2016/05/01 - 2016/05/01
2313位(同エリア4009件中)
のびひよさん
京都市内の丸太町三本木〜四条河原町までにある幕末の史跡を、ガイドブックを片手に巡りました。本に載るほとんどの史跡を網羅しました。歴史に疎いので、間違いもあるかと思います。ご指摘くだされば幸いです。
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丸太町の一つ北の橋、荒神橋の上から。京都の空は広いです。
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京都駅近くのあの有名ラーメン屋がこんな所にもありました。
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手作りクッキーの店。京都を歩いていると、こだわりのある小さな店によく出会う。そこがパリとよく似ていて、素敵な町です。
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かもがわカフェ。一階の扉から察するに、元々は商店であったのでしょう。詳細は不明。
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このあたり、三本木はもと花街で、桂小五郎の夫人、幾松はここの芸者さんでした。
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いまは花街の面影なし。
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頼山陽は、江戸後期の歴史学者で、尊皇攘夷派に影響を与えた人。
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三本木にある彼の書斎は山紫水明処と称し、見学できます。
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碁盤の専門店がありました。修理もします。
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鯖の棒寿司で有名な「いづ重」がこんなところに。
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木戸孝允の邸宅跡は、旅館、いしちょう(石長)でした。2カ所に分かれる巨大なホテル。
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明治天皇も木戸邸宅を訪ねたそうです。今は公務員の保養会館?
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古い佇まいの銅駝工芸高校は、もとは下記の舎密局という、産業育成のための教育施設。ここで学んだ人のひとりが島津製作所を興したそうです。
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ここは明治期にわりと速く閉鎖され、その後、銅駝小学校になったそうです。今は高校。
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木屋町二条、角倉了以の別邸。今はがんこ寿司。お庭が素晴らしいと人気です。海外からもわんさか。
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向いの島津製作所の創業社屋?今は記念館です。ノーベル賞の田中フェローも来たはず。
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高瀬川という運河を作ったのが、豪商の角倉了以。その邸宅跡はいま日本銀行京都支店。
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石碑の左奥に見えるのが船入。船着場で、両側に蔵や問屋が立ち並んでいた。
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京都ホテル正門横の桂小五郎像。ホテル一帯は長州藩邸であった。
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佐久間象山と大村益次郎の遭難之碑。
前者は吉田松陰や竜馬、勝海舟の師である開国派の学者。ゆえに、攘夷派に襲われた。
後者は長州藩の軍師。明治政府の陸軍の創設者でもある。それゆえ、旧幕府の士族に襲われた。 -
桂小五郎と幾松の寓居跡。
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大村益次郎が襲われた宿屋の跡。
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近くのお店の壁に貼ってあった雑誌の記事。幾松の寓居についての暴露記事のようで、どうやらご近所同士は仲がよろしくないようです。
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加賀藩邸跡。加賀藩は江戸の最大の外様で、幕末には活躍しなかった藩。だが、京都とは文化的に繋がりが深かった。
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京料理、梅むら。伊藤博文の定宿だったらしい。
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土佐の勤王党の党首であり、竜馬の剣術の師でもある、武市瑞山(武市半平太)の寓居跡。
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武市の家の隣に住んだ吉村寅太郎の寓居跡。吉村は勤王党の党員であり、竜馬と一緒に脱藩した一人。
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池田屋騒動の舞台。新撰組が討幕派30名余りを襲い、一躍有名に。この事件で江戸幕府終結が一年遅れたと言われる。映画、鎌田行進曲の池田屋の階段落ちでも有名。今は居酒屋に。ランチもあります。
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幕末と関係ないですが、豊臣秀次の墓のある瑞泉寺が三条にありました。秀吉に待望の息子が生まれたので、養子だった英次と一族39人が全員、鴨川の川原で処刑された。そのときの墓を角倉了以が高瀬川開発の工事で見つけて、ここに弔ったそうです。
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竜馬をかくまっていた材木商、酢屋。竜馬の寓居であり、海援隊の詰所であった。
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ツアー当日がちょうど鴨川をどりの初日でした。後ろは先斗町歌舞練場。祇園の甲部歌舞練場は都をどりと呼ぶ。甲部のほうが格上と聞きました。
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竜馬の妻、おりょうの独身時代の寓居址。奥に竜馬という情報発信バーもありました。おりょうは、大津あたりの出身と最近古文書でわかったそうです。
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安政の大獄、井伊直弼の出は彦根藩。
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土佐藩邸址。竜馬たちも出入りしていた。このように、高瀬川沿いにたくさんの藩邸があった。
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角倉了以をたたえる碑。後ろの立誠小学校は元土佐藩邸。今は学校もなくなり、映画やアートの会場に。カフェもあります。
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土佐藩邸の向かいにある、土佐稲荷神社。藩の守り神。
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神社内に立っていたぜよ。
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ミュージックカフェの名前に惹かれて撮った路地裏写真。ファルーカとはフラメンコの有名な曲らしい。ここは古いスパニッシュバー。
上は、エレファント・ファクトリー・カフェ。雑誌にでも載ったのだろう、若者が列を作っていた。 -
河原町沿いの近江屋址。つまり竜馬と中岡慎太郎の遭難の地。竜馬は酢屋からここへ宿を移し、一ヵ月後に襲われた。暗殺者は十津川郷士であると今回知った。前はパチンコ屋だったが、今はかっぱ寿司に。
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合掌。
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本間精一郎遭難の地。越後出身の尊皇攘夷、討幕派であるが、論争に強く派手であったため、同士に疎まれ、人斬り(岡田)以蔵等に暗殺された。死後、明治政府から官位を与えられた。
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高瀬川風景。春は桜並木がきれい。
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川端康成が愛した瓢正。ここの笹寿司は、ノーベル賞受賞の祝いの席にも並んでいた。
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古高俊太郎寓居址。勤王志士である彼は新撰組に捕らえられて拷問を受け、池田屋の会合を自白し、それが池田屋騒動につながった。
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ミュンヘンといえば鶏の空揚げ!北向かいは名曲喫茶、築地。手前の鯛寿司が旨そうだった。
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木屋町四条を下がって、老舗、鳥弥三。竜馬もここの鶏肉を買い求めた。
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木屋町通り。京都の路地は狭くて車が入らないから、今も子供がよく遊んでいる。大阪や多くの町では見られなくなった光景が今も残る。京都の子供は幸せだ。
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