

    礎石建物群

    ほぼ中心部にあります。

  • ベニドウダン(紅満天星)

    ベニドウダン(紅満天星)

  • シオカラトンボ?

    シオカラトンボ?

  • 屏風折れの石垣

    屏風折れの石垣

  • 東門

    東門

  • 高石垣

    高石垣

  • 巨石

    巨石

  • 南門<br /><br />敷石の階段が、残っていたそうです。

    南門

    敷石の階段が、残っていたそうです。

  • ヤブツバキ

    ヤブツバキ

  • 敷石

    敷石

  • 戻ってきました。

    戻ってきました。

  • 角楼<br /><br />西門の死角をうめるためにつくられました。

    角楼

    西門の死角をうめるためにつくられました。

  • 学習広場から見た西門<br /><br />角楼から下の道を行くと途中に展望台のような場所に出ます。<br />のぼりは、上の道を行きましたので、気がつきませんでした。<br /><br />遊歩道を歩くとわかります。<br /><br />北門には行っていませんが、それでも結構な距離を歩きました。<br />戻ってくると駐車場は、ほぼ満車。下の公園からシャトルバスもでているので、運転に気を使うより、バスの方が安心かもしれません。<br />

    学習広場から見た西門

    角楼から下の道を行くと途中に展望台のような場所に出ます。
    のぼりは、上の道を行きましたので、気がつきませんでした。

    遊歩道を歩くとわかります。

    北門には行っていませんが、それでも結構な距離を歩きました。
    戻ってくると駐車場は、ほぼ満車。下の公園からシャトルバスもでているので、運転に気を使うより、バスの方が安心かもしれません。

  • 備中国分寺<br /><br />白藤が咲いていました。

    備中国分寺

    白藤が咲いていました。

  • 備中国分寺<br /><br />高さ34.32m。南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m。塔跡が残る)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建を開始、弘化年間(1844年-1847年)に完成した。江戸時代後期の様式を濃く残す岡山県内唯一の五重塔。<br />当初は三重塔で計画されたのを五重塔に変更したとされ、3層まではケヤキ材、4・5層まではマツ材が主体である。<br /><br />少しほっそりとした感じです。

    備中国分寺

    高さ34.32m。南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m。塔跡が残る)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建を開始、弘化年間(1844年-1847年)に完成した。江戸時代後期の様式を濃く残す岡山県内唯一の五重塔。
    当初は三重塔で計画されたのを五重塔に変更したとされ、3層まではケヤキ材、4・5層まではマツ材が主体である。

    少しほっそりとした感じです。

  • 備中国分寺<br /><br />五重塔の初層には、十二支の彫り物と一角にだけ火焔を吹く竜があります。探してください。

    備中国分寺

    五重塔の初層には、十二支の彫り物と一角にだけ火焔を吹く竜があります。探してください。

  • 備中国分寺<br /><br />本堂

    備中国分寺

    本堂

  • 備中国分寺<br /><br />内部が公開されていました。こちらは、阿弥陀如来。

    備中国分寺

    内部が公開されていました。こちらは、阿弥陀如来。

  • 備中国分寺<br /><br />鐘楼

    備中国分寺

    鐘楼

  • 備中国分寺<br /><br />れんげまつりが開かれています。

    備中国分寺

    れんげまつりが開かれています。

  • 備中国分寺

    備中国分寺

  • 備中国分寺

    備中国分寺

  • 備中国分寺<br /><br />この後、食事を取り、吉備津神社に向いました。

    備中国分寺

    この後、食事を取り、吉備津神社に向いました。

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