2016/04/30 - 2016/04/30
523位(同エリア2327件中)
ねいちゃさん
今回のショートトリップは「姫路」ですっ。
4月30日GW前半の中日、余りにも好天に恵まれ
「どっか行こう!」と急遽決まった姫路行き。
平成の大修理によって、白漆喰が塗り直され
往時の「白鷺」が甦りました。
白く輝きすぎたため「しらさぎ」ならぬ「しろすぎ!」と
賛否の声もあるようですけど、
創建当時の姿はやはりこうだったのでしょうね。
タイトルは姫路城大天守修理見学施設名称
「天空の白鷺」より戴きました。
施設は平成26年1月15日をもって閉館、
平成27年3月27日より姫路城はグランドオープンしています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
-
京都から姫路までJRの新快速だと、ものの90分。
乗車券は2270円。
新幹線だと45分なんだけど、特急券3520円が追加。
倍以上高くなるんで、急ぐこともない・・・。在来線で十分。
で、姫路城到着!「おぉー」テンションあがりますな。 -
平成の大修理も終わり・・・いつも以上に白くなっております。
平成の大修理は平成21年10月より始まり、平成27年3月に終了しました。
昭和の大修理では、全面解体を伴う大規模なものでしたが、
今回は漆喰壁の塗り直しや庇や屋根の修理、汚れ除去が主なものとなっています。 -
本格的に見学する前にかるく腹ごしらえ。
家老屋敷跡公園のショップで日本酒が飲めそうなんだけど、
これから観光だしねぇ、ぐっと我慢。
こういう我慢もできるようになった!
で、喫茶ミラノさんで、缶ビールを・・・。
我慢してへんやん!ミラノ グルメ・レストラン
-
桜門橋[さくらもんばし]
江戸時代の大手門には内濠を渡るための木橋が架けられていました。
それが桜門橋、発掘調査で出土した橋台の遺構を活かして
鉄骨製の橋が架けられ、木橋をイメージさせるため、
木板が張られているとのこと。
よく見ると橋脚に鉄骨が見えてますね。
幅7m長さ22m、平成19年2月に完成しました。
橋越しの白鷺城が綺麗ですね。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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内濠[うちぼり]
和船に乗りながら30分程度のお堀めぐりなんかもあるそうです。 -
往時は石垣の上には城壁があったでしょうから、
こんな風に天守閣は見えてなかったんでしょうね。 -
大手門[おおてもん]−旧「桐二門」−
姫路城の大手門は、本来三重の城門からなる城内で最も格調高い厳重な門でした。
現在の「大手門」は、大型の高麗門で昭和13(1938)年に完成したもの。
位置や大きさは江戸時代のものとはだいぶ違っています。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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江戸時代は橋を渡りきった所に「桜門」があり
現在の大手門がある所には「桐二門」が立っていました。
その先は石垣に囲まれた枡形虎口で、城内に入るには180度方向転換して
「桐一門」を抜ける必要があったようです。
今はこの門を抜けるとすぐに白亜の天守が目に飛び込んできますが
やはり昔はしっかりと守りが固められていたんですね。
写真に見える「桐紋」の飾りは「桐二門」の名残のようですが
正確に復元されたものではないそうです。 -
三の丸広場から姫路城を
白漆喰が優美です。
漆喰というのは消石灰にのりやきざんだ麻などを混ぜて水で練り合わせたもの。
防湿・防火・防弾などの効果があり、特に漆喰を用いて塗り固め、耐久性を高めたものを塗籠(ぬりごめ)というそうです。
姫路城は白漆喰総塗籠造[しろしっくいそうぬりごめづくり]として知られています。 -
実に立派なお城です。
姫路城といえば、黒田官兵衛の本拠として有名ですが
城とは名ばかりな砦レベルだったようです。
それを羽柴秀吉に献上し、本格的な城郭となってゆくのですが
その時でも3層の天守しかなく
今日見る大天守が現れるのは1609年池田輝政の時代になってからです。
西国大名に睨みをきかせるための大天守、3重の堀をもつ総構え。
姫路城は徳川政権にとっての西の要[かなめ]となる重要なお城でした。 -
威風堂々たる姫路城ですが、その歴史もまた数奇な運命をたどっています。
聞きたいでしょ〜〜〜。
じゃあ少しずつ小出しにご披露しましょうかねぇ。
「姫路城の城主は誰でしょう?」
いきなりの難問ですけど
すぐに「あの人!」って思い浮かべる人っていないんですよね。 -
1545年黒田重隆が入城してから、1869年の版籍奉還までの324年間で
なんと!城主が38人も入れ替わっています。
324割る38・・・一人あたり平均8、5年の在位です。
短いでしょ〜、徳川幕府にとっての要衝の地、飾りの殿様じゃ不安。
幕藩体制が確立してからの最初の殿様は「池田輝政」。
豊臣恩顧の武将で立場的には外様ですけど、家康の次女の婿なので
実質的には親戚、譜代と言ってもいい大名です。
以後、常に譜代か親藩クラスの大名が配されていますから
いかに姫路城が重要視されていたのかがわかります。
だからコロコロと城主が変わっているんですね。 -
菱の門
ウダウダ語ってる間に菱の門まで来ちゃいました。
ここが城内への入口となる重要な御門となります。
しかし、妙な造りですよね、片一方が石垣に乗っかってるような・・・。
これも防御重視の枡形にする工夫。ゆるやかな上り坂にどんと構える櫓門。
あちこちに開けられた狭間から鉄砲や弓で狙い撃ち・・・。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
-
写真では暗くてわからないと思いますが、美しい窓の下の梁に
木彫りの「菱形」が彫られています。これが菱の門と呼ばれる所以。
姫路城最大の門であり、かつ最も優美な櫓門です。
正面の武者窓の左右には、華灯窓がついており、金細工の飾りがついています。
また、柱など木材も漆喰で、塗り籠められており、統一感がとられています。
全国でもまれに見る桃山時代の華麗な城門と言えます。
他の櫓門には見られない意匠から、秀吉の伏見城からの移築説もあります。
しかし何の根拠も見つかっておらず、憶測の域をでていません。 -
やはり見取り図がある方がわかりやすいですよね。
とても素敵なイラストマップを見つけました。
姫路城管理事務所HPより抜粋
http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/enjoy.html
管理事務所の方々、ありがとうございます! -
菱の門をくぐると、姫路城一番のビュースポット。
三国堀[さんごくぼり]にでます。
大天守の手前には西小天守[にしこてんしゅ]、左には乾小天守[いぬいこてんしゅ]が見えますね〜。
姫路城は連立式望楼型、やはり斜めから見るとより一層美しく見えます。 -
イチオシ
三国堀[さんごくぼり]
天守のある姫山と西の丸のある鷺山の谷間に位置し、
秀吉の頃より空堀があったと言われています。
三国という名前の由来は、池田輝政が播磨・淡路・備前の三ヵ国から
人夫を集めて築いたことによるそうです。
現在は長方形の独立した堀ですが、北部分にV字の石垣があり、
かつては北方向に伸びていたことも伺わせてくれます。 -
イチオシ
V字の石垣の写真?
ごめんなさい、ありません。
この話は後で知ったんで・・・この時は知らんかってん。
(。・ ω<)ゞてへぺろ -
乾小天守[いぬいこてんしゅ]
北西=戌亥=乾の方角に位置することから、このように呼ばれます。
3小天守の中では一番大きく、外観3層・内部は地下1階・地上4階の造りになっています。
石落としや武者格子窓などの防衛施設の他、大入母屋、唐破風造り、火灯窓、
天守閣最上階と同じ仕様の明り障子が最上階にはめ込まれていることなど、
準天守扱いの造りになっています。 -
ここからまっすぐ北に向かうと「いの門」へ。
ぱっと見、こちらが天守への一本道のようにしか見えませんが、
実はトイレを超えて右の小道を進むと「るの門」があります。
「るの門」は石垣を穿って作られた穴門で、
「菱の門」からは見えないようになっています。
敵がまっすぐ進めば、ここから伏兵が現れ横槍をいれる構造で
「いの門」に阻まれた敵は三国堀に落ちるしかない・・・
また、もし敵に見つかったとしても、穴を石で塞げばおしまい。
見事な防御施設ですっ。 -
こんだけ凄い施設なのに、なぜか「るの門」の写真もありません。
私も敵と同じで「るの門」に気づくことなく、「いの門」に直進しました。
まんまと姫路城に騙されてしまいました。
「うむぅ〜、やるなぁ〜」
事前学習してないと、あちこちでボロがでますなぁ。 -
鉄砲狭間なんかを撮ってる場合じゃないのにな。(笑)
いやいや、これはこれで大事。 -
アヒルなんて撮ってる場合じゃないのにな。(笑)
いやいや、これはこれでおしりがキュート。 -
大天守最上階
西面の窓が3カ所、南面の窓が5カ所、見えていますね。
ところが、2011年11月18日「平成の修理」で、
新たな窓枠が四隅から8カ所も見つかったんです。
今は白漆喰に覆われている四隅ですが、創建時は窓だった・・・。
全周全てが窓で囲まれていた。
これって凄くないですか?
死角なしのオープンウィンドウ・・・壮大な眺めだったでしょうね。
「どうだ!」って城主の声が聞こえてきそう・・・。
でも現実に使用された形跡はないようで、おそらく耐震上の問題からか
「幻の窓」と言われています。 -
ということも、
この時は全く知らないまま「いの門」に向かって歩いております。
今回は突然の姫路行きだったもので
ホント、事前学習怠っていたことが
痛すぎる結果となってしまいました。
入場券売り場近くの「旧西大柱」展示も見てないし
「るの門」もスルーだし
次に訪れる「圓教寺さん」でも大きな失敗をしでかしております。
姫路に行けたことは満足しているんですがね、
こうして旅行記を書く段になると、アレも見てないコレも見てないとなると
ちょっこっと反省もするわけです。
旅は行く前の、情報収集がホント大事なんですよね〜。 -
三国堀から西の丸へ行くルートがありますが、
今回はそちらはパスしました。
ウン十年前にも来たことがあって、その時には巡っていたからネ。
今回は違うミッションを計画したんです。
西の丸にも化粧櫓とか見所はいっぱいあるんですけど。 -
「ろの門」手前に飲料水などの売店があり
その先から自販機はないということなので
とりあえず水を購入。
いざ城内の深遠部に突入です。
姫路城といえば、「ココ」みたいな、有名なスポットです。
「はの門」に続く奥行きが狭くなっていく緩やかな上り坂。
右手の壁には、鉄砲狭間が規則正しく並んでいます。
遠望には西小天守の向こうに大天守が見える絶景ポイント。 -
イチオシ
いいですね〜、ここは。
姫路城に来たって痛感させてくれます。
この風景、実は黒澤明監督の「影武者」という映画のロケ地でもあります。
野田城を包囲する武田信玄を、徳川方の鉄砲手が狙撃したシーン。
昼間に大将がいる位置を確認しておいて、鉄砲の位置を固定しておいて
夜間に狙撃、見事命中・・・となるんですが、
現実にはそうはうまくいかないでしょうね。
もっとも、「影武者」は信玄が死なないと話にならないんで
そういう「狙撃説」を取り入れたフィクションとしては面白い映画でした。 -
武田信玄の死因については、色々と考証もされていますし
「狙撃説」もそのうちの一つではありますが
まぁお話としては面白いと思っています。
現実的には「肺病説」による病死というのが、妥当な線という気がしますけど
いづれにせよ、武田信玄の死によって、
織田信長の天下布武が実現したと見るのは間違いないでしょうね。
鉄砲挾間から見える風景は、こんなものです。
とても遠方の敵を狙撃するようには、作られていませんよね〜。
城に近寄る敵を狙撃するのが、挾間の役割でしょうねぇ。 -
さぁ、ウダウダ言ってないで、「はの門」を攻略しましょ。
大天守は目前だー。 -
?む?? 長蛇の列?
大天守に入るための1時間待ち?!。
今まで色々お城巡りはしてきましたが、天守に登るのに
一時間待ちなんて経験しておりませなんだ。
何のアトラクション?!
思わず「止めようか」とヨメに聞いたんですけど
「ここまで来たんだし」とのことで、並びました。 -
GWを侮ってはいけないと痛感しました。
それに並んでおられる方々は、ほとんど外国人だったりするし。
日本語聞こえない−−、話してる内容は「何食べた?」とかばっかり。
「おのこみやき、べりーでりしゃす!」ってあんた、ねぇ。
日本の粉モン文化を甘く見ちゃいけなっつぅの!
大阪人なんか、お好み焼きをおかずに、ご飯喰うんだから・・・。 -
カナダ人の高校生の修学旅行生?と連れもって
遅々として進まない行列ながら
何とか「にの門」手前まで到達しました。
左右を壁と石垣に挟まれ、目の前の武者窓から楽に狙い撃たれる場所におります。
ホント、逃げ場がない造りですよね。
こういう場所にいると、日本の城郭建築ってスゴイなぁといつも思います。
命がいくつあっても足りない・・・。 -
ここから城兵が鉄砲を構えてる姿を見るんですよ。
戦国時代に生まれなくてよかったと、心から思う瞬間です。
国宝現存四天守と言われている城郭建築は、さすがに鉄壁の防御力を誇っています。
柔な防衛では守れなかったという証左でしょうねぇ。
数年前におたずねした熊本城も、見事な防御施設でした。
それでも、天災には抗し得なかったというのも、
所詮は人間のなす技には限界があるという証左なのかもしれません。
熊本で震災に遭われた方々、
今後も大変な日々が待ち受けておりますが、
何とか心安らかな日々が訪れることを心よりお祈りいたします。 -
この「にの門」にも見所があって
屋根瓦の一つの紋章が「十字」になってるのがあるんです。
これは黒田官兵衛がキリシタンだったことに由来するって?
えっとちょっとあり得ない話ではあります。
官兵衛が姫路に居を構えたのは、改宗するはるか前。
改宗後は姫路に戻ってきてないから、かなり無理がありますよね。
十字紋は巴紋などと並んで、よくある紋章。
官兵衛にこじつけて、集客をはかる与太話なんでしょうが
一応は見ておきたかったかな、あぁアレかって。
しかし残念ながら、これも後付けの知識のため写真はナシ。
トホホでしょ。 -
この日はホント快晴・・・
青空とお城のコントラスト・・・。 -
「ほの門」までやってきました。
こちらの御門は姫路城最小の門です。
頭注意!の説明書きが有り難い。
写真右にわずかに見えているのが「油壁」で、
白漆喰の壁ばかりの中でかなり異質です。
話によると、秀吉の頃の遺構とのことですが、
秀吉時代の天守は、完全に地中に埋まっていたので
これだけが残ってるのも変な話です。 -
軍事上高い壁を作る必要性がここにはあって
漆喰壁では強度不足だったのかもしれませんね。
秀吉時代の遺構は眉唾っぽいですし、
なんだか姫路城はこういう与太話が、いっぱいある変なお城です。
さて、ここまで来ると、天守群の真下になります。
いくつもの御門が次々と連なって、敵兵は容易に進むことはできません。 -
「水の一門」から「水の五門」まであります。
「水の一門」の向こうは下へ続く坂になっているので、
敵は「こっちに天守はない」と錯覚をおこさせるという工夫だそうです。
こういう所にも、心理的な視覚効果が施されているのは驚きですね。
それにしてもなんで「水」なんでしょうね? -
門と門の間には、窓から銃撃が浴びせられますし
角の「石落とし」からも楽に狙われてしまいます。
あぁ「石落とし」って「石」落とすところじゃないんですよ。
幅広の鉄砲狭間だと考えればいい。
だって、登る敵からしたら、石落とすだけならそこ避けちゃえばいいもんね。
幾重にも幾重にも守りを固める・・・城郭建築ってホント面白いです。
あ、でも姫路城って一度も攻撃を受けてないんですよ。
知ってました? -
第二次大戦の時も、アメリカ軍による空襲があったんだけど
爆弾の直撃があって、屋根突き破って最上階の床に突き刺さっていたそうです。
それが偶然にも不発弾で事なきを得たとか。
お城を守る「刑部大明神」のお加護なんでしょうか。
城下が灰燼に帰しても、姫路城は凛として立ち尽くしていたそうで
当時の人々にはどれほど心の支えになったか、想像に難くないですよね。
現存国宝四天守と言われますが、今の時代に残ることは
やはり「奇跡」以外の何ものでもないんですよね。 -
とか何とか言ってる間に、ようやく天守に入れそうです。
待ち時間1時間はホントでした。
この後城内でも、上階への登城規制もあって
都合2時間以上はかかってしまいましたねぇ。
恐るべし姫路城、恐るべしGW。 -
お城からの風景
城内でも混み混みなので、ゆっくり見ている暇はありません。
今度という機会があれば、のんびりと見逃した施設を堪能したいものです。 -
1階だったかな?
立派な復元模型・・・往時の総構えはさすがに壮観な眺め。 -
お城からの風景
いつも思うのだけど、安全面では必要な金網はよくわかりますが
もう少しカメラ撮影者の気持ちも汲んで欲しいなぁ。
イタリアのピサの斜塔へ行った時は
撮影用に大きく金網がくりぬかれてて、レンズを差し込める工夫がされてました。
日本でもそういうのがあれば、いいんだけどねぇ。 -
立派な梁ですよね〜。
鉄筋の模擬天守もちゃんと考証されているものなら嬉しいのですが、
こういう「ホンモノ」に触れるとやっぱり違います。
お金はかかると思いますが、復元の際には何とか往時の姿でしてほしいなぁ。 -
鯱は火除けのお守り。
彼らのおかげで姫路城は残ったのかな〜。 -
左の写真には美術館が写っています。
姫路城周辺には空き地を利用した公共の建物が並んでいました。 -
これは「姫路城アプリ」の案内表示。
スマホにダウンロードしておくと、様々な動画を見ることができます。
ダウンロードはこちらから
http://www.himejicastle.jp/ar.html
もっとも、激込み期間では、その機能を十分堪能することはできませんが。
私も試してみましたが、人が多くて、案内表示に近づくことすらできませんでした。
とてもいい試みだったんですけどね。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
-
結局、ゆっくり見られなかった姫路城でしたが
それなりに楽しんできました。
時間がかかってしまったので、西の丸はや好古園はあきらめ
次のミッションに進みましょう。 -
今回帰宅後に色々調べて、姫路城の奥深さを堪能出来ました。
とりあえず、修理後の姫路城を見るという当初の目的は達成できたので
十分満足はしています。
でも見逃したものも、また多く作ってしまったんで
いつかまた訪ねようと思います。
定年を迎えて、たっぷりと時間が出来た時に・・・宿題ですかね。 -
イチオシ
姫路城の歴史
さて、ちゃんと沿革を語ってないような気もするので、
ここいらで歴代城主を語らせてもらいましょう。
時は1333年、鎌倉末期、後醍醐天皇に呼応した赤松則村が姫山に砦を築いたことから歴史は始まります。
姫路城なる存在が誕生したのは、1346年赤松貞範が本格的な城郭を築いたのがはじまりで、色んな解説書ではそう記されています。 -
1441年嘉吉の乱で、赤松氏は自害。この地は山名氏が接収するも、1467年からの応仁の乱に乗じ、再び赤松氏が奪取。
その後家臣の小寺氏が領有し、その家臣の黒田氏に与えらます。
1580年、黒田孝高(官兵衛)が、毛利攻めの拠点として、羽柴秀吉に献上。
秀吉はこの地に3層の天守を築くことになります。
1585年、一族の木下家定が16年間統治したあと、
1600年、関ヶ原の論功によって池田輝政がこの地を支配し、9年の歳月をかけ徳川の西の守りの要として大改修が行われました。
これが今日見られる姫路城の原型となっていきます。 -
1617年、その子の池田光政は鳥取城へ移され
譜代である本多忠政が城主に就任。三の丸や西の丸が増築されてゆきます。
この本多忠政の嫡男忠刻が千姫の次の夫で、千姫が最も幸せであった10年間を
この地で過ごしたことになります。
その後は本多家に不幸が続き、千姫は江戸城に戻されるのですが
彼女もまた乱世に翻弄された運命の女性だったのでしょうね。 -
その後は、譜代や親藩である、松平氏・榊原氏・酒井氏などが
歴代城主を努めるわけですが、
明治維新の折には酒井氏が徳川の最後の城主となっています。
大きな戦闘も経験しないままの姫路城ですが
こうしてみると色んな人生がこの地にあったんでしょうねぇ。 -
これは何を撮っているのかというと「石垣」です。
って、当たり前なんですけど、これがただもんやない!
この石、中が空洞になってます。いわゆる「石棺」ね。
こういうのを「転用石」といいます。
姫山はかつて古墳群があったところらしく、こういうのがゴロゴロしていたらしい。
石棺を石垣にするのは、罰当たりのような気もするのですが、
戦国乱世は合理性の時代でもあるからね。 -
帯郭櫓(腹切丸)につづく埋門
この帯の櫓の地下に穴門があいています。
ここを進むと腹切丸に出るのですが、この時はよくわからなかったので素通り。
うむ、惜しいことをしました。
この腹切丸、従来は切腹の場とも言われていましたが、
さすがに今はそんな説明をすると失笑をかいます。
これは大正元年に姫路城が一般公開される際に、作られたエピソードの一つ。
全くの与太話なんです。
ただその呼称だけが一人歩きをして、固有名称化してしまったようです。 -
への門を越えて、上山里曲輪へ。
備前丸の石垣越しの姫路城です。
あ、備前丸というのは姫路城天守の真下にある広場で、
播磨・淡路・備前三国を領有した池田輝政時代の居館あった場所。
備前はそれを由来しているんでしょう。 -
イチオシ
写真には撮っていませんが、この上山里曲輪には
ある意味有名な「お菊井戸」もあります。
番町皿屋敷ならぬ播州皿屋敷・・・。
お菊さんの怪談話はあちこちに伝承があるのですが
もともと城下にあった話を、客寄せのために持ってきたらしい・・・。
そう、これも一般公開の際の与太話エピソード。
大正時代って何でもアリ?だったんですね〜。
というわけで、「お菊井戸」は写真すら撮ってません。(笑) -
「ぬの門」を抜けたら、正面に西の丸の化粧櫓が見えます。
化粧櫓は家康の孫千姫が使用した櫓で、秀頼を亡くした後、
本多忠刻と再婚してこちらで穏やかな十年を過ごします。
西の丸は、この本多氏が整備したもので、
姫路城の弱点であった西の守りを固めるものになったようです。 -
今回は別ミッションがあったんで、西の丸はパスしました。
このまま大手門に戻りましょう。 -
イチオシ
三の丸広場から白鷺城の雄姿。
あ、そうそう、この「白鷺城」何て読みます?
普通は「しらさぎ」ですよね〜。
そう、間違いではないんですが「はくろ」と読む方が
いいかも・・・なんです。 -
というのも、周辺の小学校や中学校の校名では
「はくろ」と呼ばれているんですよね。
学校の名前というのは、地域に根ざすものが一般的。
また地名というものは、歴史の痕跡を残しやすいもの。
そう考えると「はくろ」の方がいいかなぁと思うのです。
「白すぎ城!」ってダジャレが使えなくなりますけども。(笑) -
私にしては珍しい人物写真・・・。
元ヤンを彷彿させるような雅ヨメです。
元気ですっ。 -
さぁ、姫路城を後にしましょう。
まだまだ語ることはできるんやけど
今日のところはこれくらいで勘弁しといたろ!(笑) -
書写山にやってきました。
こちらは姫路市の郊外、北方にある由緒あるお山です。
こちらへは駅前バスセンターから8番のバスで来ることが出来ます。
神姫バスではお得なチケットも発売されており
駅前から往復バス代・ロープウェイ代込みで、1300円でした。
http://www.shinkibus.co.jp/rsn/valuecoup/valuecoup.html書写山ロープウェイ 乗り物
-
なんでこちらにお邪魔したのかというと、
山頂に「書写山圓教寺」という古刹があるからなんですね。
京都から遠方にも関わらず、平安時代には多くの公家衆が参拝しにきたと
言われる由緒のあるお寺なんです。
また、ここは大河ドラマ「軍師官兵衛」や映画「ラストサムライ」のロケ地にも
なったところで、景色も良いので一度は行ってみたいと思っていたトコ。 -
イチオシ
ご覧になれますか?
手前の山の稜線がくぼんだあたり・・・
さっきまでお邪魔していた「姫路城天守」が見えています・・・。
向こうの山を越えたあたりは海ですね。船もかすかに見えてます。 -
姫路城を俯瞰で撮る・・・というミッションも無事クリア。(笑)
もっとも、今回は狙っていたわけではありませんけど、偶然。
「へぇ〜、お城見えるんだ〜」と逆に思った次第。 -
こうしてみると姫路って案外海に近いんですよね。
イメージ的にはもっと内陸にあるのかと思ってました。
1575年の英賀合戦の際には、黒田官兵衛はわずか500の手勢で、
毛利方5000と言われる約10倍の大軍を撃退しました。
見事な奇襲作戦だったと言われていますが、
ここから見ると海上を埋め尽くす毛利の艦船に肝を冷やしたでしょうね。 -
書写山からの風景案内
天気の良い日は遠く明石海峡大橋まで見えるようです。
播磨は交通の要所で、昔から人の往来のあった所ですが
瀬戸内海・山陽・山陰・・・どこからでも来れますね。
ここを守ろうとすると、かなり難しい立地だったでしょうね。 -
イチオシ
書写山圓教寺仁王門
書写山[しょしゃざん]って面白い地名ですね。
これはきっと何か由来があるんだろうと思って、調べてみました。
曽左小学校のHPには−−−
仏様が、インドのりょうじゅ山の土をひとにぎりし、その土をこの地に落とされたそうだ。
その形は、りょうじゅ山に似ていた(りょうじゅ山を書き写したような山)というところから「書写山」という名前が付いたそうだ。
またの説として、山のふもとに住んでいる人々が、いつ山に登っても、山で修行されている僧たちは、一生懸命にお経の本を書き写されていたそうだ。
その様子から書写山という名前が付けられたとも言われているそうだ。 -
なるほど、「書き写した」が由来なんですね。
うむ?この小学校名の「曽左[そさ]」って、なんか引っかかるなぁ。
そもそも「しょしゃ」と「そさ」って似てない?
「そさ」は直音で、これを拗音に直すと・・・
なんと言うことでしょう?「しょしゃ」に早変わり・・・。
「しょしゃ=そさ」で「拗音=直音」だったんですね〜。
わかります?「さすそ=しゃしゅしょ」。
朱雀は「すざく」だけれど「しゅじゃく」とも読みますね、こういうこと。 -
ではでは、今度は「そさ」の由来を・・・。
またまた、同校のHPによると−−−
昔、スサノオノミコトという神様が、出雲の国から帰る途中に書写山を見つけられ、
一晩とまられたと伝えられている。
人々は、古くからこの山を祈りの山としたそうだ。
山頂には、今もスサノオノミコトをまつった社(白山権現)がある。
また、性空上人が来られる以前から、スサノオノミコトをまつった社があったそうで、
人々はこの山のことを「スサノオの山」「スサの山」と呼んでいたようだ。 -
ほほぉー、素戔嗚尊[すさのおのみこと]に行っちゃうわけね。
この神様、「須佐之男命」とも表記しますが、
「須佐[すさ]」=「曽左[そさ]」近づいてきましたね〜。
遥か昔、この山は素戔嗚尊の伝承から、「すさのやま」と呼ばれ
これが「すさやま」となっていったんですね。
966年に開山性空上人が入山されて以降、神話から仏教ゆかりへシフトしていったようです。
ようやく、すっきりしました・・・。(笑) -
地名ってほんと面白い。
少しくぐれば、歴史がわんさか湧きだしてくる・・・。
ようやく納得できたところで、今度は圓教寺を語っていこうかな。 -
圓教寺壽量院[えんぎょうじじゅりょういん]
重文の壽量院の中で、精進本膳料理がいただけます。
「圓教寺行事記」中の料理献立が現代風にアレンジされています。
4月〜11月まで、木曜お休み、
3日前からの完全予約制。
5名さまからですが、他のお客さんもあればいけるかもとのこと。
5250円と10500円のコースがあるそうです。
HPはこちら
http://www.shosha.or.jp/buddhist_cuisine.cgi -
立派な建物が見えてきました。
ロープウェイを降りてから、たらたら歩いて10分くらいでしょうか。
これが「圓教寺摩尼殿[えんぎょうじまにでん]」です。 -
圓教寺摩尼殿[えんぎょうじまにでん]
970年創建された入母屋造の懸造の仏堂。
懸造というのは、急な斜面や段差のある場所に建物を建てる場合に、
その床面を水平に保つため床束の長さを調整して、
床の高さを揃える工法のことです。
あの「清水寺の舞台のような」といえば、わかりやすいかも。
創建は古いのですが、現在の仏堂は大正時代に火事で失われ
1933年に再建したもの。比較的新しいものですが
伝統様式に基づく再建で、昨年市の指定文化財になりました。 -
ご本尊は、六臂如意輪観世音菩薩[ろっぴにょいりんかんぜおんぼさつ]。
四天王とともに秘仏で、1月18日の「鬼追い」の当日しか公開されません。
この日は並んでおられたので、いわゆる御前立ちの仏さんかな?
何でも開祖性空上人が入山して4年後、
天人が桜の霊木を礼拝しているのを見て
生えている木にそのまま観音様を彫ったそうで、
崖に生えていたんで、お堂も懸造となったとか。
彫りにくかったでしょうねぇ〜って、ソコ?! -
圓教寺魔尼殿[えんぎょうじまにでん]
立派な懸造ですね。
わが町京都の清水さんと同じ造り・・・。
規模はやや小さめですけども。静けさと温もりにあふれたお寺さんです。 by ねいちゃさん書写山圓教寺 寺・神社・教会
-
魔尼は梵語で「如意」の意味だそうで
ほら、孫悟空が持ってる棒って「如意棒」とかいうでしょ、アレっす。
「如意」は漢字の如く、「意のままに」なので
孫悟空が思った通りに伸び縮みするわけ・・・。
そういや、白河上皇の「三大不如意」とか高校の時に習ったよなぁ。 -
ラストサムライや軍師官兵衛のロケ地は、この魔尼殿のさらに奥。
「三つの堂」と呼ばれる大講堂、食堂、常行堂が並んで建っている場所。
圓教寺に来た目的はそこ。
なんですが・・・・。
どうかしちゃったんですかねぇ〜。
魔尼殿見て御朱印いただいたら、終わった感が半端なくて
結局行くの忘れちゃったんですよねぇ。
今思っても何で行かなかったんだろ−って不思議で仕方ない。
こんなことって皆さん、あります??? -
イチオシ
この緑を写した柱なんかをみていると、十分満足しているんだけれども。
結局、行く前の準備不足なのかもしれませんねぇ〜。
歳とったせいで、物忘れがひどくなった?のかも・・・。 -
あっ、そうおう御朱印は魔尼殿でしかいただけません。
御朱印集めをされている方は要チェック!
そうして満足しきって私のように、
「三つの堂」を見忘れないようにね。(笑) -
「3つの堂」はここから少し奥へ行った所。
ラストサムライでは、映画スタッフが姫路城を視察した後
時間が余ったのでこの寺まで足を伸ばしたそうで、
監督がえらく気に入ってしまい、急遽ロケ地になったとか。
色んな偶然があったんですね〜。 -
圓教寺は開祖性空上人が開かれたんですが
その名声は都まで伝わり、花山法皇が二度もここを訪れて
「圓教寺」の名を授けたと言われています。
以後、後白河法皇や後醍醐天皇もこの寺を訪れました。
江戸期の武将たちの信仰も厚く、本多・松平・榊原の姫路城主の墓も
ここに残されています。
天台宗の三大修行道場の一つで、「西の比叡山」とも呼ばれています。 -
調べれば調べるほど、すごい寺格を持ったお寺さんなんです。
魔尼殿だけしか見ていませんので、もう一回来ないといけませんね。 -
イチオシ
そういや、花山法皇って、高校の古典で習った「大鏡」に出てくるお話で有名ですよね。
藤原兼家が一条天皇を即位させるために、即位2年で無理矢理出家させようとし、
子の道兼を同行させ騙したっていうヒドイお話。
藤原氏の横暴さと花山帝の悲しさが際立ってくるんですけど
このお寺でお心を癒されたとしたら、救いにはなりますね。 -
降りてきました。
この時はすっかり満足して、梵鐘など鳴らして楽しんでおります。
ちょっと高めの音ですが、良い音色です。 -
ロープウェイ駅・・・ちょうどよく神姫バスさんが来てくれました。
連絡がいいですね〜。 -
JR姫路駅前に戻ってきました。
さぁそろそろ帰ろうか・・・と、その前に。
一杯200円で試飲できる立ち飲み「タツリキショップ」へ。
立ち飲み屋見かけるとどうもいけません、我慢できない〜。
播州辛口を一杯だけ戴きました。
うぅぅ、うますぎる!タツリキショップ グルメ・レストラン
-
新快速で京都へ・・・車中は爆睡。
京都に戻って腹ごしらえして、帰宅いたしましたっ。
今日もよく歩いた・・・17000歩?!
なんちゅーこともない旅行記でしたが
ここまでお読み下さりありがとうございました。
ではでは、今回はこのへんで。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ippuniさん 2016/05/23 17:58:33
- 姫路城
- ねいちゃさん、こんにちは
GWの中日、晴天に恵まれた姫路城は一層白さが目立ちますね。
白は白でも日本のお城は真っ白な色を使うので、
修復したてのお城は眩しいくらいの綺麗さなんでしょうねぇ。
しかもこの白さは結構長く持つので
暫くは美しい真新しい姫路城を拝めるわけですね。
外国人にも人気とのこと。
以前フランス人の学生たちが姫路城へ行くか奈良へ行くか迷っていて、
相談されたので奈良を推薦しておきました。
奈良なら色々見て歩けるけど姫路城はそこだけだからって。
でも姫路城の周りも見所があるのですね。
今は日本国内でも西側に観光客が集中しているから特に多いのでしょうね。
日本史に疎い私ですが、今回の姫路城は、
オーディオガイドを聞きながら見学しているようで、
楽しく拝見致しました。
姫路城奥が深いですね。
私も数年前行こうとして行けなかった場所なので、
いつか行くときはもう一度この旅行記で予習します。
その時は姫路城に騙されないように気を付けます(笑)
お孫さんはもう大分大きくなられたのではないでしょうか。
今度またお孫さんとの楽しい旅行記も作ってくださいね。
ippuni
- ねいちゃさん からの返信 2016/05/23 22:45:59
- ippuniさん、こんばんわっ!
- ご無沙汰しております。
毎年仕事柄1月から4月は激務なので、4トラもすっかりご無沙汰しております。
ippuniさんの旅行記にもお邪魔できてなくてすいません。
そのうちまたウザイほど顔出しますので・・・(笑)
4月末になってようやく落ち着いたので、姫路に行ってきました。
実はそれほど期待してなかったのですが、久しぶりの姫路、なかなかよかったですよ。
ある程度は知識としては知っていることばかりですけれど、
こう体系的に繋がって見ていくと、新たな発見もあったりしてフツフツと興味が湧いてくるのが面白いですねー。
> 修復したてのお城は眩しいくらいの綺麗さなんでしょうねぇ。
ホント目に痛いくらいで・・・(笑)
でも少し色が落ち着いてきたというニュースもありましたし
白漆喰はカビによって黒ずむらしいので、もう少し経てばもっと落ち着いた美しさを感じられるかもしれません。
> 相談されたので奈良を推薦しておきました。
それは正解ですっ!
姫路はあえて探さないといけませんが、奈良はゴロゴロ転がっていますもんね〜。
平城京祉もいいし、東大寺界隈や唐招提寺界隈も楽しいし、
足を伸ばして法隆寺界隈も素敵な所ですもんね。
正倉院展の頃はエライことになりますが
普段の奈良は京都より観光地観光地してなくて好きな場所です。
> 日本史に疎い私ですが、今回の姫路城は、
> オーディオガイドを聞きながら見学しているようで、
> 楽しく拝見致しました。
ありがとうございます。
4トラのオーディオガイドとして頑張ります!!
実際、自分が学んだことだけを並べているだけなんですが
これで歴史の一端に興味を持っていただけるのなら望外の喜びです。
> その時は姫路城に騙されないように気を付けます(笑)
やってますよぉ〜、姫路城。(笑)
戦時中は軍の駐屯地だったので、あれこれ好き勝手に名付けられた場所もありますし、
大正時代の人寄せパンダ的なとってつけた施設も、わかっていれば楽しめる所です。
あぁ、これねーって冷たい視線を投げつけてあげてください。
きっと企画者は喜んでくださいます。
> お孫さんはもう大分大きくなられたのではないでしょうか。
> 今度またお孫さんとの楽しい旅行記も作ってくださいね。
1歳ちょいのくせに、もう13キロにもなって、ごっつい赤ん坊ですけど
一番可愛いさかりなので、毎週会うの楽しみにしてます。
孫旅は夏にまたやるつもりなので、お楽しみに。
いっぺん海なるものを見せてやろうかと思ってます。
いつも拝見してくださり、ありがとうございます。
ぼちぼち4トラ感を取り戻していきますので・・・
ippuniさんの旅行記にもまたお邪魔させていただきますねー。
ねいちゃ
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