2015/01/21 - 2015/01/21
553位(同エリア1174件中)
熱帯魚さん
日本人も中国人も大体は深センと聞くと、
歴史建築が無く観光的な魅力の乏しい新しい町、
というイメージが浮かぶことが多いです。
でも実は、そんな新しい町の一角に
古い町並みや建築が残っていたりします。
そういうところをあちこち回るのが
深センに引っ越してきてからの楽しみ。
さて、今回行ったのは観瀾古墟。
中国のサイトでたまたま写真を見つけ、
その古い町並みにひかれて、
ひとりで行ってみました。
地元の人にお寺があると聞いて行ってみると、
なななんとそこには立派な[石周]楼
(客家楼閣)が建っていました(゚д゚)!
★★ 深セン龍華新区★あなたの知らない深セン 観瀾古墟 ~客家楼閣が残る 清中後期に商業で栄えた町~ 1/21 ★★
1★
http://4travel.jp/travelogue/11122735
2★
http://4travel.jp/travelogue/11122757
3★
http://4travel.jp/travelogue/11123456
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
観瀾大街を川の方に歩いていくと、またまた[石周]楼がありました。
-
そしてそのお隣には、お寺。さっき地元の人が言っていたお寺とはこのお寺のようです。
-
○ 観瀾古寺
清朝乾隆年間(1736〜1795年)創建のお寺。観瀾古寺はそのそばにあった観瀾河が交通の要衝だったこと、観瀾や周辺地区の祭事の際には会場として使われていたことから、多くの人がお参りに訪れるようになりました。そして次第に市がたつようになり、のちに観瀾古墟となりました。
しかしながら、長い歳月の中で、古寺は損壊が激しくなったため、清光緒14年(1888年)に地元の住民らが寄付して寺を修繕しました。その時に、「観瀾古寺」「清光緒14年」と彫られた石の横額が掲げられたそうです。
1950年代になると、古寺は工場となり、寺内にあった文物も川に捨てられるなど、見るも無残な状態になりました。しかしながら、現地の住民たちは、「観瀾古寺」の横額を工場の端に立てて、お参りしていたそうです。
現在の観瀾古寺は2009年に住民らの寄付によって再建されたものです。 -
お供え物。とても綺麗です。
お寺は内部見学可能です。地元の方がちょこちょこ訪れています。 -
-
さっきの賣布街の住宅も見えます。
-
観瀾河。
-
○ 新東街
-
ウソっぽい老街ができていました。
-
もとはきっと古い住宅があったのでしょうが、すでに空き地になっていました。
-
観瀾河。[石周]楼があって、なんとも言えない雰囲気。
-
十二支の像が並んでいました。
-
樹齢200年と言われる
-
こちらにも[石周]楼が。
-
正面から見てみると…これはすごいです(゚д゚)!
-
○ 観瀾紅楼(公益酒家)
中でも一番目を引くのがこちら。100年ほどの歴史があるそうです。以前は個人の会所として使われていたそうです。 -
-
-
-
写真にはうまく写せませんでしたが、いかにも客家建築という感じの家でした。[石周]楼を囲むようにして、家が建っています。
-
万安堂村という村らしいです。
-
-
-
太極拳の会館。
-
頑丈そう。
-
客家のお酒を売るお店。
-
-
-
観瀾河
-
-
戻ってきました。
-
-
-
お酒の入ったかめ。
-
-
もともとは書店だったようですが、今は對聯や結婚用品を売るお店になっています。とてもおめでたい感じです。
-
町角には野菜が売られていました。
-
赤すぎる牛肉を売って居た肉屋さん。
-
帰りも、バスで清湖駅まで戻り、地下鉄に乗りました。
-
福民駅の近くに有る水圍広場では、台湾夜市のイベント中。
-
私はこの日は夜市には行かずに、甘栗を買って帰宅しました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
熱帯魚さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
41