2013/05/05 - 2013/05/05
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hiro3さん
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総社市の観光ガイドによるタイトルです。大和王朝にも匹敵する勢力を誇ったといわれる古代吉備王国。多くの古墳や、山城の鬼ノ城、国府、国分寺、国分尼寺がおかれたことから、総社地域が、政治、経済、文化の中心としてにぎわっていました。
城巡りに興味があるなら、ぜひとも行かなければなりません。
GW中なので、早く自宅を出発しました。
この日は、鬼ノ城→備中国分寺→吉備津神社→吉備津彦神社と巡りました。
GW後半戦怒涛の日帰り4連発 !!
5/3 桃源郷は、南信州にもありました!
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10772855/
5/4 尾張 津島を巡る 藤まつりもね
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773146/
5/5 古代吉備王国をうぉーク!!
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773235/
5/5 吉備路に桃太郎さんを探して!!
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773466/
5/6 兵庫の花巡り 2013年 1
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773521/
5/6 兵庫の花巡り 2013年 2
http://4travel.jp/traveler/oosaka_hiro3/album/10773784/
よろしければ、おつき合いください
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
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鬼ノ城までは、狭い道路が続きます。すれ違いのポイントで交わさなければなりません。
8時頃に到着しました。まだ、下ってくる車は、ありませんでした。
これは、鬼の釜です。駐車場まで、もう少しというあたりにあります。
鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)という伝説の鬼が使用していたとされ、「鬼の釜」という名で呼ばれています。鋳型で作られた大釜で、上・中・下三段の横方向と、各段10片の縦方向の鋳造痕が明瞭に認められます。
鬼伝説をもりあげてくれます。 -
桃太郎伝説のもとになったといわれる温羅(うら)伝説。
温羅という百済の王子が、この地に鬼ノ城を築き、貢物や婦女子を略奪して、大変恐れられたそうです。それを大和朝廷が、温羅征伐のために送り込んだのが、「五十狭芹彦命(吉備津彦命)」だそうです。命が放った矢が命中し、噴出した血潮が血吸川に流れ、下流の赤浜まで真っ赤に染めたという。そして、成敗された温羅の首は、吉備津神社の御釜殿に埋められたが、13年もうなり続けた。命の夢枕に温羅が現れ、「悪行の償いに、釜をうならせて世の吉凶を占う」といった。これが、吉備津神社の「鳴釜神事」の始まりといわれています。 -
ビジターセンター
案内板の後ろが、駐車場。手前が、ビジターセンター
まだ駐車している車は少なかった。 -
ビジターセンター
8時30分のオープンです。資料室、トイレ、休憩室などが、整備されています。
鬼ノ城を散策するには、ぜひ訪れてください。パンフレットの地図が、参考になります。各ポイントの距離が、入っているので目安になります。(分岐のポイントには、案内板があるので、迷うことはないと思いますが。) -
ビジターセンター
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ビジターセンター
主だった見所を紹介しています。 -
ビジターセンター
鬼ノ城の城壁は、高さ5〜7m、幅も7mあるので、大変な作業だと思われます。 -
ビジターセンター
版築土塁の作り方です。土を敷いては踏み固め、作業工程が、幾重もの層になって積み上げられています。バームクーヘンを想像してしまいました。 -
ビジターセンター
模型です。 -
ビジターセンターから西門付近までは、車椅子でいけるように、緩やかなスロープの道が整備されています。
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西門が見えてきました。
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鬼ノ城は鬼城山の8合目から9合目にかけて、2.8kmにわたって城壁をめぐらせて、版築土塁と高石垣で築かれています。
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復元された西門
ここにつながる角楼とよばれるあたりが、復元されています。
盾は、高欄の内側に立てるものですが、文様が見えなくなる為に、外側に取り付けられているそうです。最初に目にしたときは、威嚇する為に取り付けられているのかと思っていました。
パンフレットの下に小さく但し書きのように書いてありました。 -
西門は、12本の柱で上屋をささえ、その柱は、最大で一辺が60cmで2mの深さまで入っているそうです。
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西門から外に出てみます。
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西門
城壁の様子がよくわかります。 -
城壁の説明です
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ここだけでも、結構な距離の城壁です。
時代を考えると・・・、ましてや、山の上です。どれだけの人が投入されたのでしょうか? -
敷石の説明
古代山城で敷石が敷かれているのは、日本ではここだけのようです。 -
城壁の上に板塀を廻らせてより堅固な守りとしています。
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建物に登ることはできません。
下を抜けて表に出れます。 -
礎石建物群
ほぼ中心部にあります。 -
ベニドウダン(紅満天星)
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シオカラトンボ?
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屏風折れの石垣
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東門
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高石垣
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巨石
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南門
敷石の階段が、残っていたそうです。 -
ヤブツバキ
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敷石
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戻ってきました。
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角楼
西門の死角をうめるためにつくられました。 -
学習広場から見た西門
角楼から下の道を行くと途中に展望台のような場所に出ます。
のぼりは、上の道を行きましたので、気がつきませんでした。
遊歩道を歩くとわかります。
北門には行っていませんが、それでも結構な距離を歩きました。
戻ってくると駐車場は、ほぼ満車。下の公園からシャトルバスもでているので、運転に気を使うより、バスの方が安心かもしれません。 -
備中国分寺
白藤が咲いていました。 -
備中国分寺
高さ34.32m。南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50m。塔跡が残る)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建を開始、弘化年間(1844年-1847年)に完成した。江戸時代後期の様式を濃く残す岡山県内唯一の五重塔。
当初は三重塔で計画されたのを五重塔に変更したとされ、3層まではケヤキ材、4・5層まではマツ材が主体である。
少しほっそりとした感じです。 -
備中国分寺
五重塔の初層には、十二支の彫り物と一角にだけ火焔を吹く竜があります。探してください。 -
備中国分寺
本堂 -
備中国分寺
内部が公開されていました。こちらは、阿弥陀如来。 -
備中国分寺
鐘楼 -
備中国分寺
れんげまつりが開かれています。 -
備中国分寺
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備中国分寺
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備中国分寺
この後、食事を取り、吉備津神社に向いました。
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