2015/05/15 - 2015/05/15
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
5月15日(金)は、3日間有効のアルテカードナポリの最終日なので、1日ナポリを歩く予定です。なぜアルテカードナポリを連続で使用しないで、昨日アマルフィまで遠出をしたかと言うと、朝一番で訪れる予定のトンネル・ボルボニコが金曜日から日曜日までしかオープンしていない施設だったからです。
計画を立てる最中に散々迷った結果、2枚のアルテカードを次のような順番で使用することにしました。( )内はアルテカードで入場した施設
13日=到着日 ナポリ アルテカードナポリ(国立考古学博物館)
14日 アルテカードカンパニア州 アマルフィ海岸(ラヴェッロの共通入場券)
15日 ナポリ アルテカードナポリ(トンネル・ボルボニコ、国立カポディモンテ美術館)
16日 エルコラーノ、カゼルタ アルテカードカンパニア州(エルコラーノ遺跡、カゼルタ王宮)
勿論、4施設目以降の割引入場も考えていたのですが、全く時間が取れませんでした。施設のほか、ほとんどすべての交通機関も自由に利用できるので、これだけの利用で十分元が取れた結果となりました。
朝9時過ぎ、ナポリ・チェントラーレ駅前からウンベルト1世のガッレリア、王宮前を通る観光客の強い味方のバスR2に乗って、ガッレリア前で下車。プレシピート広場の脇を通って、狭いジェンナーロ・セッラ通りを進むと左側に人一人がようやく通れるような狭い路地があります。
恐る恐るその路地を進むと、目指すトンネルツアーの入り口が右手に見えてきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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トンネル・ボルボニコ(ブルボン朝のトンネル)は1853年に、反乱の勃発を懸念したナポリの支配者 ブルボン朝の両シチリア王フェルディナンド2世により、王宮からパチェ(平和)通りにあった軍兵舎への脱出路として作られました。何か有事が会った際に王が逃げ出すためにも、軍隊が人知れず王宮に駆けつけるためにも有効であるとされたのです。
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ここには古くから、水道の地下貯水槽があったため、工事は難関を極めました。結局トンネルは未完成に終わりましたが、第二次大戦中には、弾薬庫として使用される一方、野戦病院、地域住民のための防空壕としても使用されたとのことです。
写真は撮れませんでしたが、防空壕に使われていた時代のトイレや当時の落書きが残っていたのが印象的でした。天井が高い! -
実はこのツアー、ガイド付きツアーで原則撮影禁止です。これらの写真は、1時間15分のツアーの最後の部分で、ガイドの許可を得て写したものです。「私は何も見なかったことにするよ」と言われて、こそこそと写したもの。トンネル内部が大変暗いこと、またカメラがショボイため、ひどい写真ばかりですが、まあ雰囲気だけでも味わってください。
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車は1940年〜60年代のものが中心。第二次大戦後、車の保管所(ゴミ捨て場?)としても使用されていたそうです。車の型式等の知識がないので、どんな車か?と尋ねられても、お答えできません。ゴミを見に行ったの?と聞かれれば、おっしゃる通りですと返すしかない・・・
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ガイドの女性の話では、ここを観光名所にしようと立ち上がったヴォランティア-グループは、おびただしい量のゴミと格闘しながら掘り進め、ここまでトンネルを「綺麗に」したのだそうですよ。
更にボランティアグループは、2007年にそれまで知られていなかった幾つもの「部屋」を発見。2010年10月29日に文化協会「トンネル・ボルボニコ」を正式に立ち上げたとのことです。 -
発掘はその後も続いていて、2013年には、別の防空壕も発見されたと聞きました。
子供の頃に、まだ存在していた兵器廠跡を探検した時のような緊張感と高揚感が高まってくるのを感じました。 -
ひどい写りようだけれど、緑色の車だったということは分かりますね。
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こちらに至っては、元々の色もわからないほど、埃とさびに塗れていますね。
自分がどこにいるのか、わからなくなる迷宮の世界。ガイドは英語とイタリア語で行われ、どういう経緯でどういった物がここに置かれたかを説明してくれましたが、もはや大半が忘却の彼方・・・ -
訪れたトンネルの中で一番高さのある部分です。手で掘られた証拠に、ノミの跡がくっきりと壁一面に残っています。
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壁は次第に狭くなり、教会の尖塔のように傾斜して、一番上にはぽっかりと大きな穴が空いていました。
ベンチレーターの役割を果たしているそう。 -
こちらはまた別の開口部だったっけ・・・
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壁に彫られた図形のようなものをズームアップしていくと・・・
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稚拙ですが、教会を彫ったものだということが分かります。
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ナポリでカリスマ性を最大限発揮したファシストのリーダーとして知られるアウレリオ・パドヴァーニの像が半分土に埋もれた形で展示されていました。
像はトンネル内から発見されましたが、元々は1934年にマルチェロ・カニーノのデザインでサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ広場のど真中に建てられた、彼に捧げられた記念碑の一部でした。
戦後まもなく取り壊され、彫像もバラバラに解体されたはずなのに、おぞましい過去の亡霊が見つかったのは、なんと2010年のことだったようですよ。 -
トンネルの一部はギャラリーになっていて、古い写真が沢山展示されています。トンネル内ではファッションショー、音楽会、様々なイヴェントが開催されているそうです。
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一番強烈な写真はこちら。1944年に起きた、ヴェスヴィオス火山の大噴火です。例の「フニクリフニクラ」で有名だった登山電車が、この時の噴火で破壊されています。
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この辺りは、撮影OKだったような記憶。
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防空壕として使われていた時代の遺物の展示コーナーです。
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紀元前からの地下世界が存在するナポリにおいては、新しい部類の「トンネル」ですが、人々の生活の跡が垣間見え、かつチョッピリスリリングな探検気分を味わうことが出来、有意義な1時間15分でした。
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私が参加した、散策だけの一般ツアーの他、地下貯水槽でいかだ乗りを楽しめるアドヴェンチャー・ツアーや、オーヴァーオール、ライト付ヘルメットを装着してのハードな(途中腹ばいで進む箇所がある)洞窟探検ツアーを楽しむこともできます。但し、アルテカードは一般ツアーにしか利用できませんので、ご注意くださいね。
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一般ツアーは金曜日から日曜日に1日に4回行われ、飛び込みでも参加OKですが、アドヴェンチャー・ツアー、洞窟探検ツアーは不定期の開催、予約が必須です。
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ツアーが終わり、出口へと向かう間もトンネルは続いています。
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外に出たら、入り口とは全く異なった場所だったので、面食らいました。引き返して、現在地を尋ねたら、入り口から400m位南西に移動したドメニコ・モレッリ通りにいるというのでびっくり。
現在建物の裏はヌンツィアテッラ軍事学校となっていますが、こちらが、かつての両シチリア王の軍兵舎だったところなのかなあ。 -
殉教者広場と言う意味のマルティーリ広場。広場の中央には殉教者の美徳を象徴するエマヌエーレ・カッジャーノ作の記念碑が立っています。
この広場がブルボン朝時代にはパチェ(平和)広場と呼ばれていたのだそう。 -
そのまま、ドメニコ・モレッリ通りを進みます。こじんまりと建つ17世紀に建造されたサンタ・カテリア・ア・キアイア教会の脇を通り・・・
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見てください。この新たな迷宮への入口! 思わず上っていきたい衝動を押さえながら、なおも歩いていくと・・・
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道はどんどん細くなって、いつの間にか居心地のよさそうなカフェが並ぶ歩行者専用道路(ペデストリアン)キアイア通りに。
ナポリにもこんなおしゃれな場所があったんですね。 -
道の向こうに見えてきたのは、キアイア門、ならぬキアイア橋。上を道路が走っています。1636年に築かれた橋は老朽化して、ご覧の通り馬の装飾の周りが所々が剥げ落ちています。
もしかして、あの網は落下防止ネットでしょうか?おお怖〜!
橋の下を行くキアイア通りは、ごくごく普通の市民と思しき人々が大勢繰り出していて賑わっていました。 -
キアイア通りを途中で右に折れ、右手に階段のある通りを珍しそうに眺めながらカロリーナ広場を過ぎると・・・
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目の前に今朝通りすぎたプレビシト広場が現れました。
ふう、ようやくここまで戻ってこれました。 -
ローマで見たのと同じような物憂げなライオンさんにご挨拶。
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弓なりになった広場の一方には、パンテオンに似たギリシャ神殿+丸いドームの複合体建築であるサン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会がありました。
1814年〜15年にかけて行われた、ナポレオン体制後のヨーロッパの秩序回復を図るウイーン会議後に、ブルボン家が両シチリア王に復位したことを記念してネオクラシック様式で建てられました。ブルボン家によるナポリ支配はその後1860年まで続きました。 -
でも非常に残念なことに、広場の反対側に威風堂々と建っているはずだった王宮はご覧の通りで・・・ショボン・・・
ナポリに来てから修復中の建物にしかお目にかかりません。景観が台無しだぁ! -
今立っている場所の反対側には、イタリア陸軍の赤と灰色のツートンカラーの建物がありました。王宮からこの建物の下を通って、先ほど見たトンネル・ボルボニコが続いているんですね。
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教会の両翼に当たる長い弓状の回廊の奥には、ずらりと扉が並んでいるのですが、どれも閉まっていて、所々壊れているし、回廊の階段も思いっきり汚れていて、いかにもナポリといった佇まいでした。ああ〜あこがれのナポリ! なんて気持ちを抱いてこの広場にやってくる人は多分失望するでしょうね。
教会の建物と回廊はルガーノ出身の建築家ピエトロ・ビアンキにより、1816年から30年間かけて建てられました。ギリシャ神殿風のファサードの前の階段は白いカラッラ大理石製ですよ。勿体ない。もっと掃除せえ! -
パオラの聖フランチェスコを祀った教会に入場します。ローマのどこかの教会でもお目にかかったことのあるこの15世紀の聖人は、修道僧で修道会ミニム会の開祖でもありますが、生涯一修道僧を貫いた人でもあります。
入り口を入るとベスティーブレと呼ばれる四角形の前室があり、左右の二つの礼拝堂へと続いています。こちらは、向かって左側の礼拝堂だったかな? 煉獄の魂に捧げられている礼拝堂です。 -
続いてアトリウムと呼ばれる教会の円形部分に入ると、ずらりと並んだ、11mの高さを誇る30本のコリント式の列柱に圧倒されます。柱頭には、ブルボン家のシンボルの百合の花があしらわれていました。そして列柱4本ごとに、大きな聖人の彫像8体が並んでいました。
主祭壇の上には、4体の神学的美徳像が立っている祠のようなものがあります。これは初めてかも。 -
53mの高さのドームです。パンテオンを彷彿させますね。窪みのあるデザインが大変美しいです。
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柱の間を覗くと、天使に祝福される聖人の絵のある小さな礼拝堂が並んでいました。主祭壇の左右には、3つずつの礼拝堂が配置されています。
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こちらの礼拝堂で左側に立っているお方が、この教会が捧げているパオラの聖フランチェスコです。祭壇画は、天使から祝福のステムを受ける聖フランチェスコ。ニコラ・カルタの作品です。
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これは教皇、いや司教の椅子でしょうか?赤と黄のパラソルが凄い。日本では絶対に使わない配色ですね。
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主祭壇と後陣です。1751年にフェルディナンド・フーガによって聖使徒教会のために作られた見事な祭壇は、ラピスラズリと瑪瑙の装飾がある斑岩で作られています。
両脇には、珍しいエジプト製の砕屑岩で作られた短い柱があり、その上にはキュートな燭台が立っています。なんでも、セヴェリーノとソッシオという二人の聖人に捧げられた教会から持ち込まれたものだそうです。他では見られない貴重なものを見せていただいた気がしました。
祭壇の奥には、小ぶりの聖フランチェスコの彫像が祝福のポーズで立っていました。 -
主祭壇の右側部分の1枚。
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最後にドームをもう一度見上げて、教会を後にしました。
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再びプレピシート広場です。前述のウィーン会議後、両シチリア王が再度復位したと書きましたが、両シチリア王国によるナポリの支配はその後、1860年まで続きました。
1860年、ジュゼッペ・ガリバルディ率いる軍勢が両シチリア王国を滅ぼし、その後に行われた市民投票でナポリ市民はイタリア王国への併合を選びました。プレシピートとは、その時の市民投票のことで、これが広場の名前となった所以です。蛇足ながら、翌年の1861年、イタリアは統一されたイタリア王国として再出発することになるのです。
教会に向かって右側の回廊の先にはナポリ県の役所の建物があります。
その手前にこのプレピシート広場にある二つの騎馬像の一つがありました。遠目ですが、あちらはこの広場を造ったフェルディナンド1世(在位1816年〜1825年)の騎馬像です。 -
そして、こちらが、ブルボン家のカルロ3世とあります。共にアントニオ・カノーヴァ作。ブルボン家はフランス、スペイン、両シチリア、パルマのブルボン家と非常にたくさんの人物がおり、今回調べてみて非常にびっくりしました。カルロ3世は、スペイン・ブルボン家初代フェリペ5世の王子で、パルマ公だったドン・カルロスのこと。彼はその当時ナポリとシチリアを支配していたオーストリアから武力で二つの地を奪回し、ナポリ王カルロ7世およびシチリア王カルロ5世となりました。そして、その後スペインでも王となったので、カルロス3世と名乗ったのです。同じ人が3つの名前を持っているなんて、調べてもなかなかわからないわけですね。複雑〜!
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こちらがナポリ王カルロ7世(在位1735年〜1759年)兼シチリア王カルロ5世(在位1735年〜1759年)兼スペイン王カルロス3世(在位1759年〜1788年)です。騎馬像が乗っている台座は、以前落書きで悲惨な状態でしたが、今回綺麗な石になっていてほっとしました。
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少し海岸の方をお散歩しましょう。今日は曇天ですが、王宮に続くモロジリオ庭園越しにヴェスヴィオスの姿を臨むことが出来ました。
ナポリ港に停泊している大型客船も上部だけ顔をのぞかせています。 -
木々の隙間から、わずかに海が見えました。庭園の隣にあるのは簡易遊園地のような施設ですね。
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正面はシートに覆われていたので、王宮の海側の部分を撮ってみました。こちらも工事中なのは明らかですが、シートがないだけましです。17世紀にブルボン家のフェリペ3世の居城として建てられましたが、彼は一度もここに住まなかったそうです。
城の建築はドメニコ・フォンターナにより、1616年までに完成。内装はバッティステッロ・カラッチオロ、ジョヴァンニ・バルドゥッチらにより1620年までに完成していました。
1734年に前述のカルロス3世がナポリを制圧したことにより、その後この城はブルボン家の居城となりました。 -
振り返ると、小高い丘の上には、一昨日訪れたヴォメロの丘にあるサン・テルモ城とサン・マルティノ修道院(現国立サン・マルティーノ美術館)が見えましたよ。
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プレビシート広場に面した王宮のファサードには、本来ならシチリアのルッジェーロ2世(オートヴィル朝)、神聖ローマ皇帝を兼ねたフリードリッヒ(フェデリコ)2世、アンジュー朝のカルロ、アラゴンのアルフォンソ、スペイン王カルロ1世、スペイン王カルロ3世、ジョアッキーノ・ミュラ、サヴォイア朝のヴィットリオ・エマニュエーレ2世という8人の歴代ナポリ王の立像が見られるはずだったのですが、工事中のため、各国の言葉での観光案内のプレートに代わっておりました。
修復工事中も内部は公開していると書いてありましたが、これを見て入場する気が失せてしまいました。 -
現在行われている工事は、ファサードの修復のほか、王朝終焉後一度も公開されていない貴重な装飾品の修復とそれを展示するためのスペース、そして、ブックショップとカフェの新設だそうですよ。
169mあるファサードの内側の廊下を歩いて行くことにしましょう。 -
やってきたのは、1651年にフランチェスコ・アントニオ・ピッキアッティによって設計された美しい階段ですが、なんとここも修復中でした。1837年に起こった火事の後、ガエタノ・ジェノヴェーゼが大規模な修復と装飾を行っています。
フランチェスコ・ガヴァウダンにより、修復が完成したのは1858年のことでした。 -
階段は白とローズ色の大理石で覆われています。ポルトヴェーネレと言う名前の大理石だそうです。所々に寓話ストーリーが描かれたカラッラ大理石で作られた浅浮彫のパネルがはめられています。
透かし模様の入った階段手摺部分も素晴らしいですね。4つあるニッチェには、アントニオとジェンナーロのカリ兄弟らによる彫像が飾られています。 -
大変優雅な と言いたいところですが、やはりここは工事現場ですね。
入場するのはやめましょう。 -
というわけで、行けども行けども工事中の王宮を諦め、先を急ぐことにしました。しかしながら・・・
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工事の運命は私を解放してくれませんでした。トリエステ・エ・トレント広場のサン・フェルディナンド教会はセーフでしたが、
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イタリア三大オペラ劇場の一つであるサン・カルロ劇場も、ウンベルト1世のガッレリアまで工事中・・・ショボン・・・
町ぐるみ修復中のナポリでありました。そうそう、サン・カルロ劇場は何度も出てきたカルロス3世(イタリア名カルロ3世)によって1737年に建てられたオペラ劇場で、ヨーロッパで現役最古の劇場と言われています。 -
ショボンとした私はそれでもめげずに、ガッレリアに突入いたしました。またまた工事現場ですよ。
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1887年〜90年にかけて建築された「まるでそのものが美しい装飾品のようです」とガイドブックにあるガッレリアは、ご覧の通り足場だらけで、美しくもなんともありません。ミラノのヴィットリオ・エマニュエーレ2世のガッレリアを真似て、パオロ・ボウベエが設計したのだそうです。
しかし、高さ57mのドームから放射状に伸びる鉄のラインは見事ですね。ドームの周りにアーチが全部で8つあり、そのつなぎ目部分に天使の女性像がライトを掲げています。無粋な足場さえなければ、口を開けて見入るのでしょうが・・・ -
蛇足ですが、工事シートの下でお茶を飲むなんて光景はありえませんね。何が嬉しくてあんなところで休憩を取るんでしょう?
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仕方がないので、下を向いて歩いていたら、素敵な多色大理石の床が目に留まりました。
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ガッレリアの中央にある十二宮のモザイクはなかなかなものでした。戦争と経年劣化により傷んでいた床は、パドアン・ヴェネツィアという会社により1952年に貼り替えられたものです。
私の星座しし座をまずパチリ! -
全てを撮るのは大変だったので、家族の分だけ撮りましたよ。かに座。
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ふたご座
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てんびん座
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そしていて座です。
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中央には巨大な方位盤が東西南北の方向を教えてくれます。この床を見れただけでも収穫はあったというもの。気を取り直して次行きます。
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ナポリで感心するのは、街にこういったおいしそうなスイーツのお店が溢れていること。一昨日のスフォリアテッレのお店もそうでしたが、ローマに比べて断然多いのではないかしら。
ついつい、引き寄せられてお買い上げという運びになってしまいます。一番左側にあるババはラム酒風味のシロップがたっぷり入った、ナポリ発祥のお菓子です。右側にもババをてんこ盛りにしたものが売られていますよ。 -
ガッレリアを出ると、ペデストリアンのトレド通りを北上します。
地球の〇き方によれば、トレド通りの西側は、坂道の多い、治安の悪いと言われるスペイン地区です。あれほど「行くな!」と書いてあれば、うろつくのが大好きな私としても訪れるわけには参りませんね。 -
狭くて面白そうな路地が沢山あって、先ほどから「おいで!おいで!」と誘惑してくるんですが・・・
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気になる横丁をズームアップ! 楽しそうな雰囲気ですよね。
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あらら・・・こちらも誘惑の手を伸ばしてきましたよ。美味しそう・・・特に真ん中のフルーツで作った花びらのケーキ1ホールで27ユーロ! 大粒のイチゴがたっぷり乗ったお隣は23ユーロ! 安〜い!
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10分くらい歩くと、地下鉄トレドの駅前に到着。実はホテルの受付の少々気の弱いお兄ちゃんが、ナポリで一番魅力的なのはトレド駅構内だというので、楽しみにしてきたのですが、何故か地下鉄の入口はどれも閉まっていました。
トレド通り沿いに数か所ある地下鉄の出入り口をチェックしましたが、どれもクローズド。なんでやねん?
写真はサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ・ア・トレド教会前の広場です。右に見える馬の彫刻は、南アフリカ人ウイリアム・ケンリッジによる2012年の作品「トレドの騎士」です。大変ユニーク! -
教会の写真ばかり撮っている私の次なるターゲットは、同じトレド通りのサン・ニコラ・アッラ・カリタ教会。
時刻は12時40分。実はジェズ・ヌオーヴォ教会に向かっているのですが、13時には閉まってしまうので、微妙な時刻なのです。ナポリの教会はローマ以上に昼休みが長いところが多いので、一つでも入っておきたかったのですが、こうよそ見ばかりしていては無理かな? -
同じくトレド通りの聖霊教会。どこの教会ももう閉まっていますね。それとも、最初から開いていないのか・・・ナポリで教会に入るのは至難の業だということが分かりました。
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トレド通りを右に折れて、暫く進むと、ジェズ・ヌオヴォ広場に到着します。ガッレリアを出て、散々きょろきょろしながら、道草喰いながら歩いて25分くらいです。
広場の中央には、インマコラータ(無原罪)のオベリスクと呼ばれるナポリ独特? の塔がそびえています。18世紀にナポリで建てられた三大オベリスクの一つです。他の二つはサン・ジェンナーロとサン・ドメニコ。 -
オベリスクは、18世紀の半ばにイエスズ会の神父フランチェスコ・ペペの命により、ジュゼッペ・ジェノイーノが設計を行いました。
毎年12月8日の聖母懐妊の祝日には、オベリスクのてっぺんにある無原罪の聖母像に花輪が捧げられます。
オベリスクには、イエスズ会の開祖イグナチオ・ロヨラ、フランチェスコ・ボルジア、フランチェスコ・ザビエル、フランチェスコ・レジスの4人の像に加え、聖母戴冠、魂の浄化など、ナポリのバロック芸術の最高峰と言われている大理石の彫刻がいくつも見られます。 -
広場の左側にはジェズ・ヌオヴォ教会。奥にはサンタ・キアラ聖堂の鐘楼が見えます。
おっラッキー! 教会の扉開いている と思ったのですが・・・ -
なんだか様子がおかしいと思ったら、テレビ番組のロケが行われていました。
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この黄色い車の陰に、カメラマンがいるのがお分かりでしょうか? オレンジ色のズボンをはいた男性がレポーターかなあ・・・
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ふと我に返って、後ろを振り返ったら、じゃ〜ん。扉は固く閉ざされていました。ショボン・・・
まあいつものことですが、タイミングが悪いったらありゃしない。
仕方ない。出直しましょ。このファサード変わっていると思ったら、元々は1470年に建てられたサンセルヴィーノ家の宮殿だったところだそうで、1588年にイエスズ会が屋敷を購入し、外壁をそのまま教会へと転用したためと分かりました。凹凸のある壁が不思議な景観を作りだしています。 -
ジェズ教会が閉まったということは、こちらのサンタ・キアーラ教会も同じくお昼休みということですね。こちらの教会の昼休みはあとで調べてみたら案外短かったのですが、その代わり終わりも早く、手元のガイドブックによれば17時半まで。結局入場できませんでした。
現在サンタ・キアラは教会、修道院、墓地、考古学博物館から成る複合施設となっています。ナポリのために後1日時間を割きたかったですね。といってもあっちもこっちも の欲張り人間なので、何日あっても結局足りないのですが・・・。
時間があり余って退屈〜 何もすることがない! ということがない私って異常でしょうか? -
ローマのナゾーネ君ではなく、ナポリの水飲み場です。同じような形だけれど、ナポリの方が四角張っています。この水を飲むのは少々勇気がいりそうです。
時間も時間なので、一昨日食べて癖になりそうなナポリのピッツァを再び探し求めてスパッカナポリの中心へ出向きます。 -
一昨日にお店の前を通ったディ・マッテオに行こうと、トリブナリ通りを進みます。一度行っているので、安心しきって、行列のできているお店の前でまたしてもその行列に加わります。東京で行列なんてしたことないのに、どういう風の吹き回し?
名前を告げて、行列の中にいらした日本人のご夫妻とおしゃべりをしているうちに、はたと、ここがディ・マッテオではないことに気が付きました。慌てて地球の〇き方を見ると、なんと! ここは、ナポリでも一二の行列の長さを誇るジーノ・ソルビッロSorbilloでございました。間違えた! 名前も見ずに行列するとはねえ・・・
地球の〇き方には、30分から2時間待ちと書かれていたので戦々恐々としていたのですが、意外と早く15分くらいで名前を呼ばれました。
行列している間にここでお会いした日本人ご夫婦とは、15日後の5月30日に、ラヴェンナへの列車内で偶然に再会。1日一緒にラヴェンナを廻らせていただきました。偶然は結構あるものなんですねえ・・・ご縁というものですね。きっと。 -
こちらが1935年からの歴史を誇るソルビッロのマルガリータ。大きさはダ・ミケーレの同じくらいですが、こげはこちらの方が少なかったなあ。
味はもうばっちりでした。値段も大変良心的でしたよ。正直ダ・ミケーレより安かったです。目指したはずのディ・マッテオより150mくらいダンテ広場寄りにありました。 -
あっちもこっちも工事現場のたびは続きます。食後カポディモンテ美術館に行くために訪れたダンテ広場も、ご覧のような有様でした。
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左手に見えるのが広場への入り口アルバ門。イタリア語だとポルタルバとなります。ナポリの城門の一つで、ダンテ広場の北西角に位置しています。作られたのは比較的遅くて、1625年、ナポリのスペイン総督アントニオ・アルヴァレスによります。
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ダンテ広場は古くはマーケット広場と呼ばれていましたが、1765年、時のナポリ王の妃の名をとりフォロ・カロリーナと命名されました。その時に、建築家ルイジ・ヴァンティテッリにより現在の形に整備されました。列柱が並ぶ半円形を描く華やかな建物やその上の彫像もその時に作られたものです。
時計台のある建物は現在、国立ヴィットリオ・エマニュエーレ2世寄宿学校となっています。 -
広場の中央に立つダンテ・アリギエリの像は、1871年にティト・アンゲリーニらにより作られ、その時以来、ダンテ広場と呼ばれるようになりました。2002年には広場のすぐそばに地下鉄が開通したことにより、広場の舗装が一新されました。
広々としていて、開放感あふれる広場です。 -
なぜここにダンテがいるのか? ナポリとのつながりは? 等の疑問に答えてくれる資料はとうとう見つかりませんでしたのであしからず。
これからR4のバスに乗り、国立カポディモンテ美術館へと向かいます。長くなりましたので、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その41 ナポリ カポディモンテ美術館 で。
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この旅行記へのコメント (2)
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- belleduneさん 2015/12/13 09:53:01
- 色んなツアーが増えているんですね...
- Junemayさん、私が2007年にナポリに行った時は、sotterrane というツアーしかなかったと思います。あれから8年も経つと、珍しいツアーが人気ということから増えたのでしょうか。ナポリに行くことがあったら、是非腹這いになって、探検してみたいと思いました。
またお邪魔します。
- junemayさん からの返信 2015/12/13 14:55:08
- RE: 色んなツアーが増えているんですね...
- Belleduneさま
いつも訪問頂きありがとうございます。
更にコメントまで頂き、大変うれしく思っています。
本来ならsotterraneのようなツアーに参加した人がトンネル・ボルボ二コのようなツアーに加わるのでしょうが、今回はアルテカードで入場できる場所を探している最中に、こうした施設の存在を知った次第です。
旅行記の中でも書きましたが、ナポリは実質1日半しかなくて、全く時間が足りませんでした。ローマにもナポリにも未練を残した結果となりましたが、機会があれば再訪したいと思っております。Belleduneさまは女性でいらっしゃいますよね。私なんぞ足元にも及ばないくらいの冒険心、探求心、好奇心をお持ちと、素晴らしい旅行記を拝見しながらいつも感じておりました。ナポリに行かれるのであれば、一度お試しあれ。トリップ・アドヴァイザーなどでもトンネル・ボルボ二コのアドヴェンチャーツアーは高い評価を受けているようですよ。
Belleduneさまの建築への造詣の深さ、旅の目的地の多様性などに興味を持ち、いつか個人的にお話させて頂きたいなと思っていた矢先です。つたない私の旅行記にお付き合いいただき、本当に感謝しております。
これからも、だらだらと書き連ねていくことになるだろうと思いますが、よろしければお付き合いいただければ幸いです。
ありがとうございました。
> Junemayさん、私が2007年にナポリに行った時は、sotterrane というツアーしかなかったと思います。あれから8年も経つと、珍しいツアーが人気ということから増えたのでしょうか。ナポリに行くことがあったら、是非腹這いになって、探検してみたいと思いました。
> またお邪魔します。
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