2005/04/19 - 2005/04/20
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Donkyさん
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旅の記録(17)・・・赤穂・姫路
今なお日本人の心に残る忠臣蔵、命がけで主君の仇を討った赤穂浪士が地元では どれだけ崇拝されているかが よくわかります。
元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)播州赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、高家旗本・吉良上野介義央に対して江戸城殿中において刃傷に及び、浅野内匠頭は殿中抜刀の罪で即日切腹、赤穂藩は改易。
この後次々に起こるお家復興への努力、散り々々となった浪士の生き様、あだ討ちのドラマティックな結末。人々の共感を得た珍しいあだ討ちストーリーなのですが・・・。
★赤穂・大石神社を訪ねました。
それから ★桜に包まれた名城・姫路城
2005年4月19日は 泊:姫路キャッスルホテル
注)各地の詳細情報については 「 Wikipedia 」 などから転載・加筆したものです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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赤穂・大石神社 境内社として浅野家が藩主だった時代から藩民の崇敬を受けた神社が多数あります。
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他に、赤穂浪士の遺品などを陳列する義士宝物殿、長矩・四十七士らの木像を展示する木像館、大石邸長屋門(国の史跡「大石良雄宅跡」のうち)などもあります。 -
大石邸長屋門(国の史跡「大石良雄宅跡」のうち)。
今なお日本人の心に残る忠臣蔵、命がけで主君の仇を討った赤穂浪士が地元では どれだけ崇拝されているかが よくわかります。
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大石神社(おおいしじんじゃ)は、元禄赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社。
元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)播州赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、高家旗本・吉良上野介義央に対して江戸城殿中において刃傷に及び、浅野内匠頭は殿中抜刀の罪で即日切腹、赤穂藩は改易。
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この後次々に起こるお家復興への努力、散り々々となった浪士の生き様、あだ討ちのドラマティックな結末。人々の共感を得た珍しいあだ討ちストーリーなのですが・・・。
江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、1868年(明治元年)、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建されました。 -
赤穂・大石神社は兵庫県赤穂市にあり、旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
大石良雄ら赤穂浪士47人のみならず 中途で自害した萱野重実を主祭神とする。萱野重実まで加わっているところが地元の歴史の証。 -
元禄赤穂事件以降、赤穂浪士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。1900年(明治33年)、あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、1910年(明治43年)4月に起工、1912年(大正元年)に社殿が竣工した。
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1928年(昭和3年)、無格社から県社に昇格された。第二次世界大戦後、城内の神社に祀られていた赤穂藩主・浅野氏の3代(長直・長友・長矩)および、城外の赤穂神社に祀られていた、浅野家の後に赤穂藩主となった森氏の祖先の七武将(森蘭丸ら)を合祀した。
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姫路城(ひめじじょう)は、播磨国飾東郡姫路(兵庫県姫路市)にあった城です。別名を白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)。
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江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されています。この他に、ユネスコの世界遺産に登録や、日本100名城などに選定されています。
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姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構です。
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天守閣からの眺望
江戸時代以前に建設された天守が残っている現存12天守の一つで、ほぼ中堀以内の城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されています。 -
天守閣からの眺望
姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説もあります。 -
天守閣からの眺望
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張されました。 -
天守閣からの眺望
江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたが、城主が幼少・病弱・無能な場合には牽制任務を果たせないために城主となる大名が頻繁に交替しています。池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、6氏31代(赤松氏から数えると約530年間、13氏48代)が城主を務めました。 -
天守閣からの眺望
今日の宿は 姫路キャッスルホテルです。 -
今回の旅のルートです。
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