2016/04/23 - 2016/04/23
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Kオジサンさん
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「歴史街道を歩く会」の4月例会に参加しました。今回は、瑞浪市のJR瑞浪駅から土岐市のJR土岐市駅までの区間を歩きました。3月例会として会員が、3月26日に歩きましたが、この日は、私の都合が悪く参加できませんでした。皆が歩いたコースを4月19日に一人で歩きました。
前回の続きで、春、本番と言うような陽気の中を歩きました。
感想
下街道を歩くシリーズです。槇が根追分で、中山道と別れ12月、2月、3月と会を重ね、今月で4回目となりました。下街道は国道19号線や中央線と並行しています。歩く回数を重ね、土岐川の姿が変わってきました。初めは小川のような川でした。徐々に徐々に大きな川になってきました。その変り方でも、長距離を歩いたと言う実感がします。
土岐の街に入って、大きなプロパンタンクの並ぶのを見かけました。その状況から窯業地帯に入って来た事が判りました。このような風景を目に出来るのも、ウオーキングの面白さです。
今回、高山宿を歩きました。下街道の中間点で賑わった当時を想像できました。城址のある高山宿です。高山宿を知りませんでしたので、歩いてみて、知る事が出来て勉強になりました。
明治十三年の6月に、下街道を明治天皇が行幸しました。ある会の講義の資料で明治維新の時の志士の年齢が表示して有りました。その中には明治天皇が17歳となっていました。維新から逆算すると30歳か31歳だったと思います。説明板に有りましたが、天皇は馬車で行幸し、道の悪い所は輿に乗ったと有ります。馬車と言いましても、今のような整備された道で無い時代です。馬車に揺られていて、尻が痛くなったのではと想像します。
春。
真っ盛りの時期に歩きました。色々の花を愛でる事が出来ました。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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一期一会の出合いが面白い。
中津川行きの快速列車に多治見駅から乗車しました。車内には私たちと同じような姿をした男性のグループが乗っていました。
私たちは、多治見駅から瑞浪駅までの2区間の乗車でしたが、隣に座っていた男性と言葉を交わしました。何処まで行くの?と、話しかけたのです。山に登るのでなく、ウオーキングのグループでした。男性たちの集まりで8人ほどが居ました。私たちは瑞浪で下車するのでしたが、彼らはその次の釜戸まででした。今日の行程の地図を見せて貰いました。それで、その行程地図を撮らせて貰いました。
中山道を歩き、恵那駅まで歩くものでした。どの列車に乗り、どのように歩いて、どの列車で帰るか計画され、リーダーの名も載っています。
話が進んで何処から来たのとなりました。私たちは各務原からと告げ、彼らは岡崎から来たと聞きました。話が進み、お得に使える切符を見せてくれました。
私は青空フリー切符は知っていました。このようにグループで行動するのにお得で、便利です。恐らく、リーダーは、このような鉄道利用術に長けた人だと思います。岡崎駅の切符自販機の前で、どのように切符を買うのか、教えている姿が想像できます。
計画表では名古屋駅からの列車に乗車となっています。金山駅で乗り換えれば済むことですが、名古屋駅が始発駅ですので、名古屋駅まで行き、始発駅から腰掛けて来るように行程を考えています。 -
青空フリーパスです。
土、日曜と祭日に使えるお得な切符です。
岡崎、恵那間は1,940円で、通常の乗車券で往復すると4,000円近い金額となりますが、この切符なら2,570円で済みますので、千円余りお得です。
私たちも高齢者のグループで街道を歩いています。
何だか、同志に会ったような気がしました。 -
下街道 JR瑞浪駅からJR土岐駅間の地図
秋山 豊さんの「街道を歩く」。
下街道、⑥の地図を使わせていただきました。
http://homepage2.nifty.com/yuta1348nrd/sitakaidou002/sitakaidou-pdf/006tokikoeda.pdf
瑞浪駅の北側にした街道が有ります。瑞浪駅で下車して、地下道を渡り、駅の北側に出ました。その後、した街道を西へ歩きました。和合橋が土岐市との境です。 -
土岐市観光ガイドの会まちゆい (土岐たび案内所内)制作。より引用させて貰いました。
ガイドの会となっていますので、ボランティアガイドの会かも知れません。
観光ガイドの会を検索しましたら、下のサイトが有りました。
http://www.city.toki.lg.jp/fs/11288/kannkougaidonokaipr.pdf和合橋から、下街道を歩いて土岐駅へ向かいました。地図の東端が和合橋となっています。和合橋が瑞浪市と土岐市の境だと思いましたが、実際は三本松を過ぎた辺りから土岐市になりました。
土岐市のボランティアガイドを検索したついでに、瑞浪市のボランティアガイドを検索してみましたら、瑞浪市は、専ら中山道の宿場を案内しているものでした。http://www.city.mizunami.lg.jp/docs/2014092902959/恵那市では大井宿をボランティアにガイドして貰いました。そして、ここ、土岐市でもボランティアガイドが居ます。
瑞浪市のガイドにも、下街道に眼を向けて欲しいところです。 -
瑞浪駅
列車が瑞浪駅に到着しました。
只今、9時41分です。 -
瑞浪駅から出てきました。
振り返り、駅が見えます。 -
瑞浪駅前です。
これからの歩行にあわせて、トイレを済ませました。
ここから地下道を通り抜け、駅の裏側から歩き始めます。 -
これから歩きます
これが下街道です。
ここから歩き始め土岐市駅へ向かいます。
前回の続きのスタートです。 -
耳ノ木神社です。
名前からすると、耳の病に効能があるのでしょうか。 -
東仙寺へ来ました。
地蔵様と言うか、石仏と言うか。ズラーと並んでいます。 -
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左は秋葉神社の常夜灯です。
秋の字で、火と禾が逆になっています。
右の小さな祠は津島神社です。 -
戸狩荒神塚古墳まで来ました。
円墳です。
登ってみます。 -
円墳の丘陵部です。
眺望が良く、瑞浪の町を一望できます。 -
明世町山野内地内を歩きます。
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下街道から外れますが、田中泥薬師に寄りました。
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和合橋のたもとに祠や石仏が安置して有りました。
中央の石仏。
風雨で顔が判読し難くなって居ますが、役の行者だそうでした。 -
和合橋を渡ります。
前方を歩く男性たちです。 -
土岐川です。
上流の方向を眺めました。 -
和合橋を渡ります。
後方を歩く女性たちです。 -
下街道で、下街道の名所と言う解説プレート。
肥田川を渡った所のこの解説板が有りました。
これまで下街道を歩いて来て、このような解説板が設置されていたのかもしれませんが、初めて目にしました。 -
三本松です。
三本松と言いながら二本しか有りません。左の細いのを含めて三本松としているのでしょうか。1本、痛んだので、取り替えたのかも知れません。 -
三本松を見上げます。
ここの松。松は松でも、普通の松とは異なるように感じました。松葉が長くて細く見えました。 -
土岐川です。
歩いていて、対岸に見かけた大石です。
石と岩の違いって何だろう。ゴツゴツしたのが岩。丸みを帯びたのが石と定義すると、石と呼んで良い気がします。後ろの家屋と比較すると大きさがわかります。
乗用車よりも大きな石です。 -
永松寺です。
この寺へ寄る予定でしたが、歩くのが遅れてきていますので、寄るのをやめました。 -
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小高い場所に高山城址が有ります。
あの小山が城址です。 -
穴弘法へ
この先に穴弘法が有ります。
下街道から横に外れますが、穴弘法に向かい、高山城址へ行きます。 -
民家の庭先の花。
黄色い花が咲いています。 -
こちらはツツジです。
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穴弘法に向かう道です。
緩やかな坂を登って行きます。 -
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スミレの仲間でしょう。
低い崖の下で咲いていました。 -
穴弘法です。
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大きく、クローズアップしました。
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柔らかい岩の場所です。
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岩をくりぬいて穴が掘られています。
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断崖が削られています。
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並ぶ石仏群です。
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弾丸除弘法と有ります。
タマヨケコウボウと読むのでしょう。という事は、戦前から有り、戦地に向かう兵隊がお参りに来たと言うことでしょうか -
穴弘法の説明板です。
この穴弘法はモミジの名所でライトアップするようです。
何年か前の事です。土岐市の南部に曽木公園と言う紅葉の名所があります。曽木公園に来たついでにここ、穴弘法に向かいましたが、この場所が判らなくて来る事が出来ませんでした。
今回、穴弘法の場所が判りましたので、来る事が出来ます。
穴弘法の紅葉を見に来たいと思います。 -
ぼんぼりです。
秋の紅葉の時期に登場するのでしょう。 -
高山城址へ向かいます。
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高山城址へ
穴弘法から登って来ました。 -
高山城址が整備してあります。
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高山城址からの眺望です。
遠くに土岐アウトレットが見えます。 -
城址から降りてきて、下には明治天皇観陶蹟の碑が立っています。
右側は石碑の横の場所で、明治十三年六月廿九日午後三時が読めます。
このような時刻まで刻まれていますが、しっかりと記録が残っているのでしょう。 -
高山宿の中を歩きます。
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小休所跡です。
先ほどの観陶蹟が午後三時となっていて、ここは二時半と有ります。逆なら整合性が有りますが、京に向かっていて、この時間となっていますと整合性が有りません。 -
高山宿の解説板です。
土岐市にこのような宿場が有ったことを知りませんでした。 -
大竹醤油です。
ここで買い物をする女性が居ました。 -
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下街道を歩きます。
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小高い丘。
先ほど寄った高山城址が見えます。 -
丸中中島窯業と言う工場です。
ベルトコンベアで流れていくコーヒーカップ。
プラケースの中には白いコーヒーカップが入っていました。この後、絵付けをするのでしよう。
この辺りには、このような窯業の工場が何軒も有りました。大型のプロパンガスタンクが見えたのです。タンクが3〜5本ほど並んだ工場です。窯業の工場だと判りました。
土岐市に入り、何箇所も同じようなガスタンクを見かけました。陶器の街に来た気がしました。
街道歩きですが、歩いていて、このように地場産業を目にする事が出来るのが、面白いです。 -
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下街道を歩きます。
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慈徳院に来ました。
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先ほどの小休所。明治天皇が深萱邸で休んだときにお茶を出したのですが、その水を汲んだ所が慈徳院です。
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慈徳院の境内です。
陶製の灯篭が設置して有りました。
さすが、製陶所の多い場所だという感じがします。 -
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高山宿。
高山区民会館です。宿場町にふさわしい姿で建てられています。 -
街道の宿の表示と道標です。この道標には「右なごやみち」と刻まれて居ますが、片面だけでした。
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高山大池石塔群です。
五輪塔も有ります。各地に散らばっていたものを集めたのでしょう。 -
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下街道を歩きます。
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民家の軒下のミッフィーとキティちゃん。
ペットボトルのキャップで制作して有りました。 -
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こちらは五智輪様です。
ここも分散していた石仏などを一箇所に集約しています。
解説した板が読め無くなっています。 -
藤が満開になっています。
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土岐川の川幅が広くなってきました。
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土岐川に架かる中央橋を渡ります。 -
土岐市駅へ来ました。
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土岐市駅です。
名古屋行きの快速列車が入ってきました。
最後までお付き合い。有難うございました。
このコースを、会員は3月26日に歩きました。
私はこの日が都合が悪く、欠席しました。
シリーズで歩いていますので、途中を飛ばしたく有りませんでして、単独で歩きました。http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/1928f2a9c1a0c5db61a87cdb131fda75
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