2016/02/29 - 2016/02/29
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ちびのぱぱさん
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出石の辰鼓楼
明治14年に洋式時計が掲げられ、札幌の時計台と古さを競う。
札幌に住むものとして是非とも見届けておきたいですが、ずいぶん深いところまで来たなあ。
そして、出石はおそば屋さんだらけ。
全部で50軒もあるとか。
出石のシンボルは、時計台と皿ソバかな。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
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福知山の宿
朝、珍しくぐずつく空に助けられ、部屋のWifiを活用して溜まっていた用事をこなすと9時を回っていました。
そろそろ出かけるかな。
余談ですが、泊まっていた福知山のホテルフロントには、いつみても同じおとうさんがいる、と相方が不思議がっていました。
住んでるんじゃないフロントに、と言い出す始末。
まさか、でも、そういわれると60がらみの男性が、いつも実直に働いておられる。
同じおとうさんじゃあないよ、時々入れ替わっているよ、あなたが見たらみんな同じに見えるの?
しかしご同輩、深夜まで頑張ってるなあ……。
広い部屋、Wifiも使えるし、暗い大浴場もあるし、いろいろと便利なホテルです。
地方都市のビジネスホテルって、なんかおもしろいなあ。
福知山から竹田城址
それにしてもこの道、本当に国道だろうか。
いくら安物のカーナビだって、嘘は言わないだろうと思うのですが。
家から持参したのですが、久しぶりに引っ張り出したからどうも機嫌が悪く、気がつくと東京の港区を表示していたりする。
この写真のあたりは、まだましな方で、本当に、絶対すれ違えないようなつづら折りの山道が続く。
いったいどこなんだ、ここは。
地図だけ見て福知山から429号線で竹田城址の方に抜けようと思う人は、止めた方が良いかもしれません。ホテルつかさ福知山 宿・ホテル
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あ、丹波市に入った。
この後は、なんとかして竹田の立雲峡に到着。 -
立雲峡から竹田城址を望む
竹田城址の東方に位置する立雲峡。
駐車場から少し登った第一展望台。
その名にしおう雲が立ち、竹田城址を見え隠れさせます。
ゆっくりと山肌を舐めるように立ち上り、上空の雲塊に取り込まれてゆく。
ひとけのない展望台で、その様をぼうっと眺める。
遠くでウグイスが鳴きました。立雲峡 自然・景勝地
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市街地は円山川に沿って広がり、それを見下ろすように虎臥山。
そのいただきに、江戸時代に廃城となった竹田城の石垣が見える。
円山川の下流には、豊岡や城崎温泉がある。
竹田城は、初め山名氏によって築城され、赤松広秀によって今の形になったといいます。
エレベーターのない集合住宅の4階にある我が家を訪れて、もう二度と来ない、と死にそうに息を切らせている人は、こういう城には絶対に住めないでしょう。 -
小雨降る中、もう少し上の第二展望台まで上ってみよう。
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第二展望台
湿り気を含んだ雲が、荒城にまとわりつく。
すこし雨脚が強まりました。
この辺り大木が林立し、ちょうど雨宿りに良い。
傘をたたんでも、地面まで雨のしたたり落ちることもなく、木立の隙間から見える竹田城址を眺めてしばし。
わがみよにふるながめせしまに。 -
背後に祠が……。
城の石垣のように土台が積み上げられている。 -
今日は、天気が良ければ、遠く鳥取砂丘まで走ろうかと思っていましたが、とうにその考えは捨てました。
そんなに走っても、疲れるだけだよなあ。
ずうっと、良い天気ばかり続いていた今回の冬の旅。
紺碧の空に急かされるように宿を出ては、せっせと観光してきました。
明日は、神戸から雪の北海道の戻る。
朝寝をして、こうして、大地にしみこむように降り注ぐ雨をすかして、有名な天空の城を独り占めするのも悪くありません。
相方もだまって城址を眺めています。
少し、雨が上がって明るくなってきた。 -
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刻々と表情を変えて行く。
下の駐車場から、重機の音が聞こえてきました。
これからの桜のシーズンに向けて、駐車場のトイレを整備しているようです。
立雲峡は桜の名所として歴史も古い。
すごい人出になるのだろうなあ。 -
立雲峡を降りて竹田駅の方に来ました。
たぶん、あの正面頂きに天守が聳えていたのでしょう。
なかなかの眺めだっただろうなあ。
江戸幕府の方針で、城が廃されたとか。竹田駅 駅
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代官所でも置かれたのかな。
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正面に見えていた「たけだ城下町交流館」という、400年の歴史のある造り酒屋の建物を利用した施設に入ってみました。
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旧木村酒蔵は、焼酎を造っていたようです。
今では、高級ホテルになっています。 -
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すぐ横に播但線が走っている。
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出石町
足を伸ばして、車で1時間程の但馬は出石を訪れました。
皿ソバが有名です。
時刻は……、午後2時か。
駐車場に車を置いて歩き出してすぐに、天通という蕎麦屋。
ネットで検索すると、食べログでは一番人気のよう。天通 グルメ・レストラン
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いらっしゃいませ〜、と気さくに招き入れられ、火鉢の鉄瓶が湯気を上げる小上がりに。
向いに、遅い昼食の役場の職員風、男二人連れ。
美味そうに、そばを啜っている。
一人は、そば湯を器に注いでいる。 -
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起源は信州
一人前五皿がついてきて、870円。
卵やとろろなどと共に、わさびが一本付いてくる。
なんだ、五皿じゃあすぐに追加だな、一皿130円で追加か、なんて思っていたら、五皿目を食べる頃にけっこう満足してしまった。
なかなか食べ応えがありました。
久しぶりに旨いソバを食べました。
なんでも、1703年に松平氏が信州から転封された際に、蕎麦職人を連れてきたのが出石蕎麦の起源だとか。
そば湯まで旨かった。 -
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町中蕎麦屋だらけ。
食べ歩くのも悪くない。 -
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出石藩家老屋敷の前を通って
出石家老屋敷 美術館・博物館
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出石城址
名門新田氏の流れを汲む山名氏の居城。
竹田城も山名氏が築城している。
但馬一帯の名門として、ここに城を構えた頃が全盛期だったとか。
その後、戦国時代を挟んで城主は変遷したようです。出石城跡 名所・史跡
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日本瓦の甍の波。
日本だなあ。
松の上に、辰鼓楼が見えている。 -
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辰鼓楼
明治のはじめに建てられたときは、その名の通り、城主の登城を告げる鼓楼だったという。 -
その後1881年に、オランダの技師が呼ばれて時計が据え付けられたとか。
札幌の時計台も1881年で、どちらが日本一古い時計台かの論争があるらしい。
札幌の時計台は洋風ですが、こちらはいかにも和風。
いずれも捨てがたい魅力がある。
30年程前に、旅行雑誌でこの出石の時計台の写真を見て、いつか訪れたいとずっと思っていた。
城崎温泉といっしょに載っていたので、ごっちゃになっていました。
なかなかこれないだろうと思っていましたが、ついに来てしまった。 -
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時計のある生活
1872年、時の明治政府は改暦詔書を公布し、今の西暦、24時間制を正式に取り入れたそうです。
その9年後に、ここに機械時計が据えられたとき、町の人たちはみんなで見に来たろうなあ。
機械時計は、16世紀にガリレオが振り子の法則を発見し、大航海時代により正確な機械時計の必要から一気に発展を遂げたといいます。
こういう時計が生まれて一般化する前は、日本人は日の出から日の入りまでを6等分して、寺の鐘の音かなんかで生活していた。
このあたりは、洋の東西を問わず同じような状況。
今はすっかり時計が支配している。
先日、知り合いの犬が、季節を問わず午前6時40分になると起こしに来るからおちおち寝てられないという話をしていました。
えっ?犬が知り合いなのかって?そうじゃなくて、知り合いの飼っている犬が知り合いを起こしに来るという意味です。
それで、生物の身体は、日の出日の入りと地球の自転のどちらの影響をより受けているのだろうという話になりました。
日本には和時計というのがあって、からくり義右衛門と呼ばれた田中久重(東芝の創業者)は、江戸時代にとんでもない精巧な機械仕掛けの和時計を作っています。
先日ヒストリアでやってました。
一年の日の出日の入りに合わせて時間を調整してゆくわけですから、ある意味、西洋で発展した機械時計よりもすごいです。辰鼓楼 名所・史跡
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狭い日本ですが、土地によって売られている野菜も異なり、めずらしい。
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辰鼓楼の背後の有子山の上には、山名氏のお城がありました。
関ヶ原以前の平地を見下ろす日本の山には、あっちこっちにお山の大将がいたんだなあ。
今夜も福知山に泊まります。
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