2016/04/02 - 2016/04/07
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彷徨人MUさん
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1). 旅の始めに
転寝と 旅する大地 菜の明かり
「上海虹橋」駅を、午後4時半に出発した北京行列車は、安徽省「宿州東」駅に、午後7時半に到着した。宿州市の中心から離れた、平原の中の新駅であった。
2). パールバック(中国語名、賽珍珠) 、「宿州」での 日々を辿る;
米国人のキリスト教宣教師の子として、中国で生まれたパール・バック(中国名、賽珍珠)と、基督教宣教師で、農業専門家のジョン・バックは、1917年、江蘇省の「鎮江市」で結婚している。パール・バックは、結婚間も無く、農業専門家として安徽省の「宿州」、当時の「宿県」に派遣された夫と、この街で3年過ごしている。教会経営の女学校教師の傍ら、夫の農業調査には、通訳として同行していた。「宿県」では、濠河に囲まれた旧城内の東南地区にある「宿州基督教福音堂」に、住んでいた。
翌日、タクシーで、「〇河中路」(〇は、bian④)の「宿州市立医院」へ向った。病院敷地内に入るや、左手の2階建ての洋館の壁に、「賽珍珠紀念館」と書かれた標識を見つけた。この建物は、宿州に来た夫の同僚の農業専門家達が、会合等をしていた場所であり、現在は、「賽珍珠紀念館」として公開されているが、生憎、この日は休館日であった。
3). 宿州 小説「大地」の舞台を 辿る:
パール・ バック(賽珍珠)は、自分が生活していた「宿県」で、嘗て、歴史に翻弄された人々の日々と、その行く末を辿りながら、小説「大地」を書き上げている。
『家から北に向って、畑の中の狭いうねった小路を歩いて行った。近くに灰色の城壁が聳えている。街の薄暗い冷たい楼門を入り、右に折れて少し行くと、床屋の通りで、やがて「黄家」というお屋敷があり』と、小説「大地」は、主人公「王龍」が、嫁を貰いに行く朝の情景から、始まっている。
濠河に 淀み蠢く 春の闇
大地主「黄家」の邸宅は、旧城内の中央部のやや南東寄りと、描かれているが、そこは、パール・バック夫妻が住み、活動していた「宿州基督教会福音堂」界隈と、重なる地域でもあった。パール・バックは、新婚時代、この地で実在した大地主の繁栄と没落の話を聞いたり、邸宅跡や、関係先等も、見聞きしていたのであろう。
この街を歩いていたら、小説で描かれた、大地主「黄家」の奴隷であった「阿蘭」を嫁として貰い受け、城内で買った僅かな祝宴の食材を小脇に抱え、家路を急ぐ、「王龍」と「阿蘭」の二人の心のトキメキが、僕にも微かに聞こえてくるような、気がしてきた。
4). 南京 南京大学「鼓楼学区」にある 「賽珍珠紀念館」へ:
翌日、午前9時31分「宿州東」駅発の高鉄で、南京へ向かった。午前10時46分「南京南」駅に到着。地下鉄1号線に乗り換え、「珠江路」で下車。そこから北へ歩いて向かい、「漢口路」との交差点を、左(西)へ廻ると、南京大学の「南門」が見えて来た。南京大学「鼓楼学区」であるが、嘗ては、アメリカのミッション系の「金陵大学」であった。
1919年後半から、この「金陵大学」の農学部教授として赴任した夫は、農業経済学を、パール・バックは、「英文学」や「教育学」を教えていた。「南門」から校内に入り、「賽珍珠紀念館」と、彼女の銅像などが置かれている場所へ、向かった。
5). 鎮江 「賽珍珠記念館」へ:
「鎮江駅」から、「中山西路」を東へ向かい、「潤州山路」との交差点を、北に行くと、やがて木々で覆われた小高い大地に、草臥れた鼠色の2階建の洋館が、見えてきた。此処「鎮江市潤州山路6号」の建物には、「鎮江市友好交流館』と書かれた看板が、掛かっていた。パールバックが育った家で、現在は、「賽珍珠記念館」として、保存されている。
父Absalom Sydensticherは、宣教師として一生を捧げ、母Carolineは、7人の子を出産したが、パールを含む3人しか成人しなかった。その母は、1921年10月19日、32年余の中國での生活の末、鎮江で亡くなっている。1924年まで、宣教師として活躍した父を、パールは、「金陵大学」内の自宅へ迎え、最後の孝養を尽くしている。(完)
(参考)パール・バック(賽珍珠)女史の略歴:
1892年 米国バージニア州生まれ。生後5ヶ月で中国へ。
1911年 米国のMacon Women’s College卒後、鎮江で教鞭。
1917年 農業専門家ジョン・バックと結婚。安徽省宿県に滞在。
1919年 基督教会系の「金陵大学」(現在の南京大学の地)で教鞭。
1935年 結婚18年後に、夫ジョン・バックと離婚。
1935年 南京を離れ、アメリカに帰国。43歳の時、再婚。
1938年 小説「大地」で、ノーベル文学賞を受賞。
1973年 Pearl Sydenstricker Buck 3月6日死去。享年81歳。
* Coordinator: H. Gu
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安徽省 宿州市
高鉄(中国版新幹線駅)の「宿州東駅」。ここから、真っ暗な平原を、タクシーで、3、40分程行き、旧市内にある宿泊先「宿州ヒルトン逸林ホテル」に向った。 -
安徽省 宿州市
宿州市で、二日間宿泊した「宿州ヒルトン逸林ホテル」 -
安徽省 宿州市
宿州で、最初に訪れた『賽珍珠紀念館』は、東西に走る「〇河中路」」(〇は、bian④)沿いの「宿州市立医院」の中にあった。その病院の入り口付近。
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安徽省 宿州市
『宿州市立医院』の構内にある『賽珍珠紀念館』と、その周辺。 -
安徽省 宿州市
この日は、先祖の墓参りへ行く、「清明節」のため、紀念館は、休館であった。
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安徽省 宿州市
「宿州市立病院」内の建物の2階の壁面に、『賽珍珠(パールバック)紀念館』と書かれたプレートを見付けた。 -
安徽省 宿州市
旧城内の「大河南街」にあるパールバック女史も活躍していた「宿州基督教福音堂」
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安徽省 宿州市
旧城内の「宿州基督教福音堂」内 -
安徽省 宿州市
「宿州基督教福音堂」
宣教師の家庭に育った賽珍珠(パールバック)は、結婚して宿州に来て、この近くに住んでいた。当然この教会は、彼女の心休まる場所でもあったのだろうと想いながら見学をした。丁度、信者たちが聖歌の練習をしていた。 -
安徽省 宿州市
旧城内の「大河南街」にある、パールバック女史が活躍した「宿州基督教福音堂」 -
安徽省 宿州市
旧城内付近の古い街の一角の道路に跨り、「黄荘」と書かれた「扁額門」があった。この辺り一帯には、小説『大地』の中に出てくる大地主「黄家」のモデルとなった、「黄家」の所領等が、あった処の様である。 -
安徽省 宿州市
小説『大地』に出てくる大地主黄家のモデルとなった「黄家」の所領等の、あった旧城内付近の古い街並。 -
安徽省 宿州市
「宿州基督教福音堂」付近の、古くからの庶民住宅街 -
安徽省 宿州市
「宿州基督教福音堂」付近は、生鮮食料品店や日用雑貨品店が集積する最寄商店街であった。この近くに住んでいたパールバック女史も、この商店街で買い物をしていたのでは、と思いながら、写真を撮った。 -
安徽省 宿州市
在来線の「宿州駅」 -
安徽省 宿州市
「環城南路」と「環城西路」の交差点近くにある白楽天の記念館「楽天園」。 白楽天は地方官であった父の転勤で、宿州に11歳に来て、17歳の時、科挙の受験勉強のため、宿州を立ち、都長安へ旅立った。
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安徽省 宿州市
白楽天の記念館「楽天園」。
当時地方官であった父の任地の、安徽省宿州にいた時、白楽天に、『湘霊』という恋人がいた。十代の後半、科挙の試験勉強のため都長安に行くことになり、『湘霊』と別れた。29歳の時、科挙試験の進士に合格、役人に就任後、母親の喪に服するための休職中、若き日の宿州での彼女ことを思い出し、詠んだ詩である。
『感鏡』 (鏡を見て思う)
美人與我別 美しき君が、別れるあの時にくれた
留鏡在匣中 鏡が、今でもこの箱の中に入っている
自従花顔去 花のように美しい君の顔を見れなくなってからは、
秋水無芙蓉 秋になっても、芙蓉の花の咲かない池のように寂しい
経年不開匣 長い間、鏡箱を開けなかったので、
紅埃覆青銅 赤い埃が、青銅の鏡を覆っている。
今朝一拂拭 今朝、鏡の埃を払うと、
自照憔悴容 そこには、憔悴しきった我が顔が写っており、
照罷重惆悵 眺めているうちに、塞ぎ込んでしまった。
背有双盤龍 鏡の裏の、番いの龍は、仲良く絡み合っているのに。
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江蘇省 南京市
南京大学の南正門 -
江蘇省 南京市
南京大学構内の歩道 -
江蘇省 南京市
南京大学正門付近の校内案内標識
上から二段目、パールバックが住んでいた「賽珍珠楼」が記載されている -
江蘇省 南京市
南京大学の校内にある『賽珍珠』(パールバック)女史の像と、背後は当時住んでいた住宅。此処でノベール賞作品「大地」を書き上げている。 -
江蘇省 南京市
『賽珍珠』(パールバック)女史が当時住んでいた南京大学校内にある住宅、 -
江蘇省 南京市
『賽珍珠』(パールバック)女史が、当時住んでいた南京大学校内にある住宅。
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江蘇省 鎮江市
子供時代に過ごした鎮江市にある『賽珍珠(パールバック)女史故居』へ向うため、「鎮江駅」の北側を東西に走る「中山西路」を、東へ向った。 -
江蘇省 鎮江市
鎮江市の『賽珍珠(パールバック)女史故居』に向かう。
写真の手前の「中山西路」を左に回わり、「潤州山路」を、北へ歩いて行った。 -
江蘇省 鎮江市
坂を登りきった辺りに古い洋館があった、その建物が、鎮江市にある『賽珍珠(パールバック)女史故居』であった。 -
江蘇省 鎮江市
鎮江市にある、子供時代に過ごした『賽珍珠(パールバック)女史故居』 -
江蘇省 鎮江市
『賽珍珠(パールバック)女史故居』の前には、石碑が二つ置かれていた。 -
江蘇省 鎮江市
鎮江市にある『賽珍珠(パールバック)女史故居』 -
江蘇省 鎮江市
鎮江市にある子供時代に過ごした『賽珍珠(パールバック)女史故居』 -
江蘇省 鎮江市
鎮江市の『賽珍珠(パールバック)女史故居』から、近くにあるパールバック女子の母校「鎮江崇実女学校」に向かう。 -
江蘇省 鎮江市
『賽珍珠(パールバック)』女史が学んだ「鎮江崇実女子中学校」の正門。
パールバックは、米国の大学を出て、鎮江に戻り、この母校の教師になっている。 -
江蘇省 鎮江市
『賽珍珠(パールバック)』女史が学んだ母校「鎮江崇実女子中学校」の正門近く。 -
江蘇省 鎮江市
『賽珍珠(パールバック)』女史が卒業した母校の正門から、校内を眺める -
江蘇省 鎮江市
金山寺 -
江蘇省 鎮江市 金山寺正門
パールバックが、「私の世界」の中で、5歳の時に、母に連れられて出かけた「金山寺」。そこで、彼女は母に「金山は、島ではなく、山でしょう?」と質問している。母は、5歳の彼女にも、極めて丁寧に答えている。「昔は島だったが、長江の流れが変わり、大陸とつながり、金山が、山になった」、と。 -
江蘇省 鎮江市
金山寺「慈寿塔」
母から、イタリアのマルコポーロも、ここに来て「金山宝塔」を見上げていると聞き、5歳のパールバックも、この塔を見上げた。 -
江蘇省 鎮江市
金山寺「慈寿塔」へは、日本人僧で、画家の「雪舟」さんの足跡を辿り、此処に来た時のことを、僕は思い出していた。改めて「金山慈寿塔」を見上げながら、雪舟叟画の「大唐揚子江心金山龍遊禅之図 」(文明四年壬辰之秋)を、思い重ねていた。
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