2016/01/21 - 2016/01/21
643位(同エリア2579件中)
belleduneさん
- belleduneさんTOP
- 旅行記839冊
- クチコミ134件
- Q&A回答177件
- 1,512,099アクセス
- フォロワー63人
旭川の街の歴史や古い建物を見て歩くことにしました。駅から直ぐのところにある倉庫群・蔵囲夢ヘ行き、その後、高砂明治酒蔵、合同酒精・き花の杜を廻り、上川神社へ。ここから道を間違えて、というより方向を間違えたので、随分遠回りをして、やっと三浦綾子記念文学館・見本林に到着しました。外国樹種見本林は、雪が深くて、あまり奥まで歩けませんでしたので、準備してまた来ようと思います。昼間はバスの本数がとても少ないため、歩いた方が早いようでした。駅への帰り道、氷点橋からと思ったのですが、旭川博物館でアイヌの歴史と文化を見たくなり、忠別川に架かるクリスタル橋を通って駅へ戻りました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
-
旭川駅から宮前通りを歩いていると、ガス灯がありました。明治5年に横浜に初めてガス灯が設置され、その後、この倉庫群にもガス街灯が合うということで設置されたそうです。ガス灯は点火コントロール部に電源が入ると点火開始し、ガス自動弁が開くと同時に着火用高圧放電トランスが点火動作を始めます。補助炎孔へと着火されて、マントルへと炎が燃え移り、ガスが燃焼すると、マントル表面が白く発光します。ガス自動弁がほじされて、点灯が続くという仕組みだそうです。夜、点灯した通りを見たいですね。
-
程なく、大雪地ビール館などがある上川倉庫群「蔵囲夢」に着きました。
-
上川倉庫は、明治30年代の創業で、大正初期には、21棟の倉庫がありました。
-
-
-
-
こういうものが各倉庫に入っています。私は、椅子のギャラリーで、「世界の美しい木の椅子展」を見てきました。武蔵野美術大学の図書館ヘ行った際に、図書館内においてある有名な椅子に座ることが出来ましたが、今回は、ただ見るだけです。北海道東海大学旭川の織田憲嗣氏収集による個人所有の椅子なので、仕方ありません。見ているだけで、楽しいものです。日本に椅子が入って来て、現在では日本人デザイナーによる優れた座り心地の良い椅子がありますね。旭川空港2階フロアに置いてある「匠工芸」の椅子はとても良いものでした。長く座っていても、快適でした。欲しいのですが、東京迄の送料が高いでしょうね。
-
-
地ビール館で飲んでみたいのですが、これから歩いて廻るところが多いので、パスします。
-
-
そのまま宮下通りを歩いて行くと、高砂明治酒蔵が見えてきます。
-
道を挟んで、店舗と工場があります。明治32年に会津出身の小檜山鐵三郎が小檜山酒造店を創業したのが、始まりです。高砂酒造は、間もなく築百年を迎え、旭川が「北海の灘」と呼ばれた当時と変わらない佇まいを見ることができます。
-
雪景色と和風建築は合いますねぇ。
-
和風家屋のお庭の一角にお宮があります。
-
-
-
店舗の角にお蔵があります。大雪山系の雪清水はやや軟質で、水温は11度だそうです。酒造りに適した清水が命ですね。
-
店舗の1階に昔の居間を公開しています。
-
昭和の匂いがしますね。
-
人力によるウイングポンプは、もろみ、清酒の輸送ポンプで、大正7、8年頃のものです。輸送能力は1時間に500〜600?だそうです。
-
お蔵で行われた寄席の写真が貼ってありました。
-
現在は地震のために補助の鉄骨梁が通っています。
-
-
高砂や国士無双が美味しそう...昭和50年に生まれた「国士無双」は、端麗辛口の先駆けとして、全国に広がりました。中国の史記に由来し、天下に2つとない酒にとの願いが込められているという。3日前に予約すると、工場見学が出来るそうです。
-
壺屋さんの「き花の杜」と合同酒精の建物が見えてきました。想像に反して、新しい建物でしたが、此処までとても遠かったので、丁度焼き上がったというアップルパイを買って、2階のフロアで休憩しました。このスペースには、建築関係の図書があり、本を読んだり、ちょっと休むには良い場所でした。
壺屋の「壷もなか」は昭和50年に大ヒットになりましたが、夏は売れ行きが芳しくなかったため、大手も真似できないような質の高い菓子作りの研究を始めました。昭和57年にやっと「き花」が出来上がり、大好評を得て、今日に至っています。斎藤瀏の詩集「霧華」に由来しているそうです。1階の工場見学も出来ます。1階には、お菓子売り場、カフェ、雑貨、手工芸教室などがありました。杜というだけに建物横手は木々の繁る公園になっています。 -
入口を入ると、隈研吾氏の織部の茶室が展示されていました。「第7回国際陶器美濃」のために作られたもの。ローコストで制作されたプラスティックダンボールは容易に組み立てや分解できるコンテンポラリーな茶室を考案されたそうです。歪んだ繭のような形は、織部の自由な造形感覚へのオマージュとなっていると説明されていました。ちょっとスペースがなくて、此処では全体の形が分かり難いですね。
-
忠別川に向かって、元来た道を歩いていると、ちょっと目に付く倉庫らしい建物がありました。
-
新神楽橋を亘って、上川神社へ行きます。
-
-
神楽岡公園内にある上川神社は、明治22年当時の永山武四郎北海道長官が、北京(ほっきょう)を上川に置くと内閣に申し出ましたが、北京は不適切とされ、上川離宮として設置を決定しました。しかし、結局上川離宮は実現しなかったそうです。
-
明治26年(1873)に旭川の鎮守として、宮下通4丁目〜7丁目に至る地に、天照大神を奉祀したのを創祀としています。大正13年(1924)に皇室御領地となっていた現在地に移転しました。
-
-
明治2年(1869)に蝦夷地を北海道と改称。石狩国上川郡を置く。
明治24年(1891)に屯田兵入植。
明治30年(1897)上川郡役所を旭川に置き、上川支庁と改称。
大正11年(1922)に旭川市となる。 -
-
神楽岡公園はアイヌの人達に「ヘッチウシ」(神が舞い、楽しむ丘)と呼ばれた岡でした。
-
歩くスキーコース(3km)もあります。時間があれば、歩いてみたいです。右手の緑の相談所でスキーを貸してくれるそうです。
-
上川神社から結構遠かったのですが、やっと三浦綾子記念文学館に到着しました。
-
風は全くない。 東の空に入道雲が 高く陽に輝いて、つくりつけたように 動かない。ストロープ松の林の影が くっきりと地に濃く短かった。 その影が生あるもののように くろぐろと不気味に息づいて見える。
氷点 三浦綾子 -
-
文学館1階の可愛いカフェで暖かい紅茶を飲みながら、林を眺める時間は良いものでした。見本林は、外国樹種が日本の寒冷地で生育できるかを観察するために、明治31年(1898)に造成されました。初めに、ストロープマツ、ヨーロッパトウヒ、ヨーロッパアカマツ、ヨーロッパカラマツが植樹されました。昭和39年(1965)に三浦綾子さんの氷点が有名になり、全国からファンが訪れてきました。平成10年(1998)にこの三浦綾子記念文学館が開館することなりました。
-
-
体も温まったので、林を散策します。まず、ヨーロッパトウヒがあります。
-
-
-
-
モミ
-
ストロープマツ
-
-
色んな動物が棲んでいるので、時々足跡を見かけます。
-
-
-
-
-
-
-
-
シラカンバ
-
-
-
奥に美瑛川が見えています。
-
-
-
グラウカトウヒ
-
-
-
-
-
ストロープマツ
-
-
大雪アリーナ
-
旭川市博物館
-
-
-
館内に入ると、暖房で、レンズはこんな風になってしまいました。
-
-
アイヌの歴史と文化に関わる資料の展示がありました。中央には地下から吹き抜けのスペースに樹木の展示がありました。民族資料の多くは、河野常吉、広道、本道の三代に亘って収集されたもので、河野コレクションとして知られているということです。
-
大雪山の麓に広がる上川盆地では、上川アイヌと呼ばれる人々がコタンを形成して暮らしていました。
-
アイチトケイ
-
忠別川は、アイヌ語の「チュブ・ペッ」が語源という説があります。チュブは「日」、ペッは「川」の意味。旭川市は、北海道最大の盆地にあり、石狩川、牛朱別川、忠別川、美瑛川などの河川合流部に位置しています。札幌に次ぐ人口ですが、平成12年(2000)から減少傾向にあります。2010年当時の人口は、約34万7千人。
-
向こうに見えるのが、氷点橋です。
-
クリスタル橋
-
旭川市内のちょっと気になる倉庫らしき建物。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
belleduneさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
82