2015/05/21 - 2015/05/21
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
バーリの宿 ホテルシティは、朝食の果物がとても豊富な宿で、ビワとかリンゴ、オレンジ、スモモと、毎日いろいろな味を楽しむことが出来ました。これに野菜を付け加えてくれたら申し分ない朝食になるのだけれど・・・今日は時間がたっぷりあるので、バーリ最後の朝食をゆっくりと味わうことが出来ました。
アンコーナへの列車の出発時刻は10:04。早く駅に着きすぎた私は、また失敗をしでかしましたよ。イタリアの列車の切符には自分の乗車駅と降車駅、その時刻は印刷されているのだけれど、列車の最終目的地が書かれていないのです。列車番号がついているので、よく見れば問題ないのですが、この日はうっかり確認しないで、出発時刻少し前にやってきたミラノ行に乗り込んでしまったのです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
トレン・イタリアが定刻より早く到着するなんてことはない! と分かっていたのに、同じ方向のフレッチャが待っていたホームに止まったのを見て、勘違いしたんですねえ。
乗車して、自分の席を探すも、見つからない(当たり前だ!)。同じ車両に乗っていた二人連れの男性(どちらもフランチェスコ。二人揃ってフランチェスキだっておどけていました。イタリア語の母音oは複数形になるとiに変化するのが基本。)が、
「大丈夫。好きな席に座っていれば良いよ。トレン・イタリアがインターネットで座席を販売した後で、車両のタイプを変更する事なんて日常茶飯事だから、迷惑かけちゃったね。すまんすまん。代りに謝っておくよ。車掌が来たら、座席番号を訂正してくれるよ。」なんて言ってくれちゃったものだから、すっかりその気になっていたのですが、よくよくチケットを見ると、列車番号違うじゃん!
間違っていたのはトレン・イタリアじゃあなくてこの私だ! -
というわけで、次の駅Barlettaで、再び重いスーツケースとともにとぼとぼ降り立ったのでありました。快適なフレッチャでそのまま行きたかったなあ。20分ほどしてからやってきた私の乗る列車は、難民列車のように混んでいてびっくり。でもこの列車でないと、乗換駅アンコーナでの待ち時間がまた増えてしまうからまっ仕方ないか・・・
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この駅で、バジリカタ州仕様の列車を発見。バジリカタ州といったらマテーラしか知らないけれど、これを見て、まだまだ未知の風光明媚な場所が沢山あるんだなと思い知りました。一番手前の列車の写真にある、氷河に削られた、先がするどく尖った山の頂に立つ古城には、すっかり魅せられてしまいましたよ。絶壁や斜面にへばりつく集落マニアの私にとっては、名前もわからないけれど、また来なくっちゃね・・・
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線路の向こうには、バーリとバルレッタを結ぶ私鉄ノルド・バレーゼの車両も止まっていました。プーリア州で1965年から営業を開始した近郊線です。バーリでは見る機会がなかったので、列車に乗り間違えなければ、お目にかからなかったはず。鉄道車両大好き!!
転んでもただでは起きない、私のやることです。 -
今度は正規の列車に無事乗車。難民?列車は4時間半かかって、マルケ州の州都アンコーナに到着しました。この駅、最新式のエスカレーターを備えていて、お陰様で乗り換えが非常にスムーズでした。昨年は階段しかない駅に遭遇して荷物の運搬に手間取りましたが、今回は幸いにもエレベーターがある駅がほとんどで、非常に助かりました。でもエスカレーターのある駅はまだ少数派のようです。
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アンコーナから乗り込んだのは、ローマ・テルミニ行のガラガラの1等車。お客さんは私のほかには数えるほど。ローカル線とは言え、ちと寂しい・・・ここからフォリーニョまでは1時間45分の行程です。
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「近づくと危険」のマーク。思いっきりつんのめっています。絶対コケる。
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名称がよくわからないけれど、貨物用の気動車かな? 古ぼけているところがまた良いですね。
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しばらくの間お友達だったアドリア海とももうじきおさらば。今にも降りだしそうな空です。
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と思ったら、途端に降ってきたよ・・・ファルコナーラ・マリッティマという長〜い名前の駅付近です。
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しかし、列車が内陸部に入ると、すぐに天気は回復しました。写真はイエジJesiの町。13〜15世紀に建てられた大聖堂が町の中心に鎮座しています。
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セッラ・サン・クィーリコの駅は一風変わった壁画のある建物でしたよ。大聖堂を模したような建物に、現代アートと言うか、ポップと言うか・・・なんでもストリートアートのBasikと2501がコラボした作品だそうで、イタリア人の間では賛否両論があるようです。
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何の石かわかりませんが、大きな採石場のそばを通ります。秩父の武甲山のように、段々と削られていって、スリムになっていくんでしょうね。
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そして列車が、なだらかな緑の高原地帯へと入ってくると、本日の目的地フォリーニョはもう直ぐです。
そもそも、宿をフォリーニョに決めたのは、そこが交通の要衝で、アッシジ、ペルージャ、スポレートなどに行きやすい場所だったこと、周辺に急斜面にへばりついたような集落スペッロやトレヴィがあったこと、駅近に素敵なアパートを見つけたことによります。
アパートが日本式の4階で、エレベーターがないという話だったので、私はオーナーさんに迎えをお願いしました。一人でスーツケースを4階まで運びたくはないですからね。 -
で、駅前で待っていてくださったアパートのオーナー モレーノ氏の車で、駅から歩いてもせいぜい5分ほどのフォリーニョの旧市街にあるアパートにやって参りましたよ。勿論、スーツケースはオーナーさんが運んでくれました。「大丈夫」とは言っていたけれど、暫くハァハア、ゼェゼェでした。グラッツェ ミッレ!!
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荷物が散乱していますが、こちらがこれからら4泊お世話になる、モレーノさんのアパートの部屋です。某宿泊サイトの口コミで、10点満点の9点を獲得していたことも決め手になりました。
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窓から見える景色は・・・・
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わぉ〜 フォリーニョのドゥオモがすぐ近くに見えますよ。屋根瓦と色々な形の煙突が楽しい!! 旧市街のど真ん中のようです。
そう、ローマではサンタ・マリア・マッジョーレの、そしてここフォリーニョでは毎朝、ドゥオモの鐘の音で目を覚ましたのでした。 -
ちょっと広すぎる専用バスルーム。広さは部屋と同じくらいあるよ。バスタブ発見!
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シャンプーやリンスなども揃ってま〜す。
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こちらは台所です。もちろん自由に使うことが出来ます。四つ口コンロにオーヴン、電子レンジ、鍋やフライパン、ケトル、食器、カラトリー、食洗機、冷蔵庫、コーヒーメーカー、ペーパータオル等々、全て完備でした。
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そしてこちらがリビングルーム。広すぎる空間だけれど、今夜はここを独占することが出来そう。イタリアでは、B&Bにおける朝食の提供で、生ものを扱ってはならないことになっているので、ハムとかチーズはありませんが、パン、バター、ジャム類、シリアル、果物、それにジュースを含めた様々な飲み物類の用意がされていました。後でちょっくら、スーパーで食べ物を仕入れてきましょう。
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明日の朝食の用意がすでに終わっていました。この広さだと、一人ぼっちの食事はちょっと寂しいかもねえ・・・
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というわけで、これから4日分の食料の確保を兼ねた町の散策に出かけましたよ。
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くねくねとした狭い通りを抜けていくと、
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すぐに、先ほど窓から眺めたフォリーニョのドゥオモ前に出ました。ウンブリア人によって築かれたフォリーニョは紀元前295年のセンチヌムの戦いで、ローマ帝国に併合されています。フォリーニョという名前は、ローマの女神フルジニアから取ったとされています。ローマ帝国時代、ここはコロニアに次ぐ重要な自治都市であるムニキビウムとして、またフラミニア街道の交通の要衝として重要視されてきました。
ローマ帝国の弱体化とともに町は寂れましたが、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(赤ひげ王)の命により自由都市となり、その後貴族トリンチ家の勢力下に入り、再び発展への道を辿ります。トリンチ家の庇護のもと、15世紀にはこの地方の芸術と文化の中心となりました。領土も一時、アッシジ、スペッロなどを含む広大なものとなり、繁栄を誇ったのです。 -
しかし、1439年時の領主コッラード・トリンチがローマ教皇に反旗を翻すと、状況はがらりと変わります。教皇はフォリーニョに兵を送り、コッラードを捕えて斬首刑に処したのです。そのとき、城門は町の住民によって開かれたとのことですから、コッラードは民衆の支持をすでに失っていたのですね。そしてそれ以来、フォリーニョはイタリア王国となる1860年まで教皇の直轄領としての歴史を歩んできました。
フォリーニョはイタリアのへそと呼ばれているそうで、日本のへそと称する群馬県渋川市と姉妹都市の関係にあります。 -
さて、こちらがフォリーニョのドゥオモのファサードです。町の守護聖人で、250年に殉教した聖フェリチアーノに捧げられています。
ロマネスク様式のファサードが作られたのは1133年のことですが、1904年に大規模修繕が行われ、一番高いところにあるティンパヌムのモザイクがヴェネツィアの職人たちの手により加えられました。キリストを中心に左に聖フェリチアーノ、右には、フェリチアーノの世話をし続けて14歳で殉教した女性メッサリーナが描かれ、キリストの足元にはモザイクを発注した教皇レオ13世が跪いています。
ティンパヌムの下には、12使徒と4人の福音記者をイメージしたバラ窓、そして8本の短いアーチが続くロッジアがありました。 -
中央扉の両脇には、石で作られたライオンが周囲をうかがっています。
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二頭とも同じようなスタイルですが、左側は鬣がやや少ない。こちらが雌かしら?
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では、中央扉からドゥオモに入場しましょう。プーリア州の豪華な扉周りを見慣れたせいか、大変こざっぱりとした造りに思えます。
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内部は何度も改修され、現在は、建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニによってネオクラシカル様式でまとめられています。彼は内部をほとんど作り変えたので、古いロマネスク・スタイルは、クリプトにしか残っていません。
一廊式で、柱とアーチは白で統一されています。 -
ボケボケですが、右側は、ファサードのモザイクにも登場していた、聖フェリチアーノのお世話をして殉教したメッサリーナと聖母が描かれた祭壇画のある礼拝堂です。1850年、エンリコ・バルトロメイの作品。メッサリーナの死の場面は、彼女の異常な肌の白さが目立ちました。
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二番目の礼拝堂はすっ飛ばして、右翼廊のキリストの磔の礼拝堂です。祭壇の木像は15世紀の制作。
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主祭壇の前には、豪華なバルダッキーノが置かれていました。こんなに大きなものを見るのは、バチカン以来のような気がします。ベルニーニを忠実に真似たように見えるこちらのバルダッキーノはアントニオ・カルチョーニによる作品です。
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むむむ・・・見れば見るほどベルニーニを彷彿させると思っていたら、解説書に本当にベルニーニを模倣したものと書かれていたのでびっくり! こちらの作品は青銅製ではなく、木で作られているせいか、柔らかさ、しなやかさが際立っているように思えます。サイズも小さめですが、本物に決して見劣りしませんよ。存在を全く知らないで行ったので、ビッグ・サプライズになりました!
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4本のねじれた柱の基盤部分には、3匹の蜂の紋章があったので、ローマで散々お目にかかったバルベリーニ家(3匹の蜂が紋章)と関係があるの? と慌ててしまいましたが、こちらの紋章は、バルダッキーノのスポンサーであるロスチオーリ家の紋章だそうです。
よく見ると、3匹の蜂のほかに、花を摘んだ腕が紋章を構成していました。 -
後陣の半月形部分には、フランチェスコ・マンチーニによる聖フェリチアーノを描いたフレスコが描かれていました。1719年の作品。
湾曲部分の中央は、ラファエロが20代のころに描いた「フォリーニョの聖母」の18世紀のコピーです。オリジナルは1511年の制作。確か盗難にあったんですよね。右側聖母に跪いている赤い服を着た人が、ラファエロに絵を依頼したパトロン フォリーニョの貴族シジスモンド・デ・コンティです。 -
ラテン十字がクロスする場所にあるドームは1543年から48年の間にフィレンツェ出身のアーニョロ・バリオーニの設計で、ドゥオモに加えられました。
久々に、といってもわずか10日前のことですが、ローマン・スタイルの装飾を見て、ローマの町を懐かしんでしまいました。 -
ドゥオモにおいて、唯一創建当時のロマネスク様式が残るクリプトにはどうやら入場できないみたいでした。ここからだと何も見えなくて残念。
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左翼廊の礼拝堂は、フォリーノの守護聖人達に捧げられていました。聖フェリチアーノのほか、フォリーニョの福者アンジェラ、福者ピエトロ・クリスチ、コクッロの聖ドメニコ・・・知らない人ばかりですね。
このうち、アンジェラという方について調べてみたら、13世紀の人で、彼女自身が体験した神秘的な啓示についての著作から「神学の女王」と呼ばれている方だそうで、日本語のウィキペディアもありました。2013年、ごくごく最近聖人「認定」を受けたそうです。 -
この礼拝堂はヴォールトが綺麗でした。フレスコ中央で天使たちに歓迎を受けているおじいさんは、聖フェリチアーノでしょうか?
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キリストが祝福のポーズを取るこちらの礼拝堂は修復中のようでした。キリスト像の両脇を見ると、古い柱が中途半端なサイズでちょん切れて、むき出しになっていましたよ。説明書くらい置いておいて欲しかったなあ。
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主祭壇向かって左側の壁にあった説教壇。金メッキされたレリーフの詳しい説明はありませんでしたが、中央には聖母被昇天。そしてここにもフェリチアーノとメッサリーナの姿がありました。
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こちらが、聖フェリチアーノ像。ジョヴァンニ・バッティスタ・マイニの1733年頃の作品です。フェリチアーノは160年頃、フラミニア街道沿いのフォーラム・フラミニアに生まれ、フォリーニョ、スペッロ、ベヴァーニャ、アッシジ、ペルージャ、ノルチャ、トレヴィ、スポレート等の地域を回って精力的に伝道活動を行いました。
当時としては大変な長寿だったフェリチアーノは、ローマ皇帝デキウスの迫害に会い、ローマの神々への信仰を拒否したために94歳で逮捕され、拷問とむち打ちを受けた後、ローマに護送中にフォリーニョ郊外で亡くなったそうです。 -
これは洗礼堂だと思いますが、あまり記憶に残っていません。どこにあったのかなあ・・・
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主祭壇に向かって左側手前は、キリストの洗礼の礼拝堂。洗礼者聖ヨハネから洗礼を受けるキリストの祭壇画がありました。ジョヴァンニ・バッティスタ・ウィカールの1826年〜34年にかけての作品です。
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いばらの冠を付けたキリストと聖母というよりは、「見つめ合う二人」という雰囲気ですねえ。なんのこっちゃ・・・
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最後にカウンターファサードです。バラ窓は内側から見るとバラの形になってないんだと初めて認識しました。
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ファサードの続きには、ニッチェに聖母子像が置かれていました。その隣の階段のある建物は、フォリーニョの教区博物館。もう時間が遅いので、閉まっていました。
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そしてその先にある鐘楼のある建物は、フォリーニョの市役所です。創建は13世紀だそうですが、勿論何度も改修されています。但し、鐘楼だけは13世紀の姿のままだそうですよ。
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もう一度ドゥオモを振り返ってと・・・あっ ここからドゥオモの鐘楼が見えましたよ。全体を写せませんでしたが、鐘楼の下層部分は創建当時のもの。今見えている部分は、1847年に建築家ヴィターリによってリフォームしています。
鐘楼の中にはフォリーニョの守護聖人の一人、福者ピエトロ・クリスチが住んでいた、15世紀のフレスコ画が残る小部屋があるそうです。 -
教区博物館の角を曲がると、そこにはもう一つ広場がありました。共和国広場です。写真は市役所の建物の続きです。左端のレンガ造りが市役所。その隣には、歴史ありそうな建物が並んでいますね。
正面奥に見えるのが、15世紀までフォリーニョを支配していたトリンチ家の館パラッツォ・トリンチです。現在はこちらも博物館となっています。 -
そして反対側はというと・・・
あらあら、ドゥオモのファサード、もう一つ発見! -
フォリーニョのドゥオモは二つのファサードを持っていたんですね。
こちらは二番目のファサード。最初のファサードと似ていますが、バラ窓が3つあるし、一番高いところにあるのは三角形のペディメントだし、やっぱり似ていないかも・・・
こちらのファサードは1201年、時の司教アンセルモの依頼により、建築家ルドルフォ、ビネーロらが作りました。最上部が出来たのは、トリンチ家のウゴリーノ3世がスポンサーとなった14世紀になってからのことです。
15世紀には大幅な改修が行われましたが、1904年の改修の際に、メインファサードと同じく建築家ヴィンチェンツォ・ベンヴェヌーティによって、オリジナルに近い様式に復元されました。
中央のバラ窓は、メインとは異なり、二重の円となっていて、おまけに内側の骨組みはねじれた柱で構成されています。バラ窓の下にいる2頭のグリフォン(ライオンに翼がついている)は、ペルージャとの戦いにフォリーニョが勝利をおさめた記念に作られたものだそう。 -
中央扉は木製。周りを5層のロマネスク様式の浅浮き彫りのあるアーチで装飾されています。豪華〜!!
こちらからも入れるんだ。気が付きませんでした。 -
第二ファサードにもライオンがいましたよ。こちらは、無心にかぶりついています。羊かな?
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向かって右側はおとなし目。扉の周りのレリーフ、美しいでしょう。
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フォリーニョはその後も何度か散策したので、ここでまとめてご紹介しますね。
こちらは、駅に行く途中の公園にあるポルタ・ロマーナ。1280年〜91年にかけて建てられた新しい門です。この門の内側に旧市街があったということですね。門は1871年に取り壊されたそうです。現在の門は新しそうなので、ごく最近になって復元されたようです。 -
門には、ラテン語でstrenuorum immortale nomen と書かれています。訳は「毅然とした不滅の名前(複数)」。わからないような、わからないような・・・
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こちらは翌々日の朝、フォリーニョ市内をぶらぶらした時の写真です。こちらも狭い通りからスタートです。道の両側に、車除けの円筒形のものが置かれているのが目につきました。一般車は通行できないけれど、すれちがいざまに壁を壊す危険を防止するためのものでしょうか? なにせ狭いんです。
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今日もドゥオモそばを通ります。二色のレンガを使った装飾が興味深いドゥオモの外壁の一部です。
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フォリーニョで見かけた祠。Percura della Chociata Mariana マリアーナ十字軍の委任って? 意味不明。
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とある公共施設の回廊が雰囲気あるので入ってみました。
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ここはフォリーニョ教区のカリタス・ディオチェサーナという学校のようです。まだ朝早いのでオープン前です。
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また見つけましたよ。祠・・・
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旧市街の道は皆この位の道幅です。中世の時代と変わっていないんでしょうね。お天気がいまいちのせいか、少々重苦しい雰囲気です。
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サン・ジャコモ広場にあったのは、1402年に旧救護院跡に建てられた聖ジャコモ教会です。この教会も、ドゥオモの第二ファサード同様、トリンチ家のウゴリーノ3世の寄付によって建てられました。
フォリーニョも地震発生地域のようで、1997年の地震ではドゥオモもこの聖ジャコモ教会もかなりの被害を受けたようです。2000年にようやく改修が済んだと書かれていました。
ファサードの上半分は、まだ未完成のフィレンツェのサン・ロレンツォ教会を思い出させます。下半分はドゥオモと同じ赤と白の二色レンガの縞模様です。尖頭アーチがあるので、これはゴシック様式でしょうか?
ちょこんと頭を出している鐘楼は、17世紀の再建です。 -
聖ジャコモ教会の前の道を行くと、トピノ川のほとりに出ます。ここも城壁の一部になっていたのでしょう。
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川は渡らず、川沿いのアウグスト・ボッレッタ通りを進みます。
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かつての城壁を、そのまま住居に転用したと思しき建物がありましたよ。
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こちらもアウグスト・ボッレッタ通りに面した城壁跡です。
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バスの時間が迫ってきたので、旧城壁に沿って、駅に向かって歩きます。
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駅からアパートに行く途中にある見慣れた門ポルタ・サン・フェリチアネットの前に到着しました。かつては、5つの門があった昔のフォリーニョの町で、唯一残った入口の門で、当初は十字架門と呼ばれていました(前述のローマ門もその1つ)。
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鎖に繋がれた聖フェリチアーノは、250年にこの門を出て、ローマに護送されたという伝説が残されています。そのためか、門は18世紀には閉じられ、聖フェリチアーノ像が置かれた祠(一種の神社ですね)として使われていました。
この門があるところは、駅から旧市街に向かう一番人通りの多い場所です。1920年には、門の修復が行われるのと同時に、交通の妨げになる城壁は取り壊されたようです。 -
旧市街へと続くウンベルト通りの先に見える教会は、いつも閉まっているサンタゴスティーノ教会です。私の滞在したアパートはサンタゴスティーノ教会からすぐのところです。
ウンベルト通りの途中にスーパーマーケットConadを見つけたので、食料品を買って帰りましたよ。 -
写真を撮るような代物ではありませんが、恥ずかしながら見せちゃいます。前菜はハムサラダ。
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大好きなフィットチーネ・ジェノベーゼ。
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そしてメインは、ハンバーグもどきです。日本にいるときとあまり変わり映えしないメニューでした。
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こんな豪華なお部屋で、粗食を頂きましたよ。ジェノベーゼは、スーパーの人のいるデリカテッセンで売っているものがとても美味ですよ。
この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その53 スペッロ で。
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この旅行記へのコメント (2)
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- マリアンヌさん 2016/03/14 12:14:52
- フォリーニョ♪
- jumemayさん、こんにちわ。
いつも丁寧な解説をありがとうございます。
B&B、立地も良くて素敵なお部屋ですね。
フォリーニョは、6年前スポレートに宿泊してモンテファルコに行く時、ほんのわずかな時間立ち寄りました。
まだバスの時刻表がネット検索あまりできなくて観光案内所で聞きながら訪れたものでした。
ドゥーモ、こんな感じだったんだなぁと思い返しました。
蜂の紋章くらいしか覚えてなくて。
ファサードは2つもあったんですね。わからなかった・・・
街もいい感じのたたずまいですし。
また続き楽しみにしています。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/03/14 18:45:30
- RE: フォリーニョ♪
- マリアンヌさま
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。
内容のあまりない旅行記を見ていただいて恐縮です。
スポレート良いですね。
私は夕方近くにスポレートに到着したので、町を見る時間があまりなくて、いつか再訪したいと思っています。ウンブリアの田舎はまだまだ観光客も少なく、街歩きに最適な町が沢山ありますよね。
フォリーニョは観光都市ではないので、インフォメーションが不十分でしたが、普通の暮らしをする市民の姿が見られて、滞在しやすかったです。何せ居心地の良い宿だったので、機会があったらまた利用したいなと思っています。
今年は昨年と同じような日程で、スペイン、ポルトガルを回ります。本当はドイツに行きたかったのですが、難民問題等でちょっと止めとこうかなと。
のろのろと進んでいるので、今回の旅行記最後まで行きつかないうちにまた旅に出ることになりそうです。
junemay
> jumemayさん、こんにちわ。
>
> いつも丁寧な解説をありがとうございます。
> B&B、立地も良くて素敵なお部屋ですね。
>
> フォリーニョは、6年前スポレートに宿泊してモンテファルコに行く時、ほんのわずかな時間立ち寄りました。
> まだバスの時刻表がネット検索あまりできなくて観光案内所で聞きながら訪れたものでした。
>
> ドゥーモ、こんな感じだったんだなぁと思い返しました。
> 蜂の紋章くらいしか覚えてなくて。
> ファサードは2つもあったんですね。わからなかった・・・
> 街もいい感じのたたずまいですし。
>
> また続き楽しみにしています。
> マリアンヌ
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