1994/02/16 - 1994/02/16
1508位(同エリア2329件中)
マローズさん
[豪壮な書写山円教寺]
弁慶が京の堀川通り(後世、五条橋にすり替えられた)で太刀千振りを奪おうとしたのには経緯がある。
弁慶は関白藤原道隆の子孫・熊野の別当、弁しょうが61歳の時、授かった嫡子。しかし母胎に18ヶ月もいたため、身体は普通の赤子の三倍近くあり、髪も肩まで伸びていた。そのため、鬼神と恐れられ、比叡山に預けられる。
弁慶は成長するに従い、乱暴狼藉を働くようになったが、父母や祖父が高貴な者故、寺側も処分できずにいた。
しかし流石に比叡山に居辛くなり、弁慶は下山する。そして「西の比叡山」と称される播磨の書写山円教寺へと向かい、「夏の勤行」に加わった。
勤行が終了し、暇乞いに学頭の所に挨拶に行った折、学頭が酒盛り中だったので、弁慶は別室でうたた寝をしていた。それを見つけたのが、同じく喧嘩好きの信濃坊戒円。戒円は弁慶の顔に筆で落書きをした。
眠りから覚めた弁慶は、それを知って激怒。戒円や他の僧らと大喧嘩を繰り広げる。そんな中、戒円は炉から取り出した木の燃えさしを弁慶に投げつけたのだが、かわされ、講堂の軒下にはまってしまう。折からの強風で火はみるみるうちに燃え広がっていった。
弁慶は麓の西坂本まで下りると、僧坊一件一件放火して回り、遂に堂塔56、僧坊300、全山灰にしてしまった。
根は真面目な弁慶はその後、京に上り、天狗のような格好に変装すると、寺院の監督機関である院の御所の築地に上がり、この事実を大声で叫んだ。
御所ではこの真偽を確認すると、戒円を捕らえて処刑した。弁慶は行方をくらましたので、そのままにした。
その後、弁慶は自責の念にかられ、書写山堂塔の再建費用のたしになればと思い、五条天神に太刀千振奪取を誓願することになる。
現在の寺の目ぼしい堂宇の中には、昭和初期の再建や、戦後、改修されたものがあるが、それでも清水の舞台を彷彿させる摩尼殿や長さ40mの食堂(じきどう)を含む三之堂、各堂の仏像(撮影禁止なので絵葉書を)、展望所、弁慶ゆかりの遺構等、見所は大いにある。
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄
-
仁王門
-
摩尼殿から見下ろす雪のはづき茶屋
-
摩尼殿:国定重文・四天王像を安置。
書写山圓教寺 寺・神社・教会
-
長さ約40メートルの食堂(じきどう)を歩く。右隣りは大講堂。
-
常行堂:本尊・丈六阿弥陀如来坐像を安置
-
戒円に落書きされた弁慶が、自分のその顔を映した鏡井戸(池):弁慶の顔には「弁慶は平足駄にぞ似たりける 面を踏めども起きも上がらず」と書かれてあった。
-
開山堂:開山の性空上人をまつる
-
紫式部歌塚
-
おびただしい数の地蔵
-
展望所より
書写山 自然・景勝地
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
10