2016/01/01 - 2016/01/01
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キューロクさん
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かつて釧網本線では、C58が牽引する混合列車が人気を博していた。
混合列車とは、客車と貨物車を連結した列車であり、当時はこの路線以外では米坂線の9600型や花輪線の8620型なども人気があった。
無煙化の名のもとに各地にDD51等のDL(ディーゼルロコモティブ)や、DC(ディーゼルカー)いわゆる気動車を導入した国鉄だが、出発時や勾配区間では真っ黒なディーゼルエンジン特有の黒煙を撒き散らした結果、当時SLマニアであり神童でもあった吾輩は、名ばかり無煙化、あるいは国鉄は詐欺師である。などという論調を中学校の夏休みの宿題に展開することになった。
写真は懐かしの「自動ドア」である。
DCのドアから眺める真冬のオホーツク海は荒々しかった。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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話は戻り、拠点となる緑風荘から中心市街地を抜け、清里町駅へ徒歩で向かう。
気温は氷点下4度とかなり暖かい。
積雪は例年だと1mはあるとのこと。 -
清里町駅は無人駅である。
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10時台のダイヤではこの駅で交換となる。
先ず釧路行きローカルが入線。 -
続いて網走行きラピドーが入り、こいつで北浜へ向かう。
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1時間ほどでほどなく北浜駅に到着。
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いつからこの駅はナルシストの聖地となり果てたのか。
名刺だらけの駅舎にはもちろん暖房設備は無い。 -
「線路内立ち入り禁止」がナウい。
前述した「C58混合列車の頃」のマニアの移動方法は、専ら線路であった。
枕木に歩幅を合わせる格好となるわけだが、短足ぎみのマニアには厳しい環境だったと思うよ。 -
残念ながら知床連山は拝めなかったが、翌日のトレッキングで再会を果たすのであった。 -
除雪に勤しむ保線区員。
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この日のレイヤードは、「プラス5度」で売り出したマーモットの冬山用パンツの下にタイツ、オーバーパンツはモンベルのカッパ。フォックスファイアーのアンダーシャツ、モンベルのウールシャツ、パタゴニアのスエーター、パタゴニアのダウン。足元は新調したスリッポンタイプのSORELシャイアンプレミアム。
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足で稼ぐ旅人を標榜する吾輩は、濤沸湖へと向かう。
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近くのオホーツク海にはまもなく流氷が押し寄せてくるが、その時白鳥はビックリするのだろうか。
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「C58混合列車の頃」は線路沿いに浦市別川の河口まで歩いてきた。
多量のホタテの貝殻が打ち捨てられていた記憶がある。 -
このあたりには、当時は掘立小屋程度の建物しかなかったと思う。
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懐かしい地を俯瞰すべく高台に登る。
右手方向が濤沸湖で、左手は荒れ狂うオホーツク海である。 -
想い出を十二分に堪能したので帰路に就くことにしよう。
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知床斜里駅でトランスファー。
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無人の北浜駅から乗車した吾輩が改札で清算中なのに、「早く通せ」と後ろで騒ぐ女性は、車内でバシャバシャ写真を撮っていた中国人だった。
駅員から「ウエイト」と、一喝されて静まった。 -
何とか明るいうちに宿に帰り付き、温泉のあとはドリンクタイム。
元日の夕食はスペシャルディナーであり、宿泊料も1,000円ほど割高だが満足。 -
清里町は、いも焼酎の発祥の地でもある。
ウエイトレスさんお勧めの熟成した「樽」をキープし、料理ともども美味しく味わう。 -
今回の旅で持参した藍色の作務衣と青サブ(ロレックスブルーサブマリーナ)のコラボを楽しみながら、SLのドラフト音があった北浜界隈に思いを馳せる。
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